2005/01/30

マラソン大会

『A高』では3年に一度、冬に「マラソン大会」が行われていた。3年に一度というのは、卒業までに1度は全学生に経験させようという狙いからだったろうが、この年が開催年に当たっていた。

 

にゃべ属するサッカー部など、スポーツ系の各クラブで

 

「(20番とか30番)以内には、必ず入れよ・・・」

 

などと、先輩らから厳しいお達しが発せられるのが恒例だったが、幸い3年生は既にクラブ活動から退いていたから、煩い先輩はいない。幸いにして新キャプテンとなったのが、人格者のドージマだったから

 

「オレは何番以内に入らんかったら罰ゲームなどという、くだらん事は言わん。が、各自サッカー部員としてのプライドを持って、ベストを尽くそうではないか」

 

という檄が飛んだ。

 

「やったー!

じゃあ、何番以内とかのノルマはないんですね、キャプテン?」

 

と、ホッとした表情の後輩たちに

 

「サッカー部員としてのプライドを考えれば、20番より遅くは恥ずかしくてゴールに戻っては来られねーだろう、とは思っているがな ジロリ(;¬_¬)」

 

などと、ペナルティをちらつかせはしなかったものの、結局はしっかり釘を刺していた。

 

こうなると長距離の苦手なにゃべも、決してヒトゴトではない。元々、長距離は嫌いだったとはいえ、学年男子180人で20番程度なら本来は問題ない程度だったが、1ヶ月ほど前まで不登校をしていたせいで、サッカー部の練習からも遠ざかっていただけに、今回ばかりは体力的に自信がなかった。

 

サッカー部は体力無尽蔵の主将ドージマを筆頭に、ゴトーなどタフな面々が揃っていただけに、恥をかかないよう密かにズル休みを狙っていたが

 

「オイ、にゃべ・・・そのツラは、ズルを狙っているな・・・?」

 

さすがにキャプテンは慧眼の主であった。

 

「ゴトーよ!

明日の朝は、にゃべを迎えに行ってくれんか?」

 

「おー、いったるわー」

 

と、ゴトーにも外堀を埋められてしまった。

 

(こうなりゃ、ヤケクソだ・・・)

 

と結局諦めて、スタートラインに立った。

 

(校外の難コースとはいえ、たかだか5km・・・普段は優に10km以上は毎日、走らされているんだ・・・)

 

号砲とともに、予想通りトップグループ集団に入ったドージマ、ゴトーらに加え、陸上部のマチャやバスケ部のムラカミ、さらにはヨット部のタカミネら30人ほどがトップ集団を形成する。そのまま団子状態で、2Km辺りから市営球場へと向かう登り坂となるや、水泳部員や陸上の長距離部員らが一気に抜け出し、先頭集団が大きくバラけて来た。

 

市営球場のグルリを周回し、今度は坂道の下りだ。ここまでは何とか仲間に食い着いていたにゃべも、下りを終え最後の心臓破りの登り坂で力尽きた。

 

「先に行くぜ」

 

というドージマ、ゴトーらは日頃から真面目に練習に取り組んでいるせいか、まだまだ足取りは軽そうだ。坂を登り切った後、最後の『A高』の校門までの直線コースで息を吹き返したにゃべは、ノルマギリギリで何とかゴール。

 

結局、男子は陸上部員が優勝し、2位は水泳部員。そしてサッカー部主将のドージマは、陸上部のマチャと競り合いながら、堂々3位でフィニッシュしていた。

 

「サボっていた割りには、意外に走れたじゃねーか」

 

と、冷やかしてきたゴトーは10位、バスケ部の親友ムラカミは15位でゴール。

 

ヨット部キャプテンの御曹司タカミネも8位と健闘していた。

 

別の4kmコースで行われた女子の方は、陸上部エースで全国トップレベルのタイムを持つ大本命のみどりが、スタート直後から驚異的なスピードで他を大きく圧倒して悠々一人旅の独走優勝を飾り、注目された体操部のエース・カオリは4位でフィニッシュした。

