2014/04/29

ゴールデンウィーク2014

GWである。今年は、どこからGWと見るべきか難しいところではあるが、一応4/26の土曜日からと見るべきか。カレンダー通りなら4/281日だけ出て、29日にポツンと休みが入り、その後3連勤だからGWらしくなるのは「5/3から、たったの4日」である。せめて日曜と祝日に挟まれた28日が祝日になれば・・・確かに以前はそのような制度化が進んでいるとか聞いた記憶があったし、5/1のメーデーも祝日にしようとの話もあったはずだが、あれらは一体どうなった?

 

そのようなカレンダーから、4/28は「休みの取りどころ」ではあった。それでも4連休どまりで、次の5/3からの4連休の間に3日間の出勤を挟むのは、何とも中途半端としか言いようがない。さらに連休前半は飛び石と言うばかりか天気も悪いらしく、逆に後半の方は今のところは好天予想だけに、当然ながら観光地の混雑はここに集中する。

 

とはいえ「4連休」というのがやはり中途半端で、のんびり遠出をするには物足らないが、さりとて「寝正月」ならぬ「寝GW」を決め込むには、これまたいかにも退屈過ぎる。が、欧米人のように「数週間単位」が当たり前の「バカンス」ではあるまいし、日本人にはこのくらいが丁度いいのかもしれないし、寧ろ先達らからには

「ただでさえ週休2日の上、オマエラ休み過ぎじゃ!」

などと御叱りを受けそうである。

 

そのようにして、グウタラな男がグズグズと予定を決めかねている間に、めぼしいホテルはどこも満室になってしまっていた ヽ( ̄ー ̄*)ノオテアゲ

2014/04/27

一汁三菜(世界遺産登録記念・日本料理の魅力)(2)

一汁三菜は、汁物1品とおかずを3品(主菜1+副菜2品)にした構成である。

 

本膳料理の中でももっとも簡素な形式で、懐石では向付(刺身や昆布締め、膾など)、煮物、焼物で三菜となる。

 


 


1人ずつのお膳

和食の基本形とされるのが一汁三菜(ご飯と汁物、おかず、漬物の組み合わせ)だ。平安時代の食事風景を描いた絵巻物にもあり

 

「文献に一汁三菜という言葉はないが、平安時代には武家や平民は、銘銘(めいめい)膳(1人ずつのお膳)を持ち、庶民の食事の形態としてあったと考えられる」

 

一方、食文化の頂点に立つ、おもてなし料理。室町時代に武家社会で確立した「本膳料理」(一の膳、二の膳、三の膳と順番に膳に載せた料理が提供されるスタイル)は、小さな膳(銘銘膳)に載せる料理の数に限界があるため、膳の数を増やしたと考えられる。江戸時代には「二の膳つき」(二汁五菜)が定着し、食べ切れない料理は持ち帰った。

 

あり余る料理を提供する本膳料理に対し「茶の湯」から生まれたのが「懐石」だ。 「全部食べ切る」、「できたてをその都度、運ぶ」、「季節感や祝いの心など言葉にならないメッセージを伝える」などが特徴で、現在の伝統的な和食のルーツとされる。

 

「おもてなしでは一の膳、二の膳と続くが、一般的な食事は一の膳だけ。1つの膳に載せるには、ご飯と漬物、お汁1つとお菜(おかず)が限界。しかし、現代は銘銘膳ではないので、一汁三菜でも四菜でもいい」

 

独特の口中調味

さらに和食を特徴づけるのが、断熱性の高い器を用いた食べ方だ。器の中で混ぜず、器を手に持ち、箸でご飯とおかずを1口ずつ取り、口の中で混ぜ合わせて調味する。おかずの量を調節しながら、味付けを決める食べ方「口中調味」は日本人独特とされる。

 

興味深いアンケートがある。辻調理師専門学校などが運営する「辻調グループ」が昨年10月、全国の2060代の男女572人にインターネットで調査したところ、22.7%が「カレーライス」を「和食だと思う」と答えた。カレーライスが和食かどうかはともかく、食べ方には和食の伝統が色濃く残る。皿で混ぜ合わせず、ご飯の上にカレーを載せて食べるのは口中調味、ご飯の横に福神漬けなどを添えるのは一汁三菜の影響だ。

