2017/04/30

ゾロアスター教(1)


ゾロアスター教、BC106世紀頃に中央アジアで生まれた宗教でペルシア帝国で信仰された。

ペルシア帝国が滅亡すると衰退したが、パルティアの時代に復興し、ササン朝ペルシアではペルシアの国教となった。

ゾロアスター教は、ペルシア商人の活発な交易活動によって、中央アジアや中国へ広く伝播した。

 7世紀後半、イスラムの波がイランに押し寄せると、ゾロアスター教は迫害され活動の中心はインドに移った。

インドに移住したゾロアスター教徒は、パールシー(ペルシア人)と呼ばれている。

現在、世界のゾロアスター教の信者はインドで75千人、イランに36万人など世界で13万人程度と推計されている。

 イランの新年はノウルーズ(Nouruz)といい、日本の春分の日にあたる。

ノウルーズは、イランがイスラム化される以前から行われていた行事で、ゾロアスター教の教えに基づいているお祭りである。

◆ザラスシュトラ
 ゾロアスター教はアーリア人の祭司だったザラスシュトラ(Zarathustra、英語名:ゾロアスター Zoroasterによって開かれた。

彼が30歳の時、天使ウォフ・マナフ (Vohu Manah) に導かれて正義の神アフラ・マズダ(Ahura Mazda)に出会い啓示を受けた

アーリア人は多くの神を信じていたが、ザラスシュトラはアフラ・マズダこそが唯一の神であると説き、アフラ・マズダの言葉を人々に伝え始めた。

彼は「世界最古の預言者」といわれている。
 
 ゾロアスター教の教えである一神教、天国と地獄、最後の審判などの概念は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教あるいは仏教に大きな影響を与えたといわれている。

 ザラスシュトラは

「正義を求める者は皆天国に行き、不正をすれば地獄へ落ちる」

と説いた。

当時は人が死ぬと下層民は地下に、権力者は天国に行くと信じられていた。

このため、ザラスシュトラの教えに権力者は反発し、布教は困難を極めた。

しかし熱心な布教活動を行い、信者は徐々に増えていった。
 
 BC550年、キュロス大王がアケメネス朝ペルシアを興した頃には、大半のペルシア人がゾロアスター教の信徒になっていた。

3代のダレイオス1世は「アフラ・マズダの恵みによって王となりえた」という碑文を残している。

アケメネス朝が、マケドニアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされてセレウコス朝ができると、ゾロアスター教は迫害された。
 
 セレウコス朝を滅ぼし、イラン人のパルティアが建国されると、ゾロアスター教は復活した。

パルチアの次に興ったササン朝ペルシャでは国教となり、聖典アヴェスターが編纂された

アヴェスターは、ザラスシュトラの教えが述べられているもので、全部で21巻あるとされるが約4分の1しか現存していない。

 636年、イスラム軍がペルシアに侵攻し、651年にササン朝ペルシャは滅亡した。

ゾロアスター教は迫害され、火の寺院はモスクに変えられた。

ゾロアスター教徒の一部は、インドの西海岸に移住した。

現在では、インドがゾロアスター教信者の最も多い国となり、ムンバイがその中心地である。

 ゾロアスター教は光(善)の象徴として「」を尊ぶため、拝火教とも呼ばれる。

各寺院には、ザラスシュトラが灯した火がずっと燃え続けている。

寺院には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する。
 
 火を大切なものとする考えは、アーリア人の宗教に根ざしている。

古代アーリア人は火、水、空気、土を神聖なものとしていた。

特に火は暖をとったり料理に使うため、絶やさないように心がけていた。

この火を絶やさないように大切にする習慣が、ゾロアスター教に採り入れられたといわれている。
 
 ゾロアスター教の葬送は、鳥葬が行われていた。

鳥葬とは遺体を神聖な塔に安置し、鳥がその遺体をついばんで骨だけにし、その骨も自然と土に還るというものである。

鳥葬はチベット仏教では、現在も行われている。

◆アナーヒター
 ペルシア神話に登場し、ゾロアスター教で崇拝される女神。

 本来は川や水を司る水神であるが、健康、子宝、安産、家畜の生殖や作物の豊穣を司る。

インド神話の川の女神であるサラスヴァティ(七福神の弁財天)と同起源といわれている。

Mazda
 アメリカの電球のブランドだったマツダランプ(日本では東芝が生産)や自動車メーカーのマツダの綴りはMazdaである。

 これらは、アフラ・マズダーに由来しているといわれている。

2017/04/28

アナクシメネス「アエール」(空気)


 さらに続いてきたのはアナクシメネス(BC587年頃~528/525頃)といいます。

アナクシマンドロスより、25歳くらい若い人でした。

学問の特質として「吟味・批判されて継承されていく」という性格があることは先に指摘しておきましたが、そんなことをはじめたのがタレスとそれを引き継いだ人達であったわけです。

