2003/05/31

有馬の金泉で綺麗サッパリの2日目

  2日目は、朝から西宮へ。といっても勿論、阪神タイガースの応援ではなく、懐かしい街並みをブラブラと歩くのを気まぐれに思いついてのことだった。

 

学生時代に歩いた時は、影もなかったゲートボールのジイ様バア様が著しく情緒を殺ぐものの、武庫川の川べりは懐かしい記憶がそのままである。鳴尾から浜甲子園に貫ける辺りは、ご多分に漏れずコンビニが随分と出来ていたが(そのために、手洗いを拝借できた・・・)、神戸の奥座敷らしい風光明媚な趣がしっかり保たれていたのは嬉しくもあり、また楽しい気分になってきた。

 

神戸の回転寿司で腹ごしらえをしてから、適当なところで目に付いた駅で電車に乗り、天下の名泉「有馬温泉」へ。

 



有馬温泉に着いた途端、雲行きがグッと怪しくなったと思ったら、突如として真夏でも滅多にお目にかかれないような、信じ難いほどの横殴りの豪雨と雷に見舞われた。ちょうど目の前にあった土産物屋に飛び込み、みやげを物色するふりをしながら雨宿りを決め込むが、雨は台風並みの信じられないような激しさとなり、土産物屋のオバちゃんも

 

「なんやの~、これ~!

こんなん初めてよ~!」

 

と、驚いていたほどだ。

 

ともあれ集中豪雨は30分ほどで収まり、台風一過のようにカラリと晴れ上がってきた頃を見計らって「金の湯」へと向かう。

 

《空気に触れると褐色に変化する金泉(鉄および塩化土類含有強食塩泉)と、無色透明の銀泉(純弱食塩泉)、さらにラジウム泉の3種類の湯が湧く》

 

と言われる、この日本最古の有名な温泉にのんびりと浸かり、このところの激務の身体を安らげようというのが目的だった。

 


さすがに有馬でも有名どころとあって、昼間にもかかわらず盛況である(「銀の湯」の方は、残念な事に休業日だった)

 

「金の湯」を充分堪能した後は「かんぽの湯」 へ向かう山をテクテクと歩く。 ちょうど山の頂上近く、新緑が鮮やかなお誂え向きのロケーションのところにベンチが置いてあったので、そこで一服。有馬の宿はどこも高いので、この日の宿泊先は西宮のホテルである。図らずも甲子園球場の直ぐ傍で、当日はちょうど「阪神vs広島」があり、阪神甲子園駅を降りた途端にあの大歓声がこだまして来た。

 

ホテルは和室にしてもらい、ようやく畳の懐かしい匂いに包まれ、ゆったりと寛ぐ事が出来た(浴衣だけは、どうしても着られないが)

2003/05/30

1年ぶりの京都旅行

  4月の初めから「世界のT社」の新規プロジェクトに参加したのに伴い、住み慣れた町から遠く離れた某市へ引っ越しを余儀なくされたが、5月の半ばになってプロジェクトの方が少し落ち着いたところで、GWの穴埋めのようにして4連休を取った。

 

折角の4連休をダラダラ過ごすのも惜しい気がしたので、久々に京都旅行を思い立ったものの、連日人里離れた隔離病棟のようなところで無機的なサーバ群に囲まれて過ごしているうちに、桜はもとより藤やツツジも時期が過ぎてしまったので、イマイチ見所に欠けるかもしれない。

 

(ま、京都だから取り敢えず行ってみれば、なんらか楽しみはあるだろう・・・)

 

と気を持ち直し、ともかく出かける事にした。

 

当初の計画では、奈良の長谷寺で牡丹を観賞した後、室生~山辺の道~三輪そうめんの産地などをのんびり散策する予定であったが、肝心要の『長谷寺』の牡丹が「もう終わってしまいました」との事で急遽予定を変更し、新幹線で一路京都へと向かう。

 

前日は、深夜にネットワークの障害が発生したため夜勤明けだったが、昼からも思わぬ野暮用が入ってしまったために日中は潰れてしまい、午後からようやくネットで旅行プランを立てているうちに、深夜2時頃になってしまった。というわけで当日は昼前という遅めの出発となり、そのせいで珍しく新幹線には空席が目立っていたため、久々に座る事が出来たが。

 

まず、京都駅から懐かしい東山(『三十三間堂』~『清水寺』)界隈を散策。そのまま足を伸ばして『知恩院』から『青連院』を通り抜け、五条~四条~三条まで歩き、岡崎公園を突き抜けて『平安神宮』へ。花見のシーズンは、いつもあの広い境内に人が溢れ返っているものだが、さすがに花見とGWが終わった中途半端な時期とあって、観光客は疎らであった。

 

『神苑』をのんびりと散策。サツキや菖蒲、杜若などはどれもまだ2分咲き程度で、ちょっと早い感じ。広大な池を悠々と泳ぐ鯉を見ていると、ようやく寛いだ感じになってきた。


 これまで京都に来る時は花見か紅葉のシーズンだけに、1日で56箇所の寺社(庭園)を拝観というハードスケジュールなのだが、今回はなにしろ花が中途半端な時期になってしまったため、開き直って普段は出来そうにないノンビリ旅行をテーマとしていた。

 

帰りは『建仁寺垣』と八坂の五重塔をわき目に、花見小路、祇園を通ってブラブラ。


 


 修学旅行のシーズンか、どこを歩いても中学生や小学生の団体がやたらと目に付いた(果たして、小中学生がこういうところを見て、面白のだろうか?)

