2014/02/22

浅田真央の悲劇(ソチ・オリンピックpart2)

オリンピック代表選手に対する、ワタクシの見方は厳しい。莫大な国費を使って出場するのだから「参加に意義がある」とか「(結果が伴わないのに)楽しめました」とヌケヌケと発言するようなのは幼稚すぎる。結果を出せなかった選手は自費で帰国する、その代わりメダリストは終身年金を保証するくらいの「信賞必罰」であってしかるべきだ。

 

そのような観点からすると、期待されながらメダルがひとつも獲れなかった女子フィギュアスケートなどは、本来であれば真っ先に槍玉に挙げたいところだ。正直なところ、村上はあんなものだろうという「順当な結果」だったが、多少は期待した鈴木はラストチャンスだっただけに、前回と同じ順位と言う以上に本来の出来栄えに程遠かったのは不満である。

 

そして言うまでもなく代表3人、と言うよりはこのオリンピック代表全選手の中で、最も誤算は浅田真央である。「金」が期待される中、メダルどころかSPはなんと16位という信じられない結果だ。が、さすがの辛口かつ皮肉屋のワタクシと言えど、浅田真央だけは非難することができない。それは別に、浅田選手のファンとかの単純な理由ではなく、これまでの浅田真央を取り巻く「過酷な状況」が、ある程度は想像できるからである。

 

この浅田真央という「稀代の天才スケーター」にとっての不運は、同時代にKが存在したことに尽きる。なにしろ歴史も平気で捏造する、嘘もなんでもでっち上げるという最悪の国から彗星の如くに現れた「至宝」というのだから、タイミングから何から実に最悪だった。正直言ってジュニアの頃はともかく、シニアになってからの実力は問題にならないくらいに浅田の方が上、と言うよりは比較自体が浅田真央を冒涜する行為と言える。

 

かつてKは、浅田に勝つため彼女の代名詞ともいうべき「トリプルアクセル」を真似ようと、天井からロープで吊るされるという狂気じみた猛特訓をした挙句「私には出来ない」と諦めたというエピソードは有名だ。これはほんの一例で、両者の才能や能力の差が歴然たることを証明している。

 

こうして、技術力では太刀打ちできないと悟ったKは、最終的に「表現力」に頼る以外には浅田真央という「天才」に対峙する道がなくなった。そして、それをバックアップしたのが、国家を挙げてのバラマキである。

 

「バラマキ」というのは単に金だけではない。いわゆる「ハニー・トラップの罠」も、盛んに仕掛けられたのは想像に難くない。「ハニー・トラップ」こそは、かの国の「国策」と言うにも等しい大得意技なのである。そろそろメッキが剥げつつある「慰安婦問題」などというでっち上げの正体は「金目当ての売り込み売春」に過ぎず、日本があのようなものを強制などするわけもない。今も新大久保辺りに売春婦が大量に屯しているのが、その遺伝子の証明である。そもそも採点競技の審査員などという輩は、おおかた「強欲なスケベ爺さんばかり」が通り相場であることは、これまで様々な形で明らかにされている周知の事実だ。

 

かくして、スケーティング技術では浅田の足元にも及ばぬ凡庸なヤツが「表現力が素晴らしい」などという客観的根拠に乏しい、ワケのわからない高評価で「銀河点」と称されるトンデモナイ高得点を連発してきた。無論、これが「金」と「色」を総動員したインチキの成せる業であることは、よほどのバカでもない限り簡単に想像がつこうというものだ。

 

考えたくもないが、やはり浅田真央の心情を推し量ってしまう。もしも当たり前にまともな採点が行われていたとしたら、これまでの大会の殆どは浅田が楽々と優勝していのは間違いない。そこには、かつて類を見ないような「仰天すべき途轍もない戦績」  が残っていたはずなのである・・・

 

これまで「不運のアスリート」と言われた選手は何人もいた。が、浅田真央に限っては「たまたま、その時に運が悪かった」などというレベルではない。なにしろ、誰も出来ない高度なプログラムを完璧にこなしても、勝てる保証がない・・・これが彼女の悲劇だ。

 

実際に現実が常にそうであったし、それを身を以て繰り返し経験し、苦汁を嘗め続けてきたのが浅田本人で、なぜそうなったかと言えば「同時代にKが存在したため」だった。実力で負けるなら致し方ないが、実力以外の「陰謀」によって負ける・・・それが特定の大会だけで終わらず、自らのスケート人生を通じて、このような正体不明の陰謀に付き纏われ、恐らくは見えない「敵」と戦ってきたのが浅田のスケート人生だったと言える。

 

