2008/03/29

春の到来

 寒くて長かった冬が終わり、ようやく春の到来である。

個人的にも色々と難題を抱えていたばかりでなく、実際に例年以上に寒い冬が長く続いた気がしたものだったが、頑固な冬将軍もようやく去って行った。

いよいよ、待ちに待った待望の春だ。

春といえば、花見と観光のシーズンである。既にシーズン始めの梅は、ポカポカの晴天に恵まれた某日に青梅の吉野梅郷で堪能してきたが、これからは桜、チューリップ、ツツジ、藤と美しい花たちが、次々に目を楽しませてくれる事だろう (*Φ皿Φ*)ニシシシシ

2年前の吉野梅郷の梅、昨年の神代植物公園のバラ、国営昭和記念公園のコスモスを堪能して以来、一面花に彩られた天国的な景観を追い求めているワタクシとしては、今年は「国営昭和記念公園:菜の花畑と桜のコラボレーション」は絶対に見逃してはならじと気合を入れてきたが、それももう目前になってきた。

今のところ予定を入れるのが難しい状況ではあるが、調整がつけばまた京都に行きたい気持ちも強い(行くにしても、GW辺りになる公算が大だが)

京都が無理なら、伊豆など温泉が同時に楽しめるところで花見と洒落込むのもよかろう。さらに足利まで足を伸ばし、有名なフラワーセンターの藤を堪能出来れば最高だが、こちらはなにせ遠いから一泊して夜のライトアップまで堪能するのもいいかもしれない。などと、頭の中は一足早い春の陽気に浮かされているのであった。

2008/03/22

穴虫

 京都府綴喜郡井手町多賀に「穴虫」という地名があります。

穴虫」は、奈良県香芝市にもあります。

・奈良県香芝市穴虫・・・高
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・多賀

共に近傍に「高、多賀」と「穴虫」地名があるのが共通です。

「穴虫」から連想する地名は「穴師」です。穴師は「あなせ」とも読み、あなせ=穴無瀬と表記した例も見られます。これから類推すると、あなし=穴無師と表記した可能性も考えられ、穴無師が穴虫に漢字表記変更された可能性を無視出来ません。特に漢字表記が日本で開始した頃は、11字の表記であった事も事実です。その後、奈良時代前半に2字表記するように指導が出たので「穴虫」に変更したという推測も可能です。

これが正しいとすれば、穴虫地名は漢字表記が日本に採用される以前からの古い地名であると考えられます。奈良県香芝市穴虫、京都府綴喜郡井手町穴虫の両所を実際に訪問し、また奈良県桜井市穴師も訪問て比較して見ました。共通点は

(1)山の斜面(谷、倉というべきか)にある
(2)古墳あるいは塚が近く(数km程度)にある

・奈良県香芝市穴虫・・・顕宗天皇陵、武烈天皇陵
・京都府綴喜郡井手町穴虫・・・「大塚」地名が隣にある
・奈良県桜井市穴師・・・景行天皇陵、崇神天皇陵ほか

よって調査からの推測は、次の通りです。

穴師は金属技術と共に、土木技術も持っていたと推定されるから古墳、王墓の造営を行っており、彼らが居住した所が「穴虫」、「穴師」と呼ばれた。

 以上ではサンプル母数が少ないので、別の地域へ調査を広げました。

1)岐阜県大垣市矢道町穴虫(現在「穴虫」地名は消失した。法務局資料で調査、確定した)

a)
金属発掘の可能性として、金生山(きんしょうざん)が近くにある
b)
現在は、田んぼの真ん中の平地である
c)
 長塚古墳、高塚古墳跡がすぐ近くにある。約300500m

2)滋賀県草津市馬場町穴虫
a) 丘の斜面にある
b) 近いと思われる古墳:安養寺古墳(2~3km)

3)石川県加賀市大聖寺錦町穴虫
a) 未調査
b) 狐山古墳が近いと推定(未確認)

他に兵庫県宝塚市、大阪府交野市、岡山県日生町にもありますが、まだ現地調査出来ていません。奈良県の小字には、2030件の「穴虫」があるようです。

最後に:京都府船井郡園部町黒田に黒田古墳群がありますが、別名「穴武士古墳群(あなぶし)」と云われています。穴武士=穴虫を暗示していると感じます。

全国にある「」のつく地名の由来を探してみた。「穴」のつく地名は穴沢、穴口、穴田などたくさんある。その中で、地名の由来が書かれているものを集めてみた。主なものを、以下に記す。

