2013/09/30

オクトーバーフェスト(Oktoberfest)inお台場

 ※お台場の「オクトーバーフェスト」にも行くぞー ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)

 

↑ これは先月書いた記事だが、宣言した通り行ってきた。場所はお台場。普段はまったく縁がない場所だけに、あの広い中のどこが会場なのかと散々に迷った挙句、会場に到着した時にはすでに座る場所もないほど満席であった。

 

さて、お目当てのドイツビールである。記憶にあるだけでも、飲んだのは以下の通り。


Weizen/ヴァイツェン(¥1,000/500ml) 


Bitburber Premium Beer/ビットブルガー プレミアム ピルス(¥900/400ml)



Hacker-Pschorr HefeWeissbier/ハッカー・プショール ヘーフェヴァイスビア(¥1,500/500ml)



Paulaner St.Thomas/パウラーナー セント・トーマス(\1,500/500ml)

ERDEINGER Weißbier DUNKEL/エルディンガー ヴァイスビア デュンケル(\1,300/500ml)



Edelweiss/バイエルンマイスタービール エーデルワイス(\1,300/500ml)


Warsteiner/ヴァルシュタイナー(¥1,300/500ml)



Paulaner Hefe-weisse/パウラーナー ヘフェヴァイスビア(¥800/300ml)


※ところどころ画像撮り忘れありw

まだまだ飲んだかもしれない。どれもそれぞれ旨かったが、さすがに後半の半分くらいは味も記憶にないくらいだ。こうして文章に起こしてみると、なんとビールだけで1万円も散財したことになるから驚きである。

 

それにしても、ひたすら暑かった前回8月の立川の時とは違い、暑くもなく寒くもない実に爽やかな季節となり、お台場の夜景を眺めて旨いソーセージを肴に飲むビールは最高である。






ビアガーデンの季節は終わってしまうのは寂しいが、これからは観光シーズンとなるだけに今度は温泉旅行でも計画するか ( ´艸`)ムププ

2013/09/20

怪物、標的となる(怪物伝説part5)

達川(元広島)のブログより抜粋

とにかく、江川は凄かった。とても作新学院を倒せるチームがいるとは思えんかった。 無人の野を行くが如く・・・、江川の作新学院は、勝ち進んだ。

 

江川を江川たるものにした最大の特徴は、まず野球選手としての抜群の能力じゃった。 それは当時、マスコミをして「怪物」と言わしめた。そして、ワシらにとって更に最悪な事は、その春「怪物」は絶好調じゃった。ワシら広島商業高校と対戦する前の試合・・・今治西高校戦。この試合、江川は21個の三振を奪った。考えられんじゃろう? 9回を終わらせるのに、必要なアウトは27個なんよ。そのうち21個を三振で取るなんて事は、普通考えられんもん。じゃから、江川は「普通じゃ無かった」、「怪物」じゃった。

 

その絶好調の「怪物」と、ワシらはついに対戦する。しかしここで、天が勝負に水を差した。甲子園に雨が降った。この雨が、後に勝負の分かれ目になる。

 

21奪三振の翌日。

甲子園には雨が降り、試合は中止になった。連投の江川は、これで休めて有利になったのか? いや、実は、それは・・・ないのよ。江川を「怪物」と言わしめた、もう一つの特徴は「抜群のスタミナ」じゃった。21個の三振を取った、今治西高戦。その翌日の朝、江川は全く疲れを感じなかったそうな。それどころか「体中に力が漲り、絶好調な状態だった」んだそうじゃ。じゃが、試合は雨で中止。翌日に、順延となった。

 

当時、江川が「怪物」と呼ばれていた事は、前に話したと思う。その頃の江川は、ワシらにとって「圧倒的存在」だっただけじゃなく、世間にとっても、「圧倒的存在」じゃった。試合を前に、広島商の名伯楽・迫田は

 

