2006/05/01

ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』act1


1851年に『リゴレット』を初演、成功させた38歳のヴェルディの作曲の筆はそこから暫く止まる。1839年の『オベルト』以来、年間1作以上のペースで作曲を続けてきた彼にとっては、珍しい事態だった。

 

18516月の母の死、ジュゼッピーナ・ストレッポーニとの同棲生活に対するブッセートの街の人々の冷ややかな眼、そこからの逃避の意味もあって近郊サンターガタでの農園購入とその経営(ヴェルディは単なる不在地主ではなく、農地管理の些事にまで口やかましく容喙した)など、作曲以外の雑事に忙殺されていたのも事実だったが、この頃の彼はどこの劇場の委嘱も受けず、自ら選んだ題材を好きなだけ時間をかけてオペラ化する、という大家への道を歩んでいた。

 

そうした自己の選択による作品が、この『イル・トロヴァトーレ』である。

『イル・トロヴァトーレ』の原作El Trovadorはスペインの劇作家グティエレスによって書かれ、1836年にマドリードで初演された舞台劇であった。

 

中世の騎士物語、男女の恋愛、ジプシー女の呪い、といった雑多なテーマを盛り込んだこの複雑な舞台劇をヴェルディがどうやって知ったのか、今日でもはっきりしていない。イタリア語への翻訳は当時未だされていなかったので、イタリア・オペラの重要な演奏拠点の一つであったマドリードのオペラ関係者が、ヴェルディに個人的にこの戯曲を送付、語学の才のあったジュゼッピーナがイタリア語に仮訳したのではないかと想像されている。いずれにせよ、遅くとも1851年の春頃、ちょうど『リゴレット』初演の前後までには、そうしたイタリア語訳に目を通し、台本化を開始して欲しいとの要請をヴェルディはカンマラーノにしていたものとみられる。

 

1

ルーナ伯爵の居城の一角で、警備の兵士たちにフェルランドが昔話を始める。

「先代のルーナ伯爵には、実は2人の息子がいた。そのうちの弟君に呪いをかけた容疑でジプシーの老婆を火刑に処したが、それと同時に弟君は行方不明となり火刑台から子供の白骨が発見された。現伯爵はその白骨が弟であることを信じず、今でもその行方を捜している」

 

場面は変わり城の庭園。美しい女官レオノーラがマンリーコを待っているところへ、これもレオノーラに想いを寄せるルーナ伯爵が登場。暗さゆえ、レオノーラは間違ってルーナに抱きついてしまう。そこにマンリーコが登場。当惑するレオノーラ、自分が愛されていないことを知り激怒するルーナ伯爵、レオノーラを赦し伯爵を挑発するマンリーコによって三重唱が歌われる。伯爵とマンリーコは決闘を行うが勝負は付かない。  レオノーラは気絶してしまう。

 

穏やかな夜~この恋は言葉では表現できないわ」(レオノーラのアリア)

レオノーラが、マンリーコへの愛を歌い上げる。前半が叙情的な「カヴァティーナ」で、後半が技巧的な「カヴァレッタ」になっている。これを聴けば「カヴァティーナ=カヴァレッタ形式」が理解できる。

0 件のコメント:

コメントを投稿