2006/08/30

ボッケリーニ  チェロ協奏曲第9番

 


ボッケリーニは同時代のハイドン、モーツァルトに比して、現在では作曲家としては隠れた存在であるが、存命中はチェロ演奏家としても高名で、自身の演奏のためにチェロ協奏曲・チェロソナタ、弦楽四重奏曲にチェロを1本加えた弦楽五重奏曲を多く残した。その作風は優美で時に憂いを含むものであり、ハイドンとの対比から「ハイドン夫人」と呼ばれることもあった。

 

ボッケリーニはハイドン、モーツァルトと同時代の作曲家でありながら、彼らとは一味異なる独特な作風を固持しているといわれる。つまりモチーフの展開を中心としたソナタ形式を必ずしも主体とせず、複数のメロディーを巧みに繰り返し織り交ぜながら情緒感を出していくのがその特徴で、時としてその音楽は古めかしいバロック音楽のようにも斬新なロマン派音楽のようにも聞こえる。また後期の作品にはスペインの固有音楽を採りいれ、国民楽派の先駆けとも思える作品を作っている。

 

これは一つにはボッケリーニ自身が、当時まだ通奏低音に使われることの多かったチェロのヴィルトゥオーソであったため、自らを主演奏者とする形式性より即興性を生かした音楽を作ったこと、また当時の音楽の中心地であるウィーンやパリから離れたスペインの地で活躍していたことも、その理由として考えられる。

 

ボッケリーニの音楽史上の功績としては、室内楽のジャンル確立が挙げられる。弦楽四重奏曲と、とりわけ弦楽五重奏曲では抜きん出た量と質を誇っているが、ジャンル確立に欠かせない四声を対等に扱うという点では最初期の作品において十分完成されており、これは同時代のハイドンの作品群を凌駕している。ベートーヴェンの活躍以降、ボッケリーニのような形式をさほど重視しない音楽は主流とは見なされず、20世紀まで一部の楽曲を除き忘れ去られていたが、近年になりその情緒的で優美な作品を再評価する動きも出てきており、その中にはチェリストのアンナー・ビルスマもいる。

 

チェロ協奏曲第9番 変ロ長調 G.482は、ボッケリーニのチェロ協奏曲の中でも広く知られている作品である。ボッケリーニはチェロ協奏曲を13曲残している(番号付きは12曲、そのうち1曲は番号なしで偽作)

 

チェロ協奏曲第9番は1770年頃か1785年頃に作曲されたとみられているが、未だに不明である。また第9番は1895年にドイツのチェリスト、フリードリヒ・W・グリュッツマッハーが校訂・編曲し、校訂版が出てから広く知られるようになった。20世紀に半ばに行なわれたボッケリーニの自筆譜検証によって、第9番は異なる作品の楽章や断片を用いた「グリュッツマッハーの編曲作品」と認定された。編曲が巧みなため、特に「グリュッツマッハー編」と併記され、ボッケリーニの作品の中で最も演奏頻度の多い作品となっている。またチェロ協奏曲第7番もグリュッツマッハーが編曲し、第9番とともに広く知られている。また第9番は2種類の版があり、従来の版では第2楽章が他の協奏曲の転用だったが、1948年に原譜が発見されて以来、今日では原譜に従って演奏されることが多い。

2006/08/26

定期健診(2006年版)

 昨日は定期健診に行って来ました。初の半日ドックとなった昨年は、当日朝から足の関節が痛くて起きられないという状況の中、採血で原因不明の貧血を起こしてベッドの世話になるという、思わぬ醜態を演じたワタクシです。さらに眼圧測定では、何度も失敗した挙句にパスをしてしまうという失態を重ねました (*m*)ブブッ

昨年は自費で5万という痛い出費でしたが、今年は基本健診に加え眼科、歯科健診も総て市の負担(と言っても高い税金やら、月々ン万を優に超える保険料を払っているのだから当然だが・・・)です。去年の二の舞を演じないようにと、定時でさっさと引き上げて万全に備えていくつもりが、夕方になって現場でのある作業でプロダクトに障害がある事が明らかとなり、その調査とベンダー対応に追われる事になってしまった。疑惑はトコトン追及しないと気が済まない、現場責任者が例によって「原因が解明するまで、トコトンやらねば・・・」と張り切り始めた時は、既に定時を過ぎていた。

