2010/08/29

猛暑続く

今年の夏は暑い。夏だから暑いのは当たり前で、7月生まれの「夏オトコ」としては暑いのは決して嫌いではないし、これまでも「夏バテ」などとはまったく無縁だった。とはいえ連日35℃前後の猛暑が続き、8月も終わろうかというこの時期になっても一向に暑さが和らぐ気配すらないとなると、さすがに「もういい加減に涼しくなってくれよ」と言いたくもなろうというものだ。

 

7月から、某官庁の大規模プロジェクトに参画していて、この現場がシステム移行期間のため非常に忙しいという話は先月も書いた通りで、そんな状況だけにお盆休みも夏休みもない。それどころか、一般向けにサービスを提供している「本番稼動」のシステムだから、移行切替作業は土日や深夜が中心となり、殆ど毎週のように休日出勤となるのも、これまた当たり前のようになっている。

 

昨年も、やはり大規模システムの移行切替作業で、昼12時~翌日昼12時までという「24時間勤務」をリハーサルと本番の2回で経験したが、先日は公開Webサービスの切替に備えた性能試験の追い込みでトラブルに見舞われ、想定外の37時間勤務」(朝9時~翌日夜10時)を経験するハメになってしまった。よりにもよって、この猛暑の最中に冷房さえ効いていないクソ暑い蒸し風呂のような現場で汗を流しながらの勤務で、風呂はおろかシャワーや洗髪も出来ないだけでも地獄だが、その上に食事もろくに取れず近所の弁当屋かコンビニのおにぎりで済ませるという、実に劣悪な作業環境なのである。

 

営業からは「このご時世に残業代が出るだけでも、実にありがたいことだ」などと励まされているが、連休を取るのさえ至難の業だけに、恒例の夏の旅行は夢のまた夢。花火見物や飲みすら予定が合わず、満足に行けない状況が続いている。

 

最大のイベントが終了し、一応はピークは超えたとはいえ、元々いい加減な突貫工事で構築して来たようで、あちこちからボロボロとトラブルが頻出しているから、その対応で技術スキルの高いエンジニアが、徹夜続きで遂にぶっ倒れて入院してしまった。さらにはリーダー格も、連続徹夜~病欠というサイクルが続く危険な状況に陥り、残りのメンバーの負荷が高まってきているだけに、まだまだ予断は許さない状況である。

2010/08/27

風邪薬

ワタクシはこれまで大きな病気は一度もした事がなく、風邪もあまり引かない体質だ(年に一度、あるかないか程度か)

 

そんなワタクシのところにも、かつて「xx医薬品」という置き薬の営業マンがやってきた。

 

「風邪も滅多に引かないから、そういうのはまったく要らないよ」

 

と即座に断ると

 

「置いていただくだけで結構です。ずっと置いたままで、使わなければ無料ですから」

 

と若い営業マンは、手を合わせんばかりにして熱心に食い下がった。横柄なヤツには徹底的に反発したくなるが、こういった腰の低い若い相手には案外と寛大なのである (^^)y-o

 

実は面倒になったというのが真相だが、真面目そうな相手が少し気の毒にもなり

 

「別に置いておくのはいーけど、まずひとつも使うことはないし、ウチなんぞに置くメリットはまったくないけど」

 

「いえいえ・・もう、置いてくださるだけで結構ですから、ハイ」

 

といった経緯を経て、不要な置き薬の山が置かれることになった。

 

とはいえ、冒頭にも書いた通り滅多に風邪を引かない上に、たまに引いても定価の置き薬よりは近所の安いドラッグストアで買ってしまう。遂には、数年間手付かずで埃を被ったまま一度も使う事のないままに、営業マンが回収に来た時には、その存在さえ忘れていた。

 

ところで薬局へ風邪薬を買いに行けば、ご存じの通り棚狭しと各メーカーの薬がズラリと並んでいる。

 

(この中の、一体どれが良く効くのかいな・・・?)

 

などと迷いながら見ていると、まだ坊ちゃんのような童顔の薬剤師が出てきた。

 

「やあ、風邪ですか?」

 

「ああ・・・薬にも、随分と色んなのがあるんだね。安いのは700円で、高いのは2000円か・・・同じ量でも随分値段が違うようだが、高い方が良く効くってわけでもないんだよね?」

 

と訊くと

 

「それは、あまり関係ないですよ・・・」

 

「じゃあ、実際のところどれが効くんだ?」

 

「う~ん・・・実際には、あまり違いはないかな・・・」

 

「だったら、この値段の違いはなんで? 随分と差があるじゃん?」

 

と考える間を与えずに一気に畳み掛けると、若い薬剤師君は周囲に客の姿のない事を確認してから、おもむろに話を始めた。

 

「実は・・・ここだけのブッチャケですが、中身はどれも殆んど変わりません。 成分表とか、良く見てもらえればわかるんですけどね。メーカーは沢山ありますが、実際に作っている工場は幾つもないですから、殆んど同じところで作られたものなんですよ、これらは。

