2017/03/31

ヴォンゴレ(パスタマニア)(9)

ヴォンゴレ(伊: vongole、ボンゴレとも)は、アサリなどの二枚貝を使ったイタリアのカンパニア州・ナポリのパスタ料理である。

 

イタリア語の vongole は、本来はアサリ類・ハマグリ類などのマルスダレガイ科の二枚貝を指すヴォンゴラ(vongola)の複数形で、料理のことはイタリアでは spaghetti alle vongole(スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ)などとよぶ。スパゲッティ以外にも、ヴェルミチェッリやリングイーネなどのロングパスタが使われる。

 

ナポリ地域では、トマトソースのスパゲッティに次いで二番目に人気があるパスタ料理である。

 

種類

イタリアでは、地中海産のvongole veraci(真のアサリ)と呼ばれるヨーロッパアサリ(Venerupis decussata)が好まれる。Tellina(テリーナ)と呼ばれるナミノコガイ(Donax trunculus)やガリアハマグリ(Chamelea gallina)なども使用されるが、近年では日本から移入されたアサリも多く利用され、日本でもアサリを用いるのが一般的である。どの貝を使うかによって、貝から染み出る水分の量が変わり味に影響する。

 

基本のヴォンゴレ・ビアンコ(ビアンコ=白)と、トマトかトマトソースを加えたヴォンゴレ・ロッソ(ロッソ=赤)がある。クリームを使ったものはイタリアには無く、アメリカ風アレンジとみなされる。基本的にアラビアータのようにトマトピューレ等は使わず、フレッシュもしくは缶詰のトマトで作られる。ペスト・ジェノヴェーゼなどのバジリコを使った「ヴォンゴレ・ヴェルデ」(ヴェルデ=緑)や、イカスミを使った「ヴォンゴレ・ネロ」(ネロ=黒)を供する店も出てきている。

 

なお、アサリ類の代わりにムラサキイガイ(ムール貝、イタリア語ではコッツェcozze)を使用することも多くあり、アサリ類と混ぜることもある。この場合ヴォンゴレとは言わずに「海の幸(フルッティ・ディ・マーレfrutti di mare)」と呼ぶ習わしである。イタリアでは、総じてムラサキイガイよりもアサリ類の方が高価として扱われる。

 

マルケ州マチェラータ県ポルト・レカナーティの地域ではローズマリーを加えることがあるが、そのバリェーションを好ましく思わないイタリアの他地域の者もいる。

 

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ボンゴレ・ビアンコとは?名前の意味は?

 

イタリア料理店ではボンゴレ・ビアンコというメニューを見かけることがありますが、一体どのような料理なのでしょうか。ここではボンゴレ・ビアンコについて、名前の由来についても触れながら解説します。

 

ボンゴレ・ビアンコはあさりを使ったパスタ

ボンゴレ・ビアンコは、あさりなどの二枚貝を白ワインで蒸し上げ、そのダシを使って作るパスタのことです。南イタリアに位置するナポリ沿岸が発祥の料理で、一般的にロングパスタで作られることが多いです。本場イタリアでは、あさりに加えてはまぐりなどの二枚貝も使用されます。

 

「ボンゴレ・ビアンコ」のイタリア語の意味

「ボンゴレ・ビアンコ」はイタリア語ですが、このうちの「ボンゴレ」はあさりを意味し、「ビアンコ」は白を意味しています。ボンゴレ・ビアンコは、その単語の組み合わせにも表れている通り、二枚貝であるあさりと塩・オイルまたはクリームのような白い材料を組み合わせて作られるパスタです。

 

ボンゴレ「ビアンコ」と「ロッソ」の違いは?

イタリア料理店では、ボンゴレ・ビアンコの他にボンゴレ・ロッソというパスタを見かける方も多いかもしれません。似たような名前ですが、一体何が違うのでしょうか。ここでは、ボンゴレ「ビアンコ」と「ロッソ」の違いを説明します。

 

ボンゴレ・「ロッソ」と「ビアンコ」の違いはソース

ビアンコは前述した通りイタリア語で白を表す言葉ですが、一方のロッソは赤を意味します。ボンゴレ・ビアンコが二枚貝を使った白い色をしたパスタであるのに対し、ボンゴレ・ロッソは二枚貝とトマトやトマトソースを使った赤い色をしたパスタです。

 

ボンゴレ・ロッソ以外にも、バジルソースを使用した緑色のボンゴレ・ヴェルデや、イカスミを使用した黒い色のボンゴレ・ネロなどのパスタもあります。

 

「ビアンコ」と「ロッソ」の違いは? イタリア語での意味と料理における使い分けを紹介!

