2010/12/31

陽はまた昇る(2010大晦日)

7月から参画していた某省の公開系Webシステム移行プロジェクトが終局を迎えた。11月ごろから「そろそろSE工程が終了」というのは見えていたし、確かにそのような話も聞いてはいたが、最後のシステム移行テストが終わり、残作業と運用保守フェーズへの移行を残すのみとなったところで「年内終了」の通達は、いかにも唐突だった。担当営業が正しい情報を取れていないせいで、この正式通達が12月中旬にずれ込んだため、怒りが爆発。

 

「リーダーとして現クライアントの評価が高いので、別の移行プロジェクトへの展開を考えている・・・」という寝惚けた申し入れなどは、即座に断った。

 

「正月休みのこんなギリギリの時期に、転職活動などが進むのか?」

 

という憤りと

 

「それでも半年間頑張ったのだから、少しリフレッシュして温泉にでも行ってくるか」

 

という別の目論みもあったが、市場は「氷河期」と言われた1年~半年前とは大変な様変わりぶりで、早速解禁したばかりの転職サイトからは2日で3件のスカウトメールが飛んで来んでくるわ、面接のための2日の休みを取れば、たちまちセッティング依頼が殺到するわで、気付けば2日で7件の予約が入った。

 

普段なら、次の仕事が決まるまでに1ヶ月くらいは掛かるものだが、2つ目に受けた面接でトントン拍子に一気にエンド面接まで進むと、その場で

 

「是非とも、お願いしたい」

 

と即断が出るという思わぬ展開となり、Xmasを待たず急転直下で次の現場が決定した。面接活動を始めてから、僅か2日という最短記録だ。

 

新しい職場は、上場企業で10数名プロジェクトのマネージャーだから、なかなか簡単ではないだろう。おまけに、年明け早々の4日が初出勤ということになったため、密かに目論んでいた温泉でノンビリという構想も露と消えてしまった。

 

というわけで、来年も飽くなきチャレンジは続くのであった。

2010/12/30

限界?(プロジェクトF)(6)

現地作業などでは必ずPMかT氏が一緒に付くだけに、最早それらの眼からMのバカを隠し覆うことは出来なくなっていた。

 

ある現地作業で、Mと分担して性能試験の対応をしていた時のことだ。MにPMが付いて作業を監視している時に、つまらないミスをやらかした。自分の作業がひと段落着いて、Mのところへ行くと

 

「要するに、作業目的を理解できていないということじゃないのか?」

 

と、PMから怒られていた。

 

「自分のやろうとしていることを、理解できているか?」

 

「・・・」

 

「返事が返ってこないんだけど・・・」

 

珍しく、PMがかなり苛立っていた。

 

「どうなんですか、Mさん!」

 

「理解・・・できています・・・」

 

「じゃあ『二百多重』とはどういう意味か、説明してみて!」

 

「・・・」

 

「黙ってちゃ、わかんないでしょ!」

 

と、PMが困ったようにこちらを見た。

 

「わからんのだったら、正直にわからんと言え!」

 

と、思わずこちらも苛苛して怒鳴りつけると

 

「わかりません・・・」

 

とボソリ。PMが頭を抱える。

 

この際、PMが怒ってNGにでもなればちょうど好都合だと思ったが、意外なことに

 

「じゃあ説明するから、よく聞いていてください」

 

といって、丁寧に説明を始めた。

 

ところが、無表情なMはいつものようにまったく反応がないから、聞いているのか居ないのかまったく手応えがない。

 

「今の説明を理解できたか?」

 

「・・・」

 

「理解できたのか、出来なかったのか、どっちなんだ?」

 

「えーっと・・・」

 

「だから、えーっとじゃなくて・・・」

 

「理解できなかったから、もう一回説明してくれと言えばいいじゃん!」

 

最早こうなればやけくそで、徹底的に正体を見て貰いさっさとNGを突きつけてくれと願う心境だ。が、辛抱強いPMは、何故かまだ「NG」を出さなかった。

 

性能試験はこの後も暫く続いたが、以前にトンズラした既存の技術者の代わりとして、ほどなく新人が入場してきたことで

 

「現地での性能試験はピークを超えて、これからは性能監視がメインになるから、新しく来たKさんを中心に対応してもらう。しばらくはMさんにサポートで残ってもらい、オレやTもこっちで対応することが多いから、にゃべさんは某拠点でコントロールをして下さい」

 

というPMの指示で、ようやく「地獄」から釈放されることとなった。

現地での「性能監視対応」は一本立ちしたK君に任せることになり、居ない方が望ましい無能なMがまた某拠点に戻ってきて、平和が乱されることになる。

 

Mはその後も、任された作業で中途半端な対応をしてPMから説明を求められ、立ち往生する場面が多く見られた。なにせPMの隣が自分の席だけに、知らぬ顔をしているわけにもいかないから、Mに代わって

 

「Mの意図は、おそらくこういうことでしょうが・・・」

 

と何度もフォローした。

 

「オレは、いつもMさんに説明してくれと言ってるのに、なんでいつもにゃべさんが説明するのか?」

 

とも言われた。考えてみれば、フォローをして文句を言われるのもバカバカしいし、同じようなケアレスミスを繰り返すMは、フォローのし甲斐がまったくない相手だ。そんなことを考えている時、遂に決定的な場面がやって来た。

 

「この資料を見ると、SSL証明書の期限が違っているんだが。これは、本当に正しいのか?

Mさんが間違っていると思うが・・・もし本当なら・・・期限が切れていたら大変なことだぞ・・・」

 

と、いつにない激しい追及にあっていた。漏れ聞こえてくる話からして、大方Mの勘違いだろうと当たりをつけていたが、ここは敢えて知らぬ顔を決め込む。

 

「あ・・・」

 

「どうなんだと聞いてるんだけど・・・返事が返ってこないんだけど・・・」

 

「・・・」

 

「ちゃんと自分の目で設定を見て、確認したのか?」

 

「・・・・」

 

「どっちなんだって?」

 

「確認してませんでした・・・」

 

「は?

なんで確認しなかったの?」

 

「・・・」

 

追い詰められて汗ビッショリ、しどろもどろになりながら説明をしていたが、元々ジーさんのような聞き取りにくいくぐもった声の上、小さい声でもごもごと言っている。おまけに話の内容も支離滅裂だったから、傍目にも聞いていられなかった。

 

今回、敢えて突き放してみただけに、これまでに薄々は感じていたであろうPMにも、Mの想像以上のバカさ加減が遂になんの遮蔽もなく顕わになった。

 

「もう、いいよ・・・」

 

というと勢いよく席を立ったPMは、会議室に入ると携帯を取り出した。

 

(いよいよ、これでMはNGだな・・・)

 

PMを視線で追っていくと、電気が消えたままの薄暗い会議室でしかめっ面をしたPMが延々と携帯で話している。

 

(ええ・・・Mさんですけど、あれはちょっと酷いですね・・・スキル的な部分だけでなく、それ以前にそもそもコミュニケーションも満足に取れないので、ちょっとこれ以上使っていくのは無理かな・・・)

 

と、営業に「NG」の三下り半を突き付けている様子が聞こえてくるようだった。

2010/12/23

地獄(プロジェクトF)(5)

ところが、ここにとんでもないことが起こった!

