2013/05/26

甘党

  甘党のワタクシは、かつて名古屋で活動していた若いころは「ヒマラヤのケーキ」に、密かに憧れを抱いていた。当時、根城のようにしていた地下街のユニモールや、栄の中日ビルにあったヒマラヤのケーキは評判だったが、残念ながら当時の貧しい若者には手が出なかった(確か500円でコーヒーセットが800円くらいだった記憶があるが、大昔の話である)

 

その後、この店をネットで検索したところ、ちょうどワタクシが上京する前に自己破産申請を出していたらしい。東京にヒマラヤはなさそうだが、勿論こちらには名だたる有名店が犇めいており、新宿タカノフルーツパーラー、銀座千疋屋などには何度か足を運んだ。

 

無論、そのような店に、ワタクシのようなオジサンが一人で行くはずもないが、お供する女性のお気に入りが「HARBS」である。何の因果か、名古屋栄のセントラルパークに本店を構える店だから知らないわけがないが、幸か不幸かこれが今住んでいる吉祥寺にあるのを、たまたま発見したのである(吉祥寺アトレ)

 

そんなわけで甘いものには目がない女性が、このお気に入りのおいしいケーキを食べにわざわざやってくるとあっては、ご馳走しないわけにはいかない。

 

この店のケーキは、なんといってもデカい。画像で見ての通り、特大のイチゴがクリームの中にもギッシリと詰まっている豪華版だ。


 


 
 1カット800円くらいだから、コーヒーとセットで軽く1000円は超える。タカノフルーツパーラーの方は、ケーキと言うよりはパフェ系がメインだけにさらに値が張るが、こちらは連れがタカシマヤのカード会員のため、自分は払ったことがない。タカノフルーツパーラーもそうだが、HARBSも人気の店だけに美味しいのはいいが、常に待ち行列ができている。それでも吉祥寺はまだよい方で、先日Bunkamura ザ・ミュージアムへルーベンスを見に行った時に、渋谷ヒカリエのHARBSへ行った時など、物凄い行列が出来ていた。もちろん殆どが若い女性ばかりで、どう見てもオッサンは一人も見当たらないではないか!

2013/05/24

引き際(プロジェクトD)(13)

ある日、比較的親しくしているメンバーから

 

「Kさんは、新たにC社から連れて来たメンバーをサブリーダーにするつもりらしいですよ。にゃべさんは、どうするんですか?」

 

と聞かれた。

 

「Kのオヤジめ!

そういう肚だったのか・・・」

 

どうにか本番リリースの大任も果たし、ある程度は業務にこなれたリーダーのK氏に、それを補佐するC社の有能な中堅社員2人。さらに立ち上げからのメンバーであるA君を中心に、気付けばいつの間にかC社のメンバーを中心にLBチームの外堀が埋められつつあった。

 

もとより、こちらはフリーのエンジニアだから味方は皆無。所属元経由で入っていたメンバーも、上位会社の「サブリーダー」の存在が煙たいらしくC社の社員に媚び諂い、他のパートナーのメンバーたちも、この状況を敏感に察知してかC社のサブリーダーに擦り寄り始めていた。

 

「元々、誘ってくれたN氏もトンズラこいたし、本番リリースも終わったしで、そろそろオレもお役御免かな」

 

仮に残ったとしても、プロジェクト完了まではあと数か月だったから

 

「本番リリースも終わり役目を終えたので、契約終了としたい」

 

と、所属会社を通じて申し入れた。

 

先に記したような最近の経緯からすれば、K氏やN社としてはワタクシの契約終了は喜ばしいニュースのはずだと思ったが、案に相違して

 

「プロジェクトも残りわずかであり、最後まで継続していただけないか?」

 

と、案に相違した回答が来た。

 

まったく、なんということか!

 

「残りわずか」だったら最後まで今の体制で通せばよいのに、わざわざ自社から呼んで来た新参者をサブリーダーに担ぎ上げてこちらを刺激した挙句、これまでプロジェクトを支えて来た自分をサブリーダーから外す料簡はなんなのか?

