2011/01/27

絶縁(プロジェクトF)(10)

「どうしたんですか?」

 

有無を言わさぬ口調に押され

 

tracerouteの結果が違う・・・」

 

と、仕方なくC氏が状況を説明する。

 

「結果が違うとは、どういうことですか・・・前回リハの結果は?」

 

この本番移行前には2度のリハーサルを行っており、この本番移行は2度目のリハーサルと同じことをするのが建前であるから、結果も前回と同じでなければならない。が、何者かによって、直前(恐らく前夜と思われる)に勝手にACLが書き換えられていたのだから、前回の結果はまったく参考には出来ない状況となっていた。

 

「前回のリハの結果は、どうだったのかと聞いている!」

 

普段は温厚で知られていたF社マネージャーだが、なにせ本番移行だけに容赦ない追及だ。出来ることならチームとしての汚点は隠しておきたいところだが、嘘や言い逃れは通用しそうもない状況だけに

 

(これは、真相をぶちまけるしかない)

 

と考えていると、C氏が意を決したように大きな声で言った。

 

ACLが増えてるから、前回の結果は参考にならない・・・」

 

ACLが増えてるだって?

どういうこと?」

 

「前回のリハの時にはなかったのが、追加されてる・・・」

 

「なぜですか?

なぜ、そんなことになったのか?」

 

と、F社マネージャーが詰め寄るが

 

「それは、わかりません・・・誰が書いたのかも、私にはわからない・・・」

 

と、C氏は瞑目した。そして、T氏がF社マネージャーに呼ばれた。

 

「これはどういうことか、説明してください!」

 

無論、説明できるわけはない。元々、口下手で要領の悪いT氏は立ち往生している。 T氏とは対照的に要領良く弁も立つPMが、元々仲の良いF社マネージャーを何とかなだめ、これまでのやり取りでおおよそ事態を把握できているマネージャーも

 

「Tさん!

今後、絶対に同じようなことがないようにして下さいね!」

 

と厳しく言うと、ひと睨みして去っていった。

 

F社マネージャーとPMにきつく怒られたT氏は、だが往生際が悪かった。苦し紛れにPMに対して

 

「あのACLを書き換えたのは数日前。レビューをしているはずだから、みんな忘れたんでしょう」

 

と、見え透いた嘘を言った。

 

「いやいや、最終レビューでもあんなACLはなかった。その後から弄られたのでは誰も知らんわ」

 

と指摘すると

 

「見落としたんじゃないの・・・」

 

と、ボソッと言った。困ったことに、こうなると外野からは水掛け論にしか見えないだろうが、C氏の

 

「あれは私も、今日初めて見たよ。この前のレビューの時には、なかったね」

 

という「鶴の一声」に勢いを得て

 

「レビューした後のものをこっそり変えられたのでは、我々は作業自体に責任を持てなくなる。変えるなら変えるで、ひと言くらいみんなに周知してくれないと・・・内緒でこっそり変えて、現地に来て初めて見たなんてことじゃあ、正直やってられない」

 

と憤りを表したが、自社の後輩の罪を認めたくないPM

 

「今回は行き違いだと思うが、今後はお互いに気をつけてやっていきましょう・・・」

 

と、歯切れが悪かった。

 

某省の公開系Webシステム移行プロジェクトは、終局を迎えた。11月ごろから「そろそろSE工程が終了」というのは見えていたし、確かにそのような話も聞いてはいたが、最後のシステム移行テストが終わり、残作業と運用保守フェーズへの移行を残すのみとなったところで「年内終了」の通達は、いかにも唐突だった。それまでに「契約はいつまでか?」と何度も確認していたのに、明確な回答がないままに担当営業が正しい情報を取れていないせいで、この正式通達が12月中旬にずれ込んだため、怒りが爆発した。

 

怒りが爆発したのには、これまでの伏線があった。そもそも、このプロジェクトほどいい加減な契約はなかったのである。スタートからしていい加減で、正式な契約が出ないままに「とにかく入場してくれ」というところから始まった。水曜の夜に面接をし、木曜の午前に「OK」が出て翌週から入場だから、契約が後になると言う。

 

「最近では、よくあること」

 

