2012/04/28

危機一髪(歯医者地獄)(2)

さすがに評判高いだけあって、H医師の腕はよほど素晴らしかったのかもしれない。その後長年の間、歯の痛みだけでなく、なんらかの問題が生じることは殆どなかったのである。

 

(あの先生、よっぽどしっかりと治してくれたんだな・・・)

 

と思っていた。

 

それ以降、本格的な歯の痛みを感じたのは実にン年ぶりで、東京に移住した後のことだ。以前なら、迷わずH医院に駆けつけるところだったが、今度はそうはいかない。今の住居から最寄の吉祥寺の駅まで歩くと、10分程度の道程に目に付くだけでもざっと10軒は歯医者の看板があり、また駅の周辺にはその数倍の歯医者があるのだろうから、歯医者に困ることはなかったが、逆にこれだけあると、どこへいけばいいのか迷ってしまう。おまけに近所付き合いがまったくないだけに、かつて住んでいた田舎のように、どこそこの先生は腕がいいとか、どこそこはヤブだというような評判は、どこからも聞こえてこなかった。

 

ともかく例によって痛みが限界に達するまでは、なんとか我慢してやり過ごそうとしながらも、ネットのクチコミを漁っていた。クチコミは、どれもがやらせのような感じを受けたものの、その中で唯一mixiのコミュニティで信用できそうなものがあって、これは書き込みも数百件と多いが悪いこともたくさん書いてあるという、内容もリアルで信憑性が感じられた。その中から、評判の良い医院を数件ピックアップしておく。そうしながらも

 

(自然に痛みが消えてくれればいいが・・・)

 

という願いも空しく、ある日の夕食でトンカツを噛んだ瞬間、飛び上がりそうなくらいの激痛が走り、ここで遂に覚悟を決めた llllll(-_-;)llllll ずーん

 

ところが「さすがは東京」で、あたりをつけていた評判の医院は、どれも1ヶ月も先まで予約が一杯だというではないか (  ゜ ;)エッ!!

何件か当たってみて、ようやく当日の予約が取れる歯科を見つけて、実にン年ぶりの歯科通いが始まったのである。

 

例によって最初にレントゲンを撮ったが、ともあれ激痛のあるところを応急的に治してもらうと、予想した通りの言葉を掛けられた。

 

「どうしますか・・・?

この際、悪いところは全部治しますか?」

 

本音は痛いところが治ればそれで充分だったが、考えてみれば前回の徹底治療からすでにン年も経っているだけに、この際徹底的に見直してみるのもいいかと思い事情を話す。

 

医師の話では「今回治したのとは別にもう一本虫歯があり、まずはそれを治すことが必要」

 

とのことだ。ただし

 

「その虫歯の斜めに八重歯のような余計な歯が生えているため、それが治療の妨げになる」

 

という。

 

「その歯が治療の妨げになるばかりか、今回治しても同じ歯が再度虫歯になりやすい環境であるため、この際抜くことを推奨する」

 

という結論だった。

 

「健康な歯を抜くことには害があるが、今回抜こうとしているのは正規の歯ではなく、八重歯のように変なところから生えている要らない歯である。要らない歯でも真っ直ぐに生えていれば問題ないが、これが斜めに生えて正規の歯に被さって悪影響を与えているため、虫歯だけ治しても虫歯になりやすい環境の根絶にはならないから、抜いた方が良いと思う」

 

というのは医師の見解で、確かに理屈は通っていた。

 

医師の計画では

 

「まず、この虫歯を治すこと。その後は、ン年前に治療したというところの数本に被せてある金属を取って状態を見て、必要なら洗浄などをした方がいいかもしれない。  ただし、これは今のところは必須ではない」

 

ということで、例によって数ヶ月は通うハメになりそうな雲行きと成っていた。

 

ともあれ推奨にしたがい、まずは虫歯治療の妨げとなっている「余計な歯」を抜くことから始まったが、これが予定外に難航した。抜歯後に汗がだらだらと流れて、目の前が真っ暗になって来た。貧血症状だ。

 

(これは、やばいかも・・・)

 

と思う意識も、段々と遠のいていった。しばらくすると、ようやく汗が止まって意識もうっすらと戻ってくる。

 

「大丈夫ですか?

