2023/03/28

仏教公伝(1)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

仏教の東方伝播

仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上代の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指すのが一般的であり、この項でもそれについて説明する。従来は単に仏教伝来と称されたが、公伝以前にすでに私的な信仰としては伝来していたと考えられるため、区別のため「公伝」と称されることが多い。

 

公伝以前の状況

ネパールのルンビニで生まれた仏教は、主として東南アジア方面(クメール王朝、シュリーヴィジャヤ王国)に伝播した南伝仏教と、西域(中央アジア)を経由して中国から朝鮮半島などへ広がった大乗仏教(北伝仏教)に分かれる。古代の日本に伝えられたのは、主に北伝仏教である。中国において紀元1世紀頃に伝えられた仏教は、原始ネパール仏教の忠実な継承にこだわることなく、戒律や教義解釈などで独自の発展を遂げた。特に4世紀における鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)の翻訳による漢訳仏典の充実は、漢字を共通の国際文字として使用する周辺諸国への北伝仏教を拡大した。南北朝時代には三論宗・成実宗などの経学が流行し、これらの流れがさらに東へ伝播していく。北魏の孝文帝や「皇帝菩薩」と称された梁の武帝など、仏教拡大に熱心な皇帝も現れ、周辺諸国への普及も加速した。

 

朝鮮三国における仏教受容

古代、三国に分かれていた朝鮮半島においては、それぞれ各個に仏教が公伝された。最も北にあり、中国に近かった高句麗へは372年、小獣林王の時代に前秦から伝えられたとされる。375年には、肖門寺・伊弗蘭寺などが建立された。

 

大和朝廷と盟友関係となる百済では、これより若干遅れて384年に枕流王が東晋から高僧の摩羅難陀を招来し、392年には阿莘王(阿華王)が仏教を信仰せよとの命を国内に布告している。ただし、百済国内に本格的に仏教が普及するのは、それより1世紀ほど遅れた6世紀初頭である。

 

残る新羅においては上記2国よりも遅れ、5世紀始めごろに高句麗から伝えられたという。法興王の時代に公認された後は、南朝梁との交流もあり国家主導の仏教振興策がとられるようになっていた。

 

渡来人による私的崇拝

古代の日本には、古くから多くの渡来人(帰化人)が連綿と渡来してきており、その多くは朝鮮半島の人間であった。彼らは日本への定住にあたり氏族としてグループ化し、氏族内の私的な信仰として仏教をもたらし、信奉する者もいた。彼らの手により公伝以前から、すでに仏像や仏典はもたらされていたようである。522年に来朝したとされる司馬達等(止利仏師の祖父)はその例で、すでに大和国高市郡において本尊を安置し、「大唐の神」を礼拝していたと『扶桑略記』にある。

 

なお、6世紀の各地の古墳などからは、仏の像らしきものが鋳出されている鏡、あるいは佐波理椀や華瓶などの仏具と思われるような品が発掘されているが、そうした古墳では仏教祭祀をした形跡がないため、それらは貴重な供具として祭祀で用いられただけであって、「仏教」を信仰していたのではないと考えられる。

 

仏教公伝と当時の国際環境

4世紀後半以降、高句麗・百済・新羅は互いに連携・抗争を繰り返していた。6世紀前半即位した百済の聖明王(聖王)は、中国南朝梁の武帝から「持節・都督・百済諸軍事・綏東将軍・百済王」に冊封され、当初新羅と結んで高句麗に対抗していた。しかし、次第に新羅の圧迫を受け、538年には都を熊津から泗沘へ移すことを余儀なくされるなど、逼迫した状況にあり、新羅に対抗するため、さかんに大和朝廷に対して援軍を要求していた。百済が大和朝廷に仏教を伝えたのも、大陸の先進文化を伝えることで交流を深めること、また東方伝播の実績をもって仏教に心酔していた梁武帝の歓心を買うことなど、外交を有利にするためのツールとして利用したという側面があった[要出典]

 

公伝年代をめぐる諸説

日本への仏教伝来の具体的な年次については、古来から有力な説として552年と538年の2説あり、現在では 538年が有力とされている[要出典]。ただ、これ以前より渡来人とともに私的な信仰として日本に入ってきており、さらにその後も何度か仏教の公的な交流はあったと見て、公伝の年次確定にさほどの意義を見出さない論者もいる。以下では、政治的公的に「公伝」が行われた年次確定の文献による考察の代表的なものを挙げるが、いずれにおいても6世紀半ばに、継体天皇没後から欽明天皇の時代に百済の聖王により伝えられた。

2023/03/26

唯識(1)

唯識(sktविज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合う、その個人の無意識の領域をも内含する。

 

あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも最終的にも区別される(後述)。

 

