2019/07/04

日代の宮二之巻【景行天皇二】(4)

源平盛衰記【四十四】に、日本武尊の錦の燧袋のことを言っているところで

「今の世にも、人の腰の刀に錦の赤皮をさげて『燧袋』と呼ぶのはそのためだ」【新井氏の「軍器考」に「火打袋を着けることは・・・寛正の頃の記録に、足利殿の腰の物にも、こういう物が着けられていたことが見える。・・・織田殿のころまで、この物のことが見えるが、今はそういうものを作ることはなくなった」

とある。

 

またある書物に

「採桑老の舞(雅楽の一つ)の図に、老翁の面をかぶり、狩衣のようなものを着て、腰には『さすが』とでも呼ぶようなものの態に袋を結わえ付けて、『火打袋』と呼ぶと伶人(雅楽を奏する人)の家で言い伝えている。天皇の御しるしの宝剣にも、火打袋といって赤地の錦でこしらえた袋のようなものを、鞘に結わえ付けてある」

と言う。

 

またある書には、今の世で「巾着」というものは、火打袋が変形したものであるとも言っている。】などがある。今の世にも倭建命の火打袋をかたどったとして伝えたものがいろいろある。中には本当に古い形のように見えるものもあるが、それがそのまま倭建命の持っていた袋の形とは信じられない。【中には、最近になって古いもののように装って作ったと思われるものもある。

 

○ある本に、延喜式の「尾張国愛知郡、日割御子(ひさきみこ)神社」は、この倭建命の火打を祭っていると言う。どうなのだろう。】

 

○「先以2其御刀1(まずそのミハカシもて)云々」。「先(まず)」とは、火を打ち出すために、まずこうしたというように聞こえるだろうが、そういうことではない。前の文に「袋の中に火打があった」と言うから、それに続いて火を打ち出すところだが、それに先立って、という意味である。

 

○「苅=撥2草1(くさをかりはらい)」というのは、向こうから燃えてくる火を身辺に近づけないためにしたのだろう。【近くに草がなければ火はそれ以上近づかないからである。】書紀に「一にいわく、王の佩いていた叢雲(むらくも)という名の剣が、自分から抜け出て、王の付近の草をなぎ払い、それによって難を免れた。そのためその剣を草薙と名付けた」とあるのもその意味である。【単に草をなぎ払っただけでは、それで免れることができたというのは理解しにくい。これも草をなぎ払ったので、火が近くまでは燃えてこなかったため免れたのだ。だがこの「剣が自分で抜け出て」というのは、この記とは伝えが異なる。】

 

この記には、こうして草をなぎ払ったために草薙と名付けたことは出ていないが、伝えが異なるのか、特に理由はなく、その文が抜けただけなのか、よく分からない。【書紀でも、ここの本文には草薙の剣のことは出ていない。神代の巻にも、「日本武尊の時に草薙劔と名を改めた」という記事は、あくまで一説として書かれている。この記でも後の文には「その御刀の草那藝の劔」とあるのに、ここでは単に「その御刀」としか書いていないから、別の刀という疑いもないではない。

 

しかしここでは、続く文に「草をなぎ払い」とあるから、「草那藝の劔をふるって」などと書くと、同じ言葉が重なって煩わしくなるので、単に御刀とだけ言ったとも考えられるが、それならますますその後に「このため草那藝の劔と呼んだ」という文がなければならない。だからその文が脱けているのかと言ったのである。もし脱けたのだとすると、この記の伝えもこのことによって草那藝の劔と名付けられたわけだ。

 

だが脱けたのでなく、初めからそういう伝えがなかったのなら、「草那藝」という名は「大葉刈(おおばかり)」や「天繩斫(あめのはえきり)」のように、その刀が鋭かったということを表現したに過ぎない。それならば、草をなぎ払ったことによって名付けたという説は、草を刈り払ったこともあるので、それによって唱えた説のようにも取れる。だがやはり本来の伝えの一つなのだろう。

 

この草薙という名のことを「実は青人草を払い平らげた(人を大勢殺した)ことの喩えである」などという説は、例のなまさかしらな漢意の解釈で、論ずるに足りない。駿河国風土記にも「草は主のない土地に生える。この葦原には、天孫降臨以来、草叢の神がいなかった。だから天孫降臨の後に『草薙』の名がある。・・・一説によると日本武尊は東夷を征伐に行く時、駿河の国に到って、浮島原と阿部の市の東夷が尊を欺いて、御廣野で狩をさせ、その間に火を放った。時は十月、冬枯れの草に着けた火は、まるで油を塗ったように激しく燃え、煙はすみやかに尊の軍を包み込んで、危機に陥った。このとき尊が帯びていた叢雲の劔は、ひとりでに鞘から脱け落ち、野火を払った。これによって『草薙』の名を付けた、と言うが、これは大きな誤りである」と言う。この風土記はやや後に成立したもので、仮名にもところどころ誤りがあり、信じがたい点が多い。この草薙という名を論じたのも、例の漢意による解釈である。】

 

延喜式神名帳に「駿河国有度郡、草薙神社」、【上記の風土記では、この神社は天照大神を祀ると言い、草奈岐という地名、また草薙山という名も挙げている。】「廬原郡、久佐奈岐神社」がある。【風土記には、「稚足彦天皇(成務)の元年に初めて官幣を奉った」と言い、東草奈岐という地名を挙げている。】

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