 

PMから、唐突に何の前触れもなく

 

「YさんとKさんは、来週から別のシステムに異動になります・・・」

 

と、非常識な宣言がなされたのだ!

 

後から、理由を聞いたことろでは

 

「本番移行が始まる他システムの方から、人を出してくれと頼まれたから仕方がなかった・・・」

 

と言い訳していたが、選りにも選っていても役に立たないどころか、足を引っ張るだけの無能なMだけを残すとは!

 

しかも、元々いた技術者2人のうちの1人は既にトンズラしていたから、実質的にはC国人技術者1人に頼らざるを得ない状況だ。そのトンズラを決め込んだC氏が

 

「情報がまったく落ちてこない・・・」

 

と常々文句を言っていたが、まさにその通りで今回のようなやり方が当たり前となっていた。そのようにして、常に皺寄せを食い続けたC氏でなくとも、トンズラしたくなろうというものだと思えた。

 

いずれにせよ、これから本格的なシステム移行が順次始まろうという矢先で、まったく計画性のない行き当たりばったりの対応ばかりである。

 

元々、3人しかいなかったworkerのうちの2人を取られたのだから、残るは自分とMしか居ない。といっても、Mは「0.5/月」どころか「マイナス0.5/」が実情だけに、こちらが「2/月」以上の働きをしなくてはいけなくなった。

 

既存のチャイナ系技術者は最もスキルが高かったが、これは障害対応などを一手に受けていたため、移行などの作業にはフルに使えない状況だ。結果として、この「無謀な異動」によって殆どの依頼を自分ひとりで対応し、なおかつ稀代のバカモノの面倒まで見なければならないという、前代未聞の最悪の展開を迎えることになった。

 

ようやく入退室のセキュリティカードが発行された時は、入場から実に1ヶ月が経過していた。その時点に到っても、まだ席を作ることが出来ないという非常識さだ。結局、席を作る見通しが立たず、空きのある別システムのフロアを「間借り」するというバカゲタ結果になった。

 

移動した新しいフロアでは席がPMの隣となり、なにかと監視される居心地の悪さの中、次のサブシステムの移行が始まろうとしていたが、相変わらずPMからもT氏からも情報は降りてこなかった。

 

Mのダメっぷりは、そろそろPMやT氏にも知られるところとなった。この頃は、移行前の性能試験の追い込みに入っていた。Fの担当者が作ったシナリオの出来が悪いためのトラブルに見舞われた時などは、初日の朝9時から翌日夜10時までの37時間勤務」に付き合わされるハメとなった。朝から深夜まで、ぶっ通しで性能試験に付き合わされた挙句に「シナリオが違っていた」では、泣くに泣けない。それまで、どうしても思うような結果が出ないのだから、どこかがおかしいと気付きそうなものだがFの担当は、ひたすら同じことを繰り返すしか芸がなかった。

 

ともあれ、シナリオが狂っていたのは動かしがたい事実だけに、修正する以外にどうにもならない。担当は、関係者を集めて言い訳を交えて説明したため、PM

 

「よくわかんねー説明だ・・・」

 

と、呆れ顔だった。

 

「ともかく、これからシナリオを作り直すってんだから、3時間くらいはやることがないだろう。2人は今のうちに仮眠していてもいいし、場合によっては外に出て行ってもいいよ。あまり遠くまで行かれると困るが、連絡さえついて呼んだら直ぐに帰れる範囲でなら・・・」

 

「仮眠」と言っても仮眠室があるわけではなく、大勢の作業者が居る現場でパイプ椅子を並べて寝るしかなく、そんなことなら外に出た方がましだ。漫喫でもないかと思って駅まで行ったが、東京とは思えない田舎の駅だから漫喫1件もなく、散々歩き回った末にようやく都市部ではお目にかかったことのないような、貧相な「カラオケBOX」が目に付いた。

 

「あんなところに居ても息が詰まるだけだから、オレはここで休んでいくことにするよ・・・」

 

相変わらず、金魚の糞のようにくっついて来たMに言うと、例によって無言のまま一緒に入ってきた。

 

「カラオケをするのではなく、しばらく横になって休みたい」

 

というと、通された部屋は畳の和室だった。

 

「ソファの部屋の方がいいな・・・」

 

と言ってソファに変えてもらったが、これが失敗だと気付くのに時間は掛からなかった。

 

なにしろソファが狭く、足を伸ばして寝られるサイズではないうえに、涼しいだけ助かると思ったのは最初だけで、ちょうどソファの真上にあるエアコンからまともに風が吹き付けてきて、涼しいどころか寒くて寝られたものではなかった。せめて、頭の上のエアコンだけでも止められないかとコンセントを探してみたが、たくさんありすぎてどれが該当するものか特定できない。フロントへ行って聞いてみると

 

「あのエアコンは集中制御のため、止めることが出来ません・・・」

 

と言うことだ。

 

「ならば、部屋を変えてくれ」

 

と頼んだが、既に満室になっているという。仕方なく、寒いのを我慢してともかく横になっていたが結局一睡も出来ぬまま、明け方になるとPMから

 

「そろそろ始まるので、戻ってきてくれ」

 

と、携帯に連絡が来た。北国のように寒いカラオケBOXから、再び暑い現場へと戻ったのが午前5時ごろだ。そこから延々、ぶっ通しで性能試験は続き、終った時は夜の10時を回っていた。

 

前日朝9時から~翌22時まで、連続37時間という狂気。その間、カラオケBOX3時間ほど居る時間があったとはいえ、3度の食事は総てコンビニか弁当屋で買ってきた粗末な弁当を、蒸し風呂のような暑い現場で汗を流して掻きこむという異常さだ。幸か不幸か現場から近いワタクシは、大回りをして30分以上掛かる電車よりは、直線に近いバスなら10分で通えるため普段はバスで通っていた。が、このバスも22時過ぎにはなくなってしまうだけに、トラブル対応など深夜に及ぶことが多い現地作業の時は、バスがなくなるケースが多かった。

 

地方出身者の感覚では、22時や23時過ぎの電車というのは空いているものだと思っていたが、東京の電車はどれもこのような時間帯でもラッシュ並みの混雑は変わらず、特に普段乗っている中央線や山手線に到っては、終電がいつもラッシュ並みの大混雑なのである。

 

現地作業で疲れた体で、満員電車を乗り継ぐのが億劫で

 

「(自転車の置いてある最寄り駅まで)バスで10分だから、タクシーでもしれてるだろう」

 

と思いタクシーに乗ったところ、1350円だったことに味を占め、それからはバスがない時間帯は自分だけタクシーで帰っていた(他の者は仕方なく、作業場所のパイプ椅子で夜を明かしていた)

