2005/11/30

J.S.バッハ 小フーガ ト短調 BWV578

 


楽曲の規模から「大フーガ」と呼ぶこともある同じト短調である《幻想曲とフーガ BWV 542》との混同を避けるため「小フーガ」の愛称で親しまれている。この「小フーガ」、「大フーガ」という呼称は、BWV番号が存在しなかった時代の名残りである。

 

4小節半のフーガ主題は、バッハの最も分かり易い旋律として名高い。作品は4声フーガとして、数学的に精密に構成されている。また、対主題(固定対位句)を伴う。エピソードの中で、バッハはコレッリの最も有名な作曲技法を取り入れている。すなわち、模倣し合う2声のそれぞれに8つの音符が現れ、前半4音で一気に駆け上がったあと、後半4音で一息に駆け下りるという手法である。

 

この「小フーガ」は1709年頃、バッハが宮廷のオルガニストとして活躍していた時代に作曲された。主題の美しさと流暢な書法を特徴とし、バッハのオルガン曲のなかでも最も親しみやすいものの一つであり、管弦楽編曲によっても広く知られている。


バッハはオルガンのための独立したフーガを数曲書いたが、その殆どはヴァイマール時代およびそれ以前の作品である。その中には、レグレンツィの主題によるもの(BWV574)やコレルリの主題に基づく曲(BWV579)が含まれるだけでなく、全体として当時のイタリア様式を研究したあとが見られ、この曲もその一つ。この曲の最大の魅力は主題の際立った美しさで、ひと滴くの水滴が溢れ出る泉のように展開していくところであろう。

2005/11/23

ラロ スペイン交響曲(第4&5楽章)

出典http://www.yung.jp/yungdb/mobile.php

 

ラロはスペインと名前のついた作品を生み出したが、フランスで生まれてフランスで活躍し、フランスで亡くなった。ただし、お祖父さんの代まではスペインで暮らしていたため、スペインの血は流れていたらしい。

 

彼は1823年にフランスのリルという小さな町で生まれ、その後パリに出てパリ国立音楽院でヴァイオリンと作曲を学んだ。そして20代の頃から、歌曲や室内楽曲を作曲して作曲家としてのキャリアをスタートさせようとしたが、これが全く評価されず失意の日々を過ごしす。その内に作曲への夢も破れ、弦楽四重奏団のヴィオラ奏者という実に地味な仕事で生計を立てるようになった。

 

このようなラロに転機が訪れたのが、アルト歌手だったベルニエと結婚した42歳の時だ。ベルニエはラロを叱咤激励し、再び作曲活動に取り組むように励ました。ラロも妻の激励に応えて作曲活動を再開し、ついに47歳の時にオペラ「フィエスク」がコンクールで入賞、その中のバレー音楽が世間に注目されるようになる。

 

そんな彼をさらに力づけたのが、1874年にヴァイオリン協奏曲がサラサーテによって初演されたことだった。その翌年には、この「スペイン交響曲」が生み出され、同じくサラサーテによって初演され遂に大成功を収める。

 

これ以外にも「ロシア協奏曲」とか「ノルウェー幻想曲」というようなご当地ソングのようなものをたくさん作曲しているが、これは当時流行し始めた異国趣味に便乗した側面もあった。しかし華やかな色彩感とあくの強いエキゾチックなメロディは、そういう便乗商法を乗り越えてリスナーの心を捉える魅力を持っている。

技術審査(Gシリーズ第6章)後編

 久しぶりにRFC(日本語版)を開いてみるが、相変わらずヘタクソな翻訳のせいもあって、ワケがわからない記述のオンパレードだ。しかしながら、これが理解できない事には話にならない。RFC本文にWebで検索した解説書と、自腹を切って買った解説本を見比べながら、久しぶりに一週間(実質的には3日くらいか)グッタリと疲れるまで集中して勉強をした。

しかしながら怠け者のサガか、土・日に家で勉強する気にはなれず、不安を抱えたまま遂に本番を迎える。ところが、どういう風の吹き回しか(恐らくは、リーダーのN氏にケツを叩かれたか)、99%トンズラを決め込むと思われた無責任かつ薄情者のR氏が

「それでは始めましょう!」

と、自ら号令を掛けたのにはビックリだ。

これ幸いと連れ立ってサーバ室へ行き、証明書発行を行う。過去に何度も経験があるR氏とはいえ、久しぶりに行うとあって

「イカン、オレもすっかり忘れてるよ・・・落ち着け、オレ・・・」

と自信なさげなのが頼りなかったが、こちらに輪をかけたズボラで陽気な性格(と言うよりは自信家だけに、手順は忘れても能力頼みでどうにかなるという自信の裏付けで)、それだけ忘れていながら緊張感がまったくないのに救われた

