2005/09/30

美和の家

 X大きっての美少女・美和から

 

 「にゃべ~!

 今度、ウチヘ遊びにこーへん?」 

 

 などと誘われたなら、この世に断る男などいないだろう。 

 

 「ん?

しかし、またちゅーことで?」 

 

 「ウチのおかーちゃんが、お連れ連れて来いって煩いんやって。

サークルのコや同じゼミのコも、何人も連れて行ってるし」 

 

 という事から、予想だにしていない展開で美和の家へ行く事に (。 ̄Д)d□~~ 

 

 「オマエん家に行くのはえーが、待ち合わせの場所はどーする?」

 

 「待ち合わせ??

別に、直接来てくれりゃえーんやけど・・・」

 

 「そーだったな・・・フジワラのウチって、確か西陣の由緒ある呉服商だとかなんとか訊いていたが・・・京都の人間なら、誰でも常識的に知っとるんかな?」 

 

 「んなわけないっしょ!

ウチも、まあそこそこかもしれへんけど、ここ(京都)にはもっと旧家がたんとあるから、ウチなっとはまあたいした事へんって・・・ ここから、すぐねきだよ」

 

 「フジワラの母親ってーと、やっぱり茶道とかの先生?」

 

 「お茶とお華の先生。あと・・・着付けも家元やったかいな・・・」

 

と、さも当たり前のように言われては、教養なき不良学生としては尻込みするしかない。

 

 「どーも苦手っぽい・・・」

 

 「さらさら、大丈夫・・・気さくで捌けた人やから、友達連れて行くと歓ぶんよ。

 にゃべは、お抹茶は嫌い?」 

 

 「抹茶なんて、飲んだ事ねーよ。そもそも『お抹茶』という文化とは、まったく懸け離れた世界にいたからな・・・とはいえ、茶道家元か・・・やっぱ飲まねーとまずいかな?」 

 

 「うん、ぜ~んぜんだいじょうぶよ~」

 

 美和はいつものように、笑ってばかりいた (。^^。)キャハ

 

 とにかく、よく笑う女なのはいつものことだが、この場合ではどうしても「田舎者め!」とバカにされているようにしか感じなかった。

 

 普段は一緒にバカ話に興じている美和だが、このように「実家」(京の由緒ある旧家)の話となると、さすがのズボラなにゃべとはいえ「「ヨソもん」としての気後れを感じずにいられないのである。

 

 「そもそも、茶の作法なんて全然しらんし・・・オレが行く場所がねーんじゃ?」

 

 美和の家が近付くに連れ

 

 (こりゃもしかして、えらいところに来てしまったんじゃ?

 イナカもんの大恥を掻くような事に、ならなきゃいいが・・・)

 

 と、次第に不安が募って来た。

 

 「そへんなん、さらさら気にする事へんって」

 

 「しかし、お茶の作法とか・・・」

 

 「今まで何人も来やはったけど、マトモに飲んだコって一人もへなんだことやし ()アヒャヒャヒャヒャ

 

 と、美和はひたすら笑い続けるばかりだ。あたかも、こちらの困っている様子を楽しむかのように (m*)ブブッ

 

こうしてみると、普段は「頭のいかれた綺麗なねーちゃん」にしか見えない美和が「さすがは選民」と、改めて見直さざるを得ないのである。

 

 室町の美和の実家は、意外なことに我が下宿先からチャリで軽く行けるくらいに近かった。

 

 煌びやかな呉服商の隣に問屋のような構えの店が並び、さらに住居はその奥にある。旧家らしく、想像したような派手さはなかったが、噂通りの立派な門構えであり、近所ではついぞお目にかかったことのない歴史と風雪に耐えて来たような、年季の入った構えの家が並んだ一角に圧倒されてしまった オオー!!w(*o*)

 

 「おーきに、おいでやす」

 

 女中らしき若い女性に三つ指ついて迎えられ、なんだか背中がむず痒い中、早々に茶室に案内される。そこには既に茶の道具が置いてあり、急造で美和から簡単な講義を受ける、にゃべ。

 

 にゃべの美和に対する印象は、最初から一貫して

 

 (異様にテンションが高く、頼りなく掴み所のないヘンな女)

 

 というイメージだったが、思えばこの美和からはなにかと一方的に教わってばかりいたのも事実であり、この歳にして実に色々な事を良く知っているのに舌を巻かざるを得なかった。

 

 (これが、由緒ある京都人の教養というものか・・・)

 

 などと感心しているうちに襖が音もなく開き、和服姿の美しいご夫人が現れた。

 

 「ようこそ、おいでやす」

 

(  ゜ ;)エッ!!

