2019/08/27

マリウスとスッラによる内乱 ~ 内乱の一世紀(3)

マリウスは政治的駆け引きから、民衆派議員で非道な人物との評判であった護民官プブリウス・スルピキウス・ルフスと手を結んでいた。スルピキウスは、敵対者から
スルピキウスを上回る悪党は、明日のスルピキウスに他ならない
とまで言われるほど、様々な悪徳を行ったという。

マリウスの子飼いであったスルピキウスは兵士と資金を集め、スッラが再び前線へ視察に向かった隙、3000名の兵士を率いて反乱を起こした。マリウスは元老院を占拠すると、ポントス王ミトリダテス6世討伐(ミトリダテス戦争)への指揮権を自らに譲渡するスルピキウス法を制定させた。マリウスに従えられた元老院はスッラに使者を送ったが、スッラは兵士達を説得して使者を殺害させた。

マリウスはローマで閥族派議員に対する粛清を行い、腹心スルピキウスを使って元老院を支配下に収めていた。追い詰められつつあったスッラは、ローマ進軍という暴挙に及ぶ決断を下した。スッラの元には、再三に亘って禁じられているローマへの行軍を止めるよう、元老院からの勧告が出された。しかしスッラはこれに従わず、説得を行ったブルートゥスとセルウィリウスという名の法務官からファスケスを奪って叩き壊し、元老院議員用のトガを剥ぎ取ってローマに送り返している。元老院政治の一つの象徴でもあるファスケスへの侮蔑は、元老院を大いに失望させた。

ローマ進軍
スッラの使者への侮蔑は、ローマ進軍という行為への決断の証であったが、当のスッラも前日まで大罪を犯すかどうか悩んだ。だが枕元に、自らの行為を賞賛する女神が訪れる夢に励まされ、攻撃を命令したという。対するマリウスは浮き足立つ民衆派の議員をまとめて、ローマ防衛の準備を大急ぎで進めていた。

未明にローマへたどり着いたスッラ軍に、元老院は城門を空けてスッラ達を招き入れた。彼らはスッラの全ての権限が復権される事を約束し、その代わりに陣営を設営するのみに留め、即時攻撃を取りやめる事を要請した。スッラはこれを受け入れる素振りを見せたが、交渉役がエスクイリヌス城壁を通ろうとした所で猛然と攻撃を開始し、一挙に城門を突破した。

スッラの騙し討ちにローマ市民は激怒し、自ら武装してスッラ軍に襲い掛かり、また武器を持たぬ者は屋根瓦を兵士達へ投げつけた。予想以上の抵抗に軍団兵は市民兵に苦戦を強いられ、スッラは火矢を当たりかまわず家屋へ打ち込む命令を出した。火は瞬く間に家屋へ燃え移り、市街地は大火災に見舞われて大勢のローマ市民が犠牲となった。その過程で、スッラには民衆派と閥族派を区別する考慮は全く無かった。攻撃時、奴隷達に防衛軍への参加を促していたマリウスはテルス神殿に逃れ、そこからローマ国外へと亡命した。

マリウスと一族が逃げ去った後、スルピキウスは使用人によって暗殺された。スッラはマリウスに懸賞金を賭け、ローマ全土で行方を捜させた。スッラは元老院への主導権を取り戻したが、暴挙の影響から元老院内には少なからぬ反スッラ派が形成されていた。確実な政権樹立には、まず対外戦争に決着をつけるべきと考えたスッラは、同じコルネリウス一門出身で閥族派のルキウス・コルネリウス・キンナに後事を任せて、ミトリダテス戦争へ復帰した。

スッラの帰還と終身独裁官就任
紀元前86年、マリウスは7度目の執政官となったものの直後に死去し、新たに民衆派の指導者となったキンナは、事実上の独裁制を敷いた。キンナはミトリダテス6世討伐のため「正規軍」を同僚のフラックスに託して派遣。スッラはポントス勢力と「正規軍」の両方に挟撃され窮地に陥ったが、ミトリダテス6世軍に対して2度にわたり大勝した。

ミトリダテス6世はスッラの恫喝により講和に応じ、キンナが派遣した「正規軍」はスッラの策謀によって、戦わずしてスッラの軍勢に吸収された。これに危機感を覚えたキンナは、スッラ討伐のための軍団を集めたが、その過程で事故死した。こうしてスッラは妨害されることなく、イタリアへ上陸した。しかし、スッラによる報復を恐れた民衆派が必死になって抵抗したため、ローマへの帰還はさらに2年の歳月を要した。