「江川も疲れている。1人最低5球を投げさせろ。臭いコースは、総てカットだ。そして、ホームベースの50分の1の外角球をおっつけろ」という指示を出した。この試合、江川は疲労からかコントロールが悪く、四球を多く出した。しかし、江川は江川。肝心なところは三振を奪い、ヒットも許さない。そして、作新学院が4回の表に先取点を取った。これで、誰もが作新学院の決勝戦進出を確信した。しかし、ついに江川の無失点記録が途絶える時が来た。

 

それは5回裏だった。2死で、二塁に四球で出たランナーがいた。バッターは、エースの佃。やぶれかぶれで振ったバットにボールが当たると、ライト前へのポテンヒットとなり、ここに江川の「0」行進に終止符が打たれた。その後も投手戦が続き、迎えた8回裏。広島商は、二死ながらセカンドに俊足の金光を進めた。まともにいったら、江川から点は取れない。そこで広島商ベンチは、金光に3塁盗塁のサインを出した。そして金光が、サイン通り3塁盗塁を敢行。これに慌てた作新学院のキャッチャー・小倉が3塁に悪送球。キャプテンが小躍りしながら、ホームに還ってきた。これが決勝点となり、殆ど打たれないままに江川の選抜は幕を閉じた。

 

江川の甲子園の初陣は準決勝敗退で終わったが、4試合に登板し60奪三振という記録を残した。これは選抜大会史上最多奪三振記録として、40年経った未だに破られていない。

 

「怪物・江川の「一挙手一投足」は、もれなく日本中に配信されていた。決してオーバーな表現ではなく、江川は国民的な関心事じゃったんよ。じゃから、雨で試合が中止になった日も、マスコミが大勢で作新学院の宿舎に詰めかけた。江川は、対応に追われた。抜群のスタミナを誇る江川じゃったが、野球の体力とマスコミ取材に使う体力とでは、やっぱり違ったんじゃろう。取材に疲れて2階の控え室に入ると、ソファで30分ほど寝てしもうたんよ。このあたりは怪物と言われながらも、まだ18歳の高校生じゃもん。「仕方が無い」と言いたいところじゃが・・・これが、いかんかった。

 

この時、江川は首を寝違えてしまったんよ。寝違えた首は、回復しないまま・・・次の日、ワシらは対戦した。寝違えた状態でも、江川はさすがに怪物じゃった。江川はワシらから、12個の三振を奪っていった。しかし、ワシらは思っていた。

「凄いけど、何か違う」

 

その時、ワシらは、江川に起こった災難を知る由もなかった。ワシらは

「広商は打たないから、本気で投げていないのかな?

それくらいに、思っていたのよ。もっとも、それでもワシらにとっては、凄い相手じゃったんじゃが・・・広商は12個の三振を奪われたが「怪物」は、ワシらの前に力尽きた。

 

広商は作新学院を下し、その春、準優勝に輝いた。これが、ワシと江川の春の物語よ。ワシらは江川を倒したが、ワシらの誰一人として

「何故、江川を倒せたのか?

分からなかったと思う。

 

50歳を過ぎて、その真実を知った時、ワシは何故か納得した。そして、思うんよ。勝負とは「何と奥深いものなのか」と・・・偶然も必然も全てひっくるめて、勝負とは何と奥深いんだろう。あの時、雨が降らなければ・・・

 

春、準優勝したワシらは、広島に帰った。そして、何をしたかというと・・・夏に備えて、また「打倒・江川」の猛練習を始めたんよ。ワシらの世代は、今風に言えば「江川世代」 もしくは「怪物世代」・・・そんな感じじゃった。

 

こう呼ぶ事には当時の野球ファンは勿論、当時の高校球児も異論を唱える者はおらんじゃろう。それほどに江川は偉大で、圧倒的な力を持った選手じゃった。ワシは・・・いや、ワシらは、この圧倒的な男を倒す事だけを考えて命がけで練習した。今聞いたら、皆「またぁ、そんなオーバーに・・・ 」と言うと思うけど、これは脚色抜きのホンマなんよ。ホンマに、それくらい思い詰めてワシらは練習してたんよ。ワシらのチームだけじゃない。日本中の高校球児が、そうだったと思う。江川とは、それくらいにしないと勝てない相手(それでも勝てないかも・・・)じゃったし、ワシらをその気にさせる選手じゃった。

