2019/06/29

プラトン(3) ~ 「政治学・法学」

プラトンが若い頃から一貫して政治・国制・法律に対する強い関心を持ち続け、晩年に至るまでその考察を続けていたこと、また彼にとって政治と哲学は不可分な関係にあり、両者の統合を模索し続けていたことは、彼の一連の著作の内容や『第七書簡』のような書簡の文面からも明らかである。

アテナイにおける三十人政権や、その後の民主派政権の現実を目の当たりにして、現実政治に幻滅し直接関わることは控えていたが、そんな30代で書いた初期の『ソクラテスの弁明』『クリトン』でも、既に国家・国制・法律のあるべき姿を描こうとする姿勢が顕著であり『ゴルギアス』においては、真の「政治術」とは「弁論術」(レートリケー)のような「迎合」ではなく「国民の魂を善くする」ことであらねばならず、ソクラテスただ1人のみが、そうした問題に取り組んでいたのだということを描き出している。

このように、プラトンは当初から政治と哲学の統合を模索しており、中期以降に示される「哲人王」思想や、後にアカデメイアの学園として実現される同志獲得・養成の構想を、この頃既に持っていたことが『第七書簡』でも述べられている。そして第一回シケリア旅行にて、シュラクサイのディオンという青年に出会い、彼に自分の思想・哲学を伝授したことをきっかけとして、後にシュラクサイという現実国家の改革(及び内紛)にも、実際に携わっていくことになる。


プラトンの著作の中で、群を抜いて圧倒的に文量の多い二書、10巻を擁する中期の『国家』と12巻を擁する後期末の『法律』、この二書はその題名からも分かるように、いずれも国家・国制・法律に関する書である。こうしたところからも、プラトンがいかにこの分野に強い志向・情熱を持っていたかが伺える。

この二書はいずれも「議論上で、理想国家を一から構築していく試み」という体裁が採られている。

『国家』では「哲人王」思想が披露される他、「優秀者支配制」(アリストクラティア)、「名誉支配制」(ティモクラティア)、「寡頭制」(オリガルキア)、「民主制」(デモクラティア)、「僭主独裁制」(テュランニス)という5つの国制の変遷・転態の様を描いたり「妻女・子供の共有」や俗に「詩人追放論」と表現されるような詩歌・演劇批判を行っている。


なお『国家』と『法律』の中間には、両者をつなぐ過渡的な対話篇として、後期の『政治家』がある。ここでは現実の国制として

「王制」(バシリケー) - 法律に基づく単独者支配
「僭主制」(テュランニス) - 法律に基づかない単独者支配
「貴族制」(アリストクラティア - 法律に基づく少数者支配
「寡頭制」(オリガルキア) - 法律に基づかない少数者支配
「民主制」(デモクラティア) - 多数者支配(法律に基づくか否かでの区別無し)

が挙げられ、上記の諸国制とは異なる知識・技術と善への志向を持った「哲人王」による理想政体実現の困難さ、法律の不十分性と有用性、上記の現実的国制の内、法律が順守された際には「単独者支配」「少数者支配」「多数者支配」の順でマシな体制となり、逆に、法律が軽視された際には「多数者支配」「少数者支配」「単独者支配」の順でマシな体制となる

      法律遵奉時          法律軽視時
最良単独者支配(王制)   多数者支配(民主制)
中間少数者支配(貴族制) 少数者支配(寡頭制)
最悪:多数者支配(民主制) 単独者支配(僭主制)

などが述べられ、現実的な「次善の国制」が模索されていく。
 
『法律』では、その名の通り専ら法律の観点から、より具体的・実践的・詳細な形で各種の国家社会システムを不足なく配置するように、理想国家「マグネシア」の構築が進められる。第3巻においては、アテナイに代表される民主制と、ペルシアに代表される君主制という「両極」の国制が、いずれも衰退を招いたことを挙げ、スパルタやクレタのように両者を折衷した「混合制」が望ましいことが述べられる。

10巻においては、無神論批判と敬神の重要性が説かれる。最終第12巻では国制・法律の保全と、それらの目的である「善」の護持・探求のために『国家』における「哲人王」に代わり、複数人の哲人兼実務者から成る「夜の会議」が提示され話が終わる。

なお、アリストテレスは『政治学』の第2巻において上記二書に言及し、その内容に批判を加えているが、他方で「善」を国家の目的としたり、プラトンを踏襲した国制の比較検討をするなど、プラトンの影響も随所に伺わせている。

教育論
プラトンにとって、哲学・政治と密接に関わっている教育は重大な関心事であり、実際40歳にしてアカデメイアに自身の学園を開設するに至った。

プラトンの教育論・教育観は『国家』の2-3巻、6-7巻、及び『法律』の7巻に典型的に描かれているが「徳は何であるか、教えうるのか」「徳の教師を自認するソフィスト達は、何を教えているのか」等の関連論も含めれば、初期の頃からほぼ全篇に渡って、教育論が展開されていると言っても過言ではない。

総じて言えば、数学・幾何学や問答法(弁証法)を中心とした「善のイデア」を見極めていける・目指していけるようにする教育、それをプラトンは国の守護者、指導者、立法者であるべき哲学者たちに必要な教育だと考えており、アカデメイアでもそうした教育が行われていた。


また『第七書簡』においては、ディオニュシオス2世が半可通な理解で哲学の知識に関する書物を著したことを批判しつつ「師資相承」のごとき、いわゆる「知の飛び火」論が展開されている。哲学(愛知)の営みが目指している真実在(イデア)へは「名辞」(オノマ)、「定義」、「模造」、「知識」の4つを経由しながら接近していくことになるが、これらはどれも真実在(イデア)そのものとは異なる不完全なものであり「言葉」や「物体」を用いて、対象が「何であるか」ではなく「どういうものであるか」を差し出すものでしかない。そして、それらはその脆弱さゆえに、論駁家によって容易に操縦されてしまうものでもある。

したがって、哲学(愛知)の営みが目指している真実在(イデア)に関する知性は、教える者(師匠)と教えられる者(弟子)が生活を共にし、上記の4つを突き合わせ、好意に満ちた偏見も腹蔵もない吟味・反駁・問答が一段一段、行きつ戻りつ行われる数多く話し合いによって、初めて人間に許される限りの力を漲らせて輝き出すし、優れた素質のある人の魂から、同じく優れた素質のある人の魂へと「飛び火によって点じられた燈火」のごとく生じさせることができるものであり、いやしくも真剣に真実在(イデア)を目指し、そうしたことをわきまえている哲学者(愛知者)であるならば、そうした特に真剣な関心事は、魂の中の最も美しい領域(知性)にそのまま置かれているし、それを知っていると称して、みだりに「言葉」という脆弱な器に、ましてや「書かれたもの」という取り換えも効かぬ状態に、それをあえて盛り込もうとはしない、というのがその論旨である。

同じ主旨の話は『パイドロス』の末尾においても述べられている。
出典 Wikipedia

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