2019/05/30

ヤマトタケル(1)

口語訳:天皇は小碓命に

「どうしてお前の兄は朝夕の大御食に出席しないのか。お前が行って、出てくるように教えてやれ」

と言った。

 

ところがその後五日も経つのに、まだ出て来ない。天皇はまた小碓命に

「どうしてお前の兄はいつまでも出て来ないのか。まだ説得しに行っていないのか」

と尋ねた。

 

すると小碓命は「もう言いました」と答えた。

「どんな風に説得したのだ」

と重ねて尋ねると

 

「早朝に兄が便所に行った時、捕まえて引きずり出し、手足をもいで、薦にくるんで投げ棄てました」

と答えた。

 

ヤマトタケル(景行天皇12 - 景行天皇41年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。

 

『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。

 

12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。

 

名称

『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』とも、本の名は「ヲウス(オウス)」、亦の名は「ヤマトヲグナ(ヤマトオグナ)」で、のちに「ヤマトタケル」を称したとする。それぞれ表記は次の通り。

 

『日本書紀』・『先代旧事本紀』

本の名:小碓尊(おうすのみこと)、小碓王(おうすのみこ)

亦の名:日本童男(やまとおぐな)

のちの名:日本武尊(やまとたけるのみこと)、日本武皇子(やまとたけるのみこ)

 

『古事記』

本の名:小碓命(おうすのみこと)

亦の名:倭男具那命(やまとおぐなのみこと)、倭男具那王(やまとおぐなのみこ)

のちの名:倭建命(やまとたけるのみこと)、倭建御子(やまとたけるのみこ)

 

「ヲウス(小碓)」の名称について『日本書紀』では、双子(大碓命・小碓尊)として生まれた際に、天皇が怪しんで臼(うす)に向かって叫んだことによるとする。「ヲグナ(童男/男具那)」は未婚の男子の意味。「ヤマトタケル」の名称は、川上梟帥(または熊曾建)の征討時に捧げられた(後述)。「尊」の用字は皇位継承者と目される人物に使用されるもので、『日本書紀』での表記は同書上でヤマトタケルがそのように位置づけられたことによる。

 

文献で見えるその他の表記は次の通り。

 

    倭武命 - 『日本三代実録』

    倭武尊 - 『古語拾遺』

    倭建尊 - 『新撰姓氏録』

    日本武命 - 『尾張国風土記』逸文、『古語拾遺』

    倭武天皇 - 『常陸国風土記』

    倭建天皇 - 『常陸国風土記』

    倭健天皇命 - 『阿波国風土記』逸文

 

なお、「武」・「建」の訓については「タケル」ではなく「タケ」とする説がある。その中で、「タケル」は野蛮を表現する語であり、尊号に用いられる言葉ではないと指摘される。「ヤマトダケ ノ ミコト」と読まれる場合もある。

 

系譜

父は第12代景行天皇。母は皇后の播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、針間之伊那毘能大郎女/稲日稚郎姫。第7代孝霊天皇の皇孫)。『古事記』では、針間之伊那毘能大郎女を若建吉備津日子(吉備臣らの祖)の娘とする。

 

『日本書紀』・『先代旧事本紀』では第二皇子とし、同母兄は大碓皇子のみで双子の兄とする。『古事記』では第三皇子とし、同母兄を櫛角別王・大碓皇子(双子の記載はない)、同母弟を倭根子命・神櫛王とする。

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