2006/07/24

シューベルト 弦楽四重奏曲第14番『死と乙女』(第2楽章)


1823年は、シューベルトが絶望の淵に立たされた年であった。劇音楽はことごとく失敗に終わり、さらに追い討ちをかけるように忌まわしい病いに見舞われる。

 

1824年、病気はようやく峠を越える。一見、快復に向かったかのようにみえるシューベルトは精力的に作曲活動を続け、器楽曲に数々の名曲が生まれる。中でもひときわ目を引くのが、2曲の弦楽四重奏曲である。4年来空白期間のあったこのジャンルで、熟練したシューベルトの芸術が開花した。

 

2月に友人シュヴィントは、次のように伝えている。

「シューベルトは随分元気になり、気分も良い。そして弦楽四重奏曲と、レントラーと変奏曲を作曲している」

 

ここでの弦楽四重奏曲とは、第13番『ロザムンデ』のことであろう。いかにも健康を快復したかのようにシュヴィントは記しているが、この第13番を聴けば彼の報告は上辺だけのことであり、シューベルトは自分が全快の望みがないことを充分承知している様子が伝わってくる。翌3月になると、第14番『死と乙女』が作曲される。この弦楽四重奏曲も、同じく絶望の中から生まれたものである。叙情性を強調した第13番とは異なった視点から自分の運命を捉えたこの曲は、シューベルトの全作品の中で最も愛される作品の一つとなった。この作曲と平行して、彼の日記に驚くべき言葉が残されている。これらはシューベルトの「詩人哲学者」としての側面を伝えてくれると同時に、彼の作品への手がかりも示唆してくれている。

 

2楽章

歌曲『死と乙女』による主題と変奏曲。元々、歌曲『死と乙女』はニ短調で書かれていた。第14番の弦楽四重奏曲も同じニ短調で書かれているが、この楽章ではト短調が用いられている。また、24小節の主題のうち、第916小節は歌曲にはない。シューベルトが、この主題にダイナミックな8小節を付け加えたのも、大変興味深い。

 

「死」というテーマは、常にシューベルトにつきまとっていた。この作品において、彼は『死と乙女』のテキストから、更に進んで「死」についての自分の思いを展開することができたのだろう。

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