2009/08/25

2009世界陸上ベルリン大会観戦記

世界陸上ベルリン大会が終わった。最終日まで、個人種目でのメダルが「0」だった日本は、期待の女子マラソンでダークホースの尾崎選手が堂々「銀メダル」に輝いた。その直後、今度は「やり投げ」という、恐らくはワタクシも含めて誰もがあまり注目していなかった(?)地味な競技で、村上選手が素晴らしい遠投を披露して、同競技では五輪、世界選手権を通じて日本人初のメダルという快挙を演じた。それまで冷静な解説を続けていた、村上選手の師匠という解説者はメダル確定の瞬間に絶叫し、号泣している様子で言葉が出なかったようだった。

 

一方、男子マラソンは最初からあまり期待していなかったが、予想通り「メダルなし」に終わった。団体では3位ということだが、元々が個人競技のマラソンで団体メダルというのがおかしな話である上に、5人もエントリーして佐藤選手の6位入賞を最高に、39位や棄権した選手までもが一緒に表彰台に上がるというのは、それぞれが世界の頂点を極めた他の種目に表彰に比べ、甚だ違和感が付きまとった。それでなくとも有力選手の犇く女子はともかくとして、過去の実績などから見たらどう考えても全体で100人にも満たない人数の中で、男子のエントリー5人は多過ぎると思えて仕方がないのである。

 

一方の女子は、先に触れた尾崎選手の「銀」は立派の一語に尽きるし、7位入賞の加納選手も健闘したが、藤永選手は14位、そして最も期待された赤羽選手は31位で日本選手の中で最下位という「惨敗」に終わった。さらには昨年の北京五輪での野口みずきに続き、今度は渋井が現地入りしながら本番直前に欠場を決めるという大失態を犯し、さらには補欠選手も体調不良を理由に同行を辞退するという醜態を重ねた

 

元々、五輪の代表3人に比べ5人は多過ぎると思うが、それはともかくとして代表に選ばれて現地入りまでしながら、直前に欠場というのは甚だ自覚に欠けるというのに、国際舞台で2度も続けてこのような失態を演じるとは、実に嘆かわしい悪しき前例を作ってしまったものである。また「補欠選手」というからには、代表選手に不測の事態があった場合に備えて常に万端の準備をしていなければならず、本来ならこのようなタナボタのケースをこそ、虎視眈々と狙っていなければならないはずなのに「調整不足」で同行すらしていないとは、まったくもって言語道断ではないか。そのような状態の選手を補欠に選んだ側にも、前回の教訓がまったく生かされておらず、大いに問題があるといわざるを得ないのである。

 

話はずれるが、折角世界の頂点を何度も極めた高橋が解説に出てきたのだから、あの都はるみ似のリタイア女王オバサンの猫撫で声の解説は、いい加減御免蒙りたかったのだが。

 

この大会は、100m200mでともに驚異的な世界新をたたき出した、ジャマイカのボルトの一人舞台だった。世界記録の走りは確かに素晴らしいの一語に尽きるが、逆に言えば彼一人があまりに飛びぬけて早過ぎるために、レースとしての興味を削がれてしまったのは、なんとも皮肉なことである。また、繰り返し流される彼のオフザケのパフォーマンスを含めた言動が、次第に鬱陶しく感じてしまったのはワタクシだけかもしれないが、多分これはボルトがウザいというよりは、同じ映像ばかりを延々と繰り返しているTV局の知恵のなさが原因なのだろうと思う。

 

TV中継について言えば、かねてより何度も書いた内容と重複するが、ワケのわからぬ「スタジオ映像」が相変わらず邪魔でしょうがない。曲りなりにも「世界陸上」の中継なのだから、スタジオの無駄な中年コンビのド素人解説などを垂れ流している暇があるのなら、意味もなくカットしている他の競技を精々中継してくれよ、と言いたくなる。

 

世界のトップアスリートたちは、三流タレント風情なんぞよりは遥かに絵になるスターが揃っているのだから、手垢のついたタレント風情に依存するしか脳のないTV局は、足りない脳みそを使って無駄な構成を考える必要はまったくない。ただ漫然と競技を映し続けていた方がよほど視聴者のニーズに合っているし、それはTV中継の権利を獲って代表放送をしている立場にあるものが、本来果たさなければならない義務ではないのか。

 

スポンサー収入頼みのTVだから、視聴率の取れそうな人気の競技に偏るとしてもあまりにも度が過ぎていて、あれだけ毎日のように同じシーンばかり延々と垂れ流されては「歴史的快挙」の有り難味も随分と薄れてしまうというものである。