その精神的なプレッシャーは、まったく想像を絶する。本人でない赤の他人の我々でさえそう忖度するのだから、常人なら正気を保つのも困難であり、競技などはとても続けられる状況ではないと思えてしまうほどだ。が、どんな過酷な状況に陥れられようとも、決して逃げず常に真正面から堂々と立ち向かってきたのが、浅田真央であった。そこが日本人の琴線に訴えるだけでなく、遂には最も重視されるはずの「結果」を遥かに超越して世界中から賞賛され、ここまで愛される所以であろう。

 

最近の大会でのSPの出遅れ、そして今回の16位という結果は偏にその想像を絶するプレッシャーの巨大さを示すものと言える。実を言えば、個人的には前回オリンピックで演じた「鐘」こそは、浅田真央(というよりはフィギュアスケート史?)の最高傑作だと思っている。その意味では、浅田真央の可能性を大きく引き出した前コーチは名伯楽で、あのコーチであれば間違いなくメンタルケアもしっかりでき、SPの結果もマシだったのではという見方もできる。

 

そのようにしてSPでそれなりの位置につけた上で、あの「鐘」のような従来のフィギュアスケートの枠を遥かに超越した「一世一代のパフォーマンス」を演じてくれたら・・・と惜しまれてならない。

 

それにしても「金」を逃したあの国が「採点疑惑」を声高に喚きたてているのは、まことに笑止千万で「金と欲で、ここまでフィギュアスケートという競技をメチャクチャにしたのは、一体誰なんだ?」としか言いようがない。冷静に見れば、寧ろ数年間同じVTRを見続けてきたような、あの新鮮味も見どころも皆無のKの得点だけは相も変わらずバカ高いのが実情で、あのような難易度の低い演技で浅田真央より高い得点というのは、K国人以外は誰も納得しないだろう。

 

「金」の選手の点が高過ぎるとか言っているが、これはホームタウンディシジョンというのを差し引いても、難易度や見せ場などで遥かにKを凌いでいたし、これまでの数々Kに与えられ続けた不当な「銀河点」に比べれば、この程度は問題にならぬ。個人的な採点では、浅田真央150、コストナー140-145、ソトニコワ135-140、K130-135が妥当で、あのスケール雄大でノーミスだったコストナーがKの上に来ないことが、なにより疑惑の証明といえる。

 

さて、浅田真央はどうするのだろう?

悲劇の元凶は、やっとこさ取り除かれそうだが、次回のオリンピック開催地を考えると浅田真央はどこまでも呪われていると気の毒でならない。仮に現役を続けるにしても、あの反日ヤオ国でのオリンピックに参加するのは自殺行為のようなであり、それだけは自重してはどうかと願うのみである。

2014/02/19

築地に鮨を食べに行った (= ̄∇ ̄=)ニィ

と言うと、いかにもリッチな感じがするかもしれないが、当然ながら築地と言っても全部が目玉が飛び出るような高級店ばかりではない。もちろん、目玉が飛び出るような高級店も腐るほどある築地だが、そのような店には縁遠い庶民としては、高級店でなくとも大好きな鮨が食べられれば良いのだ (*ΦΦ*)ニシシシシ

 

というわけで、平日の勤務後に繰り出したのは「築地きたろう」という店である。  元々は「玉寿司」に行ったのだが、6時過ぎ時点で既にカウンターしか空きがないという。鮨だからカウンターでも問題はないが、テーブル席なら喫煙可とのことで、こちらへ移った次第である。

 

玉寿司は本店含めた2店ともに、すでにテーブルは満席とのことだったが、姉妹店のここは名前も違って知られていなのか、或いは大通りから一本入った立地のせいか、見渡したところ客が1人も入ってない様子。そんなわけで、一番奥のボックスになったテーブルを案内される。

 

鮨といえば、やはり日本酒との相性が抜群で、これこそは最高のゴールデンコンビと言えるが、そうはいってもビールも飲みたいから、両方注文した上で、オーダーしていく。

 


鮨ネタは、どれもヨダレが出そうな好物ばかりなのに対し、胃袋のキャパシティはしれているだけに、どれを選ぶべきか、どれを諦めるべきかは毎度ハムレットの心境で、この辺りは鮨好きの人には敢えて説明不要だろう。毎度、定番とはいえ、これなくしては話が始まらないマグロ(鮪づくし)に始まり、あとは光ものなどを手当たり次第に注文していく。

 

連れは、小江戸にぎり (日替りお椀、デザート付)でご満悦の様子。



途中でオーダーした大ハマグリは、実に格別な旨さだ (*^m^*) ムフッ



普段は小食の自分も、いつになくたくさん食べてすっかり満腹したせいか、あわやiPhoneを置き忘れそうになったのはご愛嬌である ( ´艸`)ムププ

2014/02/16

19歳のシンデレラボーイ(ソチ・オリンピックpart1)

