2009/12/31

某年大晦日

大掃除

大晦日と言えば、大掃除である。厳密には「大晦日=大掃除」という関連性は何もないわけだが、普段から掃除などは滅多にしないワタクシのようなモノグサ人間には、なんとしても「大晦日」といったような切っ掛けが必要なのだ。

 

モノグサではあっても、それなりには綺麗な部屋で正月を迎えたいという気持ちくらいは、まだ残っているだけに厄介なのだが・・・それにしても、一体どこから取り掛かればよいものやら、途方にくれてしまう状況である。

 

なにしろワタクシときては、ある人がエアコンフィルターの掃除をしたと聞いて

 

(そういや、エアコンフィルターの掃除など、した事なかったな・・・)

 

と、初めて思いついたくらいのものである。勿論、少なくとも月に12度くらいは、部屋の掃除機がけくらいはしているが、天井近くに張り付いているエアコンの存在などは意識した事もなかったし、今の住居に住み始めて数年経つが、一度も掃除などした事がなかった。それどころか、実はフィルターの外し方すら知らなかったくらいである。

 

といったワケで、3年目にして初めて外したフィルターは、当然の事ながら埃で真っ黒になっており、ようやくにしてベランダで埃を払い落としてから、そんな面倒な手間を描けるまでもなく、ざっと水洗いをすればよい事に気付いたのであった。

 

キッチン換気扇のフィルターは、エアコンと違って常に目に見える部分に露出しているから、さすがのワタクシも普段から汚れは気になっていた。前年の大晦日に、100均の3枚入りぞうきんを総て潰して必死で2年分の埃を取った記憶があるが、一年でまた埃だらけになってしまっている。よく見ると下の方にネジ付いており、手で回したら簡単に取り外しが出来るではないか。で、こちらもエアコンフィルター同様に、水洗いで綺麗に埃を落とすことができるのであった。

 

ついでにガスコンロの部分も、取り外しが出来るところは総て水洗いをした。それなりに名の通った「タカラ・システムキッチン」が、泣いている事だろう(ちなみに魚用と揚げ物用のコンロは、自慢ではないがこれまで一度も使った事がない)

 

電子レンジや冷蔵庫の裏側の埃は、例年通りひと目で掃除の意欲を減退させる代物だったが、今年は気合を入れ直して取り掛かる。

 

(大晦日だといっても、ここで総てが終わるわけではないし、夜が明ければまた代わり映えのしない日々が続いていくのだから、続きは年明けにまたやればいいじゃないか・・・)

 

と、またしても頭を擡げつつあった怠け虫を抑えてなんとか頑張ったお蔭で、どうやら8割程度は完了したようだ。

 

マンスリーマンションなどに入居する時は、入居時に「消毒料」として滞在費とは別に2万くらい取られるが、入居する時は確かにピカピカである。2万程度であんなに綺麗になるのなら、是非とも頼みたいものだが。

 

初詣

正月三が日の初詣人出で、毎年トップの明治神宮の原宿までは、家から30分弱の距離である。正月3が日で300数十万人というのを、一体どうやって数えるのかは知らないが、過去の実績に照らして3日で300万人以上(つまるところ、一日当たり100万人以上)もの人間が押し寄せてくる事が確実に推定出来るような場所へ、好んで出向くほど混雑が好きでも酔狂でもない(と言いつつも、昨年は3が日を過ぎてから、明治神宮へ新年の熱燗を飲みに行ったがw)

 

寺社の拝観は好きだが信仰心はまったくなく、これまで一貫して「無宗教という最悪の宗教」を選んできた人間だから、初詣には殆ど縁がない。と言うわけで今年も正月は家に閉じ籠もって、水のように穏やかに過ごすのみである ー`)y━~

2009/12/29

五輪代表(フィギュアスケート全日本選手権観戦記)(2)

そして、いよいよ真打の浅田が登場だ。SPはトップで通過したとはいえ、これまでなら眼中にもなかったはずの安藤、中野、鈴木らとのダンゴ状態というのが、浅田の初めて体験する試練の厳しさを如実に物語っていた。

 

演技構成、技術力ともに、持てる力を出し切る事が出来れば圧倒的に強いはずの「孤高の天才」が、この浅田である。そんな「孤高の天才」であっても、ここで一つ尻餅でもついたら過去の実績もクソも総てが台無しになってしまうという、実に想像を絶するような厳しい舞台だ。そのような想像を絶するプレッシャーと戦い、ボロボロに傷つきながらも見事にプレッシャーに打ち克った姿は、やはり心を打たれる。なんと重い五輪切符であることか。その五輪では、キムのような強敵が待ち受けているのだから、重いのは当然とも言える。先のグランプリファイナルを見てもわかるように、安藤は完璧に近い演技をしても、イマイチの出来だったキムにも及ばないのだから、本領発揮したキムに勝てるポテンシャルを秘めているのは、ひとり浅田しかいないのである。

 

スケート協会としては、どうしても人気者の浅田を出したいのが本音のはずだから、正直なところ転ばない限り浅田は選ばれるだろうと思っていた。なんといっても中野や鈴木では地味すぎて、スポンサーが付かないだろうと言う現実の事情もあるだろう。

 

そして・・・ある意味では、浅田以上に注目されたのが鈴木だ。この時点でトップの浅田の五輪出場はほぼ決定だから、残るは中野か鈴木かという、まさに喰うか食われるかの熾烈な戦いとなった。しかも浅田とは違い、どちらも年齢的に見ておそらく、これがラストチャンスである。その鈴木は転倒があったとはいえ、躍動感溢れる見事な演技を見せて、僅か「0.17」という僅差で中野を上回り、劇的な大逆転を果たした。

 

実力伯仲の鈴木と中野・・・やはり冒頭に書いたように、貧乏神を引き寄せた中野のネクラさと、女神を呼び込んだ鈴木の明るさと執念のアピール力・・・ここが明暗を分けた気がしてならない。そうしたアピール面から見ても、これまで入賞が指定席でメダルにはなかなか届かなかった中野より鈴木の方がメダルが期待できるし、個人的には安藤以上に期待できる存在だと思っている。

 

この結果、五輪代表は以下の顔ぶれに決まった。

 

女子代表:浅田、鈴木、安藤

男子代表:高橋、織田、小塚

 

男女とも、誰がメダルを獲ってもおかしくないような、かつてない素晴らしい顔ぶれが揃っただけに、本番が大いに楽しみである。

2009/12/28

女の戦い(フィギュアスケート全日本選手権観戦記)(1)

最初に登場したのは中野だ。中野は安藤のようなゴツゴツした無骨さがないし、前から繰り返しているように堅実な安定性は感じるが、どうもこの選手は華というか存在感が希薄なのである。どうしても浅田、安藤に次ぐ「第三の女」(最近では、鈴木の後塵を拝して「第四の女」か)の印象は拭いきれず、どうにも中途半端な存在に映ってしまう。それなりに高い技術を持っているのだから、もっと魅力的にアピールして欲しいと以前から指摘して来たが、やはり何かに欠ける気がする。安定感はそれなりにあるとはいえ突出したものがないし、さりとて安藤のような意外性もなく、常に及第点である。

 

ここままのスタイルでは、いつまで経っても浅田、安藤の引き立て役で終わってしまいかねないだけに、どこかで殻を破らないといけないと言い続けてきたが、なかなか簡単ではなかったようだ。演技同様に、インタビューでもいつも優等生的な匂いはするが、これといった決定打というか、面白みに欠けるのである。マスゴミは、例によって最近急上昇中の鈴木とライバル関係を作りたがっているようだが、確かに両者は対照的なタイプと言える。

 

鈴木の方は、お世辞にもかわいいとはいえないが、表情の明るさや豊かさと力強いアピール力があり、対する中野はどことなく表情が暗く蔭も薄い。要は「苦労人面」なのである。過去に会心の演技をしながら、意外なほどに得点が伸びなかったことが何度かあったが、典型的な得点の出難いタイプだ。おそらく性格的に生真面目で、中途半端に頭を使うからいけないのだ。採点競技なのだから苦労の跡を見せてはダメで、鈴木のようにもっとバカになって演じきらないとダメなのである。

 

