2009/07/30

テレビによる白痴化(3)

同様に某アホタレントの覚醒剤事件でも、マスゴミは例によってバカ騒ぎをした。しかも衆議院選挙前の時期を、メディアはこのくだらないニュース一色に染め上げたのである。

 

芸能界の「薬物汚染」は酷いもので、これまでも数え切れないくらいのタレントが「犯罪」を犯しながら、たかだか数ヶ月程度で何事もなかったかのように、ヌケヌケと復帰しているのだから何をいまさらである。これが一般社会であれば、会社をクビになるだけでは済まず、社会的に抹殺されて一生が台無しになるような「犯罪」であっても、芸能界では殆ど罪の意識もないままに「禊の儀式」だけで易々と復帰している「前例」が幾つもあるのだから、罪の意識もさらに希薄になるのだろう。まさに、モラル崩壊極まれりである。

 

勿論「芸能界」という特殊な世界だから、一般社会とイコールで考えることは出来ないが、それにしても覚醒剤のような社会的に重大かつ悪質(基本的に暴力団などの重要な資金源)とされる犯罪が数ヶ月で忘れられてしまうというのは、いかに特殊な世界とはいえ許されるはずがない。ところが現実には、殺人という究極の犯罪を犯しながら、出所後に芸能界に復帰しているのもいるくらいだから、トンデモナイ世界だ。

 

そもそも「タレント」という言葉は「才能、素質」であり、元を辿れば古代ギリシア・ローマ語の「talanton(タラント)」という貨幣[重量]の単位のことで、聖書の物語において「才能」に応じてタレント(貨幣)を分配したことから来ている。

 

前記の不祥事タレントなどは言うに及ばず、今の芸能界で真に「タレント(才能、素質)」と呼ぶに相応しい芸人が一体どれだけいるのか、と疑問に思えて仕方がない。ただしく「芸能界」ではなく「電波芸者界」と称すべきであろう。

 

件の元アイドル崩れにしても、正直なところ一部の奇特なファンは別とすればとっくに忘れられた存在で、むしろ今回の薬物騒ぎで有名になったとくらいだから、今後の活動によってはある意味「売名」と言われてもおかしくないのである。

 

年末恒例の紅白歌合戦で「暴」疑惑の歌手を排除しようとしたら、演歌系の出演者が殆どいなくなったというニュースもあったが、昔から「暴」疑惑と在日K国人で成り立っている、と言われていたのが電波芸者界の実態なのである。

 

それはともかくとして、最初に書いたように20 世紀後半に映画に取って代わって約50年、奇しくも映画の黄金時代も「50」続いた後にテレビに取って代わられたが、その歴史を繰り返すかのように、皮肉なことにテレビもまた「50年」という節目を迎えたところで、インターネットの急成長によって遂に「娯楽の王座」を取って代わられつつある。

 

話は変わるが、毎年発表される「就職人気ランキング」では、テレビ局が軒並み上位を占めており、実際テレビ局の社員はかなりの高学歴揃いらしい。どの局も、社屋は都内の一等地にご立派なものを構えているのも、ご承知の通りである(NHK=渋谷、テレ朝=六本木、TBS=赤坂、フジ=お台場、日テレ=汐留、テレ東=虎ノ門)

 

それだけの「エリート集団」を抱えていながら、なぜあのように中身のない白痴番組ばかりを垂れ流すしか能がないのか?

そもそも「退屈凌ぎの娯楽提供という代物に過ぎないテレビ」番組なんぞを作るために、何を血迷ってあれほど一流大出のエリートばかりを掻き集めるのか、理解に苦しむ。

 

実際、テレビ局の社員なんぞ大した能力も要らないだろうに、大手商社や世界的な大企業のエリートらよりも遥かに高収入というのだから、空いた口が塞がらぬ。あのような、愚にも付かぬ白痴番組しか作れず「退屈凌ぎの娯楽」さえまともに提供できていない「電子紙芝居製作屋風情」が、占領軍の白痴化政策のお先棒を担がされてきた自覚とて微塵もなく、エリート意識だけは超一流らしいのだけでもおこがましいのである。

 

そもそも、テレビ局(NHK以外の)はスポンサー収入で成り立っているからスポンサーには頭が上がらず、基本的にスポンサーの意向を反映した番組作りになるが、一方では映画と違い視聴者にはタダで番組を提供している。

 

それだけに、TV製作屋どもには「ただで見せてやっているんだから」といった驕りがあるに違いない。だからこそ、中身のないくだらない番組を作っても「ただで見せてやっているんだから、文句を言うな」と、恬として恥じることがないのであろう。

 

そもそもテレビ局事業は、限られた電波を免許で割り当てられた「社会の公器」であるが、誰でも作れない免許企業であるという既得権益に胡坐を掻いているところは、お役所仕事に通じるところがありそうだ。

 

あれほどの高収入を稼ぎ、またそのようなものを有難がって押し戴いている「愚民」という図式の嘆かわしさをずっと感じてきていたが、そうして我が世の春を謳歌してきたテレビ業界にも、いよいよ斜陽の秋風が吹き荒れ始めた。

 

放送技術やハード面では折角の優れた技術を持ちながら、肝心のコンテンツが酷い惨状を呈しているテレビは、最早凋落の道を一瀉千里に辿るのは時間の問題である。

 

「一億総白痴化」のお先棒を担いできたツケが、インターネット等の新メディアに「娯楽の王様」の地位を譲る結果となった。

2009/07/29

テレビによる白痴化(2)

一億総白痴化」とは、評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。

 

「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」

 

という意味だ。

 

「テレビに至っては紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億総白痴化』運動が展開されていると言ってよい」

 

これは、当時の流行語にもなった。

 

また、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、19578月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。  

 

ここでも、松本清張が

「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」

と述べている。

 

このように、当時の識者たちはテレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然として存在した。書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、それには文字が読めなければならないし、内容を理解するために自分の頭の中で様々な想像や思考を凝らさねばならない。これに対して、テレビは単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れてくる音声を聞くだけである点から人間の想像力や思考力を低下させる、といったことを指摘している。

出典Wikipedia

 

例えばラジオにしても、音声だけの一方的な垂れ流しではあるにせよ、人間の感覚に最も強く訴えかける視覚からの情報提供がないだけに、そこに聴取者の想像力が必要となってくるのである。

 

今ではビデオデッキが普及したが、元々TVは垂れ流しが前提のメディアだから、書物や新聞のような活字メディアのように1行読んだから考えるとか、その場は考えて解らなかったとしても、後で同じ文言を繰り返し読み返す事で理解に至ったり、最初に感じた考えとは別の見解が思いついたりといったような、活字メディアで必要となる思考能力を鍛えるプロセスは、TVには殆ど皆無である。ただ漫然と垂れ流される画面を眺めているだけだから、思考能力が衰えてしまうと言うことである。