2010/12/16

ダメ男(プロジェクトF)(4)

大体において、このような無口な人間と言うのは仏頂面でぶすっとしていて雰囲気を悪くする「悪意の無口」か、或いはなにも喋りはしないがニコニコしていて雰囲気を壊さない「善意の無口」の二つのタイプに別れると思っていたが、このMに限ってはそのどっちにも属さなかった。

 

「ぶすっとして雰囲気を悪くする」ことはないが、さりとて「ニコニコとして人の話に耳を傾けたり、笑ったり」ということもなく、置物のように無表情にじっと座っているだけである(もちろん、置物ほどの魅力や存在感も皆無だったが)

 

小太りで髪の半分以上が白髪のMだけに、第一印象では50歳くらいに見えたから30代後半と知った時には驚いた。見た目が老けているというだけでなく、動作も緩慢で老人くさかったし、一緒に食事をしていても食べるのが異常に遅い。早い話が30代後半という働き盛りとは思えず、著しく「覇気」に欠けていた。

 

無口な人間でも、毎日同じ顔ぶれで食事をして居れば次第に打ち解け、会話にも参加してくるだろうと思っていたが、Mが打ち解けることは最後までなかった。自分から会話を始めたり、誰かに話しかけるということはただの一度もない。それでも当初は、それぞれが気を利かして話しかけていたが、常に「ハイ」のひと言で終わったり、何を言っているかわからないような、ろくな返事が返ってこなかったりが続いたことで、そのうちに声を掛ける物好きも居なくなった。

 

不思議なことに、それでも毎日金魚の糞のようにくっついてくるのである。正直、まったく会話が成り立たないMは居るだけ邪魔だったが、敢えて「来るな」と言うことも出来ないから、弁当を買ってきて済ませるなどの行動に期待していたが、遂にまったく喋らないまま最後まで一緒にくっついて来た。

 

ある時、遂に業を煮やしてMを喫煙所に誘い

 

「昼とか我々と一緒に行きたい?

本当は、一緒に行きたくないとかってことはないかな?」

 

と、単刀直入に聞いた。こういう愚図な相手には、遠回しではダメでズバリと聞いた方が良い。Mはいつものように、照れ笑いを浮かべて黙っている。

 

「どっちか、と聞いてるんだが・・・」

 

「あ・・・行きたいです・・・」

 

「本当に?」

 

「・・・はい」

 

「正直、一緒にいても全然話さないから、もしかして嫌々というか義理でくっついてきているのかな、と思ってね。もしそうだったら、まったくそんな気遣いは必要ないんだ。みんなと一緒が嫌なら、弁当を買ってきたり一人で行ってもいいし。

 

『オレは、一人で行くのが好きだから』

 

と言えば、全然構わない。オレだって、実はあーやって大勢で行くのはあまり好きじゃないんだよね」

 

「・・・」

 

「そーじゃないの?」

 

「はい・・・」

 

「みんなと一緒に居て楽しいのかな?」

 

「・・・はい」

 

「正直、まったく楽しそうに見えないんだが。全然、喋らねーしな・・・」

 

「はあ・・・」

 

「自分もそうだけど、多分他の連中からすれば全然しゃべらんのに、なんで毎日一緒に来るんだろうと、不思議に思ってるだろうな。直接そんなこと聞いたわけじゃないけど、みんなが会話で盛り上がっていても参加してこないしね。たぶん、悪気はなくて単にコミュニケーションが苦手なだけだと思うが、それなら無理に一緒に来る必要はないというだけのことで、別にそんな大層な話じゃないんだがね」

 

「はい・・・」

 

「別に今、この場で明日からどうするとか決める必要はないが・・・一緒に行きたければ行けばいいし、そうでなければ無理に付き合う必要はないというだけのことだ。ただ一緒に行くのなら、もう少し積極的に会話に参加するとかしないと、回りがしらけてしまうからね。いきなり積極的にというのは難しいかもしれんし、逆に他の連中も気味悪がるかもしれんが、多少なりとも会話に参加する姿勢は見せてはどうかな?

そうではなく今まで通りなら、他の連中とかのことも考えると正直、一緒でない方がいいように思うが・・・」

 

「あ・・・わかりました」

 

「どーもお節介で悪いね・・・で、どうするの?」

 

「もう少し、喋るようにしたいと思います・・・」

 

結局、最後まで一緒にくっついて来たM君が会話に参加することは、殆ど皆無だった ヽ( ̄ー ̄*)ノオテアゲ

 

Mは喋らないだけでなく、相当に頭が悪かった。

 

(なんで、こんなヤツを取ったのか?

いったい、どんな面接をしたんだ?)

 

と、ずっと疑問に思っていた。M以外の2人もスキルはそれほど高くはなかったものの、飲み込みが早く教えたことに対しての応用が利いたが、Mだけは理解力も応用力もまったく「小学生レベル」だった。

 

PMやT氏からの作業依頼は、リーダーの自分に降りてくる。それらの作業分担をメンバーに割り振る時は、必然的にM以外の2人に頼まざるをえず自然と2人の作業負荷が高まった。作業が立て込んだ時は、本来Worker想定ではないリーダーの自分までもが、役立たずのMの代わりや尻拭いで実作業をしなければならない。Mに作業を任せた場合は、100%期待外れの結果しか出てこないため、それを直すのにかえって余計な工数が掛かったり、誰かをサポートにつけても結局二度手間となって効率が悪くなるだけで、Mには「現場立会い」など頭も技術も使わなくて済む、単に「居るだけでいい作業」しか振れなかった。

2010/12/09

謎(プロジェクトF)(3)

翌日の金曜に出勤すると、いつもは長テーブルに雁首を並べているサーバチームのメンバーは一人も居なかったが、代わりに見知らぬ男が一人座っていた。どこからも紹介も挨拶もなかったので、知らぬ顔を決め込んでいたが、そのうちに話してみると「ネットワークチームのメンバーとして採用された」ということだった。

 

聞けば、その週に「メンバー面接」が行われたとのことで、その面接では6人が参加して3人が採用されたという。

 

3人が採用されたって・・・じゃあ、後の2人は?」

 

見たところ、アナウンサーのようによく通る声で説明をした、このY君以外の人間は来ていない。

 

「一人は残作業があって、来週途中から入場と言っていました・・・」

 

「なるほど・・・で、もう一人は?」

 

「もう一人は・・・昨日は来ていましたけど、今日はまだ見掛けていないですね・・・私とその人は一昨日が面接で、昨日からここに来ています」

 

という。前日は現場作業に狩り出されて、池袋のオフィスには来ていなかった。

 

週が明けて火曜になると、Y君が「一人は残作業があって、来週途中から入場」と話していた若いK君が入場してきたが、先週Y君と一緒に入場したというMという人物は、まったく姿を見せなかった。

 

「で、もう一人一緒に入ったと言ってた人は、どうなったんだろう?」

 

「いや、私はまったくわかりません・・・寧ろ、私の方が聞きたいくらいで・・・」

 

「先週の木曜に入場して、その後、金、月、火と来ていない・・・連絡とかしてなかったら相当に拙いな・・・」

 

「拙いですね・・・」

 

といっていたが、PMからもT氏からもそれについて何の話も、逆に何かを聞かれることもなかった。

 

ともあれ新規参入組のリーダーとしては、このまま放置しておくのも拙いと思い、T氏に聞いてみると

 

「そういえば、出てきてないですか・・・?

