2013/08/31

怪物登場(怪物伝説part3)

1973年、第45回選抜大会は「江川の大会」とも言われたほどレベルの違いを見せつけた大会となった。なにせ江川は新チーム結成以来、1点も取られていないのだった。

 

江川は、昭和47年秋の県大会と関東大会を無失点で優勝(秋季大会成績:70 / 53 / 被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 / 失点0 / 自責点0 / 防御率0.00

 

新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝、負けなしという驚異的な成績3年時(昭和48)の春の選抜大会出場を手にした。ようやく、怪物が甲子園に登場する。

 

甲子園の初戦は秋季大阪大会で優勝し、出場校30校中トップのチーム打率336厘で優勝候補と言われた強打の北陽高校。しかも開会式直後の初戦という最高の舞台であった。

 

北陽・高橋監督は

 

「江川江川というが、まだ高校生。ウチの打線は、今が絶好調。ぶんぶん振り回して、江川に向かって行きますよ」

 

と、開会式前のインタビューで語っている。

 

が、実は北陽の選手達は、試合前から江川の凄さに完全に呑まれてしまっていた

 

試合前の肩慣らしで、江川は捕手の小倉を相手に遠投のキャッチボールをしていたが、遠投であるにも関わらず、そのボールが下から上へ浮き上がっていた、というのである。

 

「これがマウンドから投げられたら、一体どんな球になるのか?」

 

と、江川の肩慣らしを見ていた北陽の選手達は震え上がった。

 

初めて甲子園球場という全国区に登場した「怪物江川」に、日本中の高校野球ファンが試合のテレビ放送を注目した。江川見たさと開幕直後の地元北陽高校戦とあって、甲子園球場は観客58千人の超満員となった。

 

満を持して登場した江川は1回、剛速球全開で北陽の選手のバットに一度も触れさせず三者連続三振。続く2回も、先頭打者に1球もボールに触れさせず三振。江川が投げる球の威力は凄まじく、北陽の打者達は

 

「これが、本当に我々と同じ人間が投げている球なのか?」

 

と恐怖に震えた。

 

強打北陽高校打線の1番冠野から2番慶元(クラウン西武近鉄)、3番広瀬、4番藤田の北陽が誇る上位打線が1人もバットにボールをかすることすらできず

 

「高校生の中に、1人だけプロ野球選手が混じって試合が行われている」

 

と揶揄された。

 

あまりの実力差を見せつけられ、甲子園球場は異様などよめきに包まれる。江川に次々に三振に切って取られた北陽の打者達は、ある者は真っ青な顔をし、またある者は恐ろしさで顔を引きつらせながら、打席からベンチへと帰ってきた。

 

続く5番有田(近鉄)が、この試合23球目に初めてバットにボールを当てると(一塁スタンドへのファウル)、有田に対して超満員の観客から大きな拍手が巻き起こっている。

 

初回先頭打者から42死までアウト11者連続三振、秋季大会で打率42分、3本塁打、21打点の成績を残した北陽一の強打者4番藤田からは4打席4奪三振(すべてスイングアウトでの三振)、最終9回も2番慶元からの好打順に対して3者連続三振で締め、結局この試合4安打19奪三振完封と鮮烈な甲子園デビューを飾った。

 

試合後のインタビューで、北陽の高橋監督

 

「生徒には真っ直ぐを狙わせたが、スピードがありすぎてバットに当たろうともしなかった。途中から作戦を変えて短打打法に切り替えたが、全くダメだった」

 

と語っている(ちなみに、この北陽高校はこの年の夏の甲子園にも出場し、ベスト8になっている)

 

大会前から豪腕と騒がれたが、初めて全国に姿を現した「怪物」の実力に多くの高校野球ファンが驚嘆し、この試合を契機にこの大会が江川大フィーバーに包まれた。

 

2回戦で作新江川と当たる小倉南(福岡)の重田監督とナインは、この1回戦作新学院対北陽戦を観戦し、江川が強打の北陽打線を赤子の手をひねるように圧倒した内容を見て、このままでは勝てないと考え江川対策を練った。