 

大宅壮一が「一億総白痴化」と発言した時代ではテレビは高級品であったが、現在ではテレビが各家庭に普及しており、人々が生活に必要な情報を得る手段としてその利便性が定着し、この語が生まれた頃よりも情報入手の手段として機能的にも向上している以上「一億総白痴化」という語の原義も、陳腐化したり変遷している一面もある。また「白痴化」と同様の意味としては「愚民化」などという語が用いられることがある。

 

テレビで「○○健康法」やら「○○ダイエット」と称して、ある特定の食品が紹介されると、それを見た視聴者がこぞって買ったことによって、その食品が一時的に品不足に陥ることも何度もあった。

 

20071月に起こった「納豆ダイエット」データ捏造問題は、テレビに影響されやすい人々が、これだけ多いということを露呈した(いわゆる「みのもんた症候群」)

 

こうしたことを「一億総白痴」の証拠と捉える人もいる。テレビは今でもメディアの王様ですが、ある局で「おバカキャラ」がはやったら、他局もすぐ同じ方向を向きます。あまりにも「右向け右」なんです。

 

マスコミ各社が事件に押しかけることをメディアスクラムと言いますが、番組の作り方もスクラム状態です。テレビ局は、金が儲かりさえすればいいのです。 みなJ頼みで同じ作り方のテレビは、それぞれもっと頭を使って個性を出すべきなんです(某評論家)

 

Jといえば、以前にメンバーが深夜に泥酔した挙句に公園で全裸になって騒いでいた、というアホな事件があった。この時、アホな政治家が余計な事を言ってしまったための判官贔屓によって、この狼藉を働いたバカタレントに

 

「酒を飲んで裸になったくらい、何が悪いんだ」

 

と愚かな同情が集まってしまい、結局この狼藉は殆どお咎めなしとなった。お咎めなしどころか、地デジ放送のCMにも早々に復帰するという結末となって、関係者の見識のなさを露呈したのである。

 

このアホバカタレントを一斉に弁護に回った時の、あの集団ヒステリーのような大衆の姿こそは「白痴化」や「衆愚」の極みと言うべきである。

 

そもそも「たかが酒を飲んで、全裸で騒いだくらい」という認識が、まずもって救い難いくらいに甘すぎる。大学生風情なら、まあ「若気の至り」で笑って済ませられるが、どう考えても30代半ばにもなったオッサンがやる行為ではない。

 

「マスコミが騒ぎすぎ」と言っても、元々騒ぎたくてハイエナのようにスキャンダルを虎視眈々と狙っているのがマスゴミであり、また騒がれたくて仕方がない連中であり、普段はつまらない事をネタにバカ騒ぎをして貰ってなんぼという商売のヤツらだから、人前でのあのようなイカガワシイ狼藉は甚だ自覚に欠け過ぎていた、と断罪すべきところだ。

 

「あんなことで、家宅捜索は不当な強権発動だ」という意見もあったが、警察が強権を発動するにはそれなりに事情があったに違いない。ズバリ「イカガワシイ薬でも、やってんじゃねーか?」と疑われても仕方がないような、常軌を逸した醜態だったのだろうと疑ってみるのが世間の常識というものだ。

 

そのような想像すら働かせようとせず、テレビに映る虚像のみを頼みに

「あんないい人が、そんな悪いことをするはずがない!」

などとヒステリックに喚き立てるところなど、まさにTVに洗脳された「白痴化」なのである。

 

もっと本質的な問題は、このバカモノの狼藉のために地デジ放送PRのために費やした数十億単位といわれる莫大な血税がドブに捨てられたことで、このように一時の個人の感傷によって同情してみせる甘っちょろさは犯罪的と言える。

 

事件の話はさておき、形ばかりの謹慎から復帰するとろくな制裁も課せられないまま(違約金ゼロ)に、地デジ放送のキャラクターに復帰したというのだから、これには実に開いた口が塞がらなかった。あの程度の電波芸者ならば、代わりを務めるくらいは幾らでも転がっていそうだと思うが、そもそもコイツに限らずJの連中に金を取れるだけの芸があるのか?

大恐慌(東京劇場・第8章part6)

現場を離れてから気付けば数ヶ月が経過し、冗談抜きでいよいよコンビニかどこかで安価なバイトをするか、実家に泣きついて一時的に避難をするか、それらが嫌ならホームレスになるか、このバカゲタ世におさらばをするか、というところまで追い詰められていた。

 

この月は大手通信業者の面接が2件あり、いずれも大手派遣会社の紹介で面接に行った。N社関連企業はこれまで幾つかの現場経験があり、また作業工程も上流でこれまでの経験値に近いものだったし、面接もかなりの感触があったが何故かどちらもNGとなってしまう。これまでの経験からして、手応えから言えばNGというのは考えにくかっただけに、いずれも「派遣会社の若い営業の力不足が原因」としか思えなかった。

 

冒頭に書いた事情だけに、面接でそのような不満や愚痴をぶちまけるようなことも少なくなくなっていた。そのようにして無駄な面接が繰り返され、いよいよ資金も底を付きかけようかというタイミングで、知り合いの営業H氏から連絡があり、八重洲に面接に行った。

 

一次面接は、簡単なヒアリングだけであっさりと終わり、その日にも続けて元請面接を行いたいとのことだ。今回の募集では「リーダー1人、メンバー3人」が採用枠で「リーダー役を期待している」とのことだった。

 

当初、すぐにも元請面接に行くとの話が、調整の結果、夕方6時から行うことに変更となったため、八重洲地下のスタバや書店などで3時間程度を潰す予定だったが、急遽メンバー面接を先に行うことになり「リーダー面接は、夜の8時以降になる」と、さらに変更となった。となると5時間も時間を潰すのは大変で一旦帰ることにしたが、八重洲まで二往復は交通費が嵩むから

 

「これ以上の変更には、対応できかねる」

 

と釘を刺した。

 

「今はこれだけ仕事がない状態だから、ユーザーのワガママも我慢しないといけない」

 

などと、若い営業のH氏は上から目線でユーザーのご機嫌取りに汲々としていたが、契約はあくまで両者の利害の一致と考えているこちらとしては、そこまで迎合するつもりは毛頭ないと考えながら夜8時に面接に行くと、そこには数十人の面接者が行列をなしていた。

 

面接場所には会議用のような大きなテーブルが二つあり、ネットワーク担当とサーバー担当に分かれ、それぞれ10人以上が合同面接を受けることになった。

 

「時間も遅いですし、人数も多いので各自5分程度で自己紹介とPRをしてください」

 