と、所属会社の社長は平然としていたが

 

「契約書も交わさずに、現場には入れない」

 

と宣言すると

 

「そんな細かいことを言う技術者は、他にいないよ・・・」

 

とぶつくさと文句を言いながら、しぶしぶ出してきた注文書の契約期限は「1ヶ月」で、備考には「契約途中であっても、顧客都合により打ち切りが可能とする」と書いてある胡散臭さだ。

 

そもそも初回契約は1ヶ月だから、あっという間である。「初回1ヶ月」というから、あくまで「試用期間」的な位置付けだと思っていたが、月の後半になっても一向に次の注文書が出て来ない。何度か請求した挙句、月末になってようやく出てきた注文書は、また「単月」だった。

 

翌月も同じように、月末近くになっても注文書が発行されず、何度か請求しなければならなかった。

 

「このようなルーズな契約では、今後継続していくことが難しい」

 

と脅しをかけると慌てて元請に働きかけ、ようやく「3ヶ月」の注文書が発行される。所属会社の社長などは「今回は、3ヶ月ですから・・・」と喜んでいたが、こっちはまったく信用していなかった。案の定、1ヶ月経つと

 

「未確認情報だが、今月で終わるかもしれない」

 

という連絡が来たりもした。が、その時はすでに勤怠の酷いT氏に代わり、メンバーやタスク全体のマネージメントをしていたので、他のメンバーはともかくこのタイミングで自分の契約が終わることはない、と確信していた。その後、元請からは連絡も説明もないままにずるずると続き、月が替わるとまたしても

 

「元請から、今月で終わるかもしれないと言ってきた」

 

などと、いい加減な対応に終始した。

 

で、その3ヶ月契約もそろそろ終わりに近づいていたが、例によって次の注文書が発行されず、まったく音沙汰がなくなった。今回は月末まで何度請求しても発行されず、遂に紙の上では「契約のない」期間に入ったこと、またサブシステムの移行はほぼ全て完了に近づいて、この先運用フェーズに入ろうかという状況でもあっただけに

 

「いい加減に、この現場には見切りをつけなければ」

 

と考えていた矢先だった。

 

契約のいい加減さに文句を言うと、元請会社から

 

「今回の移行は全て完了したので、構築チームの役割は終了した。このタイミングで終了というのは、当初予定通りだということです」

 

という、惚けた回答が返ってきた。

 

「当初予定通り」であれば、あんなに毎月のように『今月で終わるかもしれない・・・』なんて話は出てこなかったはず。契約終了に関しても、もっと早くに連絡を寄越すのが常識じゃないか?」

 

と、クレームを入れると

 

「リーダーとしての評価が高いため、別の移行プロジェクトへの展開を考えている・・・」

 

という寝惚けた申し入れがあった。

 

「あんな契約のいい加減な会社の仕事は、御免蒙る!」

 

こちらからでも見切りをつけてとの思いから、密かに活動を続けてきていたとはいえ、契約がハッキリしない状況でイマイチ身が入ってなかっただけに

 

「正月休みのこんなギリギリの時期に、転職活動などが進むのか?」

 

という焦りと

 

「それでも半年間頑張ったのだから、少しリフレッシュして温泉にでも行ってくるか」

 

という別の目論みもあった。

 

市場は「氷河期」と言われた1年~半年前とは大変な様変わりで、早速解禁したばかりの転職サイトからは、2日で3件のスカウトメールが飛んで来んでくるわ、面接のための2日の休みを取ればたちまちセッティング依頼が殺到するわで、気付けば2日で7件の予約が入った。普段なら、次の仕事が決まるまでなんだかんだで1ヶ月程度は掛かるものだが、2つ目に受けた面接でトントン拍子に一気にエンドの面接まで進むと、その場でユーザー企業のPMから即断が出るという思わぬ展開となり、Xmasを待たず急転直下で次の現場が決定した。面接活動を始めてから、僅か2日という最短記録であった。

2011/01/24

台場(「お台場」に非ず)