2005/09/29

チャイコフスキー バレエ『眠れる森の美女』グラン・パ・ド・ドゥ(act3)

【ニコニコ動画】ロイヤルバレエ 眠れる森の美女 第3幕~PDD グラン・パ・ド・ドゥ(act3) プリマ:アリーナ・コジョカル/ロイヤル・バレエ団(The Royal Ballet

 https://www.nicovideo.jp/watch/sm9633103

Sleeping Beauty Act III Grand Pas de Deux (2021) - Marianela Nuñez and Vadim Muntagirov


グラン・パ・ド・ドゥ

プティパが定式化した4曲構成のパ・ド・ドゥを特に「グラン・パ・ド・ドゥ(Grand Pas de Deux」と呼ぶ。以下の順で進行することが決められている。

 

ü  2人が入場する アントレ(Entrée

ü  男女2人で踊る アダージュ(Adage)・・・ゆっくりした曲に合わせてバレリーナが男性に支えられ、美しい線とバランスを見せる優雅な踊り。「緩序」ともいう。

ü  男性が1人で踊る ヴァリアシオン(Variation)・・・素早く高い跳躍など男性的な動きが特徴。

ü  女性が1人で踊る ヴァリアシオン(Variation)・・・柔らかく女性らしい動きを見せる。

ü  男女2人で踊る コーダ(Coda)・・・アダージュとは一転してテンポの早い激しい音楽に乗り、2人が高度なテクニックを披露する。

 

上記、それぞれに別個の音楽がつく。アントレは音楽がある場合(『眠れる森の美女』第3幕)と、無い場合が(『くるみ割り人形』第2幕)ある。無い場合は、前の曲が終わった合間に登場する。

 

振付けを担当したのは、ロシア帝室バレエの比類ないバレエマスター(振付・演出家)マリウス・プティパであった。プティパは作曲に必要な指示を詳細に書き、その指示に従ってチャイコフスキーはこの新作を、フロロスコエの自宅で素早く書き上げた。

 

1888年の冬に草稿に着手し、オーケストレーションを開始したのは1889530日であった。作品の焦点は、明らかに善の力(リラの精に象徴される)と悪の力(カラボスに象徴される)との葛藤に置かれており、それぞれを表わすライトモチーフが話の筋を強調する重要な撚り糸として機能しながら、バレエ音楽全体を貫いている。しかしながら第3幕では、その2つのライトモチーフはすっかり息を潜めて、その代わりに様々な宮廷舞曲の一つ一つの性格に力点が置かれる。

 

なぜ、2つのライトモチーフが第3幕で息を潜めるのかは昨今の縮小版バレエではわからないが、原作を見ればその意味がわかる。

 

パ・ド・ドゥ(仏:Pas de deux 「2人のステップ」の意)」 とは、バレエ作品において男女2人の踊り手によって展開される踊りをいう。多くは、バレエの中の最大の見せ場となっている。同性2人による踊りは「デュエット」といい、パ・ド・ドゥとは区別される。概して東洋の舞踊は女性が一人で踊るものが多いのに対し、男女が一緒に踊るパ・ド・ドゥは西洋に特有のもので、西洋における「」を象徴するものだとの見方がある。

2005/09/28

チャイコフスキー バレエ『眠れる森の美女』バラのアダージョ


美しいと言うべきかチャーミングと言うか、ぞくぞくするような魅力に溢れていますw

 

『眠れる森の美女』の中でも特に 有名な曲でもあり、プリマにとっては大きな見せ場である。特に中盤から後半に掛けての盛り上げ方は、いかにもチャイコフスキーならではという魅力が溢れており、個人的には『眠れる森の美女』の数ある曲、と言うよりはチャイコフスキーの作品の中でも、特に好きな曲だ。

 

グラン・パ・ダクション (Grand pas d'action=物語の筋を展開させるため、パントマイムを含んだ踊りなどで感情の表現を行う場面)は、4人の王子とオーロラ姫が絡む場で、4曲から なっている。

