・2004年・・・都内(六義園、新宿御苑)
・2005年・・・都内(深大寺、神代植物公園)
・2006年・・・箱根(2泊)、修善寺、鎌倉、都内(高尾山、殿ヶ谷戸庭園、神代植物公園)
概要
題は「メシア」(救世主)の英語読みに由来。聖書から歌詞を取り(ただし、文脈に合わせて人称代名詞を変更している)、イエス・キリストの生涯を題材とした独唱曲・重唱曲・合唱曲で構成されている。
ただし、聖書でイエスの生涯を直接描いている福音書から採用されているテキストは少なく、むしろイザヤ書などの預言書に描かれている救世主についての預言を通して、間接的に救世主たるイエスを浮き彫りにする手法が採られている。
歌詞は欽定訳聖書と『英国国教会祈祷書』(The Book of Common
Prayer, 1662)の詩編から採られており、全て英語である。管弦楽の伴奏で合唱・独唱が繰り返される形式を主とし、管弦楽のみのシンフォニアや、通奏低音のみの伴奏によるレチタティーヴォも含む。
現在ではヘンデルのオラトリオの代表作とされるが、『メサイア』はヘンデルの他の作品とはかなり異なっている。この作品はヘンデルの唯一の宗教的オラトリオであり、また(旧約聖書の題材では無いという意味での)キリスト教に関するオラトリオとしては、この作品のほかに初期キリスト教殉教者を主題にした1750年の『テオドーラ』があるだけである。音楽の上では(『エジプトのイスラエル人』を例外として)もっとも合唱の割合が高い。
チャールズ・ジェネンズが受難週の演奏会のために台本を書いた。
その後、アイルランドで慈善事業としてのオラトリオ演奏会の計画が立てられ、ヘンデルが招聘された。ヘンデルはこの演奏会のために、ジェネンズの台本によるオラトリオを作曲した。速筆のヘンデルは、この大曲の楽譜を1741年8月22日から9月14日までのわずか24日間で書き上げている。さらに翌月には、ヘンデル最大のオラトリオとなる『サムソン』を書いている。
≪アルペジョーネという楽器が姿を消した現在にあって、この作品はチェロで演奏されるのが一般的となっている。アルペジョーネを復刻し「正しい」姿に戻そうという、ピリオド楽器の連中も殆どいないようなので、その事に異を唱える人は皆無のようです。
しかしチェロ弾きの人に聞くと、この作品をチェロで演奏するのは、かなりの困難を伴うらしい。これが、ヴィオラだとその難易度はかなり下がるらしく、気楽にプログラムに載せることができるそうな。これはアルペジョーネという楽器が、音域的にヴァイオリンの領域にまで含んでいることが原因とのことである。
ところが音楽があまりにも美しく魅力的なため、チェロ以外にもヴィオラやギター、さらにはフルートやコントラバス用にも編曲されたりして、演奏されることもあったりする≫
Youtubeにオリジナル楽器による「復刻版」の演奏もあったが、どうも演奏がイマイチな気が・・・
現在では全く廃れてしまった「アルペジョーネ」という楽器のために作曲された、唯一と言っていい作品である。そのような極めて「希少性」の高い作品をシューベルトが書いたのは、彼の友人でアルペジョーネの唯一と言っていいプロの演奏家(ヴィンツェンツ・シュースター)がいたためで、彼の依頼により作曲したものと見られている。
が、そのような「希少性」ゆえに価値があるのではなく、シューベルトならではの美しい叙情性に彩られた世界が展開されるためといえる。
シューベルトの最晩年、時期的には弦楽四重奏曲『死と乙女』などと同時期に作曲されたこの音楽には色濃く「死の影」が刻み込まれ、その「悲劇性」がまた多くの聞き手の心を捉える。
アルペジョーネとピアノのためのソナタは、シューベルトが1824年11月にウィーンで作曲した室内楽曲である。このソナタは、アルペジョーネのための作品では、今日現存する唯一の作品である。
本作は、弦楽四重奏曲「死と乙女」と同時期の作品で、当時シューベルトは梅毒の進行に苛まれ、度々の抑鬱症の発作に見舞われてもいた。
本作は、アルペジョーネが発明された翌年に作曲された。
おそらくは、アルペジョーネの演奏に通じていた知人ヴィンチェンツ・シュースターから委嘱を受けてのこと、と考えられている。
シューベルトの死後1871年に出版されるまでに、アルペジョーネ自体が愛好されなくなり姿を消していた。
今日、この作品はもっぱらチェロ・ソナタ、ないしはヴィオラ・ソナタに編曲して演奏されている。また時折りコントラバスやギターが、アルペジョーネの代役を果たすこともある。