概要

唯識思想では、各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する。

 

八識説の概念図の一例

まず、視覚や聴覚などの感覚も唯識では識であると考える。感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれる。これは総称して「前五識」と呼ぶ。

 

その次に意識、つまり自覚的意識が来る。六番目なので「第六意識」と呼ぶことがあるが同じ意味である。また前五識と意識を合わせて六識または現行(げんぎょう)という。

その下に末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており、寝てもさめても自分に執着し続ける心であるといわれる。熟睡中は意識の作用は停止するが、その間も末那識は活動し、自己に執着するという。

 

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末那識(まなしき、梵: manas)とは、阿頼耶識を所縁(=対象)とする識である。また、眼、耳、鼻、舌、身、意という六つの識の背後で働く自我意識のこと。「manas」は玄奘の翻訳によって末那識あるいは第七識として漢字仏教圏に広まった。染汚意(ぜんまい、梵: kliṣṭa-manas クリシュタ・マナス)ともいう。

 

末那識は常に第八識を縁じて、自我という錯覚を生じる。第六識(意識、mano-vijñāna)と区別する為に、manas マナスのまま音写して末那識という。

 

我法二執の根本である。八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して、他の七識に勝っているから末那(意)という。思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。[要出典]

 

第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)であるとされる[要出典]

 

さらに、その下に阿頼耶識(あらやしき, ālaya-vijñāna)という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている。

 

あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在(色)は「空」であり、実体のないものである(色即是空)。

 

阿頼耶識(あらやしき、梵: ālaya-vijñānaआलयविज्ञान、蔵: kun gzhi rnam shes)は、瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこととされる。アーラヤ識。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。

 

原語と漢訳

「阿頼耶識」は、サンスクリットの ālaya( आलय) の音写と、vijñāna(विज्ञान) の意訳「識」との合成語。

 

ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。旧訳では阿羅耶識、阿梨耶識(ありやしき)」。また、蔵識(藏識)、無没識(むもつしき)」とも訳し、頼耶識、頼耶等と略されることもある。

 

はたらき

ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。

 

この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは一切種子識(sarva-bījaka-vijñāna)、過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは異熟識(vipāka-vijñāna)、他の諸識の生ずる基である点からは根本識(mūla-vijñāna)、身心の機官を維持する点からは阿陀那識(ādāna-vijñāna、執持識/執我識。天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。

 

法相宗の説

唯識法相宗は、万有は阿頼耶識より縁起したものであるとしている。それは主として迷いの世界についていうが、悟りの諸法も阿頼耶識によって成立すると説くので、後世、阿頼耶識の本質は、清らかな真識であるか、汚れた妄識であるかという論争が生じた。あるかどうかもわからない。

 

阿頼耶とは、この翻に蔵となす。 唯識述記 2

三種の境

種子(しゅうじ) 一切有漏無漏の現行法を生じる種子。

六根(ろっこん) 眼耳鼻舌身意の六根。俗に言う「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」とは、この眼耳鼻舌身意が清浄になるように唱える言葉。

器界(きかい) 山川草木飲食器具などの一切衆生の依報。

阿頼耶識は、常にこの3種を所縁の境とする。

 

心に積集、集起の2つの義があって、阿頼耶識は諸法の種子を集め、諸法を生起するので、心という。

 

あるいは心と名づく。種々の法によって、種子を薫習し、積集する所なるが故に梵で質多という。これ心と名づくなり。即ち積集の義はこれ心の義。集起の義はこれ心の義なり。能集してもって多くの種子生ずる故に。この識を説いてもって心と為す。

2023/03/23

日本が14年ぶりの世界一(WBC2023決勝)(4)

WBS2023は、決勝で日本がアメリカに勝って世界一を奪還!

 

アメリカチームはMLBのベストメンバーとは言えないかもしれないが、それでもバリバリの一流選手をそろえたスター軍団であることに変わりはなく、日本が勝つのは至難と見るのが妥当だった。

 

が、日本の投手スタッフは、今や誰もが認める「世界一」の陣容であり、アメリカ打線との対決が焦点と見られた。逆に言えば「日本に見劣りするアメリカ投手陣」を「切れ目のない日本の打線」が攻略できるかも見どころだ。

 

先発は、このWBCで一気に名を上げた今永。「世界一を決める」決勝という大きな舞台での先発という重圧を感じさせないような滑り出しで

 

「これは案外行けるか?」

 

と期待し始めた2回1死、早くも特大の一発を浴びる。

 

このように、どこからでもいきなり特大のホームランが飛び出すのがアメリカ打線の怖さで、この調子では誰が投げても何本かはスタンドまで運ばれそうに思えた。

 