 

ハッキリ言おう。江川がいなかったら、ワシはプロ野球選手になってなかった。いや、より正確に言えば「プロ野球選手に、なれていなかった 」と思うんよ。高校時代、江川に勝つために死ぬ気で練習した・・・この練習こそが、ワシの野球選手としての体力や技術を作り上げた。江川がワシと同じ年に生まれなければ・・・そこに江川がいなければ・・・ワシは、あれほどに野球にのめり込んだだろうか? ワシにとって江川とは、そんな存在なんよ。そして江川が自分にとって、そんな存在だった高校球児は全国に沢山いたと思うんよ。

2013/09/16

ビアガーデン (。 ̄Д ̄)d□~~

  夏といえばビアガーデンである。毎年、3回はビアガーデンに行くのを目標にしている。

 

今年の一発目は「外国のホテルのテラスのような開放的でおしゃれな空間」の文句に釣られ「THE LANDMARK SQUARE TOKYO GARDEN CAFE with TERRACE BAR」という長ったらしい名前の店に行った。

 

残念ながら、この日は天気が悪く「雨予報のため」とのことで、ガーデンではなく「ビアホール」となった。

 

スパークリングワイン飲み放題プラン!」で、ワインは豪華に1本持ってきてくれたものの、ビールが2杯目からプラスチックのコップには興醒めしてしまったが、料理はまずまず旨かった。


 

続いて立川の国営昭和記念公園で「オクトーバーフェスト 2013」に参入。

 

オクトーバーフェスト(独:Oktoberfestは、ドイツ・バイエルン州の州都ミュンヘンで開催される世界最大規模の祭りで、ミュンヘンの醸造組合はこの催しのために、特別のビール(ヴィーゼンビィアー、緑地ビールの意)を非常に多量のホップを用いて高アルコール度で醸造しているとのこと。ビールの種類があまりにも多いため、目移りしてしまう。

 

豪快に飲み比べと行きたいところだが、生憎夜は立川タカシマヤのビアガーデン(飲み放題)を予約済みだから、あまり飲みすぎるわけにも行かない。  しかも、どのビールもが500mlのジョッキで11000円以上と安くはない。散々に迷った挙句「ドイツ大使館御用達/Warsteiner(ヴァルシュタイナー)」と「2008"World Beer Awards"ヴァイツェン部門金賞受賞/Edelweiss(バイエルンマイスタービール エーデルワイス」(どちらも500ml1300円)を飲んだが、どちらもがビックリするほど旨かった




 さらにグローベブラードヴルスト」というソーセージが、これまた涙が出るほどに激旨い。折角、国営昭和記念公園に来たのだからとひまわりを観に行ったが、例の40度近い猛暑の頃、直射日光で頭がボーっとしかかるようなヤバイ状況に。

 

夜は、立川タカシマヤのビアガーデンに移動した。

 

「屋上だから、涼しくて気持ちいいだろう」との思いは甘く、夕方だというのにまったく涼しくならず汗がダラダラと流れる。おまけに「オクトーバーフェスト」で飲んだドイツビールが旨すぎたせいで、暑いばかりのビアガーデンのビールがいつになく味気なく・・・

※お台場の「オクトーバーフェスト」にも行くぞー ε=ε=ε=(ノ≧▽≦)

2013/09/11

捕手も捕れない剛球(怪物伝説part4)

元中日の捕手・中尾孝義の証言。

 

「選抜で作新が滝川高校のグラウンドに練習しに来たんです。その時、1回りだけ滝川相手に江川がシートバッティングをしたんです。まあ、凄かったですよ!!

1球目ストレート空振り、2球目ストレート空振り、3球目『わあ、当たる』と頭の上にボールが来たと思ったら、ストンと落ちてカーブです。見逃し三振です。レベルが違います。

 

うちのエースなんて

『俺達がやってきた野球は、何だったんだ?』

って、真剣に悩んでいましたから。9人中8人が三振、1人がボテボテのゴロです。

 

あと凄いのは遠投ですよ。ファースト付近で江川がレフトへ8090m遠投するんですけど、ススススーとボールが落ちないんです。

『なんじゃ、こいつ!?