出典: ちそう

 

トマトが使われる「ボンゴレ・ロッソ」が誕生した歴史

イタリア料理に多く使われている印象のあるトマトですが、イタリア人がトマトを食べるようになったのは16世紀に入ってからです。それ以前は赤い色をしたトマトには毒があると信じられていて、観賞用として親しまれていました。16世紀に飢餓に苦しむイタリア人が初めてトマトを食べ、そこからトマトは食用として使用されるようになりました。

 

18世紀末頃にはイタリアで様々なトマト料理が作られるようになり、ボンゴレ・ロッソを始めとしたトマトソースのパスタも食べられるようになったと言われています。

2017/03/29

大国主神の国譲り

国譲りは、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)ともいう。

 

天忍穂耳命の派遣

高天原に住む天照大御神は

「葦原中国は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」

と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き

「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」

と高天原の天照大御神に報告した。

 

天菩比命の派遣

高御産巣日神と天照大御神は、天の安の河の河原に八百万の神々を集め、どの神を葦原中国に派遣すべきか問うた。思金神と神々が相談して「天菩比命(あめのほひ)を派遣するのが良い」という結論になった。高木神と天照大御神は、天菩比命に葦原中国を統べる大国主神の元へ行くよう命じた。しかし、天菩比命は大国主神の家来となり、3年経っても高天原に戻らなかった。

 

天若日子の派遣と死

高御産巣日神と天照大御神が、八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、八百万の神々と思金神が相談して

「天津国玉神の子である天若日子(あめのわかひこ)を遣わすべき」

と答えた。そこで、天若日子に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)と与えて葦原中国に遣わした。

 

しかし、天若日子は大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚し、自分が葦原中国の王になろうと企み8年たっても高天原に戻らなかった。これを不審に思った天照大御神と高御産巣日神は、八百万の神々と思金神の勧めで雉名鳴女(きぎしのななきめ)を派遣して、使命を果たさない理由を天若日子に尋ねさせた。

 

鳴女が天若日子の家の前で大きな鳴き声をあげると、天佐具売(あめのさぐめ)が

「この鳥は鳴き声が不吉なので、射殺してしまいなさい」

と天若日子をそそのかした。

 

そこで彼は、高木神から与えられた天之波士弓(あめのはじゆみ)と天之加久矢(あめのかくや)で鳴女の胸を射抜き、その矢は天照大御神と高木神の所まで飛んで行った。

 

高木神は血が付いていたその矢を、天若日子に与えた天羽々矢であると諸神に示して

「天若日子は命令に背かないで、悪い神の射た矢が飛んで来たのなら、この矢は天若日子に当たるな。もし天若日子に邪心あれば、この矢に当たれ」

と言って矢を下界に投げ返した。矢は朝の寝床に寝ていた天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。

 

天若日子の死を嘆く下照比売の泣き声を、天にいる天若日子の父・天津国玉神や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋(もや)を作った。天若日子によく似ていた阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた時、天若日子の父と妻が

「我が子は死なないで生きていた」

「私の夫は死なずに生きていた」

と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。

 

すると、阿遅志貴高日子根神は

「友人だからこそ弔問に来た。どうして穢らわしい死人と見間違えるのか」

と怒り、大量(おおはかり)という剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山であるという。阿遅志貴高日子根神の妹の高比売命は、以下の歌を詠んだ。

 

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曽也

天あめなるや 弟棚機おとたなばたの うながせる 玉の御統みすまる 御統に 穴玉はや み谷 ニふた渡らす 阿治志貴高日子根の神ぞや

(天上の若い織姫が首に掛けている玉飾り、その玉飾りの大きい玉のような方は、谷を二つも渡られた阿遅志貴高日子根神です)

 

建御雷神と天鳥船神の派遣・事代主神の服従

天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は

「伊都尾羽張神(いつのおはばり、天尾羽張神)か、その子の建御雷之男神(たけみかづちのお)を遣わすべき」

と答えた。天尾羽張神は

「建御雷神を遣わすべき」

と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて、葦原中国に遣わした。

 

建御雷神と天鳥船神は、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主神に

「この国は、我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」

と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の八重事代主神(やえことしろぬし)に訊ねるよう言った。事代主神はその時、鳥や魚を獲りに出かけていたため、天鳥船神が事代主神を連れて帰り、国譲りを迫った。

 

これに対して事代主神が

「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」

と答えると、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れた。

 

建御名方神の服従

建御雷神が

「事代主神は承知したが、他に意見を言う子はいるか」

と大国主神に訊ねると、大国主神はもう一人の息子の建御名方神(たけみなかた)にも訊くよう言った。その時、建御名方神が千引石(ちびきのいわ)を手の先で持ち上げながらやって来て

「ここで、ひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」

と建御雷神の手を掴んだ。建御雷神は手をつららに変えて、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、若い葦を摘むように握りつぶして放り投げたので、建御名方神は逃げ出した。

 

建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとした。すると、建御名方神は

「恐れ入りました。どうか殺さないでください。この土地以外のほかの場所には行きません。私の父・大国主神や、事代主神の言葉には背きません。天津神の御子の仰せの通りに、この葦原中国を譲ります」

と言い、建御雷神に降参した。

 

大国主神の国譲り

建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は

「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)(「遠く離れた場所」、「遠い隅の方」を意味する。「百足らず」は「八十(やそ)」の枕詞で、「クマ」は「隠れたところ」の意。「テ」は方向を示す。)へ隠れましょう。私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従って天津神に背かないでしょう」

と言った。

 

すると、大国主神のために出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に宮殿が建てられ、水戸神の孫・櫛八玉神(くしやたま)が沢山の料理を奉った。

 

建御雷神は、葦原中国の平定をなし終えると、高天原に復命した。

出典Wikipedia

2017/03/26

キセノンの奇跡

 新横綱・稀勢の里が、奇跡の逆転優勝!!!

