2019/06/05

アリスティッポス(3) ~ ソクラテスの弟子としてのアリスティッポス

出典http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html

 このアリスティッポスが、どうしてソクラテスの弟子たり得たのかというはじめに提起しておいた問題ですが、ここでソクラテスへの彼の態度を調べてみましょう。

 先ず、彼が自分の故郷アフリカのキュレネくんだりから、わざわざアテナイに出てきた理由が、伝承によるとソクラテスに惹かれてであったのであり、初めからソクラテスが目当てでやってきたようでした。その時、何歳であったかは記録がなく、したがってソクラテスが幾つの時かも分かりません。しかしソクラテスの名前が、遠くアフリカの地にまで評判がとどいているというわけですから、ソクラテスが有名となっている年齢とは推定できます。

 その時、彼がソクラテスについて聞かされた話がどういうものであったか、それも記録にありません。ただ「評判によって」というのは、ソクラテスの死後になるシノペのディオゲネスやクラテス、ゼノンなどのソクラテスへの傾斜と同様であり、当時は「口コミ」で評判が伝わり、それに憧れて行くというのが一般的だったのでしょう。

ソクラテスについての口コミの内容は「権力や地位などの社会的評価ではなく、人間性そのもののところで成立する人間の優れ」を実現させているソクラテスという評判以外に考えられません。こうしてやってきてソクラテスの弟子になったと考えられ、それはアテナイ以外からやってきて弟子となっていた多くの人たちと同様であったでしょう。こうしてソクラテスと共になった初期の時代のことは、何もわかりません。

 アリスティッポスとソクラテス関連の逸話を拾ってみると、「人に教えてお金を儲け、それをソクラテスに贈ろうとしたけれど断られた」という逸話、あるいはアリスティッポスがお金を持っているのを見て、ソクラテスがどこからそんな金を得たのかと聞いたところ、あなたが少ししか手に入れることがなかったところからです、と答えたといいます。

 ということは「すでにアリスティッポスは、一人前になっていた」時代の逸話ということになるでしょう。一人前だったのですから、彼は「教えて報酬をとっていた」ということです。そこで彼は「ソフィスト(文字通りには「知者」という意味で、報酬を取って若者を教育していた人たち)」として活動したと評され、ソクラテスの弟子の中で「最初に礼金を取り立て」師に贈った人ともいわれるのでした。

 こうした彼はやはり、ソクラテスの弟子なのにどうしてお金をもらうのかと非難されたようで、そうしたとき彼は

 「僕は謝礼を貰うよ、なぜならソクラテスだって誰かが酒や食べ物を贈った時、少しは受け取ったからね、もっとも残りの大半は送り返したけれど。というのもソクラテスは、アテナイの上流の人たちを友人にしていたから(だから何時でも、貰えて困ることはなかった)。でも僕の方は召使いが一人いるくらいなのだから(当時は、召使いが複数いるのが普通の家庭であった)」

 と答えたといいます。確かに、これは本当だったでしょう。

ソクラテスは家族もありましたから、贈り物は好意として必要最小限度のものは有り難くいただいていたでしょう。ただし必要最小限度ですから、極貧の生活ではあったでしょう。

 ここで多分、アリスティッポスは考えたのかもしれません。

「ソクラテスも受け取っている、だから受け取る事自体に問題があるわけではない」
「ただし必要最小限にしている」
「しかし何故、必要最小限度でなければならないのか、そして極貧でいなければならないことの意味は、どこにあるのか」
「確かに、快に溺れてはならないことは分かる。しかし要は優れた人間性を形成するということであって、極貧になれば良いということではない」
「極貧であって人間として劣等、品性の卑しい者はたくさんいる」
「一方、金持ちで裕福な生活をしているけれど、人間的に優れている者もたくさん居る」
「つまり経済状態や生活の仕方と、人間性の形成とは絶対的な相関性はないのだ」
「だとしたら無理して貧乏で困窮の生活などしてみても意味はない」
「なぜなら人間は快楽を喜ぶという、基本的な本性を持っているのだから」
「つまり一番肝心なのは人間性の確立で、それを阻害するような快楽への溺れさえ警戒していればいいのではないか」

と。以上は私なりにまとめた論法ですが、どうもアリスティッポスの生き方というのは、こんなものではなかったかと考えます。

 ですから、彼は香油を塗っているということで非難された時も、確かに僕はそうしているし(贅沢で知られた)ペルシャ大王もそうしている、しかし他のどんな動物も、そうしているからといって劣っているということはないのと同様、人間にしても同じことなのだ、と言っています。

 つまり、「外見ばかりで人を判断してくる」仲間や世間に対して、彼は何か言いようのない怒りを感じていたようで、続けて「そんなことで文句をつけてくるような連中は、くたばってしまえ」と吐き捨てるように言っています。実際、彼は他人が言うほど「ソクラテスに違反している」ことはなく、ソクラテスはどんな死に方をしたのだと人に尋ねられた時も「僕も、あんな風に死にたいと願うようにだ」と言っています。

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