昭和49年竣工の「東京港改訂第二次13号埋立地」に開いた町に、幕末当時押し寄せる欧米列強を撃退する目的で、江戸湾に並べた砲台島を「品川台場」また「御台場」と呼んだため、その名を拝借した。平成7年、新住居表示を実施して12丁目に分け、現行の「台場」とした。レインボー・ブリッジを一般道で越えたところで、フジテレビが河田町を捨てて移っていった町だ。

 

13号埋立地は、その帰属において品川区・江東区と争い、自治紛争調停で三分割して決定を見た。品川区東八潮・江東区青海がその結果だが、江東区が多分に有利だ。 お台場海浜公園に、第三台場が陸続きで開放されている。

 

嘉永六年(1853)、ペリー来航に肝を潰した幕府は、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍を急遽召し出し、勘定吟味役に任じ邀撃計画を立案させた。英龍の意見具申は

 

「富津岬と三浦半島観音崎にまず砲台を据え、浅海面にも要塞島を構築、それから横浜本牧、羽田、品川沖に砲台を築く」

 

という広大な構想だったが、財政難の幕府はとてもそんな予算はなく、品川沖に要塞島を並べることにした。江戸湾の奥に、そんなものを作っても無意味だと英龍は説得したが、役人根性はいつの時代も同じで受け入れられず、そこで11基をジグザグに並べて迎撃・横撃・追撃の3機能を持たせることにした。

 

設計は、オランダのエンゲルツの築城書をヒントに書き上げたが、英龍の技術思想が高すぎて当時の職人レベルでは理解できなかったようだ。海中に方形もしくは五角形に築地して、第一~第七台場まで着工し、完成したのは第一・第二・第三・第五・第六の5基、第四・第七は未完成で終わった。代わりに、御殿山下に台場が作られた。

 

品川台場そのものは意味を持たなかったが、要塞島としての出来栄えは素晴らしいもので、英龍の当初の計画は明治維新後、日本海軍によって完成した。英龍の面目躍如というところ、しかし鬼才江川太郎左衛門英龍は明治維新を待たず、安政二年(1855)の正月に亡くなった。

 

現在、第一と第五は品川埠頭(港南5丁目)の内に、第四は天王洲(東品川2丁目)の東海運輸の辺りに埋没、第二と築地中の第七は航路の障害として撤去された。 現存するのは、第三台場(公園)と第六台場(未公開)で、御殿山下台場は現在も五角形の敷地のまま、御殿山小学校となっている。

 

高輪で振りさけ見れば遥かなる 品川沖にできし島かも(狂歌)

 

天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(仲麻呂)

 

台場が正式地名で、お台場は通称だ。幕末には「御台場」といったが、明治になって新政府が幕府に関するもので〝御〟の字のつくものは全て削除するように命令を出したため、御台場も台場となった。ただし「御徒町」と「御殿山」だけは、お目こぼしされた。

2011/01/20

浅知恵(プロジェクトF)(9)

試験は順調に消化されていった。帰りには3人で駅までの道を歩くが、Mはまったく喋らないから自然とT氏と会話をすることになる。元々、無口でぶっきら棒なT氏だから、普段は誰ともあまり会話をすることはなかったが、この時は現場やPMから遠く離れたという開放感からか、珍しく口が軽かった。例によって、役立たずのMは居るだけでひと言も喋らず、金魚の糞のように後ろから付いて歩くだけだから、この場合はかえって好都合と言えた。

 

もっとも会話というより、それはT氏の愚痴ばかりだった。T氏が休みや不在の時、PMはT氏の悪口ばかり言っていたが、T氏の方でもPMにかなりの不満を抱えていたらしく、月間稼働時間が300-400時間と言われたPMについて

 

「あの人、人間じゃねーよ。トップがあんなに働いたら、ダメでしょ。実はロボットだったりして・・・」

 

と、文句を言っていた。

 

もっとも本来であればPMをサポートして、その負荷を減らさなければいけないのがT氏の役割であり、その張本人が休んでばかりいるためPMの負荷がそれだけ高くなっている、というのが客観的に見た実情であった。PMからすれば、T氏という「不肖の後輩」が信用できないから、全部自分でやってしまえという考えだったのだろう。が、T氏の方ではそうは考えておらず、PMが独走して勝手に総てを取り仕切ってしまうため、自分の出番がなくなり気を殺がれてしまうと言うことらしい。