マリウスとキンナ亡き後の民衆派は、その後もスッラに抵抗したものの既にスッラの敵ではなく、紀元前81年、ローマを奪還したスッラは終身の独裁官(ディクタトール・ペルペトゥア)に就任。元老院の定員を600名に増員したほか、その権限を強化し軍制の改革を断行する一方、民衆派を大規模に粛清した。この6年にわたる内戦で、ローマの犠牲者は数万人におよんだ。

第三次奴隷戦争
動乱の時期を経て、ローマは次第に元老院支配体制から、有力な個人による統治へと性質を変化させていった。

スッラの死後、ローマは紀元前73年から紀元前71年にかけて剣奴スパルタクスの反乱が起こったが(第三次奴隷戦争)、それを鎮圧したローマ一の大富豪でエクィテス(騎士)出身のマルクス・リキニウス・クラッスス、ローマ軍の重鎮でポントス王国の反ローマ戦争(第三次ミトリダテス戦争、前74 - 63年)を破ってミトリダテス6世を自殺に追いこみ、紀元前63年にセレウコス朝シリアを滅ぼし、シリアとパレスチナを平定したグナエウス・ポンペイウス、そしてマリウスの義理の甥として民衆派を指導していたガイウス・ユリウス・カエサルが台頭していた。

紀元前63年には、ルキウス・セルギウス・カティリナによる国家転覆計画が発覚したが、執政官マルクス・トゥッリウス・キケロは小カトの助力を得て首謀者を死刑とする判断を下し、元老院より「祖国の父」(pater patriae)の称号を得ている。一方、元老院は有力者であるポンペイウス、カエサル、クラッススの活動を抑えようとしたため、紀元前60年、3人は互いに密約を結び国政を分担する第一回三頭政治が実現した。

紀元前60年にはポンペイウスとクラッススが、紀元前59年にはカエサルが執政官となり、ポンペイウスはヒスパニア、クラッススはシリア、カエサルは未平定のガリアの特別軍令権を得て、それぞれを勢力圏とした。ポンペイウスは、東方で戦った自分の兵士への土地分配をおこなった。クラッススはパルティアとの戦争を受けもったが、紀元前53年のカルラエの戦いに破れてカルラエで戦死し、その首級はオロデス2世のもとに送られた。紀元前58年から紀元前51年にかけてのガリア戦争の成功により名声を挙げたカエサルには、ガリア統治権が委ねられた。
出典 Wikipedia

2019/08/25

プラトン(10) ~ 国家篇の問題(1)


プラトンは「イデア論」や「魂論」で有名ですが、もう一つ「国家」についての思考でも有名となっています。もちろん「国家について論じた史上初めてのもの」になり「国家・政治論の原点」となりました。

 ところで、この著作に示される国家像は、しばしば「理想国家」であるとされます。しかし理想という意味を「現実的に実現さるべき理想」と理解してしまいますと、とんでもないことになってしまいます。確かに議論の上では「実現可能」だとか言われ、さまざまな国政の比較なんかやるものですからつい騙されてしまいますが、プラトンの著作は対話編であり「芝居の脚本」みたいなものですから「対話の上での様々な論の交叉」があり、時には自説の反対の論なども出てきてしまいます。本当の所は、この書の内容は全く非現実的なものだということを良く理解しておいてください。

 要するに、ここの「国家論」は全く「理屈だけ」で考えているものです。そうすることで「現実が見えてくる」からです。つまり、ここでの論は人間感情・心理や社会習慣、思いこみなどを一度全部投げ捨てて、純粋に理性だけによった理論として見ようとしています。そこにおいて、感情や習慣に支配されている人間社会の現実や矛盾が露呈されてくるからです。そういう意味では「思考実験的な性格」を持っているのです。
 
たとえば「同じ理性を持つ者である限りでの男女平等論」などがあるのですが、これなどは人間ないし社会の「女は劣等という思いこみ」の矛盾を見事に露呈させています。また人間感情を投げ捨てている条件下での論として、(動物の飼育で行われている)「女性・子供の共有論」、「優者優先論」などは、人間社会が決して「理性だけで人工的に形成されるものではない」ということを見事に指摘しているわけです。あるいは「扇情的な音楽や演劇の排撃」なども展開されます。これも人間の「感情」の上に成立している現実社会のあり方を良く見せてくるわけです。