 新横綱として迎えた今場所、いきなり「全勝優勝も?」と期待させる快進撃を演じながら、13日目の日馬富士戦で大けがを負ってしまった稀勢の里。

 怪我の様子から、休場はおろか「長期離脱」も心配されながら、まさかの強行出場となるも「最弱横綱」鶴竜に一方的に敗れるほどの重傷だ。

 14日目まで1敗を守って来た照ノ富士に遂に抜かれ、2敗に後退。

 千秋楽は、その照ノ富士と星一つの差で直接対決となり、もはや誰の目にも優勝は絶望的と思われた。

 これまでの合い口こそ良い相手とはいえ、今場所絶好調に近い照ノ富士相手に、左腕がまったく使えない手負いの稀勢の里の勝ち目は、どう見てもゼロに近いという見方が妥当だった。

 (折角、良い調子で「新横綱優勝」の大チャンスだったのに!
 なんとも惜しいことだ・・・)

 と歯噛みをしたくなる展開だったが、勝負の神様は

 (なにも、こんな複雑に手の込んだことをしなくても・・・)

 と言いたくなるくらいに、実にドラマティックな展開を準備していた!

 照ノ富士に、あっさりやられてジエンドと思われた稀勢の里。

 ところが、前日とは見違えるような力強さで本割を制すると、続く優勝決定戦でも絶体絶命の土俵際からの鮮やかな逆転劇で、奇跡の大逆転新横綱優勝!

 これまで散々に「メンタルの弱さ」が指摘され続けた稀勢の里だが、念願の横綱昇進を果たして吹っ切れたかのように、今場所の泰然自若とした風格、そしてこの凄まじいまでの精神力は、目の前の壁を一気に超越し、新境地に達した感すらある。

 実に、どこまでもドラマティックを絵に描いたような新横綱

 今後もさらなる進化を続けながら、ワクワクするようなドラマを演じ続けてくれそうな期待が膨らむ。

2017/03/24

カルボナーラ (パスタマニア)(8)

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9

カルボナーラ(伊: pasta alla carbonara)とは、パスタ料理の一種である。料理の一覧

 

かつてカルボナーラを作るだけの動画がランキング入りするなど、ニコニコ動画ではとても人気のあるメニューである。本項ではイタリアの一般家庭で作られるような、ほっとするカルボナーラについて述べる。

 

概要

イタリア中西部のラツィオ州、とりわけ首都ローマが発祥とされる料理である。味付けは基本的に茹で汁の塩味と塩漬け肉の旨味、卵のコクとチーズの風味、黒胡椒の香味で構成された極めてシンプルなものであり、それだけに調理の上では茹で汁の使い方と黒胡椒の存在がとても重要なものとなっている(後述)。

 

パスタはスパゲッティやブカティーニなどの細麺、フェットチーネやリングイネなどの幅広麺のロングパスタの他、ペンネやフジッリ、リガトーリなどのショートパスタでも供される。日本のイタリア料理店やコンビニ弁当などでは、スパゲッティやフェットチーネが一般的なようである。

 

歴史

カルボナーラという言葉は「炭焼き職人」カルボナーロ(carbonaro)の女性形で、前置詞と組み合わされて「炭焼き職人風」を意味する。黒胡椒を炭粒に見立てての命名であるという説が有力であるが、本物の炭焼き職人たちが作業中に焼き窯から離れなくても栄養のある食事が摂れるよう常備していた食材から生み出したという説や、イタリア統一の際に暗躍した秘密結社「カルボナリ党」に由来するという説など諸説ある。アメリカでは「石炭採掘労働者風」と再解釈されることもあったようだ。

 

なお伝統的なレシピでは卵は使われておらず、現在の生卵を使うレシピは第二次世界大戦中~戦後より前には一切記録が無いことから、それ以降に誕生したものと考えられており、結構新しい。由来には諸説あり、イタリア戦役でローマに進駐したアメリカ兵が現地のパスタをアレンジして成立したという説、戦後に支援物資としてミネソタ州から贈られた大量の卵の使い道として考案された説(完全に余談だが、日本では暁テル子が歌う「ミネソタのたまご売り」と云うブギが戦後まもなくヒットし、後にハウス食品が「たまごめん」というインスタントラーメンのCMソングにこれの替え歌を採用しヒットしたことが『ちびまる子ちゃん』でもネタになっている。要するに、それだけミネソタ=卵は有名だった、ということで)、などがある。

 

中でもユニークな説として、カルボナーラはナポリ料理の手法を採り入れたもの、というものがある。カルボナーラで使う卵液とほぼ同一の物を食べる直前に掻き混ぜる、というレシピが古今のナポリ料理に散見されるから、というのがその理由である。しかしながらナポリはカルボナーラを生み出すことは無く、代表的なパスタと言えばケチャップで和えた真っ赤なスパゲッティ、漁師町らしくボンゴレのような海鮮パスタの数々となる。とは言え、もしも歴史の歯車の噛み合わせが少し違っていたとしたら、我々が今日カルボナーラと呼んでいるパスタを「ナポリタン」と呼んでいた可能性もあった、かもしれない。