 

今回の大会では、女子短距離の福島選手などといった活きのいい若手も存在感をアピールしたが、過去にも繰り返されてきたように、世界レベルにならないうちからハイエナのようなマスゴミがアイドルタレントのように持て囃した挙句に、折角の才能の芽を摘んでしまわないことを強く願うばかりである。

 

話を競技に戻す。大雑把に言ってしまえば、そもそも黒人選手は他人種とは体の構造そのものが違うし、また日常的に狩りをして生計を立てているような人種との成長過程や生活環境の違いは、想像を絶するものだ。毎回メダルを量産しているアメリカなども、実質的には殆どがアフリカからの移民であるのは明らかで、純粋アメリカ人のメダルなどはゼロに等しい(そもそも「純粋アメリカ人」なるものは、この世に存在しないのだろうが)

 

イギリス、カナダしかり、かつての枢軸国側であるイタリアすらこうした舞台では黒人に頼っているのが現状で、元を辿っていけばメダル獲得者の大部分は南アフリカや象牙海岸辺りに集約されるのではないかと勝手に想像を巡らしている。メダル大国の中で純血主義を貫いているのはドイツとロシア及び周辺の東欧諸国くらいなもので、あとは植民地支配時代に黒人の奴隷を持たなかったアジアなどの弱小国である。そんな胡散臭い世界の中で、ほぼ純血主義を貫く日本は銀、銅ひとつずつでも立派なものだ。なにせ「世界の2番、3番」なのだから、これは凄いのである。

 

昨今「安っぽい国際化」が叫ばれて喧しいが、日本は欧米諸国を真似てメダルを量産するために「助っ人」を輸入する必要などはまったくないし、まともな日本人なら怪しげな薬などの違法な手段に頼ってまでメダルを欲するような人は殆どいないだろうから、これまで同様に潔く純血主義を貫いてもらいたい。たとえメダルは獲れなくとも、己の持てる実力のみを頼りに精一杯頑張っている日本人選手の姿を見て感動したり、文句を垂れているのがワタクシは好きなのであり(文句を言われる方は、迷惑千万な話だろうがw)、野生動物に近いような人体構造を持ったアフリカや黒人選手に伍して獲得したメダルの価値は尊いものである。

2009/08/24

「魔物」が暴れた(第91回全国高校野球選手権大会)

時として、プロ野球以上の劇的なドラマを見せてくれるのが「甲子園劇場」観戦の醍醐味である。これを突き詰めれば、恐らくは技術的にも精神的にも未成熟なるが故であろうし、さらには負ければ後がないという極限の状況で戦っているが故に、あのような数々のドラマが起こるのだろう、とも思う。今年の「第91回全国選手権」は、最後の最後で「甲子園の魔物」が大暴れした。

 

大会前、出場校の地方大会データにざっと目を通して

 

(今年は、もしかして東京同士の決勝もあるかも?)

 

と密かに見立てたものだったが、帝京、日大三の両校は案外に呆気なく敗退し、大騒ぎをされた菊池投手の花巻東も、怪我の影響で本来の投球が出来ず準決勝で敗退した。これらの強豪とともに、優勝候補の一角に挙げられていた中京大中京に対し、片や下馬評では殆どノーマークだった日本文理が破竹の快進撃を続けて、新潟代表として初の決勝まで勝ち上がる。

 

破壊力満点の打線だけでなく、守備や走塁でも投手力以外は非の打ち所のない高い完成度を誇る中京大中京の優勢は明らかで、8割方は中京大中京の勝利は動かないものと予想していた。

 

試合は予想通りの展開で進み、8回終了の時点で「10-4」という一方的な展開だ。9回も簡単に2死となりランナーもなし、あとアウトひとつとでゲームセット。ここから「甲子園の魔物」の大暴れが始まった。

 

深紅の大優勝旗がちらついたか、四球を連発する投手に襲い掛かる日本文理は驚異的な粘りを見せて一挙に5点を返し、遂に「10-9」まで詰め寄る。創作物なら、とても書けないくらい陳腐なまでに出来すぎた展開であり、あわや奇跡の大逆転かという信じ難い勢いである。あたかも甲子園球場が巨大な生き物(魔物)のように、自らの意思で奇跡の神風を吹かせようかというような異様な空気は、かつて阪神が優勝した頃にも感じられた独特の巨大な津波となって球場全体を覆い尽くし、ここまで精密機械のような磐石かつ冷静さを見せていた中京大中京の各選手たちを、非情にも呑み込まんとする恐るべき勢いで押し寄せてきていた。