ですからアナクシマンドロスにも、その主張するところを批判して継承していく人がいた、というわけです。

哲学史では彼等三人を「ミレトス学派」などと呼んでいます。

さらに彼等を引き継いでいく一群の人達がいたわけですが、この流れの人達をミレトスを含んだ、この小アジア一帯を指す言葉であるイオニア地方という名にちなんで「イオニア学派」と呼んでいます。

 このアナクシメネスは、タレスの「」、アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」に代えて「アエール」がそれだ、と言ってきた人と紹介されます。

アエールというのは「空気のような、靄のような大気の形成物」で、通常は「空気」と訳されていますが、日本語の「空気」より物質性が感じられる言葉です。

ですから、これは宇宙に満遍なく広がっている状態では、確かに「空気」というか「大気そのもの」ですが、これが濃くなってくると霧となり、そしてさらに水となり、さらに固形物となってくる「」です。

 これを言い出した理由ですが、彼は限定ということにこだわっているようなので、多分アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」では「無限定なもの」がどうして限定物になるのか説明できない、と考えたからだと推察されます。

こうした引き継ぎがある一方で、彼は先輩たちの説明では不十分と考えられた「生成の原因」について多くを語ってきます。

 それは濃厚化と稀薄化という運動でした。

つまり、先に述べたように、彼はアエールが濃くなることで、それは固形化への方向をとり、薄くなることで気体へとなる、と言ったのでした。

その学説の具体的内容は、今日の科学的知識から言えばバカバカしいと言われてしまうようなものですが、しかしここには「どうして一つの物からの生成がありうるのか」という問題意識と、それに対する誠実な答えを与えようとする努力が見られるのです。

もちろん論拠は「観察」による、事実からの推論でした。

 こうした彼等の努力の理解のためには、この当時の、というか古代ギリシャの世界観を支配していたある種の存在世界に対する基本的な、ないし前提的な考え方を知らないと旨く理解できないかもしれません。

私たちはこの考え方から離れて随分、長い時間が経ってしまっているからです。

それは「この世界は一つの生命体」だという考え方です。

物質も生命体も「生きている一つ」のものから生じているのです。

アナクシメネス的に言うなら、物質は「アエール」の展開物ですが、同時にアエールは私たちの息であり生命でもあるのです。

現代人は物質と精神を完全に分断し、生命と身体も分けて考えています。

あるいは魂という概念を、肉体とは全く切り離して考えています。

しかしギリシャでは、私たちのような分裂的な存在理解はありません。

アナクシメネスに則してイメージ的に言うなら、アエールというものがあって、これは永遠的であり無限であって、また永遠に運動している生命体です。

これは生命として運動し続けているのですから、その運動の法則にしたがって(彼の場合は、濃くなったり薄くなったりです)そのアエールは展開してこの宇宙を形成し、そこにはこのアエールの展開物である、様々な事物が観察されることになります。

魂も肉体も、このアエールの展開以外の何ものでもありません。

魂という生命的な展開を自分の中に持った展開物が、たまたま「生命体=生物」という呼び名で呼ばれるだけです。

 ですから、全ての存在の根拠を「」という名で呼ぶなら(古代ギリシャには、神を人格的に捕らえる一般の神話的見方の他に、このような抽象的宇宙生命体ないし宇宙摂理を神とする見方もあったのです)このアエールは「」と呼ばれます。

そして実際、そう呼ばれていました。

タレスの場合も同様で「万物は神々で満ちている」ということになります。

アナクシマンドロスも例外ではありません。

ト・アペイロン」は「」なのです。

 彼らの言う「神」とは「物語の中で活躍する人間的姿をもった神」とは全然違うことは理解しておかなくてはなりません。

要するに「宇宙的生命そのもの」といった感じです。

ですから、アリストテレスがタレスのを説明する時「水は全てのものの生命の原理だから」という言い方をしていたのも理解できると思います。

水は文字通り「生きる一つの生命体」なのです。

そして私ができるだけ日本語に訳さず、ト・アペイロンとかアエールとか原語のままで示したのも同じ理由からなのです。

ト・アペイロンを「無限定的なもの」と訳したのでは、どうしても抽象的なものに見えてしまいますし、空気の場合はやはり物質的に響いてしまうからです(タレスの「水」は、もう一般になってしまっていて原語ではかえってわかりにくいので、一般にしたがいました)。

 ですから時に誤解されるように、彼等の理解は唯物論的ではないのです。

それは「水」とか「アエール=空気」を現代的に了解してしまったところからくる誤解です。

そもそも、生命から離れた機械的物質などという概念自体がないのです。

こうした概念や、物体から離れた魂という概念が思考されるようになるのは、もう少し時間がかかります。

そうなっても、現代のような生命と物質の分裂はありません。

唯物論の祖といわれるデモクリトスでも「アトム(原子と訳され、これは機械的な運動をしている物質です)」は、同時に魂をも形成しているのです。

また魂と物体とを分けたとされるソクラテス・プラトンの場合にしても、それらは同じ大宇宙の中にあるのです。

なお、タレスにはじまる「生命体としての宇宙原理」という考え方は、哲学的には「物活観」といっています。