2016/08/22

日本人の美学(リオデジャネイロ・オリンピックpart9)

●大会15日目(日本時間191930分~201215分)

連日のメダルラッシュに沸いたオリンピック。

「日本のメダル獲得は、そろそろ打ち止めかな?」  とボンヤリ考えていたところで、この日は「打ち止め」どころか「銀2、銅3」と5つのメダルを上積みした。

 

「金」はなかったとはいえ、それに匹敵する値打ちがあるのが陸上男子4×100mリレーだ。ほぼ黒人選手ばかりに埋め尽くされ「アフリカ大会」の様相呈するこのスプリント種目において、なんと日本が2番目にゴールするという大快挙を成し遂げた。

ボルト率いるジャマイカには、さすがに敵わなかったとはいえ「4×100mリレーで、アメリカに勝った」というのは「歴史的」を超えて「奇跡的」な出来事と言って良いだろう。日本選手を個々で見れば、9秒台の選手は勿論、100mのファイナリストは勿論1人もいない。個々の実力では他国に遥かに劣るが、得意のチームワークで「陸上大国」アメリカをも撃破しての「銀」は、まことに称賛に値する。

 

レスリングのフリースタイル男子57キロ級では、樋口が「銀」

男子50キロ競歩では、荒井が「銅」

シンクロナイズドスイミングのチームも「銅」となり、デュエットに続くメダルを獲得した。バドミントン女子シングルスの奥原は、対戦相手の負傷棄権による不戦勝で「銅」となり、この種目で史上初となるシングルスでのメダリストとなった。

 

これで日本の獲得メダルは「金12、銀8、銅21」で合計41個となり、2012年ロンドン大会の38個を抜いて史上最多となった。

 

日本と外国とでは、そもそも「勝負」に対する考え方が全く違う。

「勝てば官軍」が「世界の常識」であり、バレなければ反則でもインチキでも何でもありだ。幾らクリーンであろうと負けては価値がなく、逆にダーティであっても「勝者」こそがヒーローという「力こそ正義」なのである。「金メダリスト」の称号は永久に残るが、内容などはすぐに忘れられてしまうのだから。

 

これに対し、日本の場合は「一生懸命に頑張る姿」が、なにより尊ばれる。「一生懸命に頑張る」などは「当然の前提」である。ましてや「オリンピック」という一生に一度の晴れ舞台、ここで頑張らなくて一体、いつ頑張るのかと言いたくもなるが、驚いたことに  「結果よりも、一生懸命に頑張ることが大事」などと子供じみたことが、大の大人はおろか時には専門家の口からも、真顔で吐き散らされるのである。それも道徳の教科書のような「建前」かと言えば、決してそうではないところが日本人のユニークなところで、これが結構「本気」の発言だったりする。

なによりインチキや不正などはもっての外であり、そのような「姑息な手段で獲得したメダルなんぞは、一文の価値もない」という風潮が根強い。冗談ではなく「内容の伴わない勝利」ならば「正々堂々と戦って散った方が、遥かに評価される」のが日本精神である。

 

それは、4連覇という大偉業を達成した女子レスリング伊調の

「内容が、あまりよくなかった・・・もっと、いい試合がしたかった」

というセリフに凝縮されている通り、単純に勝てば良いわけではなく、内容の伴った「美しい勝ち」に拘る「勝負の美学」である。翻って外に目を転じれば「メダル大国」のアメリカやイギリス、フランスなどの欧米大国は黒人選手が大活躍し、メダルを量産している。無論、あれらの黒人選手は、本来ならアフリカ某国の代表でなければならず、そもそも欧米とは何の関係もないはずなのだが、それでも白人たちは国旗を振って涙を流して喜んでいる。当の選手たちは地べたに這いつくばって、アッラーの神に祈りを捧げているが。

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