 

実際、このリリースに最も貢献したのは間違いなく自分だと思っているし、だからこそこれを終えたら自分としてはお役御免だと思っていた。リリースが終われば後は維持管理Gに渡して、設計チームは解散するのが通例である。

 

リリース直前から現場責任者の迷走が始まった皺寄せで、こっちは思いもよらず忙しくなり思うように休みも取れず、楽しみにしていた花見にも行けずに終わってしまった。

 

この期に及んで

 

「このタイミングで抜けられるのは非常に困る!」

 

などと泣きつかれても、困るのはこっちの方だと言いたい。

 

「そんなの、オレの知ったこっちゃねーよ!」

 

というもので、自社の子飼いで脇を固めたのだから、この際舅のような煩いヤツは排除してでも、その「新体制」とやらで対応していけば良いだろうが!

 

最後は上位の社長も同席してきて、しつこく慰留されたが決意は固かった。

 

「そもそも、私はNさんから請われてNさんを補佐する役割として来たのだから、その当人がいなくなった今、残る理由はまったくなくなった。途中で無責任に投げ出していったNさんの尻ぬぐいは十分にやって来たと思っているし、貴社都合の新しい体制下とやらで続けるつもりは毛頭ない!」

 

と宣言し

 

「え?

そんな??」

 

とばかりに、目を白黒させているK氏を尻目にミーティング場を後にした。

2013/05/17

新体制(プロジェクトD)(12)

こうしてN氏は、地元の北海道に逃げて行った。

 

N氏の代わりにLBチームのリーダーとなったのは、これは東京本社から出向となったK氏だ。

 

見たところ、年齢はN氏よりは少しばかり若い40台半ばくらいか。

 

「娘の入学式に出るため北海道に帰省するので、本番リリースには出られない」

 

などとトンチンカンなセリフは、口が裂けても吐きそうにない生真面目なタイプだ。

 

ただしスキルという点でいえば、LBやネットワークだけでなくほぼオールマイティだったN氏には、足元にも及ばなそうだった。そもそも、N氏ほどの技術的な下地がないだけでなく、すでにプロジェクトも本番移行を意識するような佳境に入った段階で、いきなりの抜擢だ。スキルが高そうに見えなかったK氏にとっては突然に降って湧いたように、この大プロジェクトの大変な局面に投入されたことで、かなりパニックに陥っている状態らしかった。

 

参画当初こそ

 

「一応、私はこれまでNさんの代理的な立ち位置でやってきたので、わからないことがあれば聞いてください。なにしろ、Nさんは肝心な時にいつもトンズラしてたんで、私が代理をしないといけなかったわけですが・・・」

 

と、こちらとしては気を利かせたつもりだったが、なにやら上から目線と勘違いされたか、質問もせずに間違ったことを繰り返すK氏だった。

 

最初こそ

 

「Kさん、それは違いますよ・・・」

 

などと、こちらも好意でレクチャーしていたのだが、K氏の場合はN氏のように圧倒的なスキルに裏打ちされた自信がないせいか、恰も

 

「C社課長のオレ様が、どこの馬の骨かわからんやつの指導を仰げるか」

 

とでも考えていたのか、こちらには聞かずに独断で迷走した挙句、間違いを繰り返していた。

 

前任のN氏は、圧倒的なスキルに裏打ちされた余裕があり、また自分としても本人から三顧の礼を尽くす形で迎えられていただけに、代理もやむなしという意識があったが、K氏の場合はC社の社員でもないワタクシが大きな顔をして(いるように見えていたようだ)いるのが、どうにも気に入らないらしい。

 

K氏がマネージメント力に優れているのであれば、それはそれでよかったのだが、どうもそっちに関してもN氏には遥かに及ばなかった。ましてや、これだけの大プロジェクトを回した経験も、あまりなさそうなのは明白だった。

 