 

331日、2回戦、小倉南は選手全員がバットをふた握りも短く持って登場し、徹底した短打戦法とバントで江川に食い下がって、スタンドがどよめいた。しかし、安打は3回の3塁前のバントヒットの1本のみで、710奪三振と江川が圧倒。珍しく打線が奮起し、7回で80と大量リードしたため降板している。

 

続く準々決勝では、秋季大会愛媛県大会優勝、四国地区大会でも優勝し、春の大会でも優勝候補の一角であった今治西(愛媛)と激突した(ちなみに今治西は、この年の夏の甲子園にも出場しベスト4になっている)

 

この今治西に対して、速球、変化球ともに冴え「怪物」ぶりを発揮した江川は、72死まで1人のランナーも許さず14奪三振。完全試合の期待もあったが、その直後に中前打された。しかし、気持ちを切らさず89回もアウト6者連続三振で締め、結局、8連続を含む毎回の20奪三振で、1安打完封と完璧に抑えた。

 

この試合での8連続奪三振は、1926年(大正15年)夏の和歌山中学・小川正太郎の記録に並ぶ大会記録。試合後のインタビューで、今治西の矢野監督は

 

「選手にバットを短く持って当てていくように指示したが、どうしても打てなかった。もう1度対戦しても打てませんね。選手には内緒ですが、完全試合にならなくてホッとしましたよ」

 

と語っている。

2013/08/26

猛暑の罪

異常な暑さである。

 

毎年のように「猛暑」と聞いている気がするが、今年は特に酷い。各地で最高気温が40℃を超えたのもそうだが、東京では明治8年の観測以来初の「最低気温30℃超え」を記録し、丸2日に渡り30℃以上が続くという「終末的な暑さ」を記録した。

 

涼しいところへバカンスにでも行きたいところだが、猛暑の中での移動や数日でまた戻らなければいけないことなどを考え併せると、実に億劫になる。それに列島の「ヒートアイランド化」に伴い、かつては「避暑地」と言われた土地でも、最近はしっかり暑かったりする。

 

とはいえ、こう暑くてはかなわんと図書館に行ってみた。考えてみれば、図書館に行くのは何年ぶりか記憶にないほどだ。勿論、9年前に上京して以来、初めてである。

 

調べてみると武蔵野市には図書館が3つあるが、このうち吉祥寺図書館と中央図書館は自転車で行ける。元来がデリケートな体質だけに

 

(誰が触ったかわからないような、図書館の本などは・・・)

 

という気持ちから、原則として読みたい本は買うことにしている。

 

とはいえ、高価な専門書や全集などの稀覯本は書店では手に入り難いから、狙いはもっぱらこの種の本になる。なにしろ図書館を利用したのがひと昔前だけに、その様変わりぶりには驚いた。今時なら当然かもしれないが、検索予約と何から何までインターネットで出来てしまうのは便利だ。おまけに武蔵野市の三図書館が共通利用できるだけに、遠くの図書館にしかない蔵書でも、予約で近くの図書館に移してもらうことが出来る。予約しておいた蔵書は、機械のバーコード読み取りで手続きが出来るから、人手をまったく介さず借り出しが完結する(返却も総て機械で完了する)

 

さらにはCDDVD、雑誌などなんでもありだから、たくさん用意されている椅子は常に埋まっていた。早速、書店では目にする機会のない稀覯本をWeb予約した上、空いた椅子を見つけて腰を落ち着けた。考えてみれば、高い税金を払っているのだから、たまにはこのような施設も利用しなければバカバカしいではないか。

 

このように本に熱中していると、いつの間にか外は酷い雷雨になっていた。明らかに、どこか直ぐ近くに落雷したと思われるような大音響に続き、館内が停電した。自家発電か直ぐに電気は復旧したものの、二度の停電に加え利用システムが故障した旨のアナウンスがあった。ちょうど食事時を迎え、雷雨が遠のいたのを見計らって帰宅すると、先の落雷で停電が発生したらしく、東電の技術者が分電盤のところで復旧作業をしていた。聞けば停電したのは30分くらい前だそうで、ビールはまだ充分に冷えている。

 

懐中電灯とノートPCの明かりを頼りに、日課の枝豆で晩酌をしようとしたが、なんと水が出なかった ()~ ガーン

 

(マンションってのは、停電すると水も出なくなるのか?)

