2024/08/27

白村江の戦い(2)

黄山の戦い

百済の大本営は機能していなかったが、百済の将軍たちは奮闘し、将軍階伯の決死隊5000兵が3つの陣を構えて待ちぶせた[要出典]。新羅側は、太子金法敏(後の文武王)・金欽純(きん きんじゅん)将軍・金品日(きん ひんじつ)将軍らが兵5万を3つにわけて[要出典]黄山を突破しようとしたが、百済軍に阻まれた。79日の激戦黄山の戦いで、階伯ら百済軍は新羅軍を阻み四戦を勝ったが、敵の圧倒的な兵力を前に戦死した。

 

この黄山の戦いで新羅軍も多大な損害を受け、唐との合流の約束期日であった710日に遅れた。唐の蘇定方は、これを咎め新羅の金文穎を斬ろうとしたが、金は黄山の戦いを見ずに咎を受けるのであれば唐と戦うと言い放ち、斬られそうになったが蘇定方の部下が取り成し罪を許された。

 

唐軍は白江を越え、ぬかるみがひどく手間取ったが、柳の筵を敷いて上陸し、熊津口の防衛線を破り王都に迫った。義慈王は佐平の成忠らの進言を聞かなかったことを後悔した。

 

712日、唐軍は王都を包囲。百済王族の投降希望者が多数でたが、唐側はこれを拒否。713日、義慈王は熊津城に逃亡、太子隆が降伏した。718日に義慈王が降伏し、百済は滅亡した。

 

660年(斉明天皇6年)8月、百済滅亡後、唐は百済の旧領を羈縻支配の下に置いた。唐は劉仁願将軍に王都泗沘城を守備させ、王文度(おう ぶんたく)を熊津都督として派遣した(熊津都督府)。唐はまた戦勝記念碑である「大唐平百済国碑銘(だいとうへいくだらこくひめい)」を建て、そこでも戦前の百済の退廃について「外には直臣を棄て、内には妖婦を信じ、刑罰の及ぶところただ忠良にあり」と彫られた。大唐平百済国碑銘は、現在も扶餘郡の定林寺の五重石塔に残っている。

 

百済復興運動

唐の目的は高句麗征伐であり、百済討伐はその障害要因を除去するためのものだった。唐軍の主力が高句麗に向かうと、百済遺民鬼室福信・黒歯常之らによる百済復興運動が起きた。82日には百済残党が小規模な反撃を開始し、826日には新羅軍から任存(にんぞん、現在の忠南礼山郡大興面)を防衛した。93日に劉仁願将軍が泗沘城に駐屯するが、百済残党が侵入を繰り返した。百済残党は撃退されるが、泗沘の南の山に45個の柵を作って駐屯し、侵入を繰り返した。こうした百済遺民に呼応して、20余城が百済復興運動に応じた。熊津都督王文度も着任後に急死している。

 

唐軍本隊は高句麗に向かっていたため救援できず、新羅軍が百済残党の掃討を行った。109日にニレ城を攻撃し18日には攻略すると、百済の20余城は降伏した。1030日には泗沘の南の山の百済駐屯軍を殲滅し、1500人を斬首した。

 

しかし、百済遺臣の西武恩卒鬼室福信・黒歯常之・僧道琛らの任存城や、達率余自信の周留城などが抵抗拠点であった。

 

倭国による百済救援

百済滅亡の後、百済の遺臣は鬼室福信・黒歯常之らを中心として百済復興の兵を挙げ、倭国に滞在していた百済王の太子豊璋を擁立しようと、倭国に救援を要請した。

 

中大兄皇子はこれを承諾し、百済難民を受け入れるとともに唐・新羅との対立を深めた。

 

661年、斉明天皇は自ら九州へ出兵するも、那の津にて急死した(暗殺説あり[要追加記述])。斉明天皇崩御にあたっても皇子は即位せずに称制し、造船の責任者の朴市秦造田来津を司令官に任命して全面的に支援した。この後、倭国軍は三派に分かれて朝鮮半島南部に上陸した。

 

だがこの時点で、百済陣営は全く統率が取れていなかった。豊璋は戦乱への自覚が足らず、黒歯常之ら将は当初から豊璋を侮る状態であった。道琛は鬼室福信によって殺害され、鬼室福信は豊璋によって殺害された。

 

軍事力

唐・新羅連合軍

総兵力は不明であるが、森公章は総数不明として、660年の百済討伐の時の唐軍13万、新羅5万の兵力と相当するものだったと推定している。また、唐軍は百済の役の際よりも増強したともされる。当時の唐は四方で諸民族を征服しており、その勢力圏は広かった。この時参加した唐の水軍も、その中には靺鞨の兵士が多くいたという。

 

水軍

水軍7,000[要出典]170余隻の水軍。指揮官は劉仁軌、杜爽、元百済太子の扶余隆。

 

陸軍

不明。陸軍指揮官は孫仁師、劉仁願、新羅王の金法敏(文武王)。

 

倭国軍

第一派:1万余人。船舶170余隻[要出典]。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津。

第二派:27千人[要出典]。軍主力。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。

第三派:1万余人[要出典]。指揮官は廬原君臣(いおはらのきみおみ)(廬原国造の子孫。現静岡県静岡市清水区を本拠とした。

 

戦いの経過

6615月、第一派倭国軍が出発。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津。豊璋王を護送する先遣隊で、船舶170余隻、兵力1万余人[要出典]だった。

 

6623月、主力部隊である第二派倭国軍が出発。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。

 

663年(天智2年)、豊璋王は福信と対立しこれを斬る事件を起こしたものの、倭国の援軍を得た百済復興軍は、百済南部に侵入した新羅軍を駆逐することに成功した。

 

百済の再起に対して、唐は増援の劉仁軌率いる水軍7,000[要出典]を派遣した。唐・新羅軍は、水陸併進して、倭国・百済連合軍を一挙に撃滅することに決めた。陸上部隊は、唐の将、孫仁師、劉仁願及び新羅王の金法敏(文武王)が指揮した。劉仁軌、杜爽及び元百済太子の扶余隆が率いる170余隻の水軍は、熊津江に沿って下り、陸上部隊と会合して倭国軍を挟撃した。

 

一方の大和朝廷側は、強力な権限を持った統一指揮官が不在であり、作戦も杜撰であった。唐と比較して対外戦争経験も乏しく、加えて全体兵力も劣っていた。前述されたように、百済側の人員も意思統一が全くされておらず、この時点で内紛を起こしているような状態であった。

 

海上戦

倭国・百済連合軍は、福信殺害事件の影響により白村江への到着が10日遅れたため、唐・新羅軍のいる白村江河口に対して突撃し、海戦を行った。倭国軍は三軍編成をとり4度攻撃したと伝えられるが、多数の船を持っていたにもかかわらず、火計、干潮の時間差などにより、663828日、唐・新羅水軍に大敗した。

 

この際、倭国・百済連合軍がとった作戦は「我等先を争はば、敵自づから退くべし」という極めて杜撰なものであった(『日本書紀』)。

 

陸上戦

同時に陸上でも、唐・新羅の軍は倭国・百済の軍を破り、百済復興勢力は崩壊した。

 

白村江に集結した1,000隻余り[要出典]の倭船のうち、400隻余りが炎上した。九州の豪族である筑紫君薩夜麻や土師富杼、氷老、大伴部博麻が唐軍に捕らえられて、8年間も捕虜として唐に抑留されたのちに帰国を許された、との記録がある。

 

