2019/07/15

古朝鮮

古朝鮮は、中国大陸の前漢に滅亡させられ、紀元前108年に武帝に漢四郡設置して前漢の一部にする以前まで、朝鮮半島北部に存在していた。正式名称が不明であり、後代の李氏朝鮮と混同を防ぐために使用される。

檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮の三朝鮮の総称。檀君朝鮮は伝説的存在で、実証的な歴史学においては、箕子朝鮮・衛氏朝鮮のみを指すことが多い。檀君朝鮮が存在したという物的証拠が何一つ発見されていないため史実的な根拠は極めて薄弱であるが、韓国では紀元前2333年に檀君朝鮮が建国されたとして、検定教科書(中学校は歴史、高校は韓国史)の中に歴史的事実として記述されている。

李氏朝鮮がまだ存在しない13世紀に著された『三国遺事』の「古朝鮮」は、衛氏朝鮮・箕子朝鮮に対応する形で檀君朝鮮を指しており、現在の韓国でも単純に古朝鮮と呼ぶ場合は、この檀君朝鮮を指していることが多い。

箕子朝鮮も伝説上の創作された国家とする説と、そのまま史実ではないものの実在した王朝が反映された伝承とする説、史実とする説など見解がわかれている。

衛氏朝鮮については、その実在について確定している。ただし、衛氏朝鮮を「朝鮮」とよぶのは司馬遷の『史記』が最初であるが、これは国名が忘れられていたため便宜的に楽浪郡朝鮮県(現在の平壌)の名を用いたにすぎず、実際の国名ではないとする説もある。中国においては楽浪郡設置後は、もっぱら楽浪郡を指して「朝鮮」と呼んでいた。朝鮮半島で自国名を「朝鮮」と称するのは、10世紀の高麗以降のことである。

中国や日本の学界では「古朝鮮とは、14世紀以後の李氏の朝鮮王朝に対して呼ぶもので、檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮をまとめた呼称である。」というような理解の仕方が一般的であるが、中国系の箕子朝鮮と衛氏朝鮮は朝鮮のナショナリズムからは都合が悪いため、韓国の学界は古朝鮮から箕子朝鮮と衛氏朝鮮を取り除こうと主張している

古朝鮮=三朝鮮は、朝鮮の歴史とアイデンティティと領域問題とに緊密に連結され、箕子朝鮮を認めれば、紀元前11世紀以前の檀君朝鮮も認めることになるが、この時から中国の支配を認める計算になる。したがって、韓国の学界は箕子朝鮮の歴史性を否定するため、三朝鮮の枠組みで古朝鮮を捉えることを批判して、箕子朝鮮は古朝鮮に「割り込んできた」のだから、古朝鮮から檀君朝鮮は含んだまま箕子朝鮮、あわよくば衛氏朝鮮も取り除こうとする

檀国大学のユン・ネヒョンは、箕子朝鮮の存在を認めるが、韓半島の外側、古朝鮮西部辺境で古朝鮮と並存した小国であり、箕子朝鮮を継承した衛氏朝鮮まで共にくくって一緒に朝鮮半島の歴史から抜いてしまえば良い、と主張する。これは、檀君朝鮮の正統性を優先視する在野史学界の立場が反映されたものである。

高麗大学のパク・デジェは、三朝鮮は高麗後期から朝鮮時代初期に構成を整え、李承休は『帝王韻記』で古朝鮮を檀君と箕子を分離した。これが朝鮮時代初期の『高麗史』や『東国通鑑』などで檀君(前朝鮮)-箕子(後朝鮮)-衛氏朝鮮の三朝鮮を同等に連結する体制が確立され、それ以前には古朝鮮を三朝鮮と把握しなかった。したがって、パクは「箕子朝鮮が私たちの歴史に体系化されたのは、伝統的古朝鮮史に小中華主義を背景に脈絡なしに割り込んだ『闖入』過程」「それでも三朝鮮説体系が維持されるのは、学界がじっくり考えなければならない問題」と古朝鮮=三朝鮮をあえて守る必要があるのかと批判している。

申采浩は『読史新論』『朝鮮上古史』などで箕子を檀君の臣下とみて、箕子朝鮮を歴史叙述から最初から抜いてしまうこともあった。

20174月の米中首脳会談で習近平首席は、ドナルド・トランプ大統領に「朝鮮半島は歴史的に中国の一部だった」として説明している。
出典Wikipedia

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