なにも連絡とか、来てねーなー」

 

と、暢気なことを言った。

 

元請の営業に、ことの次第を伝えると

 

「それは大変だ・・・なにも聞いてなかった。直ぐに所属会社に確認してみる」

 

と大慌てだったが、翌日になってようやく出勤してきた。

 

新規参入の4人が揃ったところで、既存のメンバー4人が集められた。

 

「にゃべさんは新規メンバー4人のリーダーとして、またオレの代わりを期待している。 今後はTと相談しながら、推進役をお願いしたい。後の3人は、当面はTやにゃべさんの指示に従って、既存の技術者2人と協力またはサポートしてください」

 

という説明はあったが、具体的な作業指示はなくその後の数日間は、殆ど終日資料を読むだけに費やされた。さらに信じ難いことに、数日程度の我慢と思っていた座席も

 

「まだ席が作れずPCも使えないので、取り敢えずは設計書など資料を見ていてくれ」

 

という状態が、延々と続いた。

 

サーバチームは先に触れたトラブル対応で忙しいため、殆どが交代で現場に張り付いていた。現場の粗末なパイプ椅子がすっかり常駐席になっているらしく、池袋のオフィスにいるのは10人以上いるうちの常に数名に過ぎなかった。残りの「待機組」と、我々ネットワークチームの4名が「打ち合わせ用の長テーブル」に雁首を並べている状況は、延々1ヶ月に渡って続いた。

 

そんな中、サーバチームの要員として一緒に入場しながら、勝手に「リーダー面をした振る舞い」をしていた50代の二人は、1ヶ月で早々に「スキル不足」でNGとなり、現場から姿を消していた。ネットワークチームの方も、新規参入のWorkerたちは障害対応などなにかと理由をつけて、暑い現場へと狩り出されていった。

 

ようやくにして、PC設置の許可が出たのが半月以上経過した頃で、オフィスへの入退場に必要となるセキュリティカードの発行に到っては丸1ヶ月掛かり、それまでは毎朝ゲストカードを借りて入退室する日が続いた。

 

そうした悪環境を呪っていた技術者の1人が、遂に本番移行前に「体調不良のため入院」と称してトンズラを決め込み、また元々稼働が酷かったらしいT氏は半分程度しか出てこなかったため、残ったメンバーの負荷が益々高まる。ほぼ同じ時期に入ったメンバー3人のうち、YとKの2人はレベルが高いとはいえないまでもそこそこ使えるレベルだったが、残る1人のMというのがトンデモなく酷いことが判明した。

 

過去に色々な現場で多くの技術者を見てきたワタクシでさえ

 

(こんなに使えないバカは、これまで見たことがない)

 

という酷いレベルだった。

 

単に技術力が低いと言うだけでもITの現場としては致命的だが、このMの場合はそれだけでは済まず、コミュニケーション力を含めたなにもかもが、まったくダメだった。技術者として以前に、社会人としてまったく使えないのだ。

 

実に、会話すらまともに成立しなかった。なにせ、殆ど喋らないのである。

 

昼休みになると、みなで揃ってランチを食べに行くのが恒例になっていた。駅前に店がたくさんあって、その日どの店に入るかは交代で選ぼうということになったが、Mだけは自分の意思というものがまったくない。

 

「どこにするの?」と聞いても「え・・」とか「あ・・・」という以外にまともな返事が返ってこず「面倒だから、こっちで決めていいか?」といえば「ハイ」としか言わない。食事中も、まったく口を利かなかった。

2010/12/02

劣悪な環境(プロジェクトF)(2)

この業界では「OJT」などという親切ものがあるはずはないが、この時はサーバ関連の業務でバックアップだかリカバリか何かに失敗して、大混乱していた。そのため、サーバ側で採用された中で特にスキルの高そうな2人が、その対応で呼ばれて「拉致」されていく。サーバに比べ、ネットワークの方はまだ余裕があったらしいとはいえ、無論初回説明などはなく

 

「まだ席が作れずPCも使えないので、取り敢えずは設計書などの資料を見ていてもらいたい」

 

と、PMから指示が出る。

 

「今日は担当のTが休んでいるので、具体的な作業のスケジュールなどは明日、Tが出てきたら話しましょう」

 

ということだった。

 

まだ入ったばかりだから、この時点では勿論T氏の稼働があんなにも酷く、またあれほどいい加減な人物とは想像だにしていなかった。サーバチームの方は、初日の午前中に「拉致」されていったスペシャリストらの調査の結果、バックアップだかリカバリだかが上手くいっていない件で、その復旧にはとんでもなく人手が必要となるということが判明し、その対応として木曜日には新規参入の10人を超える全員が作業場所に狩り出される。駅で待ち合わせをして、初日から対応に当たっていた担当者に案内してもらいながら話を聞くと、初日の午前中に「拉致」されて以降、ぶっ通しの徹夜作業で水曜日の朝まで「48時間連続勤務」、一旦帰宅して少し寝たが水曜の夜にまた呼び出され、今まで対応していたということだった。

 

なんとも恐ろしい話だが、この現場ではこのくらいは日常茶飯事のように行われていたことが、すぐに判明する。しかも稼働負荷が高いばかりではなく、作業場所となるこの役所の施設が蒸し風呂のように異常に暑かった(通常いるオフィスは、まだマシだったが)。連日、35度を超える茹だるような猛暑だというのに、冷房がまったく動いていないのだ(この時は、まだ福島の原発事故前の話である)

 

健康ランドの脱衣所にあるような大型の扇風機が何台かあったが、どれも見当違いの方向を向いていて一向に風が来ない上、そもそも冷房の入っていない蒸し風呂のような部屋だから、単に熱風をかき回しているに過ぎず、団扇や扇子で扇ぎ滴り落ちる汗を拭きながらという劣悪な環境である。これに人の多さが、暑さに余計に拍車をかける。特に「本番移行」となると、各チームの関係者が集まるためか、そんなに狭くもない作業場所が人で埋め尽くされていたため、これが益々部屋の温度を上げていた。一旦、トイレやタバコなどで席を立ってから戻ってくると、それまで座っていた場所に誰かが座っているということも多く、作業PCすら数が不足していて満足に使えないということも珍しくなかった。

 