2005/01/28

「Classic」の探求(3)


 では、最後に「古典主義」を見ていくことにする。

<古典主義 【英】:CLASSISM
語源は、古代ローマ市民の最高階級を意味するクラッシクス(Classicusは、美術、文学、音楽、建築など広い分野にわたって使われ、明晰な秩序に基づく完成された表現を目指す、様式傾向や芸術理念を意味する。17世紀フランスで芸術理論として高められ、現在では一般的な様式概念としても、歴史上のある特定の時期を示す概念としても用いられる。
様式概念としての考え方としては、バロックに対立する表現様式として見る立場と、アルカイスム古典主義バロックと展開する様式発展の一つと考える立場があるが、いずれもアルカイスムの素朴で生硬な表現やバロックの激しくダイナミックな表現に対して、合理的秩序に基づく統一性、安定した構築性、調和の取れた静かな表現等を古典主義の特質として挙げている。

代表的な時代としては、紀元前5世紀のギリシア、ルネサンス、17世紀、18世紀末から19世紀初頭にかけてのフランスがある。様式概念として広く捉えた時、日本美術などの西欧美術以外の芸術に古典主義の時代を見い出したり、ピカソの「古典主義時代」など個人の様式に適用することがある。

そして、古典主義音楽だ。

<古典主義は、ヨーロッパでギリシャ・ローマの古典古代を理想と考え、その時代の学芸・文化を模範として仰ぐ傾向のこと。均整・調和などがその理想とされる。文脈により、異なった意味合いで使用される。ロマン主義の対概念。音楽では、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが古典派音楽(古典主義音楽)と言われる。音楽の場合、ギリシア・ローマの古典を復興しようという意識があった訳ではないが、ソナタ形式に見られるように調和の取れた構成の形式美を重んじている>
出典Wikipedia

このように「古典主義」の語源が「Classicus」という解釈に忠実に基づけば、実は「Classic音楽」にカテゴライズされるのは、モーツァルト、ベートーヴェン辺りまでとなってしまい、以降の年代に登場したシューベルトやワーグナー、或いはブラームスやチャイコフスキーといった有名作曲家は、古典派に代わって登場した「ロマン派」の音楽家として、その作品は狭義には「Classic音楽」に含まれない、という理屈になってしまうわけである。

が、これはあくまで「Classicus=古典主義」に基づいた場合の狭義の解釈であって、先の辞書に出ていたように

「学問・芸術などの分野で古い時代に作られ、長い年月にわたる鑑賞を経て、現在もなお高い評価を受けている作品で、民俗音楽やジャズ・ポピュラーなどの大衆音楽以外の、芸術的に正統とされる西洋音楽」

という広義の解釈こそは、今日広く人々に膾炙されているものである。

 古典派(classicという言葉は<第一級の、模範的、高雅な、経典的、古代ローマ・ギリシャ様式>などの意味がある。古典主義といえば古典崇拝派を指し、ゲーテやシラーなどのギリシャ研究から起こった文学運動のことである。形式的な類型と調和を重んじ、客観的な美しさを追求する事が主眼とされた。  音楽における古典主義は、ウィーンで花が咲いて、ウィーンで実を結んだ。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人の出現によって、画期的な楽風が樹立され、古典主義の完成となったのだ。

古典主義の音楽がウィーンで栄えるためには、すべての条件が揃っていた。ウィーンは、長い間ヨーロッパにおける文化の中心地であったばかりでなく、王君を始め貴族たちは自身で音楽を嗜み、優れた作曲家や楽団を抱えて自分のサロンで演奏をすることが誇りであった。

ウィーン派初期の音楽家の名を挙げれば少なくないが、最初に現れた大きな名はグルックである。グルックはマリーアントワネットの王女、王子に音楽を教授するため、一時パリにもいた。続いてハイドンが現れ、モーツァルトが現れ、ベートーヴェンがやってきて、ウィーンを第二の故郷とした。つまり彼ら4人とも、ウィーン生まれではない。ウィーンの音楽的雰囲気に惹かれて来て、彼らによってウィーン古典派の輝かしい伝統を作り上げ、そしてウィーンに骨を埋めたのである。