気になるのは、インタビューで自らの演技に満足しているようなコメントが聞かれることで、素人に本音をさらけ出す必要はないからあれは本心ではないのかもしれないが、現状に満足していては上を望むのは難しいと思う。

 

続いて登場した安藤については過去に散々書いてきたし、今回は代表選考の対象外のため割愛する(以前から読んでいる人はご承知の通り、個人的にはあまり好きではないし、得点ほどに上手だとも思っていない) 皮肉にも、安藤はこの大舞台で唯一五輪出場を決めており、緊張感に欠けた戦いになったことは、本番でマイナスに作用するような気がして仕方がないのだが。

2009/12/12

大文字の謎(3)

出典http://kyoto.nan.co.jp/

 


もうひとつの代表的なものに「室町時代中期に足利義政が始めた」というものがあります。その理由は「大文字の送り火の正面は、足利将軍家の旧室町幕府跡に向いている」というものです。また大文字山の麓には、足利家ゆかりの銀閣寺もあります。旧室町幕府は現在の烏丸今出川の北側、同志社大学と相国寺の西側にあったとされ、確かに室町幕府跡と大文字を結ぶ線上に、ちょうど出町柳の三角州があります。この賀茂川と高野川が合流し、鴨川となる出町柳の三角州あたりは、今でも大文字が一番綺麗に見える場所として人気があります。

 

ではいよいよ、肝心の「大の字の謎」に迫ろう。

 



大文字の送り火では、なぜ「」の字なのかも実は謎のままです。諸説としては

1)      元々、大という字は星を象ったものであり、仏教でいう悪魔退治の五芳星の意味があったのではないか。

2)      一年を通して位置の変わらぬ北極星(北辰)は神の化身とみなされており、その北極星を象った大の字を同じく動かぬ山に灯したのが、そもそもの大文字送り火の起源ではないか。

3)      弘法大師は、大の字型に護摩壇を組んでいたところから、大の字にしたのではないか。

などがあります。

 

なお京都では、男の子が生まれるとその子の額に大の字を書き、宮参りをするという風習が残っております。

 

現在では「大文字」、「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の五山で執り行われている送り火ですが、明治以前にはこの他に「い」、「一」、「竹の先に鈴(竿に鈴)」、「蛇」、「長刀」の、合わせて十山で行われていました。明治になり、急速に近代国家を目指した日本では、祖先の霊「大文字」や疫病神「祇園祭」を迷信とし、明治初年から10年間、祇園祭と大文字を禁止しました。その後、再開はされましたが古式伝統に目を向けなくなっていた当時では、公的、私的な援助を受けるのが難しく、資金難に陥った送り火は昭和初期(第二次世界大戦前)までに次々となくなり、現在の五山になりました。戦後、文化財や伝統保護の気運が再び高まるまでは、大文字と祇園祭にとって苦難の時代だったと言えるでしょう。



五つの送り火と点火時刻

816日の夜午後8時、京都市内のネオンが一斉に消されると左京区東山如意ヶ嶽の「大文字送り火」に火が灯ります。その後、同10分 左京区松ヶ崎の「妙法送り火」、同15分 北区西賀茂の「船型万燈籠送り火」、同15分 北区大北山の「左大文字送り火」、同20分 右京区鳥居本の「鳥居形松明送り火」、と、京都の町をぐるりと取り囲む山々に反時計回り(左回り)に次々と火が灯っていきます。

 

それぞれの送り火が燃えている時間は、約30分と昔から変わらないそうです。これらの五つの送り火を総称して「五山の送り火」とも言われていますが、江戸末期頃は全部で十の山々で送り火が灯されていたそうです。明治から昭和初期にかけて、現在の五山になりました。現在では点火されなくなってしまった五つの送り火ですが、その場所は「い」は市原、「一」は鳴滝、「蛇」は北嵯峨、「長刀」は観空寺村にあったとされています。しかし「竿に鈴」は大正初期まで点火されていたにもかかわらず、その場所が一乗寺だったのか静原だったのか西山(松尾山)だったのか、もうすでに明確でなくなってきています。この三ケ所は方角がまったく違いますし、当然、距離もだいぶ離れております。

 

近代にはいってもなお、大文字についてはなぜこのような事が起こるのか、非常に不思議です。

 

このように謎がいっぱいの大文字、もしかすると静かに暮らす黄泉の国の霊達が  「騒がしい現世の人達にその場所を知られたくなくて、あえて記録を消している」のではないか、とさえ思えてきます。夏の夜空にまるで幻のように浮かぶ、大の字、妙法、船、鳥居。その吸い込まれるような不思議さは、現世の煩わしさをひと時忘れさせてくれます。

2009/11/22

段葛

 出典https://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/annai/kama1.html

 

鶴岡八幡宮の三ノ鳥居前交差点から由比ヶ浜まで続く若宮大路。道の中央で石垣の中の道は「段葛(だんかずら)」と呼ばれている参詣道です。

 

『吾妻鏡』寿永元年(1182)三月十五日条にある「詣往道」は、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に至るまでの道であったといいますから、この若宮大路と考えることができるのですが、その後に続く政子の安産を祈念して御家人達が土石を運んで築いたというのは、段葛のことであるともいわれます。若宮大路も段葛も同じ八幡宮の参詣道ですが、古道研究の立場からは区分して考える必要があるようです。

 

段葛の入口(或いは出口)です。幅は、約3メートルあるそうです。それに対して現在の段葛の南限の二ノ鳥居近くでは、段葛の道幅は約5メートルといいます。この道幅の違いは、遠近法を用いて実際よりも道が長く見えるようにしているという説がありす。そして段葛だけではなく、若宮大路自体も発掘結果から八幡宮側よりも南の方が広くなっていたかも知れないようです。

 

現在「段葛」と呼ばれている参詣道は、鎌倉時代の文献などには段葛という名前は見あたらないようです。実際に段葛の名前が出てくるのは江戸時代になってからのようでが、研究者によっては鎌倉時代から段葛と呼ばれていたとする説もあるようです。

 

段葛以外の呼び方としては、置石(おきいし)、作道(つくりみち)、置路(おきみち)、千度壇(せんどだん)など、その他多くの呼ばれ方をしていたようです。寿永元年のことを記した『鶴岡八幡宮寺社務職次第』には

 

「鶴岡社頭より由比浜に至る置路を造らるるなり」

 

とあります。一般には、段葛の名前の由来は道の中央を一段高くして葛石を並べた道、ということのようです。

 

『新編鎌倉志』に、次のようにあります。

 

一の鳥居より、大鳥居までを、若宮大路とあり。今は堅横ともに、若宮小路と云なり。社の西の町を、馬場小路と云なり。総名を雪下と云なり。此所に旅店あり。法印堯慧が、歌に「春ふかき跡あはれなり苔の上の、花に残れる雪の下道」と詠ず。社前より浜までの道、其中の一段高き所を、段葛と名く。又は置路とも云なり。

 

上記のとおり『新編鎌倉志』では段葛と呼んでいるようですが、現在と違うのは現在の三ノ鳥居が一の鳥居で、一ノ鳥居が大鳥居となっています。

 

『鎌倉年中行事』には、七度小路というのが出ています。鎌倉公方が毎年二月に八幡宮に七日間参籠し、そのときに浜の鳥居を七度廻ることから、そう呼ばれたようです。『快元僧都記』の天文3年(1534)六月十六日の条に収めてある勧進状の案に、七度行路と下馬橋二ヶ所を修治したいというのがあるそうです。ここでいう七度行路というのは、七度小路と同じもので『鎌倉市史』に七度小路は段葛のことであろうと書かれています。

 

この段葛は『吾妻鏡』寿永元年のときに築かれた「詣往道」と考えてよいものなのか?