 

材料(一例)

カルボナーラ

パスタ:160g

塩:湯の量の1%

ベーコン:60g

卵:2

パルメザンチーズ:大さじ12

粗挽き黒胡椒:適量

手順(一例)

味付けの決め手となる茹で汁の使い方と黒胡椒が重要なポイントである。

 

なるべく大きな鍋でパスタが踊る位の湯を沸かし、塩を加えて(舐めてほんのり塩味を感じる程度が目安。味が無いのはNG)からパスタを投入。表示の茹で時間の1~2分前にチェックをし、アルデンテの少し手前で揚げるようにする。

 

パスタを茹でている間、フライパンで油をひかずに弱火でじっくりとベーコンを加熱し、出てきた油で香ばしく炒める。お好みでカリカリに仕上げても良いが、焦がし過ぎないように注意。ベーコンは薄切りが普通だが、ブロック肉をやや厚切りにしたものも良く、また代わりにパンチェッタ(半生ベーコン)やグアンチャーレ(頬肉ベーコン)を用いるとより本格的に。炒め終わったら一旦、火から下ろす。

 

卵液を作る。卵をボウルに割りよく混ぜ、卸したパルメザンチーズと粗挽き黒胡椒を適宜加える。卵については「卵黄だけ使う」「卵黄を多めに使う」「全卵を使う」の3つのパターンがあるが、当然卵黄の比率が高くなれば濃厚な味わいになる。チーズはパルメザンの代わりにペコリーノ・ロマーノでも良し、パルミジャーノ・レッジャーノ(パルメザンの最上級)なら更に良し。胡椒は直前にミル挽きしたものが香味が強くなり、平坦になりがちなソースの味をしっかりと引き締めてくれるが、そこはお好みで。

 

パスタが茹で揚がる直前にフライパンを中~強火にかけ、茹で汁を少量加えてサッと加熱し、油脂が十分に乳化した所で火を止める。麺の食感と風味を損なわないよう、基本的にここから先は一切火を使わないで、余熱と茹で汁の熱のみで調理する。

 

茹で揚がったパスタをフライパンに投入、味を見ながら茹で汁を加えて絡ませる。ここで大まかな塩加減を決めていくと良い。麺を解し易くするために、先に適量のオリーブオイルを絡めておいても良い。

 

卵液を加えて、よく混ぜながら余熱で程良く火を通す。きちんと味見をして味が薄かったり、熱が足りなかったり、ソースが重た過ぎた場合には温かい茹で汁を加えて調整するが、塩味が強くなり過ぎない様に気を付ける。茹で汁で解決できない場合は火を入れるしかないが、この時の作業は手早く短時間で行い、ソースが炒り卵にならないよう、パスタが伸びないように注意する。

 

器に盛り付けて好みの分量の黒胡椒やチーズ、彩りのパセリ等を振り掛けて完成である。Buon appetito!(ブォナッペティート!= 召し上がれ!)

 

バリエーション

卵液に生クリームを入れるレシピはイタリア式ではなく、手軽にコクを増しソースを固まり難くするためにアメリカで考案されたものだが、日本の家庭やイタリア料理店等でもよく見られる調理法である。家庭でやるなら、在り合わせの溶かしバターや少量の牛乳などでも、そこそこ代用できる。

 

肉を炒める油脂に、少量のオリーブオイルと共に包丁の腹で潰したニンニクを加えて弱火で加熱し、アーリオ・オーリオにするレシピもイタリア式ではないが、あまり違和感も無いからかよく見られる調理法。取り出したカリカリニンニクは、トッピングにしてもまた良し。また同様の趣旨では、玉葱もよく見られる。

 

仕上げに温泉卵をトッピングするのは、日本ではほぼ定番。また、塩味が強くなり過ぎた時にも使える。

 

日本では上述のような、カルボナーラの持つシンプルなイメージからは大きく外れないアレンジが殆どだが(例外は後述)、海外には豆類や茸類の入ったものも珍しくなく、イタリア本国でも(例外として)イタリア野菜や海鮮の入ったものが存在するなど、美味しけりゃもう何でもアリである。かのイギリスでは卵の代わりにベシャメルソースを入れることもあるそうだが、それはもはやカルボナーラではなく普通のクリームパスタではなかろうか。

 

さて、先にも述べたように、カルボナーラにおいて黒胡椒はとても重要な位置を占めている。にも関わらず「PRONTO」のカルボナーラには何故か黒胡椒が一切入っておらず、代わりにペッパーソースの小瓶がセットで付いてくる。このため、ソースを振り掛けられて赤くなったその様はさながら「炭焼き職人失踪事件(ただし現場には多量の血痕)」の様相を呈する。

 

