2019/06/19

闇の神々1(ギリシャ神話57)



 ギリシャ神話や英雄伝説を読むとき、その物語を彩っているのは主立った神々や英雄の脇を固める様々の神々や人物・妖怪・怪獣になる。この脇役たちはあまり紹介されることがなく、ちょっと登場して消えてしまうか悪役として終わるかだけだが、物語を面白くしているのはこの脇役たちと言える。

 この脇役には大きく分けて三種類あり、一つは主要神の脇にいる神々で「太陽神ヘリオスとか月の女神セレネとか、曙、虹、季節、青春、風、芸術、勝利」その他その他輝きを持った神々となる。第二が「闇の神々」で「死とか運命とか迷妄とか復讐とかの神々」となる。第三が「妖怪・怪獣たち」となる。ここではその紹介されることの少ない「闇の神々」を紹介しておく。

 この神々の多くは、ヘシオドスの神々の系譜では主要神を生み出すことになる大地ガイアとは異なり、もう一つの系譜として挙げられる「夜ニュクス」の子どもたちとなる。

運命の女神モイラ
 これらの闇の神々の中で有名なのは「運命の女神モイラ(モイライ)」となる。この女神たちは三人姉妹とされ、生まれついての老婆とされている。その名前は一般に「アトロポス」「クロト」「ラケシス」とされていて、「アトロポス」とは「曲げることができないもの」という意味を持ち過去を司り、クロトは現在を紡ぎ、ラケシスが未来を紡ぐとされる。これで一生涯になるわけだが、そのおしまいの糸を切るハサミを持つのは、ラケシスともアトロポスとも言われてはっきりしない。

 彼女たちの役割は、ヘシオドスによって「人間たちの生まれに際して良運と悪運を授ける」とされ、彼女たちは人間にせよ神々にせよ「ヒュブリス(驕慢・傲慢、分をわきまえず越権行為でること)」に対して、その罪を追求しその罪に対して報いが遂げられるまで、その怒りを和らげることはないとされている。

従って、一般に思われているように、人間は完全に運命に手繰られているというわけではなく、要するに死を逃れられない、未来が見えないとかの人間の分限性をいう女神と理解すべきである。ただし、一般には人の運命を決めてくると考えられていて、特にそれは死の運命とされているのは、一般の人々の思いがそこにあるからだろう。

 このモイラが印象深く登場してくるのは「カリュドンの英雄メレアグロスの伝承」で、彼が生まれた時その母親が夢うつつに三人の老婆を見て、その老婆が木片を炉の火の中に投げ入れて「生まれた子よ、我らはお前とこの木片とに同じだけの寿命を与えよう」といって消えたという。

母は大急ぎで起きて、炉から木片を取り出してそれを水に入れて火を消して、それを箱に入れて大事に秘めておいた。彼は成長してのち、不死の異名をとるほどのすさまじい豪傑に育つ。ところが女神アルテミスの呪いで、カリュドンの地に巨大なイノシシが出没して人々を困窮させる。そして猛り狂うそのイノシシをメレアグロスが退治するのだが、彼はその名誉を、一番矢を射るのに成功した女傑のアタランタに与える。

ところが、それを快く思わない連中がそれを奪い去ろうとしたためメレアグロスと争いになり、立ち向かってきた叔父と従兄弟を殺してしまう。ところが、それを知った母親は息子のメレアグロスに対して言いようのない怒りを感じて、秘めておいたあの木片を取り出して火にくべてしまい、こうしてメレアグロスは命を落としていったとされる。ちなみに、古代ギリシャでの兄弟・姉妹に対する思いは何者にも代え難いところがあるような物語が多く、古代ギリシャにおける家族のありかた、家族倫理の研究に一つのテーマとなる。

ケル(ケレス)と死の神タナトス
 「死にまつわる神々」には、死そのもの、死の定めなど別個に名前があるが、死の定めといったニュアンスの「ケル(ケレス)」が比較的知られている。

このケルは普通名詞として使われ、この場合もほとんど死の運命を意味しており、ゼウスがアキレウスとヘクトルの死の運命をはかりにかける時に使われている言葉となる。これが人格化されて神となったときの用法も同じことで、ケルはたとえば槍が刺さったような場合に、ケルに憑りつかれたというような表現で言われた。これが複数形にされて、我々は無数のケレスに取り巻かれているといった表現などは、人間にとって避けられない死を言っていると理解できる。

人格化された時の姿は、血に染まった赤黒い衣を身につけ、恐ろしい形相にランランとした目つきで牙を光らせ、翼を持って目に見えずに飛び、死者を引きづりその血をすするなどと、一般的なイメージ通りの姿をしている。これはすでにホメロスにそのような姿で描かれ、そこでは「戦場に怖ろしいケルも共にあり、討たれたばかりでまだ息のある者、あるいはまだ討たれていない者、さらにはすでに息絶えた者たちの両足を掴んで乱戦の間をひきづって行く、その肩にまとう衣は血に赤く染まっている」と描かれている。

 その他、「」という言葉そのものの「タナトス」も神格化されて物語に登場してくる。たとえば、エウリピデスの『アルケスティス』の中で、墓のところで死者のアルケスティスを冥界に連れていこうとした「タナトス」を、ヘラクレスが打ちのめして彼女を連れ戻してくるなどというのがある。

あるいは「シシュポスの伝承」でも、死神タナトスが彼を迎えに来たとき、シシュポスは死神タナトスを騙して鉄の鎖で縛って押し込めてしまい、タナトスはやっとのことでヘルメス神に助けてもらい、ほうほうのていで逃げだし目的を果たせなかったという。

ポンペイの壁画では、冠をつけて黒衣を纏い手には刀を携えている。この刀は死への犠牲として、死人の鬢の毛を切るためとも言われる。

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