 

「あの人は情報を総て握っていて、横展開してくれんからなー。あんな人の下では、やり難くてしょーがねーなー」

 

とぼやいていた。

 

「実はオレ、転職しようと思っているんだよ・・・休み多いから、そのうちクビになるかな・・・まあ、ちょうどいいが」

 

とも言っていた。実際、T氏は月の半分は休んでいた。転職する気持ちは本気のようで、隣に座っていたメンバーから喫煙所で聞いた話では

 

「Tさんは、いつもネットで転職の情報を漁ってるようです。この前は『GREE』に応募するとか、したとか言ってましたよ」

 

と聞いていた。

 

こうしてIDCでの試験を経て本番移行まで終わったが、サブシステムを順次移行しなければならないから、すぐに別の移行が動き出す。PMとT氏には「増員しないと、今のリソースでは対応困難である」と言い続け、所属会社の営業には「現場で増員を申し入れているので、技術力の高い人材を確保して準備をしておいて欲しい」と、早い段階から働きかけていた。次の移行案件は、通信要件がかなり増えそうなためボリュームが大きく、それまでの働きかけが実ってようやく2名増員でワーカーが4人となった(ただし所属会社は、あれだけ事前に働きかけていたのに、たった1人しか投入できなかった)

 

前回の例があったため、T氏には

 

「Mが使えないことは、よくわかったでしょう?

今回は、新規の3人を中心に試験対応をやってもらいましょう」

 

と、何度も念を押しておく。元々、勤怠の酷かったT氏は生来のコミュニケーションの拙さもあって、通信要件などの打ち合わせの場で各部門のリーダーらから「何を言っているのかわからない」などと皆から突き上げられたプレッシャーが祟ったか、益々勤怠が酷くなり、必然的にこちらが実質的な舵取りを行わなければならなくなってきた。

 

ことの原因は、T氏の提出した通信要件に漏れがあったことに始まる。この最終段階に来て「漏れ」があったなどとは口が裂けても言えないと考えたT氏は、下手な説明で誤魔化そうという愚策を弄した。が、元々口下手なタイプだから、うまくいくはずはなく  「何を言っているのかわからない」と各チームのリーダークラスから、ボロクソに扱き下ろされた。

 

さらに、T氏の悪足掻きは続く。T氏の立場を考えれば、他チームのリーダーたちをなんとか誤魔化そうという気持ちはわからないではないが、さらにT氏は自チームまでをも誤魔化そうとしたのが致命的なミスだった。チーム内で何度も繰り返しレビューを行い、最終レビューもした上で「承認」された手順書に、こっそり漏れていたACL(アクセスリスト)を「追加」した挙句、それを本番当日まで誰にも知らせなかった。

 

そして、現地での作業を迎える。現地作業は「Aチーム」が自分とチャイナ系技術者のC氏、「Bチーム」が新規参入の2人、「Cチーム」がとK君とMという3チームに分かれ、T氏が「試験リーダー」、PMは「試験統括」で折衝に当たっていた。このチーム分けもT氏が行ったのだが、各チームでスキルの高い低いの偏りが顕著であり、T氏のいい加減な性格を表していた。実際に,ACLの検討や設定を担当してきた新規の2人が

 

「なんかACLが増えてませんか?

レビューした時は、こんなに数なかったと思いますけど・・・」

 

と、言い出したのがきっかけだった。

 

技術的に最も詳しいC氏に尋ねると

 

「うん、増えてるね・・・これとこれが追加されてるよ」

 

「それは、Cさんが書いたの?」

 

「いや、私は全然知らないよ・・・」

 

と言った。

 

C氏が知らないとなると、T氏以外には考えられぬ。ともあれACLを投入してからtracerouteを叩くと、想定外の結果が出たのが事体を大きくした。

 

「うむ・・・変だな・・・」

 

チャイナ系技術者のC氏が首を捻っているところに、PMがやって来た。

 

「どうかしたのか・・・?」

 

「ちょっと想定外の結果が出て・・・」

 

「想定外の結果ぁ?」

 

と、PMが顔を顰めて詰め寄ろうとしたところで、実にタイミング悪くこの試験の責任者であるFのマネージャーが、しかめっ面をしてやって来た (▼д▼)y─┛~~゚゚゚

2011/01/13

東京砂漠(プロジェクトF)(8)

(仕方ない・・・惜しいが、ビジネスホテルにでも泊まるしかないか・・・)

 

という想定は、もろくも崩れる。

 

(ここは、本当に東京か?)

