2007/03/31

同世代(東京劇場・第3章part2)


 話自体はいくつも来ていたが、どれもが方向性に照らしてもうひとつという感は否めないものばかりだった。ただし、自らの方向性を追求する事は最も大事な事だが、あまりに拘り過ぎていると数ヶ月も経ってしまう事にもなりかねず、当然の事ながらその間は無収入という状況が続く事になるわけだから、ある程度のところで妥協は必要になってくる。

契約終了の三ヶ月も前から、転職サイトに匿名経歴書を登録しておいたのは、取り敢えず在籍期間はトコトン方向性に拘ってみようとの意図があった。結果的には、なかなか自由に動きが取れなかったり、またまだ数ヶ月も先の話という事で企業側の反応も鈍く、これといった収穫のないままに、契約満了を迎えた。 

(やはり、在職中に本格的な活動は難しい・・・)

というのが本音であり、結果的には「これといった収穫のないまま」とはいうものの、その間はせっせと種を蒔いておいたものが、先々の収穫に繋がる事を期待する部分もあった。

待望の契約満了を迎え、蒔いておいた種の辺りを中心に声がかかり、いよいよ本格的な活動が始まる。3年前に上京した時に比べ、自分自身のスキルがそれほど大きくアップしたとは思えなかったが、それでも3年前よりも多く声が掛かったのはそれだけ、IT業界の景気の良さを物語っていたのかもしれない。

幾つもの案件から内定を貰ったが

(この分なら、まだまだもっといい話が出て来そうだ・・・)

この時期になっても、まだ方向性を重視出来ていたのは

(いよいよ妥協するとなったら、いつでも決められそうだ・・・)

という計算があったがためである。

最終的に決断を下すための要素は色々と考えられるが、この時はトコトン仕事内容の「方向性」に拘る事にした。中には「社員として、迎える用意がある・・・」 とのお誘いもあったが、どれも態度保留にした。

これまでの経歴の中で、社員になった事が一度もないために

「正社員は嫌で、今後もずっとフリーでやっていきたいのですか?」

と聞かれる事も多かったが、考え方としては若い時から一貫して変わっていないから、答えはいつも同じである。

「同じ条件であれば、正社員の方がいいかもしれません・・・しかし正社員になると、自分のやりたい仕事を選ぶ事が難しくなるから」

と。

中には

「当社は正社員だといっても、決して本人の意に染まないような仕事を強制はしませんよ。正社員だとしても、方向性を大事にしますが・・・」

と言う担当者もいたが

「正社員とか請負だとかのスタイルに、拘りはないです。仮に正社員で入ったとしても、方向性の違う仕事をやれと言われれば、断る事に変わりはありませんから・・・」

と返すと、必ず正社員採用に二の足を踏み出すのだ。

そんな中で、ある会社の二次面接では専務取締役と部長の二人が出て来て、専務の方から熱心に社員のお誘いを受けた。その専務はワタクシと同じ歳らしく、その点で非常に親近感を持ったようで、部長の方も1歳上という同世代だった。

「我々は管理者の立場ですが、まだまだ若い会社だけに技術方面での人材が不足しています。そこで是非とも、我々と同年代の仲間として当社で、技術者の中核のような存在になっていただきたい」

と、実に熱心に口説かれた。が、幾ら口説かれたからといって、ワタクシの考えが変わるわけではない。

ところが強引なタイプらしい専務は、こちらの返事を聞く前にメールで「採用通知」を送ってきたのである。

「取り敢えず当社の社員になって、それから希望するような業務案件を紹介していくというスタイルで・・・」

「この前にも申し上げましたが、私はあくまでも方向性を重視したいので・・・希望に沿った業務案件が出て来たら、社員になるかどのようなスタイルでやるかについては、それから考えたい・・・」

という答えしかない。半ば不本意な、しかしある程度は予期していたような表情を浮かべながらも

「にゃべさんの考えはわかりました」

と、理解を得られたようだった。

「それでは、早速・・・」と、一次面接を行った営業のH氏を呼びつけると

「早速、営業をかけてこい!」

と命じた。H氏には、一次面接の際に自らの目指す方向性等については話していたが、改めて細かな条件設定の打ち合わせを行う。この後、H氏からは10件を超えそうな面接依頼が舞い込み、客先面接にも何度か同行してもらったが、元々PC販売の営業からIT業界の営業に転身してまだ間もなかったH氏だけに、事細かに説明したにもかかわらず、こちらのニーズとは幾分かのずれがあった。

具体的には、NW系の希望を幾度となく伝えているにもかかわらず、サーバ系の案件ばかりを持ってくるところであり、それもWindows系ならまだしも苦手なunix系ばかりに偏っていた。その都度、修正希望は出していたが

