2016/09/29

【三柱貴御子御事依の段】『古事記傳』

 神代五之巻【三柱貴御子御事依の段】本居宣長訳(一部、編集)

ところで男神も、その国まで追って行き、じかに凶悪に触れ、この世に持ち帰ったので、世の中に凶悪なことが生まれたのである。【天照大御神がしばらく天の石屋に籠もったこと、また後代、世の中が乱れに乱れることがあるのは、この理由による。この男神は物事を次々に成し遂げ、初めと終わりを通じて善神だった。ただその途中で、いささかこの穢れに触れたのは、世の中一般に、どんなに良いことでも、そこに多少の汚らわしいことは混ざってくるのと同じである。】しかし男神は再び現世に戻って、禊ぎをした。【これは凶事から善事に戻ることであり、この世で凶悪を直し善を行うべき人の道は、これによる。】

 

そのとき、まず禍津日の神が生まれたのは、もっぱらあの黄泉の国の穢れが原因だが【禊ぎというものは凶事から善事に移る際であるから、まずこの神が生まれたのである。この世に凶事や悪事があるのは、すべて黄泉の穢れから生まれた、この神の御心である。】その穢れを祓い清めて直し【正しく直すときに当たって直毘の神が生まれ、それがすっかり直った後になって伊豆能賣の神が生まれた。】

 

この三柱の貴い御子が生まれて【といっても、須佐之男命はまだ悪神であって、高天の原で荒び多くのことを損なったのは、あの伊邪那岐の大神が始めも終わりも善神だったけれども、一度は悪に触れたからである。】

 

最後には、天照大御神が高天の原を治められているのは、また全般には善い方向に向いているのであるから【ところが、この大御神さえ須佐之男命の荒びにたえかねて、一時的にせよその善が遮られたことがあるのは、世の中に大乱、大逆もなくてはならないというのが神の理であって、その根源は黄泉の穢れにある。だが大御神の光は最後まで遮られているのでなく、やがては善事に立ち返り、また夜が明けて、とこしえに世を照らす、それと同様に皇孫の命は天下を治め皇統は千万歳の後まで不動となった。】

 

これこそ、この世のあるべき姿なのだ。【いにしえから現在まで治乱・吉凶が移り変わる、あらゆる経緯は、すべてこうした上代のできごとに関わっているのである。】だからこの成り行きをよく味わって、世の中のことのありさまも吉事から凶事を生み【二柱の神が諸神を生んだ善事によって、女神が世を去った凶事は生まれた。すべてのことは、このようにして、善事から凶事が生まれるものである。】凶事から善事を生み【伊邪那岐命が黄泉の穢れに身を触れたことによって、月の神・日の神が生まれたように、善いことも凶事の中から生まれ出るのだ。】善悪が互いに入れ替わりながら、世が移って行くという当然の理を悟るべきで【人に生死、一日に夜昼、一年に春秋があるのも、この由縁であって、世の中には善事のみでなく凶事もなくてはならないのである。】また凶事はあっても、最終的には善事に勝てないことも知り【女神が一日に千人を殺せば、男神は一日に千五百人を生むというのが、このことだ。後に須佐之男命が荒びて天照大御神が天の石屋に隠れても、やがてはまたこの世に現れて永遠に世を照らし、須佐之男命は高天の原から追い払われたのも、この理によるのである。】

 

同時に、人が凶事を忌み嫌い、必ず善事を行うべき理由も知るべきである。【伊邪那岐命が黄泉の穢れを嫌って禊ぎをしたのは、そのためである。後に須佐之男命が二度にわたって追いやられたのも、この理由による。ただし世人が凶事を直して善事を成すのは、その禊ぎによることではあるが、大神は、この禊ぎによって世の人に「凶事を去って善事を行え」と教えたのではない。というのは大神自身、ことさらに神の教えによって禊ぎをしたわけではない。実は産巣日の神の御魂によって、自然に黄泉の汚穢を「きたない」と感じたのである。自分自身の感性から行ったのであれば、世人もまた同じように産巣日の神の御魂によって凶事を嫌い、善事を好むように生まれついているはずであって、誰が教えるともなく自然にその判断はできるようになっている。といっても、またその行いには全く善事のみということもなく、自然の成り行きで悪事も混ざっているのは、あの大神が一度は黄泉の国に行って穢れに触れ、また三貴神にも須佐之男命が混じっていたことによるのだ。】