白村江で大敗した倭国水軍は、各地で転戦中の倭国軍および亡命を望む百済遺民を船に乗せ、唐・新羅水軍に追われる中、やっとのことで帰国した。

 

援軍が近付くと、豊璋は城兵らを見捨てて拠点であった周留城から脱出し、813日に大和朝廷軍に合流した。しかし敗色が濃くなるとここも脱出し、数人の従者と共に高句麗に亡命した。

2024/08/25

役小角(役行者)(2)

—第1次『国史大系』      —大意訳

解釈として、句末を示す助字の焉を抜かして文を繋げ、「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが、その後に師の能力を妬んで讒言した」とする説もある。広足が正六位上から外従五位下に昇進したのは、役小角が没したとされる時期から約30年後の天平3年(731年)である。さらには、広足の氏が韓国であることからか誤解される事が多いが、韓国氏は物部氏の支族。

 

この記録の内容の前半の部分は事実の記録であるが、後段の「世相伝テ云ク…」の話は、すでになかば伝説のような内容になっている。役小角に関する信頼される記録は、正史に書かれたわずかこれだけのものであるが、後に書かれる役行者の伝説や説話は、ほとんどすべてこれを基本にしている。

 

日本霊異記

役小角にまつわる話は、やや下って成立した『日本現報善悪霊異記』に採録された。後世に広まった役小角像の原型である。荒唐無稽な話が多い仏教説話集であるから、史実として受け止められるものではないが、著者の完全な創作ではなく、当時流布していた話を元にしていると考えられる。

 

『日本霊異記』が書かれたのは弘仁年間(810 - 824年)であるが、説話自体は神護景雲2年(768年)以降につくられたものであろうとされている。

 

『日本霊異記』で役小角は、仏法を厚くうやまった優婆塞(僧ではない在家の信者)として現れる。上巻の28にある「孔雀王の呪法を修持し不思議な威力を得て、現に仙人となりて天に飛ぶ縁」の話である。

 

役の優婆塞は大和国葛木上郡茅原村の人で、賀茂役公の民の出である。若くして雲に乗って仙人と遊び、孔雀王呪経の呪法を修め、鬼神を自在に操った。鬼神に命じて大和国の金峯山と葛木山の間に橋をかけようとしたところ、葛木山の神である一言主が人に乗り移って文武天皇に役の優婆塞の謀反を讒言した。優婆塞は天皇の使いには捕らえられなかったが、母を人質にとられるとおとなしく捕らえられた。伊豆大島に流されたが、昼だけ伊豆におり、夜には富士山に行って修行した。

 

大宝元年(701年)正月に赦されて帰り、仙人になって天に飛び去った。道昭法師が新羅の国で五百の虎の請いを受けて法華経の講義をした時に、虎集の中に一人の人がいて日本語で質問してきた。法師は「誰ですか」と問うと「役の優婆塞」であると答えた。法師は高座から降りて探したが、すでに居なかった。一言主は、役の優婆塞の呪法で縛られて、今(『日本霊異記』執筆の時点)になっても解けないでいる。

 

『続日本紀』との大きな違いは、役小角を告訴したのが一言主の神となっていることで、この一言主神が後々のいろいろな説話や物語などに登場してくる。また、道昭が新羅の国で役小角に会う話が初めて出てくる。この『日本霊異記』にある説話は『続日本紀』の記録とともに、その後の役行者の伝記や説話の根幹になっている。

 

在地伝説

奥田の伝説

大和高田市奥田の伝説「奥田蓮池の一つ眼蛙」によると、役行者の母・刀良女(とらめ)は、奥田の蓮池で病を養っていたが、ある夏、捨篠神社へ参ると蛙の鳴き声が聞こえ、光輝く池の蓮の茎が伸び、2つの白蓮が咲き、そこには金色の蛙が歌っていた。そこで刀良女は、何気なく萱を一本抜きとって蛙に向かって投げたところ、蛙の片目に当たってしまい、射貫かれた蛙はそのまま水中深く潜ってしまった。その瞬間、池面をいろどった五色の露も一茎二華の白蓮も消え、蛙は醜い褐色色になって浮かんで来た。

 

刀良女は自責の念から病が重くなり、42歳で亡くなる。母を亡くした役行者は発心して修験道を開き、吉野山に入ると、吉野山蔵王権現を崇め、蛙の追善供養を行い、母の菩提を弔った。毎年、77日には、山伏が吉野に来て、ここの行者堂と刀良女塚に香や花を献じ、蓮池の蓮180本を切り取って、蔵王堂から大峯山までの街道に祀られる祠堂に蓮を献じて、蛙の供養をした。この伝説では役行者の母の没した年齢、および修験道を開いたきっかけが、母を亡くしたこととして語られている。

 

石鎚山大天狗の伝説

役小角は、701年大阪箕面の天上ヶ岳で昇天した後、若い頃開山した石鎚山にやってきて「石鎚山法起坊大天狗」となって当地を守護し、前鬼は大峰山前鬼坊という天狗になり吉野方面の守護をしたという。なお、神変大菩薩の諡号を贈られるまで、法起菩薩と呼ばれていた。

 

信仰

役行者信仰の一つとして、役行者ゆかりの大阪府・奈良県・滋賀県・京都府・和歌山県・三重県に所在する36寺社を巡礼する役行者霊蹟札所がある。また、神変大菩薩は役行者の尊称として使われ、寺院に祀られている役行者の像の名称として使われていたり、南無神変大菩薩と記した奉納のぼりなどが見られることがある。

 

肖像

修験道系の寺院で、役行者の姿(肖像)を描いた御札を頒布していることがあるが、その姿は老人で、岩座に座り、脛(すね)を露出させて、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履いて、右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、前鬼・後鬼と一緒に描かれている。手に持つ道具が密教法具であることもあり、頒布している寺院により差異がある。

 

真言

日本生まれの役行者に対し、そもそもがサンスクリット語のマントラの訳語である真言がつけられるのは考えにくく、聖護院(本山修験)などでは光格天皇より与えられた諡号を使い、下記のように唱える。

 

南無神変大菩薩(なむ じんべん だいぼさつ)

宗派によっては下記の真言と定めているところもある。

 

おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか

石鎚山法起坊の真言は下記となる。

 

オン ビラビラ ケンビラ ケンノウ ソワカ

2024/08/22

マヤ神話(1)

マヤ神話とは、メソアメリカのユカタン半島など、マヤ地域で伝承された神話である。紀元前1000年頃より始まり、310世紀に繁栄したマヤ文明の人々が持っていた世界観を表したものとされる。スペインによる征服の歴史の中でマヤ文字の書物は大半が消失しており、現在明らかにされているマヤ神話は断片的である。

 

概観

あらゆるものに神を見いだす汎神的な世界観をもち、世界の四隅に住み異なる姿を持つ神チャクなどのほか、13の天に住む13の神、9の暗黒に住む9の神がいる。このほか、自然のエレメント(元素)、太陽や月などの天体、嵐や雨などの気候、トウモロコシ、ジャガーなど様々なものに固有の神々がおり、マヤ文明圏におけるそれら事象の重要性が示されている。

 

16世紀にスペインがマヤ地域を植民地化する際、同行した修道士ディエゴ・デ・ランダが現地の宗教を異端として、古代の神々への信仰を捨てさせるべくマヤ文字絵文書をことごとく焚書したため、現存するマヤ神話のオリジナル史料は非常に少ない。

 