「取り敢えず、私は明日健診なので・・・」と食事だけは先に済ませ、リーダー格のM氏とワタクシが中心となって疑惑の解明に乗り出しました。必要な材料をベンダーN社に送りつける一方、幾つかのログを解析しつつ原因と影響を分析したのちに責任者と対策を協議し、テストパターンを何度か試すうちにようやくどうにか復旧させ、結局帰宅した時は22時くらいになっていました。

このところ続いている不思議な障害やら、某省からのワケのわからない依頼の対応で、この一週間の間に22時過ぎの帰宅が3回にもなった事もあり

(クソ! 今日は早めに帰って、明日に備えてまったりするハズだったのに・・・)

と、この日は呑まないつもりだった缶ビールをグビグビと・・・またしても去年に続いて、健診前日に呑んでしまったのであった ( ´∀`)タハ

続いて眼科健診。考えてみれば「眼科健診」はおろか、眼科医に行く事自体生まれて初めてのような気がした。とはいえ仕事は勿論の事、家に居る時を含めて寝ている時間以外は殆どPCディスプレイの前から離れないワタクシだから、人の何倍も目は酷使しているはずである。前回は、どうしてもうまく出来なかった「眼圧検査」が一発で決まると、その後はワケのわからない薄気味の悪い検査を無事に終え、こちらの方は直ぐに「所見なし」の結果が出たのだった (* ̄ー ̄)y-~~~~フ~

2006/08/23

ファリャ バレエ音楽『三角帽子』(3)

 


2組曲 隣人たちの踊り

サン・ホアン(聖ヨハネ)祭の夜に、近所の人たちが集まってきて踊るセギディーリア。  静かな曲ですが、とても雰囲気があります。

 

粉屋の踊り

粉屋が踊るファールカというアンダルシアの民族舞曲。ホルン、イングリッシュホルンによる序奏に続き、弦楽合奏で切れのよいリズムが出てくる。次第に熱気を帯び、最後の方はアッチェレランド(段々速く)で高揚していく。

 

この曲はギター独奏で演奏されることもよくあるが、ギターだとまさにフラメンコという感じになります。

 

終幕の踊り

バレエの最後に踊られる曲。悪代官を凝らしめることができたと、村人たちが喜ぶホタという舞曲です。華やかな踊りが延々と続く。

2006/08/22

ファリャ バレエ音楽『三角帽子』(2)

 


ファリャはスペインを代表する作曲家ですが,その代表作がバレエ音楽「三角帽子」です。

 

この曲はストラヴィンスキーの「春の祭典」などのバレエ音楽と同様、ロシア・バレエ団のディアギレフに依頼されて、第1次世界大戦中に作曲された。原作は、スペインのアラルコンの同名の小説「三角帽子」である。初演は舞台装置・衣装はピカソ、指揮はエルネスト・アンセルメ、振付はレオニード・マシーンという豪華メンバーで大成功を収めた。

 

物語のあらすじは、以下の通り。

悪代官が美しい粉屋の奥さんに手を出そうとするが、反対に川に落ちたりしてなかなか上手くいかない。粉屋の旦那さんの誤解もからまったり、代官と粉屋の衣装が入れ替わったりしてドタバタするが、最後には悪代官は恥をかいて逃げ出し、粉屋夫婦も仲直りをする。

 

「三角帽子」というのは、代官の被る帽子のことで「権力の象徴」と言える。この曲の中から主要な曲を抜粋したのが、第1組曲と第2組曲である。演奏会では組曲版が演奏されることが多いが、レコーディングの方はCD時代になってからは全曲版を録音することが多くなっている。

若き血潮の躍動(後編)

 そして決勝戦・・・日曜日だけに週に一度しか通えない、フィットネスに通う日だった。普段なら午後3時ごろに家を出るが、1-1のまま白熱の投手戦で延長に入るという、(『早実』贔屓の)ワタクシ的には期待以上の好勝負である。

延長となると、三連投の『早実』エースの疲労と『駒苫』の驚異的な粘り強さを考えるなら、正直なところ

(斎藤投手が、どこま持ち堪えられるか・・・)

という気がしていたが、蓋を開けてみれば斎藤投手の力投で白熱の投手戦となり、結局11回当辺りまで見たところでフィットネスクラブへと向かった。

フィットネスクラブに着いて、しばらく後にTVに目をやると 引き分け再試合の結果とスコアが画面に映し出され、ちょっとした人だかりが出来ていた。

この試合中を通して感じていた事だが、何が起ころうとも水のような冷静さを決して失わない、いかにも都会のお坊ちゃん然とした、あのおっとりとした顔からは想像もつかない『早実』エース・斎藤投手の肉体的、精神的な強靭さこそは真に驚くべきである。

