2008/12/31

3ヵ年計画

  大晦日である。そしてこの『10ちゃんねる』は、なんと昨日で連載2000回を迎えた。

 

2003年に、この『10ちゃんねる』を開設してから約5年半、1日も休まず複数件のアップはせず「毎日1件」の原則を守り続け、なにより変わらぬ高水準で厳選してきた2000件は、密かに誇れるものである。

 

10ちゃんねる』に関しては、今年もこれまで同様に自分自身で納得のいく「100%に近い、理想的な形を創る事が出来た」と自負しているが、それに引き換え実生活に関しては、今年もまた「満足度(達成感?)60%程度」に終わってしまった。

 

年の終わりを迎え、一年を振り返るというのは理屈に合うが、不思議なもので年末という空気は、人を素直な気持ちにさせるものらしい。或いは世間の忙しい年末とは違い、一人静寂に包まれて過ごしているせいなのかもしれないが、普段はあまり反省や自己批判とは縁がないようなものだが、年末になると毎年「このままではダメだ」と思えてしまうのだ。

 

努力が必ずしも報われるとは限らない世の中だが、努力なしで幸福や幸運が降って沸いて来る確率が極めて少ないのも、これまた事実であろう。今年の満足感が60%程度に留まってしまったのも、それだけ努力が不足していたという帰結になる。

 

改めて振り返ると、東京に出てきて早や5年目になろうというのに、たいした進歩がない。

 

「東京に出てきた意味があったか?」

 

5年という歳月の経過に気付き、愕然とする。そんなこんなで「3カ年計画」を打ち立ててしまった。目先の誘惑に捉われずに、この3年を勝負の時とした計画であり、3年以内に

 

「東京に出てきたのは、やはり正解だったのだ」

 

という解を見つけるための壮大な(?)計画である。

 

これから、さらに厳しさを増す社会情勢を考えると、冗談抜きで

 

「この達成なしには社会から取り残されてしまいかねず、人里離れて老いさらばえ野垂れ死にでもするしかない」

 

くらいの、強い危機意識を持たなければならないのだ。まったくもって、笑っている場合ではないのである (キ▼д▼)y─┛~~゚゚゚

 

こうして危機意識の中、計画自体はなかなか素晴らしいものが出来上がった。   そして出来上がったからには、後は粛々と実現に向けて歩むのみである。

2008/12/23

正月休暇

  早いもので、今年もあと僅かである。

 

昨年はN社の年末年始休暇に合わせ、10連休という思ってもみなかった大型休暇を強制的に作られたが、何の因果か今年もまたN社の仕事をしている。

 

昨年は東日本で、今はN某社(その前はD社の仕事)という違いはあるものの、元々がお役所カレンダーだけに、今年も予想通り1227日~14日までの「連休」だ。

 

ところで、NTT主要5社といわれるのは「東日本」、「西日本」、「コミュニケーションズ」、「ドコモ」、「データ」だそうだが、ナント今回の現場でワタクシは持ち株会社(日本電信電話)を含めた、総てを制覇したことになってしまった。その中には、最初に名古屋時代に経験した西日本の研修センターと、持ち株会社の研究開発センターも含まれている。

 

さてNの話は措いといて、話を9連休に戻す。

 

昨年は時間精算のシステムだったため、相手都合の10連休には激怒したものだったが、幸いな事に今回は月額固定になっているため長期休暇は大歓迎である。毎度の事ながら、昨年も10連休とはいえ結果的に大した事をしないままに終わってしまった。

 

民族大移動」と言われる年末年始に、好んで帰省や旅行をしたいとは思わないワタクシだから、誰も期待していないだろう通りたいした計画はなく、今年もごろ寝と酒と音楽に浸りながら、ノンビリと過ごす事になるのは間違いない。

 

が、よくよく考えてみれば「大した事をしない」どころか、自分の一番好きな事を出来る最も充実した時間とも言えるのである。

2008/12/14

浅田真央が逆転V(2008グランプリファイナル)

フィギュアスケートのグランプリ・ファイナルで、浅田真央が逆転で3年ぶりの王座に輝いた。

 

ショートプログラムでは、地元の利を生かしたキム・ヨナの後塵を拝して迎えたフリー。中野まで「前座」の4選手が滑り終えて、いよいよ真打・浅田の出番だ。浅田の登場を機に、会場の雰囲気が一変したように見えたが、目を離す隙もなくトリプルアクセルを連発する。ジャンプの高さといい美しさといい、それまでの4選手とはまったく異次元の世界の展開を目にし、かつて彗星の如く現れた当時のいとも易々とジャンプを飛んでいた、あの元気な浅田が戻ってきた思いがした。

 