 

実に奇(くす)しく、霊妙である。実に妙(たえ)に神妙なことである。【およそ世間の古今の出来事も、すべてこの理から外れることはない。】

2016/09/23

【三柱貴御子御事依の段】『古事記傳』

 神代五之巻【三柱貴御子御事依の段】本居宣長訳(一部、編集)
○三柱の御子たちにそれぞれ事依さした次第は以上のようだが【書紀の挙げた諸々の伝えは、各々異なっている。本文では天下の主となる神を生もうとして、この三柱を生んだという。だから本来は、三柱が共に天下を治めるべきなのだ。しかし月神・日神はともにたいへん霊異の神だったので「長く地上にいるべきではない」として天上に昇らせた。須佐之男命は「お前は無道だから、天下の主になるべきでない」として、根の国に追いやってしまった。書紀の初めに「至って貴いのを尊と言い、それに次ぐのを命という」と書き、またこの三柱ともに「」とあるからには、みな天下の主になるべき神だった。

 

一書(第二)には、須佐之男命について「お前に天下を治めさせたら、多くの人が傷つき害されるだろう」とあるのだが、これも元はと言えば須佐之男命が天下を治めるにふさわしい神として生まれたからである。別の一書(第六)では、月読尊に滄海原を治めさせ、素戔嗚尊に天下を治めさせると言っている。さらに一書(第十一)には、須佐之男命に治めさせるのは、この記と大体同じであって、月の神には「日と並んで天を治めよ」と言っていて、夜食国という言葉が出て来ない。これは撰者がさかしらに文を改めたのだろう。だが、色々あっても須佐之男命が最後に根の国に行ったことは同じである。】

 

地上の国を残して、主となるべき神を空位のままにしたのは、後に天照大御神が「わが御子の治めるべき国」と言ったことを考えれば、もとから将来は皇孫が治める国となる深い理由があったようである。月日の両善神は天に、悪神の須佐之男命はついには根の国に行った、ところがその善神と悪神の誓い(うけい)の中から生まれた神が、この天下を末永く治めていることも、また深い理由があるのである。神代の初めから、こうした深く隠された理由(約束事)があり、この国を治める天皇が天つ日嗣であることは、天地の限り不朽の制として絶対に動かないことにも、理由があるのである。

 

○多くの人は、人の世のことから神代のことをあれこれ推測するのだろうが【世の物知りたちが、神代の妙なる理を知ることができず、これを曲解して人々に説くのは、みな漢意に溺れているからである。】

 

私は神代のことから、人の世のことを知る。というのは、およそ世の中の代々に良いこと、悪いことが次々に起こり、移り変わって行く様子は、大小を問わず【天下の一大事も庶民の身の上のことも】すべて神代に起こったことの反映だからである。それは女男の大神の「美斗能麻具波比(みとのまぐわい)」 に始まり、島国および諸神を生み、こうして三柱の貴い御子にそれぞれ分けて任命したまでの中に、すべて含まれている。【この間に起こったことをもって、人の世のことを知るべきである。】それは「みとのまぐわい」から国々および神々を生むまでは、すべて善事であったが【但し最初に女男の言挙げの順序が違ったのは、凶事の根ざした徴候だったとも言えるだろうか。】

 

火の神が生まれたとき【火が世の中で、たいへん役立つことは言うまでもない。この神が斬られた、その血から生まれた神々も大いに功績を成すのである。だから、この神が生まれたこと自体はまだ善事の一つだった。】母神が世を去ったことは、世の凶事の初めである。【世の人が凶事にあって死ぬのは、この由縁である。すべて死ぬのは、どんな理由にせよ凶事である。こうして火の神が生まれたことは、善悪を兼ね備えていたから、善事から凶事へと移り変わる境界であった。火は大いに用を為すけれども、また物を焼き滅ぼす点でも、これ以上に凶悪なものはない。】

 

結局、黄泉の国には、この凶事によって女神が移り住み【これは、まさに善事から凶事に移ったのである。】そこに永遠にとどまっているので、世の中の凶事がすべてそこに帰し、また諸々の災いの源泉ともなるのである。【女神は火の神を生むまでは善神であったが、この黄泉の国に入ってからは悪しき神となった。あの「汝の国の人草を、一日に千頭縊り殺しましょう」という言葉、これはもう悪神になったのであって、禍津日神が生まれる原因であった。】

