2016/08/05

月読命と建速須佐之男命『古事記傳』

神代四之巻【御身滌の段】 本居宣長訳(一部、編集)
月読命。「つくよみ」 と読む。書紀には「次に月神が生まれた。一書に曰く、月弓尊、月夜見尊、月読尊」【「読」も「弓」も借字である。それなのに、これらの文字の意味について 名の意味を説くのなどは、例の取るに足りぬ論である。しかし書紀の伝えには、分からない点もある。日の神には名があって、月の神には名がないのはなぜか。 三つの名は一書に曰くとして挙がっているだけで、本文には出ていない。また月夜見と月読は文字こそ違え同じ名であるのに、並べて挙げているのはなぜか。こ れは漢字(からもじ)にこだわる人のため言うのでなく、古い書物の趣旨を知る人のために指摘しておくのである。】

この名の意味は、師の説で『綿津見、山津見のように「み」は「もち」であって「月夜持ち」のことである』という。夜之食国(よるのおすくに)をしろしめす大神であるから、そうでもあろう。だから「つくよみ」と読むのが古言ということになる。「月夜」は「つくよ」と読むことが万葉などにある。【「つきよ」という読みは、古い書物にはない。】

これは、また黄泉という言葉とも相通じるように思われる。「み」の意味は、もう一つ考えがある。それは天忍穂耳命のところ【伝七の五十四葉】で言う。この大神も、現に夜を照らしている月である。月の光を「月読の光」と万葉にもある。この神が男神であることは疑いのないところだが、付け加えると万葉にも月読壮子(つくよみおとこ)、月人壮子(つきひとおとこ)、左佐良榎壮子(ささらえおとこ)などとあるのでも分かる。【倭姫命世記にも、伊勢の月読宮の御形(みかた)を馬に乗った男の形だとある。】

書紀には剣で保食神を撃ち殺したという話があり、これも男神の行動のように思われる。この大神を祭る神社は、延喜式に山城国葛野郡の葛野坐月読神社【名神大、月次、新嘗。この神社の起こりは書紀の顕宗天皇三年に見える。】

綴喜郡の月読神社【大、月次、新嘗】伊勢国度会郡に月読宮二座【荒御魂一座、いずれも大、月次、新嘗】月 夜見神社、丹波国桑田郡に小川月神社、【名神大】壱岐国壱岐郡に月読神社【名神大。この神社は、上記の顕宗の巻に出る壱岐の縣主の先祖云々に関係している か。】などがある。

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。 建(たけ)、速(はや)という理由は、この後に見える。須佐(すさ)のことは、後の文の「勝佐備(かちさび)に云々」とあるところ【伝八の四葉】で言う。【この須を書紀では素と書いてあるので「そ」と読んで、清少納言の枕草子にも「そさのお」と書いてあるのは間違いである。古い書物にはどれも須の字を書き、書紀でも素の字は「そ」とも「す」とも読む。一体に仮名は、書紀の文字遣いのせいで古言を誤解されていることが多い。書紀はとにかく紛らわしいことが多いので、他の書物と照らし合わせて、よく考察する必要がある。】之男は建御雷之男、筒之男などと同様である。

○ここには目と鼻を洗ったことだけが書いてあり、口と耳のことが出て来ないのは、なぜかと言えば、目は黄泉の穢れたものを見たから穢れがあり、鼻は穢れたものの臭い(腐臭)を嗅いだから穢れがあるのである。だが、そこの食物を食べなかったので、口は穢れなかった。耳は伊邪那美命の言葉を聞き、雷の声なども触れたのだが、声には穢れがないのであろう。【後の世にも、声に穢れがあることは聴かない。漢国に「汚らわしいことを聴いた」といって耳を洗った話があるが、空理空論の国のことであるから、取るに足りない。】

ということは、穢れというものは「見る」と「嗅ぐ」とにあるのだ。そのうちでも目に見た穢れは浅く痕跡が小さいので、それから生まれた月日の大神は善神だったが【月神は、書紀では(保食神を殺したため)天照大神から「お前は悪神だ」と言われたことが出ているが、それはある一つの行為について言われたので、全体を見るとやはり善神であった。書紀では「大日孁尊(おおひるめのみこと)と月読尊は、いずれも資性明るく麗しく・・・素戔嗚尊は性質悪しく云々」などとあって、善悪は明らかである。】

鼻に嗅いだ悪臭は深くて、名残がいつまでも残るものだから、須佐之男命は悪神なのである。【他にも次の段に証拠がある。参照せよ。】

○所生者也(あれませるかみなり)は、これまでの例によると、者が神の誤字か、あるいは者の上に神の字が脱落したようである。しかし、これでいいようでも ある。ところで、この十四柱の神々も、やはり伊邪那美命を母としているのである。そのことは伝七之巻【二十五葉】で言う。

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