「今度は間違いなく、NW系の案件ですよ・・・」

と言いながら、客先面接へ行ってみたら完全なサーバ寄りの案件だったというケースが何度か続いたため、遂に切れた。同時並行で何社か進めていたこの時期は、玉石混交とはいえ面接依頼は引きもきらないという状態だっただけに、サーバ寄り案件など明らかに自分の方向性から大きくずれているものは、わざわざ金と時間を浪費する無駄を省いてメールベースで確認した上で、あらかじめ対象外としておきたかったのである。

2007/03/30

自由人

 今日が現場の最終日。上京して最初の現場で、これまでのどの現場よりも長い期間を勤めてきたが、その任務も無事に終わった。

これまで最も長いとはいっても決して、そこでの仕事の内容に満足しているわけではなく、寧ろ納得の行く業務内容ではなかった。色々と事情はあるが、半分以上は無駄な時間を費やしてしまい、やはり

(もう少し早く、契約終了を申し出るのだった)

という後悔の気持ちが強い。が、もうこれで終わった。

(この悪環境の中を我慢して過ごさないといけないのも、あとx日・・・)

と指折り数えていたが、特に相性の悪かった3人が揃って「体調不良」で休んでいたのは、寧ろ好都合である。ワタクシと後任の人物のために設定された「歓送迎会」にも欠席を決めて

「主賓が欠席って・・・ありですか?」

と、数人から文句を言われた。これまで殆ど、総ての歓送迎会に欠席を続けて来たワタクシは

「これまで散々に不義理をして来たし、次の準備で忙しいから」

と誤魔化しておいたが。

最後にワタクシが大暴れでもしていくと恐れてでもいたのか、真面目な数人を除くメンバーはいつものように朝からずっと固まって、チラチラとこちらの様子を伺いながら駄弁ってばかりいたのは、さながら無能な羊の群れを見るかの如き光景であった。

PCの初期化を済ませたワタクシは

「ここにいても、やる事がないし・・・」

と責任者に宣言すると昼過ぎにはさっさと引き上げ、一旦自宅に帰ってこの記事を書いて、再び夕方にお役所に離任の挨拶に行った。それでも天下のN社マネージャー(営業)と、役所のお偉いさんが深々と頭を下げてきたのは意外だった。

これで、晴れて自由の身だ ヽ(・∀・)ノ ワチョーイ

転職活動の方は、これまでに数社から「是非に・・・」というお誘いを受け、その中の2社は「正社員で」、1社は「PLで」というありがたい申し出ではあったが、どれも目指す方向性にややズレがあったため辞退した(無論、先方からのNGの方は、その倍くらいはあったが)

現状において保留中のものもあるが、次の仕事が決まるまではリフレッシュするつもりである。

しばらくは「自由の身」を謳歌するぞーヽ(・∀・)ノ ワチョーイ

自己実現(東京劇場・第3章part1)


 この転機を迎えた事で、改めて東京に出て来た意味を振り返ってみた。

そもそも、理由なき東京嫌いで通して来たワタクシが、東京に出て来たのは言うまでもなく自己実現のためであり、ワタクシの自己実現とは言うまでもなく

「ITの中心都市と称される東京で、自らの素質や能力などを発展させて、より完全な自己を実現していく」(ユング心理学)

事である。そして、これが「自己実現(self-realizationself-actualization」という言葉の、本来の意味である。

マズローの欲求段階説では「自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求」とされ、低い次元から

1.
生理的欲求
2.
安全の欲求
3.
親和(所属愛)の欲求
4.
自我(自尊)の欲求

までの「欠乏欲求」に対する「成長欲求」として、最も高い次元に位置付けられている(Wikipedia参照)

そうした考えから、コネもツテもなにもない徒手空拳で上京し、結果的に東京で2年半の仕事をして来たわけだが、どうにも自分の中では違和感が付き纏っていた。

振り返ってみれば、最初の手続きのところでケチが付いてしまった、と思わざるをえない。元々は、まさに「徒手空拳」のハズだったのである。

複数の転職サイトに経歴を公開し、企業から掛かったスカウトという名のお誘いのみを頼りに、まさに頼るものとてない未知の大海の向こうに、あるかないかもわからないような岸を目指しての船出だった。

要請に応じて数十にも及ぶ企業を訪問した。中には面接で、担当者と口論になったものや

「是非、わが社の社員にならないか?」

といった、有り難いお誘いも受けた。また慣れない土地で随分と戸惑ったり、次々と襲い掛かる予想外のトラブルに何度も巻き込まれ、どちらかと言うと腹の立つような出来事の方が遥かに多かったが、それでも振り返ってみれば、久しぶりに体の芯からジリジリと神経が高揚するような、生きている事を実感できる凝縮した時間を過ごせたと思う。