2016/09/18

宣告(真夏の悪夢part4)



 「すぐに入院が必要です」  

 というと、医師(その病院の院長だった)はCTの画像を見せた。  

 「急性虫垂炎の疑いが濃厚ですが・・・この画像を見てもらえばわかる通り、炎症が非常に酷いため、全体的にぼやけており状態がハッキリ確認できません。 

  この状態で手術となると、非常に大掛かりなものになってしまうので、今回は一旦薬で抑え込むことにしましょう。 

  ダメな場合は手術が必要になりますが、恐らく大丈夫と思います。
 薬で抑え込めれば、手術は数か月後とか落ち着いてからでも・・・」

 血液検査の結果、白血球数は水曜日の検査時より少し下がってはいたが、まだ基準値の2倍、また「20を超えたら入院して個室管理が必要」とされていた痛みを表す指数(CRP)も、針が振り切れて(この病院では「7.0」以上は計測不可)計測不能という結果だった。  

 「直ぐに、入院できますか?」  

 「直ぐとは・・・今日から、とかいうことですか?」  

 「今からです!」  

 再三繰り返すが、不覚にもこの時点まで「最悪の事態」の想定をしていなかっただけに、まさに青天の霹靂という思いだった。  

 (仕事は? 
 職場は? 
 家のことは? 
 一体、どうなる?)  

 といったことが、遅まきながらに目まぐるしくグルグルと脳裏を駆け巡った ()~ ガーン

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 「身辺整理等もあるので・・・一旦、自宅に戻っていいですか?」
 
 「どのくらい、かかりますか?」
 
 1時間程度・・・いや、2時間くらいかかるかな・・・」
 
 なにせ自転車を扱ぐのにも、痛みで通常の数倍の時間がかかる状態だけに、少し多めに見積もっておく。
 
 「入院期間は、大凡どの程度でしょう?」
 
 「回復度合いにもよりますが・・・最低でも1週間、場合によっては・・・例えば症状が変化した場合、手術が必要になる可能性もありますが・・・今の状態では、恐らく薬で抑え込めると思いますので、1-2週間程度と見ておけば」
 
 続いて事務担当から入院前の説明と、差額ベッドの説明が始まる。
 
 個室、2人室、3人室、4人室、大部屋とあるが、個室は埋まっていて空きがなく、それ以外は空きがあるという。
 
 2人室は、他の入院患者がいないため実質的に個室と変わらず、5Fで眺めも良いと勧められる。
 
 ただし、いつ同室患者が入ってくるかは、わからないが。
 
 2人室(差額室料8000円弱/日)を予約し、一旦自宅に帰って着替えなどの準備をする。
 
 入院となると煙草も自由に吸えないだろうから、今のうちにとしっかり味わっておく (-ω-#)y-~~~~
 
 病院によっては喫煙所があるだろうから、少しは吸えるものと思っていたが、この病院が全館禁煙だというのは入院後すぐにわかった。
 
 バッグに着替えなどの荷物を詰め、病院に戻ったのがちょうど2時間後。
 
 24時間点滴、絶食で・・・」
 
 と、医師が看護師に指示する声が聞こえ、再度入院前の採血をしてから点滴が始まった。
 
 入院は勿論、点滴も初めての経験である。
 
 案内された病室は2人室のため広く、5階からは井の頭公園の向こうに連なる遠くの山並みまで見え、思った以上に良い環境だった。

 さて、いざ入院が現実となって「困ったな」と思ったことは

・タバコが吸えない
・酒が飲めない
・食事ができない
・コーヒーが飲めない
PCができない
・仕事に行けない


 というようなことだった。

 何しろタバコは学生時代の10代から、酒も殆ど毎日欠かしたことがなかったし、食事も毎日ほぼきっちり三食食べていただけに、絶食などは経験がない

 コーヒーも毎日欠かさずのクチだが、これはまだ我慢できる。

 PCもあればいうことないが、iPhoneがあるのが救いだった(病院規則では、携帯、スマホの病室持ち込みはNGと書いてあったが、同室者がいない個室のためか、暗黙の了解があった)

 仕事は職場のPMと所属の担当営業に、メールで状況を伝えておく。

 本来なら電話で説明した方がよいだろうが、声を発するのも苦痛を伴ったし、腹に力が入らないため、声も十分に出なかった。

 まさに目の前真っ暗という絶望的な状況ではあったが、そんな中で唯一の救いはちょうどタイミングよく、リオデジャネイロ・オリンピックが始まったことだ。

 (これで、退屈が凌げる・・・)