出典http://www.oekfan.com/note/

アダージョは、一般に「バラのアダージョ」と呼ばれている有名な場である。ハープのカデンツァの後、低弦のピツィカートの上に線の太いメロディが朗々と登場し、オーロラ姫は4人の王子に支えられながら優雅に踊り、バラの花束を受け取っていく。この場では、オーロラが片足でつま先立ちをしたまま(専門用語では「ポワント(トー・シューズの先のこと・・・または、女性ダンサーが爪先で立つこと)でアチチュード(片足で立ち、もう一方の足は膝を直角に曲げて後方に上げる、バレエの代表的なポーズ)に立つ」と言う)、腕を差し出し4人の王子の手を順に取る動作が見せ場となっている。

 

王子たちは、爪先立ちのままのオーロラをぐるりと回したりするが、オーロラにとってはフラフラせずにこれを続けるという、非常に高い難易度が要求される。音楽の方もゴージャスな響きが続いていき、まさに手に汗を握るように見入ってしまう場となっている。

2005/09/27

チャイコフスキー バレエ『眠れる森の美女』ワルツ


娘たちが許された後、庭園で若者たちが手に花をもってワルツを踊る。このワルツは「くるみ割り人形」の「花のワルツ」と並んで有名であり、豪華でシンフォニックな曲だ。

 

ディズニー映画「眠れる森の美女」中で「いつか夢で(Onece upon a dream)」という歌詞付きの曲として歌われるのもこの曲で、非常に滑らかなメロディラインを持った美しい曲である。

 

アレクサンドル3世は皇族をつれてゲネプロ当日にこれを観覧し、立ち去り際にたった一言「とてもいい」と言い残した。チャイコフスキーは、もっと好意的な反応を期待していたので、その言葉に苛立ったという。

 

初演は1890年に行われ『白鳥の湖』よりも好意的な評価を報道された。だがチャイコフスキーは、この作品が海外の劇場で大ヒットする栄光の瞬間を味わうことはできなかった。チャイコフスキーは、1893年に他界し、その10年後の1903年までに『眠れる森の美女』は帝室劇場で1番人気のチェザーレ・プーニ作曲・プティパ振付の『ファラオの娘』に次ぐ地位を得た。

 

サンクトペテルブルグで活躍した、イタリア人バレリーナが帰国して行ったミラノ・スカラ座における上演は、まるで人口に膾炙せず『眠れる森の美女』が国際的に古典的なレパートリーとして不朽の地位を射止めたのは、ようやく1921年のロンドン公演においてであった。ただし、それはチャイコフスキーとプティパが作った『眠れる森の美女』を基にしながらも異なる部分があり、またロシアにおいても革命・ソ連時代を経て異なるものに変わっていった。原作がどういうものであったのかがわかったのは、1999430日、ロシア、サンクトペテルブルクのマリインスキー・バレエが復原版を上演した時のことである。

2005/09/26

チャイコフスキー バレエ『眠れる森の美女』(序奏とリラの精)

 


チャイコフスキーの音楽は、冒頭から魅力的なメロディーでリスナーを圧倒するのが特徴だが、この序曲も印象的なオープニングである。邪悪な妖精カラボスを表す暗くリズミカルな主題が重厚に演奏され、いやがうえにも物語への期待が高まる。この印象的なオープニングに続き、イングリッシュホルンが対照的になだらかに流れるように、リラの精のテーマを奏する。2つの主題はバレエ全体を貫くライトモチーフとなり、リラの精の主題が大きく盛り上がった後に、第1幕へと続いていく。

 

サンクトペテルブルクの帝室劇場総裁イワン・フセヴォロシスキーが、チャイコフスキーにペローのおとぎ話『眠れる森の美女』 に基づくバレエの音楽が欲しい、という手紙を書いた。それまでチャイコフスキーは、バレエ音楽の作曲経験は『白鳥の湖』のみ。しかもライジンガーやハンセンが振付けて、モスクワのボリショイ劇場で初演したバレエ『白鳥の湖』は、当時ほとんど歓迎されることのない作品となっていた。その3ヶ月後、やっと台本を手にしたチャイコフスキーは、躊躇うことなく新作バレエの作曲を引き受ける。

 