 

例の東日本大震災後の「輪番停電」は、当時のアホ首相と同じグループとなった恩恵からか一度も停電しなかっただけに、そのような知識もなかった。ということは当然、トイレも風呂も使えなくなるということだ。幸いにして、停電の方は1時間程度で復旧したものの、このところの猛暑で大気の状態が不安定とやらで、夕方からの雷雨が多いだけに

 

(早く猛暑が去ってくれー!)

 

と祈るような気持ちである ('Д'y ─┛~~

2013/08/21

怪物の真価(怪物伝説part2)

1972年、第25回秋季関東地区大会栃木県予選、江川は4試合登板29回無失点45奪三振、2試合完封で優勝。関東大会では準々決勝(対東農大二戦)で、61安打完封13奪三振。準決勝は、70年代前半から「黒潮打線」の強打で鳴らしていた銚子商と激突した。

 

当時の江川は、とにかく凄い投手だった。その剛球と鋭いカーブで新チーム結成以来、無失点。三振は毎試合、最低15は取っていた。ただ、当時は「黒潮打線」と恐れられた銚子商なら「もしかしたら・・・」と思われていた。しかし当時の江川は、やはりモノが違った。あまりの剛速球に、銚子商のバッターは当てることさえできなかった。

 

三振した銚子商ナインは真っ青になってベンチに戻り、一言も喋らない。名将・斎藤監督も打つ手がなく

「これはパーフェクトを食らうかも」

と腹を括った。

 

結局、メチャ振りしたバットにボールが当たり、運良くポテンヒットが出たが、銚子商はその1安打だけ。三振は20を数えた。

 

当時、1年生で控えピッチャーだった土屋(1974年夏に優勝投手となる)は

 

「あの時の江川さんは、本当に凄かった。まさに怪物だった。打席で構えていると、物凄い球が頭めがけて飛んで来た。で、思わず腰を引くと、ギューンと曲がってストライク。後に進んだプロでも、あんな投手を見たことがない」

 

と、述懐している。

 

高校時代の江川と対戦した打者が

「あんな球、打てるわけがない。ボールの伸びが全然違う」

と、誰もが口を揃える。

 

事実、勝った試合はもちろん、負けた試合も殆ど打たれていない。しかも「本気で投げたら、キャッチャーが捕れない」というので、常に五~六割の力で投げていたと言われる。高校時代の松坂との比較でも、ボールの伸びや球威が全く違い比較するのはナンセンスである。続く決勝戦も、横浜高校相手に16奪三振で悠々と完封した。江川は、秋の県大会と関東大会を無失点で優勝した。

 

秋季大会の成績は

70 / 53 / 被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 /失点0 / 自責点0 / 防御率0.00

 

新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝負けなし、113回無失点という前人未到の驚異的な記録で、3年時(73)の春の選抜大会出場を初めて手にした。

 

決勝で江川に16三振完封負けした横浜高校も、同じく春の選抜大会に出場しているが、この大会で優勝していることからも、江川の素質と能力の高さを間接的に証明している。

 

横浜高校の渡辺監督に聞いた。

 

『松坂と江川と、どっちが凄かったか?』

 

「江川ですね。江川は松坂より、遥かに独特のオーラを持った選手でした。高校時代の江川は、別格に凄いと思いました。松坂もキレ味がありましたけど、江川の場合は低目からグィ~ンとホップしてくる。合わないんですよ、バットが。カスらない。試合中に、対策なんか出来なかったです。走らせようとしても、ランナーが出ないですから」

 

「松坂は全力で投げて150km、それも全身のバネを使って最高のフォ-ムの時に最高のスピ-ドが出る。まあ投手として、これが普通なんだが。江川は、軽く投げてもそれくらいは出ていた。本気で投げると、一体どんな感じなのか予想もつかなかった。当時、キャッチャ-が捕れないので、全力では投げないようにしてるという話を聞いてゾッとした。しかも、その投手に手も足も出なかったんだからねえ」

