2007/09/26
ちゃんぽんの由来(後編)
穴切(後編)
2007/09/22
財団法人・日本大バカモノ協会
骨折と偽って(?)巡業を休みながら、無断帰国のモンゴルでサッカーに興じていた疑惑の横綱・朝青龍が、横審・相撲協会公認でモンゴルで「療養」しているという。
「療養」といえば聞こえはいいが、報道によると身内の息の掛かった保養地の温泉で寛いだり、乗馬を楽しんでいると言うではないか。これが「療養」とは「へそで茶を沸かす」とは、この事だ。誰が考えても、悠々自適に遊んでいるとしか思えない。温泉治療や湯治という考えもあるだろうが、それならば温泉大国・日本で充分に事は足りるはずだから、わざわざマスコミの目を逃れてモンゴルでというのは、絶対的に意味不明なのである。
そもそも何故、このようなバカゲタ事態になってしまったのか?
巡業参加は力士に課された義務であり、本場所同様に大事な位置づけを持っているのに、仮病を使ってまで足蹴にしてサボったのが朝青龍である。その朝青龍に、相撲協会は「帰国、温泉、乗馬」などの遊興を公認したのだから、恐れ入った。しかも、皆が体を張って汗水垂らして頑張っている、巡業や本場所の行われている最中に、そうして悠々と遊んでいるというのに、7割もの給料が保証されているのである。
これが全力士の規範となるべき、横綱に対する「ペナルティ」だというのだから、狂気の沙汰としか言いようがない。なぜ、数え切れないくらいの前科のある狼藉者・朝青龍だけが、常に特別扱いを許されるのか?
他の力士であれば、国内であろうとたとえ所属部屋の近所に実家があろうと、自由な帰省などは絶対に許可されないはずなのであり、また場所中に温泉や乗馬などが、許されるわけのあろうはずがないのだ。これでは、結局「強ければ、なにをやっても許されるのだ」という事になってしまう。
確かに「横綱・白鵬」とはいえど、現状で朝青龍とはまだまだ歴然たる力の差はあるくらいにバカ強い事は認めるが、実際に朝青龍のこれまでの言動もそうした甘えに支配されてのものであろうし、これからも益々拍車が掛かる事になっていくのだろう。
朝青龍の行動は、サラリーマンで言えば大事な出張を仮病を使ってサボりながら、その足で旅行に行っていたようなものである。そのような怪しからんヤツに、例外的に社長通達で温泉旅行や乗馬を許可したというのであれば、このような支離滅裂な通達を発する社長が存在する会社の信頼性は、瓦解するのである。
こう書いているうちに相撲協会全体が、管理責任を問われている親方のアサシオ豚と、結局は同じ穴のムジナに過ぎない事がよくわかった。
※同じモンゴル人横綱・白鵬の礼儀正しさ、土俵上での立ち居振る舞いの美しさは素晴らしい。
2007/09/21
ボロディン 弦楽四重奏曲第2番(第1楽章)
弦楽四重奏曲第2番 ニ長調は、アレクサンドル・ボロディンが1881年にジトヴォで作曲した弦楽四重奏曲。「夜想曲」として知られる第3楽章「ノットゥルノ」が有名。
概要
本作は、ボロディンの作品の中でも特に親しまれているもののひとつであり、また、19世紀のロシア帝国を代表する室内楽曲のひとつでもあるが、ボロディンの伝記作家であるセルジュ・ディアニン(Serge Dianin)など一部の音楽学者は本作が、ボロディンが妻エカテリーナ・セルゲイエヴナ・プロトポポーヴァに愛を告白した20周年の記念に作曲されたものであると推測しており、妻に献呈されている。
前作『第1番 イ長調』は、第1楽章から第3楽章に渡ってベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調』のフィナーレの主題が用いられ、その他にもシューベルトやメンデルスゾーンなどのドイツ系の作品からの影響も色濃いため、ウラディーミル・スターソフやボロディンと同じくロシア5人組に属するモデスト・ムソルグスキーなどからは「ロシア国民楽派の信条に反する」と強い非難を浴びたが、本作は従来の弦楽四重奏曲の様式を踏まえつつも、楽器の持つ特性を活かしながらロシア的な要素も融合させ、親しみのある優れた作品に仕上げている。
また、ボロディンは本職が化学者であったために作曲に割ける時間があまりなく、前作が完成までに足掛け5年を要したのに対し、本作は1881年7月23日に着手し、同年9月19日に完成するという、ボロディンにしては異例のスピードで書き上げられている。