 

ü  8番打者:2ストライク1ボールからの4球目、外角いっぱいのスライダーに手が出ず見逃し三振 。

ü  9番打者:1ボールからの2球目、鋭い当たりもショートゴロ。

こうしてあっさりニ死を取り、すんなり終わるかと思われた。

 

ü  1番打者:フルカウントからの6球目、低めのスライダーを見極め四球。「10-4」で2死走者一塁

ü  2番打者:4球目、走者が二盗を決めて2死二塁となる。フルカウントからのファウルで粘って9球目、高めのボールを捕らえ左中間へタイムリー二塁打で「10-5」。走者ニ塁

地元の中京応援のワタクシも

「最後に、意地を見せられてよかったじゃないの。あと1点くらい取らせてやりたいな」

と、この時点では余裕の拍手

 

ü  3番打者:2ストライク2ボールからファウルで粘って7球目、鋭くはじき返した当たりはライトへタイムリー三塁打!

 10-6」となり、走者三塁

「ほー、頑張るねー」と感心

 

ü  4番打者:1ストライク1ボールからの3球目、死球で出塁。走者一、三塁。ここで中京大中京はピッチャー交代。

ü  5番打者:フルカウントからファウルで粘って8球目、低めのボールを見極め四球。「10-6」で、遂に満塁に

「オイオイ・・・大丈夫かいな。ちょっと危なくなってきたぞ・・・」

 

ü  6番打者:一発出れば同点の場面に甲子園は手拍子が起きる。2ボールからの3球目、レフト前へ2点タイムリー!

「10-8」となり、なお走者一、ニ塁。

明らかに球場全体が「奇跡」を期待するような、異様なムードに一変していた。

 

ü  7番打者(代打):初球、レフト前ヒット!

遂に「10-9」となり、なお走者一、三塁に。

奇跡の大逆転が実現しそうな気配が、さらに濃厚となっていく・・・

 

ü  8番打者:2死一、三塁。1ボールからの2球目、強烈な打球はサード正面のライナーとなり、ゲームセット。ここで大激戦に終止符が打たれた。

 

個人的には、地元の愛知代表の中京大中京に43年ぶりの優勝の期待をかけていたが、野球という競技の面白さと勝利に対するひたむきな執念が生み出すドラマが、そのような小さな拘りなどは遥かに超越してしまった。

 

長い悪夢から開放され、ようやく頂点に立った中京大中京の選手は涙し、敗れた日本文理の選手は満足の笑顔に包まれた。あの9回のドラマは、43年ぶりという歴史の重みを伴った大きな試練を勝者に与え、また最後まで勝負を諦めずに勝利へ執着した敗者への褒美として、自信や誇りを与えた。どちらにとっても、これからの長い人生において何度も味わうことのないような、得がたい体験となったことだろう。

 

それはさておき最近の高校生投手が、140km台の速球を当たり前のように投げているのには驚かされる。それもエースだけでなく、リリーフで出てくる23番手クラスでも当たり前のように140kmを超しているのである。

 

花巻東の菊池、明豊の今宮の両投手は、ナント154155kmを投げていた。155kmを投げる投手はプロでもそんなにはいないはずであり、特に菊池に至っては左腕だから、これはプロでも殆ど皆無に近いはずだが、それでもバカスカと打たれたりするのだから、筋トレやマシンの齎す打撃技術の向上は恐ろしい(勿論、投手の投げる球はスピードだけではなく、プロとの単純な比較は出来ないが)

 

ただし、インフルエンザに罹患してベンチ入りを外れたり熱射病や熱中症で倒れるなど、(ただの風邪すら滅多にひかなかった)我々の時代の体育会系では考えられないひ弱さも露呈していることから見ると、筋トレで外見はマッチョになっている割りには、根本的な肉体そのものが虚弱化しているのかとも、疑わしくなってしまう。そんなことを思っていたら、プロ野球選手までインフルエンザ罹患して戦列離脱とは、恥を知れ ∑( ̄皿 ̄;;キィィィィィィィィィィィ!!!