 

この年の横浜高校は春、江川が破れた広島商に勝って全国制覇した強いチ-ムだった。横浜高校の小倉部長はいう。

 

「松坂とは、問題にならないですね。特に高目の球は、比較にならない。まずあれほど伸びる高めの真っすぐは、ちょっといないですね。カスらないですから。あと大きくて落差があって、カーブがいいでしょ。今のスピードガンで計ったら1589キロはくらい出てたでしょうね。対策と言っても、やりようがないでしょう。ヘルメットを深く被らせて、高めを振るなって言ってもストライクですからね。コントロールもいいし、やりようがないです。松坂がいくら三振取るって言っても、ある程度のチームが来たら三振の数は変わらないと思います。でも江川は、平均すると三振156個は取るでしょ。歴代ナンバーワンです」

 

と、断言する。

2013/08/19

2013世界陸上観戦記(後編)

女子200m決勝は「史上初の9個目の金メダル」を目指すA.フェリックスを中心に「100m金との二冠」を窺うフレイザープライス、さらには「走り幅跳び銀との二刀流」オカクバレという錚々たる顔ぶれだ。

 

そんな期待をよそに、蓋を開ければ大本命と思われたフェリックスが、まさかの転倒!

それにしても、短距離におけるジャマイカ勢の強さこそは恐るべし。男子100m走は「金」と「銅」、さらには45位と、なんと5位までの4人をジャマイカ勢が独占した(アメリカ勢は2位と6位)

 

女子も、フレイザープライスが「100m」と「200m」の二冠を達成。男子200m走も「金」&「銅」(さらには4位も)のWメダル受賞だ。昨年のロンドン五輪でも、男子は「金」&「銀」のワンツーフィニッシュを達成し、35のアメリカ勢に快勝し、女子も「金」&「銅」を掻っ攫っていったのは、記憶に新しい。

 

このジャマイカの人口は僅か272万人というから、日本でいえば京都府(約265万)と広島県(約285万)の間である。そんな小国が、人口100倍以上の陸上大国アメリカ(3億人超)をも凌駕する勢いだから、驚くばかりだ。果たして、この「ジャマイカの強さ」は一体、何に由来するものなのか?

 

これまでにもオリンピックや世界陸上の都度、繰り返してきたように黒人選手の身体能力の高さ、いやもっとズバリ言えば「野生動物に近い身体構造」を持っているのが黒人選手だと思っている。が、よく考えてみれば、ひと口に「黒人選手」とか「アフリカ選手」と言っても、その誰もが活躍しているのではない。例を挙げれば、先に記したように短距離ではジャマイカ勢が圧倒的に強いものの、例えばアフリカ諸国の選手の目立った活躍はないではないか。一方、中長距離に目を転ずれば、伝統的にケニアやエチオピアの選手が圧倒的に強いが、他のアフリカ諸国や黒人選手は、さほど目立った活躍をしているわけではない。

 

「標高が高いため、長距離に強い」などとも言われるが、必ずしもケニアやエチオピアばかりが高地の国でもあるまい。標高が高くても、ネパールやボリビアなどの活躍は聞いたことがないし、それなりに人口も多くサッカーは強いメキシコなども、陸上は大して強くない。それでも「標高が高いため、長距離に強い」というのはまだしも理屈は適っているが、不思議なのはジャマイカの強さの秘訣だ。

 

「アメリカに近い分、近代的なトレーニングが進んでいる」などと伝わるが、これでは尚更近いキューバやメキシコ辺りに、目立った活躍が見られない説明になっていない。ヘボ解説者どもよ!

ヘタな競馬予想の真似事よりも、こうした謎の研究や解説をする方がよほど有益とは思わないか?

 

それにしてもTV中継のCMの多さと、まったく必要のないスタジオ映像には、心底ウンザリする。一流のアスリート上がりや、若くて綺麗な女子アナなどゴロゴロいるだろうに「ナントカの一つ覚えの」サル顔と五十路近いオバサンに異様に執着する理由はなんなのか?

