2004/02/29

「千駄ヶ谷」と「千駄木」

 東京都の新宿区に「千駄ヶ谷」(せんだがや)、文京区には「千駄木」(せんだぎ)の地名があります。区は違うものの、由来は恐らくは同じところから来ているのではないかとは容易に想像が付きますが、興味を引く地名なので念のため少し調べてみる事にしました。

千駄木
1.寛永寺への護摩の木や入用の薪を、一日千駄運び出した。
2.太田道灌が、ここに栴檀の木を植えた。
3.「千駄木」や「千駄ヶ谷」は、雨乞いのための「千駄炊き」から来ているのではないか(柳田国男説)
などの説がある。延享三年(1746)開拓して畑とし、その内に宅地もできて御林跡と呼び下駒込村に属した。そして明治以降、ここは東京帝国大学の後背住宅地として学者、文化人が多く住む町となってゆく。
《古くは駒込村に属しており、ここは雑木林で薪などを伐採していた。その数が千駄にも及ぶ、という事で付いたらしい。駒込千駄木町、駒込坂下町、駒込動坂町、駒込林町などを合併した》

千駄ヶ谷
1.元々この地を渋谷川が流れ、一面の萱野で一日に千駄の萓が取れるようなところだったから、という説。
2.千駄木を焚いて雨乞いした谷であったから、とも言われています。千駄木を焚いて雨乞いをする神事は、全国の到るところで行われているようで、天に近い場所で木を焚くことによって神が雨を降らせる、というものです。「」は「1頭が背負う荷物の重さ」の事です》

《昔、この辺りは見渡す限りの茅野原だったそうです。『新編武蔵風土記稿』には、寛永年間(1624)の頃、日々千駄の茅を刈り取ったことからこの名が起こり、正保年間(1644)に「千駄萱村」と書きました。現在の「千駄ヶ谷」と書くようになったのは、元禄年間(1688)と伝えられています。また昔、太田道灌がこの辺りを巡見した時に、谷間に栽培されている稲が千駄もあったので千駄ヶ谷と名づけた、とも言われます。「駄」とは、馬1頭が背にする荷物を数える単位です。千駄とは「それほど沢山」という意味です》

ポリネシア語による解釈
千駄木は元駒込村に属し千駄木山ともいい、汐見坂の別名がある団子坂には、森鴎外の旧居にちなむ鴎外記念本郷図書館があります。その南には、根津神社がある根津があり、向(むこう)ケ岡(本郷台を指す)の根にあって、舟の泊まる所の意とする説があります。さらにその南、本郷台の先端近くに湯島天神、湯島聖堂がある湯島の地があります。
この「せんだぎ」は、マオリ語の 「テナ・タキ」、TENA-TAKI(tena=encourage,urge forward;taki=track,challenge)、「勇気を出して路を辿る(急崖のある場所)」》  の転訛と解します。

JR新宿駅の甲州街道から南はもと千駄ヶ谷町で、渋谷川に沿ってさらに現在は神宮前と名を変えていますが、もと原宿村、穏田(おんでん)村、上渋谷村へと続いていました。葛飾北斎『富岳三十六景』には、穏田の水車が描かれています。
この「せんだがや」は、マオリ語の「テネ・タ・(ン)ガ・イア」、TENE-TA-NGA-IA(tene=be importunate;ta=dash,beat,lay;nga=breathe;ia=current,indeed)、「しつこく痛めつけられた(ために複雑な地形になっている)潮の干満によって水が逆流する(場所)」》の転訛と解します。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/  引用

波瀾の決着(運命の体育祭part8)

 「ミグ~、何やってんだ~、このバカ。
ゴトーなんぞクソヤローに抜かれたら、ぶっ殺すぞ~」

と思わず声を張り上げながらも、一方では長身のゴトーの大きなストライドを巧みに操っての、あの鬼気迫るような追い上げには思わず手に汗を握り締め、不覚にも見惚れてしまった

その走りは、むしろ

(ゴトーの野郎め・・・あれならイソガイとかいう化け物とも、いい勝負ができるんじゃ?
本当に変わりすぎだ・・・オレも、よくあんなのと互角の勝負が出来たものだな・・・)

と思うほどだった。

そしてレースは、いよいよ最後のホームストレッチに入った。

トップに立ってからも格の違いを見せ付け、誰一人追うもののないまま、巨体を軽々と操って颯爽とゴールテープを切ったのは、12組のイソガイである。あわや、最下位スタートのゴトーにも抜かれるかとヒヤヒヤさせた我が6組のミグは、最後のホームストレッチに入って遂に本領を発揮。