考えてみれば、一応「上場企業の課長」とはいえ、この急場に投入されて来たくらいだから、この時点では大した仕事は受け持っていなかったのだろう。どこから見ても自分より劣っているのは明らかだったのに、変にプライドが高く人の言うことを素直に聞かないから、こっちとしても

 

「だったら好きにやってろ!」

 

と、次第に投げやりな気持ちになっていった。

 

当然ながら、その状態でK氏はミスを繰り返し、T社のマネージャーからはこっ酷く嫌味を言われる。

 

T社マネージャーとしても、サブリーダーだったワタクシがN氏の代わりとは認めず「C社の課長以上の人を出せ」とリクエストした手前、いまさらワタクシにK氏のフォローをしてくれとは言い出し難いようだった。また、前任N氏の場合は、さしものマネージャとはいえ自分よりもスキルが上だと認めるところもあったろうし、会社の格は自分の方が上と言っても相手も上場企業の「部長」であり、恐らく年齢も上だけに幾らかの遠慮があったが、K氏は同じ「課長」だから明らかに格下と見たか、K氏への扱き下ろし方は容赦がなかった。

 

こうしてT社マネージャに虐められるうちに、ようやく現実に目覚めたK氏は

 

「にゃべさん、ちょっと教えてください・・・」

 

と聞きに来るようになったが、時すでに遅し。これまでの態度が気に喰わなかった腹いせもあり、自分では意識せずともつい皮肉っぽい口調になってしまっていたらしかった。

 

勿論、K氏が聞きに来る程度のレベルなら、そのころのワタクシに答えられないことは殆どなかったから、我ながら

 

「ああ、思えば僅か半年くらいだが、気付けばなんでもわかるようになっていたんだな・・・」

 

という感慨を新たにしたくらいである。

 

こうした背景も手伝ってか、K氏からは困った果ての必要最低限以下の質問しかこなかったが、こちらとしてはN氏とは違いK氏などはハナから歯牙にもかけていなかったから気にもならなかった。

 

そうこうするうち、これではうまくプロジェクトを回していけないと危機感を持ったか、はたまた煩いT社マネージャーからのプレッシャーがあってか、C社からスキルもそれなりにありマネージメントも多少はできそうな、主任クラスを2名引っ張ってきた。

2013/05/14

2013GW旅行記

今年のGWはカレンダー通りで、4/27293日が休み、4/305/2日の3日間出勤して、5/364連休であった。

 

前半は色々あって準備が整わず、後半に京都へ行く計画を立てる。当初の腹づもりでは、5/2から5/4のどこかで出発の予定ではあったが、ネットでホテルを検索すると5/35/4が、どこも満室ばかりで予約が取れない。京都や大阪のホテルが予約で埋まっているのは、まだわからないではないが、生意気なことに観光地でもない名古屋や地元の田舎ホテルまでが「満室」で、予約不可なのである。

 

仕方なく予約が開いていた5/5に出発することにし、7日を休みにした。5日は、実家に寄る。実家に寄るのも3年半ぶりと久しぶりであったが、京都のホテルに泊まるため、昼食を一緒に食べて3時間ほど滞在したのみで、再び新幹線で京都へ。

 

かつて愛知に住んでいた時は、近いこともあって毎年3回程度は足しげく通っていた京都だが、東京からは遠いとはいえ実に6年ぶりである。これまで数えきれないほど行っているから

「今更、京都でもないでしょ?」

というところでもあるが、何度行ってもまた行きたくなるのが京都なのである。なにしろ1200もの寺社があるといわれるから、全部見るのは不可能であるし、同じ寺社でも季節毎に別の魅力があるから、何度でも訪ねたくなるのだ。

 

本来であれば、桜か紅葉の季節に行くのがベストだが、GWのこの時期は「春の特別公開」の寺社を中心に訪ねることになる。普段より1時間も早起きをして、ホテルの朝食バイキングで腹ごしらえをし、まずは蹴上浄水場へ。GW前までが比較的寒かったせいか、期待したつつじはまだ5分咲き程度だったが、それでも東山三十六峰をバックにした景観は、やはり素晴らしい