が、日本の打線も負けてはいない。リードを許した直後の2回裏、先頭の村上がメジャーリーガーも顔負けの2階席へ運ぶ特大の一発をお見舞いし、あっという間に同点。さらに岡本、源田にヒット、中村が四球で繋ぎ、ヌートバーのボテボテの内野ゴロの間に1点を奪い、アッサリと逆転に成功だ。

 

さらに、4回には岡本の今大会2号が飛び出し「3-1」とするが、まだ序盤だから強打自慢のアメリカとしては、すぐに取り返せるという認識だったに違いない。

 

ところが日本の投手陣の力はアメリカの想像を上回り、戸郷、高橋宏、伊藤、大勢と、次々に繰り出される日本の投手陣を打ちあぐむアメリカ。3回以降は1点も取れず、凡打の山を築きながら8回まで来た。

 

これに象徴されるように、これまで登場して来たどの投手も期待通りかそれ以上の活躍を演じる中にあって、唯一の期待外れはダルビッシュだ。最初からダルビッシュには期待していなかったワタクシは

 

「ダルビッシュは、大事な場面で起用するな!」

 

と再三警鐘を鳴らしてきたものの、ワタクシなんぞの警鐘が届くはずもなく、相変わらずナントカの一つ覚えのように「昔の名前に拘った」愚かな選択をした代償は大きい。この日も「予想通りに」一発を浴びて「3-2」と1点差に詰め寄られた。

 

「だから、止めとけと言ったのに・・・なぜ宇田川じゃないのか?」

 

と地団太を踏んだが、幸いダルビッシュは8回でマウンドを降り、最終回のマウンドに相応しい千両役者の大谷が満を持して登場。

 

報道では「ダルビッシュを優勝投手にすべく、最後のマウンドに上げる」などという、トンデモな噂も出回っていたから、まったく気が気ではなかったが。解説者どもも、やたらとダルビッシュを持ち上げてばかりで

 

「チームを一つにまとめるなど、グラウンド外での貢献度はナンバーワン」

 

などとホザイテいたが、選手は監督やコーチではない。グラウンド内で結果を出してなんぼである。

 

「グラウンド内での結果」という意味では、まさに申し分のないのが大谷で、ダルビッシュと心中は困るが、万一この男と心中なら許せるところだったが、どんな場面であろうとマンガの主人公のようにキッチリ期待通りの結果を出してくれるのが、大谷の真骨頂といえる。

 

試合後のインタビューで「緊張した」と話していたが、観ている限りはまったくそのようなそぶりもなく、いつも通りかそれ以上に堂々としたマウンドさばきで

 

「これは安心して観てられるわい・・・」

 

と、早々に勝利を確信した。

 

日本の優勝はもちろん喜ばしいことだが、アメリカが予想外に弱かった。準決勝のメキシコは先発以外の投手陣のレベルこそイマイチだったものの、打線はアメリカ以上に迫力があったせいか、終始相手ペースに巻き込まれて「よそ行きの野球」を強いられた感が強かった。日本を応援する側からすれば、最後まで何が起こるかわからないスリリングな展開だっただけに、野球の面白さという点での醍醐味を満喫できたのは事実だ。

 

が、この日は終始日本のペースで進行しただけに、(ダル以外は)安心して見ていられた半面、野球の醍醐味という点ではイマイチ消化不良に終わった決勝戦だった。

2023/03/22

日本が逆転サヨナラ勝ち(WBC2023準決勝)(3)

〇日本 6 - 5 ×メキシコ

あまりに劇的な展開のことを「まるでマンガみたい」とか「ドラマみたい」というが、実際にこのような筋書きのマンガやドラマを書いたら

 

「なんて出来過ぎた陳腐なストーリーなんだ!」

 

となってしまうだろうから、今時こんなストーリーを書くシナリオライターはいない。逆に「筋書きのないドラマ」だからこそ、起こりえた展開なのだ。

 

これまで格下相手ばかりだった日本は、準決勝までは余裕の勝ち上がりだっただけに、それなりに戦力が温存できた反面

 

「接戦になった場合が心配」

 

というところが注目された。

 

そして準決勝のこの試合、初めて「WBCらしい」相手を迎えた。

 

プロ野球OBの解説者たちも、口をそろえて

 

「中南米の投手の動くボールには、日本の打者はかなり手こずる」

 

とのご託宣で一致していたが、いざ蓋を開けてみればその通りで、初回の三者三振を皮切りに相手投手に全く手も足も出ず、三振の山を築く。観ていて全く打てそうにないのだが、これでもこのピッチャーはメジャーでは「たかだか6勝9敗」なのである。

 

