2004/08/31

御三家の超越

 春。
入学後の浮ついた空気がようやく落ち着きを見せ始めた頃、いよいよ第1回目の試験が行われ、終了後には早速、廊下に上位10人の名が貼り出された。

すっかり親友となったシゲオと何気なく教室を出ると、向こうからクラスメイトが興奮気味にやって来た。

「オイ、にゃべ!
オマエって、スゲー賢かったんだな?」

「ん・・・?」

「まさか・・・オマエの名が、貼り出されているのか?」

と、目を白黒させるシゲオ。

「なんだろう・・・」

と不思議に思いながら二人で足を向けると、まだ結果が貼り出されたばかりとあって、掲示板の前は黒山の人だかりが出来ていた。

「あっ、にゃべ!
やっぱ、アンタって凄いね・・・」

と、人だかりを縫っていつの間にやら千春の姿と、横にはあの真紀の懐かしい姿もあるではないか!

「にゃべ、久しぶりー」

「おー、オーミヤかー。ホント、久しぶりだなー」

「元気にしてたー?」

「まあな」

推薦面接でチラリと言葉を交わしたとはいえ、実質的には中1時代以来、2年ぶりに再会した真紀だ。元々、大人びたところがあったが、色白の顔は一段と女らしさを増していた。

「しかし、さすがねー・・・ちょっと、早く見てよー」

と千春のソプラノに促されるように、沢山並ぶ頭越しに見た順位表には、なるほど上位10人の名の中に「にゃべ」の名が、麗々しく貼り出されているではないか。

(にしても、3位のテンカイってのは、どこかで聞いたような名だ・・・)

3位のテンカイさんって、ウチらのクラスのコだよね?」

燦然と輝く「天海摩央」の名前には、確かににゃべにも見覚えがあったが

(確か、女子の委員長?)

などと思いを巡らせていると

「よーよー、5位とは、さすがじゃねーか・・・」

という声とともに後ろからポンと肩を叩かれ、振り返るとそこにはムラカミの姿が。

かくて『A高』最初のテストで、学年3位の摩央に次ぐクラス2番となったにゃべである。

(なんだ・・・学区トップの『A高』といっても、全然大したことはねーじゃん!
まったく勉強してないオレが5位だからな・・・ちょっと勉強すれば、すぐトップになれるんじゃ?)

と、学力考査7位に次ぐこの結果に、すっかり有頂天となった。

ところで学年3位に輝いた摩央だが、元々「天才」の誉れ高いことから女子委員長に選ばれるなど、その知名度は際立っていたとはいえ「美少女好み」のにゃべ始め、男子生徒の注目が学年で一、二を争う美形の白椿茜嬢に集中していたことは言うまでもない。

決してブスではないが、さりとて「美少女」とは呼び難い摩央に対するにゃべの関心が、この時点で薄かったのは無理からぬところで

(このあか抜けない女が学年3位ってのは、なにかの間違いか単なる大マグレに違いない・・・)

と、勝手に決め付けてしまった。

一方、堂々の学年トップに輝いたタカミネこそは、男子にはまったく興味がない自分を以てしても、ひと目で惚れ惚れと仰ぎ見てしまう男だった。

まず、180cmを超える長身からして目を惹くが、水も滴るような甘いマスク、さらには医者の息子というに留まらず、地元では有名な伝統的な医師家系の御曹司と、まさに絵に描いたような超逸材だ。「名は体を表す」と言う通り「鷹峰隼」というのは、まことにこの男のために誂えられたような名前と言えた。

学年2位のカトーは、さすがにタカミネほどは目立たないとはいえ、やはり見るからに利発そうなタイプの男で、シゲオと同じ地元A市に5つある中学では、最大規模の『A中』の出身だ。A学区は『A高』には最も近く、カトーの家は『A高』まで僅か5分という近さだ。

このカトーは、A市の読書感想文コンクールの入賞常連だっただけに、その名は以前からよく目にしていた記憶があった。改めて調べてみると、小学6年(高学年の部)での「最優秀賞」を筆頭に、4年生(中学年の部)で「優秀賞」、そしてなんと1年生(中学年の部)にして既に「最優秀賞」に次ぐ「優秀賞(主席)」を獲得していたところからも、早熟な天才性が伺える。最も記憶に新しいのが前年の「中学生読書感想文コンクール」で、にゃべと並んで「銀賞」を獲得しており、この時の表彰式では隣に並んでいたから顔にも見覚えがあった。

