2016/08/14

「オリンピックJUDO」は「柔道」ではない(リオデジャネイロ・オリンピックpart4)

大会8日目(日本時間121930分~131250分)

前回とは打って変わり、メダルラッシュとなった柔道は最終日を迎えた。男子100キロ超級の原沢は、決勝で世界選手権7連覇中の選手に敗れ、惜しくも銀メダル。柔道と言えば7階級あるが、本家日本の感覚では最重量級(かつての無差別級)の価値が圧倒的に重い。そのため、男子は全7階級でメダルを獲得する快挙を達成したとはいえ、最重量級で「金」を逃したことは、快挙に水を差した。しかも正々堂々の真っ向勝負で負けたならまだしも、へっぴり腰の相手はデカい図体に似合わぬ、終始ポイント狙いの姑息な「JUDO」だから、これでは勝負にならない。あれで「絶対王者」とは笑止千万であり、あんなのは「柔道」ではない。

 

以前にも書いたことだが、本来、柔道というのは空手などと同様の「武道」であって「スポーツ」ではないが、外国選手にはおそらく「武道」などという概念理解はないから、柔道も単なる「JUDOというスポーツ」の一種と曲解されてしまった。この曲解により、外国における「JUDO」は他の競技同様に「ポイントを競うスポーツ」へと変化してしまった。あの不細工な「青い柔道着」こそ「スポーツJUDO」の象徴である。

 

これは、あくまで「一本勝ちこそ柔道の美学」とする「日本の柔道」とは、まったく別物なのである。あくまで「綺麗な一本勝ちに拘るように精神性を求める日本の武道」と「不細工だろうがインチキだろうが勝てば良し」という外国の「スポーツJUDO」が戦うのだから、これは日本が不利なのは明らかだ。要するに、日本の「柔道」と外国の「JUDO」はまったく別物であり、日本が勝てなくなった理由は、まさにこれに尽きる。

 

そして、オリンピックなどの国際大会では、もはやこの流れを変えることはできない。となれば、日本の取るべき道はオリンピックなどの国際大会には背を向け、本来あるべき武道としての「柔の道」を貫くか、あるいは「柔の道」と「スポーツJUDO」で勝つための「姑息なポイント稼ぎに徹する」、この二つを分離して育成するか。いずれにしても、今のように「一本勝ちの美学」に拘りながら、国際大会でも勝とうという中途半端な姿勢は、掛け逃げあり反則ありと勝つためには手段を択ばない「醜い柔道」の外国勢に太刀打ちできないことは明らかである。

そんな中で女子78キロ超級の山部は「銅」となり、これで柔道は全14階級中12階級でメダルを獲得(金3、銀1、銅8)したのだから、あの「インチキJUDO」相手によくぞ頑張った。

 

テニスの男子シングルスは、錦織が準決勝進出の快進撃が続き、メダルの期待が掛かる。競泳の男子4×100mメドレーリレーで予選で、日本チームは全体3位で決勝進出を決めた。日本の獲得メダルは「金7、銀3、銅14」となった。

 

大会9日目(日本時間131930分~141220分)

テニス男子シングルスの錦織は、世界ランキング2位マリーにストレートで4破れ、決勝進出を逃した。

 

最終日を迎えた競泳は、前回の「銀」に続くメダルが期待された男子4×100mメドレーリレーでは5位に終わり、アテネ五輪からの4大会連続メダルを逃す。

 

卓球の女子団体準々決勝は、オーストリアにストレート勝ちを収め3大会連続の4強入りと、メダルに一歩前進だ。男子団体も、初戦を突破した。お家芸の柔道が終わったこともあって、この日は初めて日本人メダリストが0となった。

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