当時は「何も考えず」、ただ楽しそうに飛び跳ねていただけの浅田だった(それでも数々の大会で優勝したのは、まったく恐るべき事だ)が、すっかり大人っぽくなって、いよいよ大きな飛躍を遂げてきた。この日はミスの目立ったキムとは、10点くらいの差がついてもおかしくないような、浅田の素晴らしい圧勝と言えた。どん底からシーズンをスタートして、このファイナルに入る前のNHK杯から上り調子になってきた浅田と、シーズン前半は完璧に近かったものの、ファイナルではミスの目立ったキムとの、勢いの差も明らかだった。

 

それにしても「これがグランプリ・ファイナルか?」と目を疑うほどに、他の4選手とは同じ舞台に立っているのが不思議と思えるほど、二人の力はやはり異次元過ぎた。 この二人が、これでもまだまだ発展途上なのだから、今後どこまで伸びるのかを考えただけでも空恐ろしいが、殊に前回のミスを短期間で完璧に修正してくる浅田の潜在能力に至っては、まだまだまったく底が読めない凄みすら感じさせる。才能だけでなく、常に自ら高いテーマを掲げそれに向けて強い意識で取り組んでいる意欲も、また素晴らしい。

 

ファイナル全体としては、前々回にワタクシが「中野と安藤は、最下位争いか?」と予想した通りの結果に終わったが、男子の小塚が銀メダルに輝いたのも賞賛に値する。

2008/12/10

浅田真央の挑戦(2008グランプリファイナル)

さていよいよ2週後には、グランプリファイナルを迎える。

 

出場選手は浅田、安藤、中野の日本勢にキム(韓国)、ロシェット(カナダ)、コストナー(イタリア)という顔ぶれだ。なんと6人中、日本選手が半分の3人を占めると同時に、かつての王国・アメリカからは遂に、ファイナルに一人も出場できなかった。

 

優勝争いは、グランプリシリーズでともに2大会を制したキムとロシェット、さらに浅田の3人の争いになるのだろうが、現時点でキムの優位は動きそうにない(中野と安藤は、最下位争いか?)

 

完璧な演技をすれば、キムを上回りそうなプログラム構成を持つ浅田が、果たしてどのような演技を見せてくれるか?

 

ロシェットに関しては、まだまだ未知数の部分が多い(というか、ワタクシが詳しくないだけだが)。出場した2大会を制している事からも、実力はかなりのものであるのだろうが、フランス大会の得点を見る限り浅田が本来の実力を発揮すれば、負ける相手ではないと思っている。

 

浅田にとっての最大の脅威は、やはりキム・ヨナであろう。両者を比較した場合、スケーティングを含めた全体的な技術の高さと正確さ、また高得点につながる基本的なテクニックにおいては、キム・ヨナが勝っていることは間違いない。キムの場合は表現力でも群を抜いており、ジャンプにおいても美しさも高さの正確さも備えている。期待される浅田とは言え、エッジの使い方など基本的なスケーティングの部分にまだ課題があるのが実情であり、地道なスケーティングではまだキムに引けを取っている、と見るべきだろう。

 

それは、ここしばらくキムの後塵を拝していることからも、明らかだ。そんな「発展途上」の浅田がキムを負かすには、キムには真似の出来ない(ということは、勿論ほかの誰にも)ような大技を決めるしかなく、またそれが出来るだけの能力を備えているのも、世界中でひとり浅田しかいないのである。

 

こうして、自己分析に長けた浅田は「男子顔負けのプログラム」を仕込んで、いよいよ勝負を賭けて来た。既に完成されているキムとは違い、まだ発展途上の浅田の視野に入っているのはあくまで2年後のオリンピックであり、この新プログラムもオリンピックを見据えたものである。浅田が、この「男子顔負けの新プログラム」を完璧にこなした時が、もう誰も敵わない「最強女王の誕生」となるはずだ。

2008/11/30

浅田真央の復活

フィギュアスケートのグランプリ・シリーズ最終戦・NHK杯(カッコ悪・・・せめて「ジャパン・カップ」とかに変えて貰いたい)で、浅田真央選手が優勝した。

 

この浅田を筆頭に鈴木明子、中野友加里と、日本選手が表彰台を独占した。

 

出典https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200811300002-spnavi

<浅田は、2週間前のフランス大会での大失敗から、どこまで調子を取り戻しているかに、誰もが注目をしていた。トリプルアクセル2回。判定では、2度目のコンビネーションはダウングレードで、記録の上では認められていない。しかし観客の目にも浅田自身にとっても、この日のフリーは

 

「トリプルアクセルを2回成功させた、素晴らしい演技」

 

だった。

 