ところで、入学直後の学力考査の「学年7位」に続き、この第一期定期考査が「学年5」という結果を受け

(『A高』と言っても、まったく大したことなかったな・・・まったく勉強などしてないのに、この順位だからな。やっぱ『東海』へ行っとくべきだったか・・・)

などと安易に結論付けそうになったものの、順位表には合計点数も記載されている。で、よくよく見直してみると、この「トップ3」の点数というのが、4位以下とはまったくかけ離れて群を抜いていた!

さらにこの「トップ3」は、入学時に行われた学力考査においても、上位3席(この時はカトー、タカミネ、摩央の順で)を占めたことからも、どうやら突出した存在と見られた。

ところで『A高』での東大合格ラインは、おおよそ10番くらいまでが目安と言われていたから、この時点では自分も「東大合格ライン」と言えたが「トップ3」に至っては、東大法学部も余裕レベルでまず疑いなかった。

聖地アテネの祭典に幕(アテネオリンピックpart15)


 史上最高のメダルラッシュに沸いた、アテネ・オリンピックが終わりました。

初日の柔道アベック金ですっかり勢いづいた日本は、前半戦の柔道・競泳を中心とした目を瞠る快進撃によって、終わってみれば

金16.銀9.銅12

という、過去最高の素晴らしい結果を残しました。

期待通りの二大会連続の金メダルを獲得した柔道のYAWARAさんを筆頭に、三大会連続金メダルという前人未到の偉業を成し遂げた野村選手。そして締めくくりの鈴木選手は冴えた技のキレで「柔道ニッポン」の復活を強く印象付けたのは、まだ記憶に新しいところです。

さらに、圧倒的な強さで二冠を達成した競泳の北島選手。史上最も過酷といわれたマラソンコースを、見事な走りで制した野口選手。また彗星の如く現われ、鮮やかに金を浚っていったような競泳の柴田選手。そして体操ニッポンの復活を告げる男子団体の金メダル。

逆に日本選手団のキャプテンにも抜擢され、大いに期待されながら呆気なく敗れ去った柔道の井上選手と、昨日採り上げたプロ野球の代表チームは最も期待外れであり、また騒がれただけで予想通りの惨めなテイタラクで実力のなさを天下に知らしめた男子サッカーと女子バレーボールには目を覆うばかりでしたが、総体的には非常に見どころの多い大会だったと言えるでしょう。

その四年に一度の祭典も、昨日の男子マラソンを最後に幕を閉じました。波乱の大会に相応しく、締めくくりのマラソンでは前代未聞の狼藉モノが現われるというとんだはプニングにも見舞われましたが、とにもかくにも無事に日程を終了した選手の皆さんには、(結果を残せなかったヤツも含めて)お疲れ様と労ってあげたいところです。

以上が連日のように深夜までテレビに張り付いていた、五輪オタクのワタクシの雑感でした。

J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲(第6番)



6番 ニ長調 BWV1012

この曲は、通常のチェロに高音弦(E弦)をもう1本足した5弦の楽器用に書かれている。その楽器とは、バッハが考案したともいわれるヴィオラ・ポンポーザだとする説もあり、近年復元され度々演奏会で使われるようになった。この楽器は、ヴァイオリンのように肩にかけて弾く小型のチェロ(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)で、音域もチェロと同じである。その他古楽器による演奏では、やや小振りで足に挟んでかまえるチェロを使用する例が見られるが、実際にバッハがどのような楽器を想定していたかは分かっていない。現代楽器では、一般的なチェロで弾かれることが多い。高音部を多用しており、現代チェロで弾くと緊張感の高い音色となる。4弦の楽器で演奏するとハイポジションを多用することになり、演奏が難しい。