手順書にしたがってWindowsを操作するだけだから、スキル的には並ぶ者なきR氏にとってはもとより、こちらにとっても思ったよりは簡単で、これに関しては拍子抜けするほどに呆気なく終わった。

そうして初日は無難に切り抜けたが、二日目からはそろそろ手順が複雑になってくる。ところが二日目の朝起きると、深夜の4時過ぎにR氏から携帯メールが入っていた。

「深夜に機器の障害対応で出たため、今日は昼からの出勤になります・・・わからないところはNさんに訊いて、昨日の続きから行ってください」

驚き半分の中にも、慌しく現場に到着した。

リーダーのN氏に

「Rさんが今日は午後からの出勤なので、Nさんに訊いてくれとメールが来ましたが・・・」

と切り出すと

「ああ、訊いているよ」

と、いつものように落ち着き払ったN氏は答えた。

今は管理的な立場となり現場からは退いていたN氏だが、5年前に始まったこのプロジェクト構築時からの唯一の生き残りだから、技術審査はこれまで誰よりも経験豊富である事はいうまでもない。というより何より、そもそも技術審査で使う環境の設計に携わった中心人物がこのN氏であり、N氏の設計に基づいて様々な実証テストを行って来たのが、N氏の後輩でワタクシの前任者だったM氏であった。それだけに、この環境の事については誰よりも詳しいのがN氏である事に疑いはない

「まず今日は何をすべきか・・・というところから整理してみようか」

と言いながら余裕綽綽のN氏は、得意のお手玉で遊んでいる。お手玉の軽快な音を背後に聞きつつ手順書を引っくり返し唸っていると、お手玉が後頭部を直撃した。

「イテっ!」

「あ、ゴメンゴメン・・・手が滑った」

「わざとやったでしょ?」

「わかった?」

「やっぱり・・・」

「じゃあ、そろそろ始めるか・・・」

一年以上も業務から離れていても、さすがにN氏の記憶は確かで、R氏が居る時よりも遥かにスムーズに進展した。こうなると、このまま来ないと思っていたし、寧ろ「来ない方がよかった」R氏だが、なぜか午後一番に張り切って出勤して来た。
 
自分が発行した電子証明書、そして相手が発行した電子証明書を解析していかなければならない。この部分は特に政府系機関としての基準が問われる部分だけに、どんな細かい間違いも許されない精密な仕事なのである。

ここは先に経験豊かなR氏の方でチェックを入れてもらう傍らで、自分自身もチェックを入れて最後に両方を付き合わせる。ASN.1の解釈でわからない部分はRFCに当たり、それでもわからない時はR氏に訊く事もあったが、逆にR氏の方が明らかに間違っている箇所も幾つかあり、その都度指摘すると

「アカン・・・しばらくやってないから、もうボロボロや・・・ちなみに、にゃべさんはどう解釈してるの?」

といった調子で、いつの間にか後ろで見ていたリーダーのN氏から

「オイオイ、Rさんがにゃべさんに訊いてて、どうするんだよ・・・」

と怒られる始末で、もはや二人のレベルに大差はないように思えた。

人間とは不思議なものだ・・・と、つくづく思う。あれだけ周囲から「やれやれ」とやかましく言われながらも、必要に迫られるまでは仲々やらないものなのだったが、いよいよやらざるを得ないところに追い込まれれば僅か三日程度というごく短期間でも、このように一生懸命に覚えてしまうものなのである。

当初は、幾ら読み返しても理解できなかったRFCASN.1のあのワケのワカラナイ文書や文法を、この短期間で殆どマスターする事が出来た「火事場の馬鹿力」は、自分でも信じられないくらいだった。

勉強家で、激辛口のK君も

「にゃべさんが・・・珍しくいつの間にか、かなり勉強してたんですね・・・」

などと感心していたが、実のところは覚えようという余裕まではなく、あくまでも業務に支障を来たしたり恥を掻いてはマズイ、という一心のみに明け暮れた数日間であった。

しかしながら、この難物さえマスターしてしまえば元々、現場では最も技術力の図抜けたR氏とそれに匹敵するワタクシのコンビだけに、この後も予想外にトントン拍子で事が運んだのも不思議ではない。