また、卵に余分な熱を加えて固めない様にするのもカルボナーラの鉄則であるが、「パンコントマテ」ではカルボナーラが何故か「スクランブル」にカテゴライズされており、注文すると「名状しがたい大盛りの自家製極太生パスタに大量の半熟炒り卵が絡み付いたようなもの」が出てくるカオス。

2017/03/22

少名毘古那神(『古事記傳』12)

口語訳:この大国主神が出雲の御大の崎にいたとき、波間から、天の羅摩の船に乗り、鵝の皮を剥いで着物にしたものを着て、やって来た神があった。その名を尋ねたが答えない。お伴の神々に尋ねても、みな「知らない」と言う。だが多邇具久という神が、「これは久延毘古ならきっと知っているでしょう」と言った。そこで久延毘古を召して尋ねたところ、「これは神産巣日神の御子で、少名毘古那神という神です」と答えた。

 

そこで神産巣日命に報告し、この神を見せたところ、「これは確かに私の子だ。私の子の中で、指の間から漏れた子だ。だからあなた、葦原色許男命はこの子と兄弟になって、この国を作り固めなさい」と言った。そこでこの後、大穴牟遲命と少名毘古那神の二柱は相並んで、この国を作り固めた。

 

その後、少名毘古那神は常世の国に行ってしまった。この少名毘古那神の名を明らかにした、いわゆる久延毘古は、今は山田の曾富騰(そおど=かかし)という者である。この神は、歩くことはできないけれども、世の中のことをすべて知っている神だという。

 

口語訳:大国主神は愁い歎いて、「私一人で、どうやってこの国を作り終えることができよう。どの神と協力すればいいのだろうか。」と言った。このとき、海を明々と照らしてやって来る神があった。その神は「私をよく処遇するなら、あなたと共に国造りをしましょう。そうでなければ、国は完成しないでしょう。」そこで大国主神は「そのあなたに対する処遇はどうしたらいいでしょうか」と尋ねた。その神は「私を倭の青垣となっている東の山に祀ってください」と言った。これは三諸の山の上にいる神である。

 

スクナビコナ

少名毘古那神(すくなびこなのかみ)は、日本神話に登場する神。

 

概要

『古事記』では少名毘古那神、『日本書紀』では少彦名命(すくなひこなのみこと)、『先代旧事本紀』では天少彦根命(あまのすくなひこねのみこと)、『出雲国風土記』では須久奈比古命、『播磨国風土記』では小比古尼命(すくなひこねのみこと)、他に須久那美迦微、少日子根などと表記する。

 

『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。

 

『古事記』によれば、スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述があるが、ミソサザイの皮の着物を着ている。スクナビコナが登場するのは、『記』・『紀』以外では、『播磨国風土記』や『伊予国風土記』(逸文)、山陰や四国、北陸などの地方伝承である。

 

スクナビコナはオオナムチ(大国主神)同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。その一方で、スクナビコナは悪童的な性格を有するという記述がある(『日本書紀』八段一書六)。スクナビコナはのちに常世国へと渡り去るが、これは草に弾かれて常世へ渡った、川で溺れて神去りしたなど様々な説話が存在する。

 

神名

スクナビコナの名前の由来について、『古事記伝』によれば「御名の須久那(スクナ)はただ大名持(オホナムチ)の大名と対であるため」とある。あるいは金井清一によれば「若き日の御子」の意とする説がある。また、この神が必ずオホナムチと行動を共にすることから、二神の関係が古くから議論されている。

 

スクナビコナは、国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。

 

酒造に関しては、酒は古来薬の一つとされ、スクナビコナが酒造りの技術を広めたことと、神功皇后が角鹿(敦賀)より還った応神天皇を迎えたときの歌に「少名御神」の名で登場することから、酒造の神であるといえる。

 

石に関しては、記述よりそうした面が見られると想像されるだけであり、あくまで性質的なものである。

 

大林太良はこの神に「第二の自我」を見、吉田敦彦は双生児的な関係を指摘している。海から来訪したとの記述により渡来人という説もあるが、船で渡来=外国人という単純な図式からの連想であり、奇説の域を出ない。

 

コロボックルをテーマにした児童文学シリーズを書いた佐藤さとるは、その第一作である『だれも知らない小さな国』において、スクナビコナとコロポックルとが同じ種族ではないかという推測を主人公に語らせている。

出典 Wikipedia

2017/03/19

三輪山(1)

  三輪山は、奈良県の最北部一帯の奈良盆地の南東部位置する奈良県桜井市の南東部にそびえる、なだらかな円錐(えんすい)形の美しい姿をした山である。標高467m、周囲16km。三諸山(みもろやま)ともいう。

 

三輪山は、おそらく縄文時代、あるいは弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。

 

古墳時代にはいると、山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた。そのことから、この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力、つまり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したと考えられている。

 

200から300メートルの大きな古墳が並び、そのうちには第10代の崇神天皇(すじんてんのう)・第12代の景行天皇(けいこうてんのう)の天皇陵 陵があるとされ、さらに箸墓古墳(はしはかこふん)は魏志倭人伝 『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にあらわれる邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかと推測されている。

 