ある本番作業で、9時に現場に入ると既に立錐の余地もないくらいに埋まっており、座る場所がないということもあった。が、見渡してみると、常に居るだけで殆ど作業らしきことをしていない者が多く、実質的には半数もいれば充分なのではないかと思えた。さらに、この暑さに拍車をかけていたのがFのマネージャー連中である。Fと言えば、日本を代表するような大手電機メーカーだから、そのマネージャーともなればれっきとしたエリートのはずだ。が、マネージャークラスの面々は「エリート」のイメージとは遥かにかけ離れて、なぜかヤー公か土方のように極めて柄が悪いのが揃っていた。

 

現場作業は、マネージャーより下の者が仕切っていたが、障害など何らかの問題が出ると「責任者」のマネージャーが登場してきて、部下のPLを相手に聞くに堪えないような汚い罵詈雑言で怒鳴り散らすのが恒例となっていた。

 

「障害など何らかの問題が出ると」と書いたが、実際の本番作業では殆ど問題なく終ったためしがなく、必ず何らかの問題が発生してマネージャーが出てくる、というのが「お約束」のようになっていた。おまけに最寄り駅の周辺はそれなりに栄えていたが、駅から徒歩10分以上にある現場の周辺はまったくなにもないところで、食事は近所の薄汚い弁当屋か1件だけあったコンビニで済ませるという、実に劣悪な環境だった。しかも設定変更や移行といった本番環境の作業は、当然のことながら深夜に行われる。となると弁当屋は閉まっているから、1件しかないコンビニ以外に選択肢はなかったが、そのような作業の時は多くの関係者が出ているので、残り物にしてもろくなものが残っていないという悲惨さである。

 

このようにして、ただでさえ劣悪な環境をなんとか我慢して作業に当たりながらも、ガラの悪いFのマネージャーの激怒の矛先が、いつこちらに向いてこないとも限らないという別の緊張感の中で、みな針の筵に座らされているような心境だった。

2010/11/25

現場(プロジェクトF)(1)

ネットワーク担当の体制は、トップに面接を担当していたPMが居て、その下に同じ元請C社のT氏、さらにバリバリの技術者が2人(1人はチャイナ人)の4人だ。実作業はPMを除く、バリバリ技術者のT氏以下の3人で行ってきていた。

 

今回の採用は、この夏から始まる「K省大規模Web系システムのインフラ更改」というミッションに向けた増員計画である。10人以上が一緒に面接をした「リーダー面接」で採用されたのは自分ひとりだったが、その後に行われた「メンバー面接」では、新たに3人の技術者が採用されたらしい。

 

後続の3人はWorkerの役割で、その3人をまとめるリーダーかと思っていると、PMから「オレの代わりの役目を期待している」と言われた。PMの月間稼動時間は優に300時間を優に超えていたらしく、そうした負荷を軽減していく役割が特に期待されていた。

 

が、いきなり「オレの代わり」と言われても

 

(まだ入ったばかりの自分に、数年もこのシステムに携わっているPMの代わりなど、おいそれと務まるかいな・・・)

 

というのが正直なところだ。本来であればPMと同じ社の後輩で、その役を務めるべきはT氏であったが

 

「あいつは、まだまだダメだから・・・」

 

などと、PMは常にT氏をボロクソに貶していたようにまったく信用しておらず、その人物に代わる役割も期待しているようだった。

 

なぜT氏は、PMからボロクソにこき下ろされているのか?

技術スキルは高いT氏だが、調整や折衝などトップに必須のコミュニケーションスキルや推進力がまったくない。おまけにいい加減な性格で、休んでばかりいた。

 

既存の技術者からも

 

「にゃべさんは、これからAさん(PM)の代わりですよ・・・」

 

と冷やかされ

 

「Tさんがいるのに・・・」

 

と言うと

 

「Tさんは、リーダーというタイプじゃないですよ。にゃべさんが頑張ってください」

 

などと、冗談交じりに言っていた。

 

最近はどこの現場に入るのにも、入場の手続きが段々と煩雑化してきている。契約が決まってから、実際に入場するまでに様々な手続きがあって、待たされたりすることも珍しくない。特に今回のような官公庁系のプロジェクトの場合、その傾向が益々顕著となるのが相場だったが、その点でこの現場は特に酷かった。

 

とにかく人手が必要だということで無理やりに人を突っ込んだのは明らかで、受け入れ準備がまったく整っていないのだ。通常、作業で使用するPCは現場側で用意するのが当たり前だが、この現場では

 

「作業用PCは、自社にて用意すること」

 

というルールがあった。

 

しかも

 

「入場日には、現場に到着していること」

 

という指示があり、さらに使用するPCの「条件」も

 

ü  HDDはデータが保存されていない新品であること

ü  BIOSOSのパスワードが設定されていること

ü  Windowsアップデートを行っていること

ü  ウィルス対策ソフトが入っており、ディスクのウィルススキャンを行っていること

ü  それらの結果、総て問題ないことを証明するエビデンスを提出すること

 

といった、細々とした指示が出ていた。

 

そこまで細かいことを言うなら、そっちで用意してくれと言いたいところだが、仕方がない。今回、所属することになったS社のD社長に用意してもらうことになった。

 

木曜日に面接、金曜午前に「OK」が出た後、土曜日にD社長自ら秋葉原に出向いてPCを購入、アップデートなどで深夜まで掛かって日曜に発送し、月曜の朝には宅急便で現場に届いていた。ところが当日現場に入ると、ネットワークは当初はワタクシが1人だけだったが、サーバ側は10人ほどが採用されていたため「席がない」という状況で、暫定として打ち合わせ用の長テーブルに新規参入の10人以上が雁首を並べて座らされることに。そんな状況だから当然PCの設置など出来るわけもなく、折角初日に合わせて送られてきたPCも、当面ダンボールに入ったまま眠らされるというバカゲタことになっていた。

2010/11/09

山梨

出典:山梨の由来:山梨祇園祭ページより引用

月見里」と書いてヤマナシと読める人は少ないと思いますが、その昔「月見里」と書いて「ヤマナシ」と呼ばれていた。山梨には、山がない。山がないからヤマナシというのであり、お月見が最高の景観でできることから月見の里となったと考えられる。

 

山梨周辺の山々は古代では岡と言い、この程度の高さの山では和田岡(掛川市)というように山とは言わなかった。袋井市国本の富士浅間神社にある鰐口(ワニグチ)には、天正十七年(1589年)五月、本願、本間源三郎、月見里、大工助九郎の銘があります。浅間宮へこの二人で鰐口を寄進したものであり、大工の助九郎は山梨の在住者であったと推定できる。

 

用福寺の過去帳には、橘逸勢の辞世の句として伝えられる

 

「都をば 今は遥かに遠江 月の隈なき月見里郷(ヤマナシノサト)」

 

の句と、逸勢の名前の記載がある。藤枝市には月見里神社があり、清水市には月見里(ヤマナシ)さんという姓をもつ人がいる

これらは静岡県だが、かつては山梨県だったか?