そもそも、なぜ放送局が毎回同じ局なのか?

上記のような放送運営の問題を含め、TBSにはほとほとウンザリしているのだが、NHK始め他局は、なぜこのクソ放送局の垂れ流しを阻止しようとしないのだろう?

2013/08/16

2013世界陸上観戦記(前編)

まだしも多少は日本人の活躍も期待できるオリンピックとは違い、殆ど日本人の出る幕のないのが「世界陸上」である。逆に言えば、その分だけ純粋に競技の観戦に集中できるとも言える。

 

陸上と言えば、やはり最大の興味は「男子100m走」だ。特に大会前までは、タイソン・ゲイとアサファ・パウエルの好調が伝わっていただけに、絶対王者のボルトになんとか対抗できそうなこの2人が、揃ってドー ピングで出場停止となってしまい、最後の頼みの綱のヨハン・ブレイクも怪我で出場できずとなったのは、なんとも残念だった。

 

もっとも上記のようなライバルが勢揃いしていても、常に頭ひとつは抜けていたのがこれまでのボルトだっただから、さぞかしつまらんレースになるだろうと思われた。が、勝負はわからないもので、前半からガトリンが飛ばしたおかげで、予想外に見ごたえのある展開となる。いつものような爆発的な走りは蔭を潜めたものの、それでも中盤からの伸びは素晴らしく、あれだけ大本命視されながら悠々と勝ち切ってしまうのが、ボルトの凄さである。「977」のタイムで「物足らない」の思わせるのだから、いかに異次元の存在かがわかろうというものだ。

 

また、女子棒高跳びのイシンバエワの復活劇も見事だった。ボルトとイシンバエワの2人については、奇しくもTVのヘボ解説者とスタジオの電波芸者が、揃って「なにか、いつもと違う」を強調しながら、盛んに「王者敗退」を匂わせていた。が、ド素人の無責任なヘボ予想を嘲笑うかのように、絶対王者はまたしても頂点に君臨して見せた。 

 

このヘボ解説者とスタジオ電波芸者は、日本人選手となるとこれまた盲目的な期待を連発してみせるから、なおさら始末が悪い。ピークを超えた室伏に「金」を期待するわ、或いは勝てそうもないトラック競技で「決勝進出」の可能性を匂わせるわと、ありもしない期待を視聴者に持たせるのは犯罪的である。そんな中にあって、これまで「日本人には最も縁遠い」と思われた短距離、それも花形とも言うべき「男子100m走」の桐生、山縣の2人は、ともに予選で散った。とは言え、まだ若い2人だけに楽しみな存在であるのは間違いない。

 

女子400mの決勝はゴール前で物凄いデッドヒートとなり、同タイムでどっちが勝ったかわからない白熱したレースとなった。余談ながらゴール後、2人が歩み寄るシーンがあるが、あたかも双子のようにそっくりで、区別が付かないのはワタクシだけか?

特にアフリカ勢などの黒人選手は、みな同じ顔に見えてしまうだけに、ケニアやエチオピア選手の独壇場となる中~長距離競技は、国籍を含めて選手の判別に苦労してしまう。

 

実際に、かつてどこかのマラソン大会で、トイレに行くフリをして選手が入れ替わった「替え玉事件」があったが、ゴールまで誰も気付かなかった。余談ながら、やはりマラソン大会でアラブの選手がゴール後「替え玉」が発覚したが、この時は「髭の有無」でバレタという、マンガのような実話があった。確かに、アラビア人も髭を生やすとみな同じような顔に見えてしまうが、替え玉するなら髭の有無くらいは合わせておけ 柱|m) ウププッ

2013/08/13

怪物の誕生(怪物伝説part1)

甲子園の高校野球には清原、松井、松坂など、これまで数々の「超高校級選手」が誕生してきた。そんな中でも「最高の怪物」と言われるのが、作新学院時代の江川である。

 