「なんでオレがアンカーなんだ・・・にゃべかグリよ、代われ!」

と文句を垂れていたミグだが、200mでもオグリやにゃべより速いのは勿論、陸上部員を凌ぐトップクラスのスピードの持ち主だけに

「一番速いオマエが、アンカーに決まってるだろ!」

と、皆から却下された。そのスロースターターのミグが、ようやく目の覚めるような怒涛の快進撃で大爆発。疾風のようにゴトーを振り払うや、あっという間にタケダをも抜き去り、あれよあれよの間に長い足を巧みに操って颯爽と2位でゴールを駆け抜ける。ミグに抜かれたタケダがなんとか3位を死守し、続く4位には最下位からスタートしたゴトーが、一気のゴボウ抜きでタケダに僅かの差に迫る4位に堂々と続いた。

 「それにしても12組のイソガイと、3組のゴトーは凄い・・・もちろん、ミグも凄かったけど」

と、皆が呆気にとられる中

「でもウチのクラス、頑張ったわよ~。2位なら上出来、上出来。表彰もしてもらえるしね。ミグは当然だけど、にゃべもグリもさすがさすが。速かった。みんな、カッコ良かったよー」

さすがに級長の真紀が、優しい気配りを見せた。

「あの徒競走も、こっからだとにゃべが勝ったように見えたんだけどなー」(千春)

「ホント、どっちが勝ったかわかんなかったよね。稀に見る名勝負・・・いい思い出が出来たわ。昔のこともあるし、きっとにゃベがゴトーに華を持たせてあげたんだよ・・・」

という真紀のさりげない気遣いに触れた時

(なぜ、オレは負けた (;・_・)ノ

この時、改めて「敗北」の現実に心底、情けなさと悔しさが込み上げてきた。

 この体育祭の間、真紀がにゃべの、そして千春がオグリのガクランを着て応援していたのがもっぱらの噂となり、皆から冷やかされることになった。

「アイツらー。何度言っても、凝りねーヤローどもだな・・・」

例によって硬派なオグリは怒りを隠さなかったが、思えば真紀の『B中』在学は今年度限りである。次年度からは、地区に新設の『C中』への転校が決まっている現実に、今さらながらハタと思い当たった。

(そういや、オーミヤやゴトーがこの『B中』にいるのも、もうあと半年しかないんだよな・・・  こんなタイミングで、新しい中学なんか出来なきゃいいのに・・・)

ツワモノどもが夢の跡・・・華やかな宴が終わり、釣瓶落としに落ちてゆく秋の夕陽が傾く校庭。

そこには、一人ポツンと物思いに耽る少年の姿が ε-(ーдー)ハァ

2004/02/28

シューマン ピアノ協奏曲イ短調(第3楽章)




<1楽章の動機が管楽器で繰り返され、全楽章の統一を意識している。第2楽章との連絡に活用している点に、作曲者の大家としての技術が光る。4分の3拍子で、堂々と律動的な第1主題。イ長調の華やかな曲想が「作曲技術に凝りすぎだ」という批判を和らげている。管弦楽とピアノが、時にオブリガート(独奏または独唱部の効果を高めるため、伴奏楽器で奏される主旋律と相競うように奏される助奏)を互いに務めるという凝った構成で、終結はピアノのトッカータ的演奏と、打楽器とが曲想を盛り上げる>
Wikipedia引用

元々、第1楽章のみ別の意図で作曲された曲に、後から23楽章をつけた構成であるが、個人的には第2楽章の幻想的な美しさも捨てがたい。が、なんといっても秀逸なのは、最終楽章の終結部だ。特に、ラストの3分あたりからのピアノの聴かせどころは、恐らくはシューマンにしか書けないような幻想味に溢れている。

かつてはベートーヴェンや、チャイコフスキー、グリーグ、ラフマニノフら、他の「四大ピアノ協奏曲」の中では、最も魅力を感じなかったこの曲だが、次第にシューマンの「滋味」が、わかるようになってきた気がする。特にこの最終楽章は、ピアノの魅力を余すところなく伝えている。

この曲の初演は、妻クララのピアノ・ソロ、さらには友人のメンデルスゾーンが指揮という超豪華キャストで実現し

「オーケストラを従えて、まるで女王様になったような、素晴らしい最高の気分でした」

と美しく才能豊かな若妻は、ご満悦だったことは言うまでもない。

白熱のリレー(運命の体育祭part7)

 体育祭の締めくくりは、言うまでもなくクラス対抗リレーだ。6組はオグリが一走、にゃべっちはアンカー前の三走でアンカーは勿論、超人ミグである。このリレーは「教師も参加が可能」というルールになっていたが、相手は中学生とはいえリレーに選ばれる俊足ぞろいだけに、いい歳をした教師陣は誰もがしり込みをして名乗りを挙げなかった。そんな中、唯一エントリーしていたのが隣の5組の担任教諭であり、また我がサッカー部監督のガンちゃんだ。