 

と目を疑うほどに、駅の周辺にビジネスホテルはおろか、ネットカフェや漫喫もなにもなかった。

 

「ここは、なんにもないよ。途中の新百合まで行けば、満喫が1件だけあったはず」

 

というT氏の言葉を信じて、途中の駅までは行っている最終電車で新百合ヶ丘まで行った。先の駅よりは大きな駅ビルであり、車窓から駅ビルの中にホテルが入っているのが見えた。ところが、このホテルが田舎の分際でシングルが11万円と高かったが、野宿をするわけにもいかないから自腹覚悟で意を決してフロントへ行くと、シングルは既に満室でデラックスツインしか空いていないという。こちらは115000円で、経費で精算できるのは精々が50006000程度だろうし、1万円もの自腹などは冗談ではない。

 

(ビジネスホテルくらいは、他にもあるだろう・・・)

 

としばらく歩いてみたが、ここもビジネスホテルはおろかネットカフェや漫喫もなにもないではないか。T氏に電話をして

 

「さっき言ってた満喫ってのは、どこにあるの?

全然、見当たらないが・・・」

 

と聞くと

 

「前はあったのに、なくなっちゃってるよ・・・潰れたのかなー」

 

という、例によっていい加減な話だった。

 

次第に寒くなる深夜の雨上がりの寒空で寒気に震えながら、散々うろついた挙句、駅ビルのファミレスで夜を明かして始発で自宅に帰ることになった。ところが

 

「始発だから、電車もガラガラだろう」

 

という田舎者の期待を裏切り、ナント座るのもままならない混雑だ。これだけ泊まる施設もない田舎でこれだから、改めて東京の人の多さに呆れた。

 

そんなこんなで風呂に入って惰眠を貪っていると、10時前には

 

「どーしましたか?

早く来てくれ」

 

というメールが飛んで来た。この前までの蒸し風呂のような現場とは違い、こちらはデータセンターだけに空調の風が吹きさらしの風に晒されながら、今度は寒さとの戦いが続く。

 

初日に酷い目にあったため、二日目は

 

「終電に遅れないように、時間管理をしっかりしないと」

 

と、T氏に釘を刺しておく。技術者にありがちなタイプのこのT氏は、熱中すると時間を忘れてしまうタイプだ。PMは、いつも

 

「あいつはリーダーではなく作業者になっちゃてるから、にゃべさんがうまくコントロールしてやらないと・・・」

 

といっていた通りで、T氏の自覚が薄い点は否めなかった。そうした経過もあって、この日はキリのいいところで作業を終えて帰途に着く。役立たずのMは、そもそも作業の目的も内容も理解できていないから、指示の内容が理解できずにモタモタしたり、トンチンカンをやったりで散々に足を引っ張った。温厚なT氏は呆れた顔をしながらも、仕方なく根気よく説明して聞かせていたが、温厚でないワタクシは何度もも怒鳴りつけていた。

 

作業現場に近いMがさっさと下車すると、T氏と自分が残る。

 

「なに考えてるのか、よくわからん人だ・・・」

 

とかなんとかMの事を言い出したので、この時とばかりかねてからの疑問をぶつけてみた。

 

「正直、なんであんなのを採ったのかが不思議でしょうがないんだけどね・・・面接は、誰がやったの?」

 

実際には、Mと一緒に面接を受けた以前のメンバーから、T氏がやったと言う話は聞いていた。

 

「ああ、あれオレがやった」

 

「だよね。前から聞きたかったんだけど、なんであんなの採ったの?」

 

「ごめん、適当だよ、適当。書類見て、ある程度決めてたから。CCNPCisco認定プロフェッショナル)とか、LPICLinux技術者認定)とか書いてあったし・・・」