 

地名では甲斐の国に山梨郷、上野の国に山字郷(ヤマナノサトと読む)、下総の国にも山梨郷という地名があり、室町幕府の有名な武将「山名宗全」は、上野国山名郷の出身である。ヤマナシ・ヤマナという地名は、全国にいくつもありそうです。

 

これらの地名は、1500年以上も前に勢力を奮った物部氏の支配地であり、物部氏のなかで物分山無媛(ヤマナシヒメ)の名前が出ており、応神天皇のお妃になっている。物部氏一族が大和国奈良から、東国へ勢力を広げていく中で「ヤマナシ」という地名を付けたと考えられる。日本の建国とともに地名が広がり、遠江国ヤマナシは由緒ある地名となり、全国のヤマナシのルーツとなった。

 

月見里「ヤマナシ」は、清らかな川の流れと豊かな作物に恵まれ、当時の文化人が集まって集落ができており、この地域は大和文化が広められた時代の先進地でもあった。

 

 

山梨県は、県成立時の県庁所在地の郡名「山梨郡」に由来する。「山梨」の地名の由来は、バラ科ナシ属の「ヤマナシ(山梨)」という木が多いことからという説が通説となっており、奈良時代には既に「山梨郡」として見られることから、妥当な説である。

 

その他、山梨の「なし」は「成す」の連用形「成し(〜のある所の意味)」で「山成し」を由来とする説や、反対に土地が平らで山が無かったことから「山無し」の意味で「山梨」になった、とする説がある。この地は八ヶ岳や南アルプスの裾にあたり、山梨の「なし」は「山裾」を意味する「那智(なち)」のことで「山那智(やまなち)」と呼ばれていたものが転じて「山梨」になったとする説もあるが「那智」自体にそのような意味はないため考え難い。

 

「やまなし」の由来は、果物のヤマナシが沢山採れたから、山を均して平地にした「山ならし」から変化した、などの諸説がある。

 

『和名抄』では「夜萬奈之」、「山無瀬」と訓じられている。和銅6年(713年)の「各地の地名は好字(縁起の良い漢字)二字で表せ」とする和銅官命の後から「山梨」の名前が定着し、使われ始めた。そのため、巷間に通説だとして流布している「山梨の由来はヤマナシ(山梨)の木が多かったから」というものはいささか単純すぎるものであり、語源としては「山ならす(山平らす)」が「やまなし」へと転化してゆき、それに好字としての「梨」の字を当てたと見るのが有力である。「山ならす」とは、甲府盆地の東部に位置し、盆地を囲む山々を除けば高低の少ない平坦な土地であった当郡を表した言葉である。

 

『和名抄』では、甲斐国府は八代郡に所在していたと記載され、『和名抄』の成立した後期国府は山梨・八代郡境に当たる御坂町国衙の地に想定されているが、山梨郡域にあたる旧春日居町域には「国府(こう)」や「鎮目」などの地名や、県内最古の古代寺院である寺本廃寺や官衙遺跡、または郡家遺跡と考えられている。国府遺跡など『和名抄』成立以前の初期国府が所在していた、と考えられている。

 

また一宮町域には、甲斐国分寺・国分尼寺跡が創建されているなど、山梨郡は古代甲斐国における政治的中心地であったと考えられている。古代には在庁官人の三枝氏が勢力基盤とし、中世には甲斐守護武田氏の守護所が置かれた。戦国時代には甲府の地に(躑躅ヶ崎館)が築かれ、甲府は城下町として整備され近世に至るまで国中地域や甲斐国の中心となった。

出典 Wikipedia

 

出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

古代からの郡名で、県の中央北部、甲府盆地から北の甲武信岳をはじめとする秩父山地にかけての日川右岸および笛吹川右岸に位置し、おおむね現在の甲府市(荒川右岸の区域を除く)、山梨市、塩山市(日川左岸の区域を除く)、東山梨郡(大和村および勝沼町の日川左岸の区域を除く)の地域です。

 

『和名抄』は、「夜万奈之(やまなし)」と訓じます。郡名は、山梨の木が多かったことによるとする説、「山ならし」で「緩傾斜地」の意、「山を成した地」の意とする説(「山無し(『甲斐国誌』)」は誤り)があります。

 

この「やまなし」は「イア・マ・ナチ」、IA-MA-NATI(ia=indeed,current;ma=white,clear;nati=pinch,contract)、「(山々が)締め付けられている・実に・清らかな(地域)」の転訛と解します。

2010/10/24

秋の嵐

某官庁系の公開Webサービスに関わる移行業務が、いよいよ大詰めを迎えている。

 

キャリアのデータセンターでネットワーク検証を行った週の勤務は、土日のデータセンターでの試験を含めて70時間超に達した。金曜~田舎のデータセンター出張の土日までの3日は続けて終電で、先週も2日続きで終電、深夜の食事後にblogの更新をするのが精一杯と時間が取れない。得意の「体調不良」という奥の手を使い、午前休などでなんとか凌いでいる状況だ。

 

そんな状況にもかかわらず、現場では予算や人員削減、或いは人員増員といった両極端な情報が錯綜して

 

「もしかすると、このプロジェクトは近いうちになくなるかもしれない」

 

という話まで飛び出し、元請け会社とクライアントPMの間で連日怒号が飛び交うという、大荒れの状況だ。これまでにも何度か書いてきたように、色々な意味でかなり悪環境の職場なので未練はないが、このような話を何の前触れもなく突然言ってくるのは、実に困ったものである。

 

そんな中、少ない休日を利用して調子の悪かった携帯をiPhoneに変えたり、PCのメモリを増強したり、或いはスーパーでたまたま目に付いた羊毛混布団三点セットと京都西川の毛布を買ったのは、ストレス解消になったかもしれない。ヒトヤマ越えた先には、果たして何が待っているのか?

2010/10/02

インフルエンザとジェット風船(ジェット風船でボロ儲けのなにわ商法(番外編)

昨年は、インフルエンザ騒ぎが起こった。以前にも書いたが、マスゴミは「新型インフルエンザ」について騒ぎ過ぎだ。かつての「コレラ」や「エイズ」のような「死の病」かと思えてしまいそうなほどで、それほどの大層な病気でもないのに学校は休校になるわ外出禁止令は出るわ、ハタマタ勤め人は時差通勤を強制されるわで、挙句の果ては修学旅行などのキャンセルも相次ぐという、救い難いバカバカしさである。

 

罹患者の出た学校では「1週間の休校」とやっていたが「1週間休校」でインフルエンザが総て駆逐できるなどは有り得ないのだから、単なる気休めに過ぎない。やるのであれば、インフルエンザが駆逐されるまで徹底しなければ、1週間後には元の木阿弥なのである。また外出禁止令や時差通勤にしても、罹患したくない人々が自ら進んでこのような立場を取るのはわかるが、自治体や企業などに上から「自粛を強要」(日本語になってないが)されている現状は、あたかも全体主義の国家統制を見るかの如しである。

 