一方、征服者側のスペイン語によるマヤ地域の探検記録などは数も残っており、その中でグアテマラ地域にいた有力部族キチェ族の伝承や来歴について記された『ポポル・ヴフ(Popol Wuj)』が、現在まで伝わるマヤ神話の数少ない貴重な文献となっている。

 

『ポポル・ヴフ』では、始まりの神テペウとクグマッツが試行錯誤しながら人間の創造を果たすという創世神話と、伝説的英雄の双子フンアフプーとイシュバランケーが、悪しき神々を討伐していく英雄譚が収められている。この創世神話と英雄譚がマヤ神話の根幹となっており、話をモチーフとした彫刻もマヤ遺跡(チチェン・イッツァほか)で見られる。

 

マヤ遺跡からは、生贄の儀式があったと思しき痕跡が複数見つかっているが、その裏付けとなる背景の一つに、生贄として自殺した者の魂を楽園に導くという女神イシュタムがマヤ神話の中に存在する。

 

創世神話

マヤ神話の文献『ポポル・ヴフ』では、テペウとクグマッツ(翼がある蛇の姿をした神。ククルカンとも呼ばれる)という2柱の神が、この世界や人間を創った創造主、最初から「在りて在る者」である。

 

天の心フラカンに遭遇したのち、2柱の神は話し合って大地を創ることにした。「水よ去れ、大地よ現れろ」と叫ぶと、水の中から地面が現れて山となり、谷や川が形成された。続いて二柱の神は、動植物を創り上げた。しかし動物たちは言葉を話せず、神を崇めたり敬うこともしなかったので、神は自分たちを崇拝してくれる知性の高い種族、人間づくりに取りかかった。

 

最初に泥から人間を創ろうとしたが、柔らかくて目鼻も水に溶けてしまい失敗に終わった。木を素材にして創ると人間の形になったが、魂や知恵を持たない失敗作だったので、神は洪水を起こして彼らを滅ぼしてしまった。三番目にトウモロコシから創った男女4組は、テペウとクグマッツが望む叡智を備えていた。ただ世界の全てをも見通してしまうため、神々はあえて人間の目を曇らせて遠くまで見通せないようにした。

 

この最初の人類にキチェ族の始祖4人が含まれているという話が『ポポル・ヴフ』の内容で、人間の彼らが伝説の地トゥランを旅立って以降は、神話よりもキチェ族の歴史が主な記述となる。

2024/08/18

白村江の戦い(1)

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、天智28月(66310月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との間の戦争のことである。

 

名称

日本では白村江は、慣行的に「はくすきのえ」と読まれる。白村を「はくすき」と読ませるのは、卜部兼方の『釈日本紀』(鎌倉時代)によるもの。20巻の「秘訓五」にて「白村」を「ハクスキ」とフリガナをし、注釈で「私記曰。白字音読。村読須支。」(『日本書紀私記』曰く。「白」の字は音読みし、「村」の字は「須支(すき)」と読む。)とある。少なくとも奈良・平安時代から「はくすきのえ」と読まれていた。

 

錦江(当時は白江と呼んだ)が黄海に流れ込む海辺を「白村江」と呼んだ。つまり、白村江という地名は、川の名前ではなかった。「江(え)」は「入り江」の「え」と同じ倭語で海辺のこと、また「はくすき」の「き」は倭語「城(き)」で城や柵を指す。白江の河口には白村という名の「城・柵(き)」があった。ただし、大槻文彦の『大言海』では「村主:スクリ(帰化人の郷長)」の「村」を百済語として「スキ」としている。

 

漢語では、白江之口と書く(『旧唐書』)。

 

背景

朝鮮半島と中国大陸の情勢

6世紀から7世紀の朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していたが、新羅は二国に圧迫される存在であった。

 

『日本書紀』には、倭国は半島南部の任那を通じて影響力を持っていたとの記述がある。その任那は、562年以前に新羅に滅ぼされた。

 

475年には百済は高句麗の攻撃を受けて、首都が陥落した。その後、熊津への遷都によって復興し、538年には泗沘へ遷都した。当時の百済は倭国と関係が深く(倭国朝廷から派遣された重臣が駐在していた)、また高句麗との戦いに於いて度々、倭国から援軍を送られている。

 

一方、581年に建国された隋は、中国大陸を統一し文帝・煬帝の治世に4度の大規模な高句麗遠征(隋の高句麗遠征)を行ったものの、いずれも失敗した。その後、隋は国内の反乱で618年には煬帝が殺害されて滅んだ。そして新たに建国された唐は、628年に国内を統一した。唐は二代太宗・高宗の時に、高句麗へ3度(644年・661年・667年)に渡って侵攻を重ね(唐の高句麗出兵)、征服することになる。

 

唐による新羅冊封

新羅は、627年に百済から攻められた際に唐に援助を求めたが、この時は唐が内戦の最中で成り立たなかった。しかし、高句麗と百済が唐と敵対したことで、唐は新羅を冊封国として支援する情勢となった。また、善徳女王(632年〜647年)のもとで実力者となった金春秋(後の太宗武烈王)は、積極的に唐化政策を採用するようになり、654年に武烈王(〜661年)として即位すると、たびたび朝見して唐への忠誠心を示した。648年頃から唐による百済侵攻が画策されていた。649年、新羅は金春秋に代わって金多遂を倭国へ派遣している。

 

百済の情勢

百済は642年から新羅侵攻を繰り返した。654年に大干ばつによる飢饉が半島を襲った際、百済義慈王は飢饉対策をとらず、6552月に皇太子の扶余隆のために宮殿を修理するなど退廃していた。6563月には、義慈王が酒色に耽るのを諌めた佐平の成忠(浄忠)が投獄され獄死した。日本書紀でも、このような百済の退廃について「この禍を招けり」と記している。

 

6574月にも干ばつが発生し、草木はほぼなくなったと伝わる。このような百済の情勢について、唐は既に6439月には「海の険を負い、兵械を修さず。男女分離し相い宴聚(えんしゅう)するを好む」(『冊府元亀』)として、防衛の不備、人心の不統一や乱れの情報を入手していた。

 

6594月、唐は秘密裏に出撃準備を整え、また同年「国家来年必ず海東の政あらん。汝ら倭客東に帰ることを得ず」として倭国が送った遣唐使を洛陽にとどめ、百済への出兵計画が伝わらないように工作した。

 

倭国の情勢

この朝鮮半島の動きは倭国にも伝わり、警戒感が高まった。大化改新期の外交政策については諸説あるが、唐が倭国からは離れた高句麗ではなく、伝統的な友好国である百済を海路から攻撃する可能性が出て来たことにより、倭国の外交政策はともに伝統的な友好関係にあった中国王朝(唐)と、百済との間で二者択一を迫られることになる。この時期の外交政策については、「一貫した親百済路線説」「孝徳天皇=親百済派、中大兄皇子=親唐・新羅派」「孝徳天皇=親唐・新羅派、中大兄皇子=親百済派」など、歴史学者でも意見が分かれている。

 

新羅征討進言

白雉2年(651年)に左大臣巨勢徳陀子が、倭国の実力者になっていた中大兄皇子(後の天智天皇)に新羅征討を進言したが、採用されなかった。

 

遣唐使

白雉4年(653年)・白雉5年(654年)と2年連続で遣唐使が派遣されたのも、この情勢に対応しようとしたものと考えられている。

 

蝦夷・粛慎討伐

斉明天皇の時代になると北方征伐が計画され、越国守阿倍比羅夫は658年(斉明天皇4年)4月、6593月に蝦夷を、6603月には粛慎の討伐を行った。

 