御家人達が石を運んでいるというから、段葛の路肩と縁は石垣になっているので、この石のことではなかとも思われます。しかし明治初め頃の古い段葛の写真を見ると、段葛の両側は土塁状になっているだけで石垣は見られませんし、今のように桜並木もありません。ただ石垣のことは、何百年の間に崩れたりもしているでしょうから、あまり気にすることではないとしても、問題は鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで至る道であったということです。何故ならば段葛は、現在二ノ鳥居までしかないことです。

 

鎌倉時代の段葛は、どんな道であったのでしょうか。段葛の研究資料をいろいろと見ていくと、どうやら段葛は由比ヶ浜まで無かったらしいのです。段葛の南限がどこであったのか、有力とされる資料が明応年間(14921501)に作成されたと伝わる「善宝寺寺地図」で、「置石」と記された切石列が延命寺橋と思われる西側の現在の下ノ下馬付近まで描かれているものです。その他にも、享保17年(1732)の「鶴岡八幡宮境内図」などにも、段葛らしき道は下ノ下馬付近まで描かれています。

2009/11/13

大文字の謎(2)

出典http://kyoto.nan.co.jp/

実際の盂蘭盆は中国では6世紀に梁の武帝が初めて執り行い、日本では7世紀(657)に齋明天皇が初めて行ったと、日本書紀に伝えられています。元々、日本は世界の中でも祖先崇拝の強いところだったと日本神話の研究などから考えられており、以前から行われていた祖先供養の行事に盂蘭盆が加わり、日本独特のお盆行事へ変化していったと考えられています。

 

813日に迎え火を燃やし祖先の霊を我が家に迎え、15日か16日に送り火を燃やし祖先の霊が黄泉の国へと帰るのを送るのが日本でのお盆の習わしで、15日がお盆当日となります。この迎え火と送り火の事を、主に門辺で燃やしていたところから門火と言います。大文字の送り火も、この門火のひとつとされています。なお旧暦では、お盆は7月に行われていました。旧暦で7月は秋となり、俳句の世界でもお盆は秋の季語となります。立秋も迎え、時候の挨拶も『残暑厳しき折』となる現在の8月に行われるのが、新暦では季節的に合うという事になります。

 

さて、霊(み魂)の帰っていく黄泉の国とは、どこにあると考えられていたのでしょうか。それは、海の彼方とも高天原とされる天上とも考えられていましたが、平安京の人々は山奥(そして、それに続く天上)にあると考えていた事が、万葉集に幾つか残る死者を悲しむ挽歌から推測できるそうです。故に、山中で送り火を燃やすという風習が定着していったものと考えられています。

 

戦国時代(1500年代)になると、幾つかの文献が往時の京のお盆の様子を伝えております。それによりますと、当時はお盆の初めから旧暦の7月終わり頃まで、燈籠や提灯で街々や家を飾り、大燈籠の回りでは人々が踊りに興じていたとの事です。また鴨川には数多くの人が出向き、松明を空に投げて霊を送ったとされ、その様は瀬田の螢のようであった(当時から、瀬田の螢は有名だったらしい)と記されています。

 

1567年に上洛を果たした織田信長もその華やかさを見て喜び、お盆の時に安土城を無数の提灯で飾り、武士達が松明を手に舟で琵琶湖にのり出し、光の祭典を演じたと記されています。当時の京のお盆は、正しく火(明り)の祭典だったと言えます。

 

京のお盆の様子を伝える文献は戦国時代から見受けられますが、大文字の送り火については公家の舟橋秀腎の日記「慶長目件録」の慶長八年(1603年)の716日のところに「鴨川に出て、山々の送り火を見物した」と記されているのが最初となります。ただ、ここでも「寄り道がてらに見物した」ようにうかがえ、いつから始まったとは書かれておらず、この時には既にお盆の風物詩となっていたかのような感じを受けます。

 

1600年代半ばになると関ヶ原の合戦も終わり、すっかり天下大平となった日本では、一大旅行ブームが起こります。江戸では多くの旅行案内書が出回るようになり、その中に「大文字の送り火」が数多く登場してきます。しかし、この時には既に大文字の起源は謎になっており、その起源を色々と考察、議論する書物も出回り始めます。

 

江戸時代初期から色々と研究されはじめた大文字の起源ですが、その中でも代表的なものが「平安時代初期の弘仁年間(810824)に、弘法大師が始めた」というものです。その理由としては

 

1)代々、大文字の送り火を行っている浄土村は、大師ゆかりの土地である。

2)大文字の山自体も、大師の修行の地の一つであった。

3)あの大の字の筆跡は、筆の名匠・弘法大師のものである。

4)大文字山の斜面は、かなりの高低差のあるデコボコしたもので、そこに地上から綺麗に見える大の字を設置するのは、大師にしか出来なかったのではないか。

などがあります。

 

なお京都の人の間では「弘法さんが始めはったんや」と代々、伝承されています。

2009/11/11

葛城

  奈良県と大阪府との間に聳えている葛城山系(主峰は金剛山、1125m)は神のいます山として古くから知られ、その山麗一帯が「葛城の国」であった。

 

葛城」の名の由来は、千二百余年前に編集された『日本書紀』によれば、初代天皇・神武帝が大和平定の折、この地で抵抗する土着民(体が短く、手足が長い侏儒(こびと)のような土蜘蛛)を葛のつるの網を被せて退治したことによる、とされている。その後、この地には葛城の国造りが置かれた。ひとつの行政的単位としての葛城地方が存在したことは、重要な意味を持つと言える。

 

古墳時代にこの地を治めたのは葛城氏で、記紀によれば4世紀後半、大和朝廷の朝鮮半島進出に活躍した葛城襲津彦(そつひこ)は、皇室と関係を持った数少ない有力豪族だった。彼の娘は、仁徳天皇の皇后として有名な磐之媛(いわのひめ)であり、皇室に妃を出すことによって5世紀ころは最も繁栄したという。

 

御所(ごせ)市室(むろ)には、全国屈指の大規模な宮山古墳(国史跡)など、葛城の国をあとづけるものが数多く散在している。この地はまた、役の行者・大津皇子、楠木一族などに代表される日本人の精神生活に深い形跡を留めている。  東の山之辺の道に対する西の葛城の道は、竹之内から南へ笛吹き神社・櫛羅(くじら)・九品寺(くほん)・一言主神社・極楽寺・高天彦(たかまひこ)神社をむすぶ葛城山麗を言い、古代最も栄えた道である。

 

大阪府と奈良県の境に、葛城・金剛山地というところがあります。奈良県側の葛城山麓は、葛城氏という氏族が住んでいました。後に衰微しましたが、古代王朝を支えた有力豪族でもあります。(葛城氏の系統から鴨氏が出、奈良県葛城には高鴨神社があり、この氏族が京都で奉じた神がのちの下鴨・上賀茂神社の神と言われます)

 

日本書紀の神武天皇の条では葛城について、この地に土蜘蛛という手足の長い賊があり、これを制するのに蔦葛で編んだ網で捕らえ殺したからとありますが、地名語源には日本の古い言葉、やまと言葉で説明しようとする立場も強いです。

 

 「鴨川の流域に、有名な上賀茂神社と下鴨神社があります。ここはかつて「賀茂郷」と呼ばれていました。鴨川の名前の由来は、この地名によるものです。そして賀茂の地に住んで、上賀茂神社や下鴨神社をまつっていたのが、鴨(賀茂)氏です。

 

鴨氏が京都の今の地に来るまでは、奈良の御所市葛城の地に住んでいたと考えられています。今も高鴨神社、鴨都波神社、鴨山口神社などの神社や、カモの地名が多く残されている土地です。鴨氏の名前はおそらく、この御所市のカモの地に住んでいたことで、付けられたのでしょう。

 

では、カモという地名は何に由来しているのか?