 つまり、プラトンは人間に不正が生じることの原因を探ろうとするのですが、その時、個人としての人間と「大きな人間としての国家」を平行させて議論を進めていきます。ここでの論は、人間と社会を対応させて、先の魂論で示された人間の「理性」「気概・徳性」「欲望」を社会の階層「指導層」「戦士階級」「商人階級」に当てはめて社会・国家のあり方をみていくものであり、ここに「理性が支配する人間」のありかたを「哲人王(つまり、ここでの「王」とは「理性」のこと)に支配される社会」の思想などとして見ていこうとするのです。

大事なので繰り返しますが、現実の人間や国家は欲望が渦巻きゴチャゴチャだから、そのままでは議論も混乱しています。だから、そうした混乱のもとである感情や欲望切り捨て、全く「理性」だけで物事を見ていこうとしたのです。そうすれば、ともかく理屈の上ではどういうことになるのか、ということは見えてきます。そうすればまた、現実のゴャゴチャも見えてくるだろう、ということです。

 ここでは、論の上で不正を生じさせる元凶となる「欲望・感情・感覚」は全くマイナスの要因として排除されてしまいます。したがって、欲望・感情・感覚に関わるすべての事柄は排除されることになるのです。たとえば、お芝居だの音楽だの物語だのは「」を言わない限り全部だめです。

こうしてプラトンは、ともかく理性に合致するものだけで、国家を考えていこうとするのです。ですから、こんなものが「現実」に実現されるわけもありません。実現したら、それはもはや「人間の国」ではなくなり「天使の国」になる、そうした意味での「理想」なのです。

二点目に注意しなければならないことは、この「国家」というのは、今日のごとき広大な領域をもった国家を意味しないということです。当時の国家とはポリスですが、今日でいえば人口が数万、大きくても数十万クラスの、要するにに「」です。しかも、大人はほとんどの人が全員兵士として戦友であるし、日常的にも何らかのことで一緒に仕事をしたり議論したりで、市民全員が互いに見知っているのです。全然聞いたこともない人が、社会的指導者になるなどということは絶対にありません。こういうポリス社会を念頭においておかないと、意味がわかりません。

 三点目に注意しなければならないのは、当時の市民の在り方、職業意識、女性の位置付け、奴隷制といった「当時の社会状況」が反映しているということです。この市民社会の内実を無視しては、正確な理解にならないのはいうまでもありません。

 四点目に注意しなければならないのは、言葉の意味内容を考えなければならないということですが、たとえばプラトンは「フィロソポス(哲学者)」が国のリーダーにならねばならない、とこの著作の中で主張しています。この時、この哲学者を今日の大学の哲学教授のごときをイメージしてしまったら、とんだお笑いになってしまうのはいうまでもありません。実際に賢帝であり本当に哲学者であったローマ皇帝マルクス・アウレリウスであっても、このプラトンの国家篇でのいわゆる「哲人王」にはなれません。

2019/08/24

神話を彩る妖精たち(ギリシャ神話62)


カリュプソ
 ホメロスの『オデュッセイア』に登場する、下級の女神とも妖精ともつかない女性で「地球を担ぐ神アトラスの娘」とされている。生まれからは「妖精」と言うべきなのだが、彼女は自分の島に召し使いの妖精まで持っていて、その力は女神並のものとして扱われている。
彼女は漂流していたオデュッセウスを救助して共に暮らすようになる。自分と共にここに暮らす限り不老不死で何の憂いもないというのに、望郷の念が募ったオデュッセウスを再び海へと帰してやる。

「河の神」たちの娘として生まれた妖精たち
 「海の妖精たち」の他に「河の神たち」の娘である妖精に有名人が多い。その代表的な者立ちを紹介する。

イオ
 河の神イナクスの娘、妖精「イオ」の物語も良く知られている。ゼウスは、ヘラの巫女となっていた愛らしい娘イオを狙っていたが、ある時妻ヘラの目をくらませようと雲となってイオを襲い、思いを遂げていった。
しかし時ならぬ時に怪しげな雲の固まりがあったのではかえって妻ヘラに怪しまれ、慌てたゼウスはイオを牝牛に変えて言いつくろうとする。しかし、ヘラの目をごまかすことはできず、イオは牝牛に変えられたまま虻に苛まれて世界中を彷徨わなければならなくなってしまう。