三連投で延長15回、178球を投げ抜いた最後の球が147㌔なのだ。

(今度は、いくらなんでも捕まえられるだろう・・・)

と思われた四連投(6日間で5試合!)となった再試合、球数はこの数日で500球も超えると言う過酷な試練の中で、しかしながら9回になお144kmを記録したという。驚くのはスタミナばかりではなく、0-0で迎えた大詰めの8回に決定的とも思えるような一発を浴びてなお、あの水のような冷静さを決して失う事なく、何事もなかったかのようなポーカーフェイスだ。

悲壮感で観衆の涙を誘うような気負いとは無縁な、あの淡々として衒いなくマイペースの投球を続けられるマウンド捌きには、心底惚れ惚れとさせられた。

大会屈指の投手」とも言われていたが、それどころか「この数年の中でも、屈指の好投手」と称すべきほどの完成度の高い、素晴らしい安定感は『駒苫』という最強チームを前にしても、聊かも揺らぐ事はなかった。

総合力の傑出した駒苫に比べ、エースにかかるウェイトの重い早実だけに、あちこちで

「再試合はエース頼みの『早実』には、圧倒的に不利だろう」

などと書いて廻っていたワタクシだったが、嬉しくもエース斎藤投手の力はワタクシなんぞの無責任な素人予想よりは、遥かに上を行っていた。そしてその先には、あのどのチームもがどう逆立ちをしても勝てないほど強かった『駒苫』に、ついに黒星を付けるという歴史的快挙のドラマが待ち受けていたのである。

『駒苫』としては、この『早実』エース一人に敗れたといった感があったろう。 それにしても、あれだけの世の重圧を一身に集めた中で、最後の最後まで「三連覇の奇跡」の夢を実現しかけた『駒苫』は、やはり立派の一言に尽きる。

これまで読んでこられた人の中には、或いは誤解があるかもしれないが、ワタクシは決して『駒苫』が憎いわけでないのだ。それどころか改めて、その総合力の凄さは再評価されるべきであると思う。最後には斎藤投手に主役の座を譲ったとはいえ、あの個性的な集団なくしてあれだけの大会の盛り上がりは有り得なかった事を思えば、斎藤投手とともに特筆に価する立派な戦いぶりを存分に見せてくれた『駒苫』ナインに対しては、僭越ながら惜しみない賞賛の拍手を贈らせていただこう。

2006/08/21

若き血潮の躍動(前編)  

 この『10ちゃんねる』で「高校野球」のネタを採り上げるのは、思えば今回が初めてだ。

小学生時代以来、長い高校野球観戦歴を持つワタクシだが、高校野球を『10ちゃんねる』で採り上げる事になろうとは、つい2日くらい前までは考えてもみなかった。が、今回に限っては

(是非とも、書かなければ・・・)

という、久方ぶりに妙な衝動に突き上げられてしまったのである。

88回全国高等学校野球大会(以下「高校野球」と表記)で『早稲田実業』(以下『早実』と表記)が見事な優勝を遂げた。ご存知の通り昨年、一昨年と二年続けて全国制覇の連覇を成し遂げた、北海道の『駒大苫小牧』(以下『駒苫』と表記)との、二日間に渡る死闘の末の決着だ。

全国の4000を超える出場校が存在している中で同じ高校が、それも三年間で学生が入れ替わる高校球界においての「三連覇」というのが、いかに大変な偉業であるかという事は、過去100年近い高校野球の歴史においてすら、たったの一度(愛知の『中京商』=現在の『中京大中京』= 昨年までフィギュアスケートのミキティが在校し、今年から入れ替わりで浅田真央が入学)しかない、という事からも明らかである。その「奇跡の大偉業」に挑んでいたのが、今やすっかりお馴染みとなった『駒苫』であった。

実は当初、ワタクシは

(三連覇なんて、そう簡単に出来るものじゃないだろう ・・・)

と楽観視しており、これまでにそれぞれ煮え湯を飲まされて来ていた『横浜』や『大阪桐蔭』、『清峰』といった高校ばかりでなく『智辯和歌山』、『早実』、『帝京』、『関西』、『仙台育英』、『青森山田』といった、それぞれヒトクセありげな強豪と見られるチームが揃っていた事も、ワタクシに「打倒『駒苫』の期待」を持たせる要因だった。