一度目のトリプルアクセルは、ふわりと軽い跳躍で心なしかいつもより滞空時間が長く見えるほどで、美しいものにうっとりする目で、私たちはそれを見た。そして2度目のアクセルは、ダブルトウループをつけたコンビネーション。

 

「ほんとに、二つ跳んじゃった!」

 

信じられないものを見たような驚きの目で、私たちはそれを見た。続けて、フリップからの3回転-2回転-2回転を難なく跳んでしまうと、もう後は浅田の世界を楽しむだけだ。

 

ステップの難しさも、繋ぎのスケーティングの巧みさ、細かい上手さや美しさを挙げていけば、きりがない。しかしそれ以上に、この日の観客を圧倒したのは彼女自身の強さ、スケールの大きさだ。

 

大音響で鳴る豪快な名曲「仮面舞踏会」を、華奢な女の子がお伴のように従えている。10000人近い大観衆の総ての視線、総ての期待を一身に引き受けパワーとして吸収しオーラとして解き放っている。

 

「普通に滑っても、すごく大変なプログラム。そこにアクセル2回入れちゃったから、最後の方は体力も限界にきていました。でも最後まで、倒れるくらいまで滑ったら……本当に最後、倒れちゃいましたね(笑)」

 

まさに、渾身の演技。何度転んでも不調に泣いても、最後にはこれだけのものを見せてくれるから、浅田を見ることはやめられないのだ>

 

<浅田のちょっと人間離れした演技さえも、また練習のたまもの。あそこまでの演技を見せるためにすることさえも、人間の身体と人間の精神が出来る努力、それだけなのだ。

 

真っ白な氷の上、煌びやかな衣装をまとい、流れるような動作で優雅に舞う。フィギュアスケートは、ファンタジックで現実離れした雰囲気のあるスポーツだ。彼女たちがよく「氷上の妖精」などと喩えられるように、きれいなお嬢さんたちが優雅に楽しんでいるもの、そんな印象がどうしてもつきまとう。

 

しかし、この夜に日の丸を掲げた3人。強く美しい日本の女性たちが、皆一様に口にした言葉は「練習」だった。三者三様、立場はそれぞれ違い課題も違う。それでも、日の丸を掲げたこの夜にたどり着くために、煌びやかでも優雅でもない日々の練習、鍛錬を積んできたことは同じだ。彼女たちは氷上で、苦悶の表情も飛び散る汗も土に汚れたユニフォームも見せることはない(見せてはいけない)

 

こうして総てを見せずに笑っていることが、実は一番難しいことではないだろうか> 

2008/11/25

乙女峠

 <仙石原の農家に、源蔵という父親と暮らすひとり娘がいました。名を乙女といい、村一番の器量良しでした。病弱な老父をいたわり、家事は言うまでもなく畠仕事にも精を出して働く評判の孝行娘でした。

乙女が17才になった年、源蔵は持病が進んで寝たきりの日が多くなりました。ある夜ふと気がつくと、乙女がそっと床を抜け外へ出て行きます。近所へ、お針の稽古にでも行ったものと、あまり気にもしないでおりましたが、次の日もまた次の日も夜中になると、そっと出かけます。そのうちに村人の間に、乙女に男が出来て毎晩通っているそうだという噂が立ち、このことが源蔵の耳に伝わってきました。

ある夜のことです。源蔵が寝つかれないまま目を閉じていると、乙女がそっと家を出て行きます。寒い晩でしたが数日来、体の調子が快方に向かい起きられるようになっていましたので、思いきって雪の足跡を頼りに娘の後を追いました。足跡は、峠を越してまだ続いています。それを頼りに峠を下りかけますと、雪だるまの中に娘が倒れています。すぐに助けたいと思いましたが、親に内緒で勝手なことをする罰だと、横目で見ながら行く先を確かめたいと、足跡をたどりました。足跡は峠を下って竹の下の地蔵堂の前で止まり、そこから引き返していました。

堂守りに尋ねたところ、意外にも3ケ月前から毎晩参拝に来る娘があり

「自分の命を縮めてもよいから、父の病気を治して下さい」

と一心に祈っていたが、今日が丁度100日の満願日になる、と教えてくれました。事の一切が判った源蔵は大急ぎで引き返し娘を抱き起こしましたが、既に冷たくなっていました。源蔵は今さらのように自分の浅はかな考えを恥じて、泣くばかりでした。村人も伝えを聞いて、この峠を乙女峠と呼んで霊をなぐさめました>