 

「嘘だよ、あんなの」

 

「あれ、嘘だなー。騙されたよ・・・」

 

「そもそも、会話すら成り立たんから。あれでよく、あの歳までやってこられたもんだ・・・」

 

「うむ・・・よく生き残ってこれたよ。あーゆータイプは、オレも初めて見たなー」

 

「あんなに喋れんし・・・面接で、ちゃんと喋ったのか不思議だわ」

 

「ちゃんと喋ってた・・・と思う」

 

「前のメンバーから聞いた話だと、6人面接して3人採ったらしいけど・・・どう考えても、あれ以下のって考えられんけどなー」

 

「確かに・・・あれは失敗だったなー」

 

いい加減なT氏は、さして悪気もなさそうに自嘲気味に呟くのみだった。

2011/01/06

ムチャ振り(プロジェクトF)(7)

そんなタイミングで、なぜかサーバチームのPMからシステムテストの依頼が飛んで来た。

 

「今回のシステムテストは、既存の人間(T氏とチャイナ系の技術者)には頼らず、新規の人たち中心で対応して欲しい」

 

というムチャ振りをされた。

 

「新規の人」と言っても、Mは最初から戦力外だから事実上自分ひとりだ。しかも面倒なことに、よもや「M」があれだけ使えない前代未聞のバカモノであることは、外部の人間は誰一人として知る由もなかった(以前に一緒だったworkerは勿論、知っていたが)

 

先日の醜態で、てっきりMには「NG」の通達があるものと期待していたものの、期待に反して何故かそのまま居座っている。単純に「2人」でカウントされたが、事実上はひとりで試験計画を作ったり、試験項目の抽出などをやれというに等しかった。時間があれば、決してやれなくはないが

 

IDCでの試験スケジュールは、1週間後で決まっている」

 

という非常識さだ。つまり1週間以内に試験計画書や試験項目抽出、仕様書、手順書などのドキュメント一式を整えなければならないという、まったく無謀なスケジュールだった。

 

そもそも、サーバチームのPMは実作業が出来ないやつだっただけに、ましてやネットワークのことなどわかっていないとしか思えないようなムチャ振りだ。一方、ネットワークチームのPMは無理なスケジュールは承知の上だから、狡猾にも直接ではなく関係のないサーバーチームのPMから、この依頼を出させたのだろうかとも思えた。元々、半分くらいは休んでいたルーズなT氏は、そもそも状況自体を把握できていなかった。

 

ともかく試験計画の整備から着手したものの、ひと通りの試験項目を見積もってみたところかなりのボリュームがあり、どう見ても実質「1.0/月」のリソースで1週間で終わるレベルではない。そこでPMとT氏に

 

「Yさんから、こんな依頼が来ましたが・・・正直、Mはまったく使えないし、自分ひとりではとても無理で、増員しなければ無理ですな・・・そもそも、なんでYさんから依頼が来るのかがわかりませんが」

 

と、文句を言うと

 

「そんな話、まったく初耳だ。Yのヤローが独走しやがった」

 

と惚けた。計画を説明すると

 

「そんなの出来っこねーじゃん」

 

ということになり、改めてサーバチームPMやユーザーに確認してみたところ、やはりYの勘違い(というか意図的な独走?)が判明し、実際にはまだハッキリとした線表が引かれているわけではなかった。

 

元々居た技術者がトンズラを決め込んだ後、代わりの技術者K君が入っていたが、こっちは暫くの間は現地での性能監視に取られていて使えない。この現場ではまだ実戦を経験しておらず、スキル的にもそれほど高くはなかったとはいえ、どう考えても「小学生レベル」のMよりは使えそうだっただけに

 

「性能監視は、現地に居るだけでいいのならK君ではなくMに代えて、K君に試験対応を手伝ってもらいたい」

 

PMに申し入れたが「序列」に拘りのあるらしい頭の固いPMに却下された。チャイナ人技術者は他の作業で手一杯だけに当てに出来なかったが、休みがちとはいえ過去に何度も同じ作業を経験しているT氏を柱として、なんとか試験計画が整った。

 

