2019/07/14

復讐の女神エリニュス(ギリシャ神話59)


 この女神たちは、アイスキュロスの悲劇『エウメニデス(慈しみの女神たち)』で有名となっているが、ヘシオドスでのアフロディテの誕生の場面が、そのままエリニュスたちの生誕についての話となっている。つまり彼女たちは「夜ニュクス」の一族ではなく「天ウラノス」の一族となる。その話は、初代の神「ウラノス」が、その子であったクロノスに駆逐される場面で、ウラノスが妻ガイアのもとを訪れベッドに入ろうとしたところを隠れていたクロノスが現れ、その男根を捕まれて草刈鎌でばっさり切り取られてしまう。切り取られた男根は海に捨てられてそこに泡が波立ち、そこから美しい女神アフロディテが生まれるわけだが、切り取られた時流れた血からは「凶暴な巨人ギガンテスたち」「槍の柄となるトネリコの精」そして「復讐の女神エリニュス」が生まれてくることになるのであった。

 こんな具合に、はじめから身内による血の流しに関わって生まれているのであるが、その典型的な例がアイスキュロスの悲劇に描かれてくるわけである。その次第はトロイ戦争にまつわるが、トロイ遠征の総大将であったアガメムノンはトロイへの出征に先立って娘イビゲニアを犠牲にしており、それは娘ばかりか妻クリュタイメストラも欺くものであった。そのため、クリュタイメストラの憤怒は深く、彼女は「娘の敵」としてアガメムノンを待ち続けて、十年たって凱旋してきたアガメムノンに対して単身復讐に挑んでいく。こうしてアガメムノンを倒すのに成功するが、アガメムノンの息子オレストスにとって、母は「父の敵」となってしまったわけである。

ところが、当時の社会は日本の武家社会と同じく、息子は父の敵を討たなければ家督が嗣げないので、オレステスは社会秩序を体言する神アポロンに促されて、その敵をとってしまう。ということは「母殺し」となってしまったわけで、彼はその母の血から生じた復讐の女神に狂気とさせられ、追われることになってしまう。このままでは地獄の果てまで永遠に追われ続けることになるわけで、オレステスはアポロンに助けを求め、そのアドバイスによってアテネに赴き女神アテネによる裁判を求める。女神はアテネの長老からなる裁判団を結成して裁判に挑み、結果として白黒半々ということでオレステスを無罪とする一方で、エリニュスを「復讐の女神」から「慈しみの女神」への変貌と「人々からの敬神」を約束して、ことを納めていったのであった。

 ここに見られるように、この女神たちの職分は本来的に「血縁間の掟」の遵守にあるわけで、とりわけその殺害は最大の罪であったからここにエリニュスたちの登場があるわけである。

 しかしそれだけではなく、自然哲学者として有名なヘラクレイトスの言葉に「太陽がもしその軌道をはずれたら、エリニュスによって正されるだろう」というのがあり、これは自然的摂理・自然理法、つまり絶対的に守られねばならない理法・秩序の守り手のようにも理解される。これは同時に、血族間の関係は自然理法・摂理として捕らえられていたこともいえる。したがって、オレステスはどんな理由があるにせよ、罪ありとして追われなければならなかったのである。

その裁判でも女神アテネは、自分はアポロンたちと同じ神族(社会秩序の神)だからオレステスを無罪とすると先に宣言しているのであるが、それでも人間の長老たちの投票では一票差とはいいながらオレステス有罪となっていて、それゆえ半々となって放免となったわけである。つまり人間的にはやはりオレステスは有罪だけれど、社会秩序を勘案してやって放免にすることができるというのがアイスキュロスの判断であったわけである。

 そして、ここでエリニュスが復讐の女神から慈しみの女神に変貌するということは、太古の血族的部族倫理に代えて民主制社会としての社会倫理への変容を言っているものと理解される。

 彼女たちは、ヘシオドスやアイスキュロスにあっても人数ははっきりしていないが、のちには三人とされ「アレクト(終わることがない)」「ティシポネ(殺戮への復讐)」「メガイラ(容赦のない目で見る)」と呼ばれている。姿はアイスキュロスに描かれているように恐ろしい容貌で髪は無数の蛇、おどろおどろしい黒衣をまとっていて、翼をもっている。

 また変わった話では、海の神ポセイドンがこのエリニュスの一人と交わって(通常ではデメテルとされているが)駿馬アリオンを生んだという逸話があることで、ポセイドンというのは馬の神だからそれでもいいのだが、なぜエリニュスなのか分からない。

 別途ポセイドンは、その顔を見たものは恐ろしさのあまり石になってしまうというゴルゴンの一人メドゥサとの間にも天馬ペガサスを生んでいて、ポセイドンというのはそういう変態趣味なのかとも思われるが、ただメドゥサの方は元々美しい少女であったものが、女神の妬みで恐ろしい顔にさせられたとされているので、エリニュスも元は美人だったのかとも思いたいけれど、そういう話は見いだせない。

ゴルゴン
 その「ゴルゴン」だが、彼女たちは通常は妖怪とされているけれど、元々は原住民族の神であったものが、ギリシャ民族の到来時に反抗し、負けた時に妖怪にされてしまったのと考えられる。

 彼女たちはギリシャ神話では三人姉妹とされて、その中のメドゥサだけが死の運命を持っていたとされる。彼女たちは鋭い牙を剥き出しにした醜悪な容貌を持ち、頭髪は蛇で、その怖ろしい顔は見る者を石に化したとされる。

 彼女は「英雄ペルセウスの物語」で退治される妖怪として有名だが、ペルセウスはゼウスが黄金の雨となって忍び込んで少女ダナエを犯して孕ませた子どもで、成長して後ひょんなことで「ゴルゴン退治」にやらされることになり、女神アテネの助けを得て冒険していったのだった。当然メドゥサの首が狙われ、磨いた盾を鏡代わりに使われ、首を取られてしまったのであった。その後この首はアテネの盾にくっつけられることになったが、一般にこのメドゥサの首は「魔よけ」として、神殿その他の建物に使われ、よく遺跡で目にすることができる。

 つまりメドゥサは、元来はこうした太古の「除魔の女神」であったと考えられるのであり、ギリシャの神話体系の中に取り込まれる中で妖怪化させられた可哀相な女神と考えられるのである。どうも来訪したギリシャ民族に征服された部族の女神であって、その反抗が強烈であったために、征服された時に強かった印象が「醜悪な顔の妖怪」にされてしまったのではないか、と考えられるわけである。

 後代の神話では、彼女は元々美しい少女神であって、それがポセイドンに見初められてしまい、そのためポセイドンの妻であったアムピトリテに疎まれてこんな姿にさせられたとも、あるいはその美しい髪を自慢したため女神アテネによって蛇の髪の毛にされ醜くされたとも言われる。アテネとの場合は、アテネがメドゥサの頭のついた盾を持っていたところから(これはメドゥサの首が魔除けであることからあり得る話し)物語化された後代の作家による創作話だと考えられる。従って、別伝としてポセイドンがこのメドゥサを犯してしまった場所が、こともあろうにアテネの神殿であったため、女神の怒りに触れて醜くされてしまったなどともされている。

 このポセイドンとの関係は何か太古の昔の神体系の名残があるようで、実際、このメドゥサがペルセウスに首を取られた時、そこからポセイドンのシンボルである馬、それも「天馬ペガサス」が生まれ出ているのであり、これはポセイドンの子どもとされているのだが、こうした話自体に何か深い意味が見られるような感じもするわけである。

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