絶好調の相手投手に伍して、3回まで0で抑えて来た佐々木が4回に3ランを浴びる。相手投手の調子から見れば「重すぎる3点」だ。それでも、さすがは日本打線。一巡目こそ三振の山(5個)を築きながらも、二巡目にはかなり対応力を発揮して来たから「3点なら、後半になんとかなる」と期待が膨らむ。

 

日本にとってはラッキーだったのは、どうにも打てそうになかったこの先発投手が、なぜか球数制限となる遥か前に降板してくれたことだったろう。投手交代の後、5回、6回と続けて満塁まで攻めながらも、肝心の一本が出ない嫌な展開が続く。優勝争いとは無縁なメジャーの弱小チームに所属する大谷が、常々「ヒリヒリするような展開の野球」を望んでいたらしいが、まさにその通りの状況だ。

 

そんな中、7回裏についに日本打線が相手投手を捉えた。二死無走者から近藤がヒット、大谷が四球で続くと、この大会大当たりの4番吉田がライトスタンドへ見事な放物線を描いて遂に「3-3」の同点。この値千金の一発で流れは一気に日本に傾いたかと思われたが、メキシコもしぶとい。直後の8回にエース山本を攻略し、3連打であっという間に2点を奪い「3-5」。8回裏は、代打山川の犠飛で1点を返しなお満塁という絶好のチャンスを迎えるも、頼みの近藤がまさかの見逃し三振に倒れた。

 

迎えた9回裏、先頭大谷がヒットを放つと、ヘルメットを脱ぎ捨てての激走で二塁を奪いチームを鼓舞する。続く四番の吉田が絶好調なだけにサヨナラホームランが期待されたが、ここは冷静に四球を選び一、二塁。ここで登場したのが「絶不調」の村上だ。

 

予選リーグを通じて、ここまで打率はまさかの1割台。この日も4打数無安打3三振のテイタラクで、素人目にも全く打てそうな雰囲気がないから

 

「ここは代打か、もしくはバントだろう」

 

と叫んだのはワタクシだけではなかったろう。が、この土壇場で、ようやく三冠王のバットが火を噴いた。

 

「手に汗握るようなジリジリする展開」とはまさしくこのことだが、この劇的勝利で日本は決勝進出。いよいよアメリカとの最終決戦を迎える。

 

準決勝

〇アメリカ14 ― 2キューバ

2023/03/20

準々決勝(WBC2023)(2)

〇日本 9 - 3 ×イタリア

プールBを1位で通過した日本の相手はプールA2位のチームだ。プールAの顔ぶれから、戦前の予想では決勝ラウンドに勝ち上がってくるのはキューバと台湾と決めつけていただけに、このどちらかが相手と思っていたが、案に相違して台湾がリーグ戦で敗退。代わって2位で勝ち上がってきたのが「伏兵」イタリアだ。

 

これまで「イタリアの野球」というのは聞いたことが無かったから、これは日本にとってラッキーかと思われたが、最近はアメリカ大陸に限らず、ヨーロッパなどの国にもバリバリのメジャーリーガーが潜んでいるから侮れない。このイタリア代表も、大部分はマイナー所属の選手とは言え、それでもちらほらとメジャーリーガーが混ざっていたらしい。事実、リーグ初戦ではキューバに勝っているから、舐めてはいけない。

 

日本は大谷が先発。初回から雄叫びを上げる気合満点の投球で、日本代表を奮い立たせる。1回裏、先頭のヌートバーがヒットで出塁すると、近藤は四球を選び無死一、二塁のチャンスを迎えたが、大谷、吉田、村上のクリーンアップが抑えられ無得点。この辺りは、やはり

 

「一次リーグの相手とは、チト違うか」

 

と思われたが、3回は大谷が意表を突いたセーフティバントで出塁。あのデカい体で足も速いのにも驚かされるが、まったく「二刀流」どころか「万能人」と言った方が相応しい。

 

投打に渡る大谷のアグレッシブな姿勢が日本代表に火を点けたか、ここから打線が爆発。これまで当たっていなかった岡本に豪快な3ランが飛び出し、一挙4点だ。

 

初回から飛ばし過ぎたせいか、さすがに疲れが見えて来た大谷が2点を失い「4-2」となったが、その裏すぐに村上、岡本に連続タイムリー二塁が生まれ「7-2」と突き放す。予選リーグでは全く打てなかった村上だが、他の選手が打っていたため不振の影響はほぼなかったが、こうして村上が目覚めれば日本打線の迫力は段違いとなる。

 

その後は、パっとしないダルビッシュをあえて投入する不可解な采配で、案の定余計な一発を喰らう場面はあったものの、大量点に守られての快勝。これで「5大会連続の準決勝進出」を決めた。