『記紀』には、三輪山伝説として、奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神、大物主神(おおものぬしのかみ)、別称三輪明神(みわみょうじん)の伝説が、載せられている。よって三輪山(みわやま)は神の鎮座する山、神名備(かむなび)とされている。

 

 奈良県桜井市の東部にそびえる神体山。

 

『古事記』には,活玉依毘売のもとに美和山の神が夜な夜な通い懐妊させたが,活玉依毘売は,夫の名を知ろうとして麻糸を衣の裾(すそ)につけると,鉤穴を抜け通り手もとに三勾遺った。その糸をたどると美和の神の社に至ったので,神(大物主神)が夫であることを知った。それより、この神を三勾(三輪)の神と称したという。この地名由来伝承に対し、神座(岩倉)が辺津(へつ)・中津・奥津の三つ置かれて祭られていることによるとも言う。

 

古来、三諸(みむろ)の山とも表記され『日本書紀』の一書に「日本国の三諸山」と言ったとある。大物主神は,「蛇神」として尊崇を受けていたらしく、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)はこの神の妻となり、三輪山の山麓の箸墓に葬られたと伝えている。

 

『出雲神賀詞』には、大国主命の和魂とされ〈倭の大物主くしみかたまの命と名を称(たた)えて、大御の神奈備に坐せ〉と宣べている。

 

『万葉集』に「味酒三輪の山」と歌われるのは、ミワに神酒を盛ることから由来し、それより三輪の神に酒神の信仰が付与されるようになった。

 

山の西北の麓には玄賓僧都の庵があり、『古今集』には

 

〈我が庵は 三輪の山もと 恋しくば とぶらひ来ませ 杉立てる門〉

 

の歌がある。これらをもとにして,謡曲「三輪」がつくられた。

 

三輪明神の発見

 旧織田村の東、茅原山のかたわらにある小さな家から、昔、ひとりの尼が、毎日毎日三輪の方へいっては、水をくんでかえっていた。ひとりの僧がそれを見とがめて、いったい毎日どこまで水をくみにいっているのかと尋ねた。

 

尼の答えには、三輪山のふもとに、一つの小さなほこらがある。そしてそこから、きれいな水がわいている。尼はその神様を拝みがてら、清水をくんでくるのだと、くわしくその場所を教えた。

 

僧は不思議に思って、教えられた通りのところを尋ねてみると、全く思いがけないところに祠と泉とがあった。

 

それで、そのことをあまねく人々にも知らせ、ついに三輪明神とした。これが今の大神神社のもとだという。

 

三輪の由来 磯城郡大輪町(旧磯城郡三輪町)

 陶都耳命には、活玉依姫という美しい姫があった。ある夜の真夜中に、世にもまれなりっぱな若い男がきて、姫と夫婦のちぎりを結んだ。間もなく姫は妊娠した。父母は驚いた。

 

「お前はたしかに妊んでいるが、夫がいないのにどうしたのか。」

 

と問うた。姫は

 

「名も何も知りませんが、姿のたいへん麗しい男の人が毎晩きて、夜明けになりますと、どこかへ帰って行きます。」

 

と答えた。

 

「今夜その男がきたら、寝床のあたりに赤い土をまいて置き、緒環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物のすそに刺しておけ。」

 

と父母は教えた。

 

姫は教えられた通り、衣のすそを針に刺しておいた。夜が明けてから見ると、室の周囲の赤土には足跡はなく、糸は戸のかぎ穴からぬけ出て、三輪山の神の杜に入り、家には緒環にわずかに三輪だけが残っていた。それから、この地を三輪と呼ぶことになった。

2017/03/17

カルボナーラ (パスタマニア)(7)

カルボナーラ (Carbonara) とは、「炭焼のパスタ」(炭焼職人風)という意味のパスタソースの1種である。チーズ、黒コショウ、グアンチャーレもしくはパンチェッタ(塩漬けの豚肉)、鶏卵 (卵黄又は全卵)を用いる。

 

概要

元々はローマの料理で、グアンチャーレかパンチェッタを使用し、チーズにはペコリーノ・ロマーノ(なければパルミジャーノ・レッジャーノ)を使う。パスタにはスパゲッティを使用したものが一般的で、これをスパゲッティ・アッラ・カルボナーラ(Spaghetti alla carbonara)という。

 

生クリームは本来は入らない。本場ローマでは卵の凝固を防ぐために、グアンチャーレを炒めた際に出る油を事前に卵液へ加え、パスタ投入後はパスタの茹で汁を加えながら素早く和えるというレシピもある。

 

起源

料理や名前の起源は不明確で色々な説があるが、その多くはラティウム地方に起源があるとしている。 1930年に出版されたAda Boniによるローマの料理本にはカルボナーラは載っていない。よく似たパスタとして南イタリアのラード、溶き卵、チーズを使ったパスタcacio e uovaがある。1837年に編纂されたイッポーリト・カヴァルカンティ(伊: Ippolito Cavalcanti)によるCucina teorico-praticaにも似た手法と材料の料理があり(パンチェッタ、グアンチャーレはなく卵も固い)、ナポリ料理が起源にあるともされる。