『眠れる森の美女』の作曲に当たりチャイコフスキーが取り組んだ台本は、ペローの童話を基にフセヴォロジスキーが書き下ろしたものとされる。王女の両親が娘の100年の眠りを生き長らえて、眠りから覚めた姫の晴れの婚礼を見届けるという部分や、王子のキスで目覚める部分などはグリム童話の「いばら姫」に近いが、フセヴォロシスキーはペローやオーノワ夫人など、フランスの童話の幾つかの話も台本に採り入れた。チャイコフスキーはこの台本を読んで大いに感動し、それを最高に生かす良い着想を得たことをフセヴォロシスキーに嬉々として伝えた。

大津(泉大津)

 「」というのは、元々

(1)
海岸・河岸の船舶が来着する所。船つき場。渡し場。港。
(2)
特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。港町。

というような意味の言葉です。

お隣三重県の港町である「」に対し「大きい港」として「大津」の名が冠せられたというエピソードは何度か訊いた事がありますが、実はもっと深く大きな意味があるらしい。

出典 http://otsujinja.com/index.html
《「大津(おおつ)」は、元々は「小津(おづ)」と呼ばれていたようです。「小津」は国津・国府津から転じたものといわれ、和泉国の国府の外港という意味です。

小津の港は、古くから畿内地方における良港として広く知られていたようで『土佐日記』に

『五日。けふ、からくして、いづみのなだよりをづのとまりをおふ。まつばら、めもはるばるなり。これかれ、くるしければよめるた、ゆけどなほゆきやられぬはいもがうむをづのうらなるきしのまつばら』

と書かれてあり、また『更級日記』には

『冬なりて上がるに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜雨風、岩もうごく許降りふゞきて、神さへなりてとゞろくに、浪のたちくるをとなひ、風のふきまどひたるさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思(ひ)まどはる。岡の上に舟をひき上げて夜をあかす。雨はやみたれど、風猶ふきて舟出ださず。ゆくもなき岡の上に、五六日と過ぐす。からうじて風いさゝかやみたるほど、舟のすだれまき上げて見わたせば、夕汐たゞみちにみち來るさま、とりもあへず、入江の鶴の、こおしまぬもおかしく見ゆ。くにの人びと集まり來て、
「その夜この浦をいでさせ給(ひ)て、石津に着かせ給へらましかば、やがてこの御舟名殘なくなりなまし」
などいふ。心細う聞ゆ』

とあります。

土佐日記は承平五年(935)に書かれたもので、この頃までに「小津」という地名は存在しており、それより約百二十年後、康平二年(1059)頃、更級日記が書かれた頃には既に「大津」と呼ばれていたことがわかります。

この「小津(大津)の泊まり」は、現在の大津神社の鎮座するところであったと言われています。その後、明治22年(1889)町村制により泉郡(のち泉北郡)大津村となり、大正4年(1915)に町制を施行し大津町となりました。

また昭和17年(1942)の市制施行では、既に滋賀県に大津市があったために、大津の上に泉州の「泉」をつけて泉大津市となりました。このように、大津の名称は変わることなく伝えられて来たのです。

出典Wikipedia
滋賀県の大津の名は桓武帝に由来する。 津とは湖など水の溜まった場(転じて港、港町)をさす言葉であるが、かつて、近江国(近江は近津・淡海(おうみ)の略称からと言われる)と呼ばれていた一帯へ、白村江の戦いで敗北した天智天皇によって近津に遷都(近江宮)された。

出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
●ポリネシア語による解釈
大津市は琵琶湖の南西岸にある県庁所在地で、畿内と東国を結ぶ交通の要衝です。都市としての起源は、天智天皇の大津京の造成(天智6667)年)に遡ります。

大津の語源は「逢(あふ)津」で、市の北の「粟(あわ)津」は「あふつ」の転とする説があります。この「おおつ」は、マオリ(ハワイ)語の「オウ・ツ」、OU-TU(ou(Hawaii)=to perch as on a tree;tu=stand)、「鳥が(止まり木のような、高くて狭いところに)止まるように置かれた(都)」の転訛と解します。

2005/09/25

ポンドステーキにチャレンジ(2)

A女子は、ポンドステーキにチャレンジするケーコはともかくとして、その他はリナ、ユーナという、ちょっとステーキが似合いそうにない顔ぶれだったが、これは偶々その場にいたからにすぎぬ。。

 

「ヒロミは今日は補習とかやったけど、マドカ呼ぶ?」

 

と、ケーコがマドカの親友のリナに尋ねると

 

「あー、あの子は、お肉は食べんからこーへんよ」

 

ということだ。

 

「マドカはベジタリアンなん?」

 

「ん~、ベジタリアンゆーか、和食党やろうね」

 

ということで、A女子は小柄なリナと華奢なユーナだから、もっぱら大魔神のケーコ頼みだ。

 

片や男子の方だが、肝心のマサムネが

 

「いや、オレはチト野暮用が入っちまってな・・・場所は教えとくんで、あとはよろしく・・・」

 

というと、さっさとトンズラを決め込んでしまった。話している最中にも、盛んにスマホを弄ってところからして、大方デートの誘いでもあったか?