「罹患したくない」と思えば、このような「統制」を行わずとも自ら予防に務めるだろうし、逆に良識のないバカ者は「統制」の網の目を掻い潜ってでも遊興に耽ろうとするのが世の常だから、そのような愚か者は罹患の憂き目に遭うことによって、自らの愚を身をもって経験すればよいではないか。

 

「そうした愚か者が、ウィルスを蔓延させるのだ」と言うなら、その予防対策はあくまで良識ある者の振る舞いに任されるべきであって、本来誰からも強制される筋のものではないし、そのようなことを言い出したらインフルエンザにだけ限定するのも、おかしな話である。所詮は迷惑の交換で成り立っているのが、この世の中なのだ。

 

それはともかくとして、このインフル騒動によって「ジェット風船」も大打撃を受けることになった。

 

《唾液がジェット風船(主に吹き込み口)に付着し、飛ばした際に唾液が撒き散らされる事があり、感染症対策の観点から懸念が広がっている。2009年新型インフルエンザ問題では、兵庫県神戸市で感染者が見つかったこともあり、飛沫感染の危険性を考慮し京セラドーム大阪で使用を自粛するようになったのを皮切りに、追随する形で全国各地の全ての球場で規制を実施、5月下旬以降は全ての球場からジェット風船を飛ばす光景が消滅したが、6月下旬には鎮静したと判断され、ゴミ飛散防止を理由に禁止となった神宮球場を除く各球場で順次、ジェット風船を再開することになった>

 

このようにジェット風船はまたしてもしぶとく復活してきたが、インフルエンザの騒ぎは繰り返されるだけに、年商数億の業界にとっては今や死活問題となっていそうである。 それはともかくとして、野球の応援にジェット風船を考え出した、この世にも賢くもフザケタやつは一体、誰なのだろうという点が気になるのだが。

2010/09/20

悪環境

今月も半ばまで35℃前後という酷暑が続き

 

「これが9月の気候か?」

 

とうんざりさせられたが、まだ30℃前後の日々が続いているとはいえ、9月も半ばを過ぎたところでようやく少しは過ごしやすくなって来た。

 

先月も書いたように、参画している某官庁の公開系大規模プロジェクトが、まだまだ忙しい状況だ。先月は大きなイベントが重なったこともあって、生まれて初めて38時間連続勤務なども経験したが、無事本番移行を終えたところで休む間もなく、早くも次システムの本番移行が動き出した。

 

先日はその前段となるネットワーク試験対応で、食事を摂る暇もなく頑張った挙句に、終電を逃すハメに。なんとか当日の予定を消化した時は、既に0時近くになっており

 

「仕方ない・・・ビジネスホテルにでも泊まるか・・・」

 

という想定は、もろくも外れた。

 

試験現場の某大手キャリアのデータセンターは、東京の外れにあって

 

「これが東京なのか?」

 

と目を疑うほどに、駅の周辺はネットカフェや漫喫もなにもなかった。唯一、駅ビルの中に入っているホテルは、シングルが11万円とイナカ風情に似合わずバカ高かったが、野宿をするわけにもいかないから自腹覚悟で意を決してフロントへ行くと、シングルは既に満室でデラックスツインしか空いていないという。こちらは115000円で、経費で精算できるのは精々が50006000程度だろうし、1万円もの自腹などは冗談ではない。仕方なく、雨上がりの寒空で寒気に震えながら散々うろついた末、結局はファミレスで夜を明かし始発で自宅に帰ることになったが

 

「始発だから、電車もガラガラだろう」

 

という田舎者の期待を裏切って、ナント座るのもままならない混雑だから、改めて東京の人の多さには呆れた。

 

そんなこんなでblogの更新どころではなく、風呂に入って惰眠を貪っていると、10時前には「早く来てくれ」というメールが飛んで来た。先月書いた蒸し風呂のような現場とは違い、こちらはデータセンターだけに空調の風が吹きさらしの寒さに晒されながら、何とか試験日程を終えた。これまで夏バテとは一切無縁だったが、満足に食事も摂れなかったり、近所にコンビニが1件しかなくろくなものが喰えない悪環境のせいで、体重計に乗るのが怖くなるほど痩せに拍車が掛かっている。

2010/08/29

猛暑続く

今年の夏は暑い。夏だから暑いのは当たり前で、7月生まれの「夏オトコ」としては暑いのは決して嫌いではないし、これまでも「夏バテ」などとはまったく無縁だった。とはいえ連日35℃前後の猛暑が続き、8月も終わろうかというこの時期になっても一向に暑さが和らぐ気配すらないとなると、さすがに「もういい加減に涼しくなってくれよ」と言いたくもなろうというものだ。

 

7月から、某官庁の大規模プロジェクトに参画していて、この現場がシステム移行期間のため非常に忙しいという話は先月も書いた通りで、そんな状況だけにお盆休みも夏休みもない。それどころか、一般向けにサービスを提供している「本番稼動」のシステムだから、移行切替作業は土日や深夜が中心となり、殆ど毎週のように休日出勤となるのも、これまた当たり前のようになっている。

 

昨年も、やはり大規模システムの移行切替作業で、昼12時~翌日昼12時までという「24時間勤務」をリハーサルと本番の2回で経験したが、先日は公開Webサービスの切替に備えた性能試験の追い込みでトラブルに見舞われ、想定外の37時間勤務」(朝9時~翌日夜10時)を経験するハメになってしまった。よりにもよって、この猛暑の最中に冷房さえ効いていないクソ暑い蒸し風呂のような現場で汗を流しながらの勤務で、風呂はおろかシャワーや洗髪も出来ないだけでも地獄だが、その上に食事もろくに取れず近所の弁当屋かコンビニのおにぎりで済ませるという、実に劣悪な作業環境なのである。

 

営業からは「このご時世に残業代が出るだけでも、実にありがたいことだ」などと励まされているが、連休を取るのさえ至難の業だけに、恒例の夏の旅行は夢のまた夢。花火見物や飲みすら予定が合わず、満足に行けない状況が続いている。

 

最大のイベントが終了し、一応はピークは超えたとはいえ、元々いい加減な突貫工事で構築して来たようで、あちこちからボロボロとトラブルが頻出しているから、その対応で技術スキルの高いエンジニアが、徹夜続きで遂にぶっ倒れて入院してしまった。さらにはリーダー格も、連続徹夜~病欠というサイクルが続く危険な状況に陥り、残りのメンバーの負荷が高まってきているだけに、まだまだ予断は許さない状況である。

2010/08/27

風邪薬

ワタクシはこれまで大きな病気は一度もした事がなく、風邪もあまり引かない体質だ(年に一度、あるかないか程度か)

 

そんなワタクシのところにも、かつて「xx医薬品」という置き薬の営業マンがやってきた。

 

「風邪も滅多に引かないから、そういうのはまったく要らないよ」

 

と即座に断ると

 

「置いていただくだけで結構です。ずっと置いたままで、使わなければ無料ですから」

 