「リレーにエントリーとは無謀な・・・そんなに、恥をかきてーのか?」

というにゃべに対し、あるサッカー部員は

「本人は、自信があるんじゃねーのか?
案外はえーかもよ・・・」

と、冷やかしていた。小柄で小太りの体型ながら、昨年まで大学でサッカーをやっていたというし、この歳が新任で23歳だ。当然ながら、このリレーの最大の注目は

「ガンちゃんが、どこまでやれるのか?」

であった。

一走には4組のマチャを始め、我が6組からはオグリと各クラス精鋭を揃えているだけに、余計に目が放せない。そんな注目の中、リハーサルでは惨めな最下位に沈んだガンちゃん (;´д` )トホホ

「なんだ、クソおせー!」

と罵る声が多い中、5組の学生を中心に

「今日はリハだから、わざとビリになって生徒に華を持たせたんじゃねーの?
本番は、ちゃんとトップで走ってくるハズだ」

と、本番に期待する声も少なくなかった。

そんな中、いよいよ本番を迎える。

「にゃべ~。リレーで優勝したら、真紀がキスのご褒美だっってー」

千春が例によって、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、冷やかしてくる。

「ちょっとぉ、タカ~。んなアホなこと、言わんといてー」

いつもは冷静な真紀が、珍しく真っ赤になって否定するのが眩しく

「じゃあ、グリにはタカシマがキスしてやるのかよ?
なんせ一走は、責任重大だからな~」

と照れ隠しに、ジョークで誤魔化した。

「なんで私が、あんなヤツに・・・」

「テメ~らな~、リレーの前に気が抜けるようなコト言うんじゃね~」

とオグリだけは、いつも通り大真面目である。その横では、もてない(?)アンカーの超人ミグが、我関せずと瞑目していた。

クラスが12あるため、予選は6組づつ2つに分かれ行われ、にゃべのクラスは2位(4位までが決勝)で通過し決勝を迎える。

 予選では、2位でバトンを渡したオグリ。典型的な後半型だけに、ビリからのスタートはいつも通りで、リハ同様にガンちゃんとともに最後尾からの追い上げだ。ガンちゃんに遅れてスパートを切ったオグリは、後半から得意のゴボウ抜きで見る間に順位を上げたが、それでもさすがは精鋭揃いだけに体育の授業のように簡単に追い上げは効かず、3位でバトンパス。オグリの前の2位はマチャ。密かにトップが期待されていた注目のガンちゃんは、なんとか食い下がって喘ぎながら、ビリまでが団子になった4位に入るのが、やっとだった ( ´艸`)ムププ

続く二走で5位に落ちた6組、バトンを受けた三走にゃべが猛烈に追い上げる。二走で7位まで後退した5組は三走がムラカミだから、これは負けるわけにはいかない。

「バカヤロー、なにやってんだ・・・まったくうちのクラス、おせーな。にゃべよ、親友の誼でオレを前に出してくれ」

「アホ言うな・・・」

などと軽口を叩き合っていたが、スタートともに前半型のムラカミにあっという間に並ばれる。考えてみれば、こうしてムラカミと勝負するのは初めてだったが、さすがにムラカミは速かった。そのまま2人で並走するような形で、2人を抜いて順位を上げていく。アンカーの姿が見えてきたところでラストスパートに入り、ムラカミを振り切りってどうにか3位でアンカーにバトンパス。前半飛ばしすぎたムラカミは、最後に抜かれて5位でアンカーに渡した。こうして稀に見るダンゴレースのまま、最後のアンカーへと勝負の行方は縺れ込んでいった。

ここまでの順位は、以下の通り(アンカー)

1. 10
組(ホリサキ)
2. 2
組(タケダ)
3. 6
組(ミグ)
4. 12
組(イソガイ)
5. 5

6. 4

7. 11

8. 3
組(ゴトー)

まず2位でバトンを受けた2組のタケダが、10組をかわしてトップに立ったのが波乱の幕開けだ。抜かれたホリサキはショックからか転倒し、ズルズルと交代。にゃべがバトンパスをした我が6組期待のミグは、一旦2位に上がったものの、すぐさま12組のイソガイらに抜かれ4位に後退していくという、まさかの展開だ。

学年一の俊足を誇る陸上部エースのイソガイが、4位からスタートで一気のゴボウ抜きを見せ遂にトップに立つと、場内が大きく沸いた。続いて場内を沸かせたのが、誰あろうあのゴトーである。最後尾の8位からスタートした3組のゴトーは、猛烈な追い上げで一人、また一人とゴボウ抜きを見せ、一気に4位にまで浮上しただけでも驚いたが、とうとう我がクラスの超人ミグをも抜かんばかりの物凄い勢いだから、みなびっくり仰天しながら目を瞠った。

徒競走で憎きライバルの神童にゃべっちに勝って、積年のトラウマを完全払拭できて遂に開眼したか、まるで何かが取り憑いたような恐るべき迫力だった ε=ε=ε=ε=(; ̄▽ ̄)