これは、大変に難しい問題です。日本人の根源にも関わる問題でもあるのですが、カモとは「」のことではないかとする説があります。

 

「カモ」と「カミ」、そういえばよく似た音です。どちらが、より古い言葉なのかはわかりません。「醸 (カモ)しだす」の「カモ」も、同じ語源と思われますし、いずれにせよ聖なる存在を表現した言葉だったのでしょう。動物の鴨もまた聖なる鳥であり、北から渡ってくる鳥は天から飛来する鳥だったのです。  カミ(カモ)なる鳥ということで、カモの名が与えられたのだと考えられます。

 

・葛城に聖なる地があり、ここで神(カモ)をまつる氏族が「カモ氏」である。

・カモを漢字で表記すると「賀茂」あるいは「加茂」であるが、聖なる鳥「鴨」の字を取って鴨氏とも名乗った。

・カモ氏が京都に移住してその地を「カモ」とし、上賀茂神社や下鴨神社をまつった。

・神(カモ)の社として、この2社は神社の中の神社として尊崇され、川の名前もそこから鴨川になった。

 

次に、金剛山の由来を転載します。

 

「この山は古来、葛城山または高天山とも呼ばれていました。日本書紀神武天皇の巻に、葛の網を着せて土賊を掩い殺した・・・云々に由来しています。更に時代が移り、天智天皇四年(約1300年前)役の小角十六才の時(後の山岳宗教の開祖・役の行者又は神変大菩薩と称される)、この山に登られ霊気を感得、長い修業の後、頂上に法起菩薩をご本尊とする金剛山転法輪寺を建立され、ご自身の祖神、一言主神を祀る葛木神社を鎮守として併せ祀られ、神仏混淆の霊峰とされました。

 

以後、真言密教の霊場として信仰を集め、転法輪寺のお寺の山号である『金剛山』が略称の様に使われ、葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。

 

更に後醍醐天皇(約650年前)に移ると、大楠公が金剛山転法輪寺の山伏精力を利用し、僅か五百の兵で智略を使った結果、関東の五万の大軍を寄せつけなかった千早城の要塞としても関わりの深いものが有ったと言われています。


出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

「葛上(かつらぎのかみ)郡」、「忍海(おしのみ)郡」、「葛下(かつらぎのしも)郡」の三郡は、大和川の南、金剛山地の北、葛城山脈の東麓の地帯。葛下郡は概ね現北葛城郡王寺町、上牧町、當麻町、香芝市、大和高田市の地域、忍海郡は現北葛城郡新庄町の中心辺り(近鉄御所線の忍海(おしみ)駅があり、忍海の地名が残っています)

 

葛上郡は御所市の地域で、三郡の北は大和川、東は広瀬郡、高市郡、吉野郡、南は宇智郡、西は河内国に接しています。

 

『和名抄』は「加豆良支乃加美」、「於之乃美」、「加豆良支乃之毛」と訓じています。『日本書紀』神武即位前紀己未年2月条に、高尾張邑の土蜘蛛を

 

「皇軍、葛の網を結(す)きて、掩襲(おそ)い殺しつ。因りて改めて其の邑を號けて葛城(かづらき)と曰ふ」とあります。

 

この「かづらき」は

(1) 「葛の生えたところ」の意

(2) 「カヅ(カテ、カツラ。崖地、急傾斜地)・ラ、キ(場所を示す接尾語)」の意、とする説があります。

 

この「かづらき」は、マオリ語の「カツア・ラ(ン)ギ」、KATUA-RANGI(katua=stockade,main portion of anything;rangi=sky,heaven,tower or elevated platform used for purposes of attack or defence of a stockade)、「空に聳える砦(のような地域。そこにある山)」の転訛と解します。

2009/11/08

巨人が日本一に

プロ野球で巨人が7年ぶりに日本一(21度目)となった。

 

小笠原、ラミレスという磐石の34番と阿部を軸に、坂本、亀井、松本といった若手手の急成長、また投手陣は生え抜きの内海、ヒサノリ、東野はイマイチだらしがなかったが、最多勝を捥ぎ取ったゴンザレスと途中加入のオビスポの存在感は、実に大きかった。特にゴンザレスは、彼なくしては優勝はなかっただろうと思えるくらいの安定感(152敗)で、個人的には最もMVPに相応しい働きをした選手だと思っている。勿論、去年同様に山口&越智の中継ぎコンビの活躍も見落とせない。

 

シーズンでは、2位中日に12ゲームもの差をつけて圧倒的な優勝を飾り、CSでも中日を圧倒して迎えた日本シリーズであり、相手の日本ハムも巨人同様シーズン優勝から順当にCSを勝ち上がってきた強者だけに、真のチャンピオンを争うに相応しい対戦である。

 

緒戦を敵地で取った時には

 

「これは案外、簡単に行ってしまうかも」

 

という気さえしたものだったが、第2戦は病み上がりで本調子でないダルビッシュを打ちあぐねて敗戦。投ではダルビッシュ、打では稲葉が活躍すると一気にムードが変わってしまう相手だけに、この2人はしっかり攻略しなければならないところだったが、その稲葉にも2発を打たれ22敗と互角の展開が続く。先に王手をかけたとはいえ、敵地北海道に戻って最終戦まで縺れ込めば、再びダルビッシュが出てきそうな展開だけに、第6戦で一気にケリを着けてしまいたい巨人としてはとしては、まさに絵に描いたような理想的な形で日本一に輝いた。

 

日ハムのナシダの采配ミスが何度かあったところからすると、もっとしたたかな前監督のヒルマンだったら巨人はもっと苦戦していたところだろうが、ともあれ原監督はWBCに続いての胴上げと、Gファン(一応w)にとっては二重の喜びで最高のシーズンとなった。

 

それにしても、あれだけシーズン中に足を引っ張り続けたクルーン(狂~ん)に、なぜ3度も胴上げ投手の美味しい役どころを与えたのか、まったくもって理解に苦しむ。  一年通して頑張った山口、越智にも経験させてやりたかったなー。

2009/11/04

空気の支配(反日政党の末路)

暴力団構成員の殆どは、在日コリア人やxxx出身者であることは、周知の事実である。これらの重要な事柄(反日政策)はマニフェストには書いておらず、選挙の時には巧妙に隠蔽してきたという悪辣さだ。これでは一体、どこの国の政治家であり政党だかわからないし、こんなことで「国民の生命や財産」を守れるはずもなく、民主党政権では国益を損なうのみである。

 

ここまで書いてきたどれもこれもが、あたかもアングラかブラック本の話のように聞こえるかもしれないが、これが民主党の本質なのだ。その党が「政権政党」として日本の舵取りをしていく事になるのだから、決して冗談話などではない。日本人がなぜ、このような売国奴どもを狂喜乱舞して支持するのかがサッパリ理解できないし、マスゴミの捏造報道に煽られ熱に浮かされた輩の集団ヒステリーだとしても、大概に節度を弁えてくれよと言いたくもなる。

 

もっともハトヤマは所詮は傀儡に過ぎず、民主の実際の首魁がオザワであることはミエミエだ。そのオザワとは、どうのような人物かといえば、かつて親分らとともに「コンチクショウ(金竹小)」と呼ばれていたくらいで、お清潔好きな民主支持者たちの大嫌いな「金権腐敗の元凶的な存在」だったことを忘れたとは、ご都合主義が過ぎる。

 

言うまでもないが、選良として最も大事なのは「国益を守る」ことが第一である。国益を損なうクリーンな無能力者よりは、胡散臭くとも絶対に「国益優先」でなければならない。実際、政治に金や闇社会が付き物であることは今に始まったことではないから、クリーンといわれる政治家は往々にして、単にそれだけの才覚がないだけだったりするのである。

 

不思議なことに、政治家としてオザワを評価する向きも多いようだが、ワタクシは自民党で君臨していた幹事長の頃から、オザワなんぞは一貫してまったく評価していない。  それどころか、大の「オザワアレルギー」である。

 

所詮は自民党内の権力闘争に敗れ、居たたまれなくなって飛び出したに過ぎず、その後を言動を見てもかつてボロクソに扱き下ろしていた社会や公明どころか、自民とだって平気で野合(自民も公明と野合は問題だったが、まだしもオザワよりはマシである)するような無節操なヤツなのだ。また、自ら新政党を作ってはぶち壊しを繰り返すなど、あの分裂ぶりを見ればどう考えても頭の中には私利私欲しかないことは明白である。

 

それもこれも「国益」を追求するための行動ならまだ許せるが、先の「コンチクショウ(金竹小)」時代には、北朝鮮への「土下座外交」で日本の歴史に泥を塗るような禍根を残すという、死罪に値する許しがたい大罪を犯している。それに飽き足らず、次にはアメリカに擦り寄って「日本改造計画」(言うまでもなく田中角栄「列島改造計画」の二番煎じ)や「国際貢献」をぶち上げたかと思えば、次には社会党と野合しコリアやチャイナへの謝罪外交を推進して、日本の名誉や国際社会での地位を著しく貶める、といった調子で、まったく支離滅裂としか言いようがない。