 

ともあれマサムネに教えられた店に入ると、人見知りなどは全く無縁なケーコは、早速オーダーを取りに来た店主に

 

「ねえ、オジサン!

女子がポンドステーキ完食したら半額って聞いてきたんやけど、ホンマ?」

 

と厚かましく聞くと

 

「あー、えーよ。ねーさんやったら、行けそうやね!」

 

と軽いノリで応じてくれたではないか。調子に乗ったホソノが

 

「男子は、半額にならへんですか?」

 

と聞くと

 

「男子かー。2ポンド食うたらマケタるよ」

 

「2ポンドはキツイな・・・」

 

「男子でポンド半額にしとったら、ウチが潰れてまうよ。若いんやから、2ポンドくらい食えるやろ・・・」

 

と、笑顔だがなかなかキツイ。

 

ともあれにゃべとホソノはポンドステーキ、見かけによらず酒豪だが食が細いマサトは200g、そしてケーコはポンドにチャレンジはもちろんだが、リナは200g、ユーナは100gをそれぞれオーダー。

 

「うん。安いんで味は諦めとったけど、案外いけるやん」

 

とケーコが言う通り、味の方は思った以上といえた。もっとも、普段はステーキなど食べることが無かったせいかもしれないが。

 

それにしても、驚かされたのがケーコの食欲だ。

 

ポンドステーキにチャレンジ」はてっきりネタだと思っていたが、恐ろしいスピードで肉の塊を平らげていくではないか。いや正確には、例のごとくの饒舌だから食べるスピードこそそれほど早くはなかったが、恥じらいもなく大口開けて大きな肉の塊を嚙み砕いていく。その肉食獣顔負けのダイナミズムは、惚れ惚れするほど。しかも、ステーキだけでなく、ご飯やサラダも一緒に食べながらも、なんと遂に完食してしまった (゜_゜;)

 

「なんと、おっそろしい食欲やな・・・」

 

と呆れるばかりのマサトは、男子では最も食が細く250gがやっとというテイタラクだ。

 

高校では野球部だったというホソノは、鍛えた体があるせいか見事ポンドステーキを平らげたが、にゃべは惜しいところでポンドを食べきれずギブアップ。

 

一方、女子はユーナが100gちょいでネを上げたのは予想通りだったが、身長150cmにも満たず、体重も30kg台半ばが精々と見られたロリ系のリナが、サラダを摘まみながらも200gを完食したのはびっくりだ。

 

「姉さん、凄いね!

女子で、ポンド完食はなかなかおらんて。約束通り半額まけるで」

 

と店主に祝福され、調子に乗ったケーコから

 

「にしても、アンタらだらしないなー。そいでも男かね!」

 

と、扱き下ろされたのは言うまでもなかった (´o)=

2005/09/24

ポンドステーキにチャレンジ(1)

「ステーキが食いたい!」

 

いつも通りのバカ話の中で出て来たセリフだったから、どういう経緯で出て来たのかは覚えていない。なにしろA女子の連中といえば「色気よりも食い気」の面々が揃っていたから、食べ物やキャンパス近くの安い飲食店の話はよく出てくる。そのような流れの中で出て来たセリフだった。

 

通常なら

 

「ああ、ステーキが食いてーわ・・・」

 

というケーコの叫び(?)に何人かが同調してすんなり終わるはずのとこだったが、偶々この時はあのマサムネが居たから、あれよあれよの間に話が急発展した。

 

「ステーキやったら、200gで990円の店知っとるで」

 

というマサムネの一言に飛びついたのは、いうまでもなく食いしん坊のケーコだ。

 

200g、990円ちゅーたら、メッチャ安うない?」

 

「安いっちゅーでも不味かったらアカンが、味はどーなん?」

 

というリナの突っ込みはもっともだった。

 

「それやがな・・・なんぼ安いちゅーたかて、んな不味いもんやったらオレもわざわざ教えんて。まあ、安い割にはそこそこ行けるっちゅーてもえーかな」

 

と、マサムネ。

 

「いっつも金欠のオマエが、いつの間にステーキハウスなんぞ開拓しよったんや? また誰かにたかったんかい?」(ホソノ)

 

「オイオイ、人聞き悪いこといーなや!