百済の役

660年、百済が唐軍(新羅も従軍)に敗れ、滅亡する。その後、鬼室福信らによって百済復興運動が展開し、救援を求められた倭国が663年に参戦し、白村江の戦いで敗戦する。この間の戦役を百済の役(くだらのえき)という。

 

百済滅亡

6603月、新羅からの救援要請を受けて唐は軍を起こし、蘇定方を神丘道行軍大総管に任命し、劉伯英将軍に水陸13万の軍を率いさせ、新羅にも従軍を命じた。唐軍は水上から、新羅は陸上から攻撃する水陸二方面作戦によって進軍した。唐1万・新羅5万の合計6万の大軍[要出典]が百済に攻め入っていた。

 

百済王を諌めて獄死した佐平の成忠は唐軍の侵攻を予見し、陸では炭峴(現大田広域市西の峠)、海では白江の防衛を進言していたが、王はこれを顧みなかった。また古馬弥知(こまみち)県に流されていた佐平の興首(こうしゅ)も同様の作戦を進言していたが、王や官僚はこれを流罪にされた恨みで誤った作戦を進言したとして、唐軍が炭峴と白江を通過したのちに迎撃すべきと進言した。百済の作戦が定まらぬうちに、唐軍はすでに炭峴と白江を超えて侵入していた。

2024/08/16

役小角(役行者)(1)

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの / えんの おつの、舒明天皇6年〈634年〉伝 - 大宝元年67日〈701716日〉伝)は、飛鳥時代の呪術者。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)などとも呼ばれている。姓は君。

 

いくつかの文献では実在の人物とされているが、生没年不詳。人物像は後世の伝説も大きく、前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など、多くの修験道の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。

 

出自

役氏(えんうじ)、役君(えん の きみ)は三輪系氏族に属する地祇系氏族で、葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かも の えん の きみ)とも呼ばれている。役民を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたという。また、この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされる。

 

生涯

舒明天皇6年(634年)に大和国葛上郡茅原郷(現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。父は、出雲から入り婿した大角、母は白専女(伝説では刀良女とも呼ばれた)。生誕の地とされる場所には、吉祥草寺が建立されている。

 

白雉元年(650年)、16歳の時に山背国(後の山城国)に志明院を創建。翌年17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。その後、葛城山(現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築く。20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。命令に従わないときには呪で鬼神を縛った。人々は小角が鬼神を使役して水を汲み、薪を採らせていると噂した。高弟に国家の医療・呪禁を司る典薬寮の長官である典薬頭に任ぜられた韓国広足がいる。

 

文武天皇3524日(ユリウス暦699626日)に、人々を言葉で惑わしていると讒言されて伊豆島に流罪となる。

 

2年後の大宝元年(701年)1月に大赦があり、茅原に帰るが、同年67日に、大阪府箕面市にある箕面山瀧安寺の奥の院にあたる天上ヶ岳(標高499m北緯345147.503秒 東経135285.485秒)にて入寂したと伝わる。享年68。山頂には「役行者御昇天所」の石碑と墓石と、ブロンズ像と護摩壇が平成26年に建てられている。なお、石鎚山の山中で亡くなったとも石鎚山では云われている。

 

中世、特に室町時代に入ると、金峰山、熊野山などの諸山では、役行者の伝承を含んだ縁起や教義書が成立した。金峰山、熊野山の縁起を合わせて作られた『両峰問答秘鈔』、『修験指南鈔』などがあり、『続日本紀』の記述より桁違いに詳細な『役行者本記』という小角の伝記まで現れた。こうした書物の刊行と併せて、種々の絵巻や役行者を象った彫像や画像も制作されるようになり、今日に伝わっている。

 

寛政11年(1799年)には、聖護院宮盈仁法親王が光格天皇へ役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表した。同年、正月25日に光格天皇は、烏丸大納言を勅使として、聖護院に遣わして神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った。勅書は全文、光格天皇の真筆による。聖護院に寺宝として残されている。

 

伝説

役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにもかかわらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

 

役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。富士山麓の御殿場市にある青龍寺は役行者の建立といわれている。また同様に島を抜け出して熱海市の東部にあたる伊豆山で修行し、また伊豆山温泉の源泉である走り湯を発見したとされる。

 

また、ある時、日本から中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で五百の虎を相手に法華経の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、道昭に質問したと言う。

 

続日本紀

小角の生涯は伝承によるところが大きいが、史料としては『続日本紀』巻第一文武天皇三年五月丁丑条の記述がある。

 

丁丑。役君小角流于伊豆島。初小角住於葛木山。以咒術稱。外從五位下韓國連廣足師焉。後害其能。讒以妖惑。故配遠處。世相傳云。小角能役使鬼神。汲水採薪。若不用命。即以咒縛之。

 

文武天皇3524日、役君小角を伊豆大島に配流した。そもそも、小角は葛城山に住み、呪術で称賛されていた。のちに外従五位下の韓国連広足が、師と仰いでいたほどであった。ところがその後、ある人が彼の能力を妬み、妖惑のかどで讒言した。それゆえ、彼を遠方に配流したのである。世間は相伝えて、「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、薪を採らせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、彼らを呪縛した」という。

2024/08/12

【日本】世界3位の金メダル20を獲得(2024パリオリンピックpart13)

◆レスリング

絶好調の今大会を象徴するように、最終日も男子フリー65キロ級の清岡幸大郎と、女子76キロ級の鏡優翔がアベック金メダル!

鏡優翔は、日本女子がこれまで唯一金メダルを獲れなかった女子最重量級に、悲願の金メダルを齎した。

プロレスラーのような体格の黒人ばかりの中、この階級では小柄ながらまさに柔よく剛を制すで危なげなく頂点に立った。

 

今大会、レスリング競技で獲得したメダルは「金8、銀1、銅2」の計11個。レスリングのメダル数だけでも十分に強豪国一国並みの実績だが、なにより9人が決勝に出て8勝1敗は凄すぎた。あまりにも上出来過ぎて、もう次回が心配になってしまうほどだ。

 

ところで、このレスリング競技で印象強かったのは選手たちの明るさだった。

 

決勝戦前に

 

「絶対に金メダルを獲ります!」

 

と力強く宣言したり、この日の鏡選手のように試合前から笑顔を絶やさないなど、昔の悲壮感とはまったく程遠い。単に「楽しむ」だけでなく、あの雰囲気とプレッシャーの中でも「楽しんで金メダルを獲る」のが凄いのである。

 

残念だったのは、期待の大きかった藤波朱里を始め、金メダルを獲った選手の何人かで地上波放送がなかったこと。特にNHKはバカ高い受信料を搾り取りながら、折角の快挙に水を差すような番組編成は切腹モノだ。

 

全競技を終え、日本が獲得したメダルは

 

「金20、銀12、銅13」

 

金メダルの数、総数とも海外五輪では過去最多となった。日本オリンピック委員会(JOC)が大会前に出したメダル目標数が「金20」で、これは毎度大風呂敷なのが通例なのだが、今回は選手団が期待に応えた形となった。

 

過去の大会を見ると、金が少なく銅が多いのが通例だが、今回は強豪国並みに金が多い。

いや、「強豪国並み」どころか、金メダル「20」はアメリカ、チャイナに続く堂々の3位だ。オーストラリア、イギリスなどの強国や、開催国特権でインチキやり放題だったフランスをも上回って、世界の強豪国どころか「世界のビッグスリー」となった。実際には、柔道などのインチキ判定がなければ、まだあと3個くらいは獲れていたはずだが。