 今では「無伴奏チェロ組曲」は「チェリストにとっての聖書」とされるだけではなく、数あるバッハの作品群の中でも特に重要とされる名作と認められている。

 タイトルの通り、たった1台のチェロで演奏されるが、音を重ねて弾く重音奏法などにより、多彩な表情を見せる重厚な作品である。
 
この組曲は、18世紀前半に作曲されたと見られているが、20世紀前半まで200年もの間、ほぼ忘れ去られていた。それまでの200年間は、誰もがバッハの真の意図を理解することが出来ず、精々「単なるチェロの練習曲」程度にしか見られていなかったのである。

 20世紀に入ると、当時13歳だったチェリストのパブロ・カザルスが、この作品の古びた譜面をマドリッドの楽譜屋で偶然手にした。ここから事態は一変、いや「音楽史が変わった

 カザルスと言えば、多彩な表現を生み出すための現代的なチェロの奏法を編み出した天才である。とはいえ僅か13歳にして、それまで200年もの間、誰ひとり見抜くことのできなかった、この曲の持つただならぬ真価を察したというから、まことに恐れ入る。カザルスは、その後密かに10年にわたって研鑽を積み、満を持して開かれた演奏会は音楽界に衝撃を齎した。

 「単なる練習曲」であった「無伴奏」が「立派な芸術作品」として扱われた最初の瞬間であり、と同時に「単なる伴奏のための楽器」と捉えられていたチェロを「立派なソロ楽器」として確立させた瞬間でもあった。

 このエピソードが物語るように、いかな名曲でもそれを正しく解釈した上で演奏してみせる演奏家がいなければ世に出ることが出来ず、逆にまたいかに超人的な名演奏家が居ようとも、リスナーの心に訴える名曲がなければ宝の持ち腐れなのである。

 実はバッハには、これに似たエピソードがヤマほどある。死後、長い年月が経過してから世に出た作品が多いのは、上記のようにバッハの真の意図するところを正しく理解した上で、解釈通りの演奏が可能な演奏家が極めて少ないからであろう。

 単に楽譜に書いてある音符を音にするだけなら誰にでもできるが、それでは「Classic音楽」ではない。作曲者の意図を理解、咀嚼できる高度な知識や音楽的頭脳と、それを正しく表現できる高度な才能や技術が必要とされる。こうしたことから、バッハは「演奏家を択ぶ作曲家」と言われるのである。

2004/08/30

プロ野球・五輪代表のヘッポコ(アテネオリンピックpart14)


 プロの主力選手で固めた野球日本チームが“格下”オーストラリアに2度も負け「まさかの銅メダル」に終わった。勝負だから勝ち負けは仕方がないという意見もあるが、そんな甘っちょろい事を言っている人や日本代表の戦いを高く評価している人たちにとっては、ここから先は読むに耐えないと思われますので、この場で早々にお引取り願います。

胸を張って帰れる

とか寝言をほざいていた中畑ヘッドコーチを始め、多くの選手たちも

「持てる力を出し切った」

「ファンには喜んでもらえたと思う」

といったコメントを聞いて

(なんだ、コイツラは・・・これでもプロなのか・・・?)

と、憤りを感じたのはワタクシだけでしょうか。

そりゃ、ねーだろ?
アンタラ、プロでしょ?
プロは結果が総てなんだろ?
給料、何ぼ貰ってんの?

野球の技術で、年間に数億円という天文学的な評価をされているプロの集団として、新参者のオーストラリアなんぞに2度も負かされて、プロとして恥ずかしくないのかい?

60年の歴史を誇るプロ野球の伝統を引き継ぐものとして、世界中が注目する国際舞台で「野球後進国」のオーストラリアなんぞに2度も負けて、プロとしてのプライドが保てるのか?

繰り返しますが「ドリームチーム」とか言われる彼らの殆どは、年俸ン億円という同年代のサラリーマンの目玉が飛び出るような、ン十倍の報酬を手にしているのである。

勿論、彼らが10億の年収を手にしようが20億を手にしようが、それは彼らの実力を評価した企業との契約なのだから、外野が文句をつける筋合いではない事は百も承知の上である。だから、実際のゲームでは三振ばかりしていようが打たれてばかりいようが、我々部外者としては

(何やってんだー、こらー!)