 と、看護師に頼んでTV番組表を入手した。

 「オリンピック、始まったんですね」

 「これがあるのが、せめてもの救いだね・・・」

 仕事がある時なら、時差の関係でなかなか観られないオリンピックだが、今回は嫌と言うほど観戦できそうだ。

 「うちTV有料なんですよ・・・せこいですよね」
 
 と看護婦が言う通り、TVカードを購入しないとTVが見られなかった(1000円で13時間程度)

2016/09/17

夜之食國『古事記傳』

 神代五之巻【三柱貴御子御事依の段】 本居宣長訳(一部、編集)
夜之食國(よるのおすくに)食国(おすくに)と言うのは、皇孫が治めるこの天下を総称する言葉で「食」は本来「食べる」 ことである。【書紀などで、食べることを「みおしす」、食べ物を「おしもの」と言う。万葉巻十二(3219)に「をし」の借字としてこの字を書いてある。】

 

ものを見る、聞く、知る、食べるといったことは、すべて他の物を身のうちに受け入れることだから、見す、聞こす、知らす、食(お)すなどの語を、相通わせて用いる。【その例はこの次に述べる。】君主が国を治め保つのを「知らす」、「食(お)す」とも、【漢国には食邑(しょくゆう)という言葉があり、幾千戸を食(は)む、などと言うのも、自然に同じような言い方になったのである。】聞看(きこしめす)とも言う。これは君主が国を治めるのは物を見るが如く、聞くが如く、知るが如く、食べるが如く、その身に受け入れ、保つという意味である。この次に「所知看(しろしめす)」 とあるのも、知見(しりみる)ということで、同じ意味である。【そのことは、後の十七葉で詳しく述べる。また伝四の十八葉で述べたことも参照せよ。】

 

その他、万葉巻五【七丁】(800)に「大王云々」、「企許斯遠周、久爾能(きこしおす、くにの)云々」、同巻十八【十八丁】(4089)に「高御座、安麻乃 日継登、須賣呂伎能、可未能美許登能、伎己之乎須、久爾能麻保良爾(たかみくら、あまのヒツギと、すめろぎの、カミのミコトの、きこしおす、クニのマホラ に)云々」、同巻廿【二十五丁】(4360)に「伎己之米須、四方乃久爾(きこしめす、ヨモのクニ)云々」があり、これら「きこしおす」も「きこしめす」も「しろしめす」と全く同意であるので、知る、聞く、看る、食すを相通わして【物を食べることを「きこしめす」と言うのも、同じように通わして言うのである。】国を治め保つことを言っているのが分かる。【これによって、「所知(しらす)」の意味も自然に分かる。】

 

このように「食国」と言った例は、軽嶋の宮(應神天皇)の段にもあり、続日本紀の宣命などに「食國天下(オスクニあめのした)」、「四方食國(ヨモのオスクニ)」、「聞看食 國(きこしめすオスクニ)」など、多数ある。万葉にも多いが、巻十七【四十二丁】(4006)に「須賣呂伎能乎須久爾(スメロギのオスクニ)」などがある。【御饌(みけ)つ国も「食国」と書き、同じ文字になるのだが、それは大御饌(おおみけ)に供える食物を献げる国のことで「食(お)す国」とは違う。また、この「おすくに」を「御食国」と書いた例も万葉にある。取り違えないように。】

 

ところで、日神は昼、月神は夜を治めて、ともに高天の原にいるのであって、この地上の国ではないのに「食国」と言うのはなぜかというと、師の説では『一般に「くに」というのは、限りのことである。東国で垣を「くね」と言うのもこの意味である。だから須佐之男命が天に昇ったとき、天照大御神が「私の国を奪おうとしている」と言い、また須佐之男命は「海原を治めよ」と命じられたのに「その命ぜられた国を治めなかった」と伊邪那岐命から責められたことがあり、元々は皇孫が治める天下の限りを「」と呼んだことから出て、その名称を神代にも使い、三柱の神それぞれに治める限りを、このように天であれ、海であれ「国」と称したのである。』と言う。これはよく分かる説だ。【続日本紀の二十一に「食国高御原乃業」とあるのは「座」の字を「原」と書き誤ったのである。他の例でそうと分かる。】ところが、天照大御神には「昼」とはなくて高天の原全体を言い、月読命には夜、また食国といっているのは、これもまた限りがある意味である。【夜、昼は対語だが対等ではなく、やはり昼が主である。】

