2008/11/30

浅田真央の復活

フィギュアスケートのグランプリ・シリーズ最終戦・NHK杯(カッコ悪・・・せめて「ジャパン・カップ」とかに変えて貰いたい)で、浅田真央選手が優勝した。

 

この浅田を筆頭に鈴木明子、中野友加里と、日本選手が表彰台を独占した。

 

出典https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200811300002-spnavi

<浅田は、2週間前のフランス大会での大失敗から、どこまで調子を取り戻しているかに、誰もが注目をしていた。トリプルアクセル2回。判定では、2度目のコンビネーションはダウングレードで、記録の上では認められていない。しかし観客の目にも浅田自身にとっても、この日のフリーは

 

「トリプルアクセルを2回成功させた、素晴らしい演技」

 

だった。

 

一度目のトリプルアクセルは、ふわりと軽い跳躍で心なしかいつもより滞空時間が長く見えるほどで、美しいものにうっとりする目で、私たちはそれを見た。そして2度目のアクセルは、ダブルトウループをつけたコンビネーション。

 

「ほんとに、二つ跳んじゃった!」

 

信じられないものを見たような驚きの目で、私たちはそれを見た。続けて、フリップからの3回転-2回転-2回転を難なく跳んでしまうと、もう後は浅田の世界を楽しむだけだ。

 

ステップの難しさも、繋ぎのスケーティングの巧みさ、細かい上手さや美しさを挙げていけば、きりがない。しかしそれ以上に、この日の観客を圧倒したのは彼女自身の強さ、スケールの大きさだ。

 

大音響で鳴る豪快な名曲「仮面舞踏会」を、華奢な女の子がお伴のように従えている。10000人近い大観衆の総ての視線、総ての期待を一身に引き受けパワーとして吸収しオーラとして解き放っている。

 

「普通に滑っても、すごく大変なプログラム。そこにアクセル2回入れちゃったから、最後の方は体力も限界にきていました。でも最後まで、倒れるくらいまで滑ったら……本当に最後、倒れちゃいましたね(笑)」

 

まさに、渾身の演技。何度転んでも不調に泣いても、最後にはこれだけのものを見せてくれるから、浅田を見ることはやめられないのだ>

 

<浅田のちょっと人間離れした演技さえも、また練習のたまもの。あそこまでの演技を見せるためにすることさえも、人間の身体と人間の精神が出来る努力、それだけなのだ。

 

真っ白な氷の上、煌びやかな衣装をまとい、流れるような動作で優雅に舞う。フィギュアスケートは、ファンタジックで現実離れした雰囲気のあるスポーツだ。彼女たちがよく「氷上の妖精」などと喩えられるように、きれいなお嬢さんたちが優雅に楽しんでいるもの、そんな印象がどうしてもつきまとう。

 

しかし、この夜に日の丸を掲げた3人。強く美しい日本の女性たちが、皆一様に口にした言葉は「練習」だった。三者三様、立場はそれぞれ違い課題も違う。それでも、日の丸を掲げたこの夜にたどり着くために、煌びやかでも優雅でもない日々の練習、鍛錬を積んできたことは同じだ。彼女たちは氷上で、苦悶の表情も飛び散る汗も土に汚れたユニフォームも見せることはない(見せてはいけない)

 

こうして総てを見せずに笑っていることが、実は一番難しいことではないだろうか> 

2008/11/25

乙女峠

 <仙石原の農家に、源蔵という父親と暮らすひとり娘がいました。名を乙女といい、村一番の器量良しでした。病弱な老父をいたわり、家事は言うまでもなく畠仕事にも精を出して働く評判の孝行娘でした。

乙女が17才になった年、源蔵は持病が進んで寝たきりの日が多くなりました。ある夜ふと気がつくと、乙女がそっと床を抜け外へ出て行きます。近所へ、お針の稽古にでも行ったものと、あまり気にもしないでおりましたが、次の日もまた次の日も夜中になると、そっと出かけます。そのうちに村人の間に、乙女に男が出来て毎晩通っているそうだという噂が立ち、このことが源蔵の耳に伝わってきました。

ある夜のことです。源蔵が寝つかれないまま目を閉じていると、乙女がそっと家を出て行きます。寒い晩でしたが数日来、体の調子が快方に向かい起きられるようになっていましたので、思いきって雪の足跡を頼りに娘の後を追いました。足跡は、峠を越してまだ続いています。それを頼りに峠を下りかけますと、雪だるまの中に娘が倒れています。すぐに助けたいと思いましたが、親に内緒で勝手なことをする罰だと、横目で見ながら行く先を確かめたいと、足跡をたどりました。足跡は峠を下って竹の下の地蔵堂の前で止まり、そこから引き返していました。

堂守りに尋ねたところ、意外にも3ケ月前から毎晩参拝に来る娘があり

「自分の命を縮めてもよいから、父の病気を治して下さい」

と一心に祈っていたが、今日が丁度100日の満願日になる、と教えてくれました。事の一切が判った源蔵は大急ぎで引き返し娘を抱き起こしましたが、既に冷たくなっていました。源蔵は今さらのように自分の浅はかな考えを恥じて、泣くばかりでした。村人も伝えを聞いて、この峠を乙女峠と呼んで霊をなぐさめました>