ところが抽選の悪戯か、トーナメントの早い段階でこうした強豪同士の潰し合いが続いてしまい『駒苫』の三連覇阻止を最も期待された『横浜』を始めとした有力校が、軒並みに消えていく事になる。

そんな中、3回戦では『青森山田』に対し1-7と大きくリードされながらも、9回で5点を挙げて逆転サヨナラ勝ち。続く準々決勝でも『東洋大姫路』に0-4とリードされながら、終わってみれば5-4と予想外の苦戦の連続とはいうものの、結局最後には逆転で勝利をもぎ取っていく『駒苫』の強さは、やはり群を抜いて見えた。

「どんな展開になっても、決して負ける事がないのだろーか?」

そこには「所詮は高校生」と、簡単に切って捨てる事の出来ない、底知れぬ「セミプロ集団」の圧倒的な地力が浮き彫りになっていた。

 この時点においてのワタクシの予想では、既に『駒苫』の優勝確率はほぼ5割というところで、準決勝の『智辯和歌山』戦が「事実上の決勝戦」だと密かに睨んでいたものである。『智辯和歌山』の方も久々に強力打線が復活し、準々決勝の帝京戦では9回に大量8点を奪われ逆転を許しながらも、その裏に5点を挙げて逆転サヨナラ勝ちを収めるなど、かつて頂点に君臨した頃のように『駒苫』に比してもその戦力は充分に互角ではないか、と期待しながら観ていた。

が、三連覇を狙う『駒苫』の実力は、ワタクシの予想を遥かに上回っていた・・・期待された『智辯和歌山』が挑んだその一戦も、やはり改めて『駒苫』の強さと逞しさを再確認するだけの結果に終わってしまう。

そんな経過を経て、いよいよ迎えた決勝・・・『横浜』、『大阪桐蔭』といった強豪犇く中を勝ち上がって来たのは、伝統校の『早実』であり、その前には三連覇の偉業に向かって圧倒的な力で突き進む『駒苫』が、万里の長城のように高く聳え立っていた。

この決勝戦で、ワタクシが柄にもなく『早実』を応援したのは、二つの理由によるものだった。元々、生まれも育ちも愛知のワタクシとしては『早実』に対して肩入れする理由はまったくなかったが、なにしろ相手は憎らしいほどに強い『駒苫』だ。先にも触れたように、全国4000以上の高校が存在する中で「同じ学校が、三年も続けて優勝」というのは、良識としてなんといっても面白くないではないか(勿論、母校や地元の立場であれば、何連覇であろうとも大歓迎という気持ちは、よくわかるが)

これまで『早実』に関しては「あの王さんの母校」程度の認識しかなかったが、東京に転居して来てからOBの友人が出来た、という個人的な事情もあったかもしれない(49代表のうちでは、家から最も近いといった親近感はまったくなかったが・・・)

また、それほど特別に前評判が高いとはいえなかったものの、堅実な戦いで一戦毎に力を増して来た好感度も高く、この時点では今春の『横浜vs清峰』のような、実力差はそれほどにないだろうという印象も強くなって来ていた。

そういった事情があって、久々に大いに興味をそそられる決勝戦となったのである。あの向かうところ敵なしの、バカ強い『駒苫』が「73年ぶりの三連覇」を狙うのであれば、対するはナント91年前の第1回大会から出場している伝統校『早実』であり、創立105年目にして実に27回目の出場で「初の悲願」が掛かっていた事を思えば、関係者としてはさぞかし感慨もひとしおだったろう。

ファリャ バレエ音楽『三角帽子』(1)

 


バレエ・リュッスの主宰であるセルゲイ・ディアギレフが依頼したバレエ音楽である。

 

ディアギレフは、当初『スペインの庭園の夜』をバレエ化したいと考えていたが、これにファリャが熱心でなく、スペイン・アンダルシアの民話を元にしたアラルコンの小説『三角帽子』を元にした『代官と粉屋の女房』(El Corregidor y La Molinera)の再構成を提案した。ディアギレフはこれに同意し、振付にレオニード・マシーンを、さらに舞台・衣装デザインにパブロ・ピカソを起用した(この時、ピカソはファリャの肖像画も書いている)

 