 

米国の大手データ会社グレースノートが開幕前に発表した予想は

 

金13、銀13、銅21

 

だった。総数はほぼ合ってはいるが、金メダル数は米の予想をも大幅に上回った。

 

競技別では特にレスリングの躍進が際立って、金はグレースノート予想の3個を大きく上回る8個と、金メダル全体の実に4割を占める。

 

続いて柔道、体操が3。フェンシングとスケートボードが2、陸上と新種目ブレイキンが1。体操は団体総合を含め、岡慎之介が1人で3個を稼いでくれた。

 

金候補と見られたフェンシング女子サーブルの江村美咲、レスリング50キロ級の須崎優衣が敗れた一方、新顔の活躍が目立ったのも今大会の特徴と言えるか。

2024/08/11

【陸上】女子やり投げで金メダルの快挙(2024パリオリンピックpart12)

◆レスリング

レスリング競技で、この日も金メダリストが誕生した。

女子62キロ級の元木咲良がウクライナの選手を破り頂点へ。レスリングは、4日連続で5個目の金メダルと快進撃が止まらない。

 

男子フリー74キロ級の高谷大地は、惜しくも決勝で敗れ銀メダル。

しかしレスリングは、まだまだ終わらない。

 

この日登場した男子フリー65キロ級の清岡幸大郎、女子76キロ級の鏡優翔は、ともに決勝進出。最終日も、また新たな金メダリストが誕生するだろう。

 

◆陸上

女子やり投げで、北口榛花が女子フィールド種目では日本初となる金メダルを獲得。男女を通じても、2004年アテネ五輪のハンマー投げの室伏広治以来2人目、また陸上女子ではマラソンの高橋尚子と野口みずき以来の快挙だ。

 

「優勝候補の大本命」として、満を持して登場した予選1投目で早々に決勝進出を決めた北口。

 

「練習のためにも、もっと投げたかった」

 

というくらいだった。

 

迎えた決勝。これまた1投目で、今シーズン自己最長の65m80をマークすると、後続選手は誰一人、この高い壁を超えられない。まさに圧勝。

 

北口の凄さは「ガチガチの本命」に挙げられながら、下馬評通りの実力を発揮して金メダルを獲ったこと。これがいかに難しいか。

その証拠は、海外の有力スポーツ紙が挙げた「金メダル予想」のうち個人競技で金メダル候補に挙げられながら、実際に金メダルを獲得したのは、ここまで柔道の阿部一二三ただ一人しかいなかった事実。金メダルを獲った選手の多くが、戦前予想では「伏兵」扱いに過ぎなかった(もちろん、それでも金メダルを獲ったことは大したことなのだが)

 

当然、「本命」と有力視された段階で徹底的に弱点を研究されるし、期待にこたえなければというプレッシャーは想像を絶する。そんな状況で掴んだ、価値ある金メダルと言える。

 

◆ゴルフ

首位と2打差で最終日を迎えた山下美夢有。密かに金メダルを期待していたが、16番で痛恨の池ポチャ。トータル6アンダーで4位、メダルまであと1打及ばず4位に終わる。笹生優花は通算17オーバーで54位。

 

笹生は6月の全米オープンで優勝したため、これ一発で代表確定となったが、その後の成績は振るわず優勝争いに絡むどころか予選落ちが続くなど、明らかに不調だった。

 

「全米オープン優勝」という金看板があるから代表から外せない事情はあるのだろうし、笹生に対して恨みはまったくないが、最近の調子を見る限り期待できないだろうと感じていたから、予想通りの結果だ。直近の実績から、なぜ古江彩佳を選ばないのか不満が残る。

 

一発勝負でのメダル争いとなると、やはり古江かもしくはここ一番の大舞台で、幾度となくミラクル的な力を発揮して来た渋野日向子の方が、メダルを期待できたのではないかと思う。山下の4位はまったく惜しかったし、大崩れしない安定感は古江と並んでピカイチであること間違いないが、ここ一番の正念場で勝ちきれないところもあるだけに、やっぱり渋野のミラクルが見たかったw

 

◆卓球

女子団体決勝、日本はまたしてもチャイナに3-0で完敗を喫し銀メダルに終わる。

結論的に、緒戦のダブルスで勝敗が決してしまった。所詮、個々の力では太刀打ちできない相手だけに、ダブルス勝利は必須だったが、ここで負けた時点で勝負あったと思う。

 

今大会の卓球を観るに、相手がチャイナの場合に限らず、男子団体を見ても「あと一歩」まで追い詰めながらの惜敗ばかり。やはり最後の正念場においての執着や執念、詰めの甘さなどでメダル獲得国との力の差を感じる。

 

オーダーから見て、平野が孫穎莎(第2試合)や陳夢(第5試合)に勝つ可能性は限りなくゼロに近いだけに、緒戦のダブルスが必勝だった。これに勝てれば、その勢いでチャイナ勢の中で唯一穴のありそうな王曼昱に張本(第3試合)が勝ち、続けてエース早田が孫穎莎(第4試合)を一蹴。これ以外の展開では、日本勝利のシナリオは考えにくい。

 

やはり絶対女王の孫穎莎に勝てそうなとなると、早田しかいない。それ以上に、オリンピックで絶対的な強さを発揮する陳夢に勝てるイメージが、どうしても浮かんでこない。

 

◆飛び込み

男子高飛び込みで、玉井陸斗が日本人初の銀メダルを獲得。

これはこれで快挙なのだろうが、なにしろ色々な競技で日本選手の活躍が目白押しだけに、大きなニュースにならないのは気の毒と言える。

2024/08/10

金メダルラッシュが止まらない(2024パリオリンピックpart11)

◆レスリング

レスリング競技のメダルラッシュが止まらない。

この日も男子フリー57キロ級の樋口黎、女子57キロ級の櫻井つぐみがアベック「金」で、3日連続で金メダルを獲得。

 

2016年のリオ五輪「銀」の樋口選手、東京五輪では惜しくも代表の座を逃したが、8年越しの悲願を達成。片や櫻井選手は五輪初出場ながら、見事下馬評通りの実力を発揮しての「金」は立派だ。

 

今大会でのレスリングの金メダルはすでに4つ目となったが、さらに男子フリー74キロ級の高谷大地、女子62キロ級の木咲良もともに決勝進出を決め、まだまだ上積みが期待できそうな勢い。

 

◆ブレイキン

新種目のブレイキンで見事、湯浅亜実が「初代金メダリスト」の座を射止めた。

前回から正式種目になったスケボーでメダルを量産した日本勢が、またしても新種目での世界制覇は素晴らしい。

日本選手は、新しい種目に強いのか? 同じく今大会から採用されたスポーツクライミングでも、高校生の安楽宙斗が銀メダルを獲得するなど、若い力の躍動が目を瞠る。

 

武道などで日本が強いのは理解できるが、こうした欧米発祥の競技で日本人がこれだけ活躍できるのはなぜだろう。特に今大会はお家芸柔道の結果がイマイチだっただけに、それとの対比からも新競技での日本選手の躍進ぶりが際立った。

 

日本の得意とする柔道や体操などの日程が集中する前半は好調でも、後半はメダルに手が届かないケースがこれまでのパターンだったが、このところの新競技での躍進によって、後半にもメダルを量産できているのは素晴らしい。

 

これで日本の金メダルは一気に16個となり、海外開催のオリンピックでの最多タイ記録となった。残りまだ金メダルが取れそうな種目が2~3はあるだけに、新記録達成は間違いない。

 

◆ゴルフ

3ラウンドを終え、山下美夢有はトータル7アンダーとして3位タイで最終日を迎える。日本選手でも抜群の安定感を誇る山下だけに、最終日に大逆転金の可能性は大いにあるのではないか?