 

第二次世界大戦時、1944年のローマ解放より、アメリカ軍が持ち込んだベーコンや卵が流通するようになった後にカルボナーラの名前が現れており、アメリカ兵が親しむ卵、ベーコン、スパゲッティを使った料理としてイタリア人シェフが考えたとされる説があり、1950年のイタリアの新聞『ラ・スタンパ』にも、アメリカ軍将校が求めた料理と記されている。この説は、多くのレシピでパンチェッタとグアンチャーレが同一の素材として扱われている理由も説明している。

 

薪から木炭を作る炭焼き職人(carbonai、ローマ方言でcarbonari)が考案したとする説、ナポリのブオンヴィチーノ公爵であるイッポーリト・カヴァルカンティが料理本に紹介していたとする説もある。

 

名前は、単にコショウの色から連想されたという説もある。

 

「炭焼人 (Carbonara) が、もしも仕事の合間にパスタを作ったら、手に付いた炭の粉が落ちてこんな風になるのではないか」という想像から黒コショウを絡ませ創られたパスタという説や、カルボナリ(炭焼党 - イタリアの革命的秘密結社)との関わりを指摘する説もある。

 

日本風のカルボナーラ

日本では、グアンチャーレやパンチェッタは入手性の問題もあり、ベーコンで代替する形で広まった。同様に、チーズについてもパルメザンチーズを使うことが多い。また生クリームも使うものが一般的には多い。温泉卵をトッピングするケースもある。近年パンチェッタやペコリーノ・ロマーノが日本各地の輸入食品店で容易に入手できるようになり、イタリア本来の作り方も普及してきている。

 

日本風のカルボナーラソースは、レトルト食品としても市販されている。日本でも人気は高く、マイボイスコムの「よく利用するパスタソース」の調査ではトマトソース、ミートソースに次いで3位にランクインした。

 

逸話

なぜか「カルボナーラ発祥の店」と言われるローマの「Osteria La Carbonara」(1906年創業)だが、それは間違ったうわさであり、店などはそのような紹介は一切しておらず、明確に否定している。また、同じくローマには「Ristorante La Carbonara」(1912年創業)という似たような店もあるが、こちらも「カルボナーラ発祥の店」と思われることもあるが否定している。

2017/03/16

ギリシャ神話(2)


●宇宙開闢の四柱の神々 
宇宙の始めについて、最初の神話作家ヘシオドスの説明はない。

ただ「何やら分からない、名前も形も色も匂いも何にもないけれど、何か宇宙の原質となるようなものがあった」と想定するしかない。

ともかく「始めに原初のものがあった」とする。

ここから宇宙開闢が始まるのだが、その運動についても説明はない。

 しかし、ともかく活動し始め、この世界を生み出していくことになる。

ヘシオドスは「最初に生じたものは何か」と問うて「始めにカオスが生じた」と言う。

カオスというのは通常「混沌」と訳されるが、ここでは「開き口」あるいは「空隙」くらいの意味だろう、と考えられる。

つまり、何かが開かなければ何も始まらない。

あるいは、物と物とを分け隔て(空隙の観念)、一つの物として認知させる「形の形成の原理」かとも考えられる。

 なぜなら、空隙がないということになったら、全ては一つになってしまって物の形などなくなってしまうから、この状態が「混沌」とも言える。

ついで「ガイア」が生じた、という。

このガイアというのは「大地」を意味する。

これはわかりやすいが、ところが続けて第三の神として「大地の奥底にタルタロス」といってくる。

このタルタロスというのは「無間」を意味し、イメージ的には底なしの空間となる。

こんなものが何故、始めの神とされているのか説明はないが、大地が形あるものの生成の材料的原」と考えられるのに対し「消滅の原理」であると考えられる。

というのも、ここは二度と地上にでてくることができないところであるからで、後には永遠の地獄となる。

 生成ばかりでは増える一方になってしまうため、対概念としてこんなタルタロスのごときを言ってきたのかも知れない。

そして四番目に「愛神エロス」が生まれた、と言ってくる。

このエロスはヘシオドスによって「神々の中でも最も美しく、神々や人間の心や思慮をうちひしぐ」と語られているので、要するに我々の知っている「」でいい。

これが、二つのものを引き寄せて子供を生む原理であることは、いうまでもない。

「宇宙創生」の原初の神々の形成、「混沌のカオス」からの生成 
  宇宙開闢の四柱の神々は、展開して宇宙を創生していく原初の神々を産み出していく。 

 最初の混沌のカオスの場合、次に神エレボス(暗黒)と女神ニュクス(夜)を産む。 

 これはエロスの働きではなく、カオス自身の展開といった記述の仕方となっている。 

 次に、エレボスとニュクスからアイテル(澄んだ気)とヘメレ(昼の日)とが産まれる。

 こちらは情愛の契りをして、と語られる。 

 こうして「闇と明」「夜と昼」とが生成したことになる。

 ついでヘシオドスは、夜のニュクスが「誰とも寝床を一つにする事なく、一人で」産んだ子供たちを列挙する。

 「」という名前に付いて回る暗いイメージの子供たちで、例えば「忌まわしい定めのモロス」とか「死の命運のケル」とか「死のタナトス」、「眠りのヒュプノス」、「夢のオネイロス」などが挙げられてくる。

