2026/03/23

五代十国時代(7)

https://timeway.vivian.jp/index.html

科挙

 宋代の科挙を簡単に見ておきます。

 科挙は誰でも受験することができます。年齢、出身地関係なし。女性はダメですけれどね。

 試験は三年に一回。

 三段階の試験があります。最初が郷試、これは地方試験。合格したら都で二次試験を受けることができる。これを会試という。

 会試を通った受験者が最後に受けるのが殿試。これは宋代からはじまった。皇帝自身による面接試験です。宮殿でおこなうから殿試だ。

 

 官僚になれば、一族みんなが潤うような財産と権力とが手に入る。一番で合格すれば、将来の大臣は約束されたようなもの。

 

 一旗揚げようという血気盛んな者達は、腕力にものをいわせるんではなくて机に向かって勉強するようになる。政府に不満を持つ者も、反政府運動をするよりも受験勉強に精を出して官僚になってしまったほうが話が早い。

 

 そういう意味でも、政府は積極的に科挙を宣伝します。これは科挙を受けるように勧める歌です。

 

 「金持ちになるに良田を買う要はない。

  本のなかから自然に千石の米がでてくる。

  安楽な住居に高殿をたてる要はない。

  本のなかから自然に黄金の家がとび出す。

  外出するにお伴がないと歎(なげ)くな。

  本のなかから車馬がぞくぞく出てくるぞ。

  妻を娶(めと)るに良縁がないと歎くな。

  本のなかから玉のような美人が出てくるぞ。

  男児たるものひとかどの人物になりたくば、

  経書をば辛苦して窓口に向かって読め。」

         宮崎市定「科挙」中公新書より

 

 窓口に向かってというのは、昔だから照明は暗い。日が暮れかけても窓からは光が射し込むから、暗くなっても勉強しろということですね。

 

 この歌は、太宗趙匤義がつくって意図的に流行させたといわれる。人民を取り込むのに必死だったわけです。太宗は科挙の合格者を一挙に増やした皇帝でもありました。

 

 子供に勉強させるだけの余裕のある家は、必死に受験勉強させます。少し利発な子供だったら親戚みんなでお金を出し合って、いい先生のところに入門させて科挙の準備をさせる。子供は一族の期待を一心に担って勉強するのだから、プレッシャーも大きい。現在の受験勉強とは比較にならないでしょうね。

 優秀な人だと十代で合格する場合もあるし、五十、六十になってもチャレンジしつづける人もいました。

 

 合格率はどれくらいかというと、これは17世紀はじめくらい明朝末期の数字ですが、予備試験に合格して受験資格を持つ者が50万、それに対して殿試合格定員が300人程度です。すごい高倍率。

 

 どんな試験をするのか。

 論文で政策論を書かせる、儒学の経典の理解力をみる、そして詩を書かせます。当然、すべて論述です。

 政策論は官僚に必要と思いますが、儒学の理解や詩は官僚として必要なことでしょうか。 儒学の理解度をみるということは、その人の徳を測ることと同じなんです。詩を書かせるのは、文化人としての教養をみることです。

 つまり、科挙の試験というのは、官僚として実務に有能な者なら誰でもいいわけではなくて、貴族的な人間を試験でさがすという意味合いが強いように思われます。今の大学入試のような単なる能力テストではない。人格を測るようなところがある。

 だから、字がきれいなことも当然要求される。今みたいに鉛筆、消しゴムではない。墨をすって筆で書くんですよ。しかも、清書用紙を墨で汚したりしたらまず不合格だ。緊張します。

 

 しかも、試験は三日間ぶっ通しでおこなわれる。試験会場は鶏小屋みたいになっていて、受験生ひとりひとりに独房が割り当てられる。そこで缶詰状態で受験します。鍋釜、食材、寝具も持ち込んで、自炊しながら答案を書くのです。

 なかには緊張にたえきれずに、発狂する受験者もいたようです。

 

 合格するためにカンニングをする者もでるんだ。ただ、論述試験だからカンニングペーパーはあまり役には立たない。論語とか詩経とか暗記しているのが大前提で、答案を書くときにそれらをいかに上手に引用して文章を格調あるものにするのかというところが勝負所です。

 だから、合格するために不正行為をするのに一番手っ取り早いのが、採点する担当者を買収することです。高い点数をつけてもらう。

 政府としてはそんなことが横行しては、科挙の権威が台無しになるので、懸命に不正防止策をする。

 まず、答案の受験生の名前を糊付けして隠してしまう。賄賂を受け取っている採点官が、だれの答案かわからないように。

 

 みなさん、高校受験の時、答案用紙に名前を書いたかどうか覚えていますか。書かなかったでしょ。受験番号だけだったね。教師のなかには受験生のことを知っている人もいる。ついつい、甘くなったりするかもしれない。そんなの困りますからね。名前を書いてはいけないことになっている。

 

 ついでに言うと、わたしたち教員が試験が終わったらすぐに採点をするんですが、採点するときには、受験番号も見えないようにくくってあるんですよ。当然ながら全教員が一室に集まって一斉に採点する。必ず複数で答案をみる。また、答案をその部屋から持ち出すことはできません。間違っても教師が不正しないように、ですね。

 

 高校入試ですらこうですから、国家の指導層を選ぶ科挙では、さらに不正対策がとられている。

 受験者の名前を隠すだけでは足りません。受験者の筆跡で誰かわかる場合がある。何しろ筆で答案書くんですから、個性がハッキリでがちです。筆跡をわからなくするために、受験者の提出した答案を別の役人たちが書き写すの。書き写して筆跡がわからなくなったものを採点官がみる。

 ここまでやると、不正はできないと思うでしょう。ところが、まだある。

 

 どんな手段があるかというと、受験者が採点官に事前に答案の特徴を教えておくのです。といっても、どんな問題がでるかわからないので、「私の答案は二枚目の五行目の三文字目に「仁」という字を書きます。」というふうに教える。

 これは、もう防ぎようがない。しかし、あらかじめ決めた場所に特定の文字をいれて、しかも筋の通った論文にしなければならないわけで、これをやるには相当の実力がいりますよね。

 

 そんなこんなの不正をたくらむ輩はいたかもしれませんが、科挙はおおむね公正におこなわれていきます。モンゴルが中国を支配した一時期をのぞいて、王朝が変わってもずっとつづけられ、20世紀1904年まで科挙はおこなわれたんです。

 

 宋の時代には、科挙官僚を出した家は「官戸」とよばれ特権を得ました。徭役を免除など簡単にいったら減税ですね。この特権はその家から官僚がいなくなれば、なくなってしまうものです。そういう意味で、家系そのものが高貴とされる貴族とは全然違うものです。

 

 宋はこの科挙に象徴されるように、文治主義の政治体制をつくりあげていきました。

0 件のコメント:

コメントを投稿