2014/04/20

高遠桜の絶景

夕食と同様、朝食も昨晩と同じ料亭個室で堪能し、2日目が幕を開けた。

 

2日目は、この旅の最大のお目当てである天下に聞こえた「高遠の桜」だ。なにしろ交通の便の悪いところだから、電車の時刻はしつこいくらいにチェックしていた。ところが伊那市まではスムーズに9時半くらいに着いたものの、一つしかない高遠行のバスは1040分と1時間以上も待たないといけない。他に見どころもあればまだしも時間を潰せると思ったが、見事になにもない「ただの田舎」である。

 

(こりゃ、困った・・・高遠までタクシーだと45000円はキツイしな・・・)

 

などと悩んでいる間に、バス停の前に続々と高遠に行くらしき観光客がやってくる。爺さん、婆さんが目に付く中、チャラチャラとした若いカップルの姿が目に付いた。見るからに、金を持っていそうにない。しばらく観察していると、やがてタクシー運転手と交渉を始めたが難航している様子を見すまして、徐に近寄っていく。普通の状況であれば絶対に近寄りもしない、金髪のチャラチャラした坊やだったが、ここはミッション達成が重要だ。ガラの悪い運転手は、相手がチャラい若造と言うことも手伝ってか、横柄な口調で

 

45000円くらいだな」

 

などと怒鳴っている。

 

「高遠に行かれるんですか?」

 

救いを求めるような、若者の表情に得たりと

 

「じゃあオレが半分払って、半分ずつでもいい?」

 

と持ちかけると、チャラい金髪(相棒の女も)が愁眉を開き

 

「いいんですか?」

 

と言う間もなく、運転手は

 

「よーし、決まった! 一番エエところまで行ったる! バスなんかじゃ遥か手前で降ろされるが、公園まで行ちゃる!」

 

と息巻いて、いざ出発・・・という寸でのところへまた一人、切羽詰ったような表情の男が、今にも腕を掴まんばかりの勢いで走り寄ってくると

 

「高遠に行かれるんですよね?」

 

と、決めつけるような喧嘩腰だ。

 

「そうだけど」

 

と返す間もなく、ガラの悪い運転手の

 

「よーし、決まった! これで11000円になったぞ!」

 

という怒声が響き渡る。呉越同舟となった3人の同行者を後部席に乗せ、自分は助手席でガラの悪い運転手の案内を聞きつつ相手を務めながら、なんとか高遠城址公園に到着だ。

 


「天下の高遠桜」という言葉は散々聞いて来たし、これまでずっと行きたいと思っていただけでなく、去年など何度も計画しながら終ぞ実現しなかった高遠が、こうして遂に眼前の景色となった。

 


 そして目の前にある、山一面が鮮やかなピンクのコヒガンザクラに彩られた景観は、噂に違わぬ息をのむような絶景としか言いようがなかった。

 


 前日の難行による足の痛みは、温泉の効果もなくピークに達してはいたものの、あまりの美しさに見惚れて気付けば場内を何周もしていた。高遠湖を望む「さくらホテル」で、日帰り温泉に入る。前日と併せ4つのホテルの温泉を堪能したが、もしかするとここが最高だったかもしれないという高遠の湯を堪能し、スーパーあずさで東京へ帰還した。

2014/04/19

諏訪大社と温泉で「和」を満喫

旅は楽しい。しかしまた、旅は過酷であったりもする。過酷だからこそ、より強く楽しさを実感出来るのか。ご多分に漏れず、色々と波乱万丈の詳細は改めての掲載に譲るが、歩き過ぎて足がかなり限界に近い。なにはともあれ、無事帰還できたから良いか。

 

暇だった仕事が俄かに忙しくなって来たが、桜は待ってはくれず天気も気まぐれだ。金土は宿の予約も難しいので木金の予定をしたものの、天候の都合で水木に前倒しと、大胆にも週のど真ん中に連休を入れた。吉祥寺から乗車し、立川でスーパーあずさに乗り換え茅野到着が10時。所要2時間だから、思ったより諏訪は近い。

 

「上諏訪神社」と称しながら、最寄りは茅野駅で駅から遠い。バスの便が少なく、1時間以上待たないといけないとあって、タクシーで行くことにした。ここでケチってなんになる?

