2014/01/27

冬季オリンピックの魅力

ソチオリンピック開幕が、いよいよ近づいてきた。

夏季オリンピックに比べ規模が小さく競技数も遥かに少ないせいか、イマイチ地味な冬季オリンピックだが、元々雪に馴染みの薄い日本においても最近はスキー人気の復活やスノボなどウィンタースポーツの流行で、以前よりは注目度は上がっているのではないか。一般的に、あまり馴染みのない競技が多い冬季オリンピックだから、そこにこそ冬季オリンピックならではの面白さがある。

 

夏季オリンピックにはない「冬季オリンピックならではの醍醐味」とは

    普段は滅多に見る機会のない競技が観戦できる

    素人には絶対に真似の出来ないようなトンデモな競技が多い

この二点に尽きる。

 

その代表格が、過去二回に渡ってメダルを獲得した里谷選手の活躍で一躍注目を集めた、フリースタイルスキーの「モーグル」であり、同じくフリースタイルスキーで空中でのアクロバティックな技を競い合う「エアリアル」という競技だ。余談ながら、アルペンスキーの「スーパー大回転」という競技の名を初めて訊いた時は、どんなトンデモナイ競技かと想像してしまった (c_,゚`)プッ

 

また「氷上のF1」と称される「ボブスレー」は、鋼鉄製の橇に(2人または4人が)乗り、氷のコース上を滑り降りるスピードは最高時速100km以上という、物凄いスピードである。同じボブスレーの仲間である「スケルトン」(骨格という意味を持つ)は、滑走部と車台のみというシンプルな骨組みだけの橇で、やはり最高時速は150kmにも達するというから恐ろしい。かつて、TV番組で車体にカメラを付けて滑っているところを写していたが、これが驚異的な速さだった。選手は頭を前にしてうつ伏せで橇に乗り、重心移動だけで操作を行うらしい。

 

似たような競技に「リュージュ」がある。誰かが言っていたように、棺桶のような橇に仰向けに寝転がって滑っていく様は、確かに死体の搬送のように見えなくもない。そして「スケルトン」にしろ、この「リュージュ」にしろ、素人目には「ただ乗っているだけ」にしか見えない。どこで技術の巧拙を競うのかといえば、重心移動などのバランスを取ったりしているわけで、決して「たまたま、橇が運良く速く滑っていった」わけではないのである(当たり前かw)

 

リュージュとは、フランス語で「木ぞり」の意味らしい。雪国での重い荷物の運搬や、そり遊びとして用いられていたのがスポーツに発展していったのだそうだが、ブレーキもない橇に乗って150kmものスピードで滑るような芸当は、とても真似の出来るものではないだろう。こうした夏季オリンピックにはない「珍競技」を楽しめるところこそ、冬季オリンピックの醍醐味なのである ( ´艸`)ムププ

 

これらを見て解かるように、技術の巧拙を別とすれば誰しもがやること自体は可能な競技の多い夏季オリンピックとは違い、やろうにもハナからどうにも手が出ない競技が揃っているのが、冬季オリンピックの観戦の妙味と言える。

 

さらにユニークなのは、前回話題を浚った「カーリング」という、アイスホッケーに似た競技だ。素人目には掃除に使うモップのようなものを持ち、ストーンと呼ばれる丸い大きな石を投げて得点を争うという、まったく「それがどうした?」というような、ルールがわからずに見るとなんとも滑稽な感じである。が、実際には「氷上のチェス」と称されるほど、奥深い駆け引きを必要とする競技でもあるらしい。そのまんまに「ストーン」と呼ばれるあの石の重さは20kgもあるというのだから、コツを心得ていない素人ではまったく動かないのである。

 

これら冬季オリンピックの競技に出てくるアスリートたちも、やはり夏季オリンピックの代表選手と同様、子供の時からずば抜けた運動能力経の持ち主揃いであったのに違いない。で、それらの人たちに訊いてみたいのである。

 

「アナタたちは何故、人気があって金も稼げるサッカーや野球ではなく、選りにも選ってそのような奇特(?)な競技を選んだのか?」と。

 