アイギナ
 彼女は「アソポス河」の娘となる妖精だったがゼウスによって誘拐され、ある島でゼウスによって子どもを孕まされ、以来この島は「アイギナ島」と呼ばれるようになったという。その子こそ、最も敬虔なる英雄として死後冥界の裁判官の一人となる「アイアコス」であった。

ダフネ
 彼女は一説ではペロポネソスの「ラドン河の神」、一説ではギリシャ本土中部の北を流れる「ペネイオス河」の娘であり山野の妖精であったが、アポロンに愛されて追われ、ついに河辺まで逃げてきたところで追いつかれ、そこで父たる河の神に願って我が身を一本の樹に変えてもらったとなる。その樹が「月桂樹」で、それ以来、この月桂樹はアポロンの聖樹とされた。

山野、森の妖精たち
カリスト
 彼女は「純潔の女神アルテミス」に忠誠を誓って、彼女に付き従っていた森の妖精であった。その彼女を見初めたゼウスは、彼女が一人でいるところに主人であるアルテミスに変装して近寄り、安心していた彼女に襲いかかって犯してしまう。
その後、彼女は熊に身を変えられ、色々あって後に天に上げられ大熊座になっていった、という話は有名となっている。一方、彼女が孕んでしまったゼウスの子はアルカスといい「アルカディア王家」の祖となっていく。この物語は星座の由来と名家の祖の由来話とが含まれたものとなっている。

シュリンクス
 彼女は「牧神パン」の物語で良く知られた山野の妖精となる。牧神パンは葦笛を持っていることで有名なのだが、この葦笛の由来がシュリンクスにある。物語はアポロンとダフネの物語と似ていて、パンが美しいニンフのシュリンクスに恋をして追いかけ、シュリンクスは逃げるがついに川辺に追いつめられた時、願って自分の姿を葦に変えてもらった。
パンは姿の消えたシュリンクスに戸惑うが、そこに生えている葦の茎を切り取り、長さを違えてくっつけ合わせてそれを吹いたところ妙なる音楽を響かせ、以来パンはそれに恋しい少女シュリンクスの名前を与え、常に身に携えていた。

エコ
 エコは木霊となる森の妖精として有名だが、その由来として三つがあり、一つ目は良く知られた「水に映った自分の影に恋したナルキッソス」との物語となる。
それによると、ナルキッソスという美少年は水に映った自分に恋してしまい、すべての少女たちの愛を拒絶し、彼を愛した少女の一人であったエコは憔悴して身が透けてしまい、声だけが残ったというものである。
二つめは、彼女は神ゼウスに頼まれて、ゼウスが女の元に行く時には、その妻ヘラといつまでも話をするようにしたという。しかし、この策略がばれてヘラはエコの身体を消して、声だけにしてしまったという。
三つ目は、牧神パンがエコに恋したがエコはこれを拒絶し、そのためエコはパンによって狂わされた羊飼いに襲われ、八つ裂きにされてしまう。しかし大地がその身体を隠し、声だけを残したというものである。

木の妖精たち(ドリュアデス)
山野の妖精とは一色異なった「木の妖精」たちもいる。

エウリュディケ
木の妖精」の中で最も有名な妖精となる。音楽の英雄オルペウスの妻となり、ある時、川岸を散歩していた時暴漢に襲われ、逃げる途中草むらに居た蛇に足をかまれて死んでしまう。夫オルペウスは妻を求めて冥界へと来て、一度は奪回を許されるものの、後ろを振り返ってはならないという禁令を今一歩のところで犯してしまい、再び妻を引き戻されてしまった。
ただし、この物語はあまり変わらないが、その他のオルペウスに関わる伝承は様々となっている。
その一つに、オルペウスの死後、彼は優れていた英雄が赴くとされる「幸福者の島」へと送られて、そこで妻エウリュディケと再会し、オルペウスは何恐れることなく妻を振り返りながら、野原を二人で駆け回って幸せな生活をしているとされる。

ピテュス
 パンは松の木の冠を被るのだが、その言われとなる木の妖精で、パンに愛されたがそれを逃げ、松の木に身を変えてもらったという「月桂樹ダフネ」や「葦のシュリンクス」と同じタイプのもの。
あるいは、パンと北風のボレアスとが同時に彼女を愛したが、ピテュスはパンを選び、そのため北風ボレアスは岩から彼女を吹き飛ばしたが、大地がその彼女を受け止めて松の木にしたというもの。そのため松の木は北風が吹くと呻くし、他方のパンは彼女を頭に飾っているとなる。