 

卓球

男子団体3位決定戦で日本はフランスに敗れ、2大会連続のメダルを逃した。

初戦のダブルスを落としたのは仕方ないとして、2試合目の張本が落としたところで勝負あったとみる。

 

張本ばかりに頼っていてはいけないのだろうし、戸上も良く頑張っていたとはいえ、日本のメンバー構成では、どうしてもエースの張本が2勝しないと強豪国には勝てない。

 

張本は確かに成長しているのだが、シングルス準決勝のチャイナ選手との対戦でもそうだったように、最後のあと一歩のところまで相手を追い詰めながら、肝心なところで勝ちきれないのである。

 

こうした点が、あの東京五輪での勝負強さが神懸っていた水谷のような「絶対的エース」と比べ、物足らなさを感じてしまうのである。

 

とはいえ、張本はまだ21歳と若い。この悔しさを糧に、さらに逞しくなっていくだろう。

2024/08/09

レスリングの金メダルラッシュ(2024パリオリンピックpart10)

◆レスリング

ニッポンレスリングが強い。

男子グレコローマン60キロ級の文田健一郎の「金」に続き、77キロ級で日下尚が金。2日連続で日本選手が表彰台の頂点に立った。

 

殆ど危なげのない圧倒的な強さでの金メダルは、前日の文田選手と同様だった。が、東京五輪では決勝で敗れるという辛酸を嘗めたせいか、様々な思いが詰まった文田選手の噛みしめるような金とは対照的に、五輪初出場の日下選手の方は天真爛漫というかまさに破顔一笑、ひたすら笑顔に溢れた金メダリストとなったのは珍しい。今どきの若者らしいと言うべきか。

 

そしてレスリングで「圧倒的な強さ」というこちになれば、なんといってもこの人、女子53キロ級の藤波朱理に尽きる。

 

2012-2020まで、足掛け10年に渡りオリンピック3連覇(2023のみ唯一、決勝で敗れ銀)を成し遂げ、「霊長類最強」とまで称された、あの吉田紗緒理の金字塔と思われた連勝記録を10代で早くも上回ってしまった天才だ。中学2年の時の全国中学生選手権44kg級決勝で敗れて以降、国内外の16大会で連続優勝、その後の世界選手権などの国際大会でも負け知らずというバケモノぶりだ。

 

準決勝終了後のインタビューで

 

「決勝戦も絶対勝って金メダルを獲るので、期待していてください」

 

というコメントにも驚いたが、その言葉通り10-0の圧勝で優勝という有言実行ぶり。いったい、このあと連勝記録をどこまで伸ばすのか? 

あるいはオリンピックで何連覇するのか? 

など、まだまだこれから途轍もない大記録を打ち立てて行きそうな20歳の未知の可能性が楽しみである。

 

このほか、男子フリー57キロ級の樋口黎、女子57キロ級の桜井つぐみも決勝進出。まだまだニッポンレスリングのメダルラッシュは止まらない。

 

女子50キロ級で五輪2連覇を狙った須崎優衣は、敗者復活戦で勝利し銅メダルを獲得。緒戦で敗れたインドの選手は決勝まで勝ち進みながら、前日の計量で体重オーバーで失格。もともと57キロ級でありながら無理な減量で50キロ級に出ていたらしいから、さすがの須崎と言えどパワー負けしたのは仕方ないところだったか。

 

◆卓球

女子団体は準決勝でドイツに3-1で快勝。決勝のチャイナに勝つ確率は極めて0%に近いが、どこまで食い下がることができるか。

一方、男子団体は伏兵のスウェーデンに敗れ、3位決定戦に回った。

 

◆その他

セーリング混合470級で、岡田奎樹・吉岡美帆組が銀メダルを獲得。

 

ここまでの日本のメダルは「金13、銀7、銅13」

2024/08/07

ニッポンレスリング復活の日(2024パリオリンピックpart9)

◆レスリング

男子グレコローマン60キロ級で東京五輪の銀メダリストの文田健一郎が、初戦から危なげない安定した試合運びを見せて金メダルを獲得。

グレコローマンでの金メダルは日本勢40年ぶり。77キロ級の日下尚も決勝進出を決め、2日連続で金メダルの可能性も大。

 

一方、女子の方は68キロ級・尾崎野乃香が銅メダルを獲得したが、50キロ級の東京五輪金メダリストの須崎優衣が、まさかの初戦敗退。須崎は53キロ級の藤波朱理、57キロ級の桜井つぐみとともに、海外有力紙の予想では「金メダル候補」に挙げられていた。

 

ここまで個人競技の選手で「金メダル候補」に挙げられながら本領発揮できず、早々に敗退しているケースが目立つ。金メダル候補に挙げられて実際に金メダリストとなったのは、ここまででは柔道の阿部一二三のみだ(女子やり投げの北口榛花は、この後に登場)。

逆に候補に挙がっていなかった選手の方が金メダリストとなっているが、藤波、桜井は下馬評通りの強さを発揮できるか?

 

かつて柔道とともに日本のお家芸と言われたレスリング。今大会、柔道は疑惑の判定に泣かされたりで金メダル3つと色んな意味で不完全燃焼に終わってしまったが、レスリングのメダル量産でフラストレーションは解消?

 

◆スケートボード

女子パークで、15歳の開心那が2大会連続の銀メダル。東京五輪で史上最年少(12歳)でメダリストとなり、一躍脚光を浴びた開が二大会連続の銀メダリストとなった。

 

一方、東京五輪金メダリストの四十住さくらは、10位と振るわずにまさかの予選敗退。

ちなみに女子ストリートでは、東京五輪で金メダリストとなった当時13歳の西矢椛(17歳)が国内選考レースで落選。代わって、すい星の如くに現れた14歳の吉沢恋が金メダリストとなるなど、強力な若者が次々に登場し戦国時代の様相だ。

 

それにしても相変わらず胡散臭かったのが予選の滑走順だ。

予選参加者が22人もいるのに、なぜか1、2番手に日本選手が続き、3人全員が最初の6人のグループに入る不可解さ。もちろん、得点の決勝進出ラインが明確になっていく後のグループが有利なのは間違いない。

なにより世界ランキング上位が並ぶ日本の選手たちは、どう考えても最終組に集まるのが当然のなのだが、フランスは余程日本人が憎いのかと勘繰りたくなる。

 

自国選手への露骨な依怙贔屓だけでも目に余るが、それに加えて選手村への不満爆発やいい加減な運営など、この五輪でフランスの印象は地に堕ちたといっても過言ではない。移民大国のなれの果てか、メダルを稼いでいるのは黒人ばかりなのも呆れる。

 

1位のオーストラリア選手、3位のイギリス選手ともに母親が日本人とのことだが、思い出すのは女子柔道の金・銀メダリストなど、今大会は海外のメダリストに「母親が日本人」のパターンが多いのは何故だろう。日本人の男がモテナイせい?w

 

◆卓球

女子団体、男子団体ともに準決勝進出が決定。いよいよメダルを賭けた真の戦いが始まる。

2024/08/06

【体操】岡慎之助、3つ目の金メダル!(2024パリオリンピックpart8)

