2019/12/30

イエス・キリスト(4) ~ イエスの生涯



 さて、イエスその人のことですが、母がマリア、これはみんな知っているね。聖母マリアといわれる。父親は知っているかな。ヨセフです。この人は大工さん。父ヨセフ、母マリア、ですめば簡単なんですが、これが意外とややこしい。後にキリスト教の教義が確立する中で、マリアは処女のままで身ごもって、イエスが生まれたということになります。現実にはそんなことはあり得ないので、一体この話は何を意味しているのかと言うことになる。

 どうも、こういうことらしい。マリアとヨセフは婚約者同士でした。ところが婚約中に、マリアのお腹がどんどん大きくなるんだね。誰かと何かがあったんでしょう。どんな事情があったかはわかりませんよ。

ヨセフとしては、身に覚えがない。不埒な女だ、と婚約破棄をしても誰にも非難されません。婚約破棄するのが普通だろうね。聖書を読むと、やはりヨセフは悩んだらしい。しかし、結局そんなマリアを受け入れて結婚したんだね。そして、生まれたのがイエスです。

マリアとヨセフはその後、何人も子供をつくっています。イエスには、弟妹何人かいたようです。

で、イエスの出生の事情というのは、村のみんなが知っていたようです。後にイエスが布教活動をはじめて、自分の故郷の近くでも説法をします。その時、同郷の者達が来ていてイエスを野次る。その野次の言葉が「あれは、マリアの子イエスじゃないか!」と言うんだね。

誰々の子誰々というのが当時、人を呼ぶときの一般的な言い方なのですが、普通は父親の名に続けて本人の名を呼ぶ。だから、イエスなら「ヨセフの子イエス」と呼ぶべきなんです。「マリアの子イエス」ということは「お前の母ちゃんはマリアだが、親父は誰かわからんじゃないか」「不義の子」と言う意味なんです。だから、かれの出生は秘密でもなんでもなかった。イエス自身も、そのことを知っていたでしょう。

イエス自身が、戒律からはみだした生まれ方をしていたんだ。「不義の子」イエスは、だからこそのちに、最も貧しく虐げられ絶望の中で生きていかざるを得ない人々の側に立って、救いを説くことになったのだと思います。

「聖母マリアの処女懐胎」という言葉には、そんな背景が隠されているのです。

 イエスの若い時代のことはわかりません。多分、ヨセフと一緒に大工をしていたんでしょう。30歳を超えたあたりから突如、布教活動を開始します。

注意して欲しいですが、イエスはあくまでもユダヤ教徒ですよ。新しい宗教を創ろうと考えていたわけではありません。律法主義に偏っているユダヤ教を改革しようと考えていたのだと思います。

先ほど触れたことの繰り返しになりますが、イエスの教えの特徴をもう一度、見ておきましょう。

まず、ユダヤ教の戒律を無視します。最も基本的な戒律の安息日も、平気で無視する。こんな言葉が残っています。
安息日が人間のためにあるのであって、人間が安息日のためにあるのではない

 次に、階級、貧富の差を超えた「神の愛」を説いたと言われます。身分が卑しくても、貧乏でも、戒律を守れなくても、神は愛し救ってくれるというんだね。
有名なイエスの言葉で、

「金持ちが天国にはいるのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」

というのがある。ぶっちゃけて言えば、金持ちは救われない、と言っている。じゃあ、誰が救われるか、それは君たち貧乏人だよ。イエスは、そういっているんでしょう。

ユダヤ教のヤハウェの神は、厳しい怒りの神です。アダムとイヴが知恵の実を食べたら、怒って楽園追放でしょ、ノア以外の人類は洪水で皆殺し、バベルの塔も破壊して人類を四方に飛ばして言葉を乱した。怒って罰を与える怖い神です。

この神の解釈をイエスは変えてしまった。怒りの神から愛の神へ変える。神がわれわれを愛してくれているように、われわれも敵味方の分け隔てを止めるように説きます。

右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」という。汝の敵を愛せということですね。この言葉は、すごく衝撃的な響きだったと思うよ。

この地域の伝統は何かというと、ハンムラビ法典以来、「目には目を、歯には歯を」でしょ。だから、右の頬を殴られたら殴り返すのが常識。ところが、イエスは左も殴らせてやれ、という。常識をひっくり返す。人間は、それまで疑ったこともなかった常識をバッとひっくり返されたときに、そのものに強く惹かれるということがあります。イエスは、まさにそれをやり続けた。

 それから、イエスは説法で「時は満ちた、神の国は近づいた」という。この「神の国」は「イスラエル」と発音したらしい。イエスの話を聞いた人々の中には「イスラエル」という言葉から、過去に栄えたユダヤ人の国家イスラエル王国を連想する人々もいたんだ。その人たちは、イエスは宗教家の姿を借りてローマからの独立、ユダヤ人国家の復活を計画しているのだ、と期待しました。宗教的な救いと政治的な救い、周囲の人たちはイエスに色々な期待を持つようになります。

