2024/08/25

役小角(役行者)(2)

—第1次『国史大系』      —大意訳

解釈として、句末を示す助字の焉を抜かして文を繋げ、「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが、その後に師の能力を妬んで讒言した」とする説もある。広足が正六位上から外従五位下に昇進したのは、役小角が没したとされる時期から約30年後の天平3年(731年)である。さらには、広足の氏が韓国であることからか誤解される事が多いが、韓国氏は物部氏の支族。

 

この記録の内容の前半の部分は事実の記録であるが、後段の「世相伝テ云ク…」の話は、すでになかば伝説のような内容になっている。役小角に関する信頼される記録は、正史に書かれたわずかこれだけのものであるが、後に書かれる役行者の伝説や説話は、ほとんどすべてこれを基本にしている。

 

日本霊異記

役小角にまつわる話は、やや下って成立した『日本現報善悪霊異記』に採録された。後世に広まった役小角像の原型である。荒唐無稽な話が多い仏教説話集であるから、史実として受け止められるものではないが、著者の完全な創作ではなく、当時流布していた話を元にしていると考えられる。

 

『日本霊異記』が書かれたのは弘仁年間(810 - 824年)であるが、説話自体は神護景雲2年(768年)以降につくられたものであろうとされている。

 

『日本霊異記』で役小角は、仏法を厚くうやまった優婆塞(僧ではない在家の信者)として現れる。上巻の28にある「孔雀王の呪法を修持し不思議な威力を得て、現に仙人となりて天に飛ぶ縁」の話である。

 

役の優婆塞は大和国葛木上郡茅原村の人で、賀茂役公の民の出である。若くして雲に乗って仙人と遊び、孔雀王呪経の呪法を修め、鬼神を自在に操った。鬼神に命じて大和国の金峯山と葛木山の間に橋をかけようとしたところ、葛木山の神である一言主が人に乗り移って文武天皇に役の優婆塞の謀反を讒言した。優婆塞は天皇の使いには捕らえられなかったが、母を人質にとられるとおとなしく捕らえられた。伊豆大島に流されたが、昼だけ伊豆におり、夜には富士山に行って修行した。

 

大宝元年(701年)正月に赦されて帰り、仙人になって天に飛び去った。道昭法師が新羅の国で五百の虎の請いを受けて法華経の講義をした時に、虎集の中に一人の人がいて日本語で質問してきた。法師は「誰ですか」と問うと「役の優婆塞」であると答えた。法師は高座から降りて探したが、すでに居なかった。一言主は、役の優婆塞の呪法で縛られて、今(『日本霊異記』執筆の時点)になっても解けないでいる。

 

『続日本紀』との大きな違いは、役小角を告訴したのが一言主の神となっていることで、この一言主神が後々のいろいろな説話や物語などに登場してくる。また、道昭が新羅の国で役小角に会う話が初めて出てくる。この『日本霊異記』にある説話は『続日本紀』の記録とともに、その後の役行者の伝記や説話の根幹になっている。

 

在地伝説

奥田の伝説

大和高田市奥田の伝説「奥田蓮池の一つ眼蛙」によると、役行者の母・刀良女(とらめ)は、奥田の蓮池で病を養っていたが、ある夏、捨篠神社へ参ると蛙の鳴き声が聞こえ、光輝く池の蓮の茎が伸び、2つの白蓮が咲き、そこには金色の蛙が歌っていた。そこで刀良女は、何気なく萱を一本抜きとって蛙に向かって投げたところ、蛙の片目に当たってしまい、射貫かれた蛙はそのまま水中深く潜ってしまった。その瞬間、池面をいろどった五色の露も一茎二華の白蓮も消え、蛙は醜い褐色色になって浮かんで来た。

 

刀良女は自責の念から病が重くなり、42歳で亡くなる。母を亡くした役行者は発心して修験道を開き、吉野山に入ると、吉野山蔵王権現を崇め、蛙の追善供養を行い、母の菩提を弔った。毎年、77日には、山伏が吉野に来て、ここの行者堂と刀良女塚に香や花を献じ、蓮池の蓮180本を切り取って、蔵王堂から大峯山までの街道に祀られる祠堂に蓮を献じて、蛙の供養をした。この伝説では役行者の母の没した年齢、および修験道を開いたきっかけが、母を亡くしたこととして語られている。

 

石鎚山大天狗の伝説

役小角は、701年大阪箕面の天上ヶ岳で昇天した後、若い頃開山した石鎚山にやってきて「石鎚山法起坊大天狗」となって当地を守護し、前鬼は大峰山前鬼坊という天狗になり吉野方面の守護をしたという。なお、神変大菩薩の諡号を贈られるまで、法起菩薩と呼ばれていた。

 

信仰

役行者信仰の一つとして、役行者ゆかりの大阪府・奈良県・滋賀県・京都府・和歌山県・三重県に所在する36寺社を巡礼する役行者霊蹟札所がある。また、神変大菩薩は役行者の尊称として使われ、寺院に祀られている役行者の像の名称として使われていたり、南無神変大菩薩と記した奉納のぼりなどが見られることがある。

 

肖像

修験道系の寺院で、役行者の姿(肖像)を描いた御札を頒布していることがあるが、その姿は老人で、岩座に座り、脛(すね)を露出させて、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履いて、右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、前鬼・後鬼と一緒に描かれている。手に持つ道具が密教法具であることもあり、頒布している寺院により差異がある。

 

真言

日本生まれの役行者に対し、そもそもがサンスクリット語のマントラの訳語である真言がつけられるのは考えにくく、聖護院(本山修験)などでは光格天皇より与えられた諡号を使い、下記のように唱える。

 

南無神変大菩薩(なむ じんべん だいぼさつ)

宗派によっては下記の真言と定めているところもある。

 

おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか

石鎚山法起坊の真言は下記となる。

 

オン ビラビラ ケンビラ ケンノウ ソワカ

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