 古典派音楽の特色は、次のことが言える

1
.整然たる形式による単旋律音楽(※)で、ソナタ形式、ロンド形式がその中心となった
2
.端正な音楽理論をもち、和声楽、旋律構成法、管弦楽法が合理化された。
3
.創作理念として、荘厳、崇高、純美を目的とし、多分に貴族的であった。

※ルネッサンス以降、盛んだった多声音楽(複旋律音楽)はポリフォニーと呼ばれたが、これは同時に二声以上の旋律が流れるもので、これにはカノン、フーガなどの形式があり、もっぱら対位法によって処理された。それに対して、単旋律音楽(ホモフォニー)とは一本の旋律が中心となり、和声によって伴奏され音の加重が自由であり、壮大、豊麗にされるもので、この時代のソナタ形式、ロンド形式、歌曲形式などは、単旋律音楽を最も効果的に発展させた。グルックを除く3人は、すべて器楽の作曲家である。古典派の音楽では、オペラももちろん一つの重要な部門ではあったが、全体的にはその特徴は器楽にあって、特にソナタ形式、またはシンフォニーの音楽である。

2005/01/27

女子力(反乱シリーズpart8)

擦れ違いざまに女子2人と軽く言葉を交わして、ドージマは消えていった。

 

「あれっ、タカシマか?

後ろには、オーミヤも?

オマエら、まだ残ってたのかよ?」

 

「う、うん まあね。部活で遅くなっちゃって・・・それよりもさ、アンタどーしてたのさ、一体?

 

「ちっ!

オマエまでが、同じ事を訊くのかよー。今日はそればっかりで、散々ウンザリしてるのに・・・」

 

「だって・・・そりゃ、当然なんじゃないの?」(真紀)

 

「そうそう・・・一体なにがあったのか、責任持って白状しなさいよー。アンタねー。ムラカミなんか、どんだけ心配してたか知ってるの? ねえ、真紀?」

 

少し怒ったような、赤みの射した表情と詰問調に口を尖らせ気味の千春。

 

「ムラなんて、何も心配してなかったよな?」

 

と、照れ隠しに言うと

 

「うん・・・そりゃ実際のところ、ムラカミがどれだけ心配してたかはわからないけど・・・」(真紀)

 

「でも

『アイツを連れてこられるのは、オマエしかいねーんだから、何とかしろ!』

とか、みんなに相当突き上げられてたことは事実だし・・・」(千春)

 

「彼って最後まで平静を装っていたのは、さすが大したもんだったわ・・・でも事情がわからないから、上手く説明できなくてね・・・それが可哀想だったな」(真紀)

 

『オレだって、なんも聞いてねーからしらんわ!』 とか言ってたよね」(千春)

 

「そうそう・・・『遅かれ早かれ、いずれ必ず戻ってくるから心配いらん』とか言ってたよ」(真紀)

 

「ちゃんとお見通しだったんだねー」(千春)

 

「ま、なんか考えがあってのことだから仕方ないけど、ムラカミにだけはちゃんと説明してあげないと・・・」(真紀)

 

真紀の方も慎重な言い回しながら、口調はさすがに厳しかったものの、あのいつに変わらぬ穏やかな笑みをその白い顔に浮かべ、あくまで冷静な表情を崩さないのはさすがだ。

 

「それよか、今のクソデカイのがキャプテン?」(千春)

 

クソは余計だろ・・・

 

「あれって、ドージマでしょ? やっぱ、格好いいねー」(真紀)

 

「あれがドージマかー。どーりで、ウワサ通りデッカイね。てっきり先輩かと思って『お疲れ様』なんて言っちゃったよ」

 

と、千春が舌を出した。

 

「さすがキャプテンじゃん。ちゃんと空気読んで、気を利かしてくれたのね」(千春)

 

『じゃ、よろしくー』とか言ってたよ」(真紀)