そうそう人様にたかっとるかいな・・・」

 

と、マサムネは顔をしかめた。

 

マサムネと言えば長身でスタイルも抜群のイケメンであり、また詐欺師並みの話術にも長けていたことは周知のとおりだ。だから誰もが敬遠しがちなケーコやヒロミなど、A女子のウルサ型にもそつなく対応し、であるから彼女らの受けも他の誰とも比較にならないくらい抜群に良かった。

 

そのマサムネの推奨とあれば、A女子どもがその気になるまいことか!

 

「オッシャー!

んじゃ、今から行こかい!」

 

と、ケーコが叫んだ。

 

「オイオイ、今からかい?」

 

「丁度、昼時やし、えーやろ!」

 

と、最も乗り気のケーコの決断は早かった。

 

「あの店はやな・・・店主がおもろいおっちゃんでな。学生割引とかしてくれるんやった。確か女子だけやったが、ポンドステーキを完食したら半額とかゆーのがあった思うが・・・まあ、女子でポンドステーキ食うのはおらへんから、宣伝半分でゆーとるだけやろうが・・・」

 

「なぬ?

ポンドステーキ食うたら半額やて?

オッシャー、やったろやないか!」

 

はもちろん「大魔神」ケーコだ。

 

「オイオイ、オマエ、ポンドちゅーたら何グラムかわかっとんのかい?」

 

「知るかい!

何グラムやねん?」

 

「ポンドっちゅーと、何グラムやったっけ?」

 

「確か400とか450とか、そんなもんやろ・・・」

 

「ちゅーことはや、まあフツーサイズのステーキを2枚食べれたらえーんやろ!

まあそんくらいは軽いて・・・」

 

と、驚いたことにケーコは自信たっぷりだ。

 

こんな思わぬ成り行きから、早速マサムネの案内でステーキハウスへと赴くこととなった。

 

貧乏学生の身として、普段からステーキなどに縁のあろうはずはなかったが、まあたまには栄養を付けるのもいいのではいう気持ちに加え、はたしてあの「大魔神」ケーコが本当にポンドステーキを平らげることができるか? という悪趣味な興味も加わって、珍しく奮発することにしたのである。当然ながら、ホソノとマサトも似たような懐事情と思われた。

2005/09/21

再契約の後悔(Gシリーズ第5章)後編

「前回、1年ではなく半年単位での契約が可能であれば、再契約に同意しますと言いましたが、あの件はどうなりました?」

 「ああ、あれね・・・やはり半年はダメで、1年単位にしてくれという事で・・・  ただし、決して一年間拘束というわけではなく、あくまで名目だけであって万一途中で辞めたくなったとか、逆に向こうからもう辞めてくれという可能性も含めて、必ずしも1年という期間に拘束されるものではないですよ。


 ただし、にゃべさんも入る時の経験からご存知の通りで、入場が決まってから稟議稟議で最低でも手続きに三ヶ月は掛かるそうなので、辞めたいという意思表示をしてから最低でも三ヶ月は、我慢して貰わないかん事になりますが・・・  それに加えて、その時点でにゃべさんと同等レベルの後任が居れば問題ないですが、そのレベルの人間がおいそれと見つからない場合は、人選だけでもさらに数ヶ月は掛かる可能性がある事もお解かりですよね?」

実際に構築当初から携わって来て、今や唯一の生き残りメンバーとなった技術リーダーのN氏などは、3年が経過した時点で本人が会社に帰りたい希望を出し、会社も引き上げの要望を出しながらさらに2年近くが経過しているにも関わらず、氏に代わる(同等レベルの)人物が見つからないためずっと引き止められたまま、という例もあった。

