2024/08/16

役小角(役行者)(1)

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの / えんの おつの、舒明天皇6年〈634年〉伝 - 大宝元年67日〈701716日〉伝)は、飛鳥時代の呪術者。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)などとも呼ばれている。姓は君。

 

いくつかの文献では実在の人物とされているが、生没年不詳。人物像は後世の伝説も大きく、前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など、多くの修験道の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。

 

出自

役氏(えんうじ)、役君(えん の きみ)は三輪系氏族に属する地祇系氏族で、葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かも の えん の きみ)とも呼ばれている。役民を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたという。また、この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされる。

 

生涯

舒明天皇6年(634年)に大和国葛上郡茅原郷(現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。父は、出雲から入り婿した大角、母は白専女(伝説では刀良女とも呼ばれた)。生誕の地とされる場所には、吉祥草寺が建立されている。

 

白雉元年(650年)、16歳の時に山背国(後の山城国)に志明院を創建。翌年17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。その後、葛城山(現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築く。20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。命令に従わないときには呪で鬼神を縛った。人々は小角が鬼神を使役して水を汲み、薪を採らせていると噂した。高弟に国家の医療・呪禁を司る典薬寮の長官である典薬頭に任ぜられた韓国広足がいる。

 

文武天皇3524日(ユリウス暦699626日)に、人々を言葉で惑わしていると讒言されて伊豆島に流罪となる。

 

2年後の大宝元年(701年)1月に大赦があり、茅原に帰るが、同年67日に、大阪府箕面市にある箕面山瀧安寺の奥の院にあたる天上ヶ岳(標高499m北緯345147.503秒 東経135285.485秒)にて入寂したと伝わる。享年68。山頂には「役行者御昇天所」の石碑と墓石と、ブロンズ像と護摩壇が平成26年に建てられている。なお、石鎚山の山中で亡くなったとも石鎚山では云われている。

 

中世、特に室町時代に入ると、金峰山、熊野山などの諸山では、役行者の伝承を含んだ縁起や教義書が成立した。金峰山、熊野山の縁起を合わせて作られた『両峰問答秘鈔』、『修験指南鈔』などがあり、『続日本紀』の記述より桁違いに詳細な『役行者本記』という小角の伝記まで現れた。こうした書物の刊行と併せて、種々の絵巻や役行者を象った彫像や画像も制作されるようになり、今日に伝わっている。

 

寛政11年(1799年)には、聖護院宮盈仁法親王が光格天皇へ役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表した。同年、正月25日に光格天皇は、烏丸大納言を勅使として、聖護院に遣わして神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った。勅書は全文、光格天皇の真筆による。聖護院に寺宝として残されている。

 

伝説

役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにもかかわらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

 

役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。富士山麓の御殿場市にある青龍寺は役行者の建立といわれている。また同様に島を抜け出して熱海市の東部にあたる伊豆山で修行し、また伊豆山温泉の源泉である走り湯を発見したとされる。

 

また、ある時、日本から中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で五百の虎を相手に法華経の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、道昭に質問したと言う。

 

続日本紀

小角の生涯は伝承によるところが大きいが、史料としては『続日本紀』巻第一文武天皇三年五月丁丑条の記述がある。

 

丁丑。役君小角流于伊豆島。初小角住於葛木山。以咒術稱。外從五位下韓國連廣足師焉。後害其能。讒以妖惑。故配遠處。世相傳云。小角能役使鬼神。汲水採薪。若不用命。即以咒縛之。

 

文武天皇3524日、役君小角を伊豆大島に配流した。そもそも、小角は葛城山に住み、呪術で称賛されていた。のちに外従五位下の韓国連広足が、師と仰いでいたほどであった。ところがその後、ある人が彼の能力を妬み、妖惑のかどで讒言した。それゆえ、彼を遠方に配流したのである。世間は相伝えて、「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、薪を採らせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、彼らを呪縛した」という。

0 件のコメント:

コメントを投稿