 

n  その他の結果

 〇キューバ 4 ― 3 × オーストラリア

 〇メキシコ 5 ― 4 × プエルトリコ

 〇アメリカ 9 ― 7 × ベネズエラ

上記の通り「日本 ― イタリア」以外はいずれも接戦となった。

 

日本のプールBは「1強4弱」だったが、プールDはベネズエラ、プエルトリコ、ドミニカ共和国と強豪が犇めく「死のグループ」で、優勝候補と言われたドミニカ共和国は予選で敗退。

2023/03/14

日本、完璧な4連勝(WBC2023リーグ戦)(1)

WBC(ワールドベースボールクラシック)が開幕した。

前回は2017年、本来は4年に一度の大会だが、コロナの影響などもあり、一時は大会の存続自体も怪しくなっていたが、コロナ禍を乗り越えようやく6年ぶりの開催となった。

 

日本はこの大会では第1回、第2回大会で連覇を達成。第3回、第4回大会は3位と、過去4回の大会ですべて準決勝に進出し、唯一2回の優勝を誇る「世界一の実績」を残してきた。

 

      第1回(2006年):優勝(王監督)

      第2回(2009年):優勝(原監督)

      第3回(2013年):3位(山本浩二監督)

      第4回(2013年):3位(小久保監督)

       

この間、多くの「日本人メジャーリーガー」も誕生し、選手個々の力の底上げは過去の大会とは比較にならぬほど格段に上がっている。さらには、100年を超えるMLBの歴史上でも唯一無二といえる「二刀流」で一昨年はMVPまで獲得したスーパースター大谷も参加し、まさに「史上最強チーム」の呼び声も高い陣容で臨む。

 

過去4回の大会から日本代表が「世界一の実績」であることに疑いはないものの、ここ2大会は準決勝敗退が続いただけに、3大会(13年)ぶりの優勝こそ日本の悲願なのである。

 

n  第1戦

〇日本 8 - 1 ×中国

初戦の相手は中国。色々なスポーツに力を入れ、幼いころから英才教育を行っているので有名な国だが、なぜか野球に関してはいまだ「三流国」のまま。緊張する緒戦の相手として、肩慣らしにはちょうど手頃な格下チームといえる。

 

順当なら日本のコールド勝ちが予想されるところだが、序盤は相手の先発投手に以外に手こずった。それでも4回にヌートバー、近藤の連打でチャンスを作ると、「千両役者」大谷が期待通りのタイムリー二塁打。6回に1点を返されたところまでは「3-1」と思わぬ苦戦を強いられたものの、ようやく終盤に打線が爆発。終わってみれば「8-1」の快勝だ(相手を考えれば当たり前だが)

 

注目の大谷は投げては4回を無失点に抑え、打っては先制タイムリー二塁打と、まさに「二刀流」の面目躍如たる八面六臂の活躍で幸先良いスタートを切った。

 

n  第2戦

〇日本 13 4 ×韓国

一次ラウンドの山場と目された一戦。

先発ダルビッシュの立ち上がりはまずまずといえたが、それ以上に韓国の先発投手の立ち上がりが抜群で、さしもの日本打線が手も足も出ない状況。このまま投手戦が続くかと思われたが矢先、ダルビッシュが脆くも崩れる。下位打者に先制2ランを浴びると、その後も連打を喰らって3失点。調整不足かはたまた力の衰えか、あっという間に攻略されてしまった。

 

そもそも世評の高いダルビッシュに対しては、ワタクシは以前から一貫して言っているように過大評価だと思っている。実際、これまで国際大会などでの目覚ましい活躍などは見た記憶がないし、むしろ期待外れに終わっている印象が強い。正直言って大事な一戦では使うべきではないというのが持論だが、なぜかダルビッシュに拘るのが歴代日本のアホ監督なのである。

 

まあ、そんな愚痴はさておき、2回まではまことに完璧なピッチングを見せていた韓国投手だけに

 

「3点は重いな・・・」

 

という重い雰囲気になりそうなところだったが、まったく思わぬ展開が待っていた。2回まで快刀乱麻のピッチングを披露していた韓国投手が突如、別人のように乱れ始めたのだ。

 

3回先頭の8番源田が粘って四球を選ぶと、9番中村もしぶとく四球で続く。下位打者2人に続けて四球という、思いもよらぬ拾い物のチャンスを攻守に好調のヌートバーが逃さず見事なタイムリー打。二番近藤もタイムリー二塁打で続き1点差。

 

ここで早くもピッチャー交代すると、期待の大谷は敬遠され満塁。不振の村上の凡退後、5番吉田から逆転タイムリーが生まれ、あっという間に逆転に成功した。

 

この後、防戦一方となった韓国は、なんとやけくそで10人ものピッチャーをつぎ込んできたが、もはや日本の勢いは止められず「13-4」と、なんとかコールドを免れるのがやっとというワンサイドゲームとなった。