高校時代、彼のボールを受けていた捕手は

「毎日捕ってないと、補球すら困難」

と言っていた。また、その捕手はこうも言った。

 

「江川が一番ボールが速かったのは、高校2年の時である。監督が嫌がる江川の尻を蹴飛ばしながら散々走らせたお蔭で、下半身が安定し物凄いボールだった。しかし3年の時に監督が代わり、それほど口やかましく言わなくなった途端、ランニング量が減りスピードが落ちた」

 

「怪物」の公式戦デビューブロック準決勝の烏山戦は完全試合。栃木県高校野球では、史上初の快挙だ。それも中学を卒業して、まだ4ヶ月の1年生ピッチャーが達成した。

 

「江川の投げてくるボールの周りにグワァーというオーラがありましたから」

 

「江川の球は総て、ベルト上からホップするんです。ダイナミックなフォームに、実にいい縦の回転をしているんです。みんな三球三振ばかりです。150kmは出ていたんじゃないですか」

 

「あんなピッチャー、見たことがない。10年にひとりとか言ってましたけど、そんなレベルじゃない。選手たちは『二階からボールが来る感じです』って言ってました。凄いピッチングでした」

 

江川、伝説の高2の関東大会、1回戦で前橋工戦に先発した。江川にとって初めての関東大会ということもあり、高校入学以来最高に気合の入ったピッチングを披露する。特に速球が素晴らしく、12死から4回まで10連続奪三振。フェアグランドへ打たれたのは、初回トップ山崎のセーフティーバントによる投ゴロだけと、他の高校生とは次元の違う投球内容で前橋工を圧倒した。しかし5回表の打席で、頭部死球を受け退場(そのまま入院)、リリーフ投手が打たれて敗退、優勝候補の一角とも評判だった2年春の甲子園は、出場はならなかった。

 

1972年、江川2年夏、第54回全国大会栃木県予選。2回戦(対大田原戦)、3回戦(対石橋戦)、準々決勝(対栃木工戦)の登板した3試合総てでノーヒットノーラン(3回戦、対石橋戦は完全試合)を達成27回無安打46奪三振(1試合平均15.3奪三振)と、驚異的な記録で準決勝に進んだ(対大田原戦では、江川は高校入学以来、公式戦で初めての1試合3安打を記録された)

 

この年の作新学院は打撃力が非常に弱かったため、江川も勝つためには自分で打って完封するしかない状況であった(準々決勝の栃木工戦も、10での勝利。しかも、その1点は9回裏江川自らのサヨナラヒットで挙げた点である)。4試合目の準決勝(小山戦)も、102死までノーヒットノーランだったが味方打線も点が取れず、この試合も15奪三振の力投を見せるも延長11回裏、サヨナラスクイズの01で敗れ甲子園出場はならなかった。勝負の世界に「もしも」はないが、もしも江川がある程度の打撃力のあるチームにいれば、4試合連続ノーヒットノーランで決勝進出という、超人的な投球内容であった。

 

地方予選敗退にも関わらず、このまさに怪物の名にふさわしい投球内容から、栃木県だけでなく日本全国の高校野球ファンに「栃木県に作新学院の江川あり」と、その名を知られる大会になった。作新学院入学時よりその評価は高く、周囲からの期待も大きかったが、高校1年夏、2年春夏ともに甲子園への出場はなかったため、当時の野球部監督が更迭された。また全国各地で招待試合が組まれ、そこでの登板回数の多さが後に肩を痛める遠因となったとされる。

2013/08/05

「冷麺」のトラウマ

  「夏」といえば「麺類」である。東京へ来て便利さを感じるのは、JR線の各駅コンコースにそば屋などがある事だ。

 

上京したばかりのころの、新宿駅でのひとコマ。その日は、9月も半ばに差し掛かろうかというのに真夏のような暑さで、例によって冷やし中華かおろしそばでも食べていくところである。が、いつも同じものばかりでは芸がないからと店内を見渡すと、壁という壁の至る所に

 

新商品・新宿冷麺

 

なるポスターがベタベタと貼ってある。

 

いかに食べ物に無頓着とはいえ、冷麺がコリア料理であることくらいは知っているし、料理も含めてK国嫌いだから普段なら間違ってもオーダーしない筆頭格である。が、他の事に気を取られていたこの時は

 

(要するに、冷やし中華のようなものだろう・・・)

 

なんとなく「新宿冷麺」という語呂の響きに惹かれ、オーダーをしてしまったのが失敗だった。

 

(まてよ・・・「冷麺」というからのは、コリア料理?