という面接官(現場のPM)の言葉に続き、大勢の技術者が順に自己紹介を行うと、その都度、面接官から技術的に鋭い質問が飛んで来る。面接官の隣の席になったこちらはなかなか名前を呼ばれず、順に消化されていく技術者の紹介を聞いていると、ようやく最後に名が呼ばれた。

 

ひと通りの説明を行ってから質問を待っていると、他の技術者には鋭い質問を飛ばしていた面接官だったが

 

「セキュリティ方面が、特に強いということですね?」

 

という質問ひとつだけで、呆気なく終了した(他の技術者に比べ、スキルシートに詳細内容を記載しているためかもしれない)

 

何度も繰り返すように、こうした業務案件というものはない時にはまったくないが、出て来る時には不思議と重なって来るものだ。この面接の時も、翌日に有力そうな面接が設定されていた。そして翌日の昼、面接先の某社ビルに着いたタイミングで、前日の面接結果が「OK」で、翌週からにもすぐに現場に入場して欲しいという連絡が入る。とはいえ、すでに現地に来ているし、これまで何度も「内定」の通知がありながらひっくり返されてきた経緯があっただけに、抜かりなくもうひとつの面接を終えた。

 

翌週から参画することになった現場は、某官庁系のWeb系システム移行プロジェクトだった。元請の大手メーカーF社の現場に入場すると、同じように先日の面接で採用された技術者が約10人いた。もっとも10人とはいっても、ネットワーク技術者は自分だけで、残る10人前後は全てサーバー技術者だった。つまり、あの合同面接で「リーダー候補」として一緒に面接を受けた10人以上のネットワーク技術者の中で、合格したのは自分だけだった。

2009/07/28

テレビによる白痴化(1)

19世紀に生まれ20世紀前半に大発展を遂げた映画は、20世紀後半になるとテレビに「娯楽の王様」の座を明け渡した。皇太子ご成婚~東京オリンピックという大イベントもあったが、高度成長期で世の中全体の景気がよくなり、テレビが庶民にも手の届く価格帯になったという時代背景が大きい。

 

テレビ受像機自体はまだ高かったとはいえ、一旦購入してしまえば電気代は映画館の入場料に比べればタダ同然のようなものだし、映画とは違いわざわざ外出しなくても自宅で気軽に楽しめるという利点がある。映画を見るためには外出をしなければならず、映画館といえば大抵は駅前などの繁華街にあるものだから、一応はそれなりのオシャレも必要となってくる。で、せっかくそれなりに着飾って出るのだから、映画を見ただけで終わるのも芸がないし、どうせ繁華街に行くのだからなにか食事でもしていきましょうといったことで、色々と余計な金が掛かることになるのである。

 

ましてや、田舎住まいともなれば近所に映画館もなく、あったとしても見たい映画を上映していることはそうそうないだろうから、わざわざ車や電車で出かけなければならない、といったような面倒も伴った。

 

それに比べれば、テレビは遥かに楽だ。なにせ金が掛からないし、わざわざ外へ出かける必要もない。おまけに、映画のように向こうの都合に合わせなくても、自分の気が向いた時にいつでも好きな番組を見ることが出来る。

 

周囲の人目を気にする必要もないから、食事をしながらだろうがごろ寝をしながらだろうが、ハタマタ酔っ払おうが裸だろうが一向に差支えがない。しかもチャンネル数が多く、選択肢が豊富である。加えてビデオデッキの登場で、観たい番組は録画しておけばいつでも見ることが出来ると、まさに至れり尽くせりである。

 

このように書くと、あたかもテレビが良い事尽くめのようだ。確かに「テレビ受像機」というハードは便利なものであり、偉大な発明だということに一点の疑いもないが、そのことと「テレビ番組の質」とは、話の次元が異なる。よく言われることだが、最近のテレビ番組の質の低下は、まことにもって酷いといわざるを得ない。

 

そもそも歴史を辿れば、テレビがこれだけ流行したのは日本の大衆を骨抜きにしようとした、アメリカ占領軍の3S政策」(ScreenSportsSexだという意見もあったが、その俗説が本当だとしたらこの狙いは見事に当たった、と言うべきである。

 

巧い具合にテレビの普及するタイミングにおいて、プロ野球では長嶋、王の「ONコンビ」というスーパースターが活躍を始めた時期に重なった。「ON」そのものの魅力は勿論あったろうが、その「ON」の大活躍もテレビという文明の利器があればこそ、あれだけ大衆の心を掴んだのだともいえるし、また裏を返せばあれだけの稀代のスーパースターが登場したからこそ、テレビの大普及に貢献できたという見方もできる。

 

これは「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた大相撲も同様で、またそれに先んじては街頭テレビで人々を熱狂させたという力道山の勇姿が、敗戦で落ち込んでいた日本人を元気付けた(実際の力道山はK国人だが、当時は表向き「日本人」という事になっていた)という、下地があった。

 

これこそ「Sports」と「Sreen」の相乗効果であり、また残る「Sex」はといえば製作力の貧困を糊塗すべく、安易な裸やSexシーンの羅列に血道を上げるしか芸のない安手のドラマなどを見れば「3S」による白痴化政策がモノの見事に浸透し、従順な羊の如き視聴者の洗脳に寄与したことは明らかである。

 

かくいうワタクシは、テレビは殆ど観ない。例外的に見るのはスポーツや格闘技の中継、NHKの音楽放送(Classicのみ)、或いは歴史や寺社、芸術関係のものしか観ず、それらも最近は殆ど観なくなった。そんな事情だから、昨今の民放のバラエティ番組やドラマなどは観たためしがないので、実は「くだらない」と断定する資格はまったくないのだが、大昔に暇潰しで観ていた頃ですら

 

「こんなテレビなんかを毎日見ているヤツは、脳みそが殆どないんじゃないか?」

 

と呆れたくらいで、現在はさらに酷い末期状態の惨状を呈しているに違いない。

 

先に触れたように、映画と違って便利さがテレビの魅力ではあるが、裏を返せばその分、視聴者が横着になっているという側面は否定できない。映画の場合は、高い入場料を払ってわざわざ見に行かなければならないのだから、何を観るかそれなりに吟味した上で「目的意識」を持って観に行くハズである。これに対してテレビの視聴はタダ同然の上に、ごろ寝をしていても次々に移り変わる画面を眺めているだけだから、そこには多くの場合「目的意識」が欠如している。

「なんとなくテレビを見ている」状態で、特に食事時などはそうではないか(テレビが付いてないと、食事が出来ない等)

 

このように漫然と画面を眺めているうちに、白痴化の洗脳を受け続けて神経が鈍磨してしまい、ドンドンと低俗の極みへと流されていってしまうのである。 実際、子供はともかくとして、大の大人が観るに耐える番組がどれほどあることかと疑わしく思っていたが、そのテレビも映画同様に半世紀を迎えたところで、いよいよ「斜陽」を迎えている。