 

要は、権力闘争における狡猾な立ち回りだけで生き残ってきたような、極めて低劣な権力亡者に過ぎぬ。自民党中枢にいた頃はもう少しはマシかと思っていたが、権力の座から滑り落ちてからは政権を取ることだけが目的となり、そのためには一切の手段を選ばないという妖怪の正体が丸出しとなってしまった。

 

勿論、政権を取らないことには政策が実現できないのだから、究極的には政権を取るのが目的でなければ政治家の価値はないともいえるが、そのために日本及び日本人を侮辱した挙句、国益を損なってでも政権にしがみつこうというのは「狂気の沙汰」としか言えない。こんな胡散臭いヤツが、実質的に仕切っているのがミエミエだった政党に「300議席」を与えた人々に「本当に正気の選択だったのか?」と、改めて問い直したいものだ。

 

オザワと言えば、かつて自民党で権力を振るっていた頃は「普通の国になれ!などとタワゴトをホザイテいた大バカモノである。オザワの称する「普通の国」とは、要は政権政党としてアメリカサマに尻尾を振っていた頃だから、有り体に言えば「自己責任」とか「小さな政府」というヤツである。

 

ところがいつの間にやら、と言うより政権欲しさばかりに「シャミン」に擦り寄って「大きな政府」を唱えだしたかと思えば、次には性懲りもなく「脱官僚」などと言い出した。「脱官僚」と言うことは、取りも直さず自己責任社会だから

 

「おやおや・・・また小さな政府への回帰を言い出したのかいな・・・」

 

と思っていたら、今度は「地方分権」である。ところが「地方分権」を声高に叫ぶ傍らから、たかだか地方の一ダムに過ぎないものの打ち壊しに躍起となり、中央権力の威を笠に強引にぶち壊そうというデタラメっぷリだ。

 

さらには「子供手当て」やら「高速道路無料化」といった「手厚い政府保護」という社会主義的な「大きな政府」を唱えるといった調子の支離滅裂っぷりは、さながらマンガとしか言いようがない(マンガでもありえない酷さか)

 

いずれにしても、いまさら幾ら嘆いてみたところで既に賽は投げられてしまったのだから、最早どうにもならないのである。ともかくルビコンを渡ってしまった民主は、くだらない「マニフェスト」であろうが(公表したものについては)、責任を持って公約を履行するしかなくなったが、公約倒れに終われば移ろいやすい大衆の「空気」は、再び自民その他へと流れることになるだろう。

 

そのようにして、繰り返される大衆の気紛れに見捨てられる民主は、(かつて100以上の議席を有しながら、今や限りなくゼロに近いまでに愛想をつかされた)社民党と同じ、没落の道を転げ落ちる事になるのは必定だ。そうなった暁には「一時の空気」に支配された民主支持者たちは

 

「もう絶対に、民主だけには任せられない!!!」

 

とヒステリックに喚き立てるのも、これまた必定であろう(その時は、絶対に許さないからな (▼д▼)y─┛~~゚゚゚

 

衆愚政治(Ochlocracyとは、多数の愚民による政治の意で民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況を指す。また有権者が、各々のエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。

 

知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などを指す。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求など様々な誘引に導かれ意思決定を行うことで、コミュニティ全体が不利益を蒙る政治状況をさす。

2009/10/12

(プロ野球)CS制度のアホ

プロ野球の「クライマックスシリーズ(以降「CS」と記す)」のおかしさは、これまでにも散々書いてきた。このヘンテコリンな制度は、MLBのポストシーズンを真似たものなのだろうが、いつも言っているようにあらゆる条件がまったく違うMLBを真似るなど、愚の骨頂である。

 

そもそもリーグで6つのチームしかないのに、3位になれば無条件でCSに進出できるというところからして、まったくおかしいのだ。今年は、その欠陥制度の弊害がモロに出てしまい、なんと勝率5割にも満たないヘッポコチームが、CSに進出するという醜態が発生した(7172敗のヤクルト)

 

1年のトータルで負け越したチームが、日本一を決める舞台への出場権を賭けた戦い」に参加してくるというのだから、世界広しといえどこれほどバカゲタ制度があろうか?

 

2位の中日に「10」ゲームもの差を付けられ、勝率5割にも満たないヤクルトが、第1ステージではまったく同じ条件で、3試合のうち「運良くたった2勝」してしまうだけで、決勝ラウンドに進んでしまうのだ。さらに、決勝ラウンドに進んだ場合は「22ゲーム差」という天文学的な大差をつけた巨人に与えられるアドバンテージが「たったの1」という大バカヤローな制度なのである。

 

中日とヤクルトとは「10ゲーム」もの差があるのだから、単純計算でも10戦全勝でようやくイーブンであり、また「22ゲーム差」の巨人とヤクルトに至っては「22勝分のアドバンテージ」をつけない限り、この制度は「出来損ない」としか言いようがない。これが35ゲーム程度の差であれば、長いシーズンでは「誤差」の範囲と見ることも出来なくはないから、CSの出場資格としては、せめて「首位と5ゲーム差以内」程度の規定は最低限必要であるし、ましてや勝率5割にも満たないチームなどは、まったく論外とすべきなのである。これは大相撲に喩えれば、7勝8敗で負け越した力士が優勝決定戦に出ることと同じで、いかに愚の骨頂であるかがわかろうと言うものである。

 

しかも短期決戦では、必ずしも実力が反映するとは限らないから怖いのだ。たとえ「22ゲーム差」の実力差があっても、たまたまこの時期の選手のコンディションや勢いなどによって、どう転ぶかわからないのが勝負事である。ましてや今年のように、早々に優勝を決め1ヶ月もの間が空く事で緊張感が欠けてしまうであろう巨人と、低次元とはいえ最後まで3位を争ってきたヤクルトでは、モチベーションがかなり違うはずである。 だからこその6ヶ月、144試合という長丁場のシーズンを通して「極力運などの要素を排除した、真の総合的な実力を競う制度」になっているはずなのに、これでは「何のために半年間もかけて、144試合も戦って来たか」の意味がまったくなくなってしまう。それどころか僅か数試合の偶然の結果で、144試合もの努力の結晶をひっくり返そうという「劣悪な制度」としか言いようがないのである。

 

無論、プロ野球はエンターテイメントであるからには、ファンを歓ばせる事こそが第一義であるのは間違いない。だからこそ、これまで人気に胡坐をかいていたセリーグも、バカにしていたはずのパリーグを真似て二番煎じの恩恵に肖ろうという、さもしい発想に便乗してきたのだろうし、現実に興行としては成功しているのが、さらにこの問題を厄介にしている。人気凋落が叫ばれて久しい中にあって、苦肉の策として金儲けの余興としてやることにまで敢えて反対はしないが、単なる拝金主義で終わってしまっては見識がなさ過ぎると言うものだ。

 

結論的には、あくまでペナントレースの延長線上に存在しなければ意味がないし、そうでなければサッカーの天皇杯のようにペナントレースとは別に存在する、トーナメント形式のお祭りにすべきなのである。どうしても今のような、ペナントレースの延長線上という形式を続けるのであれば、先に触れたようにゲーム差を考慮した適切なハンデを設けるなり、セ・パに関係なく「勝率上位4球団+ワイルドカード」にするなり、また少なくとも先に触れたように勝率5割5分以上というような「出場資格」を設定しなければ、世界中の笑いものである(誰もこんなバカに注目してないだろうが・・・

2009/10/11

大文字の謎(1)

出典http://kyoto.nan.co.jp/

ところで今更ながらだが、ここで「大文字」とはなにかという基本的なところから、確認していきたい。


 盆の精霊様の迎え火・送り火の変形した観光行事で、祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。他界(あの世)の祖霊を、天空から山を通じて家々に迎える趣旨からいうと、百八松明と同じく本来は迎え火の行事であった。

 

著名なものは、京都市東山の如意ヶ岳の西峰大文字山で、毎年816日(もとは旧暦716日)の夜行う火祭りで、それゆえ送り火の代名詞のごとく言われている。 山の中腹に地元の人たちがマツの割木を組んでおき、一斉に火をつけて「」の文字を浮き出させる。市民や観光客は、遠望して観賞する。