無理しないでくださいね・・・そのまま、回復するまで寝ていてくださいね・・・」

 

と、医師が声を掛ける。実際には数分だったろうが、なんとか正常な状態に戻り

 

「もう大丈夫です・・・」

 

と起き上がると

 

「もう少し寝てた方がいいですよ・・・無理しないでください」

 

と、医師は気遣った。

 

「抜いた後で出血がありますが、5分か10分もすれば止まりますから。来週には抜いた後の穴が塞がっているので、虫歯の治療をしましょう」

 

という話だったが、薬局で止血剤を貰って家に帰っても30分以上は出血が止まらなかった。そして、予定通りに翌週は虫歯の治療をした後、歯石を取った。これもン年間、溜まっていたから結構な時間がかかった。

 

ともあれ、こうして治療はひと段落し、後はン年前の治療で被せたままになっている奥歯の被せ物を取って、中を調べるのをやるかどうかというのが残っている状態になった。これは今まで放置していただけに、特に急ぐ必要もないということもあったので、少し間を空けて再度連絡をするということにしたが、その後は忙しさや面倒に紛れて結局、そのまま何も手を着けずに終った。基本的に、やはり痛みなど切実な必要性がない場合は、足が向かないことに変わりはないのである。

2012/04/26

奈良(2)

 出典https://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/hozonpage4.htm

 

奈良の語源=「均(なら)す/平(なら)す」の「なら」=「平(なら)な土地」という意味は古典にありますし、有名な歴史事典や国語辞典の類では総てそうなっています。一方、韓国の反日家やそれに連動する日本人の「韓国語源説」には、文献史学の裏付けも考古学の裏付けも無いと感じております。朝鮮最古の文献とされる『三国史記』の刊行は『日本書紀』とは比較にならないほど新しいのですが、それにすらも「日本の奈良の語源はナラである」とは書かれていない筈です。おそらく、もっと新しい江戸時代の文献にも書かれていないでしょう。また考古学からの知見も聞いたことがなく、もしそのような史料があれば韓国の反日家が大声で言っている筈です。

 

奈良の語源の話が『日本書紀』の崇神紀にあります。卑弥呼の有力候補とされる倭迹迹日百襲姫命が、朝廷の危機を第十代崇神天皇に予言した後の戦いの場面です。現奈良市の低い丘陵地帯の戦いだったらしい。以下に引用してみます。

 

「爰以忌瓮、鎮坐於和珥武※坂上、則率精兵、進登那羅山而軍之。時官軍屯聚、而※※草木。  因以号其山曰那羅山。  ※※、此云布瀰那羅須」

 

書き下ろし文にします。

 

「爰(ここ)に忌瓮(いはひべ=神聖な瓶(神酒を入れて下部を地中に埋めて神祭りをする)を以(も)ちて、和珥(わに)の武スキ坂(たけすきのさか=和 珥坂ともいう(「スキ」は「金」偏に「操」の右側の字。現天理市の北端(現奈良市のすぐそば)にある坂。ここで神祭りをして出陣の門出を祝った。

 

和珥は、この辺りを根城にして古代の豪族の上に鎮坐(す)ゑ、則ち精兵(ときいくさ)を率(ゐ)て、進みて那羅山(ならやま=現奈良市北方に東西に横たわる低い丘陵地帯)に登りて軍(いくさだち)す。時に官軍屯聚(みいくさいは=多く集まるの意)みて、草木を※※(ふみなら=足踏みする。布瀰那羅須は踏平)す。因(よ)りて其の山を号(なづ)けて那羅山(ならやま=那羅山は地名であるが、山を踏み平(な)らしたのでそういうとは、付会的地名説話)と因(い)ふ。