 名前を聞けば誰でも知っているような大企業から小さなベンチャーまで、通常ならあり得ないような様々な企業を訪問したり、現場のリーダーなどと直接面接を受けたりといった事は、普通の会社勤めであれば絶対に体験できないものである。無論、長年同じ会社に勤め続ける事はそれはそれで尊い事だと思うし、平穏無事であれば殊更に言う事はないが、人生においてああいった経験はそんなに出来るものではない。

それだけ充実感を感じながらも、真の意味での達成感を得られなかった理由があった。その理由とは、結果的に名古屋時代のT氏の紹介で、これまた名古屋時代から付き合いのあったS社の仕事を請けた事である。勿論、こればかりはタイミングなどの要素が大きく絡んでくるから、あくまで結果に過ぎない事なのだが、しかしながらこの結果はやはりワタクシとしては甚だ不本意であり、終始違和感が付き纏って離れなかった原因は、やはりこれに尽きる。

それでも結果として、納得のいくような仕事が出来たのであれば、恐らくこうした考えには至らなかったろうが、残念ながら何度も触れてきているように自らの方向性とはマッチしない、あまり遣り甲斐のない業務に従事せざるを得なかった現実が、余計に達成感を阻害していた。

トータル2年半と、これまでのどの現場よりも長い勤めになったが、達成感を数字で表すなら精々50%以下程度の内容しかなかった、と思っている。それだけに「自らの方向性」について、改めて原点に還って軌道を修正して再度、正しく進むべき道を追求し直す必要があるのだ。

このまま終わってしまっては、なんのために東京くんだりまで出てきたのか、という意味がなくなってしまうのである。

 12月の末に3月末で終了の「意思表示」をして、Webの転職サイトに登録をした。1月からはスカウトという形で、ポツポツと声の掛かった企業の訪問を始めた。所属しているS社のA代表からは、意思表示を伝えた際に

「当社としても、次の仕事に向けた営業を開始しようと考えておりますが、よろしいでしょうか?」

と声が掛かったが

「御社は開発系だし、通信ネットワークにはあまり強くないでしょうし・・・Tさんとの絡みがあると面倒になるので、今度は御社以外のところで自力でやって行きたいと思います」

という意思を伝えた。

「そうですか・・・」

A氏は半ばは心外そうな、しかし半分くらいは予期していた返事を訊いたような、複雑な表情になった。勿論、そういった理由だけでなく、これまでのA氏の対応に不満があった事が最大の原因である事は、言うまでもない。元々、A氏が好きではないし、これ以上の付き合いは御免蒙りたかった。

予想通り、直近のキャリアはあまり評価されなかったものの、それでもこれまでの経歴から幾つか声の掛かった企業の訪問などを続けていた。青写真としては、1月と2月の前半のうちは、声の掛かった企業は出来るだけ訪問をして話を訊く。その中から自分なりに篩を掛け、2月の後半から3月にかけて最終的に決定していく方針だった。

そうした時期の事だけに、携帯が鳴る事は普段よりも嬉しいものだったが、まったく歓迎せざる予期していなかった人物から、嬉しくない電話が掛かってきたのは誤算だった。しかも選りによって、自らの青写真にしたがい着々と計画が進行している、最悪のタイミングである。

 「やー、にゃべさん。お久しぶりで・・・お元気ですかー?」

例によって還暦過ぎとは思えないような、溌剌とした若々しい口調のT氏である事は、一声で直ぐにわかった。このT氏がいかなる人物かというについては、これまで何度も触れて来たから敢えて繰り返さないが、本当に

(どーしてこの人は、こういつもタイミング良く(悪く?)連絡をしてくるのだろーか?)

と不思議に思うくらい、職活動を行っている時に限って、まるでタイミングを見計らったかのように連絡を寄越すのである。

普段はそんなに頻繁に連絡を取っているわけでもなく、年に数回という頻度に関わらず、必ずといっていいくらいに大事な転機になるとアプローチしてくるのは、コンサルとしての嗅覚のなせる業というべきか。いずれにしても、先にも触れたように自らの計画通り着々と事が運んでいると思っていた矢先だっただけに、あたかも厄病神にケチをつけられたような、嫌な感じがした感は否めなかった。

「偶然、Aさんから訊いたんだけど、他に変わるんだってね・・・私も力になれるといいなって思ってね・・・」

「気持ちはありがたいですが、すでにかなり声が掛かっていますので、直ぐに決まりそうです」

と、即座に断った事は言うまでもない。前回の不完全燃焼を繰り返す事だけは、なんとしても避けなければならないし、そのためには地元絡みのツテなどには頼らず、次の道こそは独力で開拓する必要があるのだった。