2016/08/15

月読命

 ツクヨミ(ツキヨミ)/月読命は、日本神話の神である。

後世は普遍ツクヨミのことを男神だと信じているが、実際その性別は記紀に述べられることはなかった。『記紀』においては、伊弉諾尊(伊邪那伎命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある(後述)。天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、素戔嗚尊(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる。

ツクヨミは、月の神とされている。しかし、その神格については文献によって様々な相違がある。『古事記』では、イザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。

一方『日本書紀』では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれたという話、『古事記』とは逆に左目から生まれたという話、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話もあり、支配領域も天や海など一定しない。ツクヨミは太陽を象徴するアマテラスと対になって誕生するが、比較神話学の分野では様々な神話に同様の発想があることが指摘されている。例えばギリシア神話においても、太陽神アポローンと月の女神アルテミスが双子とされる。

C国の盤古伝説には、盤古が死してその左眼が太陽に、右目が月になったという起源譚があり、また『旧約聖書』の創世記では、天地創造の四日目に神が空の中に「二つの巨いなる光」、すなわち太陽と月を創り上げて、それぞれに昼と夜を司らせ光と闇を分けたという日月の創造が語られている。

日本神話において、ツクヨミは『古事記』、『日本書紀』の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに『日本書紀』第五段第十一の一書で、穀物の起源が語られているぐらいである。これは、アマテラスとスサノヲという対照的な性格を持った神の間に、何もしない神を置くことでバランスを取っているとする説もある。同様の構造は、高皇産霊尊(高御産巣日神・たかみむすび)と神皇産霊神(神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)、火折尊(火遠理命(ほおり)・山幸彦)と火照命(ほでり・海幸彦)に対する火酢芹命(火須勢理命・ほすせり)などにも見られる

スサノヲとは支配領域やエピソードが一部重なることから、同一神説を唱える者もいる。民族学者のアレクサンダー・スラヴィクはツクヨミを女神と仮定した上で、死者の主である男性的な神オーディンが同じく死者の主であり母祖であるペルヒタ(ホルレ)と対になっているように、男神スサノヲと女神ツクヨミは一対と見ていいのではないか、としている。

『古事記』上巻では、伊邪那伎命の右目を洗った際に生み成され、天照大御神や須佐之男命とともに「三柱の貴き子」と呼ばれる。月読命は「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降の活躍は一切無い。伊邪那美神のいる夜見の国という説もある。

『日本書紀』神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日と並んで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊を生んでいる。支配領域については、天照大神と並んで天を治めよと指示された話が幾つかある一方で「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もあり、複数の三神生誕の話が並列している。

『書紀』第五段第十一の一書では、天照大神と月夜見尊がともに天を治めるよう命じられたが、のちに天上で天照大神から保食神(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が、降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまったという神話がある。保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。

天照大神は、月夜見の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話、ひいては昼と夜の起源である。しかし『古事記』では、同じようにして食物の神(大気都比売神・おほげつひめ)を殺すのは須佐之男命の役目である(日本神話における食物起源神話も参照のこと)。 この相違は、元々いずれかの神の神話として語られたものが、もう一方の神のエピソードとして引かれたという説がある。

ツクヨミは、神々に代わって人間の天皇が支配するようになった時代(神代から人代に移行した後)にも、また現れる。『書紀』巻十五の顕宗紀には、高皇産霊をわが祖と称する月の神が人に憑いて「我が月神に奉れ、さすれば喜びがあろう」と宣ったので、その言葉通り山背国の葛野郡に社を建て、壱岐県主の祖・押見宿禰(おしみのすくね)に祭らせたという記録がある。これが山背国の月読神社の由来であり、宣託された壱岐にも月読神社が存在し、山背国の月読神社の元宮と言われている。
出典Wikipedia

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