 

前宮までは、1100円。上と下に分かれているのが伊勢神宮の内宮と外宮を思わせるが、諏訪大社はさらに上と下が二つの宮に分かれていて、益々ややこしい。最初に訪れた前宮はこじんまりで、あっという間に見学が終わり歩いて本宮へと移動する。



こちらの方は、さすがに規模が大きくツアーの団体が次々とやって来る。じっくり見学して土産も買ったまでは良かったが、この後が地獄の始まりだ。当てにしていたタクシーが、まった来ないではないか。歩いて戻るしかない?

スマホの検索では、茅野駅まで約3km37分と出ていた。バスは1時間後にしか来ないから、話にならない。後になって、どこかでタクシー会社の電話を聞いておけばと後悔したが、こんな簡単なことに気づかず、結局歩いて戻ることになる。

 

スマホのナビにはかなり助けられたとはいえ、最高気温23度に照らされて汗を掻く羽目に。炎天下の、しかもトラックのような長距離の大型車が引っ切り無しに通る国道沿いを、排気ガスをもろに浴びながら炎天の難行の末、ようやく茅野駅に戻り飛び乗った電車の行先は上諏訪だ。

 

この旅行の三大テーマは「高遠桜」、「諏訪大社」と「諏訪温泉」である。早速、観光案内所でネットで目を付けていた日帰り温泉の場所をチェックし、朱白というホテルに。諏訪湖を目の前にした大浴場に、1人だけ居た先客は早々に居なくなり「貸切風呂」状態だ。春の青空の下「山」、「湖」、「温泉」の三点セットを堪能し

「日本人として日本に生まれてよかった!」

と実感する瞬間だ。

 

確かに素晴らしい温泉とは言えたが、元来が欲張りだけに、こうなったらとことん「諏訪温泉」を堪能してやろうと、ネットでチェックしていた10種類もの温泉のあるホテルへ行ったものの、間の悪いことに「週1回に清掃時間」に当たり、30分待ちとのこと。惜しくはあったが、この後のスケジュールを考えれば30分も待っていられず、諏訪湖に面して並んでいる別のホテルへと移動する。こちらの方は簀子のような囲いがあって、直接諏訪湖を目の前とはいかなかったが、それでも「かんてん風呂」やサウナもあり、また誰もいない「貸切」状態に満足し、ホテルで呼んでもらったタクシーで満開の諏訪湖の桜を横目に、高島城へと移動する。

 

高島城見学後は、下諏訪に移動。秋宮の見学まではスムーズだったが、そこから春宮への移動には苦労した。上諏訪本宮から茅野までの「難行」のツケが回り、既に足が棒のようになっている状況で

(春宮は、もう諦めるか)

という弱気の虫も頭を擡げ始めたものの、ここまで来て

 

「上諏訪神社:前宮・本宮、下諏訪神社:秋宮・春宮」の四社制覇

 

を逃すのはあまりに惜しいと、疲れた体に鞭打ちなんとか春宮に到着してメデタク「諏訪大社」制覇を達成!

 

その勢いで「万治の石仏」も見学する。


旅館には、予定通りの6時に到着。早速、食事である。

 

今回、同行すると思っていたパートナーが日程の都合が合わず一人旅となったが、一人旅で最も困るのが食事だ。それだけに、じゃらんで見つけた唯一の「料亭個室朝夕食付」の旅館は重宝である。一人で泊まるには贅沢な「江戸間13畳+ 広縁」の部屋は、バルコニーに石を敷き詰めた石庭を作庭し、バックには秋宮の屋根が見えているという贅沢な眺めである。案内された個室料亭がこれまた広く、ここでも

 

「日本人として日本に生まれてよかった!」

 

と思わずにはいられない豪華な食事に思わず酒もすすみ、日本酒3本に生ビール2杯を追加オーダーして、若い仲居さんにチップをはずむのも忘れない。 



部屋に戻ってひと眠りした後、風呂へ行くとここも誰もいない「貸切」で諏訪の湯を堪能。