8/4

◆フェンシング

今大会絶好調のフェンシングが、大会2つめの金メダルを獲得。これまでの五輪通算でメダルがわずかに3つだったのが、今大会だけで金2を含む5つのメダルを獲得する躍進ぶりには目を瞠る。

これまでメディアなどでは採り上げられることが無かった競技だが、一気に脚光を浴びた形だ。

 

◆ゴルフ

前回の東京五輪では、あと一歩で銅メダルを逃した松山英樹が3年越しのリベンジを果たした。東京五輪で銀メダルを獲得した女子の稲見萌寧に続く、日本選手として2大会連続のメダル、男子では初のゴルフ競技の五輪メダリストとなった。

 

8/5

◆体操

男子個人総合で見事金メダルに輝いた岡慎之助の快進撃が止まらない。

この日は種目別の2種目に登場し、最後の鉄棒で金メダルを獲得。これで団体総合、個人総合と併せて「3冠」を達成。これは日本男子選手としては、1972年ミュンヘン五輪の加藤沢男以来、実に52年ぶりの快挙とのこと。

 

種目別鉄棒で2番目に登場した岡。これまでの疲労の蓄積はあるはずだったろうが、落下もなく着地もきれいに決める安定感抜群の演技で高得点をたたき出すと、あとは待つばかり。体操競技最終日の最後の種目とあって、どの選手もこれまでの疲労がピークに達したか、金メダル候補に挙げられていた有力選手らに落下や着地ミスが続き、あれよあれよの間に金メダルだ。ずば抜けた実力はもちろんなのだが、今大会では勝利の女神を惹き寄せるような強運をも感じさせた。

 

群を抜いた安定感は早くも「王者の風格」すら感じさせる。あの童顔に似合わぬ勝負度胸、ここ一番の勝負強さはかつての内村航平を彷彿とさせるが、まだ20歳だけに今後の期待も大である。

 

平行棒だけは惜しくも金メダルを逃したものの、それでも銅メダル。出場した試合ですべてメダルを獲得するという圧倒的な強さを見せつけた。1大会でメダル4つ獲得したのは、84年ロサンゼルス五輪で5個のメダルを獲得した具志堅幸司以来40年ぶり。

 

◆レスリング

男子グレコローマンスタイル60キロ級で、文田健一郎が決勝進出を決めた。準決勝で世界王者を破っているだけに「金」への期待が高まる。

 

これで日本が獲得した金メダルは10個となった。金10、銀5、銅11

2024/08/04

【柔道団体戦】世紀の茶番劇(2024パリオリンピックpart7)


◆卓球

女子シングルス3位決定戦で、早田ひながコリア選手に勝利し銅メダルを獲得。女子シングルスでは、東京五輪の伊藤美誠に続くメダリストとなった。

東京五輪では、代表として活躍する同学年の伊藤美誠、平野美宇を尻目に、サポートメンバーに甘んじた早田。その悔しさをバネに精進を重ね、今回は満を持して日本のエースとして臨み、見事に結果を残した。

 

それにしても、恐るべきは決勝を戦ったチャイナの2選手だ。早田は怪我の影響もあったとはいえ、準決勝でストレート負けとなってしまったが、もう一方のヤマで早田と銅メダルを争ったコリア選手の方も、準決勝ではチャイナ選手に手も足も出ずのストレート負けだった。

 

◆バドミントン

女子シングルスの山口茜は準々決勝で敗退。

山口は2016年のリオデジャネイロ五輪から3大会連続出場で、すべてベスト8での敗戦。

19歳で初出場となったリオデジャネイロ五輪の時は、銅メダルを獲得したエース奥原希望の蔭に隠れた2番手の存在だった。その後、世界ランキング1位まで登り詰め、奥原の引退後は「日本のエース」に相応しい活躍を見せながら、残念なことにピークがオリンピックの時期とずれてしまったか、結局オリンピックの表彰台には立てなかった。

 

ところで山口に限ったことではないが、負けた選手に対する試合直後のインタビューというのが、いかにも無神経すぎる。全てを投げうって、人生賭けて戦ってきた選手に

 

「この4年間は、なんだったのか?」

 

とか、興奮冷めやらぬ試合直後にそんなに簡単に気持ちの整理できるはわけなく、まともなコメントが返ってくるとは思えないし、単に頑張って来た選手の泣きっ面を晒しものにするのを目的とした低俗マスゴミの俗悪趣味としか思えん。

 

バドミントンは、シングルスでは奥原、山口、男子の桃田に続くようなトップ選手が出てきていないが、逆にダブルスは日本の得意分野と言える。

 

女子ダブルスでは、2012ロンドン五輪の銀(藤井&垣岩)、そして2016リオデジャネイロ五輪の金(松友&高橋)、今大会でも志田&松山が銅メダルを獲得。混合ダブルスでも、2021東京五輪の銅メダル(渡辺&東野)は記憶に新しい。

アジア勢中心にメダル争いが展開されるバトミントンは、今後も日本にとっては狙い目か。

 

◆柔道

混合団体、日本は準決勝でドイツを4-0と一方的に退けて開催国フランスと決勝を戦った。

日本が幸先よく2勝し、3勝1敗で王手をかけてから、エース阿部一二三が1階級上の相手とはいえ、まさかの敗戦。3勝3敗で「代表戦」へともつれ込んだ。

 

この「代表戦」というのがくせ者で、ルーレットによる抽選で階級を決めるという建前ではあるものの、ワタクシは

 

「もし代表戦となった場合、絶対にフランスが一番勝てそうな90㌔超級になるのに決まっている」

 

と最初から思っていたが、やはりそうなった。ここまでくると、フランス人以外の誰が見ても、もはや意図的な操作があるとしか思えないような、どんな三文芝居よりも酷い猿芝居としか言いようがない。そして、まさにおフランスさまの思惑通り、反則勝ち狙いに徹した「インチキ王者」により、日本から金メダルが奪われてしまった。

 

それにしても、過去のどのオリンピックでもそうだが、今回の柔道の審判は特に酷かった。この団体戦の決勝でも、角田選手の巴投げが決まり、相手は空中で一回転して背中から綺麗に落ちるくらいの鮮やかな切れ味だったたにもかかわらず、一本はおろか技ありのコールすらされないという臆面のなさ。ここまでのあからさまな「地元贔屓」は、まさに「ヨーロッパの中華思想」とか「ヨーロッパの韓国」と称されるフランスの面目躍如だ。

そもそも「フランス代表」というのは名ばかりで6人全員が黒人だ。どう見ても「アフリカ代表」にしか見えない傭兵部隊なのだが、こんなでも勝って嬉しいのだろうか?