大恐慌(東京劇場・第8章part5)

「実は、このようなご時世のせいか、予想以上に応募が殺到しましてね・・・大変申し訳ありませんが、率直に言って当社としても儲けが多い方が良い訳なので、出来るだけ単価の低い方を優先して選考するつもりです」

 

「なるほど・・・」

 

「つまりその、なんですな・・・正直に申し上げて、どうも記載した単価以下でも、喜んでやっていただけそうな方が多くいらっしゃるようなので、そうした方向で進めて行きたいと考えております・・・」

 

これでは、テイのいいNG宣言と同じだ。

 

「そんなことなら最初から無駄足なのだから、交通費を返せ」

 

とでも言ってしまいたくなるような、そんなケースが多かった。ここまで来ると、まったく奇麗事など言ってはいられない。もはや微かな望みを繋いでいたIT業界は望み薄で、いよいよコンビにでもなんでもやらなければならないところまで追い込まれていた。

 

いまさら実家に泣きついていくわけにも行かないし、母親はともかくまだ商売をしているオヤジには、ボロクソに説教されるのが落ちである。実家に泣きつくくらいであれば、まだしもコンビニや警備員のバイトの方がマシに思えた。どんなに苦しくとも「実家とサラ金」の二つは、自分にとってアンタッチャブルであった。

 

そうはいっても、厳しい現実に向き合わねばならない。一体、バイトでどのくらいの金になるのか?

 

バイトといっても、IT以外は何のキャリアも資格もないのだから、出来るのはコンビニ、ガソリンスタンド程度しか思い浮かばない。警備員もそれなりの資格やキャリアが必要だそうで、それらのないものは駐車場の交通誘導くらいだ。そして、これらのバイトではどう頑張っても、時給1000円にも満たないだろう。これでは毎日8時間働いて、月に20日稼働で15万弱だ。月15万弱で、どうやって生活しろというのか。家賃が10万だから、これだけで既に5万しか残らない。食費を切り詰めても、それで終わりだ。

 

となると、そもそも安い物件に引っ越さないといけないということになるが、まず引越し自体に金がかかるし、面倒でもある。いまさら、安アパートに住む気もない。そう考えると、結局はどうしても「なんとかITで・・・」という結論に戻ってしまうのだ。

 

IT以外の繋ぎのバイトでは、どう頑張っても月20万が限度だろうが、ITの仕事ならいかに今の不況だとはいえ、最も下流の工程に甘んじたとしても30万より下がることはない。ということは、数ヶ月分のバイト代くらいはITならすぐに取り戻せるのであり、また独身だから贅沢を言わなければ30万程度でも生活は成り立つ。ところが不思議なもので、必ずしも金だけで生きているわけではないのが人間である。

 

先に見たように、理屈からすれば

 

ITならどんな下流でも、バイトの倍以上の収入にはなるのだから、この際内容には目を瞑って・・・)

 

と考えていたはずが、いざ先の大学の仕事のように下流工程の面接で話を聞いていると

 

(いまさらそんなレベルの低い、下流のつまらん仕事をやらないかんとは・・・)

 

と強烈な虚しさや、やりきれなさに襲われるのだ。ところが、そのような大して面白みのなさそうな安い仕事の面接にも応募者が殺到し、先に例のように雇う方は出来るだけ金のかからなそうな若い技術者を選ぶから、結果は悉くNGである。そもそも

 

(こんなレベルの低い案件だから、自分なら簡単に決まるはずだ)

 

との考えが、間違いあることに気付いた。高い技術レベルの求められる仕事で「スキル不足のためNG」ならわかるが、逆に低レベルのスキル要件で「この仕事には、スキル的にもったいない」という理由でNGというのでは、最早どうしようもない。ところが  (これでまた、振り出しか・・・)というお先真っ暗な気持ちばかりではなく、負け惜しみではなく

 

(あんなレベルの低い仕事で、決まらなくて良かったじゃないか・・・)

 

と、内心ホッとするような心境も同時にあった。

 

そのようなジレンマを抱えながらさらに活動は続いたが、傾向としては先の大学サポートのような単価の低い仕事か、逆に自社の社員では到底賄いきれないような極端に高いスキルの求められるものしかなく、しかも単価は下流工程並みに信じられないくらいまで暴落していた。

2009/07/27

大恐慌(東京劇場・第8章part4)

例年、4月といえば要因の入れ替えや増員など、需要が活発になる時期である。それだけに、この時期に期待するものは大きかったが、期待に反して案件はまったく出てこなかった。景気の先の見えない不透明感から、どの企業も軒並み予算削減は勿論、4月から予定していたプロジェクトの中止や延期、または縮小や空中分解といった事態が、あちこちで続出していた。

 

元々、3月で契約が切れるものは多いはずで、例年ならばその代替要員のニーズだけでもたくさんあるところだが、予算が取れず契約が終了するだけで代替要因を取らず縮小したり、予算をケチって自社の社員で賄うなど苦肉の策が取られた。

 

「今の予算編成は来年再来年のものだから、12年先は今以上にもっと酷い状況になるだろう」

 

どの営業からも、聞かれるのは暗い話ばかりだった。

 

そもそも「面接をうまくやれば決定」という常識が覆され「面接がうまく行っても、わけの分からない理由でNGになる」ということが、それも体力のあるはずの大手資本系列の企業から、立て続けに繰り返されたことにより

 

(これじゃあ、面接をしても意味がない・・・面接に行くだけ、時間と金の無駄だ)

 

と、モチベーションがすっかり下がってしまった。

 

正確に言えば、暇だから時間だけはたっぷりあったが、金の方が心細くなってきた。 面接交通費もバカにならないもので、1社に面接に行くだけでも1000円近くはかかるから、無駄な面接で金を浪費したくはないが、さりとて面接に行かなければ決まる可能性は「ゼロ」だ。それでは有力そうなものだけに絞って面接に行きたいところだが、このようなプロジェクトは「極秘」の場合が多かったり、守秘義務とやらも年々煩くなる一方で詳細情報まではなかなか開示されず、実際にエンドユーザー面接に行くまで本当のところは、なかなか明らかにならなかった。

 

くわえて、このころには面接依頼そのものが極端に減っていた。以前なら「案件情報」としてメールで送られてくるものに返信をすると、たいてい面接依頼が入ったものが、この頃は案件情報が流れた段階で応募者が殺到してきていたらしく、企業側も出来るだけ単価を抑えコストパフォーマンスをあげようと、あちこちのパートナー企業に案件情報をばら撒いていたから、対象者がネズミ算式に増えていった。

 