 その他、非難とか苦悩、運命、憤り、欺瞞、欲情、老齢、争い、苦労、忘却、飢餓、悲嘆、戦闘、殺害、殺人、紛争、虚言、口争い、不法、破滅などなどの子どもを産み出して行く。 

  これらは普通名詞であるが、同時に擬人神となる。

原初の神々の形成、「大地のガイア」からの生成 
  一方、大地ガイアの子どもは形ある自然物となり、まず大地ガイアは「天ウラノス」を産み出す。 

  これも一人で産むので、言わば分身といえる。

 ヘシオドスは「こうすることで、大地が神々の揺るぎない座になるためだ」と語っている。 

  さらに大地は山々(名前はない)を産み、そして海原ポントスを産み出す。

 この山と海は、大地の分身であることは分かりやすい。

 次からは、エロスが活躍する。

 まず、大地ガイアと天ウラノスの組み合わせをつくり、ついでガイアと海ポントスの組み合わせをつくる。

 さらに大地ガイアは、タルタロスとも交わることになる。 

  ここで一番大事なのは、天ウラノスとの関係である。

 ここから生まれてくる者たちが、ギリシャ神話の主人公となる

 オリュンポスの12も、この系譜にある。

「大地ガイアと天ウラノス」からの生成 
 大地ガイアと天ウラノスは、添い寝して子供たちを産む。 

 まずは詩人ホメロスの叙事詩の中で「神々の祖」とまで言われていた「大洋オケアノス(この英語発音が、オーシャンとなる)」を、そしてさらに偉大な神々を産んで掟の女神テミスやオケアノスの妻、女神テテュスなどが挙げられる。 

  後に、この種族は「ティタン神族ないしクロノスの一族」と呼ばれることになるが、その名前の由来でこの一族の主神となるクロノスたちを産む。 

 さらに一つ目の巨人キュクロプス兄弟、そして最後に百手の怪人神ヘカトンケイレス兄弟を産んで行く。

ウラノスの滅亡 
 ところが、天ウラノスはこのヘカトンケイレスを憎み(後に三人の名を挙げ、彼等の無類の勇気と容貌、体躯を妬んでといわれている)、大地ガイアの奥底に彼等を押し込んでしまったという。 

 だが大地ガイアの方は腹いっぱいに詰め込まれて呻き、怒りで復讐を企んだ。

 こうして大きな鎌を作り、子供たち(クロノスの一族)に反逆をそそのかす。

 しかし皆、天なる父ウラノスの力を恐れ尻込みする中、クロノスが母への協力を申し出る。

 こうして母ガイアは大鎌を渡し、待ち伏せの場所にクロノスを隠し、ウラノスが天から降りてくるのを待ち受ける。

 ウラノスはガイアのもとを訪れ、横たわるガイアの上に覆いかぶさってくる。

 その時を待っていたクロノスは、ウラノスの偉大な一物を左手にむんずとつかみ、右の手にもった大鎌でその巨大なやつをバッサリ切り落としてしまう。

 ウラノスは自分の子クロノスを罵り、この報復が後にやってこようと呪いをかける。

美神アフロディテの誕生 
  傷口からは血が迸り出て、それはガイアに受け止められ、復讐の女神エリニュスと巨大なギガンテス(ジャイアンツの語源で野蛮な巨人)、長槍の柄となるトネリコの精メリアイ」が産まれる。

 しかし、切り取られた一物は海へと投げ捨てられ、海原を漂っていくうちにその回りに白い泡が沸き立ち、その泡にまみれた一物から美しい乙女が産まれ出てきた。

 美の女神アフロディテの誕生であった。

 ヘシオドスは美の本質をここに見ているようで、それは男根という産む性格を持ち、怨念を伴い復讐の女神と殺戮と闘争のシンボルを兄弟・姉妹に持っているというわけである。

 人間の歴史が、どれだけ美しい女のために怨念と復讐の殺戮劇をみせ、男達がどれだけ戦ってきたことかをみれば納得できる。

 ともあれ、アフロディテは流れてキュプロス島に上陸する。

 そこに、あの原初の神の一人であった愛の神エロスが、彼女の従者になるべく欲望ヒメロスを伴って現れてきたという。

 この時以来、エロスは若者の姿になってしまった(彼はさらにもっと若返り、ローマ時代には、ついにキューピッドという赤ん坊にまでなってしまう)。

 エロス自身は燃え上がる恋の心を司るが、性欲は司っていない。

 それを司るのはヒメロスの方であって、ここにヒメロスまで登場してきてアフロディテの性格を美と愛と性とにしてきた、というわけである。

 こうして、この女神の持ち分はヘシオドスの語りでは「娘たちの甘い囁き、ほほ笑みと欺瞞、甘美な喜び、情愛と優しさ」というわけで、じつにこうして男達は翻弄されることになってしまったのである。
※ http://www.ozawa-katsuhiko.com/index.html 引用