 

「そうそう、全部お見通しだね。立派なキャプテンだわ・・・誰かとは、まったく正反対みたい」(千春)

 

「うるせーな!」

 

「で・・・話の続きは?」(真紀)

 

「続きって・・・別になんもないぞ」

 

「ま、そんなに話すのが嫌なら、今日は訊かない事にしてやるわ・・・」(千春)

 

「そうそう・・・先は長い事だしね」(真紀)

 

と、腕組みをする女学生2人。なかなか解放されそうもない針の筵だ。

 

「んじゃ折角だし、3人で一緒に帰ろうか」

 

「なにが折角なんだか・・・」(千春)

 

「そーいや、3人で一緒に帰るなんて初めてだよねー」

 

と珍しく、真紀のちょっとはしゃぐ華やいだ声が響いた。

 

3人で仲良く(?)、夜道を自転車で走る。なんとなく車道側ににゃべ、真中に千春、反対側に真紀となっていたが、時々真紀と千春が入れ替わったりしていた。いずれにせよ170cm近い千春と、それよりさらに長身の真紀とのスリーショットは、傍目にはお似合いのトリオに見えるだろう。

 

「ねー、にゃべとこんな風に一緒に帰るなんて、初めてよねー」(真紀)

 

「初めても何も・・・オレ、オンナと一緒に帰るの自体が、初めてだからさー」

 

「私だって、オトコと一緒に帰った事なんてないよー」(千春)

 

「私もー」(真紀)

 

「誰かに見られたら、誤解されそうかな?」(千春)

 

「『帰りが遅くなったので、2人が通り魔に襲われないようエスコートしました』  とか言っとくか」

 

「きゃあー」

 

「アンタのエスコートじゃ、頼りないわ・・・」(千春)

 

闇にポッカリ浮かぶ、日本人離れのした二つの白い顔。

 

長い髪を風に靡かせ目元の涼しい顔の千春と、なぜか謎めいた笑みを浮かべたままのショートヘアの真紀。寒い冬の季節にして、なにか心根が温まるような感じがあった。

 

(やっぱり、この学校に帰って来て良かったのだ・・・)

 

と改めて強く「青春」を実感する一幕だった。

 

次第に無口になりがちな中で、夜道を走る3台の自転車の音だけがやけに大きく聞こえるうちに、家が見えて来た。

 

「へー・・・にゃべの家って、結構大きいんだね・・・」(真紀)

 

「でもまだこの裏に、母屋の離れがあるんでしょ?」(千春)

 

「何で、オマエが知ってんだよ・・・」

 

「そのくらい知ってるさ。だって、小学校の時から有名だったし・・・噂でも散々、聞いてたからね」

 

「それはともかくとして、こっちだとタカシマは方向が違うんじゃねーのか?」

 

「ま、いいからいいから・・・」

 

と、千春が例の小悪魔的な微笑を浮かべた。

 

2人がなにも追及してこなくなったことが、余計に圧迫感となっていく。

 

「オホン・・・まあ色々あったが、いずれ機会を見てちゃんと話すよ・・・」

 

「うん、まあね・・・それは、どっちでもいいんだけど・・・どうせ口が達者だから、騙されそーだしな」(真紀)

 

「確かに・・・でもやっぱ、ちゃんと説明する義務があるな。それよりも、今後もうあんな唐突な事して、みんなに心配かけちゃ絶対にダメだからね!」

 

と睨む千春。なんだか姉のようだ。

 

あくまで生真面目な千春の強い口調に対し

 

「なんか笑えるんだわ・・・」

 

と、普段は優等生を絵に描いたような真紀が、なぜか笑ってばかりいるのが、普段と逆のような  (; ̄ー ̄)...