 <仙石原は、神奈川県箱根町の地域。ススキの草原や、仙石原温泉で有名だ。一帯は1956年まで仙石原村だったが、旧・箱根町などと合併し箱根町となった。箱根火山カルデラ内の北部に位置し、湿原や草原が広がる。これは、かつてこの地域がカルデラ湖の一部だった名残りである。現在は、一部が別荘地やゴルフ場として整備されている。

仙石原の名前は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、信濃小諸藩の初代藩主、仙石秀久に由来する。また、源頼朝が雄大な原野を眺めて

「この地を開墾すれば、米千石は取れるだろう」

と言ったのが、この仙石原の由来と伝えられている説もある。現在は箱根ラリック美術館、ポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森等の美術館が点在し、美術館目当ての観光客も多い
出典 Wikipedia

ポリネシア語による解釈
「テネ・コクフ」、TENE-KOKUHU(tene=be importunate;kokuhu=insert,fill up gaps where plants have failed in a crop,bastered)、「丹念に(火口原の)隙間を草が埋め尽くしてできた(原)」(「テネ」の語尾のE音が脱落して「テン」から「セン」に、「コクフ」の語尾の「フ」が脱落して「コク」となつた。

「オ・ト・マイ」、O-TO-MAI(o=the...of;to=drag,open or shut a door or window;mai=hither,indicate direction or motion towards,become quiet)、「(駿河国から相模国へ)出入りする場所(峠)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となつた)  の転訛と解します。

 <乙女峠は、奈良時代から人が通う交通の要所でした。そしてここは江戸時代、関所破りが通る道でもあったのです。その当時は、旧道(旧東海道)が幕府の定めた道で、旅人は必ず箱根関所を通らなければなりませんでした。

「入鉄砲に出女」という言葉を日本史で習いましたよね。関所では江戸に鉄砲が入ってこないように、それから大名の子女(人質)が逃げ出さないように、厳しい検査をしていました。

問題の箱根関所ですが、ここは数ある関所の中でも特に出女に対する検査が厳しかったようです。男の場合は、手形を見せれば簡単に通してくれたのですが、女の場合は簡単に通しません。箱根の関所には人見女という係がいて、特に女を厳重に検査したのです。

当時、女の手形にはホクロの位置とか、頭のどの辺にハゲがあるとか本人を特定するための項目が、たくさん書かれていました。人見女は手形の人物に間違いないか、クシで髪の毛をかき分けたり体のホクロを検査していたのです。

さて問題の乙女峠ですが、名前の由来は若い女が関所を通らずに乙女峠を越えようとして役人に捕まり、ここで火あぶりになったからという説があります。 

他にも(前回ご紹介したように)乙女という娘が、毎晩この峠を越えて父親の病気が治るように、地蔵堂にお参りをしたなんて話もあるんですけど、本当のところは良くわかりません。ひとつだけ確かなことは、ここが大昔から人が通う道だった、ということだけです。

箱根の関所が出来た後、この道は閉ざされて仙石原に裏関所が置かれたのですが、この峠は当時「御留峠」と呼ばれていたそうです。これに女の話がくっついて乙女峠になった、というのが本当のところではないでしょうか>

2008/11/24

長瀞の紅葉

 前週の河口湖・西湖の紅葉に続き、今回は長瀞に出かけて来た。

 

 新宿から湘南新宿ラインで熊谷まで行き、秩父鉄道に乗り換えて長瀞まで2時間弱。到着とともに、SLのお出迎えというシチュエーションに長蛇の列が出来ていた。


 

岩畳を鑑賞すると、早速ライン下りへ。長瀞岩畳~高砂橋までの3Km30分で下る。少し肌寒さはあったが、前の週同様に殆ど雲が見られない素晴らしい秋晴れの中でのライン下りは、実に清清しい。

 

  

 復路はバスで長瀞の駅まで戻ると、次は宝登山へと向かう。鳥居手前のちょっと洒落たレストランで、ミニ会席と地酒を堪能して宝登山ロープウェイに乗車。こちらは5分と短い空の旅だが、紅葉の美しい山々に囲まれた景観が見事だ。

 

   宝登山のライトアップを楽しんだ後、紅葉ライトアップ会場に移動する。陽が落ちてさすがに寒くなったためと、会場がそんなに広くない事もあって、こちらはざっとひと回りして帰路に。駅前の店は、既にどこも閉店して真っ暗になっていたため、JRに乗り換えの熊谷駅で下車して、目に付いた鳥料理の店に入る。ここでボリュームたっぷりの定食と、生ビールを堪能し満腹しすっかり満足の一日を終えた。

 

前週の河口湖に続き、この週は長瀞という有名な紅葉が見られたばかりでなく、河口湖のロープウェイ&遊覧船、長瀞ではライン下り&ロープウェイも体験できるなど、充実した秋を過ごす事が出来たのはありがたい。