 

書紀には「次に月の神を生んだ。この神は光彩が日の神に次いで麗しかった、そこで太陽と並べて治めさせようとして高天の原に昇らせた」とあるが、一書(第六)には「月読尊は、滄海原(あおうなばら)の幾重にも重なる潮を治めよ」とある。【この一書(第六)は、全般にこの記と似た内容だが、この部分だけはたいへん違う。】

 

○海原(うなはら)。この言葉は古い書物にはよく出てくるが、万葉巻五【二十五丁】(874)に 「宇奈波良(うなはら)」、同【三十一丁】(894)に「宇奈原(うなはら)」、巻十四【二十五丁】(3498)にも「宇奈波良(うなはら)」などとある。書紀では「滄溟(あおうなはら)」、万葉巻廿【六十三丁】(4514)に「阿乎宇奈波良(あおうなはら)」とある。【上記のように、万葉の「波」はすべて清音の仮名なので、清んで読むのが正解だ。普通「うなばら」と濁って読むのは、疑問である。】

 

和名抄には「滄溟」を「あおうみはら」と書いてある。ここを書紀では、須佐之男命について「ひととなり残虐で悪いことを好むので、根の国を治めさせた」ともあり「天下を治めさせた」ともあるのは、互いに違った伝えである。

2016/09/14

六本木でしゃぶしゃぶ食べ放題

久しぶりに、しゃぶしゃぶ食べ放題へ行ってきた(六本木)

 

焼肉食べ放題の安い店へ行くと、最初の大皿に鳥や豚が盛られ、これを完食しないと追加オーダーができないようなセコイ店もあるが、この店は最初から「黒毛和牛」と「赤城もち豚」で、後は好きなものをオーダーできる仕組みだ。

 

お目当ては勿論「黒毛和牛」、「黒毛和牛赤身」だが「赤城もち豚カルビ」、「赤城もち豚ロース」もいける。

 


 

しゃぶしゃぶは熱湯で肉の油が溶ける分ヘルシーだけに、焼肉よりも沢山の肉が食べられる。加えて、知らぬ間に野菜が沢山摂れるのも魅力である。下仁田ネギの甘さと九条ネギの柔らかさを掛け合わせたという名物「翡翠ねぎ」を始め、肉厚椎茸、舞茸、夕採れレタス、トロ白菜などなどの国産野菜もしっかりと堪能できた。さらに名物の竹筒鶏つみれ、鶏しゃぶと、どれもこれも旨い。

しゃぶしゃぶ好きなら、メニューを見ればどこの店かわかるかも。

 

食べ放題の店は、得てしてオーダーしてから肉が来るのに時間がかかるケースが多く、こうした場合はアルコールばかりが一気に進んでしまう。結果、ビール腹と化して、肝心の肉があまり食べられなくなるような勿体ないケースが多かったりするが、この店は肉が来るのが早かったため「肉をメイン」に酒をセーブして、珍しく腹が痛くなるまで食べ過ぎてしまった。

 


 



国産の黒毛和牛などが食べ放題、アルコールも飲み放題の2時間制で、2人で1万にちょっと足が出る程度はリーズナブルだ。

2016/09/13

高天原『古事記傳』

 神代五之巻【三柱貴御子御事依の段】 本居宣長訳(一部、編集)
高天原(たかまのはら)は、 既に出た通り天を指して言う。この大御神は、いまも現実に空で輝いているのを見ることができるので、このように事依さした大命のままに、永遠に天を治めて 四海万国を照らし続けていることは明らかである。【それなのに、この大御神が大和国、あるいは近江国、あるいは豊前国に都していると言うのは、たいへんな邪説である。この邪説は、ただ天皇の太祖であるから太陽になぞらえて日神と言うだけで、実際に天にある太陽ではないと思い、または天はただ「気」であって形態のないものであるのを、地上の国のようにさまざまなことを語るのは、とうていあるはずのないことだから、高天の原というのも地上の都のことであり、事実はすべて地上にあることだ、と考えることから来ている。これは漢籍に溺れた、自分勝手な邪見である。

 