 <仙石原は、神奈川県箱根町の地域。ススキの草原や、仙石原温泉で有名だ。一帯は1956年まで仙石原村だったが、旧・箱根町などと合併し箱根町となった。箱根火山カルデラ内の北部に位置し、湿原や草原が広がる。これは、かつてこの地域がカルデラ湖の一部だった名残りである。現在は、一部が別荘地やゴルフ場として整備されている。

仙石原の名前は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、信濃小諸藩の初代藩主、仙石秀久に由来する。また、源頼朝が雄大な原野を眺めて

「この地を開墾すれば、米千石は取れるだろう」

と言ったのが、この仙石原の由来と伝えられている説もある。現在は箱根ラリック美術館、ポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森等の美術館が点在し、美術館目当ての観光客も多い
出典 Wikipedia

ポリネシア語による解釈
「テネ・コクフ」、TENE-KOKUHU(tene=be importunate;kokuhu=insert,fill up gaps where plants have failed in a crop,bastered)、「丹念に(火口原の)隙間を草が埋め尽くしてできた(原)」(「テネ」の語尾のE音が脱落して「テン」から「セン」に、「コクフ」の語尾の「フ」が脱落して「コク」となつた。

「オ・ト・マイ」、O-TO-MAI(o=the...of;to=drag,open or shut a door or window;mai=hither,indicate direction or motion towards,become quiet)、「(駿河国から相模国へ)出入りする場所(峠)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となつた)  の転訛と解します。

 <乙女峠は、奈良時代から人が通う交通の要所でした。そしてここは江戸時代、関所破りが通る道でもあったのです。その当時は、旧道(旧東海道)が幕府の定めた道で、旅人は必ず箱根関所を通らなければなりませんでした。

「入鉄砲に出女」という言葉を日本史で習いましたよね。関所では江戸に鉄砲が入ってこないように、それから大名の子女(人質)が逃げ出さないように、厳しい検査をしていました。

問題の箱根関所ですが、ここは数ある関所の中でも特に出女に対する検査が厳しかったようです。男の場合は、手形を見せれば簡単に通してくれたのですが、女の場合は簡単に通しません。箱根の関所には人見女という係がいて、特に女を厳重に検査したのです。

当時、女の手形にはホクロの位置とか、頭のどの辺にハゲがあるとか本人を特定するための項目が、たくさん書かれていました。人見女は手形の人物に間違いないか、クシで髪の毛をかき分けたり体のホクロを検査していたのです。

さて問題の乙女峠ですが、名前の由来は若い女が関所を通らずに乙女峠を越えようとして役人に捕まり、ここで火あぶりになったからという説があります。 

他にも(前回ご紹介したように)乙女という娘が、毎晩この峠を越えて父親の病気が治るように、地蔵堂にお参りをしたなんて話もあるんですけど、本当のところは良くわかりません。ひとつだけ確かなことは、ここが大昔から人が通う道だった、ということだけです。

箱根の関所が出来た後、この道は閉ざされて仙石原に裏関所が置かれたのですが、この峠は当時「御留峠」と呼ばれていたそうです。これに女の話がくっついて乙女峠になった、というのが本当のところではないでしょうか>

2008/11/24

長瀞の紅葉

 前週の河口湖・西湖の紅葉に続き、今回は長瀞に出かけて来た。

 

 新宿から湘南新宿ラインで熊谷まで行き、秩父鉄道に乗り換えて長瀞まで2時間弱。到着とともに、SLのお出迎えというシチュエーションに長蛇の列が出来ていた。


 

岩畳を鑑賞すると、早速ライン下りへ。長瀞岩畳~高砂橋までの3Km30分で下る。少し肌寒さはあったが、前の週同様に殆ど雲が見られない素晴らしい秋晴れの中でのライン下りは、実に清清しい。

 

  

 復路はバスで長瀞の駅まで戻ると、次は宝登山へと向かう。鳥居手前のちょっと洒落たレストランで、ミニ会席と地酒を堪能して宝登山ロープウェイに乗車。こちらは5分と短い空の旅だが、紅葉の美しい山々に囲まれた景観が見事だ。

 

   宝登山のライトアップを楽しんだ後、紅葉ライトアップ会場に移動する。陽が落ちてさすがに寒くなったためと、会場がそんなに広くない事もあって、こちらはざっとひと回りして帰路に。駅前の店は、既にどこも閉店して真っ暗になっていたため、JRに乗り換えの熊谷駅で下車して、目に付いた鳥料理の店に入る。ここでボリュームたっぷりの定食と、生ビールを堪能し満腹しすっかり満足の一日を終えた。

 

前週の河口湖に続き、この週は長瀞という有名な紅葉が見られたばかりでなく、河口湖のロープウェイ&遊覧船、長瀞ではライン下り&ロープウェイも体験できるなど、充実した秋を過ごす事が出来たのはありがたい。