と思いましたね。もう本当にレベルが違いました。大学、プロでも対戦しましたが、高校時代のインパクトには度肝を抜かれました。

 

82年(昭和57年)のオールスターの8連続三振の時、ナゴヤ球場でキャッチャーで受けましたが、高校で初めてバッターボックスから見た球の方が数段上でした。後から、作新のキャッチャーに

『江川はシートバッティングだから、本気で投げていない』

って言われて、更にショックを受けましたね」

 

江川が史上最高だという元プロ野球選手たちが大勢いる。あのヒネクレモノの三冠男・落合(元中日監督)でさえも、オールスターで対戦して

「来るとわかってて、打てないストレートを放るのは江川だけ」

と現役時代、江川が一番と公言している。

 

「なぜ、あんな投手が打たれるのかわからない」

とも言っていたが、当時の江川は既にとっくにピークを過ぎていた。

 

江川が対広島初登板の際、主砲の山本浩二はすぐに投球フォームから、カーブと直球が読めるようになったが、実際に対決すると打てなかった。山本が球種を読んで打てなかったのは、江川だけだった。

 

ところが、である。

江川が最高だという人たちの大半が

「高校時代の江川の方が、もっと凄かった」

と声を揃えて言うのだ。

 

ある試合で、江川は捕手に

「次の回から、本気で投げてもいいか?」

と聞いた。そして捕手に投じたボールは、あまりの速さと打者の手元で大きくホップするため捕球できず、キャッチャーミットを弾き飛ばして球審の顔面マスクを直撃するという惨事に。それ以来、江川は全力で投げるのを止めた・・・というマンガのようなエピソードもある。

 

北陽、小倉南に続いて強豪今治西を20奪三振で一蹴し、3試合25回被安打6無失点49奪三振。甲子園は江川一色の大フィーバーとなり、江川が登板する日は甲子園一帯が数千人のファンで埋め尽くされ、メディアも

 

「江川をどのチームが破るのか?」

 

という興味から

 

「いったい江川は、大会通算いくつの三振を奪って優勝するのか?」

 

という興味に変わるほどであった。

 

迎えた準決勝の相手は広島商。広島商の左腕エース佃も、準決勝までの3試合を総てシャットアウトしてきた。そうしたことから、作新学院との準決勝戦は1点で決まると言われた。

 

広島商には、後に広島で活躍した達川光男などの強力メンバーが居たが、打倒・江川を目指し、ある秘策を練っていた。もしランナーが二、三塁という状況になった場合、打者がわざとスクイズを空振りし、捕手がホームへ突っ込んできた三塁ランナーにタッチしている隙に、三塁を回っていた二塁ランナーがホームへ突入する、という作戦である。

 

実際にランナーが二、三塁になるとは限らない上、仮に二、三塁という状況になったとしても、そうそう上手くは行かなさそうな作戦ではある。が、当時の江川からヒットを打つことはおろか、バットにボールを当てることすら難しいとの判断から、そのようなヘンテコな作戦を考えざるを得なかった、という事である。

2013/09/04

安曇

安曇」の語源は、古代にこの地に移住してきた海人族安曇氏に由来する。安曇氏は、元々北九州の志賀島周辺を本拠地としていたが、全国に散らばって行った。穂高神社は信濃の安曇郡に定住した安曇氏が祖神を祀った古社であり、志賀島から全国に散った後の一族の本拠地はここだとされる。

 

安曇野」が指し示す範囲としては、明確に画定された線引きは無いが、概ね安曇野市、池田町、松川村の3市町の他、さらに松本市梓川地区(旧・梓川村)、大町市の南部(常盤・社地区)まで含まれることもある。古くは「安曇平(あづみだいら)」と呼ばれていたが、臼井吉見の小説『安曇野』によって有名になり、この名称が定着した。なお、「安曇」の平仮名表記については明確な基準は無いが、安曇氏が「アマツミ」に由来していることから「あづみ」と読む場合が多いが、現代仮名遣いでは一般的に「づ」は「ず」と表記するように定められていることから「あずみ」と表記している例もある。例:「あづみ」安曇野市、JAあづみなど。「あずみ」安曇追分駅など