ソチ・オリンピックのフィギュアスケートで羽生が「」を獲得した。「金」が大本命視されたジャンプ高梨のまさかの失速で、日本選手団最後の望みと期待された中での「金」は快挙である。

 

ショートプラグラムでは「100点越え」という、史上最高点でトップに立った羽生。が、フリーでは最初の4回転ジャンプでいきなり転倒。この時点で

 

(これで「金」は無理か・・・)

 

と、誰しもが思ったに違いない。これがオリンピック決勝のプレッシャーか、本来の演技からは程遠い出来栄えに終わった。

 

「それでもSPの貯金があるから、なんとか表彰台には・・・」

 

と固唾をのんで見守る中、最大のライバルと目されるP.チャンが登場。チャンが完璧に近い演技をすれば、その時点で羽生の「金」は夢と消えるところだったが、あのチャンもプレッシャーに呑み込まれたかのようにミスを連発し、遂に羽生に栄冠が輝いた。

 

全体的に出来が悪かったり、有力選手が少なかったなど幸運も味方に付けたとはいえ、結果が全てのオリンピックで堂々の勝利は素晴らしい。ここに、19歳のシンデレラボーイが誕生した! 少女マンガから飛び出してきたような優しい風貌は絵に描いたような好印象の少年だが、このあどけない少年がかつて誰しも成し得なかった大快挙を成し遂げてしまった。

 

その翌日。羽生とは親子ほども年齢差のある41歳の葛西が、ジャンプのラージヒルで「銀」を射止めた。こちらは「冬季オリンピックにおける日本人選手最年長の表彰台」だ。

 

前回、団体競技で獲ったメダルが20年前というから、金メダリストの羽生が生まれる前の出来事である。これだけ長い期間に渡り、第一線で活躍し続けてきただけでも驚異的だが、15歳の平野が「銀」、18歳の平岡が「銅」(ともにスノボ)と、若い選手の活躍が目立つ中でのオジサンパワー炸裂は喜ばしいことだ。残るノルディック複合の渡部選手を含め、ここまで獲得した5つのメダルは全て男子選手だけに、ここからは女子選手の活躍にも期待したいところだ。

 

もっとも、実力的にはナンバーワンのフィギュアスケートの浅田選手が、例によってインチキK国の妨害は勿論だが、今回はさらに開催国の陰謀とも戦わなければならないのは、なんともお気の毒としか言いようがないのだが。

2014/02/13

冬季オリンピックの隔靴掻痒

冬季オリンピックの競技は、わかり難い。わかり難い原因は「採点競技」が多いことに起因する。

 

女子モーグルにおける「採点疑惑」がネットで盛り上がっていたが、正直「またか」という感じで、まったく今に始まったことではない。忘れもしない前回オリンピックのフィギュアスケートでは、どこからどう見ても負けている要素は爪の先ほどなかった浅田選手が、三流インチキ国の穢い工作に泣かされたことは記憶に新しい。さらに遡れば、他を圧倒する実力を持ちながら、欧米選手と比べ外見で損をしていた(?)伊藤選手なども、散々に煮え湯を飲まされ続けたクチであった。

 

再度確認すべきは、所詮「オリンピックは白人の祭典」ということだ。オリンピックが「人種の壁を超えた平和の祭典」などはデタラメもいいところで、オリンピックこそは「人種差別の坩堝」であることは歴史が証明している。だから「ウィンタースポーツの華」とも言えるスキーで、欧米人が日本人などの有色人種に負けることは「あってはならないこと」であり、それは「何かの間違いに違いない」というのがヤツらの論法だ。 そこから「こんな結果になるのは、ルールがおかしいからだ!」という無茶苦茶な結論を導き出して、自分たちが有利になるようなルール変更をするのが、ヤツらの常套手段なのである。敗戦を肥しとして研鑽に励む日本人とは、どだい根本から発想が違うのだから、ヤツらに「スポーツマンシップなるお題目」を期待してはならない。

 

こんな胡散臭い連中にとって「採点競技」ほどオイシイものはない。何しろ基準が曖昧なのだから、操作のし放題である。一応、採点基準らしきものは形ばかりは存在するとは言え、最終的に審査員の「主観」がものを言うのが「採点競技」の帰結であり、説明責任も一切ない審査員の殆どは白人種である。言うまでもなく「日本人と他のアジア人」といった関係とは違い、白人同士はまあ親戚のようなものだから、自国の選手がダメでも(せめて有色人種ではなく、白人が勝つべきだ!)という根強い固定観念(というより妄想?)に基づく強固な意志が、絶対に働いているハズなのである。

 

一例を挙げるならジャンプの「飛型点」というのも、よくわからないルールだ。「jump」というからには、高さなり距離なりで「ジャンプ力」を競うのが本質ではないのか?