 

その他に、衣笠金閣寺山(金閣寺大北山の「左大文字」)にも同じものがあり、西賀茂船山では船形、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)では妙法、嵯峨曼荼羅山(水尾山)では鳥居形がある。これらが同夜相前後して点火され、これを五山送り火と呼んでいる。

 

同類の行事は全国に点在し、神奈川県箱根の大文字焼きも著名であるが、山梨県北杜市須玉町では万灯火(まんどび)といって、盆の13日から15日まで毎夜、集落から見える山の斜面に青年たちが麦稈を置いて焚き「キ」「正」、酉年なら「トリ」、15日は「止」などの文字を浮き出す>

 

とある。

 

次に「大文字焼き」の起源を見ていくことにする。

 

大文字に代表される送り火の起源について、それぞれ俗説はあるものの不思議と確実なことはわかっていない。まず送り火そのものは、再び冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは、室町から江戸時代以後のことであると言われている。古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送る、という風習を記した史料がある。これに対し、現在の五山の送り火は山において点火されるという、精霊送りの形態をとっている。


  816日午後8時から、京都盆地の周囲の山に、炎で描かれた「」、「妙法」の文字や鳥居、船が次々に浮かび上がる。お盆に迎えた精霊をふたたび冥府に返す精霊送りの意味を持つ、あくまで宗教行事である。市内の川沿いや御所など開けたところから遠望することができ、関係者は静かに手を合わせ先祖に思いを馳せて欲しい、としている。

 

今では夏の風物詩として有名な大文字の送り火ですが、その起源や由来が謎に包まれている事は意外と知られていません。長らく日本の首都であった平安京では、その殆どの行事や風物は朝廷などによる公式な記録が残っていますが、大文字の送り火については、そのような公式記録がなく、「いつ、誰が、何のために」始めたのかは、謎のままになっています。

 

「あくまでも民衆による自発的な行為だったので、記録されなかったのでは」とも言われていますが、今でも現代人の目を惹く大文字、昔の人々にとってはさぞかし夏の夜の一大パノラマだったでしょう。

 

その大文字に朝廷が何の意見も述べていないのは不思議ですし、また昔は京都周辺の殆どの山々で送り火が燃やされていた時期もあるとも伝えられており、そのような事が朝廷の許可なく行われていたとは考え難いです。それとも、山々に灯す送り火は、わざわざ書き留める必要もないほどの自然な行いだったのでしょうか。

 

と、あくまで謎に包まれているのである。 


 その謎を解きあかすには「日本人とお盆」、「京都でのお盆」を探ってみなければならないらしく、ここで「盂蘭盆(うらぼん)」というモノが登場してくる。

 

元々、お盆とは中国から伝来された仏教行事のひとつ盂蘭盆の略で、日本では盂蘭盆会(うらぼんえ)とも言われています。語源は梵語のウランボーナで、逆さ吊りの苦しみを表します。

 

ある時、釈迦の十六弟子の一人である目連は、自分の生母が餓鬼道に落ち逆さ吊りに苦しんでいる事を霊感しました。そこで7世代前までの父母の霊を救うために、百種の供物をしたというのが盂蘭盆の始まりとされています。

2009/10/07

空気の支配(「人権擁護法」の恐怖)

さらに恐るべきは「人権擁護法」である。なるほど「人権擁護」などといえば、あたかも聞こえはいい。が、問題は「誰のための人権擁護か?」ということである。この法律を導入することで誰が得をし、そもそも誰が何の目的で推進しているのかを考えれば、それは直ぐにわかる事だ。

 

この「人権擁護法案」なるものを要求しているのは、XX解放同盟やら在日K国人である。しかも「実際に差別の被害にあっているもの」だけではなく「差別を受ける恐れのあるもの」までもが対象となっている。その「受ける恐れがある」とは、誰がどのようにして判断するのか?

 

この仕組みは、まず法務省の外局として「人権委員会」なるものが設置される。これは司法、行政、立法のどれにも属さない「独立した権力」であり、そこが「全国に最大二万人の人権擁護委員を選定」し、この全国に散らばった「人権擁護委員」が国民生活を監視する、というのが隠された実態である。

 

早い話が、ナチスドイツの「ゲシュタポ(Gestapo」や、東西冷戦時代に恐れられた東ドイツの「シュタージ(Stasi)」(秘密警察組織)」のような、思想及び言論統制の恐怖組織なのである。この「人権擁護委員」なるものが「実際の被害にあっているもの」だけではなく「被害を受ける恐れのあるもの」まで判定するというのだから、人権擁護委員は、まことに神のような人たちである。

 

しかし、これで驚いてはいけない。どんなデタラメでも、人権擁護委員が「これは差別の恐れがある」と独断した場合は「令状なしで立ち入り捜査」ができてしまうのである。 国家権力である警察ですら「令状なしで立ち入り捜査」などという強権の発動は出来ないのだから、つまりは警察以上の権限を持つことになるということだ。これを「三権分立の崩壊」と言わずして、なんと言うべきか。

 

さらには「職務遂行の結果を、一般に公開する義務が無い」のだから、極論すれば「人権擁護委員が、なんとなく気に喰わんというだけの理由」で「令状なしで立ち入り捜査」をしても、された方はわけがわからないまま「犯罪人」に特定されてしまうという、恐るべきバカさ加減なのである。「言論の自由」などは、風前の灯だ。

 

このようなデタラメな「人権擁護委員の罷免」に国民が参加できないというのだから、これは日本をスターリンの恐怖国家にしようという、トンデモナイ法案だとしか言いようがない。しかも、この人権擁護法案における人権委員は、ナント外国籍(在日K国人やC国人)にも任命されるというから、少なくとも国益(正確には「私益だろうが」)は最優先だった旧ソ連より、もっとタチが悪いのである。

 

これが実現すれば、在日K国人はこの人権擁護法案を武器に使い、必ず外国人参政権を要求する。在日K国人に参政権がないのは差別であり、人権侵害であり、人権擁護違反であると、例によって喚き騒ぎたてることだろう。つまり在日K国人にとって、人権擁護法案は外国人参政権への前段階なのである。

 

そして在日K国人に参政権を認めれば、いずれ被選挙権も要求するのは間違いない。その結果は、多くの在日K国人籍の国会議員が誕生する危険性もある(すでに民主党には、その種の出自の怪しい議員が存在しているではないか!

 

当然ながら、彼らはK国政府の指示で動くから、日本の政治にスパイが大手を振って介入しているようなものであり、日本が乗っ取られてしまうというのもまったく冗談ではなくなるのだ(そもそもC国に至っては、総選挙すら出来ない共産党独裁国だから、自国の選挙権すら持たないのである)

 

こんな政策を進めようと画策しているヤツは、一体「どこの国の政治家なのか?」としか言いようがない。そして、この「人権擁護法」についても「外国人参政権」同様、「主権者たる日本人の人権」は、まったくないがしろにされているのだ!