1917年、第一次世界大戦のためスペイン本土で仮に演奏され、その後改作されてロンドンでバレエが上演された。

2006/08/16

マヨネーズ(mayonnaise)の楽しみ


 出身地の愛知では「冷やし中華にマヨネーズ」は、ごく当たり前だという話は前にも書いたが、地元で有名な「スガキヤ」がこの組み合わせを発案したと知ったのは、東京に移住してからである。

それまでは、てっきり「冷やし中華にマヨネーズ」という食べ方は、全国共通だと思い込んでいた(というよりは、疑いもしなかった)

ところが、何と言う事だ・・・東京では、冷やし中華には「辛子」をつけて食すのが常識らしく、マヨネーズの「」の字も出て来ない事から「冷やし中華に辛子」という文化を知り、カルチャーショックを受けた。

上京して間もない頃、渋谷の半野天のような店で食べた時、遂に業を煮やして  

「マヨネーズはないの?」

と、大学生のような店員に問うと

「は?
マヨネーズ?」

と、さも「意味不明」といったような、キョトンとした顔をされた。

思えば、コンビ二やスーパー辺りでよく買っていた冷やし中華にも、当たり前のようにマヨネーズが入っていたような記憶があったが、あれは地域限定だったのか?

誰かと一緒に食べると、必ずといってもいくらいに

「冷やし中華に、マヨネーズを付けて食べるのですか?」

と驚かれるが、誰が何と言おうと「冷やし中華にはマヨネーズ」に決まっているのだ。

最近は「高カロリー食品」として槍玉に挙げられる事の多いマヨネーズだが、冷やし中華で使う量などはしれている。

ちなみに「マヨネーズ(mayonnaise」というのは「mayon」+「naise」だ。 フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise」は「Marseille」+「aise」で「マルセイユの人」であり「Japonaise(ジャポネーズ)」は「Japon」+「aise」で「日本人」、「日本風」であるように、フランス語の「aise」は「~風の」とか「~地方の」を意味する(英語の「japanese」などの「nese」に相当)

mayhon」は、地名由来とするものだけでもメノルカ島のマオン、マヨルカ島、バイヨンヌなどいくつもの説が存在するらしいが、つまり「マヨネーズ(mayonnaise」は「mayhon」という地方で食されていたソース、すなわち「マヨ(オ)ン風の(ソース)」を意味している。

 ところで、最近はコンビニのおにぎりなどで「エビマヨ」とか、マヨネーズ味のものを目にする事が多くなっているような気がするが、ワタクシにはご飯にマヨネーズが混ざったものが、どうにも気に食わない。

そもそも米というものは、サッパリとした美味しさが持ち味なのに、あのマヨネーズの粘々によって折角の米の持ち味が台無しになってしまうではないか、と思うのである。

スーパーで買う巻き寿司も、いつも鉄火巻きである。ところが遅い時間帯に行くと、鉄火巻きだけが品切れになっていたりする。明太巻きは嫌いだし、かんぴょうでは味気ないからとエビ&カッパ巻きを買って来ると、これがマヨネーズ味になっている。何故にこう、何でもかんでもマヨネーズを付けたがるのか?

誤解されては困るが、こう書いたからといってワタクシが決してマヨネーズ嫌いというわけではない。コンビニのハムサンドやタマゴサンドなど、たっぷりのマヨネーズは堪能しているのである。

そう、マヨネーズはパンにこそ良く合うのだ。ちなみに「パン(pain」もフランス語だ。「pain traditionnel(伝統的なパン)」、英語は「bread」)。そしてパンとともに、このマヨネーズの隠し味が大いに生きるのが、冷やし中華なのである。

実は、この冷やし中華にマヨネーズをつけるという食べ方を考案したのは、名古屋の有名なメーカー「スガキヤ」なのだそうで、名古屋周辺だけの独特の味わい方らしかったのだが、最近ではコンビ二の冷やし中華にもマヨネーズが入っていたりして、徐々に「スガキヤ風」が浸透しつつある(?)のは喜ばしい限りである。

とはいえ、食習慣というのは地域によって違うものだから、元々「冷やし中華には辛子」文化圏の人々からすれば

「冷やし中華にマヨネーズなんて、気持ち悪そう」

などという先入観が強いらしい。そのように決め付けている人は、一度騙されたと思って試してみればよい。そうなれば、ワタクシは多くの人に感謝されるのである (`m´+)ウシシシ