 

n  3

〇日本 10 2 ×チェコ

期待の若手・佐々木朗が登板。調子はイマイチだったものの、好調な打線は序盤から得点を重ね、4回で大量7点を奪い余裕の勝利。国内にプロ野球がなく、本職と兼務で野球をしているというチェコの選手たちは、満員の東京ドームを見て

「こんな大観衆の中でプレーをするのは初めて」

と言っていたらしい。

 

n  一次ラウンド第4

〇日本 7 1 ×オーストラリア

オーストラリアといえば、かつて阪神で「JFKトリオ」の一角として鳴らしたJ.ウィリアムスを擁していたころ、アテネオリンピックで手も足も出ずにやられた苦い記憶がいまだに鮮明だが、もちろん今大会にはウィリアムスはもういない。

 

初回、いきなり先頭のヌートバーが四球で出塁し、近藤がヒットで続くと、大谷が右中間に豪快なスリーランを叩き込んだ。

 

2回にも2点を加え「5-0」と早くも勝負を決める。先発山本は余裕のピッチング。アテネオリンピックで屈辱の2連敗を喫した相手だが、あの時のへっぽこ日本代表とは戦力が違う。

2023/03/10

ゲルマンの神々(3)

出典http://ozawa-katsuhiko.work/


「アースの女神たち」

 彼らに次いで「女神」が紹介されていきますが、ここは「12神」とはされていません。彼女たちは全員が物語の中で活躍するわけではありませんが、ゲルマン人が大事とした「職分」のあり方が見えてきますので、以下に列挙していきます。ただ「ヴァンル神族」に属する神で、今は「アース神族」にいるフレイの妹「フレイア」は非常に大事なので、最初に特別扱いで紹介します。

 

「フレイ」

 「エッダ」では六番目に挙げられる「フレイ」ですが、彼女は「主神オーディンの妻であるフリッグに並ぶ、最も優れた女神である」と言われてきます。彼女は「ヴァンル神族」の人質として「アース神族」の中にきたニョルズの娘ですから、普通に考えれば「人質の娘」ということで、地位など最も低いくらいに位置づけられそうなのですが、そうではなく「最高女神フリッグに並ぶ」とされているのは「ヴァンル神族」の重要性を物語っていると考えられます。これは、すでに兄の「フレイ」も同様であり、彼はもっとも高名な神であるとされていましたし、実際重要神として活躍しています。

 

 この事情は、おそらく歴史的な事実として「オーディン」を最高神とする部族が移動して来て「原住民」と出会い、争いの中で和解して融合し、オーディンを神とするゲルマン人が優位ではあるものの原住民も十分なる社会的地位と待遇を受けることになり、その事情が原住民の主要神がオーディンの神体系の中に入れられていったと考えられます。その原住民の主要神が「ニョルズ、フレイ、女神フレイア」だったのだと考えられるわけです。ですから男神の場合は、支配者のシンボルそのものですからオーディンと並ばないまでも主要な神としての地位を得、女神の場合は「並ぶ」とまで形容できるような位置にあったと考えられるわけでした。

 

 その「フレイア」は、戦において生じた戦死者の半分を選び取り、後の半分をオーディンに渡すとされていますから、その権威は大変なものです。ちなみに戦死者はやがて来たるべき世の終末に備えて、この「アース・ガルド」で客分として歓待されつつ武芸に励んでいるのでした。また彼女は貴婦人のシンボルであり、恋愛問題での祈願は彼女にするべきとされています。

 

 こんな事情で、またさらに名前も似ていることから彼女は「フリッグ」と混同されるようになったようでした。しかし少なくとも「エッダ」では、はっきり区別されています。

 

フリッグ

 「エッダ」に戻って、まず最も重要な女神とされるのが、オーディンの妻である「フリッグ」となります。彼女の重要性は「Frigの日」、つまり「Friday(金曜)」に名前が残っていることにも現れています。彼女は予言こそしないけれど、人間の運命をすべて知っているとされます。フェンサリルという、たとえようもない豪華な館に住んでいると紹介されています。

 

ついで「サーガ」といわれますが、彼女については「大きな館」くらいしか言われていません。

 

次に「エイル」とされ、彼女は「医者」だとされます。

 

次が「ゲヴィウン」で彼女は「処女神」であり、嫁入り前に死んだ者が彼女に仕えているとされています。

 

次に「フッラ」で彼女も処女神であり、「女神フリッグ」の世話をし、その秘密にあずかっていると言われます。

 

ここに「フレイア」が挙げられているのですが、彼女は女神の中では最初に紹介しておきました。

 

「シェヴン」という女神は「恋愛」を司るとされます。それ故「恋愛はシアヴニ」と言われるとされます。

 