それはさておき、冬季オリンピックの楽しみ方の一つとしては、日本選手の活躍が期待される競技がかなり限定されてしまう分だけ、気を揉まずにノンビリと観戦が出来る、という点も挙げられるだろう。それも当然で、日本の国土条件では雪国といえば列島の中でほんの一部に限られ、練習するにも遠路まで足を運ばなければならないのだから、選手も北海道や東北、或いは北陸といった特定の地方に偏ってしまうのである。

 

このように、雪国でマトモなスポーツが出来ないというのが、実のところ先に触れた「奇特な競技」を選ばざるを得なかった必然的な解にも繋がるのだろうが、そうした意味からも国中で一年中雪が降っていたり、他に娯楽があまりない(?)ような北国に伍してメダル争いをするなどは本来的であれば夢のまた夢、のはずなのだ。ところが、このような地勢的なハンデを背負いながらも、かつてはジャンプやノルディック複合などで複数のメダルを獲得してきたのだから、まことに日本人の能力は大したものである。

 

挙句に、まともに太刀打ちできないあまりの日本の強さに仰天し、無理矢理にルールを捻じ曲げ続けてなんとか誤魔化して来たのが「白人至上主義」のオリンピックの歴史そのものであった。記憶に新しいところでは、お家芸と言われるフィギュアスケートにおいても、前回に見るように謀略とインチキ塗れのK国に、穢い手で「金」を強奪されたのは実に痛恨の極みだったが、これこそ「それだけ穢い手を使わければ、優秀な日本人には勝てない」何よりの証左であった。

 

しかしながら、こうした逆境を乗り越えてこそ力を発揮するのが日本人の優れたところである。事実、地勢的にはほぼ同じ条件、というよりは日本よりはよっぽど雪に恵まれてるであろう、隣国C国やK国が活躍したというような話は寡聞にして聞かない。

 

「そんなことはない、K国はショートトラックが強いではないか!」

 

などと、のたまう者がいるかもしれないが

 

「あのような地味な競技は、白人どもが相手にしていないから、やりたい放題」なのだ。

 

白人どもの拘りは、何と言っても「ウィンタースポーツの王者・スキー」なのである。だからこそ、歴史と伝統を誇るジャンプやノルディックで憎い日本人が頂点に立つのが許せないのであろうことは「ルールを捻じ曲げてでも、断じて勝ちに来る」のを見ても歴然だ。

 

「ルールを捻じ曲げて勝つなんて、潔くない」

 

と考える奇特な(誇り高き)お人好しは、世界中を見渡しても日本人くらいのもので、残念なことに

 

「勝負は結果が全てであって、勝つためには手段を選ばない」

 

のが世界の常識らしい。だからこそ、たとえそれが一面の真理だったとしても

 

「インチキなどで勝つのは、一文の価値もない」

 

との尊い矜持を持つ我々日本人は

 

「勝負は強い者が必ず勝つとは限らない」

 

ことを身を持って知り尽くしているのである。

 

なにしろ、最近までは貧しい「後進国」だったC国、K国辺りは、ウィンタースポーツのような「金の掛かる競技」に弱いのは当たり前で「金も掛からず注目度も低いショートトラック」でお茶を濁すのが関の山なのである。これは、陸上競技や球技など「体ひとつで出来る」競技のみを頼みとしている夏季オリンピックでも証明済みである(もっとも「C国」に至っては「ドーピング」大国だから、それらの多くもインチキの結果に過ぎないが)

 

さらに夏季オリンピックとは違い、身体能力に優れた黒人選手がほとんど参加してこないのも、黒人頼みがない日本にとっては有利な点である。とはいえ、なにしろ開催国があの国だけに

 

「果たして、どんなトンデモなインチキが飛び出すか知れたものではない」

 

という構えで観戦するのが賢明であろう (-ω-#)y-~~~~

2014/01/25

九州と佐渡

九州

古代では、九州本島は「筑紫島・筑紫洲(つくしのしま)」(古事記・日本書紀)と呼ばれていた。3世紀には『魏志』倭人伝に書かれているように小国(伊都国・奴国など)に分立していた。それらの国々は4-5世紀頃まで継承され、後の郡の広さに近い政治地域を支配する豪族に成長していった。

 

倭政権からは、県主(あがたぬし)に任ぜられていた。記紀などの史料には、九州各地に県・県主がみられる。56世紀のヤマト政権には、筑紫国(北部)・豊国(東部)・肥国(中部)・熊襲国(南部)の四区分に観念されていた。それは九州成立以前の政治的区分であった。