円山公園で名物の「いもぼう」を食べたかったが、まだ時間が早いため地下鉄で次の大徳寺へと移動した。大徳寺と言えば27ある塔頭のうち、毎年幾つかが特別公開をしているから、京都の数ある中でも最もよく足を運ぶ寺院である。


門前にある店で湯豆腐を食べた後、共通拝観券を購入して興臨院~総見院~黄梅院を見学。千利休作庭という黄梅院の庭園は特に素晴らしかっただけに、撮影禁止が恨めしかった。この日の最後は建仁寺である。地味ながら、かつては「京都五山第3位」に列せられたというだけあって、これまた素晴らしい庭園がこれでもかと、いくつも出て来るのにはすっかり圧倒された。



2日目は、同じく7時前に起きてホテルの朝食を手早く済ませた後、相国寺へと向かったものの、これが大誤算だった。8時半には着いたものの、拝観時間が10時からではないか。通常は、どこの寺院も9時からだから、てっきり9時からと決めつけて調べてもいなかった。ここで1時間以上も待つのは、時間が惜しい。京都の寺社拝観は、遅いところでも夕方の5時までだから、ワタクシのようにたくさん見たい欲張りは限られた8時間の間に、いかに効率よく回るかが勝負なのである。

 

悪いことに相国寺近辺には、これといってめぼしい自社がなく、名所が固まっている東山や岡崎地区へ行くにも中途半端な距離感である。ともあれ、地下鉄で五条まで移動し知恩院山門を眺めながら、次に行く予定だった「得浄明院」という寺社へ行く。 長野の善光寺の別院というこの寺で「ご戒壇めぐり」をした。善光寺7年に一度の御開帳の時は、通勤ラッシュのような渋滞の中での「ご戒壇めぐり」だったが、今回は一人だけの「ご戒壇めぐり」という、貴重な体験をした。

 

効率は悪いが、再び地下鉄で今出川に戻り相国寺へ。かつては南禅寺、天龍寺に次ぐ「五山第2位」の大寺院だが、今はすっかり衰えてしまったこの寺院で、どう考えても「拝観料800円」は高過ぎる。幸か不幸か、相国寺が思いのほか見どころが少なかっただけに、諦めかけていた「瑠璃光院」へ行く時間が出来た。出町柳から叡山電鉄で八瀬へ。駅を降りたところで、鮎そばを食べる。この寺社は、京都中心部からひとつだけポツンと離れているため、ここに来るだけのための時間と電車代が余計にかかるが、期待以上に庭園が素晴らしかった。



紅葉の名所だけに、庭園いっぱいのもみじの新緑が目に鮮やかで、やはり来てよかったと思わずにはいられない。大満足しながら、いよいよ最後は「東寺」だ。



京都駅から近いこともあり、毎回のように足を運んでいるだけに、この東寺は五重塔の中の仏像や有名な立体曼荼羅などは何度か見学している。今回は、目先を変えて塔頭の「観智院」を見学することに。正直、これまで名前も知らなかったし、外から見る限り小さな寺院に見えただけに、全く期待していなかった。ところが、これまで京都では同じようなケースが何度もあったが、この「観智院」も入ってみると、思ってもみなかったような実に素晴らしい庭園が幾つもあって堪能し尽すことが出来た。


すっかり良い気分になって、京都駅へ戻ると湯葉、田楽、つくねとなめこ、京漬物など名物をたらふく食べて(もちろん、たらふく呑んで)、摩天楼へとUターンした。

2013/05/13

物集女

もづめ(物集女)」は、渡来系の「物集連(もづめのむらじ)」が住んだところか

 

京都府の向日市に「物集女」と書いて「もずめ」と呼ぶ珍しい地名がある。「物集」の2字だけの表示の場合もある。京都市内から亀岡、丹波、福知山、但馬をへて鳥取、島根へと走る国道9号線を利用される方なら誰もが知っている地名だ。ここから登っていく老坂峠(おいのさかとうげ)は、明智光秀が「敵は本能寺にあり」と謀反の叫びをあげたところである。