「ロヴン」という女神ですが、彼女は人間の祈願に対して親切であり、禁じられた愛であっても結びつける「許可」を持っており、それゆえ「許可」というのは「ロヴ」といい彼女にちなんで言われるとされます。

 

「ヴァール」は男女間の誓いを司り、その誓いを破る者に復讐するとされます。それゆえ「取り決めをヴァールと言う」と言われます。

 

以上の三人はいずれも「男女の仲」に関係する神であり、どうもゲルマン人はこの「男女間」のあり方に並々ならぬ関心を持っていたと思われます。

 

「ヴェル」は探求・詮索を好み「聡明」な女神であると言われます。それ故、女性が何か知ったとき「ヴェルになる」という言い回しがあるのだといわれます。

 

「スュン」は館の扉の番をしており、入ってはならぬ者を拒否し、異議を唱える性格を持つとされ、それゆえ人が何か「否認」するときには「スュンがおかれる」と表現されるとされます。

 

「フリーン」はフリッグが守護しようとする者の後見役であり、そのため「身を守ることをフレイニルという」とされます。

 

「スノトラ」は聡明で立ち居振る舞いが上品であり、そのため節度のある人々を「スノトル」と言う、と言われます。

 

「グノー」は「フリッグの使者」として天地を駆けめぐる女神で、そのため高く駆ける者を「グネーヴァル」と呼ぶのだ、と言われます。

 

 以上の8人の女神は「語源の説明」であったことも了解されると思います。ギリシャでも神々の名前が、そのまま太陽や月や虹や曙などの自然事物や現象、また人間の内面、愛とか憎しみとか平和とか勝利とかを表していたわけで、これはむしろそうした事象を神格化したことに由来しているわけです。これは実は「男神」のところでもあって、「ブラギ」という神は雄弁であるとされていましたが、それ故「男であれ女であれ、雄弁な者は男のブラグ、女のブラグと呼ばれる」などと言われていました。

 

 女神については、その他に「ソール(太陽)」という女神、「ビル(月の神マーニのつきそい)」もいる、と「エッダ」は言ってきますが、それより「男神」の紹介のところで言及された「妻」たちの中でも重要なのが抜かされているのが解せません。

 

たとえば「ブラギの妻イズン」ですが、彼女は神々が年取った時に食べなくてはならぬ「リンゴ」を持っていて、それを食べることによって神々は世の終末まで若くしていられるのだ、と語られています。「不老を司る女神」というわけですから、もっとしっかり紹介されてもいいと思うのですがこんな程度でした。

 

敵役

 神々の敵役となる者たちもたくさんおりますが、その中で神々の物語を追うために必ず覚えておかなければならない名前は、次の二人となります。

 

スルト

 まず「灼熱の国のスルト」ですが、彼は世の終末においてこの世界を焼き尽くすとされていて、これは世界の創世の初めからそう運命づけられていたようです。実際この世界が生じてきたのも、この「灼熱」の作用だったわけですから「終わり」もこの灼熱の作用によるというのも筋は通っているわけでした。ですから敵役というより世界の必然のようなものですが、しかし彼が「攻め寄せてきて」世界は燃え尽くすとされています。これに立ち向かった神が「ヴァンル神族」出身で、今は「アース神族」にいる有力神「フレイ」であったわけでした。

 

ロキ

 「ロキ」は先に少し紹介しておきましたが、もともと「アース神族」に先行する巨人神の末裔で「アース神族」に敵対する「巨人神」に属していた神とされ、いきさつはよくわからないのですが今は「アース神族」に属し、気まぐれでひねくれ者であり、神々を助けたり、ひどい中傷をしたり、神を騙して仲間の神を殺させたりといったトラブル・メーカーです。ついに神々の怒りを買って幽閉されてしまいますが、世界の終わりにはここを抜けだし、神々の敵の一軍を率いて攻め寄せてくる「最大の敵」となっていきます。

 

彼に立ち向かったのが、この日に備えてこれまで世界を見張っていた有力神「ヘイムダル」で、二人は相討ちとなりました。彼については、別に一章を割いて紹介します。

2023/03/06

ユスチニアヌス帝

ユスティニアヌス1世(ラテン語: Justinianus I, 482年もしくは483511 - 5651114日)は、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝(在位:527 - 565年)。正式名は、フラウィウス・ペトルス・サッバティウス・ユスティニアヌス(Flavius Petrus Sabbatius Iustinianus)。

 