2009/08/21

【2009世界陸上】「性別疑惑」という究極問題

世界陸上ベルリン大会の女子800メートル走で優勝した、南アフリカの選手に「性別疑惑」が持ち上がった。

 

オリンピックや世界選手権といった国際的な大会ではドーピングが後を絶たないが、過去には女子選手の性別検査の結果、金メダルを剥奪された選手の例や、半陰陽(遺伝子や身体的特徴から性別を断定できない)や両性具有が発覚した例などもあった。

 

今回話題になっている選手については、確かにあの顔といい筋骨隆々とした外見といい、どう見ても「男じゃないのか?」と疑いたくもなるが、今のところ「怪しい」というだけで詐称の証拠はないから、本当のところは分からない。

 

こうした話を聞くと、思い出すのはかつて短距離で活躍したF・ジョイナーだ。アメリカ代表の黒人選手ジョイナーは、筋肉が異常に隆起して血管が浮き上がっており、およそ女性らしくなくて殆ど男性化した体躯であった。

 

彼女の疑惑には、以下のようなものが挙げられていた(Wikipedia参照)

 

1988年まではトップクラスではなかったのに、1988年に急激に成績が向上した。

1988年以降に、急激に体つきが変化した。

・ この当時は、ドーピング検出システムの精度が低かった(当時の東ドイツの選手は、ドーピングをしていても検出されなかったことが、後に判明している)

 

女性らしさを強調した奇抜とも言えるファッション(長い爪に派手なマニキュア、長髪など)も、ドーピングによる男性化から目を逸らさせるためではないか、と言われている。 

 

TVインタビューの際には女性らしい声をしているが、誌面インタビュー経験のある複数の人が

 

「地声はとても低く、普通の女性の声とは思えなかった」

 

と証言している。またアップで映し出された顔からは、うっすらと伸びた髭が確認できた。

 

こうした女子選手の男性化は、ドーピングをした場合にしばしば指摘される点である。まだ第一線でバリバリと活躍していた29歳という年齢で「突然の引退」をしたのも、年々厳しくなるドーピング検査から逃げるためという説があり、それを裏付ける根拠として、引退の翌年からドーピング検査が強化されることが予告されていた。

 

実は当時、ワタクシも知人に

 

「ドーピングはシロだったが、実は男だった・・・」

 

というジョークを飛ばしていたものだった。

 

 <記録というものはいつかは破られるものだが、ジョイナーの持つ世界記録はいずれも記録達成から20年が経ち、競技レベルやトラックの質が格段に向上した現在においても、肉薄する記録すら存在しない(以下の通り100m200mともに2位のマリオン・ジョーンズより、0.20.3秒も速い)驚異的な記録の数々なのである>

 

100m ジョイナー(1049)、ジョーンズ(1065

200m ジョイナー(2134)、ジョーンズ(2169

 

しかもM・ジョーンズは禁止薬物の使用が発覚し、オリンピックで獲得した5つのメダルを総て返還した上で刑務所に服役したという、なにがあっても驚かないような世界だ。そしてジョイナーの38歳という早過ぎる死も、ドーピングの副作用である可能性が大いに考えられるのである。

 

これは極端な例ではあるが、アフリカなどの黒人選手の場合は、元々骨格や筋肉の発達が他人種とは著しく違うし、日常的に自然を駆け回っているような環境的要因も大きく、一概に外見のみで決め付けるわけにはいかないが、このような騒動が持ち上がったからには、やはり疑わしさはあるのだろう。

 

いずれにしても、これは実に厄介な問題だ。これまで再三に渡って指摘してきたように、そもそも顔や年齢の識別は言うに及ばず、見た目だけでは国籍や性別の判断も難しい黒人選手ではあるが、今回に関してはそのような冗談を言っている場合ではなくなった。事は個人の名誉というレベルを遥かに超越し、人間の尊厳にも関わるような重大な問題なのだ。

 

これが意図的な詐称であるとすれば、他の選手だけに止まらず全世界を冒瀆するような犯罪的行為だが、逆に濡れ衣であったとすれば、これほど当人を冒瀆する行為はないのである。さらに厄介なのは、アフリカのような地で医学的な発達の遅れもあることだろうだから、もしかすると本人や家族を含めた関係者ですら「現実」を把握できていないことすら、ありうるのではないか。

 

<オリンピックなどの大会では、性別検査は60年代から90年代まで女子全選手に対して行われていた。当初は全裸の視認調査から始まり、それが皮膚組織を採取しての染色体検査に変わっていった。現在は義務化されていないが、IOCや国際陸連は他の選手や関係者から指摘を受けた際に、個別検査を受けさせる権利を残している。

 