 

まことにもって不思議なことだが、日本のマスゴミにとって守るべき「人権」は常に重大犯罪事件の容疑者や死刑囚、或いは在日外国人が対象であって、本来最も守らなければならない日本人の人権や犯罪事件の被害者の人権は、いつまで経ってもないがしろにされ続けているのである。

 

この他にも挙げていけばキリがないが、国際法でとっくにケリがついているのに、未だにありもしない「日本の戦争責任」を穿り返し、謝罪外交のための官庁を創ろうという画策、さらには靖国神社を否定して新しい施設を建設しようとしているだけに止まらず、ご丁寧にもわざわざチャイナくんだりへ行って「第2次世界大戦時のA級戦犯が祀られている限り、日本の首相は参拝に行くべきでない」などとアホな約束をして、支持を取り付けるという売国奴なのである。

 

政権欲しさに、国家のために身を挺して戦った英霊を「A級戦犯」と断罪し、侮辱して足蹴にすることも恬として恥じない。「戦争犯罪人」として諸悪の根源のような極悪人に仕立てられた東条英機元首相の

 

「自分は日本国民に対して敗戦の責任を負っているのだから、喜んで絞首刑になる。 しかし、戦争犯罪人と言われることについては、断じて拒否する」

 

という言葉の重みなどは、爪の先ほども考えたことがないのだろう。

 

さらには、国旗の日の丸をズタズタに切り貼りした党旗を作り「我が党の神聖な党旗云々」と、日の丸軽視をも露呈している(靖国の神道も否定)

 

この党が、党大会などでも日の丸を掲げないのは、C国やK国(或いは、それらに関する在日団体)に対して忠誠でも誓っているのか、としか解釈のしようがない。

 

他にも論っていけばまことにキリがないくらいに、どれひとつとってもとても正気の沙汰とは思えない人物であり政党というのが、民主党とその党員なのである。

 

「自治労」、「日教組」など、反日的な団体が民主党の支持母体であることは知られているが、これ以外にも「在日K国団体」、「XX解放同盟」も民主党支持母体である。そればかりか、党員資格も「在外邦人や 在日外国人の方もOK」(明らかにコリアやチャイナを想定)と謳っているのである(公明党も同様)

 

自民党の「本党の目的に賛同する日本国民」は言うに及ばずだが、共産党ですら  「日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり・・・十八歳以上の日本国民は、党員となることができる」と規約されている。

 

在外邦人や 在日外国人の方もOK」の民主党や公明党よりも、共産党の方が遥かにまともといえる。

2009/10/03

宇治

 出典http://www4.kcn.ne.jp/~usuitoge/chimeinoyurai.htm

 宇治は源氏物語・宇治十帖の舞台で、藤原頼通が建立し、世界遺産にも指定されている平等院で有名である。また宇治は茶所として、全国にその名が知れ渡っている。

 

うじ」という地名の名は、喜撰法師(きせんほうし)の

 

「我が庵は 都のたつみ鹿ぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」

 

という句に登場する。

 

「うじ」と聞くと、「うじうじしたところ」、関西では湿っぽいところの意味を連想させる。人の場合に例えると、いつまでも執念深いヤツ、優柔不断な者を意味する。いずれにせよ、単語から連想する悪いイメージから、偏屈な人物、斜に構えた人物などが隠れ棲む所だと思っている人がいるかもしれない。しかし「宇治」とは、そういう「うじうじ」した所に語源があるわけではない。

 

岩波文庫に、天保時代にまとめられた「百人一首一夕話」の中の喜撰法師の項で、歌の解釈や味わい方とともに「宇治」という地名の由来が記されている。それによると

 

「山城国宇治郡の事は、応神天皇第四の御子を大鷦鷯皇子(おおさぎのおうじ)と申し奉り、また末の御子を菟道若郎子(うじのわかいらつこ)と申せしが、この御子桐原の日桁宮(ひけたのみや)を造り、大宮となして住ませ給へり。この御座所(ござしょ)をもとは許の国(きのくに)といひしを、ここに住ませ給ふ菟道若郎子(うじのわかいらつこ)の御名によりて後に宇治郷と名づけたる由、風土記に見えたり」

 

となっている。

 

応神天皇の四番目の皇子である、菟道若郎子(うじのわかいらつこ)がここに宮殿をつくって住まわれたことによるというこの由来話が、これまで「宇治」という地名についての公式見解とされてきた。

 

実際、「うじ」は「菟道」という字が当てられていることもあった。だが地名研究が進むにしたがい、これは違うということになってきている。「菟道」だけではなく「鵜路」、「宇遅」、「宇知」などいろいろな字が当てられてきた。

 

では「うじ」とは、何を意味するのであろうか?

 

「宇治市史」には「うじ」とは「うち」を意味する、と書いてある。「うじ」の北も東も南も山に囲まれ、西はというと巨椋池に塞がれ、これらの内にあるからまさに「うち」で、これをいつしか「うじ」と呼ぶようになったとしている。

 

「日本語源大辞典」は、菟道若郎子が宮殿を建てて住むより前から「うじ」という地名はあったから、菟道若郎子に由来するものではなく「内」だから「うじ」になったという説を採っている。この説に対し、あの南方熊楠は「兎に関する民俗と伝説」のなかで、文字どおりに解釈すべきだとし「兎が群れて通ったことから起こった」と、ケモノ道ならぬ「ウサギ道(菟道)」に由来しているのではないか、としている。

 

他にも「うじ」の「じ」について昔から「道」「路」が当てられていることから考えて、やはり「道」「路」に由来があると見た方が良いのではないかとされ  「ウ(諾、宣)なる道、すなわち一番良い道、ここより外に適当な所がなく、ここが最上に都合の良い道というぐらいの意味で、ウナミチ(諾道)というのが語源であろう」という解釈もある。

 

7世紀頃、日本人は「良い、都合がつくと思う時にウベナリ(諾)と言い、承諾する時の応答語にウとかムとか発音した」ことも記され、肯定して「ウナヅク」の「ウ」も、首筋の「ウナジ」の「ウ」もそうで、さらに宇治の南に古代につくられたミゾ(溝)のことを「ウナデ」と呼んでいることが記され、それは田んぼの溝の土を高く盛ったところを「ウネ(畝)」ということからきており、宇治の道はまさに、そのウネのようなものであるとされている。

 

同じく道に関係している地名に、宇治田原や宇治山田がある。余談ながら、我々が返答するとき「うん」というのは「うべなり」「うなづく」からきているのだが、よく親から「ウンではなく、ハイと言いなさい」と叱られたことがある。  しかし、古代日本語では「ウン」が正しいのである。「ハイ」は漢字が入ってきてからで、これは「拝啓」、「拝読」などの「ハイ」から来ているのである。

 

もう一つ「う」から始まる地名に、京都の右京区の「うたの、うだの(宇多野)」というところがある。ここも「ウベなる田」つまり「良い田」、「素晴らしい野」という意味である。これに対し、奈良県の「(うだ)宇陀」は「湿地帯」を意味する地形語からきている。

 

アダ(穴田、穴太)、ウダ(宇陀、)、ムダ(六田)は同義語で、湿地を意味するアクツ、アクト、アドから転化したもので、河川流域の湿地を意味するとされ、同じ「うた(うだ)」でも正反対の意味がある。

2009/09/28

化け物の復活

白鵬と朝青龍は、まさに静と動である。

 

仕切りの時から鬼のような表情で睨みを利かせ、必要以上の威嚇で相手を戦意喪失に追い込んでおくのを身上としている朝青龍に対し、水が流れるようなゆったりとした形式美の白鵬である。立会いから爆発するような、人間離れのした集中力と圧倒的な体幹の強靭さ、さらには動物的な勘と反射神経で、相手の力を徹底して封じ込めて自分のペースで一気に勝負を決してしまう朝青龍に対し、しなやかな体で真正面から相手の力を吸収して、吸い取ってしまうのが白鵬である。

 

朝青龍の土俵外の狼藉については、これまでにも何度も触れてきたから、ここでは繰り返さない。本来であれば、これまで数々の問題のあった時点で角界から追放すべきだった、という主張はこれまで繰り返してきたし、横綱昇進にも断固として反対してきた。が、それらの数々の批判を、圧倒的な力で捻じ伏せてきたのが朝青龍であり、その圧倒的な強さの前に断固たる措置を取る事が出来ず、ズルズルと誤魔化しを続けてきたのが相撲協会なのだから、今更この大バカモノ協会に対して期待するところはなにもない。

 

朝青龍は単にバカ強いだけでなく、土俵上で見せるここ一番の集中力、観客の目を惹き付ける力強い相撲、仕切りに見る満々と漲る闘志、そして動物並みの運動神経と反射神経・・・いずれもが現役力士ばかりでなく、相撲観戦歴数ン年のワタクシにして、過去のどの力士に比しても群を抜いている点は、認めざるを得ない(あえてタイプをあげれば、全盛期の千代の富士に最も近いか)

 

確かに朝青龍は、人間的には疑いなくトンデモなヤツであり「横綱としての権威・品格」からは依然としてほど遠いが、この人物にそれらを求めるのは「八百屋で魚」の類であろう。「人間・朝青龍」という事で言えば、これほど憎たらしく嫌なヤツはいないのは確かで、常に泰然自若として温厚篤実な白鵬とは、天地雲泥ほどの差があることは疑いがない。その反面、「横綱としての凄み」とか、全身から放たれるオーラのようなものは、他の力士と一線を画している特異な才であることも、これまた確かなのである。 またしても、優勝決定後に土俵上でのガッツポーズがあったが、過去の数々の行状から見れば、そのような事をするだろう人間性はわかりきっているし、それを承知の上で横綱にしたのであり、なおかつ土俵に上げているからには、今更こうした批判を繰り返すことは、殆ど意味をなさない。