 イエスの活動で避けて通れないのが奇跡です。言葉による布教と同時に、イエスは行く先々で奇跡を起こします。具体的には病癒しが多い。どんどん病気を治していくんだ。聖書には、イエスがどこかの町に現れると、人々が病人をどんどん連れてきてごった返すありさまが書かれています。

2019/12/29

アリストテレス(5) ~ 最高善

最高善(希: τ ριστον、羅: summum bonum、英: supreme good, highest good)とは、アリストテレスを嚆矢とする、ギリシア哲学の倫理哲学における究極目的としての最高の「」のこと。

アリストテレスは、ソクラテスが漠然と「徳」(アレテー)と表現し、師であるプラトンがイデア論を背景として「善のイデア」と表現した、(人間・万物の)究極目的を、「最高善」(ト・アリストン)と表現した。

その内容は、『ニコマコス倫理学』の冒頭で明確に述べられている。

人間の諸々の活動は常に何らかの「善」(アガトン)を希求し、目的としている。そうした諸々の活動・希求・目的の連鎖・包含関係の最上位に来るのが「最高善」(ト・アリストン)である。また、個人的な「最高善」よりも、集団的な、国(ポリス)の「最高善」に到達し保全する方が、より大きく、より究極的であるという。そして、そんな国(ポリス)における諸々の活動を決定・方向付ける、包括的な活動こそが「政治」(ヘー・ポリティケー)であり、そうであるがゆえに、この「政治」的活動は、「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)を目的とし、それを体現するものでなくてはならない。

(ただし、アリストテレスは、ソクラテス・プラトン等の議論がそうであったように、政治・社会実践に関わる「善」という概念が、多面的で多くの差異・揺曳(ようえい)を孕んだものであり、数学や論証のごとく、一義的に定めるのが困難なものであること、そうした対象・問題の性質ゆえに(弁証法的に)「おおよそ」の帰結で以て満足しなければならないものであることも、あらかじめ断っている。)

アリストテレスは、「最高善」とは自足的・充足的なものであり、「幸福」(エウダイモニア)であることを端的に述べる。そして更にそれを、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」と言い換える。こうして様々な卓越性(アレテー)の内容を参照・検討していくのが、『ニコマコス倫理学』本編の内容である。

様々な卓越性(アレテー)の参照を終え、アリストテレスは知性(ヌース)による「観照的(テオーレーテイケー)な活動」こそが、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」であり、最も自足的な「幸福」であると結論付けるが、それは人間の水準を超えた「神的な生活」(不動の動者のごときもの)であるとして、人間に属するものとしては斥ける。続いて、あくまで人間の性質に基づく第二義的な卓越性(アレテー)として、
知慮(プロネーシス)
倫理的性状(エートス)
情念(パトス)
の相互条件付けから成る、複合的・合成的な卓越性(アレテー)を挙げ、これこそが人間がその活動において即して目的とし、実践・体現する「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)であることが、述べられる。

こうして「最高善」の概念とその実践は、続く著作『政治学』にも引き継がれ、その冒頭で、「人類の最高の共同体である国家の目的は最高善」である旨が、再度言及・確認される。
出典 Wikipedia

2019/12/28

ヘーラクレース その他の冒険(ギリシャ神話70)

十二の功業の他にも、ヘーラクレースは壮大な冒険を繰り広げた。

アンタイオスとの対決
リビアに住んでいたアンタイオスは、ポセイドーンとガイアの息子であり、大地に触れている間は無敵の力を得ることができた。彼は通りかかる旅人に戦いを挑んでは殺し、その髑髏や持っていた宝物を父ポセイドーンの神殿に飾っていた。彼は、通りかかったヘーラクレースにも戦いを挑んだ。

ヘーラクレースは何度もアンタイオスを打ち倒すが、その度に復活し、力が無限に増すアンタイオスに苦戦を強いられた。最終的に、ヘーラクレースは大地に触れていなければ無限の力が得られないという彼の弱点に気付き、ヘーラクレースはアンタイオスを持ち上げ、そのまま彼を絞め殺した。

死の神との対決
ペライの王であるアドメートスに死期が迫った時、その妻のアルケースティスは、死に瀕した夫のために命を投げ出した。アドメートスが死ぬ時、家族の誰かが身代わりになって命を落とせば、彼は死なずに済むという約束を運命の女神モイライと交わしていたからである。この時、ヘーラクレースが通りかかり、事の次第を聞いて、正義感からアルケースティスを死なせてはならないとして、彼女の霊魂を追った。

アルケースティスは、死の神タナトスによって冥界に送られるところだったが、ヘーラクレースはその腕力で死の神を打ち倒し、彼女の魂を奪い取った。ヘーラクレースのおかげでアルケースティスは生き返り、運命の女神との約束によって、アドメートスも生き長らえることができた。
また、アルケースティスの霊魂を追って冥界にまで行き、ハーデースと格闘して奪い取ったとする説もある。