このようにして、一人または少人数の募集に数十人の応募者が殺到するから、採用する側では面接どころか書類選考すら捌き切れないのが実情であろう。そこでエントリーの際に、必須スキルに関する質問事項が添付され、まずはその回答を元に書類選考を行っていたらしく

 

「必須スキルに関する回答が書いてない場合は、NGとなります」

 

などと書いてあった。そのような状況だけに、面倒な回答を作成しても実際に面接に至るものは数件に1件という、非常に低い確率までに落ち込んでいた。

 

レベルを落とせば決まりそうなものなら23あったが、あくまで自分の方向性にこだわった。無論、世間が「200年に一度の大恐慌」なのだから、仕事がなくて困っているのは自分だけではなく、多くのフリー技術者が同様だ。自分のように独身であれば、自分が贅沢をするのを我慢すれば良いだけだが、家庭持ちの場合はそうはいかない。

 

そこで背に腹は変えられず、上流志向や経験者であっても妥協して下流の仕事を請ける者も少なくないようだった。むしろ、下流でもまだITの仕事に従事できれば良い方で、妥協しようにも下流の仕事すら決まらないのが現状だ。仕方なく、コンビニや飲食店などのバイトでなんとか食いつないでいる者も少なくないようで、中には怪しげな仕事に身を窶したり、実家に「緊急避難」をしている者もいたらしい。

 

そして、まったく他人事ではない状況にまで追い込まれていた。これまでの相場からすると、絶対に選択肢に入らないような大学のサポートの仕事に応募した時は、さすがに

 

(ここまでレベルを落とせば、簡単に決まるだろう)

 

と思えた。

 

(今更、10年前のまだ駆け出しの頃のような単価と仕事内容の、こんな仕事が出来るのか・・・)

 

と内心の葛藤はあったが、背に腹は変えられない。それでも、コンビニやガソリンスタンドでバイトをするのと比較すれば、まだしも単価はマシだったしITの仕事というだけで救いだ。ところがまず転職サイトから応募すると、大阪の本社に居る社長という人物から電話がかかって来た。

 

「エントリーシートを見ると、NEとしてかなりの経験とスキルをお持ちのようですが、今回の仕事は記載している通り大学のLANとかPCのサポートなので、そんなに高いスキルは必要ないわけです。決してNEというような内容の仕事でもないですが、その辺りの認識違いなどがないかと・・・」

 

「認識違いはありません・・・」

 

「あと単価ですけど、これもやはり記載している程度しか出せませんが・・・おそらくこれまでと比較すると、半値かそれ以下ではないかと思いますが・・・今はなかなか仕事がない状況でしょうが、この点が大丈夫なのかと気がかりでして・・・」

 

「その点も、まあ大丈夫です・・・」

 

という経過を経て、面接に行った。

2009/07/26

大恐慌(東京劇場・第8章part3)

200年に一度の大不況」の影響をもろに受けて、まったく仕事が決まらないという事態に直面していた。まだIT技術者になった駆け出しの頃は、半年以上、酷い時は1年近く仕事が決まらないということもあったが、上京してきてからは最悪のケースだ。

 

数ヶ月の間には、事実上決まりかけたものもあった。まだ在籍している時に、知り合いのS社営業U氏の紹介で東証一部の大手SIerのN社の面接に行った。事前面接で単価も提示され、いよいよN本社での面接前には、間に入っているM社の営業からも、単価について

 

「Uさんからは月額x万くらいと聞いていますが、面接前なので再度確認しておきたい」

 

との確認があった。

 

面接は滞りなく済み、当日の夜に

 

「まだ正式ではありませんが、ほぼ決定ということらしいです・・・」

 

という回答が来て

 

「こんなに早くに決まるとは・・・」

 

と、世間の「200年に一度の大不況」を尻目に、安堵していたところだった。

 

ところがその後の数日、待てど暮らせど連絡が途絶えた。

 

「どうなっているんだ?」

 

と突付こうかという矢先に、ようやくU氏から

 

「その後、社内で調整中とかで、正式な連絡はもう少し時間がかかりそうです・・・今から引っくり返るということは、ないだろうとのことです・・・」

 

との連絡があった。

 

ところが、それから数日後

 

「実は・・・大変申し上げ難いことですが・・・N社で社内調整した結果、当初想定していた予算が下りなくてですね・・・10万ほど下げた単金で受けていただけるかどうか、確認してほしいと連絡がありまして・・・」

 

という、詐欺紛いのトンデモナイ話になっているではないか。元々、当初提示された単価が相場価格だったのだから、そこから10万も下がってはまったく話にならないし、なによりそもそもこんなインチキ話が許されるはずはない。相手が以前からの知り合いのU氏ででもなければ、思いっきり怒鳴りつけるところだ。

 

「N社の面接前、わざわざM社の営業から『月額x万くらいで問題ないか?』と聞かれて、それを前提とした面接だったのに、この期に及んで10万も下げるなんて、サギみたいな話じゃないか」

 

「その通りで、本当に申し訳ないですが・・・ただ現実として、N社としては先ほどお話した10万下げた金額しか出ないそうなので、それが無理だったら断るしかない、ということのようです・・・」

 

「無論、断る。金額も合わないが、そんないい加減な相手とは付き合えない・・・」

 

と、即座に断ったことは言うまでもない (-o-)オリャ

 

N社くらいの企業であれば、間違いなくあちこちの下請けに声を掛けてコンペしているだろうから、大方若くて安く叩けるのが見つかったというのが真相であったろう。常識的に考えるなら、N社のような東証一部の大手企業がこのようないい加減なことをするとは、かつてなら信じがたいところだ。が、同じような大手のC社系列のシステムインテグレーターの例や、大手企業の内定取り消しブームを見るまでもなく、この大恐慌を生き抜くためには企業側ももはや形振り構わってはいられない、というのが実情のようだった。

 

また、こちら側からはM社から先は見えなかったから、或いはM社が勝手な見込みで見積もったところが、いざ蓋を開けたら思いもよらず低かった・・・というのが真相かもしれず、真相は闇の中に埋もれていた。

 

この時は、まだ現場に入っている1月だっただけに、腹は立ったもののまだそれほどに深刻さなかった。無論この時点で、この後半年近くも決まらないなどは想像の外である。ところが2月に入って現場を離れ、いよいよ本格的な活動だとなった矢先に、めっきり案件が少なくなった。

 

そうした中、2月後半に久しぶりにU氏からの紹介で、今度はNTT某社の話が舞い込んできた。一時面接をクリア、元請の面接も好感触で進み、ここでもN社の面接の時と同様

 

「どうやら、ほぼ決定のようです」

 

と内定通知が来た。

 

「この後、エンドユーザーのNTT某との顔合わせがありますが、あくまで形式的なもので、ユーザー面接というわけではありません。昨日の元請面接で決まりということで、単金についてはこれから詳細の詰めに入ります」

 

とのことだ。

 

前回の経緯があるため、まだ100%安心はできないが、面接の感触などからしても前回以上の手応えがあっただけに、やはり安心する気持ちもあった。ところが・・・結果は、これも前回と同じように「プロジェクトが延期になった」という、またしてもわけのわからない理由で、消滅してしまったのである。これがケチのつきはじめか、その後は案件そのものがガタ減りとなっていった・・・

2009/07/25

大恐慌(東京劇場・第8章part2)

生きる上では、理想と現実のギャップがある。理想の追求は「良く生きる」ために大事なことだが「良く生きる」ためには、まず「生きる」ことが大前提である。

 

人は何のために生きるのか?