・山腰に大きな洞窟があった(穴地―新潟県大和町)
・赤城火山帯の噴出孔がある。むじな穴が多い(穴原―群馬県片品村)
・大石があり、その下に深さに分らない深い穴が開いている(穴石郷―大分県本耶馬渓町)
・細長い谷底部に広がる。穴窯によって、砂鉄の製鉄が行われていた。
「あながま」が「あながも」に変化(穴鴨―鳥取県三朝町)
・穴を掘り、採鉱に従事する部民を意味する。三方を丘陵に囲まれた地域を指す(穴師―奈良県桜井市)
・「穴に伏す低地」という地形に由来する(穴虫―奈良県香芝町)
・狭長な河谷平野部沿いに位置する、穴のある窪んだところ(穴沢―岩手県岩泉町)>

 町村名は辞典が出版された当時のもので、最近の町村合併で町村名が変わっているものもあるかもしれません)

穴の付く地名の由来は、概ね二つに分類される。ひとつは、その地域に洞穴や洞窟など文字通りの穴がある場合。もうひとつは、山に囲まれた狭い穴状の土地である場合。つまりは「」のような地形の場所に「穴x」といった地名が付けられるようである。ただし「穴」の解釈(どのような形状を穴と呼ぶか)は、その地域によってそれぞれ違っている。くびれたような丸い形状の地形を「穴」と称する場合もあれば、細長く狭い谷状の地形を「穴」と呼ぶ場合もある。

ポリネシア語による解釈
二上山北側の穴虫峠を通る大坂道(近世には長尾街道)と、南側の竹内峠を通る当麻(たいま)道(竹内街道)は、古来大和と河内を結ぶ重要な街道でした。 この大坂は、穴虫峠の麓の現香芝市の逢坂の地名により、当麻は竹内峠の麓の現当麻町の地名によっています。

『日本書紀』履中即位前紀に、太子(履中天皇)が仲皇子に襲撃されて難波から倭へ赴く際、大坂道をとらず当麻徑を採るよう少女に助言され、竜田道を採った事が見えています。

この「あなむし」は、マオリ語の「アナ・ムツ」、ANA-MUTU(ana=cave,denoting continuance of action or state;mutu=brought to an end,finish)、「近道(終わりに近づける峠)」の転訛と解します。

この「おおさか」は、マオリ語の「アウ・タカ」、AU-TAKA(au=firm,intense;taka=heap,lie in a heap)、「(傾斜の)厳しい高台(の土地)」の転訛と解します。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

2008/03/21

追想編(偉大なる奇人変人・ミスターpart8)

 前回まで、愉快なミスターに纏わるエピソードをご紹介してきたシリーズも、ついに最終章となる。書いてしまってから「あ、そういやあんなのもあった」とか「まだ、こんなのもあったっけ」なんていうのも、まだ幾つも脳裏に浮かんできたが、なにせミスターのおもしろエピソードを細かく拾っていては、それこそキリがなくなってしまいそうなため、ひとまずはここでピリオドとする。

 

(ああ、これは書いておくのだった・・・)

と特に惜しまれたのは、有名な監督時代の「欲しい欲しい病」だ。言うまでもなく、他球団の有力な選手を無闇矢鱈と欲しがるミスターの悪癖で、FAが導入されて以降は現実に数々の大物選手を獲得して悦に入りながら、失敗したのにも懲りた様子がなかった。

 

さらには、オリンピック代表監督に就任するや、プロ野球を代表するスター選手を一堂に集める派手な行為が

「まるで、珍しくて高価なオモチャを欲しがる、無邪気な子供のようだ・・・」

などと酷評されたりした。

 

このようなミスター心理を分析していくだけでも、一遍の興味深い読み物が出来そうなのだが、この辺りにまで踏み込んでいくとなると全体の構成にまで影響が及んできそうでもあり、また過去に別の企画で触れてきた経緯もあるため、今回は敢えて割愛した。

 

ここまでのシリーズを読み通してきて、野球にあまり興味のない人やミスターを良く知らない人には、あたかもワタクシがミスターに対して、やたらとケチばかり付けているような印象を受けるかも知れないが、無論ワタクシ自身の意図はそれとは、まったく逆のところにある。

 