 

はじめて「物集女、物集」という地名を見て「もずめ」と読むことができる人は、まずいないだろう。読めた人は、よほど歴史に詳しい人である。地名研究の書物をひも解きくと、色々な説がある。

 

・長岡京を建設した時、建設に必要な物資が集められたところだからという説

・渡来系の「物集連(もづめのむらじ)」=「持部(もつべ)」たちが住んだところという説

・この辺りの地形から「平地が行き詰まったところ」を意味する「も・つめ」が転じたという説

などがある。

 

地名研究者の中には、長岡京を建設するための物資を集めたところから来たという説は、あまりにもできすぎた話だとして却下する人が多いようだ。

 

「臣・連」「部民」説はどうかというと、京都盆地の西部には太秦をはじめ、渡来人が移り住んだところはたくさんあっていかにもありそうな話なのだが、ここにそうした人たちが住んでいたかどうかについては、史実がはっきりしないということらしい。

 

「も」は「も・かみ、も・がみ(最上)」と同様、接頭語として使われていたと考えられるため、この辺りの地形地理を考えると京都盆地が西山に行き当たる、ちょうど最も行き詰まったところに当たる。それを意味する「つめ」と、接頭語の「も」がくっついて「も・つめ」となり、それが「も・づめ」に転じ「物集」という字が当てられたのだ、という説にも説得力がある。

 

河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるとされている。「物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で、9世紀ごろの記録には「物」と「集」の2文字だけで「もず」と発音していた事例も見られる。

2013/05/10

娘の入学式(プロジェクトD)(11)

「本番リリースの日には、私は用があって出られません・・・」

 

と、晴天の霹靂ともいえるN部長の宣言!

 

「えっ?

本番リリースに立ち会えない・・・それは、なぜ?」

 

と聞いても、単に「用事があるから」としか言わないのである。

 

敢えて繰り返すが、このプロジェクトは「D社のスマホ対応プロジェクト」だ。「D社」といえば、いうまでもなく携帯キャリア最大手、というよりは、この頃は携帯シェアの5-6割を独占していた「業界ガリバー」であり、それが旧来の携帯電話から「スマホ」という新たなアーキテクチャへ舵を切るという、いわばオーバーに言えば「歴史的転換」ともいえる「巨大プロジェクト」だ。

 

また、単に「エポックメーキング的な巨大プロジェクト」というだけではない。一昔前とは違い、携帯電話もスマホももはや「若者や金持ちのおもちゃ」ではなく、今や立派に固定電話に代わる通信手段であり、ビジネスにも欠くことのできない通信インフラとして万人から認知されているのである。

 

IT業界では、昔から「絶対に関わりたくないPJ」として「医療」、「金融」、「交通」、「軍隊」などとともに挙げられるのが「通信インフラ」で、これらはすべて「人命にかかわる」業種だからである。

 

その通信インフラの中でも、今や固定電話に代わるメジャーな通信手段に成り代わった「携帯電話」の、さらにその次世代対応となる「スマホ対応」の「本番リリース作業」というのは、今や社会インフラに関わる一大イベントだ。実際に、例えばこの本番リリースでなんらかの失敗でもやらかして、万に一つも「通信断」が発生しようものなら、冗談抜きで首を括らなければならない中小企業経営者だっているはずだ。勿論、そうなった暁には、総務省の「行政指導」の対象となることもいうを俟たない。

 

事程左様に、その辺りの世間一般に溢れている「本番リリース」などとは、重要度が段違いのイベントなのである。

 

であるからして、この種のプロジェクトでは、まず参画した段階で最初に確認しておくべき事項は「本番リリースは、いつか?」であり、それへ向けて万全の準備をし、数か月どころか1年以上も先の「本番リリース日」を常に念頭に意識したうえで動くべきものなのだ。このように本番サービスを提供するシステムのプロジェクトにおいては、「本番リリースを成功させる」のが最大にして究極の目的だから、数年にわたるプロジェクトの活動は偏に「すべて本番リリースを成功させるための活動」と言っても過言ではない。