一般に漢人は、何でも眼前に見聞きすることの普通の理屈になずみ、その他には推測の及ばない深妙の理があることを知らないのだが、我が国でもそれをかえって良いことのように思い、ともすれば神代の深く奇しいことも、凡人の日常的な理屈に当てて説こうとするのは、大きな誤りである。その中でも、この大御神の都が地上のどこそこにある、といった説は特に甚だしい。

 

そもそも、この大御神が天の太陽と別で地上の国土にいるとするなら、あの天の石屋の段などは、どう説明するのか。その時は、わずかのあいだ石屋に籠もっただけだったのだが、もし既に隠れたのだったら、この世は常夜の国になってしまうはずなのに、そうでなく常に夜明けがやってきて、世を照らしているのをどうする。逆に隠れもせず、まだ世にあるとすれば、人代になってからは、どこに移り住んだというのか。また、なぜその住んでいた国を捨てたのか。すべてわけが分からない。実際に大和なり近江に都して、今もそこにいるというなら、皇孫もその都に住んで天下をしろしめすのが当然だが、そうした国中(くになか)の都がありながら、西辺の国(日向)に天降りしたのはなぜか?

 

書紀の一書には「天照大神は高天の原を治めよ、素戔嗚尊は天下を治めよ」とあり、高天の原が地上の国なら、素戔嗚尊が天下を治め、天照大神は一介の国造に成り下がるだろう。非常におかしい。しかし、この「天下」というのも、ねじ曲げて説き、なおも他の説を立てようとする者がいる。世の学者が古い伝えを受け入れず、自分の漢意の曲説を立てるので、こういうさまざまなつじつまの合わないところが出てくるのに、そのうえに強弁して議論を飾ろうとするのは、たいへん浅ましいことである。】

所知は「しらせ」と読む。【「しれ」を延ばして言ったのである。】「しろしめせ」 と読むのも悪くない。この言葉については、次に詳細に述べる。万葉巻二【二十七丁】(167)に「天照、日女之命、天乎波、所知食登(あまてらす、ヒルメ のミコト、あめをば、しろしめすと)云々」、書紀(本文)では、(伊弉諾、伊弉冉二神は)「何不生天下之主者歟於是、共生2日神1、號2大日孁貴1、此子 光華明彩、照=徹2於六合之内1、故二神喜曰、吾息雖多、未レ有2若此靈異之兒1、不レ宜レ久=留2此國1、自當早送于天而、授=以2天上之事1、是時天 地相去未レ遠、故以2天柱1擧2於天上1也(アメのシタのキミとマスべきカミをうまさんとノリたまいて、ともにヒのカミをうみまつります。オオヒルメのム チともうす。このミコ、ひかりウルワシクまして、アメツチにテリわたらせり。カレふたはしらのカミよろこびてノリタマワク、アがミコはサワにませども、い まだカクくしびなるミコはまさず、このクニにひさしくトドムべきにあらず。アメにオクリまつりてヨケンとノリたまいて、アメのことをヨサシまつりたまう。 このときはアメツチのあいだ、イマダとおからず、かれアメのミハシラをもちてアメにアゲマツリたまいき)

≪口語訳:伊弉諾・伊弉冉の二神は『天下の君主になるべき神を生もう』と言って、日の神を生んだ。
大日孁貴と名付けた。この子は美しく光り輝いて、天地を照らした。それで二神はたいへん喜び『私たちの子は大勢いるけれども、まだこれほど霊異の子はいなかった。この地上に長くとどめておいてはいけない。天上に送る方がいいだろう』と言って、天を治めるように言いつけた。この頃は天地の間がまだそれほど遠くなかったので、天の柱から天へと昇らせた≫」

【「天地の間がまだ遠くなかった」 というのは、天地が分かれてまだそれほど経っていなかった時代のことだからである。「天の柱をもって」というのは、師の説では「これは伊邪那岐命の息で、風のことである。龍田の神の名を『天御柱、国御柱』と言うのを合わせて知るべきである」と言う。この説の通りである。天と地の間を支え持つのは風だからである。】