ですから値段の差は、会社の知名度とか宣伝費が上乗せしてあるだけなんでして・・・まあ本当のところは無名の700円のでも、タイショーやタケダも正味は変わらないんですよ。本当は薬剤師のボクが、こんなこと言ったらダメなんですけどね、ハハハハ」

 

というわけで、皆さんもお金に詰まっている時に風邪を引いたら、迷わず一番安い薬を買いましょう。

2010/08/02

栃木(2)

栃は洒落から始まった

栃木という県名の由来が、明治時代の県庁所在地『栃木市』に端を発していることは、多くの県民が理解していることだろう。では、その栃木の語源はと言うと、殆どの県民は知らないのではないか。

 

素人考えであれば「その昔、栃木にはトチノキがたくさん生えていて、それが訛ってトチギになった」という嬉しい推論も成り立つが、現在では次のような解釈で県関係の文書では説明されている。

 

その昔、現在の栃木市城内地内に『神明宮』という神社があって、人々の信仰を集めていた。その社の屋根には『千木』と書いて『ちぎ』と呼ばせる、冠のような構造物が付いていた。伊勢神宮や出雲大社の千木は、巨大なことで有名である。

 

通常は屋根の端と端に一対付いているのが普通だが、神明宮のそれは十本もあって大層立派であったそうな。実際の残り八本は鰹木と呼ばれる頭飾りだったろうが、目立っていたことだけは確かだと思う。ロマンチックな人は、もうお気付きだろうか。

 

そう『千木』が『十』あって、即ち『十千木』なのである。言わば洒落の産物だ。さらに「とちぎ」に当てられた漢字が、また奮っている。千を十倍して万になることから、とちの漢字には『杤』という文字が使われていたのだ。現在では、石という意味の『』を付けて表記する。これが明治12年に決められた国字『』の字だ。

 

和名の由来

トチノキという和名を分解すると「トチ」と「ノキ」になることは明白だ。下のノキはヒノキやセンノキの例でも分かるように、樹木であることを伝えるための接尾語である。だから、山仕事に従事して木々の識別に慣れている人々は、単に『トチ』とだけ言う。こうしておけば、実や葉を表すにも「トチノキの実、トチノキの葉」と言わず「トチの葉、トチの実」で済む。もっとも、栃木県民であれば『トチノハ』と音声で言われてもピンと来るだろうが、他県ではどうか。

 

さて、肝心の『トチ』の意味である。実は、これが不明なのだ。スギならば「真っ直ぐ育つ」のスグか転訛したもの、とすぐに説明が付くが、トチはその由来が解明されていない。逆に考えれば、それだけ大昔から私たちに馴染みの深かった樹木と言えるだろう。

 

同様に日本特産の母樹ブナも、その語源が不明だそうだ。アイヌ語では、木の実の総称をトチ、木のことをイと言うそうである。これを繋げると『トチイ』となって、いかにもの感があるが認められてはいないようだ。

 

《「とちる」という四段活用の動詞がある。役者がセリフを間違った時などに使う言葉だ。漢字であえて書くなら、もちろん「栃る」。この言葉の語源には、トチノキが深く関わっている。

 

栃の実には多量のデンプンが含まれていて、大昔から食用としていた。この加工食品の一つに『栃麺』という『変わりうどん』があって、米粉・麦粉に栃の実粉を混ぜ合わせる製法で作られる。しかし栃粉を入れると堅くなる時間が大変短くなり、急いで延ばさないと麺にならない。

 

作る人は、目を丸くして麺棒を動かさなくてはならない。そんな慌てふためく様を見て、食べる人はきっと滑稽を感じたのだろう。そこから派生し、慌てたり驚いた様子を『栃麺棒を振る』と言うようになった。これが動詞の『とちめく』に転訛し、慌ててうろたえることを表すようになったのである。現在では、それが短縮形となって『栃る』になっている訳だ。

 

「面食らう」も、ここから来ているらしい。自分勝手に理解して失敗することを『早とちり』と言うが、これは歌舞伎の世界の言葉で舞台入りのタイミングを焦って、早く上がってしまうことを指す。

 

さらに「とちり」には、業界用語で「特等席」の意味がある。観客席で前列より「い・ろ・は・に」と列名を打っていくと、一番舞台の良く見える席が79番目の列の中央部分であることから、この7列目=と、8列目=ち、9列目=り、の3列を合わせて「と・ち・り」となり、役者の一挙一動がよく分かる座席となる。これらの席には当然、御祝儀をはずんでくれる上客が座っているので「とちりには、特に気をつけるように」と座長から言われていたに違いないのである。

 

さて、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(弥次・喜多道中)に登場する主人公二人のうち、おっちょこちょいの弥次さんこと弥次郎兵衛の屋号は「栃面屋」だったという》