 

ところが・・・である。

 

あろうことか、その世間が注目する(?)「最大手キャリアによるスマホ導入対応」という世紀の大プロジェクトに携わる、しかもLBチームという主力のチームを形成するリーダーたるN氏は

 

「所要のため、本番リリースの日は出られない」

 

と高らかに宣言してしまったのだから、これ以上の驚きはない。

 

当然ながら、N社のTマネージャーは

 

「Nさん、本番リリースの日だけは、なんとか出ていただけませんか・・・?」

 

と執拗に迫ったものの

 

「どうしても出られません・・・」

 

とN氏の決意は、まったく磐のように固かった。

 

しかしながら

 

「理由は、なんでしょうか?」

 

というT氏の質問に対するN氏の答えに唖然とした。

 

「娘の入学式の日と重なってしまったので・・・」

 

「はあ?

入学式・・・?」

 

「高校の入学式にも卒業式にも出られなかったので、大学の入学式にだけは出てやりたい・・・」

 

まことに耳を疑うような話ではないか。

 

娘を持たないワタクシだが、少なくとも自分自身で言えば中学以降は入学式も卒業式も親には「来なくていい」と言って来たくらいだから

 

「娘の入学式って・・・そんなに重要なことなんかい・・・?」

 

と、ちょっとこれは理解できなかった。

 

恐らくは、大手メーカーのマネージャーT氏もワタクシと同じ考えだったろうが、N氏の表情からその決意の強さを読み取ったのか

 

「本番リリースの日に責任者がいないのは、C社として責任問題となる。どうしてもNさんが出られないのなら、代理の人を出してください」

 

と迫った。

 

「それは、ここにいるにゃべさんに、私の代理を務めていただけるはず・・・」

 

「ダメですね。C社の社員でないと。少なくとも課長クラス以上のね」

 

LBチームは表向きはC社のチームとなっているが、実際にC社の社員は25歳と若手のA君1人だったから、これは代理には成りえなかった。

 

「承知しました。では、C社から代理の者を出します」

 

と、N氏は何があっても逃げる気満々らしい。

2013/05/03

タヌキオヤジ(プロジェクトD)(10)

「我々チームが発言を求められるようなことはない」の言を信じて、やけくそで現場に行くと、日ごろは観たことのない「雲の上の存在」のような、プロジェクトのトップにいるコンサルらしいメンバーが集まって「サイバーシステムがどうのこうの・・・」と、わけのわからない議論が丁々発止戦わされ、話の内容が全く理解できなかった。

※今とは違い、この当時は「サイバーセキュリティ」とか言われても「なんのこっちゃ?」という世界だったから無理もないのである。

 

「まあ、とにかくいるだけでいいんだろう・・・」

 

と鷹揚に構えていると、突然にMCのコンサルから

 

「ところで・・・これまでの状況を踏まえての確認ですが、LBチームの対応はいかがでしょうか?」

 

と言われたから、腰が抜けそうに驚いた。

 

「あれ?

今日はNさんは欠席ですか?」

 

と振られたLBチームのTマネージャーが

 

「あ、にゃべさんがいたのか・・・今日はNさんは休み?

にゃべさんは、今の話わかるかな?」

 

などと、いきなり言われてもわかるはずはない。

 

「いや、ちょっと・・・Nからは、なにも引き継いでいなかったので・・・」

 

というのがやっとで、T氏もコンサルも「どうせわかってないだろう」というような、バカにした表情だった。

 

「クソ、Nのオヤジめ!