○事依(ことよさし)は前述【伝四之巻】した。天照大御神は、この事依に従い天地と共に永遠に高天の原を治め、天地の表裏をくまなく照らし、天下の万国も、この神の恩恵を受けないところはないので、神々の君主で天地の最も偉大な神である。【これ以前にも高天の原に五柱の神がいたのだが、いずれも高天の原をしろしめす神ではなく、君主とは呼べない。君主は、この大御神だけである。それなのに後世には天之御中主神や国之常立神なども君主であるかのように説くのは、古伝と違っている。といって、彼らを天照大御神に仕える臣の神とするのも誤りだ。君がなければ、どうして臣と呼べようか。人の世のように考えて、天地の始めの神についてまでも君臣の分を説こうとするのは、漢意の曲説である。ところで、四海万国、この大御神の光を受け、御魂のおかげをこうむりながら、その初めの次第も知らず、皇国が万国に優れて貴いことをも知らずにいるのは、外国には神代の正しい伝えがないからなのである。】

○賜也(たまいき)は、上述の首の玉を賜ったのである。こう重ねて言ったのは古言の用法である。

2016/09/12

痛恨(真夏の悪夢part3)



 「うちでできる検査は限界があるので、大病院でCTなどの精密検査を受けた方がいいでしょう。
 検査の結果、問題なければ入院の必要はないかもしれませんしね。
 ともあれ紹介状を書きますので、今すぐ行けますか?」
 
 と言うと、医師は有無を言わさぬような強い目つきで見据えてきた。
 
 「今日は、職場で重要な会議があるので・・・」
 
 「うーむ・・・色々と、ご事情はあると思いますが、ことは急を要すると思いますよ。
 直ぐにも、入院が必要な数値なのですから」
 
 「では1日だけ、待ってもらえませんか?」
 
 「明日は土曜だから、やってたかなー」
 
 というと、医師はPCで病院の検索を始めた。
 
 「ああ、午前中ならやってますね。
 大丈夫そうです・・・」
 
 「では明日、来ます」
 
 「本当は早い方がいいと思いますが、まあ色々ご事情があるなら止むをえませんね。
 明日は、必ず来ますね?」

 
 と、医師は強い目つきで念を押してくる。
 
 「もちろん、朝イチで来ますよ」
 
 「明日になって、良くなっていればいいですけどね。
 くれぐれも、あまり無理をしないように」
 
 その日は1日安静していたいところだったが、職場で重要な会議が待っているため、そうもいかぬ。
 
 前日にも、PMなどから
 
 「明日の会議は、出てくださいね」
 
 と念を押されていた。
 
 ところが不思議なことに、この日は朝からあまり痛みを感じなかった。
 
 前日まで続いていた痛みに比べ、格段に良くなっているように感じる。
 
 (ようやく、薬の効果が出てきたかな?)
 
 と思うほど、初めて殆ど痛みを感じず昼休みを迎えた。
 
 前の週までの元気な時は、ランチは日高屋のつけ麵か冷やし中華か野菜炒め定食、あるいはサイゼリアのパスタランチかハンバーグ定食が定番で、食後のコーヒーもガブガブ飲んでいたが、さすがにこの週は食欲もあまりなく、職場の自販機で買ったパンなどで済ませていた。
 
 会議の始まる3時まで、殆ど痛みを感じないままに過ごせたせいで
 
 (こりゃ、明日の精密検査は必要ないかも・・・)
 
 などと、都合の良いことを考えていた。
 
 そうして会議を迎えたが、これがいつものことながら長いのである。
 
 3時に始まり終わったのが6時近く、その間休憩もない
 
 会議前まであれほど快調だったのが、長い会議の途中からシクシクと痛み初め、後半になるとすっかり前日までの状態に戻ってしまっていた。
 
 その後も会議の後処理などをし、家に帰ってからも症状は改善しないまま、遂に「Xデー」を迎える

●86日(土)
 院長に紹介状を書いてもらい、これまでの検査結果の資料一式を渡され、そのまま真っ直ぐ総合病院へ向かう。
 
 病院では、ちょうど開幕したばかりのオリンピックの開会式が、待合室のTVで中継されていた。
 
 血液検査は結果が出るのに時間がかかるからと、先に採血をした上でCT検査、X線、心電図などひと通りの検査をこなしていく。
 
 CT検査は、もちろん初めてだ。
 
 おめでたいことに、この時点でもまだ
 
 (通院はともかく、入院なんてことはないだろう・・・)
 
 という楽天的な気持ちがあった。
 
 やはり、これまで風邪以外の病気をしたことがないだけに
 
 (入院なんて、自分とは無縁の事)
 
 という思いが、未だ捨てきれなかった。
 
 が、そんな淡い期待を打ち破るように、遂に厳しい現実が突き付けられた