と若い営業マンは、手を合わせんばかりにして熱心に食い下がった。横柄なヤツには徹底的に反発したくなるが、こういった腰の低い若い相手には案外と寛大なのである (^^)y-o

 

実は面倒になったというのが真相だが、真面目そうな相手が少し気の毒にもなり

 

「別に置いておくのはいーけど、まずひとつも使うことはないし、ウチなんぞに置くメリットはまったくないけど」

 

「いえいえ・・もう、置いてくださるだけで結構ですから、ハイ」

 

といった経緯を経て、不要な置き薬の山が置かれることになった。

 

とはいえ、冒頭にも書いた通り滅多に風邪を引かない上に、たまに引いても定価の置き薬よりは近所の安いドラッグストアで買ってしまう。遂には、数年間手付かずで埃を被ったまま一度も使う事のないままに、営業マンが回収に来た時には、その存在さえ忘れていた。

 

ところで薬局へ風邪薬を買いに行けば、ご存じの通り棚狭しと各メーカーの薬がズラリと並んでいる。

 

(この中の、一体どれが良く効くのかいな・・・?)

 

などと迷いながら見ていると、まだ坊ちゃんのような童顔の薬剤師が出てきた。

 

「やあ、風邪ですか?」

 

「ああ・・・薬にも、随分と色んなのがあるんだね。安いのは700円で、高いのは2000円か・・・同じ量でも随分値段が違うようだが、高い方が良く効くってわけでもないんだよね?」

 

と訊くと

 

「それは、あまり関係ないですよ・・・」

 

「じゃあ、実際のところどれが効くんだ?」

 

「う~ん・・・実際には、あまり違いはないかな・・・」

 

「だったら、この値段の違いはなんで? 随分と差があるじゃん?」

 

と考える間を与えずに一気に畳み掛けると、若い薬剤師君は周囲に客の姿のない事を確認してから、おもむろに話を始めた。

 

「実は・・・ここだけのブッチャケですが、中身はどれも殆んど変わりません。 成分表とか、良く見てもらえればわかるんですけどね。メーカーは沢山ありますが、実際に作っている工場は幾つもないですから、殆んど同じところで作られたものなんですよ、これらは。

ですから値段の差は、会社の知名度とか宣伝費が上乗せしてあるだけなんでして・・・まあ本当のところは無名の700円のでも、タイショーやタケダも正味は変わらないんですよ。本当は薬剤師のボクが、こんなこと言ったらダメなんですけどね、ハハハハ」

 

というわけで、皆さんもお金に詰まっている時に風邪を引いたら、迷わず一番安い薬を買いましょう。

2010/08/02

栃木(2)

栃は洒落から始まった

栃木という県名の由来が、明治時代の県庁所在地『栃木市』に端を発していることは、多くの県民が理解していることだろう。では、その栃木の語源はと言うと、殆どの県民は知らないのではないか。

 

素人考えであれば「その昔、栃木にはトチノキがたくさん生えていて、それが訛ってトチギになった」という嬉しい推論も成り立つが、現在では次のような解釈で県関係の文書では説明されている。

 

その昔、現在の栃木市城内地内に『神明宮』という神社があって、人々の信仰を集めていた。その社の屋根には『千木』と書いて『ちぎ』と呼ばせる、冠のような構造物が付いていた。伊勢神宮や出雲大社の千木は、巨大なことで有名である。

 

通常は屋根の端と端に一対付いているのが普通だが、神明宮のそれは十本もあって大層立派であったそうな。実際の残り八本は鰹木と呼ばれる頭飾りだったろうが、目立っていたことだけは確かだと思う。ロマンチックな人は、もうお気付きだろうか。

 

そう『千木』が『十』あって、即ち『十千木』なのである。言わば洒落の産物だ。さらに「とちぎ」に当てられた漢字が、また奮っている。千を十倍して万になることから、とちの漢字には『杤』という文字が使われていたのだ。現在では、石という意味の『』を付けて表記する。これが明治12年に決められた国字『』の字だ。

 

和名の由来

トチノキという和名を分解すると「トチ」と「ノキ」になることは明白だ。下のノキはヒノキやセンノキの例でも分かるように、樹木であることを伝えるための接尾語である。だから、山仕事に従事して木々の識別に慣れている人々は、単に『トチ』とだけ言う。こうしておけば、実や葉を表すにも「トチノキの実、トチノキの葉」と言わず「トチの葉、トチの実」で済む。もっとも、栃木県民であれば『トチノハ』と音声で言われてもピンと来るだろうが、他県ではどうか。

 

さて、肝心の『トチ』の意味である。実は、これが不明なのだ。スギならば「真っ直ぐ育つ」のスグか転訛したもの、とすぐに説明が付くが、トチはその由来が解明されていない。逆に考えれば、それだけ大昔から私たちに馴染みの深かった樹木と言えるだろう。

 

同様に日本特産の母樹ブナも、その語源が不明だそうだ。アイヌ語では、木の実の総称をトチ、木のことをイと言うそうである。これを繋げると『トチイ』となって、いかにもの感があるが認められてはいないようだ。

 

《「とちる」という四段活用の動詞がある。役者がセリフを間違った時などに使う言葉だ。漢字であえて書くなら、もちろん「栃る」。この言葉の語源には、トチノキが深く関わっている。

 

栃の実には多量のデンプンが含まれていて、大昔から食用としていた。この加工食品の一つに『栃麺』という『変わりうどん』があって、米粉・麦粉に栃の実粉を混ぜ合わせる製法で作られる。しかし栃粉を入れると堅くなる時間が大変短くなり、急いで延ばさないと麺にならない。

 

作る人は、目を丸くして麺棒を動かさなくてはならない。そんな慌てふためく様を見て、食べる人はきっと滑稽を感じたのだろう。そこから派生し、慌てたり驚いた様子を『栃麺棒を振る』と言うようになった。これが動詞の『とちめく』に転訛し、慌ててうろたえることを表すようになったのである。現在では、それが短縮形となって『栃る』になっている訳だ。

 

「面食らう」も、ここから来ているらしい。自分勝手に理解して失敗することを『早とちり』と言うが、これは歌舞伎の世界の言葉で舞台入りのタイミングを焦って、早く上がってしまうことを指す。

 

さらに「とちり」には、業界用語で「特等席」の意味がある。観客席で前列より「い・ろ・は・に」と列名を打っていくと、一番舞台の良く見える席が79番目の列の中央部分であることから、この7列目=と、8列目=ち、9列目=り、の3列を合わせて「と・ち・り」となり、役者の一挙一動がよく分かる座席となる。これらの席には当然、御祝儀をはずんでくれる上客が座っているので「とちりには、特に気をつけるように」と座長から言われていたに違いないのである。

 

さて、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(弥次・喜多道中)に登場する主人公二人のうち、おっちょこちょいの弥次さんこと弥次郎兵衛の屋号は「栃面屋」だったという》