2016/08/23

ツクヨミの謎

風土記
『出雲国風土記』の嶋根郡の条には、伊佐奈枳命の御子とされる「都久豆美命」が登場する。千酌の驛家 郡家の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命の御子、都久豆美命、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。

『山城国風土記』(逸文)の「桂里」でも「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。

月と桂を結びつける伝承は、インドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており『万葉集』にも月人と桂を結びつけた歌がある。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば『古事記』からは天神から天若日子のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦が挙げられる。

『万葉集』の歌の中では「ツクヨミ」或いは「ツクヨミヲトコ(月読壮士)」という表現で現れてくるが、これは単なる月の比喩(擬人化)としてのものと、神格としてのものと二種の性格をみせる。また「ヲチミヅ(変若水)」=ヲツ即ち若返りの水の管掌者として現れ「月と不死」の信仰として沖縄における「スデミヅ」との類似性がネフスキーや折口信夫、石田英一郎によって指摘されている。なお、『万葉集』中の歌には月を擬人化した例として、他に「月人」や「ささらえ壮士」などの表現も見られる。

『続日本紀』には、光仁天皇の時代に暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、荒御魂として馬を献上したとある。

『皇太神宮儀式帳』では、「月讀宮一院」の祭神に 月讀命。御形ハ馬ニ乘ル男ノ形。紫ノ御衣ヲ着、金作ノ太刀ヲ佩キタマフ。と記しており、記紀神話では性別に関する記述の一切無い月読命が、太刀を佩いた騎馬の男の姿とされている。逆に月を女と見た例としては『日本三代実録』における、貞観7年(865年)109日の記事や、貞観13年(871年)1010日に出雲国の「女月神」(「めつきのかみ」、あるいは「ひめつきのかみ」)が位階を授けられている記事が挙げられる。

『元徳二年三月日吉社并叡山行幸記』によると、地主権現(じしゅごんげん、ぢしゅごんげん)は月読命を指す。大本教の『霊界物語』には、スサノオが月を統治するときにツクヨミの名になるとある。

『古事記』では「月讀命」のみであるが、『日本書紀』第五段の本文には「月神【一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊】」と複数の表記がなされている。

『万葉集』では、月を指して「月讀壮士(ツクヨミヲトコ)」、「月人壮士(ツキヒトヲトコ)」、「月夜見」などとも詠まれている。風土記では『出雲国風土記』に「都久豆美命」(ツクツミ=月津見?)が登場する。逸文ではあるが『山城国風土記』には「月讀尊」とある。

やや後世に成立した『延喜式』では、伊勢神宮に祭られている神の名として「月讀」、「月夜見」の表記がなされている。

ツクヨミの架未明については、複数の由来説が成り立つ。最も有力な説として、ツクヨミ=「月を読む」ことから暦と結びつける由来説がある。上代特殊仮名遣では「暦や月齢を数える」ことを意味する「読み」の訓字例「余美・餘美」がいずれもヨ乙類・ミ甲類で「月読」と一致していることから、ツクヨミの原義は日月を数える「読み」から来たものと考えられる。

例えば暦=コヨミは「日を読む」すなわち日読み=カヨミであるのに対して、ツクヨミもまた月を読むことにつながる。「読む」は『万葉集』にも「月日を読みて」、「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生したのである。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深い。

つまり、ツクヨミは日月を数えることから時の測定者、暦や時を支配する神格であろうと解釈されている。その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある。このように、はっきりと甲乙の異なる「ヨ」や、発音の異なる「ユ」の表記が並行して用いられていること、そして『記紀万葉』のみならず『延喜式』などや や、後世の文献でも数通りの呼称があり、表記がどれかに収束することなく、ヨの甲乙が異なる「月読」と「月夜見」表記が並行して用いられている。

ツクヨミの管掌についても『古事記』や『日本書紀』の神話において、日神たるアマテラスは「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、月神の支配領域は『日本書紀』に「日に配べて天上」を支配する話がある一方で「夜の食国」や「滄海原の潮の八百重」の支配を命じられている箇所もある。この支配領域の不安定ぶりは、アマテラスとツクヨミの神話に後からスサノオが挿入されたためではないか、と考えられている。
出典Wikipedia

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