と、酔っ払ってテレビの前で悪態をつくのが関の山であった。

しかしながら今度のように「日本代表」として、我々貧しい薄給の身の懐から搾り取られていったお金をジャブジャブと使ってアテネくんだりまで日の丸を背負って行くからには、ヘッドスライディングや全力疾走といった「普段は滅多にやらない一生懸命さ」をアピールするだけでは、絶対にダメなのである。

かくいうワタクシとて、たかが月収数十万とはいえ「プロ」と言われる技術者の端くれとして

「プロは、結果が総てだ!」

と、クライアントから何度高飛車な調子で訊かされたことか。そんなワタクシからすれば

ヘッドスライディングなどやらんでもえーから勝って来いやー!

チンタラ走っててもえーから金メダルを獲って帰って来いやー!

というのが偽らざる本音である。プロ野球の歴史とプロ野球選手の地位や世界的な評価(年俸)を考えるなら、アメリカがメジャーを揃えて来た時のチーム以外には、どうあっても日本が負ける事があってはならないのである。

 今回のメンバーの中では、実質的には一流プロのオールスターのようなキューバはともかくとして、その他のチームに負けるなどは考えられないことで、ましてや(一度のマグレは例外として)同じチームに2度も負けるなどは、これはもう「実力負け」の赤っ恥を世界に晒しに行ったのか、としか言いようがないではないか。これでは我々が子供の頃から夢見ていたプロ野球選手というのは、国際的には所詮この程度のレベルだったのか、と結論付けるしかなかろう。

そもそも中途半端な感じで一流と一流半をごちゃ混ぜにした、このチーム構成がいけない。いっそアマチュアだけでやるか、プロで固めるのなら各チームから本当の超一流ばかりを集めろといいたい。例えば巨人は上原と高橋を出しているのに、阪神はなぜ井川や今岡を出さないのか。中日は岩瀬と福留を出しているのに、ヤクルトは何故川島とか岩村といった今季好調な選手を出さないのか。優勝争いをしているダイエーは大黒柱の城島を出しているのに、他のチームは何故出し惜しみをしているのか、というわけの分からない人選も問題だ。

柔道会場で、チャラチャラと嫁さんの応援で鼻の下を伸ばしていた谷や中村という、まったく打てそうにもないインケツ男を偉大な女房に気兼ねして(?)か、或いは過去の実績に固執してかいつまでも起用し続けたのも敗因として弾劾されなければいけないところなのに、甘っちょろい報道に終始しているマスコミは何考えてんのか・・・

予選に続いてオーストラリアに敗れた、準決勝での松坂投手のピッチングについて「1点に抑えたんだから、松坂に責任はない」という声が大多数を占めているようなのも、アホらしくて言葉がない。

言うまでもなく、他の球技同様に野球というスポーツも点取りゲームなのだから、幾ら良いピッチングで三振の山を築こうが相手投手よりも先に点を取られた投手に責任がないわけはない。ましてやメダルを賭けた大事なゲームなのだから、味方だってそう簡単に点が取れるべくもなく、先取点の重みは歴然なのである。勿論、雁首並べて一点も取れないヘボ野手陣の責任の方が、遥かに大きいのは言うまでもないが。

そもそも今回の「長島Japan」は、ミスターが丹精込めて作ってきたチームでもあり、そのミスターが倒れた時点で終わっていたのだ、と強引にも結論付けてしまうしかない。当初の予定では、この企画で五輪金メダルの代表チームを存分に称えてから、佳境に入ったペナントレースの熱い戦いとV争いの展望を綴っていく腹積もりでだったが、五輪野球での惨敗に加えメダルラッシュのアテネ五輪の裏に隠れ、まったく盛り上がりのなかったつまらないペナントレースは  

(プロ野球って、こんなにも詰まらなかったっけ?)

と、改めて再認識させられた。五輪期間中には、巨人戦視聴率が史上最低の4%台を記録したというのも当然の成り行きで、いよいよ球界再編が急務となってきたといえる。ちなみにセリーグのペナントの行方は89割方タナボタ中日で決まり、残るヘボ球団中で僅かに残された奇跡の可能性はヤクルトにほんの少しだけ、といったところでしょう。