アルペジョーネは復元されているが、奏者が乏しく殆ど実演は行われていないため、編曲が多く行われている。編曲に際し苦慮される点は、チェロやギターがアルペジョーネに比べ音域が狭いことである。6弦のアルペジョーネに対し、上記の楽器の殆どは4弦のため、アーティキュレーションを手直ししなければならない。
また、アルペジョーネはフレットが付けられているため高音域の演奏が容易であり、これも現代の奏者を悩ませている。5弦のピッコロチェロは、音域は同一になるがフレットはない。
シューベルトの原稿には、6弦全部をピッチカートする指示が提示部末尾(第一括弧)にあり、この箇所のためにアルペジョーネの「代用」品では一切実現が出来なくなっている。現在、代用される最も多い選択肢はチェロだが、高音域はかなり苦しい。コントラバスでは1オクターブ下がってしまい、シューベルトの意図とはかけ離れる。現在ヴィオラを5弦にし、その5弦目をEに調弦することで原作に近づける試みが行われている。
ギターやマンドロンチェロで演奏を行うことは可能だが、やはり原曲は「弓奏」であるため、シューベルトの意図とは異なる。他の楽器で代用しても原作の触感には敵わないので、現代ではこの楽曲のためだけにアルペジョーネを復元し、チェロ奏者が担当することも行われている。
フィギュアスケートのグランプリシリーズ第二戦・スケートカナダで、浅田真央選手が優勝した。
ショートプログラムでは、転倒が響いて3位と出遅れたが、得意のフリーで一気に逆転しての頂点だ。中野友加里選手も、浅田に続く2位に入った。グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカに出場した安藤美姫選手は、転倒が響いてアメリカのK.マイズナーに敗れ、2位に終わっていた。
前週から始まったグランプリシリーズだが、次回の第三戦(中国杯)には日本の村主、そして韓国のキム・ヨナが登場してくる。キム・ヨナが「韓国の至宝」だと言うなら「日本の至宝」は間違いなく浅田真央である。
14歳で「天才少女」として華々しく登場してきた頃の、あの全身がバネのような伸びやかで華麗なジャンプや、滑るのが楽しくて仕方がないといった無邪気な天真爛漫さは蔭を顰め、最近は徐々に安全運転型になってきつつあるのは残念だが、それでもこの歳にして早くも堅実な勝ち方を憶えてきているのは、やはり優れた才能の証であろう。
世間的には、安藤を高く評価する勢力も根強く存在しているようだが、ワタクシの評価では浅田と安藤ではハナからモノが違うと思っている。ただし、マスコミの注目度は相変わらずバカ高いのが安藤だから、その分は浅田への負担が大きく軽減されているという点で、安藤の存在意義は大きい。
そうなると、問題は中野友加里選手だ。中野もそれなりにいい選手だし、一部専門家の評価などは高いのは事実だが、どうしても浅田、安藤に次ぐ「第三の女」(或いは村主に次ぐ、「第四の女」か)の印象は拭いきれず、どうにも中途半端な存在にしか見えない。演技を見ていても、或いはインタビューでもそうだが、いつも優等生的な匂いはするが、これといった面白みに決定的に欠けるのである。安定感はそれなりにあるとはいえ、それだけでは常に浅田の後塵を拝してしまうレベルであり、また酷い時は目も当てられないが、時折目の覚めるような爆発力を見せる安藤のような意外性もなく、常に及第点である(さりとて、村主のような演技力を期待できるわけでも、まったくない)
ここままのスタイルでは、いつまで経っても浅田、安藤の引き立て役で終わってしまいかねないだけに、どこかで殻を破って欲しいものだ。事実、スケートアメリカのフリーで、パーソナルベストを叩き出した中野だったが、その後で登場した浅田は
「中野に勝つには、このくらいで充分」
とばかりに大技を温存した、計算ずくの余裕の安全運転だった。
先にも触れたように「日本の至宝」浅田とは言え、世界にはキムなど強豪が犇いている事でもあり、オリンピックで勝つためには中野には安藤とともに、今後は浅田を脅かすような存在になってもらう必要があるし、中野にしても安藤同様に現状で満足はしていないはずだ。
三人が揃いも揃って、ワタクシと同じ愛知の出身というのはこの際関係ないが、浅田のような稀に見る天才と同時代に戦うという僥倖に恵まれた者には、そうした義務が課されてしかるべきではないのか?