※※此(ここ)には布瀰那羅須(ふみならす)と云ふ)

 

訳文

(忌瓮を和珥の武スキ坂の上に据え、精兵を率いて、進んで那羅山に登って陣営を張った。その時、官軍は群れ集って、草木を踏みならした。それで、その山を那羅山という。蹢跙は、ここでは踏みならすという)

 

『時代別国語大辞典・上代編』では「蹢跙」について「足をとどめる、たたずむ、進まぬ様子」などで、一箇所にじっとしていることから「ならす」に当てたものとしています。また同辞典の「ならす」の漢字は「平らす」で、意味は「平にする」とあります。戦争の場面での語源説話は、古代史によくある付会的地名説話ですから、そのまま史実にはできませんが、奈良という地名が「均(なら)された/平(なら)な土地」から来たことが、当時の日本人学者の常識だったことを示しております。

 

奈良の都を《平城京》といいますが、この「」は「奈良」に通じているわけです。どちらも「均(なら)す」とか「平にする」といった上品な意味です。また『万葉集』で「平にする意味を万葉仮名の奈良で表している」歌を記しておきます。

 

於保吉宇美能 美奈曽己布可久 於毛比都都 毛婢伎奈良之思 須我波良能佐刀(大き海の水底深く思いつつ 裳引き「なら」しし菅原の里)

 

安乎楊木能 波良路可波刀尓 奈乎麻都等 西美度波久末受 多知度奈良須母 (青柳の張らろ川門に汝を待つと 清水は汲まず立処「なら」すも)

 

つまり「均(なら)す」の「なら」を「奈良」と書いております。これらの古典から、地名の「奈良」が「均(なら)す」「平(なら)す」「平(なら)な土地」から来た蓋然性は、きわめて高いと思われます。「平坦な住みやすい場所」という意味でつけられたのでしょう。

 

一方、ハンナラのナラから奈良が出来たという説を論証する古代の文献が無いことは、朝鮮問題に詳しい解法者さんが言及しておられます。古文献もなく考古学的証拠もなくて、どうして奈良の語源が朝鮮語などと断言できるのでしょうか。もし、それが言えるのだとしたら「朝鮮語のナラの語源は、日本の都の奈良である」とも言えることになるでしょう。

 

「奈良」は古典では、那羅、乃楽、平城、寧楽、諾楽、楢、奈良など色々な漢字で書かれておりますが、みな当て字(仮名)であり、漢字そのものには意味がありません。前記の『万葉集』に「ならす」を「奈良須」と書いてありますように「奈良」は万葉仮名でもあります。

 

歴史辞書によると、この表記が定着したのは、平安京になってからだそうです。《平城京》ができた時は「平城」と書いて「なら」と読んでもいたようです。平安時代の人たちが「均す」の万葉仮名の一種である「奈良須」の奈良を使ったのは、やはり語源が「均す」、「平らす」から来ていると考えていたからでしょう。

 

もう一つの説として、楢(なら)の木が生えていたからというのがあるようですが、支持する人は少ないようです。


ポリネシア語による解釈

出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

《大和国の奈良(なら)は、那羅・乃楽(『古事記』、『日本書紀』)、奈良(『万葉集』、『三代実録』)、平・寧楽・名良・楢(『万葉集』)、平城(『万葉 集』、『日本書紀』、『続日本紀』)等とさまざまに表記されています。

 

この語源は、『日本書紀』崇神紀109月条に「草木踏み平(なら)す。因りて其の山を号(なづ)けて那羅山と曰ふ」とあり、緩傾斜地を指すというのが通説です。

 

この「なら」は、ハワイ語の「ナラ」、NALA(to plait)、「(布の)皺を伸ばした(ような土地)」  の転訛と解します。

2012/04/05

スランプ(プロジェクトJ)(4)

ところで肝心の詳細設計書の方だが、実はこれが難航していた。正確には「難航」というよりも、全く書けなくなっていたのである。

 

(そんな馬鹿な・・・あれだけ高品質の開発計画書を作った俺に書けないわけがないではないか!