河の神との対決
ヘーラクレースが、カリュドーン王オイネウスの娘デーイアネイラに求婚していた時、河の神アケローオスもデーイアネイラに求婚をしていた。両者はデーイアネイラを巡って激しい戦いを繰り広げた。アケローオスは濁流を打ち付け、様々な姿に変身してヘーラクレースを翻弄したが、雄牛の姿になったとき、片方の角をヘーラクレースに折られてしまった。アケローオスは、その腕力に降参し、その後はアケロースの川底で傷口を癒した。

河の神に勝利したヘーラクレースは、デーイアネイラと結婚することになり、彼女との間に子供をもうけた。河の神アケローオスは大人しくなったが、毎年春になると傷跡から、この戦いでの敗北を思い出し、怒りのあまり洪水を引き起こすという。

アポローンとの対決
ヘーラクレースは狂気によって親友イピトスを殺してしまい、そのせいで病に取り憑かれていた。治癒のためにデルポイを訪れるが、巫女は彼に会ってすらくれなかった。これに腹を立てたヘーラクレースは、デルポイの宝でもあり、神託に必要不可欠な道具でもある三脚の鼎を奪おうとした。デルポイの守護神であるアポローンは、これに立腹して自ら姿を現し、ヘーラクレースと闘った。

これを見たゼウスは、双方の間に落雷を投じて引き分けにさせた。その時、アポローンは「お前の病は、殺人の償いとして、丸三年の間(一説には一年間)奴隷として仕えれば回復するであろう」と予言した。これを受けてヘーラクレースは、ヘルメースに連れられてリューディアの女主人オムパレーの元へと赴き、病回復のために奴隷として彼女に仕えることとなった。

エジプト攻略
エジプトでは、ブーシーリス王のもと豊作を願って異邦人を捕まえては、生け贄に捧げるという風習が行われていた。近くを旅していたヘーラクレースはエジプト人に捕まり、生け贄の祭壇に連れて来られた。そこでヘーラクレースは彼らの思惑を知り、その怪力で大暴れした。エジプト軍は彼によって尽く殺戮され、エジプトは壊滅状態になってしまった。

トロイア攻略
ヘーラクレースがトロイアを訪れた時、トロイア王ラーオメドーンは高潮と共に現れる強大な海の怪物に悩まされていた。この怪物は、奴隷に扮したポセイドーンがトロイアの城壁を築いた折、ラーオメドーンが約束の報酬を支払わなかったため、ポセイドーンが罰としてトロイアに送り込んだ怪物であった。この怪物を鎮めるために、ラーオメドーンの娘であるヘーシオネーが岩に縛り付けられ、生け贄に捧げられるところであった。

ヘーラクレースは、ガニュメーデースの代償にゼウスがトロイアに送った神馬が欲しいと思っていたので、この神馬と引き換えに海の怪物を討伐することを約束した。ヘーラクレースは巨大な怪物の腹の中に入り込み、三日も胃袋に居座って暴れ続けた。内臓を滅茶苦茶にされた怪物は死んだが、胃酸によってヘーラクレースの毛髪が溶け、禿げてしまった。ヘーラクレースは報酬の神馬を貰いに行ったが、ラーオメドーンは約束を反故にして拒絶した。当時はまだ十二の功業の最中であり、時間があまり残されていなかったため、ヘーラクレースは必ず復讐すると言い残してトロイアを去った。

時が経ち、ヘーラクレースは仲間たちと共にトロイアへと攻め入った。ラーオメドーンは大軍勢でそれに応えたが、ヘーラクレースの怪力には敵わなかった。ヘーラクレース軍は城壁を包囲し、それを乗り越えてトロイアを攻略した。ラーオメドーンは射殺され、ヘーラクレースの復讐は遂げられた。

古代オリンピックの創始
十二の功業中に、エーリス王アウゲイアースに報酬を踏み倒されたことの復讐として、後にヘーラクレースはエーリスに攻め入った。エーリス軍には、モリオネという双子(一説には結合双生児)の英雄がおり、彼らはポセイドーンの息子でカリュドーンの猪狩りに参加するほど武勇に優れ、怪力も有していた。双子であるが故に二対一の戦いとなり、剛勇無双のヘーラクレースといえども苦戦を強いられた。攻防戦の最中にヘーラクレースは病にかかり、休戦協定を結んだが、モリオネはそれを破って攻撃を止めず、ヘーラクレースは撤退せざるを得なくなった。

その後、ヘーラクレースはモリオネがイストミア大祭に参加するという報せを聞き、その道中に待ち伏せしてモリオネを毒矢で射殺した。ヘーラクレースは強力な英雄を失ったエーリスを攻略し、この勝利を記念してオリュンピアにゼウス神殿を建て、その地で競技会を行った。以後、この競技会は4年に1度開催されるようになり、やがて古代オリンピックになった。

後世の古代オリンピックでは、ヘーラクレースの末裔と信じられたテオゲネスが華々しい結果を残した。テオゲネスは記録に残っているだけでもボクシングなどの種目で1300戦全勝し、古代オリンピックだけではなくあらゆる競技会で優勝を繰り返し、生涯無敗であった。ちなみに、この人物は神話上の存在ではなく、実在した人物である。
出典 Wikipedia