 

「人はパンのみに生くるにあらず」を持ち出すまでもなく、各人が理想とする「良い生き方」を目指すことこそが究極の目標であることは言うまでもないが「良い生き方」をするためには、まず生きていく上で最低限の食事を摂って「物質的な生」を確保しなければならず、そのためには最低限の収入は必要である。

 

わかりやすく言えば、芸術家が自分の書きたいものを追求する姿勢は尊いが、作品が売れたりスポンサーが付かなければ収入にはならない。食べることもままならなければ、仕方なく身過ぎ世過ぎのためにやりたくない仕事もこなさなければならない。ゴッホのような金にまったく執着がなさそうな天才は、あくまでも例外的な存在だ。

 

「いわゆるサラリーマン」にしても、皆が自分の理想とする仕事に日々従事しているわけではないだろうし、寧ろ理想とは程遠い現実を受け入れ、身過ぎ世過ぎのために理想には目を瞑っているのというのが、多くの現実の姿なのだろう。これをこの時の自分に当て嵌めてみれば、G社の紹介で入ったNTT某の仕事は、エンジニアの自分としては時計の針を数年前に戻したような下流工程で、あまりにも理想とは懸け離れていた。だが現実として目の前にあった仕事であり、収入的には過去の職場に比べて結構な好待遇も用意されているのだから、理想には目を瞑って自分の気持ちを誤魔化しながら、数ヶ月勤め上げるという選択肢も勿論あった。あったと言うよりは、多くのエンジニアであればそうしただろうし、それでなくとも「100年に一度の大不況」などと声高に叫ばれているご時世だから、現場を離れてもおいそれと次の仕事が見つかる保証などは毛頭ない。

 

ところが「嫌となったら我慢できない」というこの性分は、どうにもならない。さらに幸か不幸か気軽な一人身だから、ある程度収入が途絶えたり少なくなったりしたとしても迷惑を蒙る家族もいないから、自分が贅沢や楽しみを我慢できさえすれば、それで済むことなのである。

 

これを要するに「単に堪え性がないだけででしょ?」と決め付けてしまえばそれまでで、確かにその通りなのだとの自覚もある。だから今更他人に言われるまでもないし、まったく大きなお世話というものだ。寧ろこちらからすれば、やりたくもない仕事に我慢して執着していることの方が、よっぽど理解できない。

 

人はパンのみに生きているのではない」というのは、まさに真理で「生きること、それ自体が目的」というのは、やはり本末転倒である。折角の人生なのだ。「なにが折角なんだ?」というような屁理屈はさておき、理屈抜きで生まれて来たのだから、やはり「良い生き方」を追求したくもなるし、良い生き方とは「自己の素質や能力などを発展させ、より完全な自己を実現」すること、と考えるのが穏当である。

 

「生きること、それ自体」は、本来「自己の素質や能力などを発展させ、より完全な自己」を実現するための手段に過ぎない。さらに言えば、金を儲けて贅沢な暮らしをするのが「良い生き方」という考えもあるだろうが、これは本来的には「物質的豊かさが、心の豊かさに通じる」という考えに立脚しており、実際に全面的に賛成とは言えないとしても、一面の真理であることは否定できない。

 

ところが、そうした本来的な思想から外れ「金儲けそれ自体が目的」と化した「拝金主義」に捻じ曲がってしまっているケースが多いのが、世の現実とも言える。ただ単に「人よりも金持ちになり、人よりも豊かな生活がしたい」という、低次元の欲望が臆面もなく蔓延しているのが、拝金主義というヤツだ。これは、よく言われるように戦後日教組による「戦争反対」、「命を大切にしよう」という洗脳教育にも通じる。「戦争反対」や「世界平和」に異を唱える人は誰も居ないが、現実の世に無法者が沢山のさばっているからには「戦争反対や世界平和といったお題目を唱えていれば、世界に平和が齎される」というのは幻想に過ぎないことくらいは自明である。

 

そのような無法者によって、自国や自国民の生命や生存が脅かされた時には、どうするのか?

子供を守るため自らの命をも犠牲にするのが母親の本能なら、やはり「自国を守るためには、我が身を犠牲とすることも厭わない」はずだから「生きること、それ自体」が目的というのは、やはりおかしな話なのである。

 

確かに貧乏は何かと不自由だから、金があればそれに越したことはないとはいえ、金というものはあくまで「よい生き方」を実現するためのひとつの手段に過ぎぬ。金を貯めること自体が目的では、死を迎えて「なんのためだったのか?」と虚しくなろうというもので、あくまで「良い生き方」を追求するのでなければ、多くの金などは必要ないのである。

 

確かに、タクシードライバーでもビル清掃員でも食うことは出来るが、IT技術者ならIT技術者として食える方が良いに決まっているし、IT技術者として食うにしても上流工程などのやりがいのある(または自らの能力をより発揮できる)業務に携わることが出来れば、単に食うだけでなく仕事上の達成感を味わえる分、より充実した「良い生き方」に繋がる。が、自己実現理論にもあったように、そこに到るためには或いはそれまでの安定を壊して、未知の分野にチャレンジする過程が必要であり、当然のことながらリスクを冒さずにそのような生き方は不可能である。望むべき上流工程の仕事に就けずに下流工程でしかないならば、敢えて野垂れ死にやホームレスを選択することがあったとしても、まったく不思議ではない。

 

そうとなれば後はリスクヘッジの問題だが、これについてはやはり見通しの甘さが多分にあった。「200年に一度の大不況」といわれながら、NTT某に勤めている短い間にも幾つかの面接依頼やらスカウトメールが来ていたから、精々12ヶ月もあれば決まるだろうと踏んでいた。ところが蓋を開けてみると、不景気は益々深刻化している事を実感せざるを得ない事態に直面する。表面的にそれなりにあった面接依頼は、行ってみれば異常にスキル要件が高くなっていたり、採用枠が1名のところに10人以上も面接者が来ている、というのが当たり前になっていた。

 