シリーズの冒頭にも触れたが、ミスターの魅力は、あれだけのスーパースターでありながら、まったく気取ったところのない気さくで天真爛漫なパーソナリティに尽きる。通常、スーパースターと言われるような天才は、得てして横柄な言動や振る舞いなどが、往々にして目に付きやすいものだ(サッカーの中田某や大相撲の朝青龍など)が、ミスターの場合は、逆にあれほどのスターでありながら、あそこまで驕ったところがまったくなのが珍しいくらいの、謙虚な人柄が多くの人々を惹き付けて止まぬ最大の原因といえるだろう。

 

ワタクシ自身の絡みでいえば、高校2年生の時に思うところがあり、不登校を決め込んだ時期があった。この不登校の時期は、年末年始の冬休みを挟んだ1ヶ月弱という、学生の身分としてはかなり長い期間であり、その間に色々と心の中で葛藤を通して「浪人生」と年齢を詐称し、名古屋地下街のブティックなどでバイトをするなど、紆余曲折を経る事になった。

 

その間、ほぼ終日のようにカーテンを締め切った部屋に閉じ篭もり、色々と思索をしていた。担任のR教諭が訊ねて来たのは、不登校を決め込んで半月近くが経過した頃だった。

 

この不登校は、学生やこのR教諭にもまったく影響されぬ、一にかかって自身から発した問題であり、したがってR教諭に対してもどの学生、そして学校に対しても勿論、爪の先ほどの怨みのあるはずはなかったが、やはりそういう時期だけに教師だけでなく、学校関係者とは顔を合わせたくない気持ちが働いていた。とはいえ、頑固オヤジがそんな我が儘な居留守を許す訳もなく、R教諭が部屋に通されて来たのである。

 

R教諭は、座り心地が悪そうにしながらも役目上、型どおりのヒアリングを始めた。こちらとしては、鬱陶しいばかりだから

 

「これはオレ自身の問題なので、わざわざ足を運んで貰わなくても、自分で解決しますよ・・・」

といった一点張りに終始したため、R教諭も取り付くシマもないという態だった。

 

ところが説得を諦めたか、どういう経過でかは覚えていないのだが、次第に話題が世間話となり、いつの間にか野球の話になっていった。ワタクシが野球好きと見たR教諭が

 

「で、にゃべは、どこのファンなんだ?」と訊いてきたので「無論、巨人ですよ」と応えると

「なにー、巨人? 巨人って・・・一体、誰が好きなんだ・・・?」

「誰って事もないけど・・・まあ、巨人そのものというか・・・」

「巨人なんて、今じゃ誰もいいのいないだろー。今時、巨人ファンになっても詰まらんわ・・・オレの頃はだなー、ナガシマナガシマさ」

 

R教諭はそれまでとは別人であるかのごとく、子供のように得意そうに鼻をうごめかした。

2008/03/16

激務 (キ▼д▼)y─┛~~゚゚゚

 新しい現場での仕事が、かなり忙しい。

携帯最大手のN社プロジェクトに携わる事になったが、これが想像以上に大変だ。新規プロジェクト参入で、いきなり基幹ネットワークの設計を任されたのは想定外だった。なにより定められた期限までに、成果物を出さないといけないのが最も大変な点で、不慣れな作業で時間が掛かる中で

「今日中に仕上げてくれ」

「明日の午前中までには」

と納期を切られる毎日だから、週に2回は日付が変わりそうな時間帯の帰宅になっている。何の因果か連日、コンビ二の不味い残り物弁当ばかりを職場で食べるというテイタラクだ。

PMやリーダーが朝の10時過ぎに出勤し、ミーティングの時間が遅れた理由について、互いに

「体調不良で・・・」

「同じく・・・体調不良という名の寝坊でw」

とやっていたが、元々「体調不良という名の寝坊」はワタクシの得意技だから、最近は週に12回くらい伝家の宝刀を抜いて、どうにかこうにか凌いでいる感じだ。

成果物を出すのが前提とはいえ、今の契約は時間単価である。また以前も書いた通り、これまでの単価に比べると時間当たり1000円近く上がっているから、確かに収入は大幅増である。おまけに昨年は、トータルで2ヶ月近くのブランクがあったため、税金を多めに取られ過ぎた計算となっており、確定申告の結果10万近くが還付される事が判明したから、これまた小さくはない臨時収入である。

そんな中でフト気付けば、随分と春めいた陽気になってきたではないか。今後は適度に休みを取りながら、春を満喫したいところなのだが・・・