 

 (そういや学生時代には、綺麗な女学生の彼女と初詣ついでに美しく雪化粧をした、この神苑を散策などしたんだっけ・・・)などと郷愁に浸りながら、雄大な栖鳳池を臨む泰平閣で天下泰平に煙草をふかしていると、携帯に無粋な電話が入った。

 

「いま、京都の『平安神宮』に居るところだが・・・」

 

「ナニっ? 京都だって?

やばいぞ、それは!」

 

「???」

 

ここ数年、テレビのニュースや新聞などは一切見ないため、巷を賑わせている台湾医師旅行者の巻き散らかしていった「新型肺炎(SARS」の事などは、まったく念頭になかったのだった。

 

「こんな時期に関西なんぞへ行くなんて、よくよく酔狂なやっちゃ。やばいぞ、そりゃ・・・」

 

「といったって、来てしまったもんはどうしようもない。な~に大丈夫だろ」

 

実際のところ、それほど気になることもなかった。

 

確かに京都のみならず、梅田、三宮等々、どこを歩いても普段は見かけることのない看護婦の集団がやたらと目に付いたし、一般人にもマスクを着けている姿が多く見受けられ、些か旅情を殺がれる気分である。しかし、そんなことはお構いなしに神戸へ到着。三宮駅前に雁首並べる、卑しげなキャバレーの呼び込みの攻勢をかわしながら、ン年ぶりに歩く懐かしい北野坂を上がっていったところに、その日のボロ宿(ビジネスホテル)がひっそりと佇んでいた。

2003/05/21

プール恐い εεεεεヾ(*´ー`)ノ トンズラッ



 夏、プール開き。

 ここまで、スポーツ万能ぶりを如何なく発揮して来ていた神童に、ついに「苦手」が現れた。

 プールだ。

 正確には、プールというよりは「
」に対してだが、何故か初めての恐怖を感じることに (´-ω-`)うーん

 まずプールに入る前の、あの塩素の強烈な匂いにデリケートな神経がすっかり参ってしまい、顔が水に浸けられない。

 家のお風呂でかなり練習し、ようやく水には浸けられるようにはなったが、水中で目を開けることが出来なかった。

 かくて、本番では

 「失格!!!」  

 の烙印を押され、大ショックを受ける (;)!!ガーン

 ダメな子だけ、5人ほどが囲いを施したちっちゃい方のプールに隔離され、ビート板での練習をさせられるが、目を開けられないのだから、これも巧く出来るはずがない。

 このようにして、すっかり
プール恐怖症になってしまった (◎_◎;)

 その後、プールの時間には

 「風邪」

 と仮病を使い、一度も入ることなく無事(?)夏を終えるのだったが・・・

2003/05/18

神童誕生(後編) (*`▽´*) ウヒョヒョヒョ


 体育の授業で50m走の測定が行われた。

 背の低い者から順に、2人づつで計測。

 男子で一番背が低かったマサくんが、最初に「90」の好タイムを記録した。

 2番目の組の2人は10秒以上かかったが、3組目のムラカミくんという少年が、なんとマサくんを1秒近くも上回る「
83」という、驚異的なタイムをマークし

 「ストップウォッチが壊れてるんじゃないか?」

 と、皆のド肝を抜いた (ノ゚ο)ノ ホオオオォォォォォォ-

 その後、何組かが走り速い者は10秒を切ったが、遅いものは10秒以上かかり、平均して10秒前後というタイムが続き「100」がひとつの分岐点となった。

 男子は20人で、背の高いにゃべっちは後ろから2番目だから、最終組だ。

 最終組の前まで終わった時点で、ムラカミくんの「
83」が群を抜いており、続いてゴトーくんが8秒台後半を記録したが、半数近くが9秒台後半で団子状態で、8秒台でゴールを駆け抜けたのは僅か2

 いずれにしても、ムラカミくんの「83」はここまでで圧倒的な速さだったから、よもやこれ以上のタイムが出るとは誰も思っていなかったろう状況で、最終組のにゃべっちが登場したわけだ。

2003/05/16

神童誕生(前編) (´0ノ`*)オーホッホッホ

 小学校に入学した、にゃべっち。

 入学後すぐに行われた知能テストで、驚異的な結果を叩き出す

 驚いた教師から「再試験」をさせられたが、結果は変わらず。

 次には算数の授業で計算を始めるや、たちまちにして「驚異的な早さ」と驚かれた。

 担任女教師が、算数ドリルから出題し

 「解けた人は、手を挙げて」

 と、何問続けても常にトップはにゃべっちで、そのスピードに目を瞠った

 にゃべっちだけは、出題と同時にあっという間に手が挙がり、担任を始め皆の度肝を抜く 

オオー!!w(*o*)


 にゃべっちに続く2番手は、マサくんという美少年だ。

 マサくんの小さな手が挙がるのは、少し遅れる場合もあったが、殆どがにゃべっちの直後だった。

 タッチの差に迫っても、決してにゃべっちを抜くことはなかったものの、それでも常に2番目はキープ。

 2人に続く3番手以降は毎回のように顔ぶれが変わっていたが、にゃべっちとマサくんとは比較にならないくらい、まったく遅かった

 「にゃべちゃんとマサくんは、そろばんでも習ってるのかな?」

 という担任の問いかけには、揃って首を振る2人。

 特にそろばんなどの教育は受けてはいなかったが、確かに2歳上の姉よりも遥かに早く、中学生の兄も

 「にゃべ、すげー計算はえー」

 と驚いていた。

 「マサくんも相当凄い子だけど・・・にゃべちゃんったら・・・こんな「神童」、今まで見たことがない!
 もしかしたら、中学年生並みの頭脳があるかも・・・」


 と、担任女教師は驚くばかり。

 これが神童」誕生の瞬間だ。