これだけの「買い手市場」だから当然ながら単価は下落の一途で、全体感として2割程度は下がっていそうだった。あまり「実」がないとは言え、それでもまだ面接依頼やスカウトメールが届いているうちはモチベーションが維持できたが、それも次第に減っていった。たまに舞い込んでくる案件情報も、以前なら考えられないほどハイスキルが要求されながら驚くほど単価が低かったり、またあちこちから同じ内容の案件情報が送られて来たり、あたかも腐肉にハイエナが群がるように多くの下請けが少ないパイを奪い合っていた。毎日のように面接依頼が入り、それに対応するための交通費だけでも出費が嵩むことから、遠方や内容的に魅力のないものは断っていた数年前とは隔世の感があった。

 

そのようにして、あっという間に春から夏が過ぎ、以前に破格の条件だったD社プロジェクトで稼いだ蓄えでなんとか食いつなぎながら、ようやく「上流工程」の仕事が決まった時は、そろそろ朝夕には秋の気配を感じる季節を迎えていた。

2009/07/24

大恐慌(東京劇場・第8章part1)

数百年に一度」という大不況が訪れた。

 

世の中のIT化は、めざましいばかりに益々加速し


「たとえどんな不況が訪れようとも、IT業界だけは影響を受けないだろう」


などと漠然と思っていたものだったが、この不況はそのような甘い見通しを吹き飛ばすほど苛烈だった。

 

2008年の初めごろ、携帯最大手の基盤プロジェクトに関わっていた時は、それまでの単金の3割り増しという個人的には「バブル」真っ只中で「世界金融危機」が日本に襲い掛かり始めたのは、その年の秋くらいからだった。D社の基盤プロジェクトはひと段落を迎えたとはいえ、まだまだ仕事はありそうな気配があったが、超激情型のリーダーとの関係は最悪までに泥沼化しており、当事者間での直接協議の末に秋で現場を離れることになった。

 

改めて転職活動を始めると

 

「百年に一度の不況だ」

「いや、百年どころか数百年に一度の大恐慌だ」

 

と言った声はあちらこちらから聞こえはしたものの、まだ実感は無かった。確かに、それまでの転職活動の経験に比べ求人案件数は減っており、Webの転職サイトなどからスカウトの声がかりも少なくなっていたとはいえ、それでもまだ求人案件の情報はポツポツと流れてきていた。現場を離れて一か月も経たないうちに、幾つかの面接をこなし決まりそうなものや、OKの返事が出たものもあったが、条件が合わなかったり、まだまだいいものが出てくるだろうとの期待感でズルズル過ごしているうちに、そろそろ2ヶ月が経過して3ヶ月目に差し掛かり始めた。

 

こうした求職活動というのは、現場を離れて直ぐに決まるというパターンが理想的で、ブランクが長くなると段々と決まり難くなっていく傾向にあるようだ。そんな時期に大手電気機器メーカーC社のIT部門を専門とする独立系企業の面接を受けて

 

「C社から、内定が出ました。週明けからにも、早速現場入場の予定になります」

 

という回答があった。「内定通知」にすっかり安心していたとはいえ、ちょうど時期が重なるように過去に稼働実績のあるG社から、NTT系大手通信事業者から面接依頼があった。決まらない時は、面接を繰り返してもなかなか決まらないものだが、決まる時は不思議とこのように重なるのである。

 

これまで馴染みの深いNTT系列のプロジェクトとはいえ、この案件自体はセキュリティ機器の検証という「下流工程」であり、それに比べC社の方は「上流工程」と言うふれこみだっただけに、気持ちとしてはC社の方にかなり傾いていた。ところが


「早速、次週からにも入場の方向で・・・」


と言っていたのが、週が明けても音沙汰がない。そうこうしているうちに、後から受けたG社のNTT某案件で「内定通知」が来て、決断を迫られる。「下流工程」とはいえ商流が悪くなかったため、条件的にはほぼ希望の満額が提示された。

 

気持ちとしては、すっかりC社の「内定」を当てにしていただけに、他の案件はストップしており、唯一動いていたNTT某は内定となったが、やはり「下流工程」というところに引っ掛かりがあったのは事実だ。これはひっくり返し、再度仕切り直しということも考えたが、C社の「内定通知」がひっくり返ったことや、気付けば12月に入った事でこれ以上モタモタしていると年末が近くなり、どの会社も面接どころではなくなり、ズルズルと越年というのは最悪のパターンだ。

 

(「下流工程」にはこの際目を瞑って、数ヶ月我慢しながら良い案件が出てきたら、適当なタイミングで契約を打ち切ればいいではないか)


と考え、この案件を引き受けた。

 

元々、こうしたIT現場の委託/請負契約は、3ヶ月や6ヶ月の短い期間の更新型であるから契約違反になるわけではないし、事前にそのようなこともありうる、というのは営業にも伝えていた。当然ながら、逆にこちらが幾ら続けたいと言っても、先方都合で契約途中で打ち切りということも、世間では日常茶飯事でもある。また、世間的には「100年に一度の大不況」が益々声高に叫ばれてきていたが、まだまだ求人案件が流れてきていたり、面接依頼も来ていたから実感が薄く


「他の業界はそうかもしれんが、IT業界は大丈夫だろう・・・」


などと、暢気に構えていた。

 

そのような中途半端な気持ちで入ったのが悪かったのもあるだろうが、やはり懸念していた通りこの職場も仕事もまったく合わず、最初の週で早くも嫌気がさしてしまった。こうなると仕事に身が入らず、結局協議の末にG社からこの仕事に相応しい技術者を1ヶ月以内に交替で入れるという条件付きで、現場から離れることになった。

 

こうして枠をひとつ確保したにもかかわらず、あくまで「続けてください」と、代替要員を用意できなかったG社の責任まで、こちらは被るつもりは毛頭ない。

 

現場レベルでは「この工程に相応しい代替要員との交代」という線で合意が出来ていたが、代替要員を用意できないG社が


「何とか我慢して、あと数ヶ月続けてくれないか?」


と持ちかけてきたため、話がこじれた。

 

「やらないと言っている!」

 

このG社のH氏とは、数年前からの知り合いで性格はよく知っていると思っていたが、やはり人間には裏表があるものらしい。たまたま、Webの掲示板で

 

「転職サイトによく写真が出ているマネージャーのKは、トンデモなヤツ。新人研修では『オイ、コラ』口調で、まるでヤクザ」

 

などと書いてあるのを見た時は、ビックリした。この書き込みを見たのは、NTT某でのいざこざがあったよりもかなり後の話だが、NTT某の契約で揉めた時はかなり激しくやりあった(というか、最後の方はかなり一方的になっていたがw)

 