そこへ「飛型点」などというわけの解らない要素が出て来て、これが採点の中の結構なウェイトを占めた。これによって、たとえ飛んだ距離は負けていても「飛型が素晴らしい」ということで「金」が獲れるという、甚だ「便利な救済措置」が完成したのである。

 

勿論、この「飛型点」なるものは、審査員によって得点が付けられるのだが「飛型の美しさ」などは観る人によって異なるものだから、いかに理屈をこね回そうとも結局のところ「主観」に過ぎぬ。その「美しさの主観」は、あくまで「白人種のモノサシ」によるものだから、自分たちより劣っていると信じ込んでいる「有色人種の飛型」(という先入観だけで)が美しく映る道理がない。原点に還れば、最も重要なのは「一番たくさん飛んだヤツが偉い」ハズで「飛型の美醜」などを他人が評価するのは、まことに「大きなお世話」としか言いようがない。競技というのはシンプルなほど面白いはずだが、このようにわざわざ複雑にしたがるのは、要するに誤魔化しや工作の余地を作ろうとの下心の成せる業に過ぎぬ。

 

陸上競技の「Long-Jump(走り幅跳び)」や「High-Jump(走り高跳び)」には「飛型」などというわけの解らないルールはない。それこそ単純に「一番たくさん(或いは「高く」)飛んだヤツ」こそが文句のない勝者であって、そこに「飛型の美醜」など入る余地はない。実際、どんな競技にせよ、それなりに理に適ったフォームでなければ好記録など出るわけもないから「飛型点」などというインチキ臭い代物は、無用の長物としか言いようがないのである。そうはいっても、さすがに尻餅を着く様な着地はどうかという意見もあろうから、ともかくぐらつこうがなんだろうが「足で着地すれば良い」などとすべきである(足で着地できる程度なら、それほど危険な飛型ではないはずだ)

 

余談ながら、かつてスキーのジャンプの起源について「ジャンプが、他のどのスポーツ競技と比較してもあまりにも恐怖感を伴うものであったため、重刑囚がこのジャンプをクリアできれば、その刑を軽減される」という面白い説があったが、これはあくまで俗説らしい。そこへいくと、スピードスケートはシンプルでわかりやすく、陸上のトラック種目同様「速い者が勝つ!」というシンプルさが素晴らしく、これならインチキの蔓延る余地は殆どない。

 

もっとも陸上競技のように、みんなが一斉に走って順位を争うような「ガチな勝負」ではなく、2人ずつで走り待ち時間が長いところは隔靴掻痒ではある。最終組でトップのタイムを出して優勝するのはまだしもサマになるが、走り終わった選手が後の選手のタイムを確認してガッツポーズをしているのは、なんとも滑稽味を感じる。滑稽といえば、スタートの時に選手が見せる歌舞伎の元禄見得のようなあの大仰な構えは、一体なんなんだ? (*^m^*)ぶはは

2014/02/04

芸術、酒、焼き鳥

タイトルは、J.シュトラウスの『酒、女、歌』を真似てみた。

 

上野の国立西洋美術館に『モネ展』を観に行った。観光オフシーズンの夏と冬は、美術館へよく行く。上質の芸術を堪能後は、もちろん呑みへと繰り出すのである。

 

西洋美術館や都美術館のレストランは以前に行っているため、この日は有名な『上野精養軒』に初めて足を運んだ。アサヒスーパードライ・エクストラコールドで乾杯した後、カフェ・ランドーレでランチと洒落込む。お値打ちなランチは、カラスカレイのムニエル&鶏もも肉のソテーにコーンスープとライス、コーヒー付いて2100円は安いと思ったが、さすがは上品なボリュームは当然と言えば当然か。 

 


ランチを楽しんだ後、上野東照宮の散策を挟んでモネをしっかり堪能した後は、定番の焼き鳥だ。


銀座や吉祥寺などでチェーン展開の『鳥良』が、上野にもあると聞いては聞き捨てならぬ。上野公園の不忍池に隣接するようなこの店で、ゆったりとした個室風の席に落ち着くと、再びお目に掛かったエクストラコールドで二度目の乾杯だ (。 ̄Д)d□~~ 




元々、この『鳥良』という店は、店主が名古屋の手羽先に感動して

「このような旨い手羽先を提供したい」

とのコンセプトから始まったということらしい。個人的に手羽先はイマイチな感は否めないものの、モモ串は常に実にジューシーで旨い。さらに砂肝、ネギマなども酒に良く合う。


                 


が、以前にも触れたように、このチェーンの場合、飲み放題がNGなのが大きなマイナスで、ビール5杯に地酒を飲むと、それだけで4000円近く掛かってしまうのは、ノンベエには打撃といえる (◎_◎;)ウィ-