そうして、いよいよIDCでの試験が始まる。IDCは多摩地区の奥にある通信キャリアの施設を借りていた。

 

例によってMは役に立たないから、実質的にはT氏と自分の2人だ。ここでも

 

「Mでは役に立たないから、K君と代えてくれないか」

 

とT氏に言うも

 

「もう入館申請を出しちゃったから、間に合わねーな・・・」

 

と、あえなく却下された。

 

当初T氏から聞いていた検証環境の構成と、実際の現地で確認した構成がまったく違っていて、苦労して調べながら準備した試験計画は使えないことが判明。そのため、初日の昼過ぎまでは環境作りのみに時間を取られ、試験が出来ないという誤算から始まった。しかも、このIDCはサーバルームのみならず、待機場所となるSEルームに入るためにもセキュリティカードが必要ということで、通常は使えそうなゲストカードはまったく役に立たず、登録者しか入れなかった。トイレに行くにもいちいちT氏に頼まなければならず、タバコも自由に吸えないという不自由さだ。

 

そんな中、最初の遅れを取り戻そうと躍起になったT氏に引き摺られる形で、食事も摂らずに遅れを回復したが気付けば23時近くになっていた。

 

「そろそろ出ないと、終電に乗り遅れる・・・」

 

と、終電のことなどはすっかり忘れているようなT氏に告げると

 

「あっ、もう23時か・・・そろそろ出ないとやばいな・・・」

 

と言うものの、動作の緩慢なT氏とMの片付けは一向に捗らなかった。駅までは15分の道程だったが、その近道は外灯もない真っ暗闇でとても歩けない。仕方なく大回りを余儀なくされ、駅までたっぷり30分以上掛かった挙句、着いた時にはすでに終電が出た後という間の悪さだった。

2011/01/01

2011元日

Xmasのバカ騒ぎが終わった。

 

そもそも、Xmasというのは「毛唐のお祭り」だ。キリスト教徒でもない日本人が、何故「メリークリスマス!」などとバカ騒ぎをしなければならないのか、理解に苦しむ。

 

商魂たくましい輩に踊らされたものとは言え、いつの間にかこの日にケーキやチキンを食べるのは「メリークリスマス!」などと臆面もなく叫んでいる白痴面の若い衆のみならず、日本の「常識」となってしまった。チキンやケーキなどは、別にXmasでなくてもいつでも食べられるものだ。それどころか時期をずらせば安いし、味が変わるわけではまったくない。などと悪態をついているうちに、あっという間に大晦日を迎えた。

 

大晦日には大掃除が恒例行事だが、幾ら綺麗にしたところでまた数日も経てば元の木阿弥なのだが、と無精者はぼやくのみである。大掃除は捗らないが、正月食材の準備だけは早々に整った。今はスーパーやコンビにでもおせちを売っているが、どれもがバカ高い。元々、高い割りに旨いものがなにひとつとしてないのが「おせち」だから、スーパーやコンビ二のバカ高いのを買うなど愚の骨頂と言える。

 

正月料理は刺身など日持ちのしないもの以外、すなわち蒲鉾やら伊達巻やらロースハムやらは「正月料金」になる直前に早々に揃えておいた。というより蒲鉾などはたとえ100円でも、正月でもなければわざわざ買ってきて食べることも滅多にないのだが、たかが魚のカスのようなものや玉子焼きに、1000円も払うバカを笑ってやるのだ ( ̄ー ̄)ニヤリッ

 

ところで自慢ではないが、ワタクシは「正月3が日の初詣」というのをしたことがない。正月3が日は、どんな無名の田舎神社でも混雑はわかりきっているのだから、わざわざおしくら饅頭の挙句にストレスを溜めて人々の頭などを見に行かずとも、日程をずらしてノンビリ行くのが良いに決まっている。

 

「正月3が日に詣でれば、ご利益霊験あらたか」などという保証はまったくなく、遅く行っても同じことではないのか(単に「不精の人ごみ嫌い」というだけの説もあるが)

 

と言うわけで今年も正月は自室に籠もって、水のように穏やかに過ごすのであった。「水のように、酒を浴びるように飲んで過ごす」の書き間違いではありません (。 ̄Д)d□~~