概要

後世「大帝」とも呼ばれたように、古代末期における最も重要な人物の一人である。その治世は東ローマ帝国史における画期的な時代をなし、当時の帝国の版図を押し広げた。これは、野心的だが最終的には失敗した「帝国の再建」(renovatio imperii)に特徴づけられる。この野望はローマを含む西ローマ帝国の領土を部分的に回復したことに表される。しかしその栄光の時代も、543年の黒死病(ユスティニアヌスのペス)が終わりの印となった。帝国は領土的縮小の時代に入り、9世紀まで回復することはなかった。

 

ユスティニアヌスの遺産の重要な側面は、ローマ法を統合して書き直した『ローマ法大全』(Corpus Iuris Civilis)であり、これは多くの現代国家の大陸法の基礎であり続けている。彼の治世は、また初期ビザンティン文化の興隆にも印され、彼の建築事業はハギア・ソフィア大聖堂のような傑作を生みだし、これは800年以上にわたって東方正教会の中心となった。

 

東方正教会では聖者と見なされており、ルーテル教会の一部からも祝福されている。反対に同時代のプロコピオスは、ユスティニアヌスを「残忍で強欲そして無能な統治者」として見ていた。

 

ユスティニアヌス1世の治世に関する主な史料は、歴史家プロコピオスが提供している。散逸したシリア語によるエフェソスのヨハネスの年代記は後代の年代記の史料となり、多くの付加的な詳細を知ることに貢献している。この2人の歴史家は、ユスティニアヌスと皇后テオドラに対して非常に辛辣である。また、プロコピオスは『秘史』(Anekdota)を著しており、ここではユスティニアヌスの宮廷における様々なスキャンダルが述べられている。

出典Wikipedia

 

ユスチニアヌス帝

https://www.vivonet.co.jp/rekisi/index.html#xad15_inca

 6世紀にユスチニアヌスが即位すると増税に対する不満からニカの乱が起き、反乱軍は聖ソフィア教会を焼き払い宮殿に迫ってきた(532)。皇帝は逃亡を決意、港には脱出用の船が用意された。それを見て踊り子上がりの皇妃テオドラは叫んだ。「今は逃げる時ではありません。帝衣は最高の死装束です」。我に返った皇帝は、軍隊に鎮圧を命じ3万人の市民を虐殺した。

 

 国内の危機を乗り切ったユスチニアヌスは、かってのローマ帝国の栄光を復活させようと、ゲルマン人が支配する旧ローマ帝国領に進出した。まず、533年に北アフリカのヴァンダル王国を滅ぼしてカルタゴを奪還、535年にはイタリアの東ゴート王国をシチリアから攻め、20年かかって滅ぼした。こうしてイタリアは再びローマ帝国領となった。また、イベリアを支配していた西ゴート王国を攻め、半島東南部に拠点を築いた。

 

 ユスチニアヌスは、歴代皇帝の勅令集を集大成したローマ法大全を編纂した。これはヨーロッパ法律学の礎石となった。また、建築事業にも熱心で、聖ソフィア大聖堂を再建した。

 

混迷する帝国

ユスチニアヌス帝の没後、帝国は外敵の攻撃に悩まされた。613年、ヘラクレイオス帝は、シリアでササン朝ペルシアに敗れ、エジプトを失いエルサレムも占領された。エルサレムにあった聖十字架(キリストが磔になった十字架)が持ち去られた。

 

 また北イタリアでは、ランゴバルド族が侵入した。ポー川流域は、ロンゴバルド人の土地と言う意味で、ロンバルディアと呼ばれるようになった。更にイスラム勢力の侵攻が始まり、636年のヤルムーク河畔の戦いで惨敗し、シリア、パレスチナ、エジプトを失った。655年には小アジア南岸のリュキア沖の海戦でイスラム艦隊に敗れ、地中海の制海権を失った。697年にはアフリカの最後の拠点カルタゴが占領され、首都コンスタンチノープルは、しばしばイスラム海軍に包囲されるようになった。

 

キリスト教会分裂

 バルカン半島では、遊牧民ブルガール人がブルガリアを建国した(681年)。ブルガリアはシメオン1世の時が最盛期で、ペロポネソス半島北部にまで領土を広げた(800年頃)。ブルガリアの脅威にビザンツ帝国は反撃し、1014年のクレディオン峠の戦いで勝利した。この戦いでブルガリア兵14,000人が捕虜になり、彼らは両目を潰されて送り返された。ブルガリア皇帝サミュエル(Samuel)は、ぞろぞろやってくる部下の姿を見て卒倒し死亡した。ブルガリア王国は滅亡した。

 

 この頃、ローマ教皇レオ3世はフランク王カール大帝を西ローマ皇帝として戴冠した。これにより、キリスト教会は東西に分裂した。ローマ皇帝を自認するビザンツ皇帝は、カール大帝がフランク人の皇帝と名乗ることは認めたが、西ローマ皇帝とは認めなかった。