わけのわからん会議に出させて、オレに恥を搔かせやがって。

あの無責任おやじ、許さん!」

 

とNへの復讐を誓ったのだったが、時すでに遅し。Nの方では、すでにトンズラを決め込んでいたようだった。

 

憎たらしいことに、この「高度化WG」とやらは、隔週で行っていたらしい。

 

「この前は、仕方ないので一応代わりに出ましたが、『居るだけで良い』どころか、例のTさんに嫌がらせで振られて、なにを話すかのレクチャーもなかったので、情けなくも立ち往生させられた挙句、Tさんには散々に嫌味を言われましたよ・・・」

 

と、恨み節を語って見せたが、タヌキオヤジのN氏は

 

「いや、あれは私も全然、訳がわからなくてね・・・一応出ているだけで、なにをやっているのかはまったく知らない・・・」

 

と、例によって「お惚け」に終始した。

 

「『LB(チーム)』のリーダーさんは欠席ですか?

なんて追及されましたがね。なんせ、私が事前にレクチャーを全く受けていなかったので、どう返事したものやら困窮しましたが・・・」

 

と、言われてもいない「追及」をカマにかけると

 

「すいません、次からは私が出るように調整します・・・」

 

と、明らかに「その場凌ぎ」の回答だった。

 

(とか言ってはいたが、あのクソオヤジ絶対に出る気ないだろう・・・)

 

という、こうしたことにかけては勘が異常に鋭いワタクシの予想通り、次の高度化WGも直前になって

 

(申し訳ありません。急遽、社用が出来てしまったため、本日は自社対応となります。今日は高度化WGの日だったと思いますので、にゃべさんは私の代理として出席していただきたい・・・)

 

などと例によって直前になってから、臆面もなくメールが届いたではないか。

 

(ふざけんな、あのクソオヤジめ!

誰が出てやるものか!)

 

と、知らぬ顔を決め込むつもりだったのが、N社のTマネージャーから電話が入り

 

「なに?

今日も、Nさんは自社だと・・・?

今日は高度化WGがあるから、代理でにゃべさんが出席してください!」

 

と、有無を言わさぬ口調だ。

 

「はあ・・・私が出てもNからはなにも引き継いでいないし、今日はNが欠席ということで、ご容赦いただけないでしょうか?

Nには、私から出席するよう働きかけますので・・・」

 

「LBチームが欠席は許されん!

必ず出席するように!」

 

と、クソ生意気なTは言い放つと、電話を切った。

 

(クソ!

なんで、オレが出なきゃいかんのか・・・Nのクソオヤジめ!)

 

と憤りながらも、予定調和的に「Nの代理」として出席をせねばならぬ身の哀しさ。そして、またTからは

 

「そんなことも、わからねーのか!」

 

と、怒鳴られる羽目に。

 

ところが、一部上場企業C社の部長ともなれば、さすがにその狡猾さは侮れなかった。

 

いよいよ本番リリースが近づきつつあるそのころには、現地での構築やらなんやらで色々と忙しくなっていたが、構築メンバーやらの差配に追われていた時のことだ。そのころは、リリース前の追い込みで昼夜を分かたず検証作業が行われており、日勤夜勤のシフトや現地での構築を誰にするかの組み換えなどをしていた時だった。

 

高度化WGの日程に限っては、サッパリ出勤してこなかったN部長だが、それでも時折は顔を見せていた。こちらとしては、WGで例のN社マネージャから散々不当に扱き下ろされてきた恨みつらみがあるだけに、メンバーに中では図抜けてスキルの高いY君を日勤で固定し、それ以外を夜勤でシフトする腹積もりで、N氏に

 

「日勤夜勤のシフトや、構築に行くメンバーの選定は私に任せて欲しい」

 

と申し入れると、N氏は実にあっさりと

 

「それは、全てお任せします・・・」

 

という返事だ。

 

(当時としては)日本が世界に誇る「携帯最大手キャリアのスマホ対応」という大プロジェクトに鑑みれば、まったくそれに相応しい陣容とは言い難かったが、それでもなにながらもその中で頭をひねった挙句の遣り繰り算段の体制を構築した。足らない部分は、誰よりも高いスキルを持ったN部長という「最終兵器」が蔭でフォローしてくれるはずだから・・・という想定の下、それなりの陣容を組んだのである。

 

ところが・・・ここに考えてもみなかった誤算が出来した!