 

繰り返すが、ここでは「人間性の問題」と「力士(またはアスリート)としての力量」とは、まったく別次元の話として論を進めている。(厳密にはスポーツではなく「国技」だが、広義で)格闘技スポーツ観戦オタクの目には、あの土俵上に見る「アスリート・朝青龍」の圧倒的な存在感と、目を離せない魅力に溢れている事もまた厳然たる事実であって、実力とは無関係な嫉妬の感情で眼鏡を曇らせないのは、格闘技オタクに必須の条件なのである。なんと言っても、力士の本分は

 

「土俵上で、どれだけの素晴らしいパフォーマンスを見せられるか?」

 

に尽きるし、結局のところ土俵上で求められるのは「強さ」と「結果」なのだ。あまり大きな声で言いたくはないが、現実として朝青龍以上の強さと魅力ある相撲で、観客を釘付けすることが出来る者は(白鵬を除けば)皆無というのが、ここ数年の実情ではないか。

 

厄介でも世の中とはこのように、総てが理屈で割り切れるものではないのである。  その意味で、横審の某バーさん委員が「強ければ良いというものではない」と言っていたのも所詮は負け犬の遠吠えに過ぎず、あくまで「強くなければダメ」なのだ(余談ながら、あの夜叉のようなバーさんの酷い言動は、朝青龍嫌いのワタクシですら聞くに堪えず、それこそ「横審委員に相応しい品格を著しく欠いている」と思うのだが・・・) それだからこそ早く引退を望む声が上がる一方で、いざ引退が現実になりかかるとどこか一抹の寂しさを拭いきれないような、あの好角家の複雑な反応はよくわかるのである。

 

それほどに憎らしいほどにバカ強かった朝青龍も、ここ数年は徐々に下降線を辿っていたはずだったのが、まるで時計の針を強引に45年くらい前まで戻してしまったようなバカ強さが今場所では復活し、誰が挑んでもまったく勝負にならないくらい、大関以下とはまだまだ天文学的な力の差があった。

 

平幕相手に一度だけ不覚を取った白鵬と、星ひとつの差で千秋楽を迎える。本割りでは、白鵬が鬼気迫るような出足で一方的に投げ飛ばして圧勝し、優勝決定戦に縺れ込んで盛り上がりは最高潮に達した。両者の力関係からすれば、どちらかが2連勝するのは至難の業だと見るのが順当だろうが、このところやや下降気味の朝青龍であり、また本割りでの圧倒的勝利を観た後だけに「白鵬の逆転優勝があるかも?」と、これまで以上に期待を持った(無論、ワタクシの応援するのは白鵬である)

 

が、結果は「朝青龍復活Vという最悪の結末」となってしまった。それにしても、仕切りでのピーンと緊張感が張り詰めたような睨み合いから、力とプライドが激しくぶつかり合う素晴らしい勝負を堪能させてもらった。

2009/09/19

空気の支配(「外国人への参政権」の怪しさ)

ここに至っては、麻生や自民には最早悪いイメージばかりが先行して、何を言っても誰も聴く耳すら持たぬ、集団ヒステリー状態と来ている。あのマスゴミによる情報操作が、なぜ放送法違反にならないのか?

 

放送法第1章の2放送番組の編集等に関する通則 (国内放送の放送番組の編集等)第3条の2

 

放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること。

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

繰り返すが「民主300、自民100」の結果は、大衆がマスゴミに踊らされた果てのものである。振り返れば、コイズミ元首相の「郵政民営化選挙」のイメージ戦略に踊らされたのは愚かなマスゴミであり、さらにそのマスゴミの煽りと気分に踊らされ、自民に300もの議席を与るという大盤振る舞いを演じたのが、前回の選挙(2005年)であった。

 

その結果が「この4年間のテイタラク」と、誰もが異口同音に罵詈雑言を浴びせている「構造改革」にまつわる酷い惨状なのであり、だからこそ今度は一転して「自民だけは許せない」と2/3もの票が減り、その分がごっそりと民主に回ったのである。

 

つまり、この4年間におよそ2/3もの人々が自らの選択が間違いであったと感じ、船を乗り換えたのだ・・・と言えば、いかにも理屈にあった行動に見えるかもしれないが、実はそうではない。なぜなら、この政治の混乱を齎した原因はマスゴミに踊らされて無責任な選択をしたのがそもそもの原因であったのに、その反省や検証がなされていないままに、またしてもマスゴミの醸した「空気」に便乗するという愚行を、何の疑問もないまま繰り返してしまったのだから。

 

しかも、この愚行は単に4年前の繰り返しというには止まらない。その証拠に、かつてデマゴーグなドイオバサンが登場した「消費税選挙」の時にも、マスゴミの煽りによって「台所感覚のマドンナ議員」とやらの美称の元に「ド素人のオバサン議員」が粗製濫造された。そしてまた、前回の「コイズミチルドレン」のバカ騒ぎに踊らされた反省もないままに「オザワガールズ」なるバカモノどもを、国政の場へと大量に送り出す結果を招いたのだ。あの「マドンナ旋風」のオフザケがきっかけとなって、その後のムラヤマ売国謝罪政権へと繋がる暗黒政治を招き日本の地位を著しく貶め、歴史に泥を塗ったあの悪夢をまたしても繰り返そうとしているのである。

 

かつて、ドイツの宰相ビスマルクに「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があったが、過去の負の遺産すらまったく活かされていない有権者の多くは、もはや衆愚以下の存在と成り果てた。

 

山本七平に「空気の研究」という本があるが、今回見られたような単なるその時の気分や、マスゴミに洗脳されて誰しもが「清き(民主への)一票」を唱えたあの異様な光景を「集団ヒステリー」と言わずして、何と言えようか。実に恐るべき悪夢である。

 

悪夢の元凶は、ハトヤマとオザワの仕切る民主党の怪しさだ。以下、各論に移る。

 

「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」という妄言

これは、世界の常識からすれば「日本に侵略して来てください」と言っているのと同義である。それでなくとも日本の周辺には、ロシアやチャイナ、或いはコリアといった、他国の領土も自国のものだと平気で主張するようなハイエナどもが、虎視眈々と目を光らせているのが現状であるというのに、救い難い国際感覚としか言いようがない。実際に冷戦時代のソ連なら、この妄言を手掛かりとして侵略して来た可能性が大である。

 

さらに言うなら、現実に数千万~億単位の貧しい民が引っ越してくるかもしれないという恐怖も決して冗談ではなく、我が日本列島がそのような外国人で乗っ取られないという保証は、どこにもないのである。それも日本が好きで、日本人に好意を持った難民ではない。いや実際には、個々人は自由な日本に憧れを持っていたとしても、現実としては「反日政府のヒモ付き」だという事実を考えたら、実にトンデモな妄言だ。

 

在日外国人への参政権付与の推進に躍起

在日外国人」といえば聞こえはいいが、有体に言えば限りなく100%に近い確率で在日K国人を想定していることは疑いがない。これは怪しい「犯罪者予備軍」の力を借りて、クーデターを目論んでいると見られても仕方がないし、現に民主党の憲法草案には  「EUの上っ面だけを真似た)東アジア共同体を形成し、日本の主権を委譲する」  などと明記されているのである。

 

要するに「C国(という突出した国土面積と人口、軍事力を持つ中華思想の国)に、日本の主権を差し上げます」と言っているのと同じで、最早「朝貢」どころではない。

 

決して在日外国人がどうこうと言っているのではなく、自国の主権を他国に委譲し国としての重要な国策の決定を外国人に委ねるなどという奇態な発想は、古今東西かつ前代未聞の狂気の振る舞いだと言っているのである。

 

ところが、我が国民はこのような内閣に80%近い支持を与えているのだから、なんともかんとも信じ難いではないか!