その間、業務アプリケーションの不具合に関するベンダーとの対応や、ネットワーク機器の入れ替えに伴うトラブル対応に加え、F/Wルールの見直しといった障害案件も2人で手分けしてこなしながら、互いに喧嘩を繰り返しながらも予定の1週間を大きく前倒しして、4日目の途中で総ての工程を無事に終えた。

2005/11/22

ラロ スペイン交響曲(第2&3楽章)

 


※出典http://www.yung.jp/index.php

 

《ラロといえば『スペイン交響曲』

それ以外の作品は? と聞かれると、思わず言葉に詰まってしまいます。いわゆる、クラシック音楽界の「一発屋」と言うことなのでしょうが、それでも一世紀を超えて聴き継がれる作品を「一つ」は書けたというのは偉大なことです。

 

なにしろ、昨今の音楽コンクールにおける作曲部門の「優秀作品」ときたら、演奏されるのはそのコンクールの時だけというていたらくです。そして、その殆ど(これはかなり控えめな表現で、正確には「すべて」に限りなく近い「殆ど」)が誰にも知られず消え去っていく作品ばかりなのです。クリエーターとして、このような現実は虚しいとは思わないのだろうかと不思議に思うのですが、相変わらず人の心の琴線に触れるような作品を作ることは「悪」だと確信しているような作品ばかりが生み出されます。いや、そのような作品でないとコンクールで良い成績を取れないがため、そのような類の作品ばかりを生み出していると表現した方が正確なのでしょう。

 

しかし、音楽はコンクールのために存在するものではありません。当たり前のことですが、音楽は聴衆のために存在するものです。この当たり前のことに立ち戻れば、己の立ち位置の不自然さにはすぐに気づくはずだと思うのですが、現実は一向に変わりません。相変わらず「現代音楽」という業界内の小さなパイを奪い合うことにのみ腐心しているといえば、あまりにも言葉がきつすぎるでしょうか。

 

ですから、こういうラロの作品を異国情緒に寄りかかった「効果狙いだけの音楽」だと言ってバカにしてはいけません。クラシック音楽というのは人生修養のために存在するのでもなければ、一部のスノッブな人間の知的好奇心を満たすために存在するのでもなく、まずは「聞いて楽しいという最低限のライン」をクリアしていなければ、話にはなりません。

 

ただ、その「楽しさ」には、色々な種類があるということです。あるものは、このスペイン交響曲のように華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるでしょうし、あるものは壮大な音による構築物を築き上げることで、喜びを提供するでしょう。はたまた、それが現実への皮肉であったり、抵抗であったりすることへの共感から、喜びが生み出されるのかもしれません。そして時には均整のとれた透明感に心奪われたり、持続する緊張感に息苦しいまでの美しさを見い出すのかもしれません。

 

ポップミュージックに対するクラシック音楽の最大の長所は、そのような「ヨロコビの多様性」にこそあると思います。そして華やかな演奏効果で人の耳を楽しませるという、ポップミュージックが最も得意とする土俵においても、このスペイン交響曲のように彼らとがっぷり四つに組んで、十分に勝負ができる作品をたくさん持っているのです。  そういう意味において、このような作品はもっともっと丁重に扱わなければなりません》

技術審査(Gシリーズ第6章)前編

 毎年11月といえば恒例の紅葉狩りが楽しみな季節であり、箱根や伊豆辺りの温泉に浸かりながら、ノンビリと紅葉を堪能しようかと密かに目論んでいた。 そんなところへ青天の霹靂というべきか、直前の10月末になってあたかも待ち構えていた嫌がらせのように、思わぬ誤算が出来した。

ナント、職場において前年11月の出向以来、初めてとなる「大任」が決定したのだ。しかも選りにも選って、11月の半ば前と計ったように最悪のタイミングであり、加えて何の因果かまだ出向して1年を少し過ぎたばかりの自分がリーダーに指名されてしまうという、まったく予想だにしていなかった展開が待ち受けていた!
国家最高機密を与る某機関のPLとして、民間某大手企業を「審査」しなければならない立場となったのである。

昨年(2004年)11月の出向以来、その手の大きなプロジェクトがなく、その意味では比較的平穏無事に過ごし、これからもこの平和が続くのだと思っていたのが、偽らざるところだ。さらに言えば、いずれは訪れるだろうプロジェクトだったとはいえ、まずはサブからのスタートが常識で、いきなりリーダーに指名されるはずはないだろうとタカを括り、これまでまったくその方面の準備をして来ていなかった。それらの特殊な技術や技能を、本番までの短期間で総てマスターしなければならないのは勿論の事、本番の時は自分が中心となって業務を遂行していく必要に迫られたのである。