 

続日本紀によると、ヤマト政権が律令制を取り入れるにあたって西海道の一部となり、筑紫は筑前国・筑後国、豊国は豊前国・豊後国、肥国は肥前国・肥後国に分割され、日向国の7国と島嶼部の壱岐国・対馬国の2国が成立(ただし、日本書紀では律令制以前の推古17年(609年)の記事に肥後國の記載あり)、824年以後は大隅国・薩摩国を加えた本土9国、島嶼部2国となったとある。また斉明天皇の時に、百済復興の戦に備えるために筑紫国朝倉宮に遷都し、ごく短期間であるが九州に初めて朝廷が置かれた。

 

その後、現在の太宰府市には西海道を統轄し、対外的な窓口と大陸からの防衛任務を兼ねて大宰府が設置された。また、663年の白村江の戦い以降に筑紫に水城や大野城を置き、日本の防衛の最前線の役割を担った。なお古代九州には、7世紀末までヤマト政権とは独立した王権があったとする説(九州王朝説)もある。

 

佐渡島

出典https://www.dai3gen.net/taniguku.htm

佐渡」は「さど」と読み慣わして疑念を持たないところであるが、これは「さわたる」ではないのか。つまり「佐渡島」は、神代または古事記編纂時に国境として認識されていたのではないか、つまり「さわたる極み」、国の極み、国の果て、であるから「佐渡島」と呼んだ、という可能性が指摘される。傍証としては「儺の祭の詞」(祝詞)に「四方之堺 東方陸奥 西方遠値嘉 南方土佐 北方佐渡」とあり、佐渡は北の境界として認識されている。

 

倭名抄に「佐渡国 国府在 雑太郡 ・・・雑太(佐波太)」とあり、「サハタ」なる地名が確認される(今の「佐和田町」であろう)。佐渡一ノ宮「度津神社」の「度津」は「ワタツ」と読む。「わたり<さわたり」が変化してきたものであろうか。「さわたり」という地名(現在地名)の分布、を見ると(中には本当に「沢を渡る」というものや「猿が渡った」というものもあろうが)、「国の果て」、とも言えそうな分布状態ではある(時代によっての異なりとか、地域ごとでの認識とか)

2014/01/21

蟹を食べに「北海道」へ行ってきた

北海道と行っても「本物」の北海道ではなく、飯田橋の居酒屋の事だ。

 

JRの駅直結ビルの20階にあり、右側に丸の内都心、左側に新宿副都心を臨むという絶好のロケーションではあるが、惜しいことに窓ガラスの汚れで折角の夜景はボンヤリと霞んでしまっていた。

 

ビール党としては、原則として生ビール飲み放題の店に行くことにしているが、残念ながらこの店は「」飲み放題はなく「スーパードライ瓶」が飲み放題である。

 

売り物は北海道の焼酎らしいが、焼酎は飲まない。代わりにでもないが「国士無双」という地酒が飲み放題メニューに含まれているため、この日は地酒で北海道の幸を堪能しようとの算段であった。

 

選んだのは、3時間飲み放題付きの「三大ガニ贅沢コース」だ。のっけからノンベエには堪えられない「鮟肝、白子ポン酢」に始まると、お目当て刺身4点盛りがゴージャスに登場。



2人前だけに茹で毛ガニが半身は残念とは言え、身はしっかり付いていて、バチマグロ、サーモン、ホタテとともに堪能する。

 

ズワイガニと水菜のサラダを挟み、珍しいタラバガニの天ぷら、そしてお待ちかねカニ鍋のお出ましである。




 

それまでに、勿論ビールとともに「カニ甲羅酒」を楽しんだのは言うまでもない。  

 

鍋の後は唯一、北海道とは関連がなさそうなひと口ステーキを挟み、紅ズワイガニ肉シューマイ盛り合わせ、そしてカニ雑炊で締め。さらにデザートには、小樽名物ハスカップアイスも付いた。

 

三大蟹を食べられる上、飲み放題で15980円はお値打ちだ。実際には3時間どころか、4時間も粘って蟹と北海の幸を堪能しご満悦 (*▽´*) ウヒョヒョヒョ