「Classic」の探求(2)

 前回までに見てきたように、Classicとは要するに「古典」である。では、次に「古典」とはなにかについて、見ていくことにする。

大辞林で「古典」を見ると

1] 学問・芸術などの分野で古い時代に作られ、長い年月にわたる鑑賞を経て、現在もなお高い評価を受けている作品。
2] 過去のある時期まで尊重され、その後、新しい方法・様式に取って代わられた学問・技芸など。
3] 古くからあるきまり。昔のおきて。
4] 古い時代に書かれ、典拠として受容されている書物。

とある。

さらに「古典音楽」を見ると「民俗音楽や、ジャズ・ポピュラーなどの大衆音楽以外の、芸術的に正統とされる西洋音楽。クラシック音楽」とあり、単に「古い」とか「歴史がある」というだけでなく、「(民俗音楽や、ジャズ・ポピュラーなどの大衆音楽以外の)芸術的に正統とされる」と「古典」という字面からは読み取れない「特別な価値」が含まれていることがわかる。

 <そもそも「古典」とは、いかなる意味であるのか?
国文学者の池田亀鑑によると「」とは「」と「」とからなる字で、十人の口を経るということで時間軸の長さを意味し、「」はテーブルの上に巻物が並べられている字で、大切なものを意味するのだという。さらに「古典」とは、英語Classicの語源となったラテン語のクラシキ(最上のものの意味)の翻訳語なのだという。

池田亀鑑によれば「古典」とは「最上のもの、たくさんの人が伝えようとするだけの価値のあるもの」なのだという。古典作品は、悠久の彼方から存在し続けたわけではない。そこには誰と特定できないまでも作者がおり、新作として享受した者たちがいる。数多くの作品が生まれる中で、享受者たちはより良いもの、伝える価値があると感じたものを他人に、子孫に教えていった。十人以上の口から耳へ、目から口へ、評判はテキストとともに伝承されて、いま此処にある>

古典」という言葉には、単に「古いもの」という意味に止まらず、このような深い意味が含まれているのである。

 古典の「」とは十と口から成る会意文字で、十は長方形の干(たて)、口は祝祷(しゅくとう=神官を通じて神に祈ること)の器の形で、中に祝祷の詞を収める。この祝祷の効果を維持するためには、これを安全に護ることが必要であり、そのために口の器上に聖器としての干(たて)を置いて、神意を長持ちさせる意の会意とも言われる。

また「」とは固く守られた祝祷を意味し、その詞(ことば)には霊力が宿っていると考えられており、なお厳重に守護する必要があるときは、さらに外囲いをつけた。これを『』という。「古」は象形文字では、先祖など人の頭蓋骨を象ったものとされる。

次に「」。これは冊(さつ)と几(き)から成る。冊は「かきつけ・ふみ」の意で書籍を表し、几は机の意。したがって、典とは机の上に書籍が置かれている形で、これが帝王の書である典尚や国の典範を意味するようになった。

 <つまり古典とは、第一義に古人が神に対して捧げた詞ということです。それは霊力に満ち、命を宿しています。ゆえに大切な先例、典故、規範として書き記され、守り伝えられねばなりません。

しかし古典とは、ただ古いだけのものではありません。古いから大切なのではありません。古いから古典なのでもありません。古典とは今なお活力を有し、生き生きと生き続けている生命なのです。 躍動する生命なのです。大切なのは、干と口という型に守られている内側の「心」であり「命」です。学ぶべきは古え人が大切に育んだ「心」であり、伝えるべきはその「命」です。その「心」と「命」が生かされることが大事なのです。それが生かされているものを古典、あるいは古典的と呼ぶのではないでしょうか。

そこには先人のたゆまない努力や格闘、祈り、願い、信念、至誠、愛情、あるいは悲しみや苦しみ、喜びと笑い、苦悩、歓喜が、つまり人の心の想い、精神の営為、魂の歴史、生きた証が幾重にも幾重にも、畳まりながら流れています。だから古典は「重く、深く、尊い」のでしょう。古典を学ぶとは、先人のその「心」を尋ね知り、その「命」をわが身に宿すことではないでしょうか。その時、私たちは先人とともに古へを生き、先人は私たちとともに今を生きる。その共感こそが古典の悦びであり、時空を越えるその力こそが古典の普遍性であると思います>