無論、ワタクシの場合は、リーダーのN氏ほどトータルスキルは高くないし、いよいよ辞める気になったら、どんな手を使っても辞める腹積もりではあったが・・・

ともあれそうした紆余曲折がありながら、再契約に調印する事になった。

「さて・・・それで金銭的なお話ですが、当初お約束した通りで現状のまま据え置くつもりはないです。そこで、ここはズバリ・・・にゃべさんの希望金額を単刀直入にお聞かせ願えませんでしょうか?」

「うーむ・・・難しいところですねー・・・」

当初から、再契約の際には幾らかの昇給がありそうなニュアンスを打ち出していただけに、どの程度上げて貰おうかと考えていたものの、これが仲々難しかった。

「私としては、もうこの場で決めてしまいたいので、ズバリ率直な希望を仰っていただければ・・・」

「ウムム・・・難しいところだな・・・どの程度で考えているかにもよるけど・・・」

「まあ、なんたってまだ一年だから、いきなり10万上げろとか言われたら難しいけど、2万とか3万くらいであれば余裕はあるので、この場で決めてしまいますよ」

 元々

(どうせ上がるといっても、大した金額ではないだろう)

という思いがあったのと、この一年でまだそれほど大した仕事をして来てないという自覚があったから、訊いた瞬間に

(ほー、そのくらいは上げて貰えるのか・・・)

と思ってしまい、咄嗟に

「そのくらいなら充分じゃないですか・・・ならばちょうどキリのいい数字にもなるし、2万でもいいか・・・」

「それで良いですか?

では、それで決定にしましょう」

と、至極呆気なく決まった。

打ち合わせ中は内心の嬉しさを押し隠し、A氏と別れた直後に

(大した事もやってないのに2万も上がるとは、こりゃオイシイわ)

と、自然と笑いが込み上げて来た。

ところが時間が経つにつれ

(相手は『2万とか3万くらいであれば・・・』と言っていたのだから、3万、いや5万以上は吹っかけておいた方が良かったな・・・)

と、次第に欲が頭を擡げて来て

(今までの実績から、あまり吹っかけるのも良くないかと思い、即座に「2万」と言ってしまったが、これからしばらくは据え置きだし、この先何が起こるかわからん事を考えるなら「3万」と言っておくべきだった・・・いや、どうせ今辞めると言われたら向こうは困るのだから、もう少し吹っかけてやっても良かったんじゃないか・・・あの様子では客観的な評価は、案外と高いかのもしれん。クソ、早まった事をした)

と後悔に魘され、寝付けない夜を過ごすハメに・・・

週が空けて職場の喫煙所で、親しい24歳のK君と顔を合わせると

「打ち合わせはどうでした?」

と、早速訊いて来たので

「実に早まった事をした。訊いた瞬間に2万も上げて貰えるなら良いじゃん、と思ってしまったからなー。 しかし冷静に考えれば『2万か3万くらいなら』と言っていたのだから、これまでの実績はともかく、これからの含みを考えて3万とか5万以上と言えば良かった、と後悔して夜も眠れなかったよ・・・」

と「例の話」を開陳したところ

「それは絶対、損だなー。昇給は羨ましいけど、まったく勿体ない事をしましたね。ボクなら即座に『3万!』と言うだろーなー。てかボクは、にゃべさんなら最初から『10万くらい上げろ』とか言う人だと思ってましたけど・・・」

と言われ、トンデモナイ勘違いをされているわと爆笑したのだったが。

ところが、この数日後。知り合いに会った際、同じ話を聞かせると

なんて勿体無い。何で『3万』と言わなかったのー?

つーか私はにゃべさんなら、てっきり最初から『10』とか吹っかけていくものだと思っていたよ・・・」

と、まるで判で捺したように、同じ事を言われてしまった。どうやら他人の目には現実とは違い、かなり非常識な欲張りに映っているらしい。

「しかしあの感じだと、本気で吹っかけてやったら5万くらいは上がってた気がするな・・・」

「そうでしょ・・・上がったって、絶対に。3万まではその場で決められるっていうその言い方からして、まだかなり余裕があるハズだよ・・・今辞められたら困るでしょうから、5万とか多少無理を言ってもNと交渉出来るはずだし、多分それでも通ったでしょうね・・・勿体ないなー」

(ウウム・・・こんな事ならやはり、最初から10万はともかく5万くらいは吹っかけておけば良かったか・・・)

と己の淡白さに、3日間くらいは思い出す度に腹立たしい思いをしたものだった (_-;)ハア