決して仕事が嫌いなわけではないし、確かに人に指示されて動くよりは自ら能動的に動く方が性には合っているとはいえ、得意のネットワーキング技術ならともかく、まったく未知の特異な分野だ。出向後一年を迎え、10月には延長契約を結んだばかりのタイミングで、いきなりこのような展開を迎えようとは。

 当初から

RFCは、しっかりと読んでマスターしておいて下さいね・・・」

と、24歳のK君らから何度も釘を刺されていたものの、実のところまったく勉強してこなかった。それに「RFC」やら「ASN.1」なんてものは、読んでいてちっとも面白くないのである。面白くないから勉強しない、勉強しないから益々理解できず、さらにつまらなく感じるという悪循環で、ここまで1年間は必要に迫られなかったのをいい事に、すっかりサボりを決め込んでいた。

当初は煩く言っていたK君を宥めるため、申し訳程度に勉強してみせたものだったが次第に怠け癖が頭を擡げ、遂にはしぶといK君もすっかりと匙を投げていた。

「いずれ、本番がやって来た時に苦労するでしょうね・・・」

「なーに、オレがいる間は、本番などやってこない事になっている気がする・・・」

とタカを括っていたが、遂に「その時」がやって来た。しかも、自分がPLである。さらにご丁寧にも、サポート役が隣の席に座っていながら普段からまともに口さえ利かない、技術リーダーで相性最悪のR氏と来たから悪夢だ。

「その時が来たら、サポート役に頼ればいいさ・・・」

とタカをくくっていたが、まったくそれどころではなくなった。

 「さあ、にゃべさん。これは大変な事になりましたねー、イヒヒヒ。そんな調子では、Rさんに相当怒られる事でしょうね。

1年もいて、こんな事もわからへんのかー!』

とか言われて、ボロクソに虐められる事でしょうねー (`ー´)イヒヒヒ」

と趣味の悪いK君は、早速大喜びを隠さなかった。

「まあ、こっちは初めてなんだから出来るはずはないよ。向こうは何度も経験しているんだし、サポート役なんだから、さすがに教えてくれるんじゃないか?」

「甘い甘い・・・Rさんの事だから、プロファイルチェックだけ少しやって、それで終わりに決まってますよ」

「まさか・・・幾らなんでも、それはないだろう」

「いや、今までの例から言って、絶対にそうですって!
まあ、今にわかりますよ」

そして現実は、見事なまでに嫌味なKの予言した通りだった・・・

 責任者のH氏から

「にゃべさん・・・技術審査の下準備は出来ていますか?」

と問われ

「一応やってはいるけど・・・何しろやった事がないから、ある程度サポートして貰えるものかと・・・」

と、暗にR氏に対して予防線を張ろうとするや

「甘い甘い・・・元々、この業務はPL1人でやらなアカンのよ・・・1年もいて、今更わからへんじゃ済まへんで。オレは『プロファイルチェックくらいは手伝う』 けどな・・・」

と早々に責任者に聞こえよがしの、責任逃れをして見せる非道さであった (-ω-#)y-~~~~

さらに具合が悪い事に、リーダーのN氏を始め、みなこちらがそれなりに勉強をして、RFCなども幾らかは理解していると思っているような節があった(まあ、当然そうあるべきではあったのだが)

そして本番一週間前には、N氏から

「にゃべさん、準備は進んでるの?」

と問われ

「一応やってはいますが・・・正直、やった事がないから段取りと言っても、どうしたらいいのかイマイチわからなくて・・・」

と弱音を吐くと

「にゃべさんは初めてなんだから、サポートのRさんがちゃんとリードしてやらないと・・・」

と注意してくれたおかげで、それまで知らぬ顔を決め込んでいたR氏もようやく、渋々と重い腰を上げた (`Д´)y-~~ちっ

技術的には化け物のようにスキルの高いR氏だが、こちらに輪をかけたような勉強嫌いかつ無精者だけに最初から殆ど当てにはせず、一人で総てをやり遂げる悲壮な決意で

「今頃、なに言ってんだか・・・だから常々、勉強しろと言ったのに」

とブツクサ言う若いK君に、恥を忍んで教えを請うた。

他のメンバーは、みな我関せずで知らぬ顔である事はいうまでもない。何しろ、この方面については、何もやってこなかったと言ってもいいくらいだけに、総ては殆どゼロからのスタートというのが実情だった (--)y-゜゜゜