なにも難しく考えることはない。あの続きを書けばいいだけなのだ・・・)

 

と自らを叱咤するも「あの続き」が、どうにも書けないのである。

 

それでも期日は決まっているから、どにもかくにも無理やりにでも書き始めたのだが、どうにも筆が進まぬ。こうして苦闘しているうちに「なぜ書けないか」の原因がわかって来た。

 

そう、「書けない」のではなく「書くことが無い」のだ。では、なぜ「書くことが無い」のかといえば、それは開発計画書にすべて書ききってしまったから・・・

 

いまさら気付いてみれば「開発計画書」というのは基本(概要)設計書的な位置づけであるが、その開発計画書にあまりに細かいことまで書いてしまったため、詳細設計書作成の段になって、ここで描くべきことをすでに開発計画書で描き切ってしまっていたことに気づいた。そうなのだ、あの開発計画書は基本設計と詳細設計の1冊で書ききっていたのである。だからこそ、あれだけの高品質が実現したのであり、高い評価も得られたわけだ。

 

そうなのだ。あの時

 

「開発計画書を作成してください」

 

と言われた時に「基本設計書を作ってください」と言われていれば、当然のことながらその先に「詳細設計書作成」というタスクが控えているというイメージが出来上がっていたはずだったが、現実は「開発計画書」というネットワーカーの自分としては耳慣れない名称だったため、この後に詳細設計書作成のタスクが続くということは全く念頭になかった。

 

ネットワークチームでタバコを吸うのはワタクシとK氏のみである。ということは、当然ながら狭い喫煙所のスペースでK氏と顔を合わせる機会は多いから、ある時

 

「いやー、詳細設計書の作成が難航してますよ・・・開発計画書にすべて書ききってしまったので、今更欠くことが無くなってしまって・・・参った」

 

とぼやくと

 

「ああ、そうですね・・・あの開発計画書は、内容的にだいぶ細かったからねー。書くことなければ、あれは詳細設計書も兼ねているってことでいいんじゃないの?」

 

と、ひそかに期待した助け舟を出してくれる気配すらなかった。

 

当然ながら、元請けS社のNリーダーやT君からも

 

「タイミング的に、そろそろ詳細設計書のレビューをしないとですが・・・作成状況は、どんなもんでしょうか?」

 

と聞かれ

 

「それが、難航してましてね・・・」

 

と苦し紛れに答えるしかなかったが

 

「まあ、とにかくできるとこまでで良いので書ききってもらって、まずは我々でレビューしましょう」

 

と、無理矢理レビュー日程を決められてしまった。

 

まあ、我々技術者には「納期」があるから、苦しみながらもとにもかくにも納期までにどうにか体裁を整えるところまでは持って行ったが、内容の薄さは否めない。開発計画書で触れなかったネタを探して、無理矢理水増ししたような内容のものが出来上がった。

 

後から振り返って見れば、あれで良くレビューに出したものだと汗顔の至りではあるが、その時は納期に間に合わせないといけないという事情もあるから

 

「一応、それなりに見られるレベルにはなったはず・・・」

 

という勘違いもあった。

 

「なにしろ、この前の開発計画書が細かいところまで書ききってしまったせいで、どうも書くことがないような状態で・・・ほかに何を書けばいいでしょうかね?」

 

と聞いてみたものの、T君からもK氏からも

 

「こういうことを書いたら?」

 

というアドバイスは出ずに

 

「ともかく時間もないので、一旦これでSさんレビューに出してみましょう。レビューすれば、なにかこういうことが足りないとかの意見が出るかもしれないので・・・」

 

と、リーダーN氏にせかされるようにして、渋々ながらユーザー担当者のS氏レビューに進むことになった。