また、2006年のアジア大会女子800メートル走でインドの選手が性別検査で失格とされ、銀メダルが剥奪された事があったが、同選手は05年にアジア陸上選手権の同種目で2位となった際に行われた性別検査はパスしている>

 

という例を見ても「全裸での視認確認」などはもとより「性別検査」といっても、あのような通常の常識を超越して極限まで鍛えられた肉体なのだから、なかなか一筋縄ではいかないものであろう。また、半陰陽や両性具有などということでもあれば、そのような場合は「そもそもオリンピックに出る資格がないのか?」どうかの規定はよくわからないが、人間の尊厳にも関わる問題にさえなってくるものであり、非常に興味深いというかデリケートなテーマである。

2009/08/09

原爆の悪夢

最近、遠く離れた地域の戦争がテレビで中継されると、ステレオタイプに「ゲーム感覚」とか皮相な論評をするバカ評論家や大学教授が多いのは、実に嘆かわしい。が、恐らく戦争当事者の感覚として、最も「ゲーム感覚」に相応しかったのは広島、長崎の原爆投下ではないのかと思う。

 

広島と長崎で、それぞれウランとプルトニウムという別種の新兵器を使い分けた、同じ白人種のドイツには投下しなかった、先のイラク攻撃でも使用しなかった(そもそも、イラク攻撃自体が(イスラムの歴史のある国に)「民主主義を根付かせる」というトンチンカンなものだったが)、といった事柄から見ても、極めて「実験的要素」の色濃いものだった。

 

恐らく、アメリカの感覚では「生意気で目障りなサル山を殲滅してしまえ」くらいなものだったのだろう。

 

この無辜の民、というよりは明確に「女子供たちを標的とした数十万単位の大虐殺(60年以上たった今も、深刻な後遺症が続いている事を考えれば被害は優に数百万を数え、今後もまだ増加していく)という意味では、ドイツ・ナチ政権のホロコースト(計画的・組織的な大量殺戮)に匹敵するか、それ以上の「人類史上に例を見ない最大の極悪犯罪」であることは、一点の疑いもない。

 

ところが、アメリカはあの犯罪を正当化するため「原爆投下が戦争終結を早めた」という牽強付会な論理を振り翳して、自己正当化をしただけではまだ枕を高くして寝られなかったか、次には文化大革命その他で「同胞を億単位で虐殺してきた」歴史上にも例のない鬼畜のような某国と共謀して「南京大虐殺30万人」という荒唐無稽な与太話を創作したのである(実際の創作者は「天下の朝日新聞」だが、その後「南京大虐殺30万人のインチキ」のカラクリは証明された)

 

このような国際情勢にもかかわらず、平和ボケした戦後日本の政治家らは、冷戦時代に「米ソのニ強が核で睨み合っていたから、どうにかハルマゲドンが起こらずに済んだのだ」という厳然たる事実すら直視せず「平和」のお題目を唱えながら、現実世界から目を反らし続けてきた。

 

その隙に乗じて狂った王朝国家は核を振り翳し、他国の主権を侵すという犯罪行為をヌケヌケと行っているにもかかわらず、「大型花火」打ち上げ程度の認識しか持たないままに、なす術もなく痴呆のように頭上を通過するミサイルを眺めているのが関の山という、ナントも救いがたい顛末に至ったのである。

 

この間、国際社会とはおよそ懸け離れたところで、どうでもいいような「消費税」のアホ騒ぎにウツツを抜かす大バカ政党の煽動に踊らされ、天下国家を「台所感覚」で論ぜよといったド素人議員が粗製濫造されてしまうという終末を迎えた結果、国家と国民の安全と生存を与るべきはずの国会議員にして

 

「(日本の)核武装については議論すら許されないという、デモクラシーにあるまじき反核ファッショの言論統制」

 

が公然と罷り通っている現状である。

 

そうしたノータリンな愚か者のヒステリーこそが、狡猾な狂犬王朝を益々つけ上がらせているのだ、という自己認識すら皆無と来ている。

 

勿論、世界中から綺麗サッパリと核兵器がなくなるならば、それ以上に喜ばしいことはないに決まっているが、そうは問屋が卸さないのがリアル世界なのだ。その証拠にいかに奇麗事を並べようとも、アメリカなどが「あの救いがたいゴロツキ」と同じテーブルで交渉しなければならないのは、一にかかって「相手が核を持っているから仕方なく」というのが真相なのであり、そうでなければあのようなゴロツキが国際社会から相手にされるはずがないのである。