「そちらの自己都合で辞めると、正当な支払いが履行されない場合がありますよ」

 

と脅すH氏に激怒し

 

「万一、金が払われんなんてバカなことがあったら、タダでは済まさんからな」

 

と恫喝した。

 

最後の打ち合わせで汐留の職場ビルに来たH氏に、用意してきたセリフを言うため  「ちょっと・・・」と、人気のない場所にH氏を誘導しようと肩に手を掛けた時は、ハッキリと怯えの表情が浮かんでいた。

 

「前から再三言ってきたが、金が払われないなどのおかしな動きがあった場合は、タダでは引き下がらんからな。こっちは、B社(G社の上位会社)の社長とも面識がある(このB社からも、かつてスカウトメールが来て、会社訪問をした時に社長面接も行っていた)し、直談判だって出来るんだからな」

 

と宣言すると

 

「そういうこと(金を支払わない)は、普通はありませんので・・・」

 

と、ぼそりと呟いたH氏。前回の話合いでは

 

「今は、本当にどこも仕事がないですよ・・・」

 

などと言っていたが

 

「そんな市場の状況など聞いてない!」

 

との返答にすっかり諦めたか、また電話で言っていた「あと数ヶ月」云々はおくびにも出さず


「それでは、残り期間をよろしく・・・」


と言い捨てると、逃げるように去っていった。

2009/07/23

ガンダム(お台場)と皆既日食の狂騒


お台場の土曜日は、物凄い混雑である。


日中のうちに一度見た後、海岸べりを少し散歩して暗くなった7時過ぎに再度戻ると、ライトアップされたガンダムの周囲には、凄い人だかりが出来ていた。

 


18メートルの巨大なオブジェを食い入るように、或いは熱心に写真を撮っている人々を見て、自分がそこにいるのがなんとなく恥ずかしくなってしまった。

 

タダでさえこのクソ暑い猛暑の中で、学生ではあるまいし大の大人が、酔狂にもあのイモを洗うような混雑を縫うようにして、アニメの「巨大なおもちゃ」をわざわざ見に来ているのである。興味のない人の客観的な目には、これはかなり異様な光景に映るのではないか。

 

まあ他人の目にどう映るかなどは、この際どうでもよい。念のため言っておけば、ワタクシ自身は「ガンダム」のTVは一度も観たことがない。したがって、恐らくは多くの人々がそうであるように、子供時代の郷愁に惹かれたわけでもないし「ガンダム」への強い思い入れなどは、まったく皆無である(というよりガンダムの姿を見たのは、実はこれが初めてなのだった)

 

「そんなオマエがなぜ、わざわざお台場くんだりまで行ったんだ?」

 

と問われれば、勿論18メートルもある巨大な「(バカゲタ)芸術作品(?)」というものに興味を惹かれたからであって、別にガンダムでなくてもウルトラマンでも仮面ライダーでも差し支えはない(というよりは、そっちの方が馴染みがあったが)し、場所にしてもお台場ではくアキバでも汐留でも、或いは新宿でもどこでも良かったのである。

 

「どうせ動かすのなら頭だけでなく、あんなだだっ広いスペースがあるのだから、ノッシノッシと歩かせればいいのに」

とか

「ライトアップよりも花火をやれ」

 

「なんでこんなところに、自由の女神なんだ?」

などと悪態をつきながらも、黄桜の店で清酒呑み比べと黄桜ビールを堪能し、しっかりと記念のピンバッジまで買って帰ったミーハーっぷりには、我ながら呆れたものだった。


※俄か天文ファンが増えた皆既日食の方が興味をそそられたが、NHKまでが安手の企画と三流のゲストを並べ、オバサンタレントにナレーションをさせて折角の映像を台無しにするという、アホ民放を真似た番組作りには途中で観る気が失せてしまった。

2009/07/20

モーニングとランチ(食生活part2)

朝が弱いため、朝食は専らスーパーやコンビニで買うバターロールなど3つくらいをコーヒーと小岩井オレンジで流し込んで終わり、という横着なものである。かつては休日など、喫茶店やファミレスでの朝食が普通だったが、最近はコンビニのサンドウィッチで済ませている。

喫茶店の「モーニングサービス」というと、名古屋など愛知県独特の文化らしいが、通常のコーヒーの価格でトーストやゆで卵(またはハムエッグなど)、或いはミニサラダなどが勝手に付いてくる。この「モーニングサービス」は、生まれも育ちも愛知のワタクシなどからすれば、ごく当たり前の事だと思っていたが、他県の人はこうしたサービスに一様に驚かれるらしい。

 

名古屋といえば決して田舎ではないから、共同体に見られるような身内に寄せる親切心というわけでもないだろうが、かつて愛知県は人口に占める喫茶店の割合が日本一多いとも言われただけに、それだけサービス競争の激しさが齎した副産物だったのかもしれない。

先に記したように、最近の休日の朝食が簡単なものになってしまったのは、上京後のことである。田舎モノの常として、人ごみが極度に苦手なワタクシは、東京に来てからすっかり出不精となったため、この「モーニング文化」と疎遠になったという事情も大いに作用しているため、そもそも東京に「モーニング文化」が浸透しているのかどうかさえ寡聞にして知らない。かつて「珈琲館」という店のモーニングがニュースになっていたくらいだから、多分殆ど浸透してないだろうと思っている。

 かつて名古屋にいた時は、平日の昼はとあるビルの中にある厚生食堂に毎日食べに行っていた。この店は席数がざっと100を超えるくらい広いうえに、総てがセルフサービスだからお値打ちでもあり、ごはんと赤だしはお替わり自由だった。

もっとも、ワタクシはどんぶり七~八分目くらいで充分だったが、メニューは毎日日替わりの定食が34種用意されていて、その中から好きなものを選べる。 真夏は、専ら「冷やし中華」か「ざるそば」と「おにぎり」、或いは「チャーハン」といった組み合わせなどで済ませていたが、普段は当然のように定食類だ。

この定食も、大体600円前後(10年近く前の話だが)で、喫茶店のランチとは比較にならないボリュームがあり、味の方もこうした大衆食堂めいた店にしては、まずまずといえた。

 ちなみに、この食堂は平日の12時~13時の時間帯しか営業してないため、平日の時間がずれ込んだ時や土・日に限っては「松屋」やらそこいらのラーメン屋などに行く場合も少なくなかったが、役所の食堂などもよく利用した。東京でも、同じように役所や厚生食堂を利用することは出来るだろうし、それなりに安い値段でメニューも豊富に揃っているに違いないが、これまで繰り返しているようにあの混雑を考えるだけで、すっかり億劫になってしまうのである。

とはいえ、かつて関内(横浜)のNTT某で勤務をしていた時は、横浜市役所の食堂を大いに利用させてもらったものだったが。