 

「綿津見命(わたつみのみこと)」を信奉する安曇族(あづみぞく)は、かつて筑紫を中心に北部九州で海運を司っていたが、のちに東遷してこの場所に定住したらしい。 律令制の元で、信濃国安曇郡が成立。「アヅミ」は「海人津見(アマツミ)」の転じたものとされる。驚いたことに、筑紫と似た風習が食文化(馬食等)や地名、方言(安曇弁)などに残っているとか。

 

《西から東へと移動する海人は無数にあった(中略)

海人の中で代表的なものはアヅミ族で、「和名抄」にいう筑前国糟屋郡安曇郷、および博多湾の東を扼する志賀島に本拠を持つ。アヅミは阿曇、安曇、厚見、厚海、渥美、阿積などと表記されるが、その足跡は瀬戸内海を経由して阿波、淡路、播磨、摂津、河内、近江におよび、琵琶湖の西側には安曇川の地名を残している(中略)

さらに信濃国安曇郡は、糸魚川から南下した安曇一族が開拓したと伝えられ、式内社の穂高神社は安曇氏の祖神と仰がれる穂高見神を祀っている。

 

アツミという名の由来については、太田亮はアマツミ(海積)の省略であるとする。「ツミ」は原始的カバネの一つで、君、ヌシ、長、タマなどの語と比べられるという。吉田東伍は、海人持(阿麻都母智)の麻を省き、母智を美として「阿都美」としたのである、と述べている。

 

和名抄に「安曇は 信濃の安曇郡の例によってアヅミという。近江・筑前にも安曇郷がある。」、「海人津持(アマツモチ)」という古い呼び方を安曇姓にしたもので、安曇連は古事記にも出てくるが豊玉彦命の後裔である。今、伯耆の国に上安曇と下安曇の二つの村がある。これらはアヅマと呼ぶが これは住民がアヅミを訛ったことによる」   といったことが書いてある。

 

吉田東吾の大日本地名辞典には「安曇郷(米子市)は、安曇連に繋がる者の居住地であったことに由来するかもしれない」という。

 

日本歴史地名大系に「郷名のアズミはアマズミの縮まったもので、漁業や航海に従う海部の長となった氏族を指すと考えられている」としている。米子市のホームページを見ると、この米子市周辺は妻木晩田(むきばんだ)遺跡を始め、古代の遺跡がたくさん出てくる土地である。湧き水が豊かで、山麓部の棚田の存在など地理的条件から見ると、おそらくこれらの遺跡より古い時代に水田稲作耕民が入植した可能性はある。 

 

ポリネシア語による解釈

出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

古代からの郡名で、県の北西部の飛騨山脈(北アルプス)の東側、梓川左岸および糸魚川・高瀬川流域に位置し、おおむね現在の大町市、北安曇郡、南安曇郡(安曇村の一部(奈川右岸)および豊科町の一部(梓川右岸)を除く)、東筑摩郡奈川村の一部(奈川左岸)の地域です。

 

『和名抄』は「阿都之(あつし)」と訓じます。他の伯耆国会見郡安曇郷、筑前国糟屋郡阿曇(雲)郷、近江国伊香郡安曇郷はいずれも訓を欠きます。一般に「あづみ(あずみ)」と呼ばれます。

 

郡名は「アヅミ(「アマツミ」(海神)の転)」で、海人族の阿曇氏が土着したことによる「アヅ(崖、傾斜地、自然堤防)」の意とする説などがあります。この「あつし」、「あずみ」は  「アツ・ウチ」、ATU-UTI(atu=to indicate a direction or motion onwards,to indicate reciprocated action;uti=bite)、「繰り返し・(洪水で)浸食される(地域)」、「アツ・ミ」、ATU-MI(atu=to indicate a direction or motion onwards,to indicate reciprocated action;mi=stream,river)、「(至るところに)水が・湧き流れる(地域)」の転訛と解します。