 

さらに言うなら、あのゴロツキが日本の上空にミサイルを飛ばすという、フザケタ暴挙を平然と繰り返せるのも「核を持たない日本など恐れるに足りず」と見下されているのが現実なのである。先の原爆投下にしても、あの時点で日本が核を持っていたらアメリカは報復を恐れて核攻撃は行わなかった。

 

上記の現実を踏まえ、国家の生存を真面目に考えるなら「日本の核武装については議論すら許されない」などという戯けたことを言っていて良いはずはない。

2009/08/03

信濃国(1)

  元は「シナヌ」であったとされ、後に「科野」の字が当てられた。

 

「古事記」中巻には「神八井耳命者科野国造等之祖也」と記され、大国主命の子健御名方命が諏訪に入国する際にも「科野国之洲羽海」に至ると記される。

 

科野」の語源については諸説あるが、江戸時代の国学者である谷川士清は「日本書紀通證」に「科の木この国に出ず」と記し、賀茂真淵の「冠辞考」にも  「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり」と記しており「科の木」に由来する説が古くから有力とされている。

 

また、賀茂真淵は「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは鉄に関連する言葉」とする説もある。

 

「科野」は和銅6年(713年)の「風土記」を境に「信野」を経て「信濃」へと移り変わっていく。長野県で最も古い「信濃国」の文字は、平成6年(1994年)に千曲市屋代遺跡群から発見され、現在は長野県立歴史館に所蔵されている8世紀前半(715740年)の木簡となる。

出典Wikipedia

 

出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

長野県は、古くは信濃国でした。信濃国は本州のほぼ中央部にあり、北から東は越後国、東は上野国、武蔵国、甲斐国、駿河国、南は遠江国、三河国、西は美濃国、飛騨国、越中国の10国に接します(県歌「信濃の国」は「信濃国は十州に境つらぬる国にして」と歌います)

 

東山道に属し、初め科野国と記され和銅6713)年の好字令により信濃国となりました(『古事記』は総て科野国、『日本書紀』は総て信濃国と記します)

 

科野国の起こりは千曲川流域付近で、弥生時代後期には天竜川流域と対比される独自の文化圏を形成していた、と考えられています。古代豪族は東信濃に国造科野氏から多氏、諏訪に神(みわ)氏、安曇に安曇氏などが割拠し、5世紀ごろから渡来人の定着がみられます。

 

ポリネシア語による解釈

律令制の下で信濃国には伊那、諏訪、筑摩、安曇、更級、水内、高井、小県、佐久の10郡が置かれました。養老5721)年、国を分けて諏方国(その区域は不詳で、諏方・伊那の2郡から筑摩・小県・佐久を含めた5郡とする説があります)が置かれましたが、天平3731)年に旧に復しています。国府は当初小県郡(現上田市)に置かれましたが、平安初期に筑摩郡(現松本市)に移っています。

 

木曾地方は近世初頭に美濃国恵那郡から分かれて筑摩郡に編入されましたが、ここでは筑摩郡の部で解説します。

 

『和名抄』は、「之奈乃(しなの)」と訓じます。国名は「階坂(しなさか。段丘地)」から(賀茂真淵)、「シナ(栲の別称)」から(本居宣長)、「科(しな)の木」から、信濃にかかる枕詞「みすずかる」の「篠野」の転、「砂野」の転、「撓う」から「浅い皿状の小盆地」の意などの説があります。

 

この「しなの」は


(1)
「チ・ナナウ」、TI-NANAU(ti=throw,cast,overcome;nanau=angry(whakananau=be angry;(Hawaii)nanau=unfriendly,bitter,crabbed))、「友好的でない態度を・示す(国。または暴れる川が流れ出る国)」(「ナナウ」のAU音がO音に変化して「ナノ」となった)

 (2)
または「チナ・ノホ」、TINA-NOHO(tina=fixed,firm.satisfied,overcome;noho=sit,stay,settle)、「(移住者が)満足して・定着した(国。その国から流れ出る川)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

 (3)
または「チ(ン)ガ・ノフ」、TINGA-NOHU(tinga=likely;nohu=a fish with poisonous spines like a porcupine fish)、「ハリセンボン(魚)に・似ている(周囲に険しい山々を巡らし、他からの侵入・容喙をかたくなに拒絶する。国。その国から流れ出る川)」(「チ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「チナ」から「シナ」と、「ノフ」のH音が脱落して「ノウ」から「ノ」となった)の転訛と解します。