 

さらには日本選手にはすぐに指導が出たり攻めに入ると待てがかかる一方、フランス選手は掛け逃げなどで逃げ回っているのに一向に指導が来る恐れがない。これでは日本の選手は、誰が見ても誤魔化しようがない技でポイントを取るしか勝ち目がない重圧を背負っての戦いで、おまけに最後にこんなインチキルーレットまでやられたのでは、もはや呆れてものが言えぬ。

 

◆フェンシング

女子サーブル団体で日本が銅メダルを獲得。今大会で日本がフェンシングで獲得したメダルは4つ目。これまでの五輪で獲得した合計が3つだから、これは格段の進歩といえる。

2024/08/03

パリ五輪名物「疑惑の判定」(2024パリオリンピックpart6)

8/1

◆卓球

男子シングルス張本智和は、準々決勝で世界ランク1位の樊振東に敗退。2ゲームを連取し、フルセットまでもつれ込む大熱戦。まさに「惜敗」という言葉がピッタリの大健闘だ。

 

一方、女子シングルスの平野美宇。こちらも準々決勝でフルゲームの激闘の末、コリア選手に敗退。立ち上がりから3ゲームを連取される苦しい展開。その後、3ゲームを連取し、フルセットまでもつれ込む大熱戦を演じたが力尽きた。立ち上がりに一気に追い込まれたのが悔やまれる。女子シングルスは、やはり成長著しい張本美和の方が良かったんじゃないかな~、などと密かに思ったり。

 

前回の東京五輪から比べれば格段の進化を遂げた21歳の張本智和と、片や進境著しい16歳の張本美和には、是非とも次回の五輪ではチャイナ勢を蹴散らして「アベック金」を期待したい。

 

◆フェンシング

女子フルーレ団体3位決定戦で、日本はカナダを下し銅メダルを獲得。フェンシング女子で日本がメダルを獲得するのは、全種目を通じて初めての快挙となった。

 

◆ゴルフ

1ラウンド、松山英樹は「63」のスコアをマークし単独首位の好発進。初日首位となると、4日間が長く感じられそうだ。自国開催の東京五輪では惜しくも4位で表彰台を逃しただけに、今回はリベンジに期待したい。

 

◆競歩

男子20キロ競歩は池田向希が7位、古賀友太が8位、浜西諒は18位。池田選手は海外有力紙の予想で「金メダル候補」とされていたが、金はおろかメダルに遠く及ばなかった。

 

◆柔道

男子100キロ級で東京五輪金メダルのウルフ・アロン、女子78キロ級の高山莉加ともに準々決勝で敗退。敗者復活戦でも勝てず、メダルには届かず。

 

8/2

◆柔道

女子78キロ超級、東京五輪金メダリストの素根輝は準々決勝で敗退。さらに左膝を負傷して敗者復活戦を棄権。どうも攻めがなく消極的だと思ったら、負傷していたようだ。

男子100キロ超級・斉藤立も同じく準々決勝で敗退し、3位決定戦にも敗れメダルを逃す。偉大な父(斉藤仁氏)との「親子金メダル」にはほど遠かった。

 

柔道個人競技は、男女7階級のすべてを終えて男子は金が2、女子に至っては初日の角田選手の1つのみ。特に後半に行くほど、メダルが遠のいていった。まあ、あれだけ数々の疑惑判定でメダルを横取りされては、期待外れの結果に終わったのも無理なしか。

 

◆卓球

シングルスの日本勢で唯一、準決勝に勝ち上がった女子エースの早田ひなは、絶対女王の孫穎莎にまたしても歯が立たずストレート負け。試合後、コンディションが万全でなかったことを明かした早田。過酷な選考レースのツケが、肝心なところで出てしまったか?

次回五輪に向け、早急に選考レースの見直しを迫られる。

 

◆バドミントン

混合ダブルス3位決定戦、渡辺勇大/東野有紗組が、コリアペアを2-0で下し、2大会連続の銅メダルを獲得!

 

◆サッカー

サッカー男子はスペインに0-3で敗れ、ベスト8で敗退。いったんは同点に追いついた後でゴールを取り消されるなど、ついにサッカーまでもが「疑惑の判定」に泣かされようとは!

予選リーグは失点0で3連勝と絶好調だったものの、疑惑のゴール取り消しでケチが付いたか、今大会もメダルには遠く及ばなかった。

 

◆フェンシング

男子エペ団体決勝で、日本はハンガリーに敗れ銀メダル。テレビなどではあまり取り上げられないフェンシング。海外の有力紙で「金メダル候補」に挙げられていた女子サーブル個人の江村美咲は敗退したが、男子エペ個人で加納虹輝が「金」、女子フルーレ団体の銅に続き3つ目のメダル獲得だ。

 

ここまで日本が獲得したメダルは「金8、銀4、銅6」

2024/08/01

【体操】男子個人総合4連覇(2024パリオリンピックpart5)

◆男子個人総合決勝

「体操王国」日本に、またしても爽やかな新星が誕生した。

20歳の岡慎之助が、全競技で安定感抜群の演技を披露して金メダルを獲得。終始笑顔で「五輪を楽しみながら」金メダリストとなった印象だから、最近の若者らしいというべきか。

「岡山出身の岡」選手w

 

男子個人総合は、これで

 

    2012年ロンドン五輪の内村航平

    2016年のリオデジャネイロ五輪の内村航平

    2021年東京五輪の橋本大輝

    2024年パリ五輪の岡慎之助

 

と、五輪4連覇を達成。くわえて前日の団体総合に続くW金メダルの快挙だ。

岡選手は、さらに種目別で金を獲って「3冠」が期待される。

 

それにしても日本の体操選手は、若者の躍進が凄まじい。金メダリストとなった岡選手は、若干20歳。前回東京五輪チャンピオンの橋本選手も、当時は19歳だった。その橋本選手は、今回は怪我などで本調子ではなかったせいか連覇はならず6位に終わったとはいえ、まだ22歳と若く地力はあるから次回にも十分チャンスはあろう。岡選手のさらなる成長や、これから登場してくる新しい力とともに橋本選手の巻き返しにも期待したい。

 

前回五輪王者のインタビューを聞くと、判で捺したように「苦しかった3年間」というセリフが出てくる。

 

我々素人は、つい

 

「前回金メダリストなんだから、今回も勝つのが当たり前なんでは?」と思ってしまうが、どうも「前回金メダリスト」というプレッシャーは並大抵ではないようだ。

 

「オリンピックの金メダリスト」となったからといって、その先に決してバラ色の人生が待っているわけではなく、逆に「オリンピックの金メダリストだから・・・」とあり得ないほどに期待値が上がってしまうプレッシャー、これはまったく当事者にしかわからない。

 

なにも背負うものがない我々凡人は、ただ表彰式で両側に五星紅旗を従えて真ん中の一番高いところで輝く日の丸を仰ぎ見、君が代を聞く快感に酔いしれるのみなのである。

 

◆柔道

男子90キロ級の村尾三四郎。緒戦から積極的な攻めの柔道で危なげなく勝ち上がり、準決勝は開催国フランス選手との対戦。技ありが2度も取り消されるなど、相変わらず地元びいきのへっぽこ判定に泣かされる完全アウェーの厳しい状況を撥ね退ると、

決勝戦も開始早々に技ありを奪う幸先良いスタートだ。中盤に技ありを返されるジリジリとする展開で両者互角。残り30秒、村尾選手の内股が決まったかに見えたが、なぜかへっぽこ審判はまるで反応なし。またしても、すっきりしない「疑惑の判定」に泣かされての銀メダルだ。

 

柔道の国際審判のレベルに泣かされるのは毎度のことだが、今大会は益々酷さに拍車がかかっているようだ。

「オマエは、一体どこを見てん判定してんだよ!」という場面があまりに多すぎる。

 

こんな酷い状況の中にあって、それでも男子柔道はここまでの5階級で「金2、銀1、銅2」とすべてメダルを獲得しているのだから、まことに立派なものだ。残り2階級だけに、ここまで全員そろってメダリストになって欲しいし、さらなる金の上積みにも期待したい。

 

◆卓球

シングルス女子の早田ひな、平野美宇、男子の張本智和が、そろって順当に勝ち上がって8強入り(男子の戸上隼輔のみ3回戦敗退)。

さあ、ここからが本番だ。

 

◆サッカー

女子1次リーグ最終戦でナイジェリアに3-1で勝利。この結果、男女ともに決勝トーナメント進出が決定した。