しかし「新宿冷麺」というくらいだから、あくまで和風なんだよな?)

 

などと自問しながら

 

(やっぱ、いつもの冷やし中華に変えよう・・・)

 

と、即座に席を立ったまでは良いが、そこは新宿駅構内店のこと。いつの間にやら、背後には順番待ちのオジサン、オバサンたちの行列ができており、この中を敢えて割り込んで

 

「やっぱ、冷やし中華に変えてくれ」

 

とは、とても言い難い雰囲気だ。

 

(まあ、いいや・・・)

 

と「新宿冷麺」に挑戦する腹を決めるとともに

 

(和風であってくれよ)

 

という祈るような心境であった 八(^^*) タノム!!

 

が、そのような愚か者の期待を裏切り、店のレシピに忠実に作られたであろう出来上がって来た冷麺は、当然といえば当然だが想像していた「冷中」とは似ても似つかぬ代物だった。

 

なんと言っても、デリケートな嗅覚を持つ身としては、あのキムチの強烈な匂いだけで食欲が引いてしまうのである。そもそもキムチが乗っている時点で全ては終わっていたが、おまけに中華の麺と違い、あのゴムのような半透明の太く粘々とした食感の麺が、どうにも口に合わないのみならず食べ難くて仕方がない。要するに匂いといい味といい、どれもこれもがキムチのものしか感じられないのは、キムチアレルギーの成せる業だったろうか・・・

 

「これが、なんで『新宿冷麺』になるのか・・・冷中より100円も余分な金を払って、クダラン冒険などするんじゃなかった・・・」

 

と店を出るなり、早速コーヒーで口直しをした事は言うまでもない。

 

■数年後

 「あの新宿冷麺だけが、格別不味いわけではない」

 

と気付いたのは、数年経ってからだった。前の記事を書いたのは2005年の8月で、その後キムチ嫌い(と言うよりは、コリア料理そのものが苦手)のワタクシが「冷麺」を食うわけがなかった。ところが、つい先日行きつけの中華食堂「日高屋」で、不覚にも同じ「大間違い」を冒してしまった。

 

ちょうどタイミング悪く、店に入った直後にかかってきた電話の対応に気を取られ、例によってよく考えもせずに看板にデカデカと出ていた「冷麺」をオーダーしてしまったのである。

 

頭の片隅には、またしても

 

「要するに、冷やし中華のようなものだろう」

 

という安易な思い込みがあった。

 

運ばれてきた「冷麺」には、当然ながらキムチが入っている。あの「新宿冷麺」と同じだ。

 

(やってしまった・・・)

 

と「失敗」に気付いた時はアフターカーニバル。いかに厚かましい客とは言え、既に運ばれてきた後だけに今更、変更などは出来るわけがない。見ればキムチの乗っている周辺は、汁が赤々となっている。

 

キムチの乗っている反対側から急いで食べ始めるが、見る間にジワジワ侵食されていく汁は瞬く間に真っ赤に染まっていき、あの独特の匂いと味が皿全体に染み渡って来るには、さほど時間を要さなかった。

 

間抜けなことに

 

「キムチを小皿に出しておいて、食べればよかったのだ!」

 

と気付いたのは殆ど食べ終わってからで、ほぼ真っ赤に染まった汁とキムチの塊がそっくり残った皿を前に

 

(なにも新宿冷麺だけが、格別まずいわけじゃなかった・・・)

 

と、6年越しの誤解に気付いた愚か者であった。

 

※「そんなにキムチが嫌なら、最